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第985回 橋弁慶山 南観音山~祇園祭後祭山鉾巡行~その3

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現在「四条河原町」交差点南西角の京都高島屋前にいます。
前回ブログで祇園祭花笠巡行も終え、
暫しの静寂が流れています。
今回から、祇園祭後祭の山鉾が順々に登場します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時半。
前回ブログの花笠巡行から5分後です。


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ちょっとした隙に、「四条河原町」交差点北西角を見ています。
こちらに大量の桶が並んでいますが、
これらはこれから始まる「辻回し」の必需品です。
雨の日は別ですが、辻回しに使う道具の一部は
常に濡れていないといけません。
こちらは、山鉾巡行に協力的な企業が用意しています。
ただ、各交差点で協力する企業が異なります。
ちなみに「四条河原町」交差点にいらっしゃる方は、
月桂冠と書かれた法被をお召しです。


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祇園祭花笠巡行最後尾が「四条河原町」交差点を通過して5分後、
警察車両が河原町通を南下してきました。
祇園祭山鉾巡行や葵祭の先頭は、必ず警察車両です。
前祭と後祭の山鉾巡行では、巡行する方向が真逆です。
ここでは河原町通を南下して、四条通を西に進みます。


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警察車両に続き、河原町通を様々な方々が南下しておられます。
幟を持たれる方もいらっしゃいますが、
祇園祭の「山」を担がれる方々もいらっしゃいます。


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警察車両に続いて、こちらの幟が続きます。
「祇園会」とは、祇園祭のことです。


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「祇園会」と書かれた幟が、「四条河原町」交差点にやって来ました。
よく見ると、幟を運ばれる方の後ろに随行者がいらっしゃいます。


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その随行者は「四条河原町」交差点に現れると、
月桂冠の法被姿の方々の前に立たたれました。
そして、榊を振るわれます。


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一方「祇園会」の幟を持たれた方は、
「四条河原町」交差点からは四条通を西に進まれます。
ここまで一緒におられた随行者は、
「四条河原町」交差点に留まれます。


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「祇園会」の幟に続いて、
ここから祇園祭の山鉾が順々に巡行していきます。
先頭の「山1番」は、橋弁慶山です。
こちらはくじ引きを引かず、毎年後祭山鉾巡行の先頭です。


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祇園祭の山鉾は、何種類かに分類されます。
橋弁慶山は「担ぎ山」に分類されます。
様々な装飾が施されたお神輿に近い形状です。
ただし下には車輪がついており、
厳密には担ぎ手は荷車を押す感覚で山を動かします。
「山」の上には祇園祭が現在の形になったころ(室町時代)、
京都の町衆がなじんでいた物語を題材にした
一場面が再現されています。


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橋弁慶山には、2体のご神体となる人形がおられます。
(ちなみに、祇園祭の山鉾はそれぞれ独立した神社です)
こちらは、現在も語り継がれている「橋弁慶」に取材しています。
源義経(幼名:牛若丸)と比叡山の僧兵武蔵坊弁慶との決闘を表します。
この決闘に敗れた弁解は、源義経の家臣になりました。


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「橋弁慶山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点を西に進まれます。
そして、橋弁慶山自体も「四条河原町」交差点に入ってきました。


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橋弁慶山の担ぎ手さんたちは、
「四条河原町」交差点にはいてこられると、
橋弁慶山を持ち上げられました。
そして、その状態で方向転換されます。


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橋弁慶山の担ぎ手さんたちは西に向かれると、
そのまま橋弁慶山を地面に下ろされました。
これが、担ぎ手の辻回しです。
ちなみに「辻回し」とは、山鉾が方向転換することです。
先ほどの桶の水を一切使いませんでしたが、
派手な辻回しを行うのは、「鉾」や「曳山」だけです。


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橋弁慶山が、河原町通から四条通を西に進みます。
この角度から見ると、山の上に黒漆の橋が架かっていて
(五条大橋を表しています)
牛若丸(源義経)は、橋の欄干に乗っています。
力任せに長刀を振る武蔵坊弁慶に対して、
身軽な少年だった牛若丸は飛び跳ねて攻撃をかわし、
最後は牛若丸が弁慶の急所を横笛で叩いたと伝説にあります。


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橋弁慶山が、「四条河原町」交差点を去ります。
祇園祭前祭山鉾巡行では「四条河原町」交差点は初めの方でしたが、
巡行コースが逆転する祇園祭後祭山鉾巡行では
「四条河原町」交差点は山鉾巡行のほぼ終盤です。
河原町通から四条通を西に進んだ後、
後祭で巡行した各山鉾は約700m先の烏丸通まで巡行して
そこから各町内に帰り、解体されます。
(解体された山鉾は、来年まで八坂神社に収納されます)


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橋弁慶山に続いて、次の山鉾が河原町通を南下しています。
こちらは、橋弁慶山より倍以上大きいですね。
次の山は、「曳山」に分類されます。
この大きさだと、お神輿のように担ぐことはできません。
ですから、約30人の曳手が大きな山を引きずります。


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その曳山の前に、「南観音山」と書かれた幟が行進します。
そして、その背後から南観音山の町衆の皆さんが随行されます。
さらに少し離れて、南観音山が河原町通を南下しています。
南観音山の基部には、楊柳観音ががいらっしゃいます。
山の背後に付いている柳の木は、楊柳観音の象徴です。
南観音山の山町は蛸薬師通より南の前祭の区域ですが、
北隣の北観音山と親交が深いので、
例外的に後祭に属しています。


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だんだん南観音山が近づいてきました。
南観音山の前方で扇子を振っておられるのが、音頭取りです。
音頭取りは前進や停止、辻回しによる方向転換など、
曳山の巡行を指揮します。
音頭取りが扇子を手前に差し出されておられているので、
南観音山は前進しています。


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南観音山が、だんだん「四条河原町」交差点に近付いています。
すると南観音山の町衆数名が南観音山の下の方から竹竿を取り出し、
その竹竿を「四条河原町」交差点に並べ始めました。
この竹竿は縦に割れており、薄く作られています。
並べられたこの竹竿が、この後の辻回しの重要アイテムです。


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南観音山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
約30人の曳手に曳かれた南観音山には、
横笛や太鼓、銅鑼を演奏されている囃子手が乗っておられます。
その囃子手は山鉾巡行の間、祇園囃子を演奏されています。


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南観音山の曳手の皆さんは「四条河原町」交差点に到達しても、
まだ河原町通を南下し続けられます。
南観音山が交差点の中央に到達するまでは、
曳手の皆さんは河原町通を南下し続けます。


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南観音山は、「四条河原町」交差点の中央まで南下して停止しました。
すると南観音山の曳手の皆さんは、四条通の西側へ移動されます。


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南観音山の曳手の皆さんは四条通の西側に整列されて、
一斉に引くことで南観音山を方向転換されようとしています。
これを「辻回し」と言います。
祇園祭の山鉾は、車輪の構造上曲がることができません。
ですから、このように力づくで方向転換します。
その際曲がり易いように車輪の下に竹竿をかませ、
竹竿の上で曳山の車輪を滑らせます。
さらに滑りやすいように、竹竿の上に大量の水を撒きます。


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その間曳山の上の方におられる囃子手の皆さんは、
すっと祇園囃子を演奏され続けます。
屋根の上にも数名いらっしゃいますが、
こちらは重しの役割を果たしておられて、
状況次第で自分の位置を変えることで、
曳山全体の重心を移動させておられます。


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南観音山の辻回しの下準備が、まだまだ続きます。
竹竿の配置を確認して、曳手が曳く綱を車輪に括り付けます。
そして、準備万端となって音頭取りが4人に増えます。


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南観音山の辻回しの下準備が、整いました。
すると音頭取りの皆さんが、掛け声をかけられます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


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音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳手の皆さんが四条通の西側から綱を引かれます。
すると南観音山が、西に約30°方向転換しました。
これで、1回目の辻回しが終了です。


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祇園祭の辻回しは一気に90度曲がると、山全体が倒れてしまいます。
大体30°ずつ3回で90°回転します。
通常辻回しは、90°曲がるのに約20分かかります。
まぁ上手くいかなかったときは、30分以上かかります。
今回は手際が良いので、15分くらいで90°曲がれそうです。


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約30°方向転換した南観音山の町衆の皆さんは、
次の辻回しに向けて大忙しです。
南観音山をさらに西に曲がるように、竹竿を並べ直しておられます。
しかも、結構手早くしないと次の山鉾が渋滞してしまいます。
こういうもののコツは、各山鉾町に代々継承されています。


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南観音山の町衆の皆さんが、竹竿を並べ直されました。
音頭取りの皆さんが南観音山の前に立たれ、
掛け声とともに扇子を横に振られます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


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南観音山の音頭取りの皆さんの掛け声で、
四条通の西側にいらっしゃる曳手の皆さんが
南観音山を一斉に引かれます。
すると南観音山は、西にさらに30°方向転換しました。


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南観音山はさらに30°方向転換して、約60°曲がりました。
南観音山の辻回しは、あと1回で90°転換できそうです。


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南観音山の町衆の皆さんが、竹竿を並び直されています。
そして、新たに水を撒き直しておられます。
まさに熟練の手さばきで、手早く作業されていますね。


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南観音山の音頭取りの皆さんが掛け声をかけると、
四条通の西側にいらした曳手の皆さんが一斉に引かれます。
すると南観音山が、西に方向転換します。


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すると南観音山は、さらに30°西に方向転換します。
これで南観音山は、完全に四条通を西に進めるようになりました。


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とは言え、すぐに南観音山は出発できません。
竹竿をすべて収納しないと、後から来る山鉾が進めません。
竹竿は各山鉾が用意していて、共用されることはありません。


