第918回 壬生寺の護摩焚き 後編~坊城通南から北~その7
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前回ブログで壬生寺の護摩焚き前の様々な儀式が終わり、
いよいよ松明に点火されました。
後は壬生寺住職による短い祈祷の後、
本格的に護摩壇に点火されます。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後1時45分。
今年の節分も煙まみれ、煤まみれになりました。

聖護院の修験者さんが点火した松明を交差させ、
護摩壇前で待機されています。
すると壬生寺のご住職が姿を見せられ、
護摩壇正面で護摩焚き前に短い祈祷をされました。
般若心経などのお経ではなく、日本語で
当世のご時世やこの壬生寺で節分会を行うことを述べられ、
最後に世界中の人々に平和と健勝を祈願されました。
その間、聖護院の修験者さんたちは全員起立して傾聴されていました。

短い祈祷が終わると、壬生寺のご住職は
修験者の代表者の脇に腰かけられました。
(お2人には、イスが用意されています)
すると、修験者さんが護摩壇に松明を突き刺されました。

やがて、護摩壇から白い煙が経ちました。
護摩壇の中には松葉が敷き詰められていて、
それに火が点いた模様です。

続いて、松明で護摩壇に点火された修験者さんが、
バケツ片手に着火した護摩壇に水を掛けられます。
護摩壇に水を掛けることで、
火や煙の大きさや位置を調整されています。
こうしないと、すぐに辺りは煙まみれになります。

すると修験者さんの代表者が立ち上がり、
護摩壇に杖を振り下ろされました。
代表者さんはそれを角度を変え、1周繰り返されました。
そしてこの頃から、周囲の修験者さんが祈祷を開始されます。
太鼓の音色に合わせて、「世界平和」から「家内安全」まで
様々なことを唱えられています。
さらに、時折「南無神変大菩薩」とも唱えられます。
神変大菩薩とは、修験道の開祖役小角の菩薩行を表します。

ところが、数分後に辺りが真っ白になりました。
写真では修験者の代表者さんが写っていますが、
実際にここにいたときは、何も見えませんでした。

さらに、数分が経ちました。
比較的距離が近い結界の縄や参拝者の姿は、確認できます。
法住寺の護摩焚きでもそうですが、
護摩焚きの初めは必ず煙まみれになります。
毎年節分に参拝する自分は、もう慣れましたが……

とは言え、すぐに煙まみれの状態は鎮まります。
先程から修験者さんが護摩壇に水を掛けられ、
火と煙の勢いと位置を調整されます。
そのことによって、煙は真上にだけ上がります。

周囲が煙まみれになっている間にも、
修験者の代表者さんは護摩壇に杖を振り下ろされていました。
この際に使われる杖は必ずY字型なのですが、
こちらがだんだん焦げていきます。

そして修験者の代表者さんはY字型の杖を手許に置き、
護摩木を他の修験者さんから受け取られました。
さらに、右手に小刀を持たれました。

修験者の代表者さんは小刀で護摩木の封を切られると、
そのまま護摩木を護摩壇に投じられました。
こうして、護摩焚きは粛々と続けられます。

実は修験者の代表者さんはその後扇で護摩壇を仰がれたのですが、
そこも上手く写真が撮れませんでした。
その後は、他の方々が護摩木を護摩壇に投じられます。

先ずは、この壬生寺のご住職が護摩木を投じられます。
修験者の代表者さんと同様に封を小刀で切られて、
護摩壇に護摩木を投じられました。

続いて、壬生寺の檀家さんが護摩木を投じられます。
修験者さんがマイクを持ち込んでMCまでされていらしたのですが、
そこで結構大店の旦那さんと紹介されていました。
(すいません、社名は忘れました)

さらに、先程の大店の若旦那さんも護摩木を投じられます。
たぶんですが、先程護摩木を投じられた旦那さんのご子息です。

そこからは、修験者の代表者さんは護摩壇正面のイスに座られました。
そしておそらく般若心経を唱えられていると思うのですが、
距離的には近いのですが、自分にはよく聞こえませんでした。
それに対して、他の修験者さんたちが「バケツリレー」の要領で
次々と護摩木を護摩壇に投じられました。
実は法住寺の節分会よりも参拝者から寄せられた護摩木が多く、
その分護摩壇内の松葉を少なくされています。
ですから、護摩壇で燃えているのは護摩木です。
要するに護摩木の材料である材木がよく燃えていて、
そのため法住寺よりも舞い上がる煤の量が倍以上に多いです。
目の前の紅い傘にも、参拝者の頭にも煤がだんだん降り注ぎます。

