第985回 橋弁慶山 南観音山~祇園祭後祭山鉾巡行~その3
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現在「四条河原町」交差点南西角の京都高島屋前にいます。
前回ブログで祇園祭花笠巡行も終え、
暫しの静寂が流れています。
今回から、祇園祭後祭の山鉾が順々に登場します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時半。
前回ブログの花笠巡行から5分後です。

ちょっとした隙に、「四条河原町」交差点北西角を見ています。
こちらに大量の桶が並んでいますが、
これらはこれから始まる「辻回し」の必需品です。
雨の日は別ですが、辻回しに使う道具の一部は
常に濡れていないといけません。
こちらは、山鉾巡行に協力的な企業が用意しています。
ただ、各交差点で協力する企業が異なります。
ちなみに「四条河原町」交差点にいらっしゃる方は、
月桂冠と書かれた法被をお召しです。

祇園祭花笠巡行最後尾が「四条河原町」交差点を通過して5分後、
警察車両が河原町通を南下してきました。
祇園祭山鉾巡行や葵祭の先頭は、必ず警察車両です。
前祭と後祭の山鉾巡行では、巡行する方向が真逆です。
ここでは河原町通を南下して、四条通を西に進みます。

警察車両に続き、河原町通を様々な方々が南下しておられます。
幟を持たれる方もいらっしゃいますが、
祇園祭の「山」を担がれる方々もいらっしゃいます。

警察車両に続いて、こちらの幟が続きます。
「祇園会」とは、祇園祭のことです。

「祇園会」と書かれた幟が、「四条河原町」交差点にやって来ました。
よく見ると、幟を運ばれる方の後ろに随行者がいらっしゃいます。

その随行者は「四条河原町」交差点に現れると、
月桂冠の法被姿の方々の前に立たたれました。
そして、榊を振るわれます。

一方「祇園会」の幟を持たれた方は、
「四条河原町」交差点からは四条通を西に進まれます。
ここまで一緒におられた随行者は、
「四条河原町」交差点に留まれます。

「祇園会」の幟に続いて、
ここから祇園祭の山鉾が順々に巡行していきます。
先頭の「山1番」は、橋弁慶山です。
こちらはくじ引きを引かず、毎年後祭山鉾巡行の先頭です。

祇園祭の山鉾は、何種類かに分類されます。
橋弁慶山は「担ぎ山」に分類されます。
様々な装飾が施されたお神輿に近い形状です。
ただし下には車輪がついており、
厳密には担ぎ手は荷車を押す感覚で山を動かします。
「山」の上には祇園祭が現在の形になったころ(室町時代)、
京都の町衆がなじんでいた物語を題材にした
一場面が再現されています。

橋弁慶山には、2体のご神体となる人形がおられます。
(ちなみに、祇園祭の山鉾はそれぞれ独立した神社です)
こちらは、現在も語り継がれている「橋弁慶」に取材しています。
源義経(幼名:牛若丸)と比叡山の僧兵武蔵坊弁慶との決闘を表します。
この決闘に敗れた弁解は、源義経の家臣になりました。

「橋弁慶山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点を西に進まれます。
そして、橋弁慶山自体も「四条河原町」交差点に入ってきました。

橋弁慶山の担ぎ手さんたちは、
「四条河原町」交差点にはいてこられると、
橋弁慶山を持ち上げられました。
そして、その状態で方向転換されます。

橋弁慶山の担ぎ手さんたちは西に向かれると、
そのまま橋弁慶山を地面に下ろされました。
これが、担ぎ手の辻回しです。
ちなみに「辻回し」とは、山鉾が方向転換することです。
先ほどの桶の水を一切使いませんでしたが、
派手な辻回しを行うのは、「鉾」や「曳山」だけです。

橋弁慶山が、河原町通から四条通を西に進みます。
この角度から見ると、山の上に黒漆の橋が架かっていて
(五条大橋を表しています)
牛若丸(源義経)は、橋の欄干に乗っています。
力任せに長刀を振る武蔵坊弁慶に対して、
身軽な少年だった牛若丸は飛び跳ねて攻撃をかわし、
最後は牛若丸が弁慶の急所を横笛で叩いたと伝説にあります。