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南観音山の底を大写ししました。
南観音山の底には布が張ってあって、
その布の上に、竹竿が収納されています。
これは、このような辻回しを行う山鉾に共通します。


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その竹竿を収納し終えると、音頭取りは2名に戻ります。
「え~いやらや~」
音頭取りの掛け声で、南観音山は四条通を西に進みます。
これで、南観音山の辻回しは終了です。
大体15分くらいで辻回しを終えています。
ここからは次の山鉾が「四条河原町」交差点に登場しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、浄妙山、八幡山、鯉山が登場します~

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第986回 浄妙山八幡山鯉山~祇園祭後祭山鉾巡行~その4

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前回ブログで辻回しを終えた南観音山が、
楊柳観音を象徴する柳の木を靡かせて四条通を西に進みます。
今回は、この後に続く担ぎ山3基を紹介します。
いずれもくじ引きで順番を決めるので、
毎年異なる順番で巡行します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時45分。
猛暑の中、そろそろ熱中症が心配です。


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南観音山が、四条通を西に去っていきます。
続いて、新たな担ぎ山が河原町通を南下してきました。


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その担ぎ山の手前に、こちらの幟が先行します。
その幟には、「浄妙山」と書かれていました。
2023年の後祭山朴巡行「山2番」は、浄妙山です。


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幟を持たれた方と浄妙山の間をこちらの男性たちが行進されます。
彼らは、浄妙山の町衆の皆さんです。
浄妙山の山町の住民で、浄妙山を管理運営されています。
祇園祭は八坂神社と京都市内の当該町内で運営されており、
日本政府はもちろん京都府や京都市も運営に関わりません。


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浄妙山の町衆の皆さんが「四条河原町」交差点で右(東)を向きました。
そして、その方向に向かって一礼されます。
ちなみに四条通最東端に、八坂神社がいらっしゃいます。
祇園祭を主宰する神社ですね。


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そして、だんだん浄妙山が河原町通を南下してきます。
ご神体の人形の上に人形が乗る変わった山ですね。
浄妙山は、宇治川の戦いの一場面を表します。
源頼朝側で戦った僧兵の浄妙が一番で名乗りを行おうとしたのですが、
(一番名乗りには、後で主君から報奨が出ます)
同じく僧兵の一来法師に頭を飛び越えられ、
浄妙がその一番名乗りの報奨を貰えなかった話に取材されます。
ちなみにその一来法師もこの直後に斬り殺されたため、
報奨を貰っていません。


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浄妙山が、「四条河原町」交差点中央に到達しました。
すると、担ぎ手さんが一斉に浄妙山を持ち上げられました。


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今まで南に向かれていた浄妙山の担ぎ手さんは、
浄妙山を持ち上げて西に向かれました。
これが、担ぎ山の方向転換の方法です。
これも、辻回しですね。


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再び地面に下ろされた浄妙山は、今度は四条通を西に進みます。
この角度から見ると、僧兵の浄妙の頭を
一来法師が飛び越えていく様子がよくわかりますね。


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「四条河原町」交差点から、浄妙山が四条通を西に去ります。
するとすぐに次の担ぎ山が、「四条河原町」交差点に現れました。


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こちらの幟が、河原町通を南下します。
2023年後祭山鉾巡行の「山2番」は、八幡山」です。


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「八幡山」と書かれた幟の背後にも、
数名の男性が随行されます。
こちらは、八幡山が立つ中京区三条町の町衆です。


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八幡山の幟と町衆の皆さんが四条通を西に進んでおられる途中に、
八幡山が「四条河原町」交差点に近付いてきました。
お気づきでしょうか、山の中心に神社の祠と鳥居があります。
こちらは中京区三条町にいらっしゃる小さな八幡社が
そのまま山に乗られています。


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八幡山が、「四条河原町」交差点中央に差し掛かりました。
祇園祭の担ぎ山の中には、町内の神社をそのまま乗せたものが
前祭にも後祭にも数基存在します。
前祭では、油天神山と霰天神山がいらっしゃいます。
(どちらも、第973回ブログに登場します)
また後祭の宵山は、新町通の「屏風祭」がお楽しみです。
この辺りの町衆は見事な屏風を有する呉服問屋が多く、
特に中京区三条町の屏風が見事です。
要するに、八幡山の山町ですね。
(屏風祭の詳細は、第870回ブログを参照してください)


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八幡山が、「四条河原町」交差点中央にいらっしゃいます。
ここで担ぎ手さんたちが力を合わせて、八幡山を持ち上げられます。


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担ぎ手さんたちが、八幡山を持ち上げたまま西に方向転換されました。
担ぎ山は時間をかけずに、これで辻回しを済ませることが多いです。


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八幡山が西を向くと、担ぎ手さんたちは八幡山を地面に下ろされます。
今まで河原町通を南下していましたが、
ここからは四条通を西に進みます。


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八幡山が、「四条河原町」交差点を西に去ります。
すると次の担ぎ山が河原町通を南下して、
「四条河原町」交差点に近付いてきました。


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こちらの幟が、河原町通を南下してきました。
こちらには、「鯉山」と書いてあります。
2023年後祭山鉾巡行の「山4番」は、鯉山です。
祇園祭後祭の中でも、特に人気のある担ぎ山ですね。


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「四条河原町」交差点の中央で、
「鯉山」と書かれた幟が西に転換されます。
その背後から、また複数の男性が随行されています。
こちらも、鯉山を運営・管理される町衆の皆さんです。


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その町衆の皆さんの後から、鯉山が河原町通を南下します。
朱い鳥居の背後にご神体の大きなコイの像がいらっしゃいます。
こちらは左甚五郎の作品で、重要文化財です。

「鯉(コイ)の滝登り」という格言があります。
コイは努力して滝を上ることを繰り返すことで、
いずれは巨大な龍に変化するという伝説があります。
つまり「立身出世」のたとえ話なのですが、
鯉山はこれを表した山です。
鯉山の手ぬぐいには「登竜門」と書かれていますが、
これは「鯉の滝登り」と同じ意味です。


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鯉山が、「四条河原町」交差点の中央に到達されました。
ここで担ぎ手の皆さんが、鯉山を持ち上げられます。


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担ぎ手の皆さんに持ち上げられた鯉山が、
南から西へ方向転換されます。
鯉山も担ぎ山の一種ですから、この方法で辻回しを行います。


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鯉山が、西に向きました。
通常はこれで担ぎ手の皆さんが地面に下ろして
辻回しは終了なのですが、
鯉山はここで辻回しが止まりません。
これから、鯉山は「四条河原町」交差点で回転し始めます。
後祭の担ぎ山の中でも随一の人気を誇るのが鯉山ですが、
その理由の一つに「辻回しで回転する」というものがあります。
その証拠に、沿道の方々は拍手喝采を送り続けました。
(特に、外国人観光客が喜んでおられました)


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鯉山がさらに回って、北を向いています。
鯉山の背後に、大きな布が張られています。
これを「見送り」と言って、祇園祭の多くの山鉾にある装飾です。
長刀鉾や月鉾など、多くの山鉾が
見送りにインドやペルシャの絨毯を使いますが、
(鎖国中の江戸時代に、長崎経由で輸入したものです)
鯉山の見送りには他のものと雰囲気が異なる西洋画が掲げられます。
もともとは17世紀のベルギー製タペストリーで、
ギリシャの叙事詩イーリアスの一場面を描いています。
実はもっと大きなものでしたが、鉋(かんな)で江戸時代の大工が切り取り
4等分されたものの1枚です。
同じタペストリーから、前祭の鶏鉾の見送りも作られています。
ちなみに、鯉山も鶏山も見送りが重要文化財に指定されています。
つまり鯉山は複数の重要文化財を有しており、
それを誇示するのも辻回しで回転する理由の一つです。


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さらに、鯉山が東に向きました。
祇園祭の山鉾の側面に張られる布を「胴掛」と呼びます。
鯉山は胴掛にもイーリアスのタペストリーの一部が使われています。
そして、その両脇に昇龍が描かれています。
こちらは、コイが出世して龍に変化した姿を表しています。


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そして、鯉山が西を向いています。
これで鯉山は、450°回転しました。


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この状態で、担ぎ手の皆さんは鯉山を地面に下ろされました。
例年は3周くらい回転されるのですが、
2023年は異例の猛暑です。
しかも、この日(7月24日月曜日)は快晴で午前10時で30℃です。
あまり無理をされない方が、賢明です。


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鯉山が、「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
そして、「四条河原町」交差点を鯉山が去っていきます。


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鯉山が「四条河原町」交差点を去った後、
鯉山の長持(荷物入れ)が続きました。
ところが鯉山の長持がまだ「四条河原町」交差点におられるのに、
次の山の町衆が「四条河原町」交差点に入って来られています。
竹竿を持たれていることから、次は曳山であることが分かります。
ただだいぶ大写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、北観音山の辻回しを掲載します~

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第987回 北観音山の辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その5

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前回ブログで「四条河原町」交差点で辻回しを展開して
四条通を西に進んだ鯉山の後に、
その鯉山の町衆が運ぶ長持(荷物入れ)が続きます。
ところがその鯉山の長持が「四条河原町」交差点を通過する前に、
次の山の町衆がもう「四条河原町」交差点に進入しています。
その町衆が竹竿を担がれているので、
この直後に大規模な辻回しが始まることが分かります。
後祭の山鉾巡行には通常型の「鉾」は巡行しませんので、
次は曳山であることが分かります。
今回は、この曳山の辻回しを中心に掲載します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前11時。
2023年の祇園祭は、日々快晴でした。


