第936回 一条戻り橋 清明神社~堀川桜散策~その10
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前回ブログで取材した中立売通に架かる堀川第一橋を背後(南)に、
堀川の畔を北に向いています。
堀川両岸の桜並木が満開で日差しが快いので休憩したいですが、
この先があるのでそうもいきません。
今回は約100m北に見える一条戻り橋を取材して、
近くの清明神社に参拝します。
どちらも、安倍晴明関連施設ですね。
撮影日は、2023年3月27日午後3時15分。
夕方には時間がありますが、そろそろ日が傾いてきました。

堀川第一橋から、堀川の畔を約100m北上しました。
ここで堀川は、一条通に架かる一条戻り橋と交差します。
「一条戻り橋」は、単に「戻橋」とも呼ばれています。
ちなみに目の前の表札は、「戻橋」と書かれています。
こちらの橋は1995年に完成したものですが、
この位置には794年に平安京が遷都されたときから橋があります。
つまり、平安時代からここに一条戻り橋は存在しました。
……とはいえこの一条戻り橋を有名にしているのは、
様々な伝説に関連してでしょう。
渡辺綱が茨木童子という鬼と戦った話も有名ですが、
(謡曲では羅城門が舞台ですが、
もともとの伝説の舞台は一条戻り橋です)
とくに有名なのは安倍晴明がこの橋の下に十二神将を住まわせ、
用途に合わせて使役したというものです。
これは、この近くに安倍晴明の自宅があったから生まれた伝説です。
その安倍晴明の邸宅跡には、後で訪れます。

一条戻り橋の下を南側から北側に眺めています。
ここから、急に堀川の川幅が狭くなります。
だいぶ歩きにくそうですが、
実は「堀川桜散策編」ではこの先には進みません。
次回ブログでは、もう少し北側から堀川の畔に下ります。

一条戻り橋の下で、堀川東岸を見ています。
こちらに、上に上がれる石段があります。

こちらが、その石段です。
では、こちらを上がっていきます。

石段を上がってきました。
その石段の先が、「一条東堀川」交差点です。

一条通から、東堀川通を北に向いています。
一条通以北の東堀川通の桜並木は、大半が満開でした。

今度は東堀川通から、一条通を東に向きました。
約700m先で一条通は、烏丸通と交差します。
その位置に、虎屋一条店と京都御苑の乾御門があります。

さらに東堀川通から、一条通を西に向いています。
では、ここから一条戻り橋を渡ります。

一条戻り橋を渡りながら、北を向いています。
一条戻り橋西詰の桜の木も、満開でした。

一条戻り橋を西に渡り、一条通を堀川通を南に向きました。
この満開の桜並木は、前回ブログの終盤に出てきました。

今度は堀川通から、一条通を西に向いています。
堀川通は、京都市街地でいちばん広い道の一つです。
ここからは、この堀川通を西に渡ります。

堀川通西側歩道に移動して、一条通を西に向いています。
約1㎞先が、第350回ブログの付近です。
北野天満宮の参道ですね。
ところが、ここで自分は道に迷ってしまいました。
以前この後の目的地(安倍晴明邸宅跡)に向かったとき、
堀川通沿いでなかったような記憶があって、
それで一条通をだいぶ西に移動してしまいました。
約30分迷って近所の方々に道を尋ねて、
また堀川通に戻ってきました。

結局一条通から、堀川通を北に向いています。
この時点で、2023年3月27日月曜日午後4時です。
そろそろ夕方と言ってもよい時間帯です。

一条通から、堀川通を約100m北上しました。
ここに、清明神社への標識があります。
先述の安倍晴明邸宅跡が、この清明神社です。
……できれば、この標識が一条通にも欲しかったです。
(自分は、京都市内のすべての神社仏閣に
精通しているわけではありません。
この清明神社にはあまり訪れたことがなかったので、
所在地が曖昧になっていました)

先程の位置から、堀川通を約100m北上しました。
この先に、五芒星形の旗が見えます。
五芒星形は、安倍晴明を擁する安倍家の家紋です。
そして、清明神社の神紋でもあります。

