第915回 元花街「島原」 後編~坊城通南から北~その4
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前回ブログで坊城通を花屋町通まで北上して、
そこから元花街「島原」を散策しました。
現時点では公衆浴場の島原温泉から東側通を約20m南下して、
目の前で東側通が花屋町通と交差した場所にいます。
今回は花屋町通を東に進み、そこから坊城通を五条通まで北上します。
途中置き屋さんの輪違屋など、島原関連施設に立ち寄ります。
撮影日は、2023年1月26日木曜日午後4時。
あちこちに、雪が残っていました。

東側通から、花屋町通を東に向いています。
本当は花屋町通を逆に西に進んだ方が
角屋や島原住吉神社など観光地が多いのですが、
坊城通をメインにしている今回はそちらに向かいません。
では、このまま花屋町通を東に進みます。

東側通から、花屋町通を約20m東に進みました。
こちらに、湯の宿 松栄の正面玄関があります。
修学旅行生も泊める大きな旅館ですが、
お風呂場をスーパー銭湯として開放しています。
また2Fの食堂も普通の飲食店として
宿泊客以外の方々でも利用ができます。

「湯の宿 松栄」の正面玄関前で、花屋町通を東に向いています。
この先に、京都市指定文化財の島原大門が見えます。
では、こちらを進んでいきます。

東側通から、花屋町通を約50m東に進みました。
島原大門が、さらに近付いてきました。
ちなみに島原大門より東は、島原商店街が続きます。
そして、ここで花屋町通は坊城通と交差します。

今度は花屋町通から、坊城通を北に向きました。
ここからは、このまま坊城通を北上します。

花屋町通から、坊城通を約30m北上しました。
坊城通の左(西)側に、輪違屋(わちがいや)が建っています。
こちらの建物は京都市指定文化財で
屋内には貴重な文化財が多数保存されていますが、
現役で機能している置き屋さんでもあります。
置き屋さんとは舞妓さんや芸妓さん(島原なら大夫さん)の
詰め所で、住居でもあります。
もし舞妓さんや芸妓さん、大夫さんを料亭で指名したいなら、
この置き屋さんに申し込むことになります。
置き屋さんの主人は、舞妓さんや芸妓さん、大夫さんの
スケジュール管理もされます。
ただ近年お茶屋さん(花街で食事するところ)が島原で減少して、
大夫さんとお客さんの接点が減ってきたため、
この輪違屋はお茶屋さんも兼ねるようになりました。
ちなみに通常は観光目的に拝観はできませんが、
(大夫さんの住居でもありますので、プライバシーの問題があります)
ときどき特別拝観があります。
輪違屋屋内の様子は、第595回ブログ参照)

輪違屋の前で、坊城通を北に向いています。
ここからは、坊城通を北上します。

輪違屋の北隣は更地ですが、そちらを眺めています。
この先(西側)に煙突が見えますが、
その辺りが、前回ブログで出てきた島原温泉です。

同じ位置で、坊城通を北に向いています。
右(東)側の京町家の大屋根に、雪が残っています。
ただだいぶ溶けてきて、それが大屋根から石畳に落ちてきます。
油断すると飛び散った雪や泥水が掛かりそうなので、
ちょっと警戒しつつ北上します。

輪違屋さんから、坊城通を約50m北上しました。
坊城通の左(西)側に、日蓮宗成就山法華寺が建っています。
では、こちらの境内に入っていきます。

日蓮宗成就山法華寺境内に入ると、するに妙見宮が建っています。
堂内には、妙見菩薩がいらっしゃいます。
三十番神とともに、妙見菩薩は日蓮宗寺院によく祀られています。

そして、こちらが日蓮宗成就山法華寺の本堂です。
ご本尊は、釈迦如来です。
813年に東寺の北側に建立された法華寺は、
創建当初は当時と同じ真言宗寺院でしたが、
鎌倉時代の1281年当時の住職真広法印が日蓮の弟子となって、
この寺院も日蓮宗に改宗されました。
室町時代に入ると、京都の日蓮宗寺院は
どこも延暦寺の僧兵に焼き討ちにあったのですが、
この寺院も例外にもれず、たびたび焼失を繰り返したそうです。
それでも東寺の北側にこちらの寺院は存在し続けましたが、
1963年に東海道新幹線の線路建設により、
こちらの位置に移転してきました。
では、こちらにお参りして先へと進みます。