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町衆の皆さんが竹竿を鶴翼と言いますか、
コの字型に並べられる間に、
「北観音山」と書かれた幟を掲げられた方が行進します。
この方は竹竿を並べられる方々の脇をすり抜けて、
そのまま四条通を西に向かわれました。


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「四条河原町」交差点では、北観音山の町衆の皆さんが
竹竿を並べ続けておられます。
手際が良いのは熟練の技なのですが、
的確に指示される方がいらして、さらに手早く作業が進みます。
曳山はこの竹竿の上に停止するので、
その曳山が交差点に入る前に竹竿を並べ終えると、
辻回しを手早く進めます。


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そうこうしているうちに、白い法被姿の方々が
河原町通を南下して「四条河原町」交差点に進入されました。
こちらの方々は、北観音山の曳手の皆さんです。
約30人でここまで
北観音山に取り付けられた綱を引っ張って来られました。


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そして、北観音山が河原町通を南下して
「四条河原町」交差点に登場です。
通常の鉾は天頂部に槍の一種である「鉾」が付きますが、
こちらは「山」ですから松の木が1本立ちます。
さらに北観音山には、山の背後に柳の木が付随しています。
南観音山同様に基部に楊柳観音がいらして、
柳の木は楊柳観音の象徴です。
北観音山は南観音山ととても似ていますが、
その山町も蛸薬師通を挟んで隣同士です。
北観音山と南観音山の町衆はとても仲が良く、
そのため南観音山は前祭の区域に属しているにも拘わらず、
北観音山同様後祭に参加しています。


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北観音山が、「四条河原町」交差点の中央で停止します。
その際、北観音山の車輪が竹竿に乗っかっているのがポイントです。
北観音山に乗られた音頭取りの皆さんが持つ
横笛、太鼓、銅鑼が、この間も祇園囃子を演奏され続けます。


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とは言え、これですぐには北観音山の辻回しは始まりません。
竹竿に大量の水を撒いて滑りをよくする必要がありますし、
曳手の皆さんが移動する必要もあります。


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「四条河原町」交差点より南側の河原町通にいらした
北観音山の曳手の皆さんが、
綱を担がれた状態で「四条河原町」交差点に戻られます。
北観音山は、「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。


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北観音山の曳手の皆さんが、四条通の西側に移動されました。
北観音山は曳手の皆さんから西側へ引っ張られることで、
北観音山は方向転換されます。
これを「辻回し」と言いますが、
手際が良いと20分くらいで終わります。


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続いて曳手の皆さんの綱が北観音山の車輪に巻き付けられ、
曳山の巡行を指揮される音頭取りが4人に増えます。
これで、北観音山の辻回しの準備が完了です。


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4人の音頭取りの皆さんが、扇を下にされます。
そして、掛け声が変わります。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


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北観音山の曳手の皆さんが、北観音山を西側から引っ張られます。
すると北観音山が竹竿の上を滑り、西へと方向転換します。


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とは言え、一気に90°方向転換はしません。
大きく方向転換すると、曳山は転倒します。
ですから、30°ずつ3回に分けて辻回しを行います。


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ですからここで北観音山の周囲に広がる竹竿を並び直されて、
また水を撒き直される必要があります。
ただ町衆の皆さんの手際が良くて、
それらの作業もすぐに終わってしまいます。


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すぐに作業が終わったことで、すぐに次の辻回しが始まります。
ここでまた、音頭取りの皆さんが扇を下にして掛け声を出されます。


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「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
北観音山の曳手の皆さんが四条通の西側から
いた観音山を引っ張られました。
すると、北観音山がまた西側に方向転換します。


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北観音山が竹竿の上を滑り、さらに西に30°方向転換されます。
これで約60°北観音山が方向転換しました。


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ここで、また竹竿を並べ直されます。
今度は1回目の辻回しより場所が遠いので、
竹竿の位置も遠くなります。
そのため、今回の竹竿並べはちょっと時間がかかります。


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北観音山の底部を大写ししました。
2回目の辻回しを終え、さらに西へと竹竿を足されています。
また竹竿の一部は、北観音山の底部に戻されています。
よく見ると、水を撒かれた跡が路上に残っています。


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それでも、数分で竹竿を並び直されました。
ここからまた音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
辻回しが始まります。


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「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
北観音山が竹竿の上を滑ります。
これで北観音山は、さらに30°西に方向転換しました。


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北観音山が、完全に西に向いています。
これで北観音山の「辻回し」は終了ですが、
すぐに出発できるわけではありません。
周囲の竹竿を曳山の底部に収納しないといけません。
この竹竿は各曳山が用意して、
各曳山が持って帰ります。
他の鉾や曳山と、共用されることはありません。


987-23.jpg
北観音山の底部を大写ししました。
そこには布が張ってあって、木製の部分とその布のたるみの間に
数十本の竹竿を収納できるスペースがあります。
北観音山の町衆の皆さんは、そちらに竹竿を収納されています。
これは、竹竿を使って辻回しを行うすべての山鉾に共通します。


987-24.jpg
町衆の皆さんが、北観音山に竹座を収納し終えたられたようです。
通常通り音頭取りが2人となり、
大きく扇子を手前に振りかざされます。
「え~いやらや~」


987-25.jpg
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
北観音山の曳手の皆さんが「四条河原町」交差点から、
綱で北観音山を西に引っ張られます。
すると、北観音山が四条通を西に進みました。


987-26.jpg
北観音山が四条通を西に進み、
「四条河原町」交差点から去っていきます。
ここから残りの担ぎ山3期と、鷹山、大船鉾と続きますが、
ここでちょうど切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は、黒主山、役行者山と続きます~

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第988回 黒主山 役行者山~祇園祭後祭山鉾巡行~その6

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987-26.jpg
前回ブログで辻回しを終えた北観音山が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
ここから担ぎ山が連続するのですが……
南観音山と北観音山の辻回しが手早かったので、
少しだけですが時間的余裕が出てきました。
ですからここから担ぎ山も辻回しではただの方向転換ではなく、
いろいろパフォーマンスを駆使します。
撮影日は、2023年7月24日午前11時15分。
今回登場する担ぎ山の町内は、三条通を境に隣同士です。


987-27.jpg
北観音山が「四条河原町」交差点から去った後、
こちらの男性の集団が河原町通を南下してきました。
服装から、各山鉾の管理運営をされる町衆と判断できます。


987-28.jpg
その町衆の皆さんが「四条河原町」交差点に入って来られると、
四条通を東に向かれました。
そちらの方に、祇園祭を催す八坂神社がいらっしゃいます。
町衆の皆さんは、その八坂神社に向けて一礼されました。
この時気づいたのですが、河原町通の東側は
車道まで観覧者で溢れていますね。


987-29.jpg
町衆の皆さんから遅れて、幟と山が姿を現します。
幟には、「黒主山」と書かれています。
2023年の「山5番」黒主山が河原町通を南下し、
「四条河原町」交差点に登場です。
黒主山は、三十六歌仙の一人大友黒主に取材した山です。


987-30.jpg
黒主山を大写ししました。
「春雨の 降るは涙か 櫻花 散るを惜しまぬ 人しなければ」
古今和歌集に掲載されたこの歌に取材した謡曲「志賀」から、
この山が作られました。
ですから、年老いた大友黒主が桜を仰ぎ見る様子を表しています。


988-1.jpg
黒主山が、河原町通を南下して「四条河原町」交差点に到達しました。
すると黒主山の担ぎ手さんたちが、
両足をしっかり地面につけ踏ん張られます。


988-2.jpg
担ぎ手さんたちが黒主山を持ち上げられ、
そのまま方向転換されています。
前回ブログの北観音山よりも小さな黒主山ような担ぎ山は、
約20人の担ぎ手さんたちがそのまま持ち上げて
辻回し(方向転換)されます。


988-3.jpg
黒主山が「四条河原町交差点」で、西を向きました。
これでこのまま四条通を西に進むと思いきや……


988-4.jpg
黒主山は、そのまま方向転換し続けます。
とうとう黒主山は、北を向いてしまいました。
担ぎ山の背後に垂れ下がる見送りが、よく見えますね。


988-5.jpg
黒主山が、東に向いています。
この角度だと、桜の造花を仰ぎ見る大友黒主がよく見えます。


988-6.jpg
遂に黒主山は、1周しました。
黒主山は、さらに回転し続けています。


988-7.jpg
黒主山が、四条通を西に向きました。
これで室主山の「辻回し」が終了と思いきや、
この辻回しは、そのまま2周目に入ります。


988-8.jpg
黒主山が、「四条河原町」交差点」で東を向きました。
この角度だと、桜色と松の翠が対比できて綺麗ですね。


988-9.jpg
黒主山が回転し続けて、南から西に向いています。
2023年の「四条河原町」交差点には結構外国人がいらして、
その方々も大喜びされています。
ちなみに日本人観光客は途中で大半の方々が帰られるのですが、
外国人はそのようなことなく最後まで観覧されます。
毎年のように観覧する近所の方々と、
一生に一度高い旅費を払って来られる方々の違いでしょうか?