堀川通から、その五芒星形の旗の辺りを西に向きました。
こちらが、清明神社の一の鳥居です。
鳥居の扁額にも、文字ではなく五芒星形ですね。

清明神社の一の鳥居をくぐり、清明神社の境内に入ってきました。
こちらに、大昔の一条戻り橋の模型があります。

清明神社一の鳥居の北側に、桜の木が立っています。
確かこちらは河津桜だったような気がするのですが、
この日(2023年3月27日月曜日)満開でした。

この桜は数本並んでいて、結構絶景でした。
この桜並木を愛でつつ、境内の奥(西)に入っていきます。

その桜並木を散策しつつ、清明神社境内を西に進んでいます。
この先(西)に清明神社二の鳥居が見えますが、
その手前に「桔梗庵」というお店があるようです。

こちらが、その「桔梗庵」です。
要するに、清明神社の売店です。(社務所ではありません)
安倍晴明関連グッズが、売られていました。

清明神社一の鳥居と二の鳥居の間に、
葭屋町通(あしやまちどおり)という小路が南北に伸びています。
この小路のイメージが、自分が道に迷った一因でした。

その葭屋町通から、清明神社境内を西に向いています。
こちらに、安倍晴明がかつて居住していました。
平安時代に陰陽師として、大成した人物です。
かつての邸宅が神社化したのは、荷田春満など数多いですね。
(東丸神社の様子は、第178回ブログ参照)

清明神社二の鳥居をくぐり、右(北)側を向いています。
こちらが、清明神社の手水舎です。
先ずはこちらで、手指を清めます。

こちらは、清明神社の手水舎の中です。
水に、桔梗の花が浮かんでいます。
これはこれは、見事な花手水ですね。

清明神社手水舎の右(東)側に、清明井という井戸があります。
社伝では、安倍晴明が念力で湧き出させた井戸だということです。
この井戸水を飲むと、病気平癒のご利益があるそうです。
なお上部の五芒星形は、毎年立春に方位を変えます。

清明神社手水舎を背後に、境内を南に向いています。
こちらが、清明神社絵馬舎と授与所です。
奉納された絵馬が、絵馬舎に収められています。
お守りやお札、御朱印などは、授与所で求められます。

清明神社授与所から、清明神社境内を西に向いています。
この奥(西)に、清明神社本殿がいらっしゃいます。

清明神社境内の北西端に、こちらのクスノキが立っています。
かなり大きいので、写真に入り切りません。
こちらが、この神社の御神木です。

清明神社の奥(西側)に、本殿と末社が並びます。
その中間に、桃の銅像が置かれています。
そして、その右(北)側が斎稲荷社(いつきいなりしゃ)です。
清明神社の末社ですね。
先ずは、こちらにお参りします。

そして斎稲荷社の左(南)側が、清明神社本殿です。
ご祭神は、平安時代の陰陽師である安倍晴明です。
現在の陰陽師のイメージは日本版の魔法使いですが、
実在の陰陽師は朝廷の役職です。
星占いなどを行い、様々なことの日程を決めます。
(要するに、縁起の良い日付や場所の割り出し)
まぁ後に加持祈祷などを行う人々を指すようにもなりますが……

清明神社本殿に背を向け、境内を東に向いています。
清明神社境内を一通り散策しましたので、
向こう(東側)に見える清明神社二の鳥居に向かいます。

清明神社二の鳥居まで辿り着きました。
ここで、清明神社境内を葭屋町通が南北に貫いています。

清明神社二の鳥居前から、葭屋町通を北に向きました。
葭屋町通は、約50m先の元誓願寺通で突き当たります。

今度は清明神社二の鳥居前から、葭屋町通を南に向きました。
約200m先の一条通付近で、約30分道に迷ってしまいました。

清明神社二の鳥居をくぐり、清明神社境内を東に向きました。
ではこのまま東に進み、清明神社一の鳥居を目指します。

清明神社二の鳥居と一の鳥居の間に、こちらが立っていました。
先程こちらに気づきませんでしたが、日柱です。
要するに、日輪を表しています。

日柱の対を為すように、向かい(北)側に月柱が立っています。
こちらは、月を表しています。
1904年が安倍晴明生誕900年で、
そちらを記念してこれらが立てられたようです。

