第903回 伏見稲荷大社初詣~伏見稲荷初詣2023~その2
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屋台村に行くなどあちこち紆余曲折しながら、
前回ブログでJR奈良線「稲荷」駅から表参道を東に進み、
伏見稲荷大社二の鳥居前まで来ました。
今回はこちらをくぐり、伏見稲荷大社本殿を参拝します。
撮影日は、2023年1月1日元旦日曜日午後1時15分。
ほぼ快晴の一日でした。

伏見稲荷大社二の門をくぐり楼門に向かう前に、
楼門の左(北)側に立ち寄ります。
こちらは、伏見稲荷大社手水舎です。
先ずはこちらで、自分の手指を清めます。

自分の番となって、伏見稲荷大社手水舎に近付きます。
ここ数年柄杓が廃止されて、直接流し口から手を清めます。

伏見稲荷大社楼門の前に、戻ってきました。
では手前の石段を上って、こちらの門をくぐります。

伏見稲荷大社楼門をくぐり、東を向いています。
目の前に、伏見稲荷大社拝殿が建っています。
現在は、氏子など参拝者が供えたお酒などを奉納する場所です。
(通常は、神楽などを奉納する場所です)
よく参拝者が本殿と勘違いするのですが、
(こちらにだけ参拝して、帰られる方が多いです)
ただ、その拝殿の脇から楼門の前まで参拝者の行列が続きます。

長い行列も気になりますが、取り敢えず拝殿の南側に向きます。
この先に、古い家屋が建っています。
そちらは、荷田春満の旧宅です。
国学の基礎の築いた人物ですが、
荷田氏の出自はこの伏見稲荷大社の神官の一族です。
ですから荷田春満自身も伏見稲荷大社の神官を勤めながら、
学者や歌人として活躍しました。

荷田春満の旧宅の左(東)側に、東丸神社がいらっしゃいます。
ご祭神は、前述の荷田春満です。
国学者がご祭神ですから、受験など学問のご利益があります。

東丸神社境内で、南に向いています。
境内には、数組の家族連れがいらっしゃいました。
そのどちらにも、中学生や高校生のお子さんがいらっしゃいました。
おそらく、そちらの方々が受験生なのでしょう。

東丸神社本殿にお参りし、本殿前を左(東)に向きました。
こちらは、末社の春葉社です。
旧年中のお守りやお札をこちらに納めます。

春葉社の北隣に、荷田社がいらっしゃいます。
荷田氏の祖霊が、ご祭神です。

これで東丸神社に、一通り参拝しました。
ただ東丸神社社務所が、2023年は閉まっています。
ウチの甥(妹の子)の分のお守りを頼まれていたのですが、
今年(2023年)は諦めました。

東丸神社を出て、伏見稲荷大社楼門まで戻ります。
こちらから、伏見稲荷大社本殿にお参りする行列に並びます。

並び始めて、5分経ちました。
もう伏見稲荷大社拝殿の南側まで移動しました。
こちらに並ぶ行列自体は長いのですが、
例年より一人一人の間隔が空いていて、
見た目ほど混み合っていないのかもしれません。
まぁ韓国の梨泰院事件から、まだ3カ月経っていません。
日本の警察だけでなく、一般人も雑踏事故には神経を尖らせています。

さらに10分経ちました。
もう伏見稲荷大社拝殿の南東角まで辿り着きました。
この写真の左(西)側が拝殿で、右(東)側が本殿です。
おそらく例年の3倍くらい早く移動しています。

