第990回 大船鉾の辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その8
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第983回ブログから連載してきた2023年祇園祭後祭山鉾巡行も、
後は大船鉾ただ1基となりました。
先ずは「大船鉾」と書かれた幟が先行して、
その後を大船鉾を管理運営される
下京区四条町の町衆が随行されます。
今回はこの直後に現れる大船鉾の辻回しを取材して、
京都高島屋に立寄ってから帰宅します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前11時45分。
今回で、2023年祇園祭の連載を終えます。

四条町の町衆に続き、約30人の曳手の皆さんによって
「船鉾」の大船鉾が河原町通を南下してきました。
「船鉾」は他の山鉾とは異なる独特の形状で、
前祭の船鉾同様最後尾を巡行します。
(先祭の船鉾の様子は、第976回ブログを参照してください)
大船鉾は、神功皇后が新羅との戦に勝って凱旋した船を表しています。
ですから船鉾同様、神功皇后が内部にいらっしゃいます。
ちなみに「大」船鉾ですが、
実際は船鉾よりも一回り小さな鉾です。

大船鉾と一緒に歩かれていた町衆の何名かが、
竹竿片手に「四条河原町」交差点に先行されました。
そして、その竹竿を鶴翼(「コ」の字型)に
急いで並べておられます。
大船鉾が「四条河原町」交差点に入る前に、
先に辻回しの準備が始まっています。

河原町通を南下して、大船鉾が「四条河原町」交差点に登場です。
大船鉾は、「四条河原町」交差点中央に並ぶ竹竿の上で停止しました。

すると大船鉾の曳手の皆さんが、「四条河原町」交差点南側から
四条通の西側に移動されていかれます。
今度は、四条通の西側から大船鉾を引かれます。
祇園祭の山鉾には、方向転換する機能が付いていません。
技術的には江戸時代(今から約200年前)に
方向転換できる機能も取り付け可能になりましたが、
便利で楽な方向転換は京都の町衆の評判も悪く、
結局室町時代(約500年前)の形式を現在も残しています。

曳手の皆さんが四条通の西側に移動された後、
竹竿に水が撒かれて車輪に綱が巻かれました。
辻回し(方向転換)の準備が整うと、
4人に増えた音頭取り(山鉾の指揮担当)が
扇子を横に振り声をかけられます。

「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの方々の掛け声とともに、
曳手の皆さんが四条通の西側から大船鉾を引っ張られます。
すると大船鉾の車輪が、竹竿の上を滑っていきます。

大船鉾が、西に30°方向転換しました。
構造上祇園祭の山鉾は一気に90°転換すると、転倒します。
それを防ぐために、辻回し(方向転換)は3回に分けて行います。
この角度なら、大船鉾の舳先がよく見えます。
前祭の船鉾は鷁(げき)と呼ばれた水鳥を模っていますが、
大船鉾は巨大な紙垂(しで)を模っています。
実は、昨年(2022年)の舳先は龍神でした。
大船鉾の舳先は、交互に使い分けられます。
(2022年の大船鉾は、第878回ブログ参照)

1回目の辻回しが終わっても、すぐに次の辻回しを始められません。
竹竿をさらに西に継ぎ足さないといけませんし、
新たに並べた竹竿に水を撒かなければなりません。
その間曳手の皆さんは手持無沙汰ですが、
大船鉾の上に乗っておられる囃子手の皆さんは、
横笛・太鼓・銅鑼で祇園囃子を演奏され続けておられました。

そうは言っても、大船鉾の町衆の皆さんも手早く竹竿を並べられます。
5分足らずで竹竿を並べられると、2回目の辻回しが始まります。

「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声で、
曳手の皆さんが四条通の西側からさらに引っ張られます。
すると大船鉾は、さらに30°西に方向転換しました。

ここで、また町衆の皆さんが竹竿を並び直しておられます。
今度はさらに竹竿を西に並べ直されるので、
最初に並べられた竹竿が不要になります。
そこで大船鉾底部にある竹竿の収納スペースに
竹竿を納め直されます。
さらに、そこから新しい竹竿を出されていました。
その後には、新しく並び直された竹竿に水を撒かれました。

