第940回 インクラインの桜 後編~蹴上岡崎桜散策~その2
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前回ブログで市営地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口から、
その「蹴上」駅1番出口の真上まで来ました。
この辺りは急な山道ですから、明治時代から昭和時代前半は
琵琶湖疎水で運行された運搬用小舟をケーブルで運んでいました。
その方式を「インクライン」というのですが、
この蹴上のインクラインは両側の桜並木で
毎年春と秋には多くの観光客を集めます。
前回ブログで蹴上インクラインの南東端から約200m進みましたが、
今回は約400m先の蹴上インクライン北西端まで進みます。
撮影日は、2023年3月30日木曜日午後2時半。
快晴の行楽日和でした。

この日(2023年3月30日)は、蹴上周辺の桜が満開でした。
そのため、多くの方々がいらっしゃいました。
尤も2018年ごろと比べると、まだまだ8割くらいです。
(当時のブログは、ありません。人が多すぎて、撮影自体諦めました)
海外からの観光客も多いですが、
日本人の大半は5人前後でいらしていて、
その多くがグループで記念撮影をされていました。

インクラインに沿って、左(東)側に三条通が伸びています。
満開の桜の枝に隠れていますが、
よく見ると三条通側にレンガ製の構造物が見えます。
この構造物は、インクラインの真下を通れるトンネルの入り口です。
「ねじりまんぽ」という通称を持つレンガ製のトンネルは、
琵琶湖疎水建設時に作られていて、
三条通側の入り口には「雄観奇想」という北垣国道の銘があります。
北垣国道は明治時代の京都府知事で、
琵琶湖疎水を建設するなど京都市の近代化に尽力を尽くした方です。
ねじりまんぽの詳細は、第73回ブログに記載されています。

今度はねじりまんぽの東側に向きました。
よく見ると右(南東)側へ道が伸びていて、
そちらは前回ブログの蹴上疎水公園に通じています。
真下の道をそのまま東に直進すると南禅寺への近道ですが、
東山中学・高校の通学路でもあります。

ねじりまんぽの真上から、インクラインの桜並木を北西に向きました。
ここからまたレールに足を取られないように気を付けて、
人波を避けて北西に進みます。

とは言え、だんだん人口密度が高くなってきました。
さらに2023年3月からマスクが自己判断になって、
外される方が増えてきています。
コロナ禍ではマスク姿が大半でしたから、
通行人の正面をとっても顔を写さずに済みました。
ところが、この日(2023年3月30日)は気を付けないと
観光客の顔を直接撮ってしまいます。
ですから、今回は結構の写真が廃棄処分になっています。

先程の位置からインクラインの桜並木を北西に進むと、
さらに人口密度が高くなってきました。
ただ、これでも2018年の当時よりも空いています。
あの時はグループ撮影や記念撮影自体が不可能で、
ただ軍隊の行軍のように一直線に前進するしかありませんでした。

レンガ製トンネルのねじりまんぽの真上から、
インクラインの桜並木を北西に約100m進みました。
左(西)側が三条通と仁王門通とが交差する「蹴上」交差点ですが、
大きなソメイヨシノでよく見えません。

ですからソメイヨシノを避けて、「蹴上」交差点を撮りました。
正面の道が北西~南東の道と交差しているように見えますが、
「蹴上」交差点までは北西に進んでいた三条通は、
「蹴上」交差点からは正面(西北西)の道に移ります。
そして、「蹴上」交差点から北西に仁王門通が伸びています。
仁王門通は岡崎公園南端の道で、
ここからインクラインは仁王門通沿いに伸びています。

「蹴上」交差点から三条通を西北西に進むと、
すぐにウェスティン都ホテルが建っています。
2020年に改装されて新しい建物になりましたが、
日本庭園などは開業当時のままです。
自分が大好きな小川治兵衛のご子息が作庭した佳水園庭園は、
京都市指定文化財に指定されています。

「蹴上」交差点の脇で、インクラインの桜並木を北西に向いています。
この辺りから、右(東)側が常緑樹林が続きます。
常緑樹はナラ・シイ・ブナなどで、秋にはドングリが落ちてきます。
そのドングリが落ちていた秋のインクラインは、
第355回ブログを参照してください。

少しだけインクラインを北西に進んで、「蹴上」交差点を見ました。
目の前の横断歩道から右(北西)に、仁王門通が伸びています。
横断歩道を渡ったところに、関西電力蹴上第2発電所が残っています。
こちらも、日本土木学会推奨小土木遺産に指定されています。
「蹴上」交差点の様子は、第72回ブログを参照してください。

仁王門通最南東端から、インクラインを北西に向いています。
左(西)側は桜並木が続きますが、
右(東)側は暫く常緑樹が続きます。

「蹴上」交差点から、インクラインを約50m北西に進みました。
右(東)側の常緑樹も目立ちますが、
左(西)側の仁王門通がだんだん近づいてきています。
これはインクライン自体がだんだん低くなってきているからです。

