第919回 節分の壬生寺~坊城通南から北~その8
「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

前回ブログで壬生寺節分会の護摩焚き祈祷が終わり、
聖護院の修験者さんたちが後片付けを続けておられます。
修験者さんは鉤棒を持って、護摩壇を解体していかれます。
今回はいったん仏光寺通に出て、
坊城通から再入場して壬生寺本堂に参拝します。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後2時半。
ここから、護摩焚き祈祷以外の壬生寺節分会を散策します。

護摩壇が、どんどん解体されていきます。
炭化した護摩壇の木組はまだまだ熱いので、
壬生寺境内の地面に並べられます。

護摩壇内部にあった護摩木は、燃え尽きるまで放置されます。
護摩壇の周囲の松葉は、これ以上燃えないように取り除かれます。

壬生寺の檀家の方が、後片付けに参加されています。
その方は、護摩壇の木組に水を掛けていかれます。
木組の内部はよく燃えており、それを消火されていました。

護摩壇で燃えていた護摩木は放置されていましたが、
護摩壇の組み木など周囲で燃えていたものは取り除かれ、
とうとう護摩木の炎から、可燃物が引き離されます。
この炎も徐々に勢いが弱まり、だんだんと鎮火に向かいます。

壬生寺の檀家さんが、護摩壇の組み木に
バケツから水を掛けておられます。
組み木はだいぶ水気を含んで、もう素手でも触れます。

壬生寺の護摩焚き祈祷の後片付けはさらに進みますが、
そろそろ自分がここにいるのが邪魔になりそうです。
ですから、ここから壬生寺境内を移動します。
先ずは、壬生寺境内にあった護摩壇の位置から南に向きました。
自分がいる位置の西側に本堂が建っているのですが、
その南隣に千体地蔵がいらっしゃいます。
京都市街地で行き場を失ったお地蔵さんを
パゴタ状の塔に安置されたものです。

先程の位置から、壬生寺境内を約10m南下しました。
フレーム右(西)側の外に、千体地蔵がいらっしゃいます。
このままずっと壬生寺境内を南下すると、壬生寺南門ですね。

先程の位置から、壬生寺境内をさらに約5m南下しました。
左(東)側のたい焼きの屋台に結構人気があって、
自分はお客さんをすり抜けてきました。
では目の前の壬生寺南門から、いったん壬生寺を出ます。

壬生寺南門を出て、そのまま南を向いています。
目の前で、仏光寺通が東西に伸びています。
この先に土蔵が見えて、旧宅が建っています。
あちらも八木邸で、現在も八木家の方々がご在宅です。
ただ新撰組の屯所だった八木邸は、壬生寺の北隣です。
八木家はもともと壬生寺近辺の大地主ですから、
新撰組屯所以外にも邸宅を所有されてます。

壬生寺南門の前から、仏光寺通を西に向いています。
節分会の間は、壬生寺の周辺にも露店が立ちます。
取り敢えず、いったん仏光寺通を西に進みます。

壬生寺南門から、仏光寺通を約50m西に進みました。
こちらが、食堂の「丸福」です。
第321回ブログではこちらで冷麺を戴きました。
このお店を京のお店 今日のお品では紹介していませんでしたので、
昼食を摂りながらこちらのお店を取材しようと思っていたのですが、
どうやら閉まっています。
たぶん定休日ではないので、もしかしたら檀家の一員として
壬生寺の節分会に参加されているかもしれません。
まさかもう閉められているのではないとは思うのですが……

食堂の「丸福」の前で、仏光寺通を東に向いています。
お目当てのお店が閉まっているので、
ここからは仏光寺通を東に進んで壬生寺境内に戻ります。
……これで自分の昼食は、壬生寺境内の露店になります。

食堂の「丸福」から、仏光寺通を東に約50m進みました。
壬生寺南門まで、戻ってきました。
ただ今回は、ここから壬生寺には入りません。
立ち寄る露店に見当を付けていて、
そちらが坊城通沿いにあるからです。

壬生寺南門の前で、仏光寺通を東に向いています。
ここからは、暫く仏光寺通を東に進みます。

壬生寺南門から、仏光寺通を約50m東に進みました。
こちらの京町家が、苔玉屋です。苔玉の販売専門店です。
京都市街地の苔玉専門店は最近は何軒かできましたが、
たぶんここが最古です。
(苔玉屋には、第320回ブログにも訪れています)