伏見稲荷大社拝殿殿を背後(西側)に、境内を東に向きました。
ではこの石段を上り、伏見稲荷大社本殿に参拝します。
……のですが、これ以上本殿に近付いて撮影ができません。
伏見稲荷大社では、本殿の近影とご神体の撮影を禁じています。
さらに、本殿の南側の神楽殿の神楽なども撮影禁止です。
伏見稲荷大社は、「日本3大稲荷」の一柱です。
ご祭神は宇迦御霊神ですが、菊姫大神など諸説あります。
「稲荷大明神」とすると、諸説の神様すべてを兼ねます。
豊穣神としての側面が強いので農耕神としての役割を持たれており、
そこから派生して商売繁盛のご利益も持たれています。
ただお山(稲荷山)自体をご神体と考えると、
死霊神としての側面もあります。
(人を殺す死神ではなく、死者の魂を鎮める神様です)
ちなみに、ここから約10分で本殿に参拝できました。
2023年は行列に並んでから、本殿参拝まで約20分です。
まぁいちばん混む時間帯より早いので一概には言えませんが、
通常よりは結構早く参拝できました。

伏見稲荷大社本殿に参拝して、
本殿南側の神楽殿で巫女さんたちが奉納された神楽を見ながら、
本殿南側の通路を東端まで進みました。
背後(西側の本殿)と右(南側の神楽殿)に向かなければ、
この位置からまた撮影可能地域になります。

その位置から、伏見稲荷大社境内を西に向きました。
目の前の行列は、伏見稲荷大社のおみくじを求める方々です。

そのおみくじを求められる行列の途中から、東を向いています。
この先の社も祠もない場所に、賽銭箱だけが置かれています。
こちらは、お山(稲荷山)を祀る末社です。
こちらのご神体は、お山(稲荷山)自身です。
2023年はこの後お山(稲荷山)には登りませんので、
今回は熱心にこちらにお参りしました。

お山(稲荷山)が祀られている場所の北側に、
こちらの社がいらっしゃいます。
形状から日本各地の神様を勧請して祀られた末社と思うのですが、
実は自分はここが何かよく分かっていません。
よく分かっていないのですが、自分が生まれて以来
こちらに来るたびにお参りしています。

日本各地の神様が勧請された社から、境内を西に向きました。
こちらは、伏見稲荷大社社務所です。
とは言え、伏見稲荷大社の社務所は境内のあちこちにあります。

伏見稲荷大社社務所に、こちらが掲げられていました。
伏見稲荷大社では、このようなものが売られています。
ウチの母に頼まれて、こちらでお札を求めました。
(2023年は、自分一人で参拝しました)

こちらが、そのお札です。
「商売繁盛」と書かれた立派なもので、紙製ではなく木製です。

自分がお札を求めた伏見稲荷大社社務所から、境内を北に向きました。
向こう(北側)に見える建物も、社務所です。
その向こうの伏見稲荷大社裏参道(御幸通)北側に、
神社本庁の関連施設が建っています。

先程の位置から伏見稲荷大社境内を北上し、
御幸通(伏見稲荷大社裏参道)を東に向いています。
御幸通は伏見稲荷大社の末社である菊姫稲荷神社が最東端で、
そこから西に伏見稲荷大社境内を抜けて、
竹田街道まで伸びる約1㎞の道です。
ここからは、目の前の大鳥居をくぐります。
まぁ大雪だったときはここからが大変でしたが、
快晴の2023年は楽々ですね。

先程の大鳥居をくぐって、石段を東に上っています。
こちらは、伏見稲荷大社本殿からお山(稲荷山)に登る道です。

その石段の途中で、北を向きました。
こちらに、伏見稲荷大社の末社が並びます。

石段の途中に並ぶ末社を左(西)から順にお参りします。
いちばん左(西)は、長者社です。
伏見稲荷大社の創建に関わった秦氏の祖霊がご祭神です。
(秦氏は、太秦に拠点を持つ豪族です)

長者社の右(東)側に、荷田社がいらっしゃいます。
伏見稲荷大社の神官を代々勤められている
荷田氏の祖霊がご祭神です。
(荷田春満の先祖です)
もともと荷田氏は、伏見区深草地区一帯を治めていた豪族です。