988-10.jpg
黒主山が、「四条河原町」交差点」で四条通を西に向きました。
さすがにこれで担ぎ手の皆さんが
黒主山を地面に下ろされると思ったのですが、
このまま黒主山の「辻回し」は3周目に突入です。
交差点周辺の方々から、歓声が上がります。
多くの外国人の皆さんは大声を上げながら拍手喝采です。


988-11.jpg
黒主山が、「四条河原町」交差点で3度四条通を東に向きました。
黒主山は、この角度が一番きれいですね。
担ぎ山が辻回しで回転するのはパフォーマンスの一面もありますが、
文化財や装飾品の集合体である担ぎ山を
周囲の方々によく見てもらう側面も大きいです。


988-12.jpg
黒主山が「四条河原町」交差点で、南から西に向いています。
第986回ブログの鯉山の辻回しは1周だけでしたが、
黒主山はその3倍回転されます。


988-13.jpg
黒主山が「四条河原町」交差点で四条通を西に向いた時点で、
担ぎ手の皆さんが黒主山を地面に下ろされました。
結局黒主山は、「四条河原町」交差点で3周されました。
まぁこれ以上回ると、担ぎ手の皆さんの体力も限界でしょうね。


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担ぎ手の皆さんが下ろされた黒主山が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
こちらの「山」は、町衆の皆さんと一緒に西に進まれます。
(通常は町衆の皆さんが、「山」より先行されます)


988-15.jpg
黒主山に続いて、黒主山の長持(荷物入れ)が登場します。
「黒」主山は、黒を基調にしたデザインのものが多くあります。
ここでは長持と長持を運ばれる方の笠が黒いですが、
宵山期間中の会所はほぼ黒一色です。
ですから、会所で販売される手ぬぐいや土産物も黒一色です。
(黒主山の会所の様子は、第329回ブログ参照)


988-16.jpg
黒主山に続いて、今度は「役行者山」と書かれた幟が
河原町通を南下してきました。
2023年の「山6番」は、役行者山です。


988-17.jpg
「役行者山」と書かれた幟に続いて、
聖護院門跡の修験者さんが河原町通を南下してきました。
役行者をご本尊とされる聖護院門跡は、
この役行者山と深い関係にあります。


988-18.jpg
聖護院の修験者の皆さんが、「四条河原町」交差点に到達されました。
後続に、役行者山の町衆の皆さんが河原町通を南下します。
役行者山では毎年7月23日(祇園祭後祭宵山)に、
聖護院門跡の修験者の皆さんが加持祈祷をされます。
(その詳細は、第138回ブログ参照。
ちなみに、2013年までは毎年7月16日に行われました)


988-19.jpg
町衆の皆さんに続いて、役行者山が「四条河原町」交差点に登場です。
奈良県の葛城山にいらっしゃる葛城神が
役行者に頼み込んで暴れまわる一言主を鎮めてもらいました。
これは室町時代の京都に住む町衆には、とても有名な物語でした。
役行者山は、その物語に取材しています。


988-20.jpg
役行者山を大写ししました。
確かご神体の人形は、左から一言主、役行者、葛城神です。
ただ一言主の神像が前に立っておられるので、
役行者の神像がよく見えません。


988-21.jpg
役行者山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
すると担ぎ手さんたちがしっかり地面に足を付け、
その場で踏ん張られました。


988-22.jpg
さらに担ぎ手さんたちが役行者山を持ち上げられて、
南から西へ方向転換されました。
まぁこれが担ぎ山の辻回しなのですが、
黒主山同様役行者山もこれでは終わりません。


988-23.jpg
黒主山に続ていて、役行者山もこのまま回転し続けます。
役行者山も西から北に方向転換して、
背後の見送りをこちら側に向けています。


988-24.jpg
さらに役行者山が回転し、東から南に向いています。
よく見ると、役行者山の担ぎ手の皆さんは
白法被姿の方と縦縞法被の方の両方がいらっしゃいます。


988-25.jpg
役行者山が「四条河原町」交差点で、四条通を西に向きました。
すると、ここで担ぎ手の皆さんが役行者山を下ろされました。


988-26.jpg
役行者山が、「四条河原町」交差点で四条通を西に向いています。
そして、このままの状態で役行者山が西に進まれます。


988-27.jpg
先ほどの同じ状態で、少し引いて撮りました。
こちらの役行者山も、町衆や修験者の皆さんが
先行されずにそのまま随行されます。


988-28.jpg
役行者山が「四条河原町」交差点から、四条通を西に去ります。
これで残るは担ぎ山1基、曳山1基、船鉾1基です。


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役行者に続いて、「鈴鹿山」と書かれた幟が登場です。
くじを引て順番を決める「山」の2023年の最後尾ですね。
(残りの2基は、くじを取らない順番固定です)
戦女神の鈴鹿権現をご神体とする山ですね。
ただもうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回は、ここまでです。

~次回は、鈴鹿山と鷹山の登場です~

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第989回 鈴鹿山 鷹山~祇園祭後祭山鉾巡行~その7

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988-29.jpg
祇園祭後祭山鉾巡行もだいぶ進行して、
残すは担ぎ山、曳山、船鉾各1基となりました。
今回は、そのうち担ぎ山の鈴鹿山と曳山の鷹山が登場します。
先ずは「鈴鹿山」と書かれた幟が、河原町通を南下します。
2023年の「山7番」(担ぎ山最後尾)は、鈴鹿山です。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前11時半。
2023年の後祭山鉾巡行は、ペースが早いです。


989-2.jpg
「鈴鹿山」と書かれた幟に続いて、
鈴鹿山を管理運営されておられる町衆の皆さんと
鈴鹿山が河原町通を南下されてきました。

鈴鹿山は三重県鈴鹿山脈にいらっしゃったとされる
「鈴鹿権現」と呼ばれた戦女神を祀っています。
鈴鹿権現の出自は今も諸説あるのですが、
鈴鹿山の会所には瀬織津姫と書かれた額が飾ってありましたので、
こちらではその説を採用されているのでしょうね。
(その説が、定説です)
鈴鹿山会所の様子は、第413回ブログを参照してください。


989-3.jpg
鈴鹿山が、「四条河原町」交差点中央に差し掛かりました。
すると担ぎ手の皆さんが鈴鹿山を持ち上げて、
南から西へと方向転換されます。


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鈴鹿山が「四条河原町」交差点中央で西を向かれると、
担ぎ手の皆さんが鈴鹿山を地面に下ろされました。
前祭の占出山など女神様を掲げる担ぎ山は、
あまり辻回しでくるくる回転されません。


989-5.jpg
鈴鹿山にいらっしゃる鈴鹿権現を大写ししました。
祇園祭の女神像は、すべて仮面を付けておられます。
ちなみに祇園祭で山鉾に祀られる他の女神様はすべて神功皇后で、
前祭の占出山と船鉾、後祭の大船鉾にいらっしゃいます。
ちなみに、どちらの女神様も仮面を付けておられます。


989-6.jpg
「四条河原町」交差点から、鈴鹿山が四条通を西に進んでいます。
これでくじ引きで順番を決めた山鉾は、すべて巡行を終えました。
残りの鷹山と大船鉾は、くじ取らずの順番固定です。


989-7.jpg
鈴鹿山に続いて、鈴鹿山の長持が「四条河原町」交差点に登場です。
例年よりも大きいのですが、
他の山鉾同様に熱中症対策で水や塩飴が入っているのでしょうね。


989-8.jpg
続いては、「鷹山」と書かれた幟が登場です。
2023年の「曳山3番」は、くじ取らずで順番固定の鷹山です。
コロナ禍の2021年に復活した真新しいや曳山ですが、
祇園祭最大の曳山でもあります。


989-9.jpg
「四条河原町」交差点中央で、「鷹山」と書かれた幟が西に折れます。
その後から、町衆の皆さんが随行されていますね。


989-10.jpg
そして、鷹山が河原町通を南下してきました。
昨年 (2022年)新調されていますので、
真新しい木材が目にも鮮やかですね。


989-11.jpg
鷹山が、「四条河原町」交差点中央に差し掛かりました。
約30人いらっしゃる曳手の皆さんは、
鷹山が「四条河原町」交差点中央で固定されるまで、
河原町通を南下し続けられます。
……のですが、他の曳山のように
先行して竹竿を並べる動作をされていません。
曳山が辻回し(方向転換)するには、
車輪の下に縦に割られた竹竿を並べなければなりません。
このままいけば、鷹山が「四条河原町」交差点中央に来られてから
竹竿を並べられることになりそうです。


989-12.jpg
という訳で鷹山は「四条河原町」交差点中より北側で、
いったん停止されました。
その後から、鷹山の町衆の皆さんが「四条河原町」交差点中央に
竹竿を並び直されました。


989-13.jpg
鷹山の曳手の皆さんが、四条通をさらに南下されます。
その先で、町衆の皆さんが竹竿を並べておられます。
曳手の皆さんは、竹座をが並べられるのを待っておられます。


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鷹山の上部を撮りました。
こちらでは囃子手の皆さんが、祇園囃子を演奏されています。


989-15.jpg
町衆の皆さんが竹竿を急いで並べられると、
曳手の皆さんが「四条河原町」交差点中央まで南下されました。
そして竹竿の真上に鷹山の車輪が乗っかると、
その位置で鷹山が停止されました。


989-16.jpg
とは言え、鷹山の辻回しの準備はまだまだ掛かります。
そもそも竹竿を並び終えていませんし、
その後には水を撒いて竹竿を滑りやすくしなければなりません。
昨年(2022年)は手早くされていましたが、
今年(2023年)はちょっと時間がかかりそうです。
まぁ時間がかかるのも、祇園祭の醍醐味です。


989-17.jpg
町衆の皆さんが竹竿を並べておられている間、
曳手の皆さんは特に指示もなく所在無げにしておられましたが、
やがて指示を受けて「四条河原町」交差点に戻られました。
そこから四条通を西に移動されます。


989-18.jpg
竹竿が並べられ、溝を撒かれて、曳手の綱が車輪に結ばれました。
全体指示を出される音頭取りが4人に増えると、
鷹山の辻回しが準備完了です。


989-19.jpg
鷹山の音頭取りの皆さんが、扇子を横に振られます。
そして、掛け声をかけられました。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