清明神社一の鳥居に、戻ってきました。
ここから清明神社を出て、堀川通から堀川沿いに戻ります。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。
~時間は堀川に戻り、最北端の今出川通を目指します~
~追記 その1~
この辺りの写真を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
清明神社が、起点です。
~追記 その2~
一美選手は、落ち着きましょう
2023年4月23日日曜日に、J1リーグ第9節が行われました。
我らが京都サンガも京都府亀岡市のサンガスタジアムで、
サガン鳥栖と対戦しました。
前節死闘を制した京都サンガでしたが、
今節は豊川選手のゴールで先制したものの、
前半終了間際に失点を繰り返し
終盤の反撃も追いつけず、結局2-3で敗戦しました。
これで京都は、4勝0分け5敗勝ち点12の9位です。
下位クラブが最後まで沈んでくれたら
京都のJ1リーグ残留も安泰ですが、
たぶんここから波乱が起こるでしょう。
昨年の今頃の京都は、J1リーグで5位でした。
一見今年より強そうでしたが、
エースのウタカ選手以外はほとんどゴールを決めていませんでした。
それがシーズン終盤にウタカ選手の不調から得点しなくなると、
1桁順位から一気にJ2リーグ降格圏に突入しました。
実際豊川選手がいなければ、京都は降格していたでしょう。
それを考えると、昨年より順位が下でも
今年の京都は9節現在パトリック選手4点、木下選手3点、
豊川選手2点と結構分散して点が取れています。
たぶん昨年終盤に見られた大失速からは、逃れられそうです。
ただそうなると、気になるのは一美選手です。
数年前の活躍(当時京都は、J2リーグでしたが)から
ご自身も京都サポーターも、もっと活躍すると思っていたでしょう。
どうも一美選手は、ここ数試合焦っておられるように見えます。
今節も前半にオウンゴールをした上に、
後半早々に危険なタックルで退場されました。
昨シーズンエースストライカーのウタカ選手は、
7月ごろまで得点王争いをされていましたが、
シーズンの後半は1点も取っておられませんでした。
京都サンガもその辺りから勝てなくなり、
シーズン終盤は勝ち点10取るのに、3か月かかりました。
(シーズン前半で、京都は勝ち点20以上取っていました)
もしその時期に別のFWが活躍されていたら、
京都はもっと早くJ1リーグ残留を決めていました。
今シーズンも今活躍されている選手が、
後半も活躍される保証はありません。
ですから一美選手が今現在ゴールを取れなくても、
シーズンの後半に一美選手を頼る場面が必ず来ます。
そこでのゴールは、1年を通して活躍されたことと
同じだけの価値があります。
ですから、一美選手が腐ったり
モチベーションを下げる必要はありません。
2023年J1リーグ第9節は散々でしたが、
その分はもっと後の試合でゴールすれば、
(そこで残留やリーグの上位進出を決定づければ)
それで一美選手の1年は大成功となるでしょう。
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前回ブログで取材した中立売通に架かる堀川第一橋を背後(南)に、
堀川の畔を北に向いています。
堀川両岸の桜並木が満開で日差しが快いので休憩したいですが、
この先があるのでそうもいきません。
今回は約100m北に見える一条戻り橋を取材して、
近くの清明神社に参拝します。
どちらも、安倍晴明関連施設ですね。
撮影日は、2023年3月27日午後3時15分。
夕方には時間がありますが、そろそろ日が傾いてきました。

堀川第一橋から、堀川の畔を約100m北上しました。
ここで堀川は、一条通に架かる一条戻り橋と交差します。
「一条戻り橋」は、単に「戻橋」とも呼ばれています。
ちなみに目の前の表札は、「戻橋」と書かれています。
こちらの橋は1995年に完成したものですが、
この位置には794年に平安京が遷都されたときから橋があります。
つまり、平安時代からここに一条戻り橋は存在しました。
……とはいえこの一条戻り橋を有名にしているのは、
様々な伝説に関連してでしょう。
渡辺綱が茨木童子という鬼と戦った話も有名ですが、
(謡曲では羅城門が舞台ですが、
もともとの伝説の舞台は一条戻り橋です)
とくに有名なのは安倍晴明がこの橋の下に十二神将を住まわせ、
用途に合わせて使役したというものです。
これは、この近くに安倍晴明の自宅があったから生まれた伝説です。
その安倍晴明の邸宅跡には、後で訪れます。

一条戻り橋の下を南側から北側に眺めています。
ここから、急に堀川の川幅が狭くなります。
だいぶ歩きにくそうですが、
実は「堀川桜散策編」ではこの先には進みません。
次回ブログでは、もう少し北側から堀川の畔に下ります。