準備が整うと、大船鉾の下から町衆の皆さんが移動されました。
そして音頭取りの皆さんが、掛け声を発せられます。

「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳手の皆さんが大船鉾を西に引っ張れました。
すると、大船鉾がさらに30°方向転換します。

これで、大船鉾は合計90°方向転換しました。
南から西へ向きを変えたことで、ここからは四条通を進めます。

大船鉾の底部に布が貼ってあり、その弛みに竹竿が収納されています。
町衆の皆さんが、そこに竹竿をすべて収納されています。
この後からやって来る山鉾はありませんし、
この直後から、この辺りは通常通り自動車が往来します。
話は変わりますが、ここからだと大船鉾の側面がよく見えます。
船鉾とは違い胴掛は縦縞で、舵は朱塗りです。
ちなみに舵の上の小部屋に、神功皇后がいらっしゃいます。

竹竿を収納が終わると、音頭取りが2人に減ります。
(音頭取りは、通常は2人です)
すると、音頭取りの皆さんは扇子を手前に突き出されます。

「え~いやらや~」
音頭取りの掛け声で、大船鉾は四条通を西に進みます。
大船鉾は「四条河原町」交差点から、四条通を西に進みます。

大船鉾はこのまま四条通を西進み、
約700m先の「四条烏丸」交差点を通過して、
さらに約200m西の新町通で南下して、
下京区四条町で停止した後その場で解体されます。
そして、翌年まで八坂神社に納められます。

これで、祇園祭後祭の山鉾はすべて巡行しました。
すると、その後からこちらの警察車両が河原町通を南下してきました。
葵祭同様京都市内の巡行行列は、警察車両が最後尾で随行します。

さらに、トラックが「四条河原町」交差点に現れました。
こちらは、山鉾巡行に随行しているわけではありません。
「四条河原町」交差点に並べられた桶などの備品を片付け、
交通警察が用意された様々な備品も片付けなけれればなりません。
そのために一つの交差点で、これくらいのトラックが必要です。

すると「四条河原町」交差点より南側から、
多数の車両が河原町通を北上してきました。
この時点で、2023年7月24日月曜日正午です。
あと10分ほどで、通常通り普通車両がここを行き交います。

月桂冠と書かれた法被を身につけられた方々が、
桶などの備品をトラックに積載されています。
交通警察の皆さんも、忙しく作業をされています。

よく見ると、この時点でトラックがもう1台やって来ています。
交通警察の皆さんが、規制線などの備品を積載されていました。

交通警察の皆さんが、様々な備品をトラックに収納されています。
5分前まで自分の周囲にいらした方々も、徐々に解散されています。

また、小型のクレーン車には交通警察官がお一人で乗っておられます。
そちらの警官は、手動で信号機を元の位置に戻されていました。
この辺の信号機は、祇園祭の山鉾巡行に邪魔になります。
一つの交差点で4台のクレーン車が作業しており、
チームを組んで河原町通を北上する班と
四条通を西に進む班に分かれて行動されています。
効率が良いので、ものの10分足らずで辺りの車道は元に戻りました。

とは言え横断歩道前の規制線は、すぐに解かれることはありません。
何より安全確認が大切ですし、多少は慎重になる必要があります。
ちなみにこの約5分後、この規制線が解かれ
一般車両が往来しました。

という訳で、自分もこの位置から移動します。
ただ結構炎天下で疲れましたので、まずは京都高島屋で休憩です。
時間も時間ですから、最上階で昼食ですね。
その後いったん帰宅して、そこから夕方の還幸祭に向かいます……
というはずでしたが、その還幸祭に遅刻してしまいました。
還幸祭も祇園祭の一部で、
「四条寺町」交差点の八坂神社御旅所から、
八坂神社まで3基のお神輿が巡行する行事です。
「祇園祭のハイライトの山鉾巡行」
これは報道番組での常套句ですが、
祇園祭のメインはこの後のお神輿で、
山鉾巡行はあくまで「露払い」です。
ところがこの還幸祭に自分は遅刻してしまい、
結局2023年は取材できませんでした。
ですから、2023年の祇園祭の取材はここまでです。
~次回からは、「花屋町通編」の連載を再開します~
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第983回ブログから連載してきた2023年祇園祭後祭山鉾巡行も、
後は大船鉾ただ1基となりました。
先ずは「大船鉾」と書かれた幟が先行して、
その後を大船鉾を管理運営される
下京区四条町の町衆が随行されます。
今回はこの直後に現れる大船鉾の辻回しを取材して、
京都高島屋に立寄ってから帰宅します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前11時45分。
今回で、2023年祇園祭の連載を終えます。