989-20.jpg
すると四条通の西側に移動された曳手の皆さんが、
四条通の西側から鷹山を引かれます。
そうすると、鷹山が竹竿の上を滑り約30°西に向きました。


989-21.jpg
これまでも書きましたが、曳山が一気に90°方向転換すると
そのまま転倒して大惨事になります。
ですから、通常は30°ずつ3回に分けて辻回しを行います。
偶然ですが、この角度になると鷹山の奥がよく見えます。
太鼓を演奏される囃子手さんの奥に、
ご神体の在原行平の像がいらっしゃいます。
鷹山は、文字通り在原行平が鷹狩をする様子を描いています。
祇園祭が現在の形式になるのは室町時代半ばですが、
(今から約600年前)
鷹山はその頃から存在していました。
ところが江戸時代末期の1823年に風雨にさらされ、
装飾品の大半が汚損してしまいました。
多くの装飾品を失った鷹山は、
それ以降山鉾巡行には参加しませんでした。
それが昨年(2022年)約200年ぶりに鷹山の巡行が復活しました。


989-22.jpg
鷹山も「山」ですから、天頂部分には松の木が立ちます。
その松の木に、鳥の木像が設置されています。
鷹山だけに「鷹」と思いきや、「雉」の像でした。


989-23.jpg
自分があちこち撮影している間に、
町衆の皆さんが竹竿を並べ終えられました。
すると、音頭取りの皆さんがまた掛け声を上げられます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


989-24.jpg
すると、また曳手の皆さんが四条通の西側から鷹山を引かれます。
鷹山の車輪が竹竿の上を滑り、さらに西へと30°傾きます。


989-25.jpg
これで鷹山は、約60°南から西へ方向転換しました。
鷹山はあと1回の辻回しで、四条通を進めます。


989-26.jpg
鷹山の底部に布が張られ、その弛みに竹竿が収納されます。
そこから新しい竹竿を取り出されて、先ほどの竹竿を収納します。
その作業で、少し時間がかかっておられます。


989-27.jpg
その直後に、竹竿を並べ終えられました。
すると、ここから鷹山の最後の辻回しが始まります。


989-28.jpg
「よ~い、よ~いよな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんが掛け声を上げられると、
四条通の西側から鷹山を引かれます。
すると、鷹山はさらに西に傾きます。


989-29.jpg
鷹山が、さらに30°西に傾きました。
これで鷹山は、完全に西に向いています。
とは言え、このまま鷹山は西に進むことはしません。


989-30.jpg
町衆の皆さんが、鷹山の底部に竹竿を収納されます。
この竹竿は各山鉾が管理しており、
他の山鉾と共有されることはありません。


989-31.jpg
町衆の皆さんが竹竿を収納し終えられると、
鷹山の音頭取りがまた2人に戻ります。
そして、その音頭取りが扇子を前に差し出されます。


990-2.jpg
「えいやらや~」音頭取りの掛け声とともに、
鷹山が四条通を西へ進みました。
これで祇園祭後祭山鉾巡行は、大船鉾のみとなりました。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、
大船鉾は次回ブログに掲載します。
今回は、ここまでです。

~次回で、2023年祇園祭の連載を終了します~

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第990回 大船鉾の辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その8

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990-3.jpg
第983回ブログから連載してきた2023年祇園祭後祭山鉾巡行も、
後は大船鉾ただ1基となりました。
先ずは「大船鉾」と書かれた幟が先行して、
その後を大船鉾を管理運営される
下京区四条町の町衆が随行されます。
今回はこの直後に現れる大船鉾の辻回しを取材して、
京都高島屋に立寄ってから帰宅します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前11時45分。
今回で、2023年祇園祭の連載を終えます。


990-4.jpg
四条町の町衆に続き、約30人の曳手の皆さんによって
「船鉾」の大船鉾が河原町通を南下してきました。
「船鉾」は他の山鉾とは異なる独特の形状で、
前祭の船鉾同様最後尾を巡行します。
(先祭の船鉾の様子は、第976回ブログを参照してください)

大船鉾は、神功皇后新羅との戦に勝って凱旋した船を表しています。
ですから船鉾同様、神功皇后が内部にいらっしゃいます。
ちなみに「大」船鉾ですが、
実際は船鉾よりも一回り小さな鉾です。



990-5.jpg
大船鉾と一緒に歩かれていた町衆の何名かが、
竹竿片手に「四条河原町」交差点に先行されました。
そして、その竹竿を鶴翼(「コ」の字型)に
急いで並べておられます。
大船鉾が「四条河原町」交差点に入る前に、
先に辻回しの準備が始まっています。


990-6.jpg
河原町通を南下して、大船鉾が「四条河原町」交差点に登場です。
大船鉾は、「四条河原町」交差点中央に並ぶ竹竿の上で停止しました。


990-7.jpg
すると大船鉾の曳手の皆さんが、「四条河原町」交差点南側から
四条通の西側に移動されていかれます。
今度は、四条通の西側から大船鉾を引かれます。
祇園祭の山鉾には、方向転換する機能が付いていません。

技術的には江戸時代(今から約200年前)に
方向転換できる機能も取り付け可能になりましたが、
便利で楽な方向転換は京都の町衆の評判も悪く、
結局室町時代(約500年前)の形式を現在も残しています。



990-8.jpg
曳手の皆さんが四条通の西側に移動された後、
竹竿に水が撒かれて車輪に綱が巻かれました。
辻回し(方向転換)の準備が整うと、
4人に増えた音頭取り(山鉾の指揮担当)が
扇子を横に振り声をかけられます。


990-9.jpg
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの方々の掛け声とともに、
曳手の皆さんが四条通の西側から大船鉾を引っ張られます。
すると大船鉾の車輪が、竹竿の上を滑っていきます。


990-10.jpg
大船鉾が、西に30°方向転換しました。
構造上祇園祭の山鉾は一気に90°転換すると、転倒します。
それを防ぐために、辻回し(方向転換)は3回に分けて行います。

この角度なら、大船鉾の舳先がよく見えます。
前祭の船鉾は鷁(げき)と呼ばれた水鳥を模っていますが、
大船鉾は巨大な紙垂(しで)を模っています。
実は、昨年(2022年)の舳先は龍神でした。
大船鉾の舳先は、交互に使い分けられます。
(2022年の大船鉾は、第878回ブログ参照)


990-11.jpg
1回目の辻回しが終わっても、すぐに次の辻回しを始められません。
竹竿をさらに西に継ぎ足さないといけませんし、
新たに並べた竹竿に水を撒かなければなりません。
その間曳手の皆さんは手持無沙汰ですが、
大船鉾の上に乗っておられる囃子手の皆さんは、
横笛・太鼓・銅鑼で祇園囃子を演奏され続けておられました。


990-12.jpg
そうは言っても、大船鉾の町衆の皆さんも手早く竹竿を並べられます。
5分足らずで竹竿を並べられると、2回目の辻回しが始まります。


990-13.jpg
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声で、
曳手の皆さんが四条通の西側からさらに引っ張られます。
すると大船鉾は、さらに30°西に方向転換しました。


990-14.jpg
ここで、また町衆の皆さんが竹竿を並び直しておられます。
今度はさらに竹竿を西に並べ直されるので、
最初に並べられた竹竿が不要になります。
そこで大船鉾底部にある竹竿の収納スペースに
竹竿を納め直されます。
さらに、そこから新しい竹竿を出されていました。
その後には、新しく並び直された竹竿に水を撒かれました。


990-15.jpg
準備が整うと、大船鉾の下から町衆の皆さんが移動されました。
そして音頭取りの皆さんが、掛け声を発せられます。


990-16.jpg
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳手の皆さんが大船鉾を西に引っ張れました。
すると、大船鉾がさらに30°方向転換します。


990-17.jpg
これで、大船鉾は合計90°方向転換しました。
南から西へ向きを変えたことで、ここからは四条通を進めます。


990-18.jpg
大船鉾の底部に布が貼ってあり、その弛みに竹竿が収納されています。
町衆の皆さんが、そこに竹竿をすべて収納されています。
この後からやって来る山鉾はありませんし、
この直後から、この辺りは通常通り自動車が往来します。

話は変わりますが、ここからだと大船鉾の側面がよく見えます。
船鉾とは違い胴掛は縦縞で、舵は朱塗りです。
ちなみに舵の上の小部屋に、神功皇后がいらっしゃいます。


990-19.jpg
竹竿を収納が終わると、音頭取りが2人に減ります。
(音頭取りは、通常は2人です)
すると、音頭取りの皆さんは扇子を手前に突き出されます。


990-20.jpg
「え~いやらや~」
音頭取りの掛け声で、大船鉾は四条通を西に進みます。
大船鉾は「四条河原町」交差点から、四条通を西に進みます。


990-21.jpg
大船鉾はこのまま四条通を西進み、
約700m先の「四条烏丸」交差点を通過して、
さらに約200m西の新町通で南下して、
下京区四条町で停止した後その場で解体されます。
そして、翌年まで八坂神社に納められます。


990-22.jpg
これで、祇園祭後祭の山鉾はすべて巡行しました。
すると、その後からこちらの警察車両が河原町通を南下してきました。
葵祭同様京都市内の巡行行列は、警察車両が最後尾で随行します。


990-23.jpg
さらに、トラックが「四条河原町」交差点に現れました。
こちらは、山鉾巡行に随行しているわけではありません。
「四条河原町」交差点に並べられた桶などの備品を片付け、
交通警察が用意された様々な備品も片付けなけれればなりません。
そのために一つの交差点で、これくらいのトラックが必要です。


990-24.jpg
すると「四条河原町」交差点より南側から、
多数の車両が河原町通を北上してきました。
この時点で、2023年7月24日月曜日正午です。
あと10分ほどで、通常通り普通車両がここを行き交います。