一条戻り橋の下で、堀川東岸を見ています。
こちらに、上に上がれる石段があります。

こちらが、その石段です。
では、こちらを上がっていきます。

石段を上がってきました。
その石段の先が、「一条東堀川」交差点です。

一条通から、東堀川通を北に向いています。
一条通以北の東堀川通の桜並木は、大半が満開でした。

今度は東堀川通から、一条通を東に向きました。
約700m先で一条通は、烏丸通と交差します。
その位置に、虎屋一条店と京都御苑の乾御門があります。

さらに東堀川通から、一条通を西に向いています。
では、ここから一条戻り橋を渡ります。

一条戻り橋を渡りながら、北を向いています。
一条戻り橋西詰の桜の木も、満開でした。

一条戻り橋を西に渡り、一条通を堀川通を南に向きました。
この満開の桜並木は、前回ブログの終盤に出てきました。

今度は堀川通から、一条通を西に向いています。
堀川通は、京都市街地でいちばん広い道の一つです。
ここからは、この堀川通を西に渡ります。

堀川通西側歩道に移動して、一条通を西に向いています。
約1㎞先が、第350回ブログの付近です。
北野天満宮の参道ですね。
ところが、ここで自分は道に迷ってしまいました。
以前この後の目的地(安倍晴明邸宅跡)に向かったとき、
堀川通沿いでなかったような記憶があって、
それで一条通をだいぶ西に移動してしまいました。
約30分迷って近所の方々に道を尋ねて、
また堀川通に戻ってきました。

結局一条通から、堀川通を北に向いています。
この時点で、2023年3月27日月曜日午後4時です。
そろそろ夕方と言ってもよい時間帯です。

一条通から、堀川通を約100m北上しました。
ここに、清明神社への標識があります。
先述の安倍晴明邸宅跡が、この清明神社です。
……できれば、この標識が一条通にも欲しかったです。
(自分は、京都市内のすべての神社仏閣に
精通しているわけではありません。
この清明神社にはあまり訪れたことがなかったので、
所在地が曖昧になっていました)

先程の位置から、堀川通を約100m北上しました。
この先に、五芒星形の旗が見えます。
五芒星形は、安倍晴明を擁する安倍家の家紋です。
そして、清明神社の神紋でもあります。

堀川通から、その五芒星形の旗の辺りを西に向きました。
こちらが、清明神社の一の鳥居です。
鳥居の扁額にも、文字ではなく五芒星形ですね。

清明神社の一の鳥居をくぐり、清明神社の境内に入ってきました。
こちらに、大昔の一条戻り橋の模型があります。

清明神社一の鳥居の北側に、桜の木が立っています。
確かこちらは河津桜だったような気がするのですが、
この日(2023年3月27日月曜日)満開でした。

この桜は数本並んでいて、結構絶景でした。
この桜並木を愛でつつ、境内の奥(西)に入っていきます。

その桜並木を散策しつつ、清明神社境内を西に進んでいます。
この先(西)に清明神社二の鳥居が見えますが、
その手前に「桔梗庵」というお店があるようです。

こちらが、その「桔梗庵」です。
要するに、清明神社の売店です。(社務所ではありません)
安倍晴明関連グッズが、売られていました。

清明神社一の鳥居と二の鳥居の間に、
葭屋町通(あしやまちどおり)という小路が南北に伸びています。
この小路のイメージが、自分が道に迷った一因でした。

その葭屋町通から、清明神社境内を西に向いています。
こちらに、安倍晴明がかつて居住していました。
平安時代に陰陽師として、大成した人物です。
かつての邸宅が神社化したのは、荷田春満など数多いですね。
(東丸神社の様子は、第178回ブログ参照)

清明神社二の鳥居をくぐり、右(北)側を向いています。
こちらが、清明神社の手水舎です。
先ずはこちらで、手指を清めます。

こちらは、清明神社の手水舎の中です。
水に、桔梗の花が浮かんでいます。
これはこれは、見事な花手水ですね。

清明神社手水舎の右(東)側に、清明井という井戸があります。
社伝では、安倍晴明が念力で湧き出させた井戸だということです。
この井戸水を飲むと、病気平癒のご利益があるそうです。
なお上部の五芒星形は、毎年立春に方位を変えます。

清明神社手水舎を背後に、境内を南に向いています。
こちらが、清明神社絵馬舎と授与所です。
奉納された絵馬が、絵馬舎に収められています。
お守りやお札、御朱印などは、授与所で求められます。

清明神社授与所から、清明神社境内を西に向いています。
この奥(西)に、清明神社本殿がいらっしゃいます。

清明神社境内の北西端に、こちらのクスノキが立っています。
かなり大きいので、写真に入り切りません。
こちらが、この神社の御神木です。

清明神社の奥(西側)に、本殿と末社が並びます。
その中間に、桃の銅像が置かれています。
そして、その右(北)側が斎稲荷社(いつきいなりしゃ)です。
清明神社の末社ですね。
先ずは、こちらにお参りします。