四条町の町衆に続き、約30人の曳手の皆さんによって
「船鉾」の大船鉾が河原町通を南下してきました。
「船鉾」は他の山鉾とは異なる独特の形状で、
前祭の船鉾同様最後尾を巡行します。
(先祭の船鉾の様子は、第976回ブログを参照してください)
大船鉾は、神功皇后が新羅との戦に勝って凱旋した船を表しています。
ですから船鉾同様、神功皇后が内部にいらっしゃいます。
ちなみに「大」船鉾ですが、
実際は船鉾よりも一回り小さな鉾です。

大船鉾と一緒に歩かれていた町衆の何名かが、
竹竿片手に「四条河原町」交差点に先行されました。
そして、その竹竿を鶴翼(「コ」の字型)に
急いで並べておられます。
大船鉾が「四条河原町」交差点に入る前に、
先に辻回しの準備が始まっています。

河原町通を南下して、大船鉾が「四条河原町」交差点に登場です。
大船鉾は、「四条河原町」交差点中央に並ぶ竹竿の上で停止しました。

すると大船鉾の曳手の皆さんが、「四条河原町」交差点南側から
四条通の西側に移動されていかれます。
今度は、四条通の西側から大船鉾を引かれます。
祇園祭の山鉾には、方向転換する機能が付いていません。
技術的には江戸時代(今から約200年前)に
方向転換できる機能も取り付け可能になりましたが、
便利で楽な方向転換は京都の町衆の評判も悪く、
結局室町時代(約500年前)の形式を現在も残しています。

曳手の皆さんが四条通の西側に移動された後、
竹竿に水が撒かれて車輪に綱が巻かれました。
辻回し(方向転換)の準備が整うと、
4人に増えた音頭取り(山鉾の指揮担当)が
扇子を横に振り声をかけられます。

「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの方々の掛け声とともに、
曳手の皆さんが四条通の西側から大船鉾を引っ張られます。
すると大船鉾の車輪が、竹竿の上を滑っていきます。

大船鉾が、西に30°方向転換しました。
構造上祇園祭の山鉾は一気に90°転換すると、転倒します。
それを防ぐために、辻回し(方向転換)は3回に分けて行います。
この角度なら、大船鉾の舳先がよく見えます。
前祭の船鉾は鷁(げき)と呼ばれた水鳥を模っていますが、
大船鉾は巨大な紙垂(しで)を模っています。
実は、昨年(2022年)の舳先は龍神でした。
大船鉾の舳先は、交互に使い分けられます。
(2022年の大船鉾は、第878回ブログ参照)

1回目の辻回しが終わっても、すぐに次の辻回しを始められません。
竹竿をさらに西に継ぎ足さないといけませんし、
新たに並べた竹竿に水を撒かなければなりません。
その間曳手の皆さんは手持無沙汰ですが、
大船鉾の上に乗っておられる囃子手の皆さんは、
横笛・太鼓・銅鑼で祇園囃子を演奏され続けておられました。

そうは言っても、大船鉾の町衆の皆さんも手早く竹竿を並べられます。
5分足らずで竹竿を並べられると、2回目の辻回しが始まります。

「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声で、
曳手の皆さんが四条通の西側からさらに引っ張られます。
すると大船鉾は、さらに30°西に方向転換しました。

ここで、また町衆の皆さんが竹竿を並び直しておられます。
今度はさらに竹竿を西に並べ直されるので、
最初に並べられた竹竿が不要になります。
そこで大船鉾底部にある竹竿の収納スペースに
竹竿を納め直されます。
さらに、そこから新しい竹竿を出されていました。
その後には、新しく並び直された竹竿に水を撒かれました。