さらにその東隣には、様々な神様を祀る祠が並びます。
左から事代主をご祭神とする蛭子社、素戔嗚尊をご祭神とする荒尾社、
若王子社、八幡社と並んでおられます。

そして、一番右(東)には両宮社がいらっしゃいます。
左側が伊勢神宮の外宮を右側が内宮を祀ってます。
こちらには、毎年正月になると鏡餅が供えられます。

伏見稲荷大社の末社にお祈りしているうちに、
先程の石段を上り切りました。
その位置で東を向くと、菊姫稲荷社がいらっしゃいます。
たぶんご祭神は、菊姫大神です。
江戸時代以前は、こちらは京都御所の清涼殿内に祀られていました。
東京御幸で宮中で参拝される方がいなくなり、
明治時代にこちらに移転されてきました。
また、こちらで御幸通が突き当たります。

菊姫稲荷社から、伏見稲荷大社境内を右(南)に向いています。
こちらの石段を上ると、お山(稲荷山)の入り口千本鳥居です。

今度は菊姫稲荷社から、伏見稲荷大社境内を左(北)を向きました。
今回ブログでは、こちらを進みます。

菊姫稲荷社の左(北)隣りに、末社の御供社がいらっしゃいます。
旧年中のお守りやお札などをこちらに納めます。

その御供社の左(北)側に、東に伸びる上り坂があります。
この位置より東が、お山(稲荷山)の登山口です。
ただしこちら側からは、
千本鳥居やおもかる石へは割と回り道になります。
(千本鳥居やおもかる石へは、先程の石段から進みます)

お山(稲荷山)の登山口から、そのまま北に向きました。
今回ブログでは、こちらを北上します。

先程の位置から、伏見稲荷大社境内を約50m北上しました。
こちらに、朱い鳥居と賽銭箱が見えますね。

こちらは、大八島社です。
東側にある大八島池が、こちらのご神体です。
早速こちらにもお参りします。

そしてその北隣に、こちらが立っていました。
こちらは、お山(稲荷山)のに多いお塚です。
つまり、大八島社は末社と言うよりはお塚に分類されます。
こちらにも、お参りしました。
次はここからさらに北上して、産場稲荷社に向かいます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けたので、
今回はここまでです。
~次回は、その産場稲荷社にお参りします~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
伏見稲荷大社本殿が、起点です。
~追記 その2~
泉仙でおせち料理を買いました

京都では「仕出し文化」が発達しています。
法事での食事や花見弁当、おせち料理は自宅で作らず、
「仕出し屋」に注文してそれで済ませます。
「出前をお客さんに出すのは失礼」
他の地方にはそういう場合も多々ありますが、
京都人の感覚では出前と仕出しは別物と考えています。
そういう訳で、ウチも正月のおせち料理は泉仙本店に注文しました。
北区紫野地区中心に精進料理のお店を出す泉仙ですが、
下京区東洞院通五条下ルにある本店は、
仕出し専門店なの店内飲食が一切できません。
最近はウチの近所の仕出し屋さんが次々閉められたので、
ちょっと遠いのですがウチは毎年こちらに注文しています。
(まぁ、別に自宅でおせち料理は作るのですが……)

先程の不織布をほどくと、こちらの木箱が出てきました。
お箸とともに、注意書きとお品書きが入っていました。
この木箱の中に、おせち料理が入っています。

その木箱を開けると、こちらが入っています。
このおせち料理は2人前ですが、
妹が結婚する以前からこのサイズで戴いていました。

改めて泉仙のおせち料理を写しています。
下段は左から、数の子、栗きんとん、モロコの南蛮、
昆布巻き、カブを菊の花に模った酢漬けが並びます。
中段も左から、クルマエビの揚げ物、、合鴨ロース、
慈姑、クルマエビの姿煮、常節の煮物、エビと魚卵の真如、
栗の渋皮煮が並びます。
上段は左から、蟹のなます、う巻き、サワラの西京焼き、
梅の葉の形に煮込んだニンジン、黒豆が並びます。
本当は隠れて見えない品もあるのですが、
写真に写っているものだけを紹介しました。

