第923回 平日の元祇園梛神社~坊城通南から北~その12
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京都駅北側市バスターミナルから26系市バスに乗って、約30分。
こちらは、前回ブログで市バスに乗った「壬生寺道」バス停です。
今回は節分でも訪れた元祇園梛神社と隼神社再びを参拝して、
坊城通を四条通から北上します。
撮影日は、2023年2月16日木曜日午後1時。
数日ぶりに、肌寒い日でした。

「壬生寺道」バス停から、26系市バスが四条通を西に進みます。
26系市バスは西大路まで四条通を西に進んだ後北上し、
右京区花園地区を縦断して、最終的に右京区山越地区に向かいます。

再び「壬生寺道」バス停から、四条通を西に向いています。
約150m先の千本通まで、飲食店が建ち並びます。
(千本通の様子は、第322回ブログ参照)
さらに約100m西に進むと、JR嵯峨野線の高架と交差します。

今度は「壬生寺道」バス停から、四条通を西に向きました。
坊城通の手前に、石製鳥居が見えますね。

本当はもっと後から撮影したのですが、
四条通北側歩道に回ってその石製鳥居を撮りました。
鳥居の左(東)側に「元祇園梛神社」と書かれていますが、
右(西)側には「式台隼神社」と書かれています。

要するに、こちらは元祇園梛神社と隼神社が合祀されています。
前回ブログでは、こちらの節分会を取材しました。
今回は、平日の境内を取材します。

先程の鳥居をくぐり、境内に入ってきました。
節分会が終わると、社務所は通常閉じられています。
ただ近所の方中心に、常に数名の参拝者がいらっしゃいます。

境内の北東を向いています。
こちらに、こちらの末社が並んでいます。

先ずは、こちらの田中社にお参りします。
左京区の田中神社が勧請されたものと思っていたのですが、
どうやら地主神社(土地神様)のようです。

さらに、稲荷社にもお参りします。
こちらのご祭神は、上川稲荷大神のようです。

その稲荷社の前で、境内を西に向いています。
あちらに、隼神社と梛神社の本殿がいらっしゃいます。

先ずは、式台隼神社本殿にお参りします。
ご祭神は、建甕鎚神(たけみかづち)です。
皮膚病の平癒と言うご利益があります。
「式台」と言うことは、平安時代での社格が高かったことを表します。
延喜式にも、この神社の記述があります。
ただ、もともとこの神社は約200m北にいらっしゃました。
そちらには、次回ブログで訪れます。

続いて、元祇園梛神社にお参りします。
節分会の装飾が取り外され、通常モードですね。
ご祭神は、素戔嗚尊です。
祇園祭は平安時代当時の神泉苑最南端(現在の三条会商店街)で、
平安時代初期の863年に開催された祇園御霊会が始まりです。
祇園祭を催す神社はそこからあちこち変遷して、
平安時代半ばには現在の八坂神社に落ち着きました。
こちらの神社は、その間祇園祭を催した神社の一つです。
中世(鎌倉時代・室町時代)は別の位置にいらした祠でしたが、
明治時代初めに現在の位置に移られ、
昭和初期に現在の規模の神社になりました。

元祇園梛神社本殿に背を向け、境内を東に向きました。
ではあちらの鳥居をくぐり
この神社を出て、坊城通に向かいます。

先程の鳥居をくぐり、坊城通を南に向いています。
約20m先に、律宗壬生寺が建っています。
第917回ブログ以来の壬生の節分会も終わり、
露店などは完全に姿を消しています。

今度はその鳥居の前で、坊城通を北に向きました。
目の前で、坊城通は四条通と交差しています。
今回は、こちらを北上します。

鳥居前から坊城通を約10m北上して、四条通にやって来ました。
ここからは、この横断歩道を渡って四条通北側歩道に移ります。

横断歩道を渡って四条通北側歩道に渡り、
坊城通から四条通を東に向いています。
目の前に、京都駅行きの「壬生寺道」バス停が立っています。
前回ブログでは、このバス停から帰宅しました。
ちなみに四条通を約300m東に進むと、
京都市街地屈指の繁華街「四条大宮」交差点です。

