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第921回 壬生の新撰組~坊城通南から北~その10

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

920-29.jpg
前回ブログで節分会の壬生寺をほぼ散策し終え、
後は壬生塚を残すだけになりました。
「壬生塚」とは壬生寺の池に浮かぶ小島で、
壬生寺歴代管主や新選組隊士のお墓が立っています。
今回は壬生塚に訪れた後、
中京区壬生地区に残る新撰組の足跡を巡ります。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後3時半。
今回は、壬生寺より北に向かいます。


921-45.jpg
壬生寺阿弥陀堂内は撮影不可なので、写真はありません。
壬生寺の阿弥陀堂には、文字通り阿弥陀如来像がいらっしゃいます。
もちろんその阿弥陀如来像にはお参りしますが、
この阿弥陀堂が北側の壬生塚に向かえる唯一のルートです。
阿弥陀堂内に設置された料金所で300円を納めて、
阿弥陀堂の北側に広がる壬生塚に向かいます。


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阿弥陀堂を北に抜けると、こちらの橋に辿り着きます。
この橋の先が、壬生塚です。


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阿弥陀堂から壬生寺境内を北上して
橋を渡っている途中で、左(西)に向きました。
金鍍金の龍の像が、池に浮かんでいますね。


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先程の橋を渡って、壬生塚に辿り着きました。
壬生塚の奥(東)の方に新撰組隊士のお墓が立っていますが、
手前のこの辺りには壬生寺歴代管主のお墓が立ち並びます。


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同じ位置で、壬生塚を東に向いています。
右(南)側の道を進むと、新撰組隊士のお墓が立ち並びます。


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壬生塚で東に進む途中に、こちらの人丸塚が立っています。
柿本人麻呂のお墓と伝わっていますが、
どの歴史上の資料を読み比べてみても、
京都に柿本人麻呂のお墓がある可能性は皆無です。
おそらく後世の歌人のお墓でしょうね。
ちなみに「人丸(ひとまる)」→「火止まる」の語呂合わせから、
こちらには火災除けのご利益があります。


921-5.jpg
壬生塚の最東端まで来ました。
こちらの近藤勇の胸像は、映画関係者が壬生寺に寄贈されたものです。
ちなみに、壬生塚に近藤勇のお墓はありません。


921-6.jpg
壬生塚最東端から、壬生寺境内を北を向いています。
壬生塚のいちばん奥に、新撰組隊士のお墓が立ち並びます。


921-7.jpg
先ずは、こちらに志納金を納めます。
この辺りは、この寄付により成り立っています。


921-8.jpg
この辺りから、壬生塚に並ぶ新撰組の隊士のお墓が並びます。
左(北)側のお墓は、新撰組勘定方河合耆三郎のものです。
新撰組の相当数が規律違反で切腹していますが、
河合耆三郎もその一人です。
親許がお金を納めれば切腹を許されることになっていたのですが、
肝心のお金を集めることに時間がかかり、結局切腹した方です。
切腹の期限延長を認めなかった新撰組の幹部に
腹を立てた河合耆三郎の父は、抗議の意味も込めて
この壬生寺に新撰組隊士としては破格に大きな墓を立てました。
それが、こちらです。
右(南)側は、新撰組隊士の共用のお墓です。
たくさんの方の遺骨を納めるのは不可能ですので、
こちらは墓碑だけで遺骨はこの下に埋まっていません。


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そして壬生塚のいちばん奥に、こちらのお墓が立ってます。
右(東)側のお墓は、新撰組隊士共用のお墓です。
墓碑銘に、野口健司と書かれていますね。
他の隊士は、自分のよく知らない方々です。
ただ、このお墓の下には遺骨は入っていません。
野口健司のご遺体は、後述の光縁寺の北側
嵐電の線路の下に眠っておられます。


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そしてその右(西)側が、芹沢鴨平山五郎のお墓です。
どちらも、後述の八木邸で暗殺された人物です。
ただ、ご遺体はこちらには埋められていません。
仏光寺通の南側に広がる壬生寺墓地の中に、
現在もご遺体が眠っておられます。