護摩壇に、護摩木が次々と投じられます。
結界内に置かれた護摩木も多かったのですが、
壬生寺の本堂の方に収められた護摩木の束も、
次々結界内に持ち込まれていきます。
ですから、ここから結構長い間修験者の皆さんが
護摩木の「バケツリレー」を延々繰り返されました。

護摩木が焚かれて減っていくと、さらに護摩木が足されます。
ですから護摩木の量は、暫くこのままでした。

護摩壇の左右から護摩木の「バケツリレー」が続くのは、
見ていて壮観でした。
先述の通り他の護摩焚きより護摩木(材木)が燃える量が多いので、
黒い煙も登ってきています。
また他の護摩焚きよりも、火の勢いが強いですね。

とは言え約10分も護摩焚きを続けていると、
右(北)側の台の上にあった護摩木が底を尽きました。
後は左(南)側の台の分と、本堂近くに仕舞われている分です。

と言う訳で、右(北)側にいらした修験者さんも
左(南)側に回られて、こちら側の修験者さんを手伝います。
すると大量の護摩木が、かなりハイペースで護摩壇に投じられました。

もちろん護摩木の「バケツリレー」中も、
修験者さんたちの祈祷は延々続きました。
「世界平和」「家内安全」などを唱えられている一方で、
「南無神変大菩薩」も唱えられていました。
そちらに合わせて、こちらの太鼓が打ち鳴らされていました。
こうして聞くと、まるで音楽ですね。

そうしているうちに、こちら側の台の上の護摩木も尽きてきました。
本堂側から運ばれる護摩木は、もう終わりのようです。

遂に、左(南)側の台に置かれた護摩木も底を尽きました。
ただ、まだもう少し護摩焚きは続きます。

修験者の代表者さんが立ち上がり、
Y字型の杖を護摩壇に振り下ろされます。
祈祷自体はまだ終わっていませんでしたし、
護摩壇内の護摩木もしっかり燃やさないといけません。

実は、まだ少しだけ護摩木が残っています。
そちらは、護摩壇正面脇に敢えて残しておいた護摩木です。
修験者の代表者さんが、そちらの封を小刀で切られました。

そして、残った護摩木を護摩壇に投じられます。
まだ残しておいた護摩木は数本あるので、
修験者の代表者さんはこの動作を繰り返されました。

その後、修験者の代表者さんはイスに戻られました。
そのとき、護摩壇の松葉が崩れました。
護摩壇が燃えてきたためですが、
その上の松葉は水を掛け続けられたため燃え残っていました。
護摩壇に水を掛けられていた修験者さんが、
その松葉を拾い集められました。

その間も、祈祷が続いていきます。
こちらの修験者による太鼓の演奏も、より激しくなります。

一方、護摩壇の松葉はさらに崩れました。
もうほとんど護摩壇の組み木が、むき出しですね。
修験者さんたちが、竹竿で松葉を回収されています。

護摩壇の内部は、炎で真っ赤です。
護摩木が、激しく燃えているのが分かりますね。

すると結界の左(南)側にいらした修験者さんたちが、
一斉に法螺貝を吹かれました。
これが、護摩焚き祈祷が終わる合図です。

最後に修験者の代表者さんが閉じた扇を掲げられ、
そのまま九字を切られました。
それで、2023年度の壬生寺護摩焚き祈祷が終了です。

修験者さんたちは燃え上がる護摩壇をそのままに、
結界内から外に出て行かれます。
もちろん後片付けしなければならないのですが、
いったん結界内から出て行くのが祈祷の手順のようです。

修験者さんたちに続いて、壬生寺のご住職と檀家さんも退出されます。
壬生寺境内にあった結界内は、いったん誰もいなくなります。

壬生寺のご住職が結界を出られると、
聖護院の修験者さんたちがご住職に拝礼されました。
こちらは単なる挨拶ではなく、儀式の一部のようです。

その直後に修験者さんたちが戻って来られて、後片付けが始まります。
先ずは、結界を区切っていた縄が取り外されます。
すると参拝者は一斉に結界内に押し寄せ、
結界にくくられていた折り紙などを持って帰ります。
さすがに前回ブログで登場した弓や斧はダメですが、
護摩焚きで消費されたものはほぼ何でも持って帰れます。
折り紙以外にも、座布団代わりの松葉や燃え残った松葉なども
持ち帰ることができる対象です。
これらは、お札やお守りと同様のご利益があります。
基本早い者勝ちですので、参拝者同士で取り合いになります。
腕力に劣る方は「取り合い」に参加できませんが、
修験者さんが上手い具合にそれらを先に取って、
お婆さんやお爺さんに配っておられました。