四条通から、坊城通を北に向いています。
今回ブログは、このまま坊城通を北上します。

四条通から、坊城通を北上しています。
現在は商店舖が点在するものの、基本的には住宅街です。
ただ市電が京都市街地を走り、JR嵯峨野線が地上を走っていた
1980年ごろまでは三条会商店街以南の坊城通が
壬生寺へと続く参道でした。
その頃は結構な繁華街でしたが、今はその面影も薄いです。

その辺りの坊城通沿いで、右(東)に向いています。
こちらは、材木屋さんですね。
北山(京都市街地より北にそびえる山々)から切り出された木材は、
(主に北山杉を指しています)
1980年以前はいったんこの辺りに集積され、
JR「二条」駅から貨物列車で日本全国に売られていきました。
ですから当時は約150m西の千本通を中心に、
この辺りには大小の材木商が何軒も建ち並んでいました。
ところが1990年以降は北山杉が輸入材に圧されて、
集材所が縮小してJR嵯峨野線が高架に替わると、
バブル経済が崩壊したこととこの辺りが再開発されたことも加わり、
だんだんこの辺りが住宅街へと変わり、
材木商もどんどん数を減らしていきました。
(その辺の詳細は、第323回ブログ参照)

その材木商の前から、坊城通を北に向いています。
時折飲食店の看板を目にしますが、
その大半がもう閉められています。
こういうところが、「元繁華街」の名残ですね。

四条通から、坊城通を約100m北上しました。
ここから、左(西)へ錦小路が伸びています。

坊城通と錦小路の角に、錦坊城児童公園が広がります。
公衆トイレの手前に京都市の掲示板があり、
その手前が町内のゴミ捨て場です。
おそらくですが、この公園は町内の避難所であり
年に1回地蔵盆が開催れる場所です。
要するに、この公園は町内の集会所としても機能しています。
ちなみに目の前の鳥居は、立小便除けのまじないです。

坊城通から、錦小路を西に向いています。
このブログ掲載の「錦小路編」は、
約150m東の壬生川通までしか掲載していません。
(第609回ブログ参照)
ただ、この錦小路は千本通を越えて
ここから約300m先のJR嵯峨野線の高架で突き当たります。
あまりにも短いので、ここまで掲載を控えていました。

坊城通から錦小路を約10m西に進み、北を向きました。
では、ここから錦坊城児童公園に入ります。

錦坊城児童公園に入ってきました。
そういえば、坊城通は児童公園が多いですね。
午後1時過ぎですから、まだ小学校は終わっていません。
小学生がいないので、児童公園が撮り放題です。
(自分は児童公園の撮影が好きなのですが、
通常は小学生が写り込むのが良くないので、遠慮しています)
遊具はこの奥(西側)だけなので、広い印象があります。

錦坊城児童公園で、東を向いています。
向こう(東側)に見える出口は、坊城通沿いです。
ですから、あちらから児童公園を出ます。

錦坊城児童公園の東側で、坊城通から北を向いています。
この先に式台隼神社の跡地がありますが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。
~次回は、式台隼神社の跡地に向かいます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
錦坊城児童公園が、起点です。
~追記 その2~
次回のタイトルに迷っています
次回ブログはこのまま坊城通を北上して、
蛸薬師通経由で後院通との交差点まで進む予定ですが、
その途中にいろいろな見どころがあります。
蛸薬師通との交差点に式台隼神社の跡地がありますが、
今回ブログの約30m北にノルウェー式のパン屋さんがあったり、
様々なタイトルを獲った和菓子匠がいらしたりします。
隼神社重視のタイトルでもいいのですが、
パンや和菓子をメインにしたタイトルでも面白いので、
自分の頭の中では次回ブログのタイトルがまだ未定です。
~追記 その3~
写真が混線していました
2023年2月26日に、自分のプログラミングミスで
前回922回ブログと今回ブログの写真が混じり合っていました。
実はこの下を書こうとして、写真のPC言語をミスしてしまいました。
現在は、完全に直っています。
どうも、すみません
~追記 その4~
柿タルトを作ろう その3