さらにインクラインを約50m北西に進みました。
この辺りから、暫く桜並木が完全に途切れます。
仁王門通の左(西)側に桜並木が見えますが、
あの辺り関西電力蹴上第3発電所のものです。
こちらは水力発電所で、現在も稼働中です。

さらにインクラインを約100m北西に進みました。
この辺りに、囲いに囲まれたスペースがありますね。

その囲いに囲まれた部分に近付いてみました。
囲いの中には、トロッコが置かれています。
トロッコにはレールに乗った車輪がついていて、
トロッコが動かないように囲いが設置されています。

そしてトロッコの上には、小舟が置かれています。
明治時代~昭和時代にはこの小舟の上に、
たくさんの荷物が積まれて運ばれていました。
当時の小舟は滋賀県の琵琶湖から、
京都市街地経由で大阪方面まで運行されていました。
まぁそのための琵琶湖疎水ですが、
山道が急なこの辺り(左京区蹴上地区)は
左右のレールに乗ったトロッコをケーブル方式で運んでいました。
つまり片方のトロッコが坂道を下ると、その力を使って
もう片方のトロッコが坂道を登っていきます。
このような構造物をインクラインと呼び、
このトロッコはインクラインが運行されていた当時の名残です。

そのトロッコから、インクラインの桜並木を北西に向いています。
この辺りのインクラインは、仁王門通と同じ標高になります。
特に塀などがあるわけではないので、
多くの方々が仁王門通からインクライン内に入って来られます。
もし地下鉄東西線「蹴上」駅から北西に進んでいたなら、
ここからインクラインに侵入することになります。

仁王門通とインクラインの合流点を大写ししました。
どうも前回ブログの南東端よりも、
この合流点から出入りされる方が多いようです。
ですから、インクラインの桜並木はこの辺の人口密度が高くなります。

その合流点から、インクラインの桜並木を北西に向いています。
インクラインは、ここから仁王門通の地面より低い位置になります。
ちなみにインクラインの右(東)側に鉄柵がありますが、
その先は側溝でそこに琵琶湖疎水の水が流れています。

その合流点から、インクラインの桜並木を北西に進んでいます。
左(西)側を見ると、インクラインが仁王門通より低くなります。
約200m先まで進むと、
インクラインは「南禅寺」交差点の橋の下に至ります。

インクライン桜並木をさらに北西に進んでいます。
約150m先のインクラインに架かる橋が、だんだん見えてきました。
満開の桜のせいで、よく見ないと分かりませんが……

先程の合流点から、
インクラインの桜並木を北西に約100m進みました。
インクラインを散策される方々の頭の位置より、
仁王門通の地面の方が高くなってきました。
ここまで来ると、約100m先の橋がはっきりと見えます。

先程の合流点から、
インクラインの桜並木を北西に約200m進みました。
目の前の橋の両側を合わせて、「南禅寺」交差点です。
橋の左(西)側が仁王門通と南禅寺参道と交差しており、
橋の右(東)側で南禅寺参道と白川通南端と交差しています。
おそらく公式にはインクラインはこの橋までですが、
実際はこの橋をくぐった先も約50mインクラインが伸びています。

「南禅寺」交差点に架かる橋をくぐり、
インクラインの桜並木を北西に向いています。
約50m先でインクラインのレールが途切れて、
その先から琵琶湖疎水が復活します。

先程の橋から、約50m北西に進みました。
この辺りでレールが途切れて、琵琶湖疎水が復活します。
琵琶湖疎水は、復活するとすぐに西に進路が折れます。
すると、左側の仁王門通も西に進路が折れます。
いずれにしても、ここがインクライン北西端です。
もう先には進めませんが、両側に上に上がる階段があります。

今回ブログでは、左(西)側の上り階段を利用します。
「岡崎さくら回廊十石舟めぐり」の船着き場は仁王門通沿いで、
そちらに進むにはこちらの方が便利です。

その石段は、数段で平らな道になります。
仁王門通は、まだ遥か上です。

そして、この平の道は約50m続きます。
この辺りにも、桜並木がせり出していますね。
ちなみにこの先に見えるのは、京都市動物園です。
あちらも、京都市街屈指の桜の名所です。