では、そのおせち料理を戴きます。
その脇には、最強みそ仕立ての雑煮と
ねざめ家で買った稲荷ずしも並びます。
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屋台村に行くなどあちこち紆余曲折しながら、
前回ブログでJR奈良線「稲荷」駅から表参道を東に進み、
伏見稲荷大社二の鳥居前まで来ました。
今回はこちらをくぐり、伏見稲荷大社本殿を参拝します。
撮影日は、2023年1月1日元旦日曜日午後1時15分。
ほぼ快晴の一日でした。

伏見稲荷大社二の門をくぐり楼門に向かう前に、
楼門の左(北)側に立ち寄ります。
こちらは、伏見稲荷大社手水舎です。
先ずはこちらで、自分の手指を清めます。

自分の番となって、伏見稲荷大社手水舎に近付きます。
ここ数年柄杓が廃止されて、直接流し口から手を清めます。

伏見稲荷大社楼門の前に、戻ってきました。
では手前の石段を上って、こちらの門をくぐります。

伏見稲荷大社楼門をくぐり、東を向いています。
目の前に、伏見稲荷大社拝殿が建っています。
現在は、氏子など参拝者が供えたお酒などを奉納する場所です。
(通常は、神楽などを奉納する場所です)
よく参拝者が本殿と勘違いするのですが、
(こちらにだけ参拝して、帰られる方が多いです)
ただ、その拝殿の脇から楼門の前まで参拝者の行列が続きます。

長い行列も気になりますが、取り敢えず拝殿の南側に向きます。
この先に、古い家屋が建っています。
そちらは、荷田春満の旧宅です。
国学の基礎の築いた人物ですが、
荷田氏の出自はこの伏見稲荷大社の神官の一族です。
ですから荷田春満自身も伏見稲荷大社の神官を勤めながら、
学者や歌人として活躍しました。

荷田春満の旧宅の左(東)側に、東丸神社がいらっしゃいます。
ご祭神は、前述の荷田春満です。
国学者がご祭神ですから、受験など学問のご利益があります。

東丸神社境内で、南に向いています。
境内には、数組の家族連れがいらっしゃいました。
そのどちらにも、中学生や高校生のお子さんがいらっしゃいました。
おそらく、そちらの方々が受験生なのでしょう。

東丸神社本殿にお参りし、本殿前を左(東)に向きました。
こちらは、末社の春葉社です。
旧年中のお守りやお札をこちらに納めます。

春葉社の北隣に、荷田社がいらっしゃいます。
荷田氏の祖霊が、ご祭神です。

これで東丸神社に、一通り参拝しました。
ただ東丸神社社務所が、2023年は閉まっています。
ウチの甥(妹の子)の分のお守りを頼まれていたのですが、
今年(2023年)は諦めました。

東丸神社を出て、伏見稲荷大社楼門まで戻ります。
こちらから、伏見稲荷大社本殿にお参りする行列に並びます。

並び始めて、5分経ちました。
もう伏見稲荷大社拝殿の南側まで移動しました。
こちらに並ぶ行列自体は長いのですが、
例年より一人一人の間隔が空いていて、
見た目ほど混み合っていないのかもしれません。
まぁ韓国の梨泰院事件から、まだ3カ月経っていません。
日本の警察だけでなく、一般人も雑踏事故には神経を尖らせています。

さらに10分経ちました。
もう伏見稲荷大社拝殿の南東角まで辿り着きました。
この写真の左(西)側が拝殿で、右(東)側が本殿です。
おそらく例年の3倍くらい早く移動しています。