橋弁慶山が、「四条河原町」交差点を去ります。
祇園祭前祭山鉾巡行では「四条河原町」交差点は初めの方でしたが、
巡行コースが逆転する祇園祭後祭山鉾巡行では
「四条河原町」交差点は山鉾巡行のほぼ終盤です。
河原町通から四条通を西に進んだ後、
後祭で巡行した各山鉾は約700m先の烏丸通まで巡行して
そこから各町内に帰り、解体されます。
(解体された山鉾は、来年まで八坂神社に収納されます)

橋弁慶山に続いて、次の山鉾が河原町通を南下しています。
こちらは、橋弁慶山より倍以上大きいですね。
次の山は、「曳山」に分類されます。
この大きさだと、お神輿のように担ぐことはできません。
ですから、約30人の曳手が大きな山を引きずります。

その曳山の前に、「南観音山」と書かれた幟が行進します。
そして、その背後から南観音山の町衆の皆さんが随行されます。
さらに少し離れて、南観音山が河原町通を南下しています。
南観音山の基部には、楊柳観音ががいらっしゃいます。
山の背後に付いている柳の木は、楊柳観音の象徴です。
南観音山の山町は蛸薬師通より南の前祭の区域ですが、
北隣の北観音山と親交が深いので、
例外的に後祭に属しています。

だんだん南観音山が近づいてきました。
南観音山の前方で扇子を振っておられるのが、音頭取りです。
音頭取りは前進や停止、辻回しによる方向転換など、
曳山の巡行を指揮します。
音頭取りが扇子を手前に差し出されておられているので、
南観音山は前進しています。

南観音山が、だんだん「四条河原町」交差点に近付いています。
すると南観音山の町衆数名が南観音山の下の方から竹竿を取り出し、
その竹竿を「四条河原町」交差点に並べ始めました。
この竹竿は縦に割れており、薄く作られています。
並べられたこの竹竿が、この後の辻回しの重要アイテムです。

南観音山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
約30人の曳手に曳かれた南観音山には、
横笛や太鼓、銅鑼を演奏されている囃子手が乗っておられます。
その囃子手は山鉾巡行の間、祇園囃子を演奏されています。

南観音山の曳手の皆さんは「四条河原町」交差点に到達しても、
まだ河原町通を南下し続けられます。
南観音山が交差点の中央に到達するまでは、
曳手の皆さんは河原町通を南下し続けます。

南観音山は、「四条河原町」交差点の中央まで南下して停止しました。
すると南観音山の曳手の皆さんは、四条通の西側へ移動されます。

南観音山の曳手の皆さんは四条通の西側に整列されて、
一斉に引くことで南観音山を方向転換されようとしています。
これを「辻回し」と言います。
祇園祭の山鉾は、車輪の構造上曲がることができません。
ですから、このように力づくで方向転換します。
その際曲がり易いように車輪の下に竹竿をかませ、
竹竿の上で曳山の車輪を滑らせます。
さらに滑りやすいように、竹竿の上に大量の水を撒きます。

その間曳山の上の方におられる囃子手の皆さんは、
すっと祇園囃子を演奏され続けます。
屋根の上にも数名いらっしゃいますが、
こちらは重しの役割を果たしておられて、
状況次第で自分の位置を変えることで、
曳山全体の重心を移動させておられます。

南観音山の辻回しの下準備が、まだまだ続きます。
竹竿の配置を確認して、曳手が曳く綱を車輪に括り付けます。
そして、準備万端となって音頭取りが4人に増えます。

南観音山の辻回しの下準備が、整いました。
すると音頭取りの皆さんが、掛け声をかけられます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」

音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳手の皆さんが四条通の西側から綱を引かれます。
すると南観音山が、西に約30°方向転換しました。
これで、1回目の辻回しが終了です。

祇園祭の辻回しは一気に90度曲がると、山全体が倒れてしまいます。
大体30°ずつ3回で90°回転します。
通常辻回しは、90°曲がるのに約20分かかります。
まぁ上手くいかなかったときは、30分以上かかります。
今回は手際が良いので、15分くらいで90°曲がれそうです。