聖護院の修験者さんたちが、どんどん後片付けされます。
護摩壇はまだ燃え盛っているので、暫くは放置です。
とは言え、護摩木もだいぶ燃えて灰になってきました。

護摩壇周囲ににあった結界も解かれ、イスや台も撤去されました。
露店を経営されている方以外は、
参拝者の大半も、本堂など壬生寺境内の他の場所移動されました。
自分ももう少ししたらここを移動しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は壬生寺本堂に参拝しますが、
それと同時に露店巡りしながら昼食を摂ります~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
律宗壬生寺が、起点です。
~追記 その2~
今後の予定
実は、2023年度の節分取材はまだ半分以上掲載されていません。
次回ブログでは護摩壇の解体を見物した後、
いったん仏光寺通に出て、坊城通から壬生寺に再入場します。
そこから本堂に参拝しつつ、露店で昼食を摂ります。
次々回ブログ以降は、新撰組関連施設を回ります。
先ずは壬生寺境内の壬生塚に参拝して、
その後坊城通を北上し、壬生寺北隣の和菓子匠「鶴家」に訪れます。
そちらの経営者が八木家の方々で、
「鶴家」自体がかつての新撰組壬生屯所です。
その後は東隣の旧前川邸(こちらもかつての新撰組屯所)に行って、
そこから綾小路を東に進み光縁寺に向かいました。
光縁寺のかつてのご住職は新撰組隊士山南敬助の友人で、
その山南敬助はじめ多くの新撰組隊士のお墓があります。
ただ光縁寺を訪れたときは午後4時半を回っており、
既に門が閉じられていました。
光縁寺から綾小路を西に進み、坊城通に戻ります。
そこからさらに北上して、四条通沿いの元梛神社も参拝しました。
こちらも、節分は例祭のようになります。
最後は、「四条坊城」交差点前のバス停から帰宅しました。
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前回ブログで壬生寺の護摩焚き前の様々な儀式が終わり、
いよいよ松明に点火されました。
後は壬生寺住職による短い祈祷の後、
本格的に護摩壇に点火されます。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後1時45分。
今年の節分も煙まみれ、煤まみれになりました。

聖護院の修験者さんが点火した松明を交差させ、
護摩壇前で待機されています。
すると壬生寺のご住職が姿を見せられ、
護摩壇正面で護摩焚き前に短い祈祷をされました。
般若心経などのお経ではなく、日本語で
当世のご時世やこの壬生寺で節分会を行うことを述べられ、
最後に世界中の人々に平和と健勝を祈願されました。
その間、聖護院の修験者さんたちは全員起立して傾聴されていました。

短い祈祷が終わると、壬生寺のご住職は
修験者の代表者の脇に腰かけられました。
(お2人には、イスが用意されています)
すると、修験者さんが護摩壇に松明を突き刺されました。

やがて、護摩壇から白い煙が経ちました。
護摩壇の中には松葉が敷き詰められていて、
それに火が点いた模様です。

続いて、松明で護摩壇に点火された修験者さんが、
バケツ片手に着火した護摩壇に水を掛けられます。
護摩壇に水を掛けることで、
火や煙の大きさや位置を調整されています。
こうしないと、すぐに辺りは煙まみれになります。

すると修験者さんの代表者が立ち上がり、
護摩壇に杖を振り下ろされました。
代表者さんはそれを角度を変え、1周繰り返されました。
そしてこの頃から、周囲の修験者さんが祈祷を開始されます。
太鼓の音色に合わせて、「世界平和」から「家内安全」まで
様々なことを唱えられています。
さらに、時折「南無神変大菩薩」とも唱えられます。
神変大菩薩とは、修験道の開祖役小角の菩薩行を表します。

ところが、数分後に辺りが真っ白になりました。
写真では修験者の代表者さんが写っていますが、
実際にここにいたときは、何も見えませんでした。

さらに、数分が経ちました。
比較的距離が近い結界の縄や参拝者の姿は、確認できます。
法住寺の護摩焚きでもそうですが、
護摩焚きの初めは必ず煙まみれになります。
毎年節分に参拝する自分は、もう慣れましたが……