伏見稲荷大社拝殿殿を背後(西側)に、境内を東に向きました。
ではこの石段を上り、伏見稲荷大社本殿に参拝します。
……のですが、これ以上本殿に近付いて撮影ができません。
伏見稲荷大社では、本殿の近影とご神体の撮影を禁じています。
さらに、本殿の南側の神楽殿の神楽なども撮影禁止です。
伏見稲荷大社は、「日本3大稲荷」の一柱です。
ご祭神は宇迦御霊神ですが、菊姫大神など諸説あります。
「稲荷大明神」とすると、諸説の神様すべてを兼ねます。
豊穣神としての側面が強いので農耕神としての役割を持たれており、
そこから派生して商売繁盛のご利益も持たれています。
ただお山(稲荷山)自体をご神体と考えると、
死霊神としての側面もあります。
(人を殺す死神ではなく、死者の魂を鎮める神様です)
ちなみに、ここから約10分で本殿に参拝できました。
2023年は行列に並んでから、本殿参拝まで約20分です。
まぁいちばん混む時間帯より早いので一概には言えませんが、
通常よりは結構早く参拝できました。

伏見稲荷大社本殿に参拝して、
本殿南側の神楽殿で巫女さんたちが奉納された神楽を見ながら、
本殿南側の通路を東端まで進みました。
背後(西側の本殿)と右(南側の神楽殿)に向かなければ、
この位置からまた撮影可能地域になります。

その位置から、伏見稲荷大社境内を西に向きました。
目の前の行列は、伏見稲荷大社のおみくじを求める方々です。

そのおみくじを求められる行列の途中から、東を向いています。
この先の社も祠もない場所に、賽銭箱だけが置かれています。
こちらは、お山(稲荷山)を祀る末社です。
こちらのご神体は、お山(稲荷山)自身です。
2023年はこの後お山(稲荷山)には登りませんので、
今回は熱心にこちらにお参りしました。

お山(稲荷山)が祀られている場所の北側に、
こちらの社がいらっしゃいます。
形状から日本各地の神様を勧請して祀られた末社と思うのですが、
実は自分はここが何かよく分かっていません。
よく分かっていないのですが、自分が生まれて以来
こちらに来るたびにお参りしています。

日本各地の神様が勧請された社から、境内を西に向きました。
こちらは、伏見稲荷大社社務所です。
とは言え、伏見稲荷大社の社務所は境内のあちこちにあります。

伏見稲荷大社社務所に、こちらが掲げられていました。
伏見稲荷大社では、このようなものが売られています。
ウチの母に頼まれて、こちらでお札を求めました。
(2023年は、自分一人で参拝しました)

こちらが、そのお札です。
「商売繁盛」と書かれた立派なもので、紙製ではなく木製です。

自分がお札を求めた伏見稲荷大社社務所から、境内を北に向きました。
向こう(北側)に見える建物も、社務所です。
その向こうの伏見稲荷大社裏参道(御幸通)北側に、
神社本庁の関連施設が建っています。

先程の位置から伏見稲荷大社境内を北上し、
御幸通(伏見稲荷大社裏参道)を東に向いています。
御幸通は伏見稲荷大社の末社である菊姫稲荷神社が最東端で、
そこから西に伏見稲荷大社境内を抜けて、
竹田街道まで伸びる約1㎞の道です。
ここからは、目の前の大鳥居をくぐります。
まぁ大雪だったときはここからが大変でしたが、
快晴の2023年は楽々ですね。

先程の大鳥居をくぐって、石段を東に上っています。
こちらは、伏見稲荷大社本殿からお山(稲荷山)に登る道です。

その石段の途中で、北を向きました。
こちらに、伏見稲荷大社の末社が並びます。

石段の途中に並ぶ末社を左(西)から順にお参りします。
いちばん左(西)は、長者社です。
伏見稲荷大社の創建に関わった秦氏の祖霊がご祭神です。
(秦氏は、太秦に拠点を持つ豪族です)

長者社の右(東)側に、荷田社がいらっしゃいます。
伏見稲荷大社の神官を代々勤められている
荷田氏の祖霊がご祭神です。
(荷田春満の先祖です)
もともと荷田氏は、伏見区深草地区一帯を治めていた豪族です。