準備が整うと、大船鉾の下から町衆の皆さんが移動されました。
そして音頭取りの皆さんが、掛け声を発せられます。

「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳手の皆さんが大船鉾を西に引っ張れました。
すると、大船鉾がさらに30°方向転換します。

これで、大船鉾は合計90°方向転換しました。
南から西へ向きを変えたことで、ここからは四条通を進めます。

大船鉾の底部に布が貼ってあり、その弛みに竹竿が収納されています。
町衆の皆さんが、そこに竹竿をすべて収納されています。
この後からやって来る山鉾はありませんし、
この直後から、この辺りは通常通り自動車が往来します。
話は変わりますが、ここからだと大船鉾の側面がよく見えます。
船鉾とは違い胴掛は縦縞で、舵は朱塗りです。
ちなみに舵の上の小部屋に、神功皇后がいらっしゃいます。

竹竿を収納が終わると、音頭取りが2人に減ります。
(音頭取りは、通常は2人です)
すると、音頭取りの皆さんは扇子を手前に突き出されます。

「え~いやらや~」
音頭取りの掛け声で、大船鉾は四条通を西に進みます。
大船鉾は「四条河原町」交差点から、四条通を西に進みます。

大船鉾はこのまま四条通を西進み、
約700m先の「四条烏丸」交差点を通過して、
さらに約200m西の新町通で南下して、
下京区四条町で停止した後その場で解体されます。
そして、翌年まで八坂神社に納められます。

これで、祇園祭後祭の山鉾はすべて巡行しました。
すると、その後からこちらの警察車両が河原町通を南下してきました。
葵祭同様京都市内の巡行行列は、警察車両が最後尾で随行します。

さらに、トラックが「四条河原町」交差点に現れました。
こちらは、山鉾巡行に随行しているわけではありません。
「四条河原町」交差点に並べられた桶などの備品を片付け、
交通警察が用意された様々な備品も片付けなけれればなりません。
そのために一つの交差点で、これくらいのトラックが必要です。

すると「四条河原町」交差点より南側から、
多数の車両が河原町通を北上してきました。
この時点で、2023年7月24日月曜日正午です。
あと10分ほどで、通常通り普通車両がここを行き交います。

月桂冠と書かれた法被を身につけられた方々が、
桶などの備品をトラックに積載されています。
交通警察の皆さんも、忙しく作業をされています。

よく見ると、この時点でトラックがもう1台やって来ています。
交通警察の皆さんが、規制線などの備品を積載されていました。

交通警察の皆さんが、様々な備品をトラックに収納されています。
5分前まで自分の周囲にいらした方々も、徐々に解散されています。

また、小型のクレーン車には交通警察官がお一人で乗っておられます。
そちらの警官は、手動で信号機を元の位置に戻されていました。
この辺の信号機は、祇園祭の山鉾巡行に邪魔になります。
一つの交差点で4台のクレーン車が作業しており、
チームを組んで河原町通を北上する班と
四条通を西に進む班に分かれて行動されています。
効率が良いので、ものの10分足らずで辺りの車道は元に戻りました。

とは言え横断歩道前の規制線は、すぐに解かれることはありません。
何より安全確認が大切ですし、多少は慎重になる必要があります。
ちなみにこの約5分後、この規制線が解かれ
一般車両が往来しました。

という訳で、自分もこの位置から移動します。
ただ結構炎天下で疲れましたので、まずは京都高島屋で休憩です。
時間も時間ですから、最上階で昼食ですね。
その後いったん帰宅して、そこから夕方の還幸祭に向かいます……
というはずでしたが、その還幸祭に遅刻してしまいました。
還幸祭も祇園祭の一部で、
「四条寺町」交差点の八坂神社御旅所から、
八坂神社まで3基のお神輿が巡行する行事です。
「祇園祭のハイライトの山鉾巡行」
これは報道番組での常套句ですが、
祇園祭のメインはこの後のお神輿で、
山鉾巡行はあくまで「露払い」です。
ところがこの還幸祭に自分は遅刻してしまい、
結局2023年は取材できませんでした。
ですから、2023年の祇園祭の取材はここまでです。
~次回からは、「花屋町通編」の連載を再開します~
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