日蓮宗成就山法華寺本堂に背を向け、東に向きました。
では法華寺を出て、坊城通に戻ります。

日蓮宗成就山法華寺の向かい(東)側に、
京都市島原老人デイサービスセンターが建っています。
高齢者介護サービスを行う施設のようです。

京都市島原老人デイサービスセンターの門前に、
こちらの石碑が立っていました。
こちらに、もともと島原歌舞練場が建っていました。
歌舞練場とは各花街に明治維新以降建てられた施設で、
舞妓さんや大夫さんの養成所ですが、
中等教育レベルの授業も行われていたようです。
(現在の歌舞練場では、学校教育は行われていません)
祇園や宮川町など、京都五花街には必ずある施設ですが、
島原はこの歌舞練場を廃止して、「花街」を名乗らなくなりました。
とは言え、先述の輪違屋のように置き屋さんは島原に現存して、
現役の大夫さんも何人もいらっしゃいます。
ですから、歌舞練場がないものの島原も花街として機能しています。

京都島原老人デイサービスセンターから、坊城通を北に向いています。
目の前で石畳の地面が、アスファルトに変わります。
ここが、元花街島原(行政的には下京区西新屋敷地区)最北端です。

坊城通がアスファルトの地面に変わった地点で、西を向きました。
左(南)側が元花街島原で、右(北)側が下京区中堂寺地区です。
右側の建物は京都中央卸売市場の一部ですので、
この道には深夜になると食材を運ぶ大型自動車が出入りします。
ちなみに、この道に名前はありません。
約100m先の千本通で突き当たります。
ただ約80m先の西側通沿いに大銀杏の木が立っていて、
そちらの根元に弁財天を祀る祠があります。
(そちらの様子は、第597回ブログ参照)

その道から、坊城通を北に向いています。
左(西)側の塀の向こうは、京都中央卸売市場です。
この辺りは、確か青果市場だったと思います。
では、このまま坊城通を北上します。

その京都中央卸売市場を背後に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらにもお参りして、坊城通を北上し続けます。

そのお地蔵さんの前で、坊城通を北に向いています。
では、ここから坊城通をさらに北上します。

そのお地蔵さんの前から、坊城通を約100m北上しました。
ここで坊城通は、中堂寺通と交差します。

坊城通から、中堂寺通を西に向いています。
交差点部分を撮影していませんが、
実はそちらに小学生低学年の児童数名と保護者が数名が、
ずっと立ち話をされていました。
そちらをフレームから外すため、このアングルで撮っています。
右(北)側は中堂寺児童公園なのですが、
いつも小学生が複数いらっしゃいます。
ただこの日(2023年1月26日)はまだまだ雪が残っていて、
児童の数はだいぶ少なめでした。

今度は坊城通から、中堂寺通を東に向きました。
約800m先(大宮通の手前)に、住吉神社がいらっしゃいます。
実は例祭が結構派手で、自分は何回かお参りに行ったことがあります。

さらに中堂寺通から、坊城通を北に向いています。
だいぶ五条通に近付きましたので、
この坊城通をさらに北上していきます。

中堂寺通から、坊城通を北上しています。
右(東)側に、古い京町家が建っています。
以前よりはだいぶ減りましたが、
坊城通沿いはまだだいぶ京町家が残っていますね。

中堂寺通から、坊城通を約100m北上しました。
ここで坊城通は、五条通と交差します。

五条通から、坊城通を北に向いています。
坊城通は、約100m先で京都産業大学付属高校で突き当たっています。
まぁ坊城通はあちこち突き当たっては筋違いで復活するのですが、
今度もその例に漏れません。
とは言え、坊城通上に五条通を渡津横断歩道がありません。
別の道経由で北側に進みますが、
それは次回ブログ以降です。