とは言え、すぐに煙まみれの状態は鎮まります。
先程から修験者さんが護摩壇に水を掛けられ、
火と煙の勢いと位置を調整されます。
そのことによって、煙は真上にだけ上がります。

周囲が煙まみれになっている間にも、
修験者の代表者さんは護摩壇に杖を振り下ろされていました。
この際に使われる杖は必ずY字型なのですが、
こちらがだんだん焦げていきます。

そして修験者の代表者さんはY字型の杖を手許に置き、
護摩木を他の修験者さんから受け取られました。
さらに、右手に小刀を持たれました。

修験者の代表者さんは小刀で護摩木の封を切られると、
そのまま護摩木を護摩壇に投じられました。
こうして、護摩焚きは粛々と続けられます。

実は修験者の代表者さんはその後扇で護摩壇を仰がれたのですが、
そこも上手く写真が撮れませんでした。
その後は、他の方々が護摩木を護摩壇に投じられます。

先ずは、この壬生寺のご住職が護摩木を投じられます。
修験者の代表者さんと同様に封を小刀で切られて、
護摩壇に護摩木を投じられました。

続いて、壬生寺の檀家さんが護摩木を投じられます。
修験者さんがマイクを持ち込んでMCまでされていらしたのですが、
そこで結構大店の旦那さんと紹介されていました。
(すいません、社名は忘れました)

さらに、先程の大店の若旦那さんも護摩木を投じられます。
たぶんですが、先程護摩木を投じられた旦那さんのご子息です。

そこからは、修験者の代表者さんは護摩壇正面のイスに座られました。
そしておそらく般若心経を唱えられていると思うのですが、
距離的には近いのですが、自分にはよく聞こえませんでした。
それに対して、他の修験者さんたちが「バケツリレー」の要領で
次々と護摩木を護摩壇に投じられました。
実は法住寺の節分会よりも参拝者から寄せられた護摩木が多く、
その分護摩壇内の松葉を少なくされています。
ですから、護摩壇で燃えているのは護摩木です。
要するに護摩木の材料である材木がよく燃えていて、
そのため法住寺よりも舞い上がる煤の量が倍以上に多いです。
目の前の紅い傘にも、参拝者の頭にも煤がだんだん降り注ぎます。

護摩壇に、護摩木が次々と投じられます。
結界内に置かれた護摩木も多かったのですが、
壬生寺の本堂の方に収められた護摩木の束も、
次々結界内に持ち込まれていきます。
ですから、ここから結構長い間修験者の皆さんが
護摩木の「バケツリレー」を延々繰り返されました。

護摩木が焚かれて減っていくと、さらに護摩木が足されます。
ですから護摩木の量は、暫くこのままでした。

護摩壇の左右から護摩木の「バケツリレー」が続くのは、
見ていて壮観でした。
先述の通り他の護摩焚きより護摩木(材木)が燃える量が多いので、
黒い煙も登ってきています。
また他の護摩焚きよりも、火の勢いが強いですね。

とは言え約10分も護摩焚きを続けていると、
右(北)側の台の上にあった護摩木が底を尽きました。
後は左(南)側の台の分と、本堂近くに仕舞われている分です。

と言う訳で、右(北)側にいらした修験者さんも
左(南)側に回られて、こちら側の修験者さんを手伝います。
すると大量の護摩木が、かなりハイペースで護摩壇に投じられました。

もちろん護摩木の「バケツリレー」中も、
修験者さんたちの祈祷は延々続きました。
「世界平和」「家内安全」などを唱えられている一方で、
「南無神変大菩薩」も唱えられていました。
そちらに合わせて、こちらの太鼓が打ち鳴らされていました。
こうして聞くと、まるで音楽ですね。

そうしているうちに、こちら側の台の上の護摩木も尽きてきました。
本堂側から運ばれる護摩木は、もう終わりのようです。

遂に、左(南)側の台に置かれた護摩木も底を尽きました。
ただ、まだもう少し護摩焚きは続きます。

修験者の代表者さんが立ち上がり、
Y字型の杖を護摩壇に振り下ろされます。
祈祷自体はまだ終わっていませんでしたし、
護摩壇内の護摩木もしっかり燃やさないといけません。