苔玉屋から、仏光寺通を約30m東に進みました。
ここで仏光寺通は、坊城通と交差します。
目の前に警察官がいらっしゃるのは、壬生寺節分会の都合で
仏光寺通以北の坊城通が車両通行止めのためです。

今度は仏光寺通から、坊城通を北に向いています。
左(西)側の土塀は壬生寺ですが、右(東)側の土塀は旧神先家邸宅です。
旧神先家邸宅の前には、第917回ブログでも通過しました。

旧神先家邸宅前から、坊城通を北に向いています。
目の前から、壬生寺に入れますね。

旧神先家邸宅から坊城通を約30m北上して、左(西)に向きました。
では、こちらから壬生寺に再入場します。
……その前に、右(北)側のたこ焼きの露店にお邪魔します。
先述の「お目当ての屋台」とは、ここのことです。
実は、こちらには第635回ブログでもお邪魔しています。
こちらは5個300円ととても安いのですが、
1個1個にタコが1片入っていて、お得感があります。

たこ焼きの露店の奥に、飲食スペースがあります。
では、こちらのイスに座ってたこ焼きを戴きます。
飲食スペースの一部が写っていませんが、
そちらには自分の先客がいらっしゃいます。

飲食スーペースに座って、このたこ焼きを戴きました。
外がカリカリですが中はトロトロですので、
舌が火傷するのを注意しないといけません。
そして、中には大振りのタコが入っていました。

たこ焼きを戴いて、再び壬生寺山門前に立ち西を向いています。
では、ここから壬生寺に再入場します。

壬生寺山門をくぐり、すぐに北を向きました。
こちらに、壬生寺の末社一夜天神がいらっしゃいます。
第917回ブログでは、聖護院の修験者さんたちが
こちらで祈祷されていました。
夜泣き封じのご利益がありますが、自分にはあまり関係がありません。
とは言え、せっかく来たので先ずはお参りです。

壬生寺山門から、境内を西に向いています。
ここをまっすぐ西に進めば、壬生寺本堂です。
ただこの日(2023年2月2日木曜日)の壬生寺は、節分会です。
境内や周辺には、あちこち露店が立っていました。

壬生寺の末社一夜天神の向かい(南)側に、
壬生寺が経営する老人ホームがあります。
ただ、節分会の期間中はこの場所で炮烙焼きが売りに出されます。
炮烙焼きは直径約50㎝の円形の焼き物で、
こちらに願い事を書いて再び壬生寺に納めます。
壬生寺が参拝者から集めた炮烙焼きは、
壬生狂言の際に舞台から落とされます。
そして炮烙が割れたとき、参拝者の願いが叶うと考えられています。

その老人ホームの前で、壬生寺境内を西に向いています。
ここより西にも、様々な塔頭寺院やお堂が並びます。

一夜天神の西隣に、阿弥陀堂が建っています。
文字通り、堂内に阿弥陀如来像がいらっしゃいます。
また阿弥陀堂を通り抜けた北側に、壬生塚があります。
壬生塚が、壬生寺内の新撰組関連施設です。

阿弥陀堂の向かい(南)側に、壬生寺中院が建っています。
こちらも壬生寺の塔頭寺院で、ご本尊は十一面観音です。
そして、こちらでも炮烙焼きが売られていました。

中院の西隣に、「歯薬師」がいらっしゃいます。
要するに薬師如来がいらして、京都十二薬師の御1体です。
このブログでは、他に因幡薬師・第307回ブログの水薬師・
第346回ブログの福勝寺・第347回ブログ追記に掲載した地福寺・
第117回ブログの雙林寺・第573回ブログの薬師院・
第158回ブログの蛸薬師に訪れています。

「歯薬師」の前で、壬生寺境内を西に向いています。
次はここから西に進み、壬生寺本堂前に進みます。
……と言いますか、今回ブログの冒頭の位置に戻ります。

今回ブログの冒頭護摩壇があった場所に戻ってきました。
護摩壇を組まれていた木材は鎮火済みで、
小型車両によって外に運び込まれてます。
ただ、護摩壇の炎は小さくなっても燃えています。

そうは言っても、護摩壇の炎はかなり小さくなっています。
他の可燃物からは遠く離されているので、
約1時間もしたら鎮火するでしょうね。

……と言う訳で壬生寺境内をさらに西に進み、
壬生寺本堂に向かいます。
ただその前に、目の前の小屋に向かいます。

小屋の中には、女性が一人いらっしゃいました。
その方にお金を納めると、線香が戴けます。
なお、線香に決まった金額はありません。
自分は、取り敢えず50円納めて線香1本もらいました。