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その芹沢鴨と平山五郎のお墓の裏(北)側は堀に見えますが、
先程の池と繋がっていて、この壬生塚が池に浮かぶ小島と分かります。
その「堀」に、こちらが飛来してきました。
魚を探すように暫く水面に嘴を漬けていましたが、
やがて遠くに去っていきました。


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近藤勇の胸像前まで戻り、壬生塚を西に向いています。
あちらから、何人か参拝者が来られます。
壬生塚は「壬生地区の新撰組関連施設」ではいちばん有名ですし……
では、自分はそろそろ壬生塚をこのまま西に進みます。


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壬生塚最西端から、南を向いています。
では、この橋を渡り壬生寺阿弥陀堂内に入っていきます。


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壬生塚から壬生寺阿弥陀堂内に入り、
さらに南下してその阿弥陀堂を南に出ました。
こちらは、壬生寺境内ですね。
目の前(南側)に、壬生寺中院が建っています。


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壬生寺阿弥陀堂を出て、壬生寺境内を東に向いています。
この日(2023年2月2日木曜日)は、
壬生寺では節分会が催されています。
第917回ブログから壬生寺境内を散策してきましたが、
そろそろこの先の山門に向かいます。


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先程の位置から、壬生寺境内を約20m東に進みました。
では目の前の山門から律宗壬生寺を出て、坊城通沿いに出ます。


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壬生寺山門から東側に出て、坊城通を北に向いています。
では、ここから坊城通を北上しています。


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確か数年前まで壬生寺山門の北側は小さな駐車場だったはずですが、
いつの間にかカフェが開店していました。
「だんだらカフェ」と書かれていますが、
クッキーとかお菓子がおいしそうなお店ですね。


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壬生寺山門から、坊城通を約30m北上しました。
坊城通の東側は、臨済宗永源寺派鳳翔山新徳寺(新徳禅寺)です。
江戸時代半ばの1739年、天巌文聰によって建立されました。
1863年清河八郎が江戸で結成した浪士組が京都に訪れたとき、
この新徳寺で宿泊しました。
清河八郎が京都に来た名目上の目的は
江戸幕府14代将軍徳川家茂の護衛だったのですが、
この新徳寺の本堂で江戸幕府を打倒する必要性を説きました。
その際江戸幕府側に立とうとした近藤勇芹沢鴨らが、
浪士組を脱退してその浪士組が江戸に帰った後も京都に残りました。
これが、新撰組の始まりです。
つまり、ここが新撰組発祥の地です。


921-20.jpg
その新徳寺では御朱印を発行されているはずなのですが、
本堂や境内には入れません。
代わりに、先程の門より北側に露店が立っていました。
この露店では、各種甘納豆が売られていました。


921-42.jpg
こちらが、その甘納豆です。
こちらは、中京区壬生地区の和菓子店が製造しています。
と言いましても、阪急電車「西院」駅の近くですが……
こちらで普段から販売されているわけではなく、
節分会のこの時期限定でこちらで売られています。


921-46.jpg
こちらは、この袋に入っていたリストです。
茶福豆や小豆が一般的ですが、
このお店は様々な甘納豆を製造しています。
この中にはありませんが、カカオ豆の甘納豆も売られていました。


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こちらは、後日昼過ぎに戴きました。
最近は、ウチではそば茶が好まれています。


921-44.jpg
その甘納豆を大写ししました。
1種類だけではなく、様々な豆類が並びます。
それぞれが、素材本来の甘味を出しています。


921-21.jpg
新徳寺の門前から、坊城通を北に向いています。
節分会の時期は、四条通以南の坊城通に露店が並びます。


921-22.jpg
新徳寺から、坊城通をさらに北上しています。
壬生寺の北隣に、「鶴屋」という和菓子匠が建っています。
まんじゅうや羊羹など様々な和菓子が売られていますが、
近年は茶席が設けられており、そこで和菓子を戴けます。


921-23.jpg
鶴屋の茶席の前に、こちらが置かれておりました。
まんじゅうや羊羹などお持ち帰り用の和菓子以外にも、
このようなものも茶席で戴けます。


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その「鶴家」の茶席から、さらに奥(西側)に向いています。
赤地に「誠」と書かれた旗が示すように、
和菓子匠の鶴屋の店主は、八木家の子孫です。
八木家はこの壬生一帯の地主だった一族で、
この八木家邸宅に新撰組隊士が居住していました。
つまり、この奥が新選組の壬生屯所です。