実は、まだ少しだけ護摩木が残っています。
そちらは、護摩壇正面脇に敢えて残しておいた護摩木です。
修験者の代表者さんが、そちらの封を小刀で切られました。

そして、残った護摩木を護摩壇に投じられます。
まだ残しておいた護摩木は数本あるので、
修験者の代表者さんはこの動作を繰り返されました。

その後、修験者の代表者さんはイスに戻られました。
そのとき、護摩壇の松葉が崩れました。
護摩壇が燃えてきたためですが、
その上の松葉は水を掛け続けられたため燃え残っていました。
護摩壇に水を掛けられていた修験者さんが、
その松葉を拾い集められました。

その間も、祈祷が続いていきます。
こちらの修験者による太鼓の演奏も、より激しくなります。

一方、護摩壇の松葉はさらに崩れました。
もうほとんど護摩壇の組み木が、むき出しですね。
修験者さんたちが、竹竿で松葉を回収されています。

護摩壇の内部は、炎で真っ赤です。
護摩木が、激しく燃えているのが分かりますね。

すると結界の左(南)側にいらした修験者さんたちが、
一斉に法螺貝を吹かれました。
これが、護摩焚き祈祷が終わる合図です。

最後に修験者の代表者さんが閉じた扇を掲げられ、
そのまま九字を切られました。
それで、2023年度の壬生寺護摩焚き祈祷が終了です。

修験者さんたちは燃え上がる護摩壇をそのままに、
結界内から外に出て行かれます。
もちろん後片付けしなければならないのですが、
いったん結界内から出て行くのが祈祷の手順のようです。

修験者さんたちに続いて、壬生寺のご住職と檀家さんも退出されます。
壬生寺境内にあった結界内は、いったん誰もいなくなります。

壬生寺のご住職が結界を出られると、
聖護院の修験者さんたちがご住職に拝礼されました。
こちらは単なる挨拶ではなく、儀式の一部のようです。

その直後に修験者さんたちが戻って来られて、後片付けが始まります。
先ずは、結界を区切っていた縄が取り外されます。
すると参拝者は一斉に結界内に押し寄せ、
結界にくくられていた折り紙などを持って帰ります。
さすがに前回ブログで登場した弓や斧はダメですが、
護摩焚きで消費されたものはほぼ何でも持って帰れます。
折り紙以外にも、座布団代わりの松葉や燃え残った松葉なども
持ち帰ることができる対象です。
これらは、お札やお守りと同様のご利益があります。
基本早い者勝ちですので、参拝者同士で取り合いになります。
腕力に劣る方は「取り合い」に参加できませんが、
修験者さんが上手い具合にそれらを先に取って、
お婆さんやお爺さんに配っておられました。

聖護院の修験者さんたちが、どんどん後片付けされます。
護摩壇はまだ燃え盛っているので、暫くは放置です。
とは言え、護摩木もだいぶ燃えて灰になってきました。

護摩壇周囲ににあった結界も解かれ、イスや台も撤去されました。
露店を経営されている方以外は、
参拝者の大半も、本堂など壬生寺境内の他の場所移動されました。
自分ももう少ししたらここを移動しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は壬生寺本堂に参拝しますが、
それと同時に露店巡りしながら昼食を摂ります~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
律宗壬生寺が、起点です。
~追記 その2~
今後の予定
実は、2023年度の節分取材はまだ半分以上掲載されていません。
次回ブログでは護摩壇の解体を見物した後、
いったん仏光寺通に出て、坊城通から壬生寺に再入場します。
そこから本堂に参拝しつつ、露店で昼食を摂ります。
次々回ブログ以降は、新撰組関連施設を回ります。
先ずは壬生寺境内の壬生塚に参拝して、
その後坊城通を北上し、壬生寺北隣の和菓子匠「鶴家」に訪れます。
そちらの経営者が八木家の方々で、
「鶴家」自体がかつての新撰組壬生屯所です。
その後は東隣の旧前川邸(こちらもかつての新撰組屯所)に行って、
そこから綾小路を東に進み光縁寺に向かいました。
光縁寺のかつてのご住職は新撰組隊士山南敬助の友人で、
その山南敬助はじめ多くの新撰組隊士のお墓があります。
ただ光縁寺を訪れたときは午後4時半を回っており、
既に門が閉じられていました。
光縁寺から綾小路を西に進み、坊城通に戻ります。
そこからさらに北上して、四条通沿いの元梛神社も参拝しました。
こちらも、節分は例祭のようになります。
最後は、「四条坊城」交差点前のバス停から帰宅しました。
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