前項のミスは、この上の写真のプログラミングミスが原因でした。
こちらは、JR西日本京都伊勢丹地下2Fに入っている
「富澤商店」というお菓子原料や輸入食材の販売店で買いました。
カスタードパウダーはカスタードクリームの原料ですが、
自分はシュークリームではなく、タルト生地の着色に使います。
実際使うのは少量ですが、タルト作りには必要な食材です。
ただ、ここ最近手に入れるのが困難になって、
先日やっと伊勢丹で見つけました。
伊勢丹にある富澤商店は、自分が使う中華食材や菓子材料が
たくさん置いてあります。
そのおかげで、第917回ブログ以来のタルト作りが進みます。

今回は、タルト生地を作ります。
実は、ほとんどクッキー生地と同じものです。
先ずは、有塩バターを80gボールに入れます。
続いて、砂糖200gを混ぜ合わせます。
最初はバターがとても固いのですが、
混ぜているうちにバターに空気が入り滑らかになります。
要するに、手に抵抗感がなくなるまでかき混ぜます。

さらに、カスタードパウダー20g入れます。
こちらは量が少ないので、すぐに混ざります。

最後に、小麦粉200gをボールに入れます。
そして、こちらを混ぜていきます。

混ぜる目安は、ボールにバターが付かない程度です。
もし小麦粉が少なくてバターがボールに付くなら、
分量がズレますが小麦粉を足すのも可能です。

これらがすべて混ざったら、記事をラップで包みます。
そして、こちらを冷蔵庫で数日寝かします。
~追記 その5~
早速ですが、降格圏です
2023年2月25日土曜日に、J1リーグ第2節が開催されました。
我らが京都は名古屋市の瑞穂陸上競技場で
名古屋グランパスエイトと対戦して、0-1で敗戦しました。
スコアから見て実力通りと言えばそうなのですが、
何とか引き分けに持ち込みたかったですね。
これで京都は2戦全敗勝ち点0の15位です。
早速降格圏に入って、もう下位は浦和しかいません……
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京都駅北側市バスターミナルから26系市バスに乗って、約30分。
こちらは、前回ブログで市バスに乗った「壬生寺道」バス停です。
今回は節分でも訪れた元祇園梛神社と隼神社再びを参拝して、
坊城通を四条通から北上します。
撮影日は、2023年2月16日木曜日午後1時。
数日ぶりに、肌寒い日でした。

「壬生寺道」バス停から、26系市バスが四条通を西に進みます。
26系市バスは西大路まで四条通を西に進んだ後北上し、
右京区花園地区を縦断して、最終的に右京区山越地区に向かいます。

再び「壬生寺道」バス停から、四条通を西に向いています。
約150m先の千本通まで、飲食店が建ち並びます。
(千本通の様子は、第322回ブログ参照)
さらに約100m西に進むと、JR嵯峨野線の高架と交差します。

今度は「壬生寺道」バス停から、四条通を西に向きました。
坊城通の手前に、石製鳥居が見えますね。

本当はもっと後から撮影したのですが、
四条通北側歩道に回ってその石製鳥居を撮りました。
鳥居の左(東)側に「元祇園梛神社」と書かれていますが、
右(西)側には「式台隼神社」と書かれています。

要するに、こちらは元祇園梛神社と隼神社が合祀されています。
前回ブログでは、こちらの節分会を取材しました。
今回は、平日の境内を取材します。

先程の鳥居をくぐり、境内に入ってきました。
節分会が終わると、社務所は通常閉じられています。
ただ近所の方中心に、常に数名の参拝者がいらっしゃいます。

境内の北東を向いています。
こちらに、こちらの末社が並んでいます。

先ずは、こちらの田中社にお参りします。
左京区の田中神社が勧請されたものと思っていたのですが、
どうやら地主神社(土地神様)のようです。

さらに、稲荷社にもお参りします。
こちらのご祭神は、上川稲荷大神のようです。

その稲荷社の前で、境内を西に向いています。
あちらに、隼神社と梛神社の本殿がいらっしゃいます。

先ずは、式台隼神社本殿にお参りします。
ご祭神は、建甕鎚神(たけみかづち)です。
皮膚病の平癒と言うご利益があります。
「式台」と言うことは、平安時代での社格が高かったことを表します。
延喜式にも、この神社の記述があります。
ただ、もともとこの神社は約200m北にいらっしゃました。
そちらには、次回ブログで訪れます。