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新撰組壬生屯所だった八木邸は撮影不可ですが、
有料で屋内を拝観できます。
拝観料は1000円ですが、学芸員の解説と
帰途に抹茶と和菓子を先程の茶席で戴けるサービス付きです。
邸内にいらした学芸員さんは何度か自分もお目に掛かった方でした。
数年ぶりにお話を聞くと、以前より詳しい話をされていました。
様々な参考文献を提示しつつ、いろいろ話されていました。
八木邸で話されるのは、先述の芹沢鴨平山五郎暗殺事件です。
学芸員さんが解説された部屋で起きた事件ですね。
当初は新撰組と対立する長州藩士の犯行と考えられていましたが、
会津藩主で新撰組を管轄する松平容保が、
近藤勇に命じて殺させたのが真相のようです。
ただ、一緒に部屋にいた吉栄さんも殺されたと解説されていました。
八木邸内の仏壇に芹沢鴨と平山五郎、お梅さんの位牌がありますが、
吉栄さんの位牌はありません。
さらに作家の子母澤寛が取材した八木為三郎氏の発言でも、
吉栄さんは事件後も生きています。
(当時子供だった為三郎氏と、吉栄さんが一緒に食事をしています)
そうすると吉栄さんは事件に巻き込まれていないことになりますが、
こちらの学芸員さんは終始一貫して
「吉栄さんは暗殺された」と主張されています。
たぶん調査された結果、この事件で
吉江さんが殺された証拠をつかまれたのでしょうね。


921-26.jpg
学芸員さんのお話は、30分近く続きました。
そちらを聞き終えて、鶴屋の茶席に向かいました。
この日(2023年2月2日)は結構寒かったので、
茶席には小さな火鉢が置かれていました。


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最初に戴いた半券を提示すると、
店員さんがこちらを持って来られました。
抹茶とこちらで売られている和菓子ですね。


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店員さんが持って来られたのは、抹茶と屯所餅でした。
こちらを戴きながら、ちょっと休憩します。


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屯所餅は、求肥のの中に小豆餡が入った餅です。
そちらを抹茶とともに堪能していると、午後4時20分を回りました。
そろそろ西日が傾いてきています。
ちょっと慌てて、先を進みます。


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茶席を後にして、鶴屋店内を東に向いています。
では鶴屋を出て、坊城通に戻ります。


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和菓子匠の鶴屋の前で、坊城通を北に向いています。
では、ここからは坊城通を北上します。


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鶴屋の前から、坊城通を約20m北上しました。
ここで坊城通は、綾小路と交差します。


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坊城通から、綾小路を東に向いています。
右(南)側に、旧前川邸が見えますね。


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坊城通から、綾小路を約10m東に進みました。
こちらから、旧前川邸に入れます。
結成後だんだんと入隊者が増えていった新撰組は、
程なく八木邸が手狭になってきました。
そこで、新撰組は八木邸の東隣のこの前川邸も
屯所として使うようになりました。
新撰組隊士と一緒に生活していた八木家の方々に対して、
前川家の方々は新撰組が現れると、
すぐにこの屋敷を捨てて別の土地に引っ越されました。
そのため、こちらを「旧」前川邸と呼びます。
この旧前川邸は新撰組隊士の居住スペースだったのですが、
古高俊太郎を拷問したり、山南敬助野口健司など、
多くの新撰組隊士が規律違反により切腹させられたりした場所です。
こちらは週末限定で公開されるのですが、
この日(2023年2月2日)は木曜日でしたので、
屋内には入れませんでした。


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旧前川邸門前から、綾小路を東に向いています。
では、ここからはこの綾小路を東に進みます。


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坊城通から、綾小路を約150m東に進みました。
ここで綾小路は、壬生川通と交差します。


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壬生川通から、綾小路を東に向いています。
横断歩道を渡って、壬生川通から綾小路をさらに東進します。