そして斎稲荷社の左(南)側が、清明神社本殿です。
ご祭神は、平安時代の陰陽師である安倍晴明です。
現在の陰陽師のイメージは日本版の魔法使いですが、
実在の陰陽師は朝廷の役職です。
星占いなどを行い、様々なことの日程を決めます。
(要するに、縁起の良い日付や場所の割り出し)
まぁ後に加持祈祷などを行う人々を指すようにもなりますが……

清明神社本殿に背を向け、境内を東に向いています。
清明神社境内を一通り散策しましたので、
向こう(東側)に見える清明神社二の鳥居に向かいます。

清明神社二の鳥居まで辿り着きました。
ここで、清明神社境内を葭屋町通が南北に貫いています。

清明神社二の鳥居前から、葭屋町通を北に向きました。
葭屋町通は、約50m先の元誓願寺通で突き当たります。

今度は清明神社二の鳥居前から、葭屋町通を南に向きました。
約200m先の一条通付近で、約30分道に迷ってしまいました。

清明神社二の鳥居をくぐり、清明神社境内を東に向きました。
ではこのまま東に進み、清明神社一の鳥居を目指します。

清明神社二の鳥居と一の鳥居の間に、こちらが立っていました。
先程こちらに気づきませんでしたが、日柱です。
要するに、日輪を表しています。

日柱の対を為すように、向かい(北)側に月柱が立っています。
こちらは、月を表しています。
1904年が安倍晴明生誕900年で、
そちらを記念してこれらが立てられたようです。

清明神社一の鳥居に、戻ってきました。
ここから清明神社を出て、堀川通から堀川沿いに戻ります。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。
~時間は堀川に戻り、最北端の今出川通を目指します~
~追記 その1~
この辺りの写真を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
清明神社が、起点です。
~追記 その2~
一美選手は、落ち着きましょう
2023年4月23日日曜日に、J1リーグ第9節が行われました。
我らが京都サンガも京都府亀岡市のサンガスタジアムで、
サガン鳥栖と対戦しました。
前節死闘を制した京都サンガでしたが、
今節は豊川選手のゴールで先制したものの、
前半終了間際に失点を繰り返し
終盤の反撃も追いつけず、結局2-3で敗戦しました。
これで京都は、4勝0分け5敗勝ち点12の9位です。
下位クラブが最後まで沈んでくれたら
京都のJ1リーグ残留も安泰ですが、
たぶんここから波乱が起こるでしょう。
昨年の今頃の京都は、J1リーグで5位でした。
一見今年より強そうでしたが、
エースのウタカ選手以外はほとんどゴールを決めていませんでした。
それがシーズン終盤にウタカ選手の不調から得点しなくなると、
1桁順位から一気にJ2リーグ降格圏に突入しました。
実際豊川選手がいなければ、京都は降格していたでしょう。
それを考えると、昨年より順位が下でも
今年の京都は9節現在パトリック選手4点、木下選手3点、
豊川選手2点と結構分散して点が取れています。
たぶん昨年終盤に見られた大失速からは、逃れられそうです。
ただそうなると、気になるのは一美選手です。
数年前の活躍(当時京都は、J2リーグでしたが)から
ご自身も京都サポーターも、もっと活躍すると思っていたでしょう。
どうも一美選手は、ここ数試合焦っておられるように見えます。
今節も前半にオウンゴールをした上に、
後半早々に危険なタックルで退場されました。
昨シーズンエースストライカーのウタカ選手は、
7月ごろまで得点王争いをされていましたが、
シーズンの後半は1点も取っておられませんでした。
京都サンガもその辺りから勝てなくなり、
シーズン終盤は勝ち点10取るのに、3か月かかりました。
(シーズン前半で、京都は勝ち点20以上取っていました)
もしその時期に別のFWが活躍されていたら、
京都はもっと早くJ1リーグ残留を決めていました。
今シーズンも今活躍されている選手が、
後半も活躍される保証はありません。
ですから一美選手が今現在ゴールを取れなくても、
シーズンの後半に一美選手を頼る場面が必ず来ます。
そこでのゴールは、1年を通して活躍されたことと
同じだけの価値があります。
ですから、一美選手が腐ったり
モチベーションを下げる必要はありません。
2023年J1リーグ第9節は散々でしたが、
その分はもっと後の試合でゴールすれば、
(そこで残留やリーグの上位進出を決定づければ)
それで一美選手の1年は大成功となるでしょう。
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