約30°方向転換した南観音山の町衆の皆さんは、
次の辻回しに向けて大忙しです。
南観音山をさらに西に曲がるように、竹竿を並べ直しておられます。
しかも、結構手早くしないと次の山鉾が渋滞してしまいます。
こういうもののコツは、各山鉾町に代々継承されています。

南観音山の町衆の皆さんが、竹竿を並べ直されました。
音頭取りの皆さんが南観音山の前に立たれ、
掛け声とともに扇子を横に振られます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」

南観音山の音頭取りの皆さんの掛け声で、
四条通の西側にいらっしゃる曳手の皆さんが
南観音山を一斉に引かれます。
すると南観音山は、西にさらに30°方向転換しました。

南観音山はさらに30°方向転換して、約60°曲がりました。
南観音山の辻回しは、あと1回で90°転換できそうです。

南観音山の町衆の皆さんが、竹竿を並び直されています。
そして、新たに水を撒き直しておられます。
まさに熟練の手さばきで、手早く作業されていますね。

南観音山の音頭取りの皆さんが掛け声をかけると、
四条通の西側にいらした曳手の皆さんが一斉に引かれます。
すると南観音山が、西に方向転換します。

すると南観音山は、さらに30°西に方向転換します。
これで南観音山は、完全に四条通を西に進めるようになりました。

とは言え、すぐに南観音山は出発できません。
竹竿をすべて収納しないと、後から来る山鉾が進めません。
竹竿は各山鉾が用意していて、共用されることはありません。

南観音山の底を大写ししました。
南観音山の底には布が張ってあって、
その布の上に、竹竿が収納されています。
これは、このような辻回しを行う山鉾に共通します。

その竹竿を収納し終えると、音頭取りは2名に戻ります。
「え~いやらや~」
音頭取りの掛け声で、南観音山は四条通を西に進みます。
これで、南観音山の辻回しは終了です。
大体15分くらいで辻回しを終えています。
ここからは次の山鉾が「四条河原町」交差点に登場しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、浄妙山、八幡山、鯉山が登場します~
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前回ブログで祇園祭花笠巡行も終え、
暫しの静寂が流れています。
今回から、祇園祭後祭の山鉾が順々に登場します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時半。
前回ブログの花笠巡行から5分後です。

ちょっとした隙に、「四条河原町」交差点北西角を見ています。
こちらに大量の桶が並んでいますが、
これらはこれから始まる「辻回し」の必需品です。
雨の日は別ですが、辻回しに使う道具の一部は
常に濡れていないといけません。
こちらは、山鉾巡行に協力的な企業が用意しています。
ただ、各交差点で協力する企業が異なります。
ちなみに「四条河原町」交差点にいらっしゃる方は、
月桂冠と書かれた法被をお召しです。

祇園祭花笠巡行最後尾が「四条河原町」交差点を通過して5分後、
警察車両が河原町通を南下してきました。
祇園祭山鉾巡行や葵祭の先頭は、必ず警察車両です。
前祭と後祭の山鉾巡行では、巡行する方向が真逆です。
ここでは河原町通を南下して、四条通を西に進みます。

警察車両に続き、河原町通を様々な方々が南下しておられます。
幟を持たれる方もいらっしゃいますが、
祇園祭の「山」を担がれる方々もいらっしゃいます。

警察車両に続いて、こちらの幟が続きます。
「祇園会」とは、祇園祭のことです。

「祇園会」と書かれた幟が、「四条河原町」交差点にやって来ました。
よく見ると、幟を運ばれる方の後ろに随行者がいらっしゃいます。

その随行者は「四条河原町」交差点に現れると、
月桂冠の法被姿の方々の前に立たたれました。
そして、榊を振るわれます。

一方「祇園会」の幟を持たれた方は、
「四条河原町」交差点からは四条通を西に進まれます。
ここまで一緒におられた随行者は、
「四条河原町」交差点に留まれます。

「祇園会」の幟に続いて、
ここから祇園祭の山鉾が順々に巡行していきます。
先頭の「山1番」は、橋弁慶山です。
こちらはくじ引きを引かず、毎年後祭山鉾巡行の先頭です。