先程の小屋の西側に、こちらが並んでいます。
中には液状の蝋が入っており、それが燃えています。
こちらの中に線香を差し入れて、着火させました。

そして、さらに西側にあるこちらに線香を立てました。
ちなみに中央のいちばん長いのが、自分が立てた線香です。
立てた直後なので、いちばん長いですね。

その香炉の西側に、律宗壬生寺本堂が建っています。
律宗と言えば奈良県の唐招提寺が総本山ですが、
この壬生寺も本山の扱いです。ご本尊は、大地蔵菩薩です。
こちらは、平安時代の941年に快賢によって創建されました。
一時期衰退しましたが、鎌倉時代の1300年に円覚が再興して
この時期から大念仏会や壬生狂言が行われるようになりました。
また天明の大火などでたびたび焼失していましたが、
現在のご本尊は1967年に唐招提寺から譲り受けており、
重要文化財に指定されています。
では、こちらに参拝します。

壬生寺本堂の南側には節分用の寺務所があり、
そちらでお札やお守り、炮烙焼きが売られていました。
その奥(西側)が、先述の千体地蔵です。

壬生寺本堂前から、南に向きました。
こちらの南門から、先程仏光寺通に向かっています。

今度は、壬生寺本堂から境内を北に向きました。
護摩壇があった場所より北側には、屋台村が形成されています。
ここからはその屋台村初め壬生寺境内を散策しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、壬生寺境内の屋台村を散策します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
律宗壬生寺が、起点です。
~追記 その2~
執筆中の今回ブログが掲載されてしまいました
これは、自分の完全なうっかりです。
下書きにするのを忘れて、更新したのが原因です。
この「うっかり」は2023年2月12日深夜に起きたのですが、
自分が気付いたのは2023年2月12日の夕方でした。
つまり約12時間近く気づいておらず、放置してしまいました。
2023年2月3日午前4時現在、今回ブログの本編は書き終わりました。
ですから、現在は通常の形に戻しています。
どうも、失礼しました
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前回ブログで壬生寺節分会の護摩焚き祈祷が終わり、
聖護院の修験者さんたちが後片付けを続けておられます。
修験者さんは鉤棒を持って、護摩壇を解体していかれます。
今回はいったん仏光寺通に出て、
坊城通から再入場して壬生寺本堂に参拝します。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後2時半。
ここから、護摩焚き祈祷以外の壬生寺節分会を散策します。

護摩壇が、どんどん解体されていきます。
炭化した護摩壇の木組はまだまだ熱いので、
壬生寺境内の地面に並べられます。

護摩壇内部にあった護摩木は、燃え尽きるまで放置されます。
護摩壇の周囲の松葉は、これ以上燃えないように取り除かれます。

壬生寺の檀家の方が、後片付けに参加されています。
その方は、護摩壇の木組に水を掛けていかれます。
木組の内部はよく燃えており、それを消火されていました。

護摩壇で燃えていた護摩木は放置されていましたが、
護摩壇の組み木など周囲で燃えていたものは取り除かれ、
とうとう護摩木の炎から、可燃物が引き離されます。
この炎も徐々に勢いが弱まり、だんだんと鎮火に向かいます。

壬生寺の檀家さんが、護摩壇の組み木に
バケツから水を掛けておられます。
組み木はだいぶ水気を含んで、もう素手でも触れます。

壬生寺の護摩焚き祈祷の後片付けはさらに進みますが、
そろそろ自分がここにいるのが邪魔になりそうです。
ですから、ここから壬生寺境内を移動します。
先ずは、壬生寺境内にあった護摩壇の位置から南に向きました。
自分がいる位置の西側に本堂が建っているのですが、
その南隣に千体地蔵がいらっしゃいます。
京都市街地で行き場を失ったお地蔵さんを
パゴタ状の塔に安置されたものです。

先程の位置から、壬生寺境内を約10m南下しました。
フレーム右(西)側の外に、千体地蔵がいらっしゃいます。
このままずっと壬生寺境内を南下すると、壬生寺南門ですね。

先程の位置から、壬生寺境内をさらに約5m南下しました。
左(東)側のたい焼きの屋台に結構人気があって、
自分はお客さんをすり抜けてきました。
では目の前の壬生寺南門から、いったん壬生寺を出ます。