坊城通から、五条通を東に向いています。
この日(2023年1月26日)の五条通南側歩道は、完全に雪道です。
五条通北側歩道や車道、中分離帯の雪は溶けていましたが、
ビルの陰になる五条通南側歩道は全然雪が溶けていませんでした。
……そうそう、目の前で焼肉屋さんの「五徳」が営業されていました。
自分の大学生時代の常連のお店です。
お年を召されたご夫婦が経営されていましたが、お元気でしょうか?
今度京のお店 今日のお品の記事で紹介します。

「五条坊城」交差点南西角に、中堂寺坊城郵便局が建っています。
この時点で午後4時半前でしたから、営業中でした。

さらに坊城通から、五条通を西に向いています。
自転車通行用の道に立っているは、
歩道を歩くと足が滑って転倒するからです。
郵便局の前や飲食店の前は雪かきをされて通れますが、
そうでないところはとても危ないですね。
今回ブログは、このまま五条通を西に進みます。

坊城通から、五条通を約100m西に進みました。
自転車用の道がないところは歩道を歩きましたが、よく滑ります。
自分の周囲でも、たくさんの方々が転倒されていました。
ここで五条通は、千本通と交差します。

「五条千本」交差点南西角に、「丹波口」駅があります。
ではここからJR嵯峨野線に乗って、京都駅経由で帰宅します。
今回は、ここまでです。
~次回は、節分の壬生寺を目指します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
~追記 その2~
実はもう節分の取材を終えています
「京の道 今日の道」では、毎年節分の取材を連載していますが、
2023年は「坊城通編」の連載中に掲載します。
坊城通は中京区壬生地区の中心を通っていて、
壬生寺の東側を貫いています。
ですから、2023年の節分には中京区壬生地区を掲載します。
と言いますか、2023年2月2日木曜日に取材を終えています。
壬生寺では護摩焚き祈祷を取材し、
その後鶴屋(八木邸)に向かい、光縁寺にも向かいましたが、
そちらは時間が遅くて閉まっていました。
最後は「四条坊城」交差点南西角の元祇園阿木神社に参拝しました。
さらに途中で屋台巡りをしたので、そちらも掲載します。
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前回ブログで坊城通を花屋町通まで北上して、
そこから元花街「島原」を散策しました。
現時点では公衆浴場の島原温泉から東側通を約20m南下して、
目の前で東側通が花屋町通と交差した場所にいます。
今回は花屋町通を東に進み、そこから坊城通を五条通まで北上します。
途中置き屋さんの輪違屋など、島原関連施設に立ち寄ります。
撮影日は、2023年1月26日木曜日午後4時。
あちこちに、雪が残っていました。

東側通から、花屋町通を東に向いています。
本当は花屋町通を逆に西に進んだ方が
角屋や島原住吉神社など観光地が多いのですが、
坊城通をメインにしている今回はそちらに向かいません。
では、このまま花屋町通を東に進みます。

東側通から、花屋町通を約20m東に進みました。
こちらに、湯の宿 松栄の正面玄関があります。
修学旅行生も泊める大きな旅館ですが、
お風呂場をスーパー銭湯として開放しています。
また2Fの食堂も普通の飲食店として
宿泊客以外の方々でも利用ができます。

「湯の宿 松栄」の正面玄関前で、花屋町通を東に向いています。
この先に、京都市指定文化財の島原大門が見えます。
では、こちらを進んでいきます。

東側通から、花屋町通を約50m東に進みました。
島原大門が、さらに近付いてきました。
ちなみに島原大門より東は、島原商店街が続きます。
そして、ここで花屋町通は坊城通と交差します。