祇園祭の山鉾は、何種類かに分類されます。
橋弁慶山は「担ぎ山」に分類されます。
様々な装飾が施されたお神輿に近い形状です。
ただし下には車輪がついており、
厳密には担ぎ手は荷車を押す感覚で山を動かします。
「山」の上には祇園祭が現在の形になったころ(室町時代)、
京都の町衆がなじんでいた物語を題材にした
一場面が再現されています。

橋弁慶山には、2体のご神体となる人形がおられます。
(ちなみに、祇園祭の山鉾はそれぞれ独立した神社です)
こちらは、現在も語り継がれている「橋弁慶」に取材しています。
源義経(幼名:牛若丸)と比叡山の僧兵武蔵坊弁慶との決闘を表します。
この決闘に敗れた弁解は、源義経の家臣になりました。

「橋弁慶山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点を西に進まれます。
そして、橋弁慶山自体も「四条河原町」交差点に入ってきました。

橋弁慶山の担ぎ手さんたちは、
「四条河原町」交差点にはいてこられると、
橋弁慶山を持ち上げられました。
そして、その状態で方向転換されます。

橋弁慶山の担ぎ手さんたちは西に向かれると、
そのまま橋弁慶山を地面に下ろされました。
これが、担ぎ手の辻回しです。
ちなみに「辻回し」とは、山鉾が方向転換することです。
先ほどの桶の水を一切使いませんでしたが、
派手な辻回しを行うのは、「鉾」や「曳山」だけです。

橋弁慶山が、河原町通から四条通を西に進みます。
この角度から見ると、山の上に黒漆の橋が架かっていて
(五条大橋を表しています)
牛若丸(源義経)は、橋の欄干に乗っています。
力任せに長刀を振る武蔵坊弁慶に対して、
身軽な少年だった牛若丸は飛び跳ねて攻撃をかわし、
最後は牛若丸が弁慶の急所を横笛で叩いたと伝説にあります。

橋弁慶山が、「四条河原町」交差点を去ります。
祇園祭前祭山鉾巡行では「四条河原町」交差点は初めの方でしたが、
巡行コースが逆転する祇園祭後祭山鉾巡行では
「四条河原町」交差点は山鉾巡行のほぼ終盤です。
河原町通から四条通を西に進んだ後、
後祭で巡行した各山鉾は約700m先の烏丸通まで巡行して
そこから各町内に帰り、解体されます。
(解体された山鉾は、来年まで八坂神社に収納されます)

橋弁慶山に続いて、次の山鉾が河原町通を南下しています。
こちらは、橋弁慶山より倍以上大きいですね。
次の山は、「曳山」に分類されます。
この大きさだと、お神輿のように担ぐことはできません。
ですから、約30人の曳手が大きな山を引きずります。

その曳山の前に、「南観音山」と書かれた幟が行進します。
そして、その背後から南観音山の町衆の皆さんが随行されます。
さらに少し離れて、南観音山が河原町通を南下しています。
南観音山の基部には、楊柳観音ががいらっしゃいます。
山の背後に付いている柳の木は、楊柳観音の象徴です。
南観音山の山町は蛸薬師通より南の前祭の区域ですが、
北隣の北観音山と親交が深いので、
例外的に後祭に属しています。

だんだん南観音山が近づいてきました。
南観音山の前方で扇子を振っておられるのが、音頭取りです。
音頭取りは前進や停止、辻回しによる方向転換など、
曳山の巡行を指揮します。
音頭取りが扇子を手前に差し出されておられているので、
南観音山は前進しています。

南観音山が、だんだん「四条河原町」交差点に近付いています。
すると南観音山の町衆数名が南観音山の下の方から竹竿を取り出し、
その竹竿を「四条河原町」交差点に並べ始めました。
この竹竿は縦に割れており、薄く作られています。
並べられたこの竹竿が、この後の辻回しの重要アイテムです。