壬生寺南門を出て、そのまま南を向いています。
目の前で、仏光寺通が東西に伸びています。
この先に土蔵が見えて、旧宅が建っています。
あちらも八木邸で、現在も八木家の方々がご在宅です。
ただ新撰組の屯所だった八木邸は、壬生寺の北隣です。
八木家はもともと壬生寺近辺の大地主ですから、
新撰組屯所以外にも邸宅を所有されてます。

壬生寺南門の前から、仏光寺通を西に向いています。
節分会の間は、壬生寺の周辺にも露店が立ちます。
取り敢えず、いったん仏光寺通を西に進みます。

壬生寺南門から、仏光寺通を約50m西に進みました。
こちらが、食堂の「丸福」です。
第321回ブログではこちらで冷麺を戴きました。
このお店を京のお店 今日のお品では紹介していませんでしたので、
昼食を摂りながらこちらのお店を取材しようと思っていたのですが、
どうやら閉まっています。
たぶん定休日ではないので、もしかしたら檀家の一員として
壬生寺の節分会に参加されているかもしれません。
まさかもう閉められているのではないとは思うのですが……

食堂の「丸福」の前で、仏光寺通を東に向いています。
お目当てのお店が閉まっているので、
ここからは仏光寺通を東に進んで壬生寺境内に戻ります。
……これで自分の昼食は、壬生寺境内の露店になります。

食堂の「丸福」から、仏光寺通を東に約50m進みました。
壬生寺南門まで、戻ってきました。
ただ今回は、ここから壬生寺には入りません。
立ち寄る露店に見当を付けていて、
そちらが坊城通沿いにあるからです。

壬生寺南門の前で、仏光寺通を東に向いています。
ここからは、暫く仏光寺通を東に進みます。

壬生寺南門から、仏光寺通を約50m東に進みました。
こちらの京町家が、苔玉屋です。苔玉の販売専門店です。
京都市街地の苔玉専門店は最近は何軒かできましたが、
たぶんここが最古です。
(苔玉屋には、第320回ブログにも訪れています)

苔玉屋から、仏光寺通を約30m東に進みました。
ここで仏光寺通は、坊城通と交差します。
目の前に警察官がいらっしゃるのは、壬生寺節分会の都合で
仏光寺通以北の坊城通が車両通行止めのためです。

今度は仏光寺通から、坊城通を北に向いています。
左(西)側の土塀は壬生寺ですが、右(東)側の土塀は旧神先家邸宅です。
旧神先家邸宅の前には、第917回ブログでも通過しました。

旧神先家邸宅前から、坊城通を北に向いています。
目の前から、壬生寺に入れますね。

旧神先家邸宅から坊城通を約30m北上して、左(西)に向きました。
では、こちらから壬生寺に再入場します。
……その前に、右(北)側のたこ焼きの露店にお邪魔します。
先述の「お目当ての屋台」とは、ここのことです。
実は、こちらには第635回ブログでもお邪魔しています。
こちらは5個300円ととても安いのですが、
1個1個にタコが1片入っていて、お得感があります。

たこ焼きの露店の奥に、飲食スペースがあります。
では、こちらのイスに座ってたこ焼きを戴きます。
飲食スペースの一部が写っていませんが、
そちらには自分の先客がいらっしゃいます。

飲食スーペースに座って、このたこ焼きを戴きました。
外がカリカリですが中はトロトロですので、
舌が火傷するのを注意しないといけません。
そして、中には大振りのタコが入っていました。

たこ焼きを戴いて、再び壬生寺山門前に立ち西を向いています。
では、ここから壬生寺に再入場します。

壬生寺山門をくぐり、すぐに北を向きました。
こちらに、壬生寺の末社一夜天神がいらっしゃいます。
第917回ブログでは、聖護院の修験者さんたちが
こちらで祈祷されていました。
夜泣き封じのご利益がありますが、自分にはあまり関係がありません。
とは言え、せっかく来たので先ずはお参りです。

壬生寺山門から、境内を西に向いています。
ここをまっすぐ西に進めば、壬生寺本堂です。
ただこの日(2023年2月2日木曜日)の壬生寺は、節分会です。
境内や周辺には、あちこち露店が立っていました。