今度は花屋町通から、坊城通を北に向きました。
ここからは、このまま坊城通を北上します。

花屋町通から、坊城通を約30m北上しました。
坊城通の左(西)側に、輪違屋(わちがいや)が建っています。
こちらの建物は京都市指定文化財で
屋内には貴重な文化財が多数保存されていますが、
現役で機能している置き屋さんでもあります。
置き屋さんとは舞妓さんや芸妓さん(島原なら大夫さん)の
詰め所で、住居でもあります。
もし舞妓さんや芸妓さん、大夫さんを料亭で指名したいなら、
この置き屋さんに申し込むことになります。
置き屋さんの主人は、舞妓さんや芸妓さん、大夫さんの
スケジュール管理もされます。
ただ近年お茶屋さん(花街で食事するところ)が島原で減少して、
大夫さんとお客さんの接点が減ってきたため、
この輪違屋はお茶屋さんも兼ねるようになりました。
ちなみに通常は観光目的に拝観はできませんが、
(大夫さんの住居でもありますので、プライバシーの問題があります)
ときどき特別拝観があります。
輪違屋屋内の様子は、第595回ブログ参照)

輪違屋の前で、坊城通を北に向いています。
ここからは、坊城通を北上します。

輪違屋の北隣は更地ですが、そちらを眺めています。
この先(西側)に煙突が見えますが、
その辺りが、前回ブログで出てきた島原温泉です。

同じ位置で、坊城通を北に向いています。
右(東)側の京町家の大屋根に、雪が残っています。
ただだいぶ溶けてきて、それが大屋根から石畳に落ちてきます。
油断すると飛び散った雪や泥水が掛かりそうなので、
ちょっと警戒しつつ北上します。

輪違屋さんから、坊城通を約50m北上しました。
坊城通の左(西)側に、日蓮宗成就山法華寺が建っています。
では、こちらの境内に入っていきます。

日蓮宗成就山法華寺境内に入ると、するに妙見宮が建っています。
堂内には、妙見菩薩がいらっしゃいます。
三十番神とともに、妙見菩薩は日蓮宗寺院によく祀られています。

そして、こちらが日蓮宗成就山法華寺の本堂です。
ご本尊は、釈迦如来です。
813年に東寺の北側に建立された法華寺は、
創建当初は当時と同じ真言宗寺院でしたが、
鎌倉時代の1281年当時の住職真広法印が日蓮の弟子となって、
この寺院も日蓮宗に改宗されました。
室町時代に入ると、京都の日蓮宗寺院は
どこも延暦寺の僧兵に焼き討ちにあったのですが、
この寺院も例外にもれず、たびたび焼失を繰り返したそうです。
それでも東寺の北側にこちらの寺院は存在し続けましたが、
1963年に東海道新幹線の線路建設により、
こちらの位置に移転してきました。
では、こちらにお参りして先へと進みます。

日蓮宗成就山法華寺本堂に背を向け、東に向きました。
では法華寺を出て、坊城通に戻ります。

日蓮宗成就山法華寺の向かい(東)側に、
京都市島原老人デイサービスセンターが建っています。
高齢者介護サービスを行う施設のようです。

京都市島原老人デイサービスセンターの門前に、
こちらの石碑が立っていました。
こちらに、もともと島原歌舞練場が建っていました。
歌舞練場とは各花街に明治維新以降建てられた施設で、
舞妓さんや大夫さんの養成所ですが、
中等教育レベルの授業も行われていたようです。
(現在の歌舞練場では、学校教育は行われていません)
祇園や宮川町など、京都五花街には必ずある施設ですが、
島原はこの歌舞練場を廃止して、「花街」を名乗らなくなりました。
とは言え、先述の輪違屋のように置き屋さんは島原に現存して、
現役の大夫さんも何人もいらっしゃいます。
ですから、歌舞練場がないものの島原も花街として機能しています。

京都島原老人デイサービスセンターから、坊城通を北に向いています。
目の前で石畳の地面が、アスファルトに変わります。
ここが、元花街島原(行政的には下京区西新屋敷地区)最北端です。

坊城通がアスファルトの地面に変わった地点で、西を向きました。
左(南)側が元花街島原で、右(北)側が下京区中堂寺地区です。
右側の建物は京都中央卸売市場の一部ですので、
この道には深夜になると食材を運ぶ大型自動車が出入りします。
ちなみに、この道に名前はありません。
約100m先の千本通で突き当たります。
ただ約80m先の西側通沿いに大銀杏の木が立っていて、
そちらの根元に弁財天を祀る祠があります。
(そちらの様子は、第597回ブログ参照)