続いて、元祇園梛神社にお参りします。
節分会の装飾が取り外され、通常モードですね。
ご祭神は、素戔嗚尊です。
祇園祭は平安時代当時の神泉苑最南端(現在の三条会商店街)で、
平安時代初期の863年に開催された祇園御霊会が始まりです。
祇園祭を催す神社はそこからあちこち変遷して、
平安時代半ばには現在の八坂神社に落ち着きました。
こちらの神社は、その間祇園祭を催した神社の一つです。
中世(鎌倉時代・室町時代)は別の位置にいらした祠でしたが、
明治時代初めに現在の位置に移られ、
昭和初期に現在の規模の神社になりました。

元祇園梛神社本殿に背を向け、境内を東に向きました。
ではあちらの鳥居をくぐり
この神社を出て、坊城通に向かいます。

先程の鳥居をくぐり、坊城通を南に向いています。
約20m先に、律宗壬生寺が建っています。
第917回ブログ以来の壬生の節分会も終わり、
露店などは完全に姿を消しています。

今度はその鳥居の前で、坊城通を北に向きました。
目の前で、坊城通は四条通と交差しています。
今回は、こちらを北上します。

鳥居前から坊城通を約10m北上して、四条通にやって来ました。
ここからは、この横断歩道を渡って四条通北側歩道に移ります。

横断歩道を渡って四条通北側歩道に渡り、
坊城通から四条通を東に向いています。
目の前に、京都駅行きの「壬生寺道」バス停が立っています。
前回ブログでは、このバス停から帰宅しました。
ちなみに四条通を約300m東に進むと、
京都市街地屈指の繁華街「四条大宮」交差点です。

四条通から、坊城通を北に向いています。
今回ブログは、このまま坊城通を北上します。

四条通から、坊城通を北上しています。
現在は商店舖が点在するものの、基本的には住宅街です。
ただ市電が京都市街地を走り、JR嵯峨野線が地上を走っていた
1980年ごろまでは三条会商店街以南の坊城通が
壬生寺へと続く参道でした。
その頃は結構な繁華街でしたが、今はその面影も薄いです。

その辺りの坊城通沿いで、右(東)に向いています。
こちらは、材木屋さんですね。
北山(京都市街地より北にそびえる山々)から切り出された木材は、
(主に北山杉を指しています)
1980年以前はいったんこの辺りに集積され、
JR「二条」駅から貨物列車で日本全国に売られていきました。
ですから当時は約150m西の千本通を中心に、
この辺りには大小の材木商が何軒も建ち並んでいました。
ところが1990年以降は北山杉が輸入材に圧されて、
集材所が縮小してJR嵯峨野線が高架に替わると、
バブル経済が崩壊したこととこの辺りが再開発されたことも加わり、
だんだんこの辺りが住宅街へと変わり、
材木商もどんどん数を減らしていきました。
(その辺の詳細は、第323回ブログ参照)

その材木商の前から、坊城通を北に向いています。
時折飲食店の看板を目にしますが、
その大半がもう閉められています。
こういうところが、「元繁華街」の名残ですね。

四条通から、坊城通を約100m北上しました。
ここから、左(西)へ錦小路が伸びています。

坊城通と錦小路の角に、錦坊城児童公園が広がります。
公衆トイレの手前に京都市の掲示板があり、
その手前が町内のゴミ捨て場です。
おそらくですが、この公園は町内の避難所であり
年に1回地蔵盆が開催れる場所です。
要するに、この公園は町内の集会所としても機能しています。
ちなみに目の前の鳥居は、立小便除けのまじないです。