990-25.jpg
月桂冠と書かれた法被を身につけられた方々が、
桶などの備品をトラックに積載されています。
交通警察の皆さんも、忙しく作業をされています。


990-26.jpg
よく見ると、この時点でトラックがもう1台やって来ています。
交通警察の皆さんが、規制線などの備品を積載されていました。


990-27.jpg
交通警察の皆さんが、様々な備品をトラックに収納されています。
5分前まで自分の周囲にいらした方々も、徐々に解散されています。


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また、小型のクレーン車には交通警察官がお一人で乗っておられます。
そちらの警官は、手動で信号機を元の位置に戻されていました。
この辺の信号機は、祇園祭の山鉾巡行に邪魔になります。
一つの交差点で4台のクレーン車が作業しており、
チームを組んで河原町通を北上する班と
四条通を西に進む班に分かれて行動されています。
効率が良いので、ものの10分足らずで辺りの車道は元に戻りました。


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とは言え横断歩道前の規制線は、すぐに解かれることはありません。
何より安全確認が大切ですし、多少は慎重になる必要があります。
ちなみにこの約5分後、この規制線が解かれ
一般車両が往来しました。


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という訳で、自分もこの位置から移動します。
ただ結構炎天下で疲れましたので、まずは京都高島屋で休憩です。
時間も時間ですから、最上階で昼食ですね。
その後いったん帰宅して、そこから夕方の還幸祭に向かいます……
というはずでしたが、その還幸祭に遅刻してしまいました。
還幸祭も祇園祭の一部で、
「四条寺町」交差点の八坂神社御旅所から、
八坂神社まで3基のお神輿が巡行する行事です。
「祇園祭のハイライトの山鉾巡行」
これは報道番組での常套句ですが、
祇園祭のメインはこの後のお神輿で、
山鉾巡行はあくまで「露払い」です。
ところがこの還幸祭に自分は遅刻してしまい、
結局2023年は取材できませんでした。
ですから、2023年の祇園祭の取材はここまでです。

~次回からは、「花屋町通編」の連載を再開します~

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第991回 Shagarでランチ~花屋町通東から西~その21

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第969回ブログ以降約2か月に渡って
2023年の祇園祭を連載してきましたが、
今回からまた「花屋町通編」の連載を再開します。
第968回ブログでは「西大路花屋町」バス停まで進みましたので、
今回もそのバス停から始めるべきなのですが、
今回は1停留所北の「西大路五条」バス停から始めます。
この辺りの西大路周辺には「おいしい飲食店」が多いのですが、
その辺の事情が今回ブログのメインです。


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京都駅前北側市バスターミナルから
西ノ京円町・金閣寺行きの205系市バスに乗って約20分。
こちらは、「西大路五条」バス停です。
今回は、創業約30年のインド料理店に訪れます。

……と書くと京のお店 今日のお品と同じですが、
今回はそのインド料理店を訪れた後、
花屋町通まで西大路を南下します。
撮影日は、2023年9月14日木曜日午後1時。
多くの企業のランチタイムから、時間をずらしました。


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自分はここまで乗ってきた205系市バスが、西大路を北上します。
205系市バスは京都駅北側に伸びる七条通を西に進み、
西大路で北に折れて、北大路で東に進みます。
平野神社わら天神金閣寺へは、このバスが便利です。


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「西大路五条」バス停から、西大路を南に向いています。
約50m先で、西大路は五条通と交差しています。


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西大路から、五条通を西に向いています。
ここを約100m西に進むと、おいしいラーメン店があります。
またずっと先に林が見えますが、あの辺りがローム株式会社です。
実は西大路の西側には、京都を代表する企業が点在しています。
(第55回ブログに出てきた島津製作所など)
そちらで働いておられる方や周辺の中小工場労働者を目当てに、
西大路周辺には以前から多くの飲食店が林立していました。
その状態が数十年続く中で自然淘汰されて、
この辺りには「おいしい飲食店」が数多く残りました。
まぁそれでも、コロナ禍でだいぶ減少したのですが……


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それでは信号が変わりましたので、
五条通に架かる横断歩道で西大路を南下します。
「五条西大路」交差点南西角に、
マクドナルド 西大路五条店があります。
自分が脳出血に罹る以前は、よく自転車で
西京極へ京都サンガを応援しに行きました。
その際ここに寄り道してハンバーガーを買って、
そちらを京都サンガの試合を観ながら戴いていました。


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横断歩道を渡って、西大路から五条通を東に向きました。
五条通の南側歩道が白い鉄板で囲まれていますが、
現在この辺りは道路拡張工事中です。
そのため、餃子の王将も約20m南に移動しています。


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さらに五条通から、西大路を南に向いています。
右(西)側は、マクドナルドの駐輪場です。
では、今回はこのまま西大路を南下します。


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五条通から、西大路を約50m南下しました。
こちらに、ろぐ 鉄板焼きお好み焼きがあります。
自分は入ったことがないのですが、
店頭を見ているといつも満員のイメージがあります。


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ろぐ 鉄板焼きお好み焼きの南隣は会員制のバーですが、
さらにその南隣がインド料理店のShagar(シャーガル)です。
インド人調理師による創業30年ほどのお店です。
インドは料理は地方ごとに個性があるのですが、
こちらは首都ニューデリー付近の北インド料理店です。
こちらのお店ができるまでの京都では、
インド料理は高級料理のイメージ強かったです。
それこそ、1人前10,000円は覚悟するイメージです。
ところがShagarは創業当時は600円でランチが戴けて、
ディナーでも3,000円で満腹になりました。
現在はもう少し価格が上昇していますが、
「お手頃インド料理」は自分には相当衝撃的で、
社会人になりたての自分はこちらによく通いました。


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Shagarに入ると、こちらの女将さん(日本人です)は
数年ぶりの自分のことを覚えていらっしゃいました。
自分が脳出血に罹ったために自転車に乗れなくなり、
そのためにこの辺りに滅多に来られなくなったことをお話しすると、
とても驚いていらっしゃいました。

こちらのランチメニューは、創業当時とあまり変わりません。
カレーの種類とナンとご飯が選べること、
その後にドリンクがサービスされることが同じです。
創業当時との違いはサラダなどのサイドメニューが選べることと、
価格が一律200円上がっていることです。


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テーブルに、こちらのメニューが並んでいました。
ランチのドリンクにラッシが無くなっていると思っていたのですが、
ちゃんと残っていました。
しかも、種類が増えています。
注文した後にこちらに気づいたので、今回は頼んでいません。


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ラッシが書かれたメニューに、アイスクリームも書かれています。
こちらは、新しいメニューです。
ラムレーズンがおいしそうなので、
ディナーで訪れたときに注文しようと思います。


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こちらは、以前から自分がよく就いていた席です。
では、注文したものが来るまで待ちます。


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お店の奥の方にはお客さんがいらっしゃらなかったので、
写真を撮りました。
(午後1時以降に来店したのは、
ランチタイムは満員になり、こういう撮影が困難だからです)
インドを連想する絵画が飾ってあるのは、
ajantaと共通します。


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こちらには通常女将さんが待機されておられるのですが、
席を外されたタイミングで撮影しました。
このボードの裏が厨房で、3人のインド人男性が調理されています。
ナンを窯で焼くところを、自分はここで生まれて初めて見ました。
(約30年前ですが……)
ボード見ると、創業当時と比べてサイドメニューが充実してきました。


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注文してから約10分が経ち、こちらがやって来ました。
他より200円高いエビのカレー(1,000円)です。
自分はこちらではナンでカレーを戴きます。


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こちらが、このお店のナンです。
ナンは生地を窯の内側に貼り付けて焼かれています。
そのため焼きあがる間に釜の下の方に垂れてきて、
このような形状になります。
こちらは、左右に約50㎝の長さです。


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そして、こちらがエビのカレーです。
自分が、こちらでいつも戴いているカレーです。
中に、エビが4尾ほど入っています。
それ以外は、ペースト状のスープです。
野菜や香辛料がペースト状で、複雑な香りと味を編み出しています。
こちらにちぎったナンを漬けて、そのままナンを戴きます。
ナンは外がカリカリしていますが、中はパンのように柔らかいです。
カリカリした部分にカレーを浸して、
少し柔らかくしてからいただくのが、自分の好みです。
カレーですから辛いですが、インドカレーはそこまで辛くありません。
また辛みと同時に味わえる野菜などの甘みも、
こちらのお店の魅力です。


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約30分かけて、こちらを戴きました。
この時点でそこそこ満腹ですが、
ランチメニューにはまだ続きがあります。


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最後にホットコーヒーが付きます。
お好みで、アイスコーヒーにもできます。
(または、アイスティーにもできます)
自分は何も入れずに、ストレートで戴きました。


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そのコーヒーも、戴きました。
久しぶりなので女将さんと少し雑談して、
(いつの間にか、他のお客さんもいらっしゃりません。
実は、もうすぐライチタイムが終了します)
会計を済ませて、こちらを出ました。


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Shagarを出て、西大路を南に向いています。
Shagarの南隣は、京都東中水郵便局です。
そしてその南隣で、西大路は中堂寺通と交差します。


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西大路から、中堂寺通を西に向いています。
約30年前はこの辺りにさまざまな商店が並んでいましたが、
現在は駐車場に変わりました。
ちなみに約150m先の佐井通に見える林が、株式会社ロームです。


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中堂寺通から、西大路を南に向いています。
右(西)側に緑地が続きますが、
以前は家具屋さんなど様々な商店が並んでいました。
ウチのカラーボックスは、この辺で買ったものです。