さらにその東隣には、様々な神様を祀る祠が並びます。
左から事代主をご祭神とする蛭子社、素戔嗚尊をご祭神とする荒尾社、
若王子社、八幡社と並んでおられます。

そして、一番右(東)には両宮社がいらっしゃいます。
左側が伊勢神宮の外宮を右側が内宮を祀ってます。
こちらには、毎年正月になると鏡餅が供えられます。

伏見稲荷大社の末社にお祈りしているうちに、
先程の石段を上り切りました。
その位置で東を向くと、菊姫稲荷社がいらっしゃいます。
たぶんご祭神は、菊姫大神です。
江戸時代以前は、こちらは京都御所の清涼殿内に祀られていました。
東京御幸で宮中で参拝される方がいなくなり、
明治時代にこちらに移転されてきました。
また、こちらで御幸通が突き当たります。

菊姫稲荷社から、伏見稲荷大社境内を右(南)に向いています。
こちらの石段を上ると、お山(稲荷山)の入り口千本鳥居です。

今度は菊姫稲荷社から、伏見稲荷大社境内を左(北)を向きました。
今回ブログでは、こちらを進みます。

菊姫稲荷社の左(北)隣りに、末社の御供社がいらっしゃいます。
旧年中のお守りやお札などをこちらに納めます。

その御供社の左(北)側に、東に伸びる上り坂があります。
この位置より東が、お山(稲荷山)の登山口です。
ただしこちら側からは、
千本鳥居やおもかる石へは割と回り道になります。
(千本鳥居やおもかる石へは、先程の石段から進みます)

お山(稲荷山)の登山口から、そのまま北に向きました。
今回ブログでは、こちらを北上します。

先程の位置から、伏見稲荷大社境内を約50m北上しました。
こちらに、朱い鳥居と賽銭箱が見えますね。

こちらは、大八島社です。
東側にある大八島池が、こちらのご神体です。
早速こちらにもお参りします。

そしてその北隣に、こちらが立っていました。
こちらは、お山(稲荷山)のに多いお塚です。
つまり、大八島社は末社と言うよりはお塚に分類されます。
こちらにも、お参りしました。
次はここからさらに北上して、産場稲荷社に向かいます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けたので、
今回はここまでです。
~次回は、その産場稲荷社にお参りします~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
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伏見稲荷大社本殿が、起点です。
~追記 その2~
泉仙でおせち料理を買いました

京都では「仕出し文化」が発達しています。
法事での食事や花見弁当、おせち料理は自宅で作らず、
「仕出し屋」に注文してそれで済ませます。
「出前をお客さんに出すのは失礼」
他の地方にはそういう場合も多々ありますが、
京都人の感覚では出前と仕出しは別物と考えています。
そういう訳で、ウチも正月のおせち料理は泉仙本店に注文しました。
北区紫野地区中心に精進料理のお店を出す泉仙ですが、
下京区東洞院通五条下ルにある本店は、
仕出し専門店なの店内飲食が一切できません。
最近はウチの近所の仕出し屋さんが次々閉められたので、
ちょっと遠いのですがウチは毎年こちらに注文しています。
(まぁ、別に自宅でおせち料理は作るのですが……)

先程の不織布をほどくと、こちらの木箱が出てきました。
お箸とともに、注意書きとお品書きが入っていました。
この木箱の中に、おせち料理が入っています。

その木箱を開けると、こちらが入っています。
このおせち料理は2人前ですが、
妹が結婚する以前からこのサイズで戴いていました。

改めて泉仙のおせち料理を写しています。
下段は左から、数の子、栗きんとん、モロコの南蛮、
昆布巻き、カブを菊の花に模った酢漬けが並びます。
中段も左から、クルマエビの揚げ物、、合鴨ロース、
慈姑、クルマエビの姿煮、常節の煮物、エビと魚卵の真如、
栗の渋皮煮が並びます。
上段は左から、蟹のなます、う巻き、サワラの西京焼き、
梅の葉の形に煮込んだニンジン、黒豆が並びます。
本当は隠れて見えない品もあるのですが、
写真に写っているものだけを紹介しました。

では、そのおせち料理を戴きます。
その脇には、最強みそ仕立ての雑煮と
ねざめ家で買った稲荷ずしも並びます。
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