その道から、坊城通を北に向いています。
左(西)側の塀の向こうは、京都中央卸売市場です。
この辺りは、確か青果市場だったと思います。
では、このまま坊城通を北上します。

その京都中央卸売市場を背後に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらにもお参りして、坊城通を北上し続けます。

そのお地蔵さんの前で、坊城通を北に向いています。
では、ここから坊城通をさらに北上します。

そのお地蔵さんの前から、坊城通を約100m北上しました。
ここで坊城通は、中堂寺通と交差します。

坊城通から、中堂寺通を西に向いています。
交差点部分を撮影していませんが、
実はそちらに小学生低学年の児童数名と保護者が数名が、
ずっと立ち話をされていました。
そちらをフレームから外すため、このアングルで撮っています。
右(北)側は中堂寺児童公園なのですが、
いつも小学生が複数いらっしゃいます。
ただこの日(2023年1月26日)はまだまだ雪が残っていて、
児童の数はだいぶ少なめでした。

今度は坊城通から、中堂寺通を東に向きました。
約800m先(大宮通の手前)に、住吉神社がいらっしゃいます。
実は例祭が結構派手で、自分は何回かお参りに行ったことがあります。

さらに中堂寺通から、坊城通を北に向いています。
だいぶ五条通に近付きましたので、
この坊城通をさらに北上していきます。

中堂寺通から、坊城通を北上しています。
右(東)側に、古い京町家が建っています。
以前よりはだいぶ減りましたが、
坊城通沿いはまだだいぶ京町家が残っていますね。

中堂寺通から、坊城通を約100m北上しました。
ここで坊城通は、五条通と交差します。

五条通から、坊城通を北に向いています。
坊城通は、約100m先で京都産業大学付属高校で突き当たっています。
まぁ坊城通はあちこち突き当たっては筋違いで復活するのですが、
今度もその例に漏れません。
とは言え、坊城通上に五条通を渡津横断歩道がありません。
別の道経由で北側に進みますが、
それは次回ブログ以降です。

坊城通から、五条通を東に向いています。
この日(2023年1月26日)の五条通南側歩道は、完全に雪道です。
五条通北側歩道や車道、中分離帯の雪は溶けていましたが、
ビルの陰になる五条通南側歩道は全然雪が溶けていませんでした。
……そうそう、目の前で焼肉屋さんの「五徳」が営業されていました。
自分の大学生時代の常連のお店です。
お年を召されたご夫婦が経営されていましたが、お元気でしょうか?
今度京のお店 今日のお品の記事で紹介します。

「五条坊城」交差点南西角に、中堂寺坊城郵便局が建っています。
この時点で午後4時半前でしたから、営業中でした。

さらに坊城通から、五条通を西に向いています。
自転車通行用の道に立っているは、
歩道を歩くと足が滑って転倒するからです。
郵便局の前や飲食店の前は雪かきをされて通れますが、
そうでないところはとても危ないですね。
今回ブログは、このまま五条通を西に進みます。

坊城通から、五条通を約100m西に進みました。
自転車用の道がないところは歩道を歩きましたが、よく滑ります。
自分の周囲でも、たくさんの方々が転倒されていました。
ここで五条通は、千本通と交差します。

「五条千本」交差点南西角に、「丹波口」駅があります。
ではここからJR嵯峨野線に乗って、京都駅経由で帰宅します。
今回は、ここまでです。
~次回は、節分の壬生寺を目指します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
~追記 その2~
実はもう節分の取材を終えています
「京の道 今日の道」では、毎年節分の取材を連載していますが、
2023年は「坊城通編」の連載中に掲載します。
坊城通は中京区壬生地区の中心を通っていて、
壬生寺の東側を貫いています。
ですから、2023年の節分には中京区壬生地区を掲載します。
と言いますか、2023年2月2日木曜日に取材を終えています。
壬生寺では護摩焚き祈祷を取材し、
その後鶴屋(八木邸)に向かい、光縁寺にも向かいましたが、
そちらは時間が遅くて閉まっていました。
最後は「四条坊城」交差点南西角の元祇園阿木神社に参拝しました。
さらに途中で屋台巡りをしたので、そちらも掲載します。
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