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壬生川通から、綾小路を東に向いています。
壬生川通以東の綾小路沿いに、小さなお寺がたくさん並びます。


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壬生川通から、綾小路を約100m東に進みました。
こちらに、浄土宗上宮院聖徳寺が建っています。
ご本尊の阿弥陀如来像が、聖徳太子作と伝えられています。


921-40.jpg
上宮院聖徳寺から、綾小路を約30m東に進みました。
こちらに、浄土宗知恩院派満月山普照院光縁寺が建っています。
江戸時代末期の住職が山南敬助と友人であったため、
その山南敬助のお墓が立てられました。
以来新撰組隊士のご遺体が次々埋葬され、
墓地の北端に新撰組隊士共用のお墓が立っています。
そのため、多くの方がお参りに来られます。
ただこの日はあちこち回るのに時間がかかり、
この時点で午後4時半を回っていました。
そのため、光縁寺の門は閉ざされていました。
残念ながら中に入れませんので、ここから坊城通に戻ります。
ただもうだいぶ写真を貼り付けたので、
今回はここまでです。

~次回は、元祇園梛神社の節分会に向かいます~



~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
鶴屋鶴寿庵(新撰組壬生屯所)が、起点です。

~追記 その2~
今回ブログ更新に時間がかかってしまった件
コロナ禍になって以来、自分のブログ更新ペースは
だいたい週3回ペースに変わってきていました。
ところが、今回ブログは前回ブログ更新から
約1週間後に更新しました。
まぁ数年前なら普通のペースでしたが、
ここ最近では多少遅れ気味です。
ここ最近週半ばが多少忙しくて週末には余裕があったのですが、
2023年2月18日土曜日と2023年2月19日日曜日は、
数年ぶりに仕事が立て込んでおり、
ブログを執筆する時間を捻出できませんでした。
そのため2023年2月19日日曜日の夜から、
2023年2月20日月曜日早朝に一気に書き上げました。
要するに、ブログ更新ペースが遅くなった言い訳です。

~追記 その3~
センターバックの差です
2023年2月17日金曜日に、J1リーグが開幕しました。
我らが京都サンガも2023年2月18日土曜日に、
京都府亀岡市のサンガスタジアムで鹿島と戦いました。
後半は結構拮抗した展開でしたが、0-2で緒戦を落としました。
先発のFW山崎選手が鹿島の両センターバックに完全に抑え込まれ、
京都のセンターバックがミス連発で失点していたので、
前半はいったい何点取られるかわからない展開でした。
(GK若原選手の好セーブ連発で、難を逃れました)
正直パトリック選手、一美選手、アピアタウィア選手が先発ならば、
勝利は難しくても、引き分けていたと思います。
京都のセンターバックは若手選手が多くて、
一度パニックを引き起こすと致命的なミスを繰り返します。
個人的には、麻田選手の適任は左サイドバックと思います。
また相手クラブからプレッシングを受ける中で
センターバックにパスするのは、かなり危険です。
少々厳しくてもサイドは前へ前へ勝負しないと、
一見安全なバックパスが致命的なミスになります。
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テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

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No title

はじめまして、いつも楽しく拝読しています。
数年前四条大宮に住んでいたころ、ぶらぶらと歩いていて同じように壬生の露店で甘納豆を購入しました。あまりに美味しく、また食べたいなあと思っていたのにその後出会えず、たまに思い出してはどこに売っているんだろう…と。まさかこブログで正体が分かるとは。感謝です。「斗六屋」!今度買いに行ってみます。

Re: No title

あめさん、はじめまして。
コメント、ありがとうございます。

実は2019年の節分に新徳禅寺前を通ったときも、
甘納豆をこちらで購入しました。
ですから、コロナ禍以前からこちらで売られていたようです。
(詳しくは、↓のURL参照)
http://kyoto1966.blog.fc2.com/blog-entry-660.html
たぶん、来年もこちらで販売されるのではないでしょうか?
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ぴのぴな

Author:ぴのぴな
ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
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味わってください。

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いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
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京都市内の今の天気と
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「京都桜100景」
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新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
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バス停や駅の位置以外に、
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「きょうもいろいろ」
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許可をいただいたので、
リンクさせて
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「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

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いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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