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この辺りの西大路で、中央分離帯を撮りました。
この時期は、百日紅(さるすべり)が満開です。
豊国神社など京都にも百日紅がきれいな観光地も多いですが、
街路樹としても百日紅はきれいですね。


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中堂寺通から、西大路を約50m南下しました。
ここで西大路は、中堂寺南通と交差します。


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西大路から、中堂寺南通を西に向いています。
この街路樹は、約150m先の株式会社ロームへと通へ続きます。
この辺の街路樹は、クリスマスのイルミねーそんが名物です。


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中堂寺南通から、西大路を南に向いています。
では、また西大路を南下します。


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中堂寺南通から、西大路を約50m南下しました。
こちらに、Starbucks京都西大路店が建っています。


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西大路から、Starbucks京都西大路店に向いています。
京都市街地のこういうお店は駐車場を持たないことが多いのですが、
(旧市街地を再開発することを忌避するためです)
こちらはかなり大きな駐車場を有しています。
ちなみに、こちらはドライブスルーも行っています。


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Starbucks京都西大路店から、西大路を南に向いています。
この辺りから、急に西大路が上り坂になります。
この位置では分かりにくいですが、
この先で西高瀬川が東西に流れています。


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西大路から、西高瀬川を西に向いています。
以前はこの辺りに飲食店が建ち並んでいたのですが、
だいぶ少なくなってきています。
あちらに見えるステーキハウスも名店ですが、
この時点では開いていませんでした。
定休日かもしれませんが、
ランチタイムが終わっただけかもしれません。


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今度は西大路から、西高瀬川を東に向きました。
西高瀬川は桂川から分岐して三条通を西に進んだ後、
御前通沿いで南下します。
そして、この辺りで西に折れてこちらに流れてきました。


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西高瀬川から、西大路を南に向いています。
では、もう少しだけ西大路を南下します。


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西高瀬川から、西大路を約50m南下しました。
こちらに、「西大路花屋町」バス停が見えます。
第968回ブログでは、このバス停まで花屋町通を西に進みました。


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「西大路花屋町」バス停から、西大路を南に向いています。
目の前で西大路は、花屋町と交差しています。


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その辺りに、営業中のタバコ屋さんがありました。
結構珍しいですが、第950回ブログでも
タバコ屋さんが営業中でした。


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花屋町通から、西大路を南に向いています。
目の前のビルに約30年前はパチンコ屋が入っていましたが、
現在は全然違う施設になっています。
ブログではこのまま花屋国府通を西に進んでいますが、
本当はこのまま「四条西大路」まで南下して、
交差点内の銀行で用事を済ませてきました。
これ以降の写真は、その用事を済ませた後に撮りました。


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西大路から、花屋町通を西に向いています。
これで、やっと今回ブログのメインの通りが出てきました。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、小川珈琲本店に向かいます~

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第992回 小川珈琲本店~花屋町通東から西~その22

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第950回ブログから花屋町通を延々西に進み続け、
(途中祇園祭で2か月中断しましたが)
とうとう西大路まで進みました。
この時点で、西大路から花屋町通を西に向いています。
花屋町通も、あと約1㎞です。
今回は、この先にある小川珈琲の本店を目指します。
撮影日は、2023年9月14日木曜日午後2時半。
前回ブログの終盤で撮影を中断して銀行に向かったので、
多少時間が経過しています。


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西大路から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、佐井東通と交差します。
ちなみに、右(北)側はハナショコラというお店です。
「ショコラ」と店名にあるので洋菓子店と思いがちですが、
グリルをメインにした洋食店です。


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花屋町通から、佐井東通を北に向いています。
住宅地が続いているように見えますが、
この通りにも飲食店などのお店が点在します。
佐井東通をこのまま約700m北上すると、
京都を代表する洋菓子店菓子職人があります。
(菓子職人周辺の様子は、第30回ブログ参照)


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今度は佐井東通から、花屋町通を西に向きました。
電柱の陰に隠れていますが、
右(北)側に青紫色の暖簾が掛かったお店がありました。
一見すると割烹料理店ですが、
実は麦の夜明けという店名のラーメン店です。
前回ブログでも書きましたが、
この辺りには飲食店の名店が多いです。


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佐井東通から、花屋町通を約100m西に進みました。
左(南)側に、「サウナ」という看板が見えます。
しかも、その下に「イオウ ラドン」と書かれた看板もあります。
イオウも、ラドンも、温泉に含まれる成分ですね。


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その看板がある場所に向きました。
こちらは、「名倉湯」という公衆浴場です。
この辺りの行政区域は「下京区西七条地区」なのですが、
古くは「名倉」という地名でした。
近くの児童公園などに、地名の名残があります。
自分は脳出血を患う前には自転車に乗って、
京都サンガの試合後にこちらにはよく通いました。
中は結構大きくて、サウナも公衆浴場としては広いですね。
またラドンなどの成分が入った浴槽もあります。


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名倉湯の前で、花屋町通を西に向いています。
目の前で花屋町通は、佐井通(春日通)と交差します。


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花屋町通から、佐井通を北に向いています。
約150m先に、株式会社ロームがあります。
また約1㎞先に、春日大社が勧請された場所があります。
そちらももちろん春日大社なので、
その関係でこの道を「春日通」とも呼びます。


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今度は佐井通(春日通)から、花屋町通を西に向いています。
では横断歩道を渡って、花屋町通を西に進みます。


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横断歩道を渡って、佐井通(春日通)から花屋町通を西に向いています。
右(北)側に、結構大きなマンションが建っていますね。


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佐井通(春日通)から、花屋町通を西に約50m進みました。
右(北)側に見えるのは、先ほどのマンションの駐輪場です。
(駐車場は、建物の内部にあります)
そして、この辺りから花屋町通は上り坂になります。


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その上り坂の頂点は、西高瀬川に架かった隅田橋です。
ではこの隅田橋を渡って、花屋町通を西に進みます。


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西高瀬川に架かる隅田橋の上で、北を向いています。
前回ブログの終盤で出てきた西高瀬川ですが、
西大路から西に流れた後目の前で南に折れています。
西高瀬川はこのまま暫く南西に流れた後、
大阪府の手前で桂川に合流します。
また目の前に、「ROHM」と書かれたビルが見えます。
あの辺りから北に、五条通まで株式会社ロームの
研究施設や工場、オフィスが点在しています。
要するに、あの辺りが株式会社ロームの本社です。


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隅田橋西詰で、花屋町通は佐井西通と交差します。
ちなみにこの佐井西通が、株式会社ローム本社の最西端です。
そして佐井西通を境に、花屋町通は
「下京区西七条地区」から「右京区西京極地区」に変わります。
目の前にファミリーレストランが建っていますが、
あちらが、サイゼリヤ京都西京極店でした。
自分が妹夫婦とたけびしスタジアムで京都サンガを応援した後、
このお店でよく試合後の感想戦を行っていました。
こちらは安くて、飲み放題のドリンクバーがありましたので……
京都サンガの本拠地が西京極のたけびしスタジアムから
京都府亀岡市のサンガスタジアムに移転した後、
この辺にあまり来なくなりました。
すると、いつの間にかこちらが閉鎖されていました。


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サイゼリヤ京都西京極店だった場所の西隣に、
小川珈琲本店が建っています。
では、そちらに向かいます。


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こちらが、小川珈琲本店です。
入り口脇に、メニューの一部が看板に書いてあります。
このビルの1F部分が、カフェです。


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小川珈琲本店は、この奥にも施設があります。
日本全国的には小川珈琲はカフェで知られていますが、
京都市街地の地域スーパーにコーヒー豆を卸しており、
紙パックのアイスコーヒーも製造されています。
ちなみに、ウチのドリップに入れるコーヒー豆も
小川珈琲の製品を使っています。
ですから、こちらはカフェだけでなく製造工場という側面もあります。
さすがに、そちらは小川珈琲関係者以外は立ち入り禁止です。


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花屋町通から、小川珈琲本店の施設を約10m北上しました。
カフェを目的にこちらを訪れる方は、ここから入ります。


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小川珈琲本店に、入店しました。
この日(2023年9月14日)は平日(木曜日)でしたが、
店内は満員で、約10分待ちでした。
こちらは、順番待ち用のソファの脇に飾ってありました。
そういえば、小川珈琲京都駅中央口店にも
清水焼のコーヒーカップが陳列されていました。
(その様子は、第291回ブログ参照)


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小川珈琲本店に入店後、約10分経ちました。
すると、こちらの席に通されました。
ちなみに向こう(南)側は、花屋町通です。


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こちらが小川珈琲本店のメニューなのですが、
日光で光ってしまってよく見えません。
9月(秋)に入り、栗がメインの洋菓子推しのようですね。


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いろいろ考えて注文して、ちょっと時間があります。
その間、本でも読んで時間を潰します。


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注文してから、約10分経ちました。
すると、こちらがやって来ました。
アフタヌーンセット(1,980円)です。
通常は紅茶を頼んでアフタヌーンティーにするのですが、
ここは小川珈琲ですから、コーヒーを選びました。


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先ずは、こちらのコーヒーです。
オーガニックですが、ブレンドコーヒーです。
ブレンドコーヒーは薄い味がすることが多いのですが、
こちらのはしっかり苦くて甘い洋菓子にも合いました。
ただ1杯では足りなくて、結局さらに1杯頼みました。
(そちらは別料金で、250円です)


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アフタヌーンセットは、2皿が上下に並びます。
上の段のお皿は、洋菓子がメインです。
手前左からはロールケーキと果物のホイップクリーム掛けで、
奥は左からシュークリームとアイスクリームです。
こちらは、そのたびに内容が変わります。