坊城通から、錦小路を西に向いています。
このブログ掲載の「錦小路編」は、
約150m東の壬生川通までしか掲載していません。
(第609回ブログ参照)
ただ、この錦小路は千本通を越えて
ここから約300m先のJR嵯峨野線の高架で突き当たります。
あまりにも短いので、ここまで掲載を控えていました。

坊城通から錦小路を約10m西に進み、北を向きました。
では、ここから錦坊城児童公園に入ります。

錦坊城児童公園に入ってきました。
そういえば、坊城通は児童公園が多いですね。
午後1時過ぎですから、まだ小学校は終わっていません。
小学生がいないので、児童公園が撮り放題です。
(自分は児童公園の撮影が好きなのですが、
通常は小学生が写り込むのが良くないので、遠慮しています)
遊具はこの奥(西側)だけなので、広い印象があります。

錦坊城児童公園で、東を向いています。
向こう(東側)に見える出口は、坊城通沿いです。
ですから、あちらから児童公園を出ます。

錦坊城児童公園の東側で、坊城通から北を向いています。
この先に式台隼神社の跡地がありますが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。
~次回は、式台隼神社の跡地に向かいます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
錦坊城児童公園が、起点です。
~追記 その2~
次回のタイトルに迷っています
次回ブログはこのまま坊城通を北上して、
蛸薬師通経由で後院通との交差点まで進む予定ですが、
その途中にいろいろな見どころがあります。
蛸薬師通との交差点に式台隼神社の跡地がありますが、
今回ブログの約30m北にノルウェー式のパン屋さんがあったり、
様々なタイトルを獲った和菓子匠がいらしたりします。
隼神社重視のタイトルでもいいのですが、
パンや和菓子をメインにしたタイトルでも面白いので、
自分の頭の中では次回ブログのタイトルがまだ未定です。
~追記 その3~
写真が混線していました
2023年2月26日に、自分のプログラミングミスで
前回922回ブログと今回ブログの写真が混じり合っていました。
実はこの下を書こうとして、写真のPC言語をミスしてしまいました。
現在は、完全に直っています。
どうも、すみません
~追記 その4~
柿タルトを作ろう その3

前項のミスは、この上の写真のプログラミングミスが原因でした。
こちらは、JR西日本京都伊勢丹地下2Fに入っている
「富澤商店」というお菓子原料や輸入食材の販売店で買いました。
カスタードパウダーはカスタードクリームの原料ですが、
自分はシュークリームではなく、タルト生地の着色に使います。
実際使うのは少量ですが、タルト作りには必要な食材です。
ただ、ここ最近手に入れるのが困難になって、
先日やっと伊勢丹で見つけました。
伊勢丹にある富澤商店は、自分が使う中華食材や菓子材料が
たくさん置いてあります。
そのおかげで、第917回ブログ以来のタルト作りが進みます。

今回は、タルト生地を作ります。
実は、ほとんどクッキー生地と同じものです。
先ずは、有塩バターを80gボールに入れます。
続いて、砂糖200gを混ぜ合わせます。
最初はバターがとても固いのですが、
混ぜているうちにバターに空気が入り滑らかになります。
要するに、手に抵抗感がなくなるまでかき混ぜます。

さらに、カスタードパウダー20g入れます。
こちらは量が少ないので、すぐに混ざります。

最後に、小麦粉200gをボールに入れます。
そして、こちらを混ぜていきます。

混ぜる目安は、ボールにバターが付かない程度です。
もし小麦粉が少なくてバターがボールに付くなら、
分量がズレますが小麦粉を足すのも可能です。

これらがすべて混ざったら、記事をラップで包みます。
そして、こちらを冷蔵庫で数日寝かします。
~追記 その5~
早速ですが、降格圏です
2023年2月25日土曜日に、J1リーグ第2節が開催されました。
我らが京都は名古屋市の瑞穂陸上競技場で
名古屋グランパスエイトと対戦して、0-1で敗戦しました。
スコアから見て実力通りと言えばそうなのですが、
何とか引き分けに持ち込みたかったですね。
これで京都は2戦全敗勝ち点0の15位です。
早速降格圏に入って、もう下位は浦和しかいません……
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