南観音山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
約30人の曳手に曳かれた南観音山には、
横笛や太鼓、銅鑼を演奏されている囃子手が乗っておられます。
その囃子手は山鉾巡行の間、祇園囃子を演奏されています。

南観音山の曳手の皆さんは「四条河原町」交差点に到達しても、
まだ河原町通を南下し続けられます。
南観音山が交差点の中央に到達するまでは、
曳手の皆さんは河原町通を南下し続けます。

南観音山は、「四条河原町」交差点の中央まで南下して停止しました。
すると南観音山の曳手の皆さんは、四条通の西側へ移動されます。

南観音山の曳手の皆さんは四条通の西側に整列されて、
一斉に引くことで南観音山を方向転換されようとしています。
これを「辻回し」と言います。
祇園祭の山鉾は、車輪の構造上曲がることができません。
ですから、このように力づくで方向転換します。
その際曲がり易いように車輪の下に竹竿をかませ、
竹竿の上で曳山の車輪を滑らせます。
さらに滑りやすいように、竹竿の上に大量の水を撒きます。

その間曳山の上の方におられる囃子手の皆さんは、
すっと祇園囃子を演奏され続けます。
屋根の上にも数名いらっしゃいますが、
こちらは重しの役割を果たしておられて、
状況次第で自分の位置を変えることで、
曳山全体の重心を移動させておられます。

南観音山の辻回しの下準備が、まだまだ続きます。
竹竿の配置を確認して、曳手が曳く綱を車輪に括り付けます。
そして、準備万端となって音頭取りが4人に増えます。

南観音山の辻回しの下準備が、整いました。
すると音頭取りの皆さんが、掛け声をかけられます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」

音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳手の皆さんが四条通の西側から綱を引かれます。
すると南観音山が、西に約30°方向転換しました。
これで、1回目の辻回しが終了です。

祇園祭の辻回しは一気に90度曲がると、山全体が倒れてしまいます。
大体30°ずつ3回で90°回転します。
通常辻回しは、90°曲がるのに約20分かかります。
まぁ上手くいかなかったときは、30分以上かかります。
今回は手際が良いので、15分くらいで90°曲がれそうです。

約30°方向転換した南観音山の町衆の皆さんは、
次の辻回しに向けて大忙しです。
南観音山をさらに西に曲がるように、竹竿を並べ直しておられます。
しかも、結構手早くしないと次の山鉾が渋滞してしまいます。
こういうもののコツは、各山鉾町に代々継承されています。

南観音山の町衆の皆さんが、竹竿を並べ直されました。
音頭取りの皆さんが南観音山の前に立たれ、
掛け声とともに扇子を横に振られます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」

南観音山の音頭取りの皆さんの掛け声で、
四条通の西側にいらっしゃる曳手の皆さんが
南観音山を一斉に引かれます。
すると南観音山は、西にさらに30°方向転換しました。

南観音山はさらに30°方向転換して、約60°曲がりました。
南観音山の辻回しは、あと1回で90°転換できそうです。

南観音山の町衆の皆さんが、竹竿を並び直されています。
そして、新たに水を撒き直しておられます。
まさに熟練の手さばきで、手早く作業されていますね。

南観音山の音頭取りの皆さんが掛け声をかけると、
四条通の西側にいらした曳手の皆さんが一斉に引かれます。
すると南観音山が、西に方向転換します。

すると南観音山は、さらに30°西に方向転換します。
これで南観音山は、完全に四条通を西に進めるようになりました。

とは言え、すぐに南観音山は出発できません。
竹竿をすべて収納しないと、後から来る山鉾が進めません。
竹竿は各山鉾が用意していて、共用されることはありません。

南観音山の底を大写ししました。
南観音山の底には布が張ってあって、
その布の上に、竹竿が収納されています。
これは、このような辻回しを行う山鉾に共通します。

その竹竿を収納し終えると、音頭取りは2名に戻ります。
「え~いやらや~」
音頭取りの掛け声で、南観音山は四条通を西に進みます。
これで、南観音山の辻回しは終了です。
大体15分くらいで辻回しを終えています。
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