壬生寺の末社一夜天神の向かい(南)側に、
壬生寺が経営する老人ホームがあります。
ただ、節分会の期間中はこの場所で炮烙焼きが売りに出されます。
炮烙焼きは直径約50㎝の円形の焼き物で、
こちらに願い事を書いて再び壬生寺に納めます。
壬生寺が参拝者から集めた炮烙焼きは、
壬生狂言の際に舞台から落とされます。
そして炮烙が割れたとき、参拝者の願いが叶うと考えられています。

その老人ホームの前で、壬生寺境内を西に向いています。
ここより西にも、様々な塔頭寺院やお堂が並びます。

一夜天神の西隣に、阿弥陀堂が建っています。
文字通り、堂内に阿弥陀如来像がいらっしゃいます。
また阿弥陀堂を通り抜けた北側に、壬生塚があります。
壬生塚が、壬生寺内の新撰組関連施設です。

阿弥陀堂の向かい(南)側に、壬生寺中院が建っています。
こちらも壬生寺の塔頭寺院で、ご本尊は十一面観音です。
そして、こちらでも炮烙焼きが売られていました。

中院の西隣に、「歯薬師」がいらっしゃいます。
要するに薬師如来がいらして、京都十二薬師の御1体です。
このブログでは、他に因幡薬師・第307回ブログの水薬師・
第346回ブログの福勝寺・第347回ブログ追記に掲載した地福寺・
第117回ブログの雙林寺・第573回ブログの薬師院・
第158回ブログの蛸薬師に訪れています。

「歯薬師」の前で、壬生寺境内を西に向いています。
次はここから西に進み、壬生寺本堂前に進みます。
……と言いますか、今回ブログの冒頭の位置に戻ります。

今回ブログの冒頭護摩壇があった場所に戻ってきました。
護摩壇を組まれていた木材は鎮火済みで、
小型車両によって外に運び込まれてます。
ただ、護摩壇の炎は小さくなっても燃えています。

そうは言っても、護摩壇の炎はかなり小さくなっています。
他の可燃物からは遠く離されているので、
約1時間もしたら鎮火するでしょうね。

……と言う訳で壬生寺境内をさらに西に進み、
壬生寺本堂に向かいます。
ただその前に、目の前の小屋に向かいます。

小屋の中には、女性が一人いらっしゃいました。
その方にお金を納めると、線香が戴けます。
なお、線香に決まった金額はありません。
自分は、取り敢えず50円納めて線香1本もらいました。

先程の小屋の西側に、こちらが並んでいます。
中には液状の蝋が入っており、それが燃えています。
こちらの中に線香を差し入れて、着火させました。

そして、さらに西側にあるこちらに線香を立てました。
ちなみに中央のいちばん長いのが、自分が立てた線香です。
立てた直後なので、いちばん長いですね。

その香炉の西側に、律宗壬生寺本堂が建っています。
律宗と言えば奈良県の唐招提寺が総本山ですが、
この壬生寺も本山の扱いです。ご本尊は、大地蔵菩薩です。
こちらは、平安時代の941年に快賢によって創建されました。
一時期衰退しましたが、鎌倉時代の1300年に円覚が再興して
この時期から大念仏会や壬生狂言が行われるようになりました。
また天明の大火などでたびたび焼失していましたが、
現在のご本尊は1967年に唐招提寺から譲り受けており、
重要文化財に指定されています。
では、こちらに参拝します。

壬生寺本堂の南側には節分用の寺務所があり、
そちらでお札やお守り、炮烙焼きが売られていました。
その奥(西側)が、先述の千体地蔵です。

壬生寺本堂前から、南に向きました。
こちらの南門から、先程仏光寺通に向かっています。

今度は、壬生寺本堂から境内を北に向きました。
護摩壇があった場所より北側には、屋台村が形成されています。
ここからはその屋台村初め壬生寺境内を散策しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、壬生寺境内の屋台村を散策します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
律宗壬生寺が、起点です。
~追記 その2~
執筆中の今回ブログが掲載されてしまいました
これは、自分の完全なうっかりです。
下書きにするのを忘れて、更新したのが原因です。
この「うっかり」は2023年2月12日深夜に起きたのですが、
自分が気付いたのは2023年2月12日の夕方でした。
つまり約12時間近く気づいておらず、放置してしまいました。
2023年2月3日午前4時現在、今回ブログの本編は書き終わりました。
ですから、現在は通常の形に戻しています。
どうも、失礼しました
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