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続いて下段のお皿は、焼き菓子と軽食です。
手前は、左からスコーンとクッキー、サンドイッチです。
奥も、左からブロッコリーとトマトのサラダ、サンドイッチです。
結構アフタヌーンティーの形式を守っていますね。
通常は下の皿から上の皿を戴きますが、ゆっくり戴いていると
上の皿にあるアイスクリームが溶けてしまいます。
とは言え、先に軽食メニューから戴きたいですし……
結構悩みました。


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本を読みながらというのもありますが、
こちらをすべて戴くのに約1時間かかりました。
もう午後4時を回っています。
ブログに写真を掲載する許可を戴き、
会計を済ませてこちらを出ました。


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小川珈琲本店を出て、花屋町通を西に向いています。
花屋町通の左(南)側にも飲食店が多く並びますが、
結構名店があったりします。


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小川珈琲本店のカフェから、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、短い道と交差します。


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花屋町通から、その短い道を北に向ています。
この辺りは、道の両側が小川珈琲の工場です。


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小川珈琲の工場の前で、花屋町通を西に向いています。
この辺りから西の花屋町通は飲食店割合が減ってきて、
住宅街になりますが、約500m先で花屋町通は突き当たります。
ただここから先はだんだん数年前と風景が変わっていました。
飲食店がだいぶ減りました。花町通バス停最西端まで進みます。
とは言え、もうだいぶ写真を貼りつけましたので、
今回は、ここまでです。

~次回は、阪急電車「西京極」駅に向かいます。

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京菓匠 二條若狭屋本店

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店名:京菓匠 二條若狭屋     業種:和菓子匠
営業時間:午前8時~午後5時   定休日:水曜日など
(定休日の詳細は、ここをクリックしてください)
デリバリー:なし     飲食スペース:なし
住所:中京区二条通小川通東入ル西大黒町333-2
(地図で確認される方は、ここをクリックしてください)


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京都駅前北側市バスターミナルから9系市バスに乗って、約12分。
こちらは、「二条城前」バス停です。
今回は、こちらから老舗和菓子匠に向かいます。


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今まで乗っていた9系市バスが、堀川通を北上します。
9系市バスは堀川通の北端まで進み、
上京区内は桜の名所が続きます。
(その様子は、上京桜散策編を参照)


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「二条城前」バス停から、堀川通を南に向いています。
二条城の手前に、「二条通」と書かれた標識があります。
片方だけ尖った標識ですが、
これはこの位置が二条通の西端であることを指します。


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その位置で、西を向いています。
二条城の切符売り場と入り口である大手門が、見えますね。


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さらに標識の前で、東を向きました。
堀川通より東に、二条通が伸びています。


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では信号が変わりましたので、
堀川通に架かる横断歩道で二条通を東に進みます。
横断歩道は、先ほどの標識の少し南にあります。


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横断歩道を渡りながら、二条通から堀川通を南に向いています。
堀川通は京都市街地でも特に広い道幅ですが、
この辺りはそれほど道幅が広くありません。


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横断歩道を渡り、堀川通東側歩道に移動しました。
堀川通の東側に、小川が流れています。


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二条通から、堀川通を南に向いています。
この先に、京都駅に向かう9系市バス用の
「二条城前」バス停が立っています。


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今度は、二条通から堀川通を北に向きました。
堀川通の東側に「堀川」という川が流れており、
その堀川に二条橋が架かってます。


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さらに堀川通東側歩道から、二条通を東に向いています。
堀川の川幅は、2車線ほどでしょうか?


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二条橋の上から、堀川を南に向いています。
二条橋の長さは10mほどですが、
実際に流れている川幅は3mほどでしょうか。
周囲に桜並木が続いており、
堀川散策も代表的な京都観光です。
(堀川散策の様子は、ここをクリックしてください)


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堀川に架かる二条橋を渡ると、堀川の東側にも道路が伸びています。
こちらは、東堀川通です。
では、こちらの横断歩道も渡ります。


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その位置で二条通から、東堀川通を北に向いています。
この横断歩道を渡った先に、La Esquinaが建っています。
メキシコ料理店なのですが、ランチを中心に
インドネシア料理も出すお店です。


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東堀川通から、二条通を東に向いています。
右(南)側が、新築された全日空ホテルですね。


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東堀川通から、二条通を東に約100m進みました。
ここで、二条通は油小路と交差します。


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二条通から、油小路を南に向いています。
道(西)側が、先ほどの全日空ホテルです。
約200m先で、油小路は御池通と交差します。


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今度は油小路から、二条通を東に向きました。
ここからも、二条通を東に進みます。


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油小路から、二条通を約50m東に進みました。
ここで、二条通は小川通と交差します。
また右(南)側に向くと、「二條若狭屋」と書かれた看板があります。
こちらが、今回ブログメインのお店です。


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「二條小川」の辻の南東角が、二條若狭屋本店です。
その角に、こちらが並んでいます。
小川通沿いには犬矢来が張られており、
京町屋の商家の形式を守った家屋ですね。


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格子窓の脇に、ブリキ製の表札が立っています。
一見古そうな表札ですが、
この辺りが「中京区」と表記されていますので、
ここ100年以内に製作されたものでしょうね。


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小川通から、二条通を東に約5m進みました。
こちらに二條若狭屋の入り口があるのですが、
小川通(西)側の家屋の入り口は常に閉まっています。
二條若狭屋本店は、左(東)側の京町家で経営されています。


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二條若狭屋本店に、入店しました。
玄関口に、アルコールジェルが置いてあります。
最近はだんだん減ってきていますが、
こちらでは当たり前に使っています。


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二條若狭屋は江戸時代半ばに創業されていますので、
京都府知事から「老舗」に認定されています。
ちなみに、京都府では「老舗」は自称できません。
(条例に違反します)
創業100年を越えたお店が京都府知事から認定されたことにより、
老舗と呼称する許可証を貰えます。
こちらには、その老舗に対する許可証と
数100年のこのお店の歴史が展示されています。


nwaka-26.jpg
そのスペースの奥に、五重塔の模型がありました。
実はこちらは和菓子の材料で作られているので、
その気になれば食べられます。
(勿体ないので、誰も食べませんが)
和菓子の材料で模型を作ったものを「造形菓子」と言いますが、
樹木や花を模ったものが多く、
建築物を模ったものは珍しいですね。


nwaka-27.jpg
一方店頭には、こちらの工芸菓子が陳列されていました。
松の木も牡丹も紅葉も、すべて和菓子の材料でできています。
こういう工芸菓子は和菓子職人の修行に必要なもので、
年に1回日本全国で1位を決める大会もあります。
そういえば、五条の和菓子匠鍵長でも陳列されていました。


nwaka-28.jpg
さて、二條若狭屋の和菓子を撮影します。
通常のお店の和菓子も一通り揃っていますが、
こちらは栗やサツマイモなどを使った和菓子が得意です。


nwaka-29.jpg
二條若狭屋のショウケースを大写ししました。
こちらは、栗を模った栗餡のお饅頭です。
またこちらには、サツマイモを模ったイモ餡のお饅頭もあります。


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ですから自分が持つ二條若狭屋さんのイメージは
栗餡とイモ餡なのですが、
このように普通の生菓子も売られています。
上用饅頭や練り切りのような職人の腕がはっきりわかる和菓子も、
むしろ二條若狭屋の得意分野です。


nwaka-31.jpg
二條若狭屋本店から、帰宅しました。
持ち帰ったものが、この紙袋に入っています。
……と言いますか、古い本や人工呼吸器のチューブなど
全然関係ないものが多く写り込んでしまいました。


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先ずは、こちらの干菓子です。
砂糖を固めたようなものに見えますが、
本当はかなり複雑な和菓子です。
(詳細は、後述)
ただし、こちらは購入したものではありません。
いろいろ買ったら、サービスして戴きました。


nwaka-33.jpg
実際に購入したのは、この紙箱の中です。
毎年9月下旬になると、必ず戴く和菓子です。


nwaka-34.jpg
箱を開けると、月見団子が入っていました。
一つ400円ですので、4つで1,600円です。
(税込みで、1,728円です)
まぁ2023年9月29日金曜日は、「中秋の名月」ですからね。


nwaka-35.jpg
2023年9月29日金曜日の夜に、こちらを戴きました。
冷茶が2杯なのは、自分と母の分です。


nwaka-36.jpg
干菓子は、砂糖菓子ではありません。
中はゼリーでできており、それを砂糖の膜が覆っています。
見た目以上に複雑な和菓子ですね。


nwaka-37.jpg
京都には、球形の月見団子は存在しません。
円錐形の団子の底に、小豆餡が覆っています。
これは、海老芋を模っています。
海老芋とはエビの姿に似た大型の里芋のことで、京野菜の一種です。
もともと京都では団子ではなく海老芋を
月見の際に供えていました。
京都の月見団子の形状は、その名残です。

さて二條若狭屋の月見団子は、
よく練った餅粉をよく蒸してこの形状にしています。
小豆餡の量が他店より多めですが、
実は二條若狭屋の小豆餡はそこまで甘くありません。
それが、上品さを醸しています。


572-13.jpg
「京の道 今日の道」で二條若狭屋本店を
初めて取材したのは、2018年6月21日です。
その時は、代表的な和菓子「家喜芋」(やきいも)を買いました。
こちらは、一つ302円です。


572-14.jpg
家喜芋の袋を開けて、こちらを戴きました。
イモ餡が前面に出る饅頭で、
まるで焼き芋を戴いているようでした。
先述の通り、二條若狭屋は
栗やサツマイモを使った和菓子が得意です。

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進みたい方は、ここをクリックしてください。
様々なお店の検索が、可能です。

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かけて散策しました。
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「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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