平らな道を北西に約50m進むと、また石段があります。
この石段を上りきると、仁王門通です。

インクライン北西端から、石段で仁王門通に上ってきました。
この石段の先に、十石舟の乗り場があります。
当初の予定ではそのまま十石舟に乗る予定でしたが、
実際には予約客で満席だったため、乗船できませんでした。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
その様子は次回に掲載します。
今回は、ここまでです。
~次回は十石舟を諦めた後、この辺を散策します~
~追記その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
インクラインの下を通るトンネル「ねじりまんぽ」が、起点です。
~追記 その2~
次回は琵琶湖疎水記念館に行きます
次回ブログの最初に「岡崎さくら回廊十石舟めぐり」の
船着き場にまで移動して、
そこで予約方法やシステムを詳しく聞きます。
(来年十石舟に乗り込むのに、必要です)
その後はいったんインクラインの向かい(東)側に移り、
そこから琵琶湖疎水記念館に向かいました。
実は琵琶湖疎水記念館自体は撮影不可なのですが、
テナントで入っているカフェや周囲の桜並木を撮れました。
そこを出てからは京都市動物園に向かい、
動物園内の桜並木を眺めてきました。
動物園の桜並木は十石舟からもよく見えて、
そちらからこの桜並木を見物するのが、
取り合えず来年(2024年)の目標です。
今回の連載は、動物園を出てバス停まで進み終わっています。
~追記 その3~
2023年の降格数は1だけですが……
2023年5月3日憲法記念の日の水曜日に
J1リーグ第11節が開催されて、
我らが京都サンガは京都府亀岡市のサンガスタジアムで
川崎フロンターレと対戦しました。
暫く0-0で同点だったのですが、
終了間際に失点して0-1で敗戦しました。
これで京都は、4勝1分け6敗勝ち点13の12位です。
川崎フロンターレは下位争いから中位に進出しましたが、
逆に京都は中位から下位争いを始めています。
2024年からJリーグは、1部2部3部とも20クラブになります。
その数合わせのため、今年(2023年)は1クラブのみ降格します。
つまり最下位にならない限り、今年度限定で降格しません。
……とは言えここでしっかり強化しておかないと、
来年(2024年)の降格が見えてきます。
それができているのかが、現時点の最大の課題ですね。
進みたい方は、ここをクリックしてください。

前回ブログで市営地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口から、
その「蹴上」駅1番出口の真上まで来ました。
この辺りは急な山道ですから、明治時代から昭和時代前半は
琵琶湖疎水で運行された運搬用小舟をケーブルで運んでいました。
その方式を「インクライン」というのですが、
この蹴上のインクラインは両側の桜並木で
毎年春と秋には多くの観光客を集めます。
前回ブログで蹴上インクラインの南東端から約200m進みましたが、
今回は約400m先の蹴上インクライン北西端まで進みます。
撮影日は、2023年3月30日木曜日午後2時半。
快晴の行楽日和でした。

この日(2023年3月30日)は、蹴上周辺の桜が満開でした。
そのため、多くの方々がいらっしゃいました。
尤も2018年ごろと比べると、まだまだ8割くらいです。
(当時のブログは、ありません。人が多すぎて、撮影自体諦めました)
海外からの観光客も多いですが、
日本人の大半は5人前後でいらしていて、
その多くがグループで記念撮影をされていました。

インクラインに沿って、左(東)側に三条通が伸びています。
満開の桜の枝に隠れていますが、
よく見ると三条通側にレンガ製の構造物が見えます。
この構造物は、インクラインの真下を通れるトンネルの入り口です。
「ねじりまんぽ」という通称を持つレンガ製のトンネルは、
琵琶湖疎水建設時に作られていて、
三条通側の入り口には「雄観奇想」という北垣国道の銘があります。
北垣国道は明治時代の京都府知事で、
琵琶湖疎水を建設するなど京都市の近代化に尽力を尽くした方です。
ねじりまんぽの詳細は、第73回ブログに記載されています。

今度はねじりまんぽの東側に向きました。
よく見ると右(南東)側へ道が伸びていて、
そちらは前回ブログの蹴上疎水公園に通じています。
真下の道をそのまま東に直進すると南禅寺への近道ですが、
東山中学・高校の通学路でもあります。

ねじりまんぽの真上から、インクラインの桜並木を北西に向きました。
ここからまたレールに足を取られないように気を付けて、
人波を避けて北西に進みます。

とは言え、だんだん人口密度が高くなってきました。
さらに2023年3月からマスクが自己判断になって、
外される方が増えてきています。
コロナ禍ではマスク姿が大半でしたから、
通行人の正面をとっても顔を写さずに済みました。
ところが、この日(2023年3月30日)は気を付けないと
観光客の顔を直接撮ってしまいます。
ですから、今回は結構の写真が廃棄処分になっています。

先程の位置からインクラインの桜並木を北西に進むと、
さらに人口密度が高くなってきました。
ただ、これでも2018年の当時よりも空いています。
あの時はグループ撮影や記念撮影自体が不可能で、
ただ軍隊の行軍のように一直線に前進するしかありませんでした。

レンガ製トンネルのねじりまんぽの真上から、
インクラインの桜並木を北西に約100m進みました。
左(西)側が三条通と仁王門通とが交差する「蹴上」交差点ですが、
大きなソメイヨシノでよく見えません。

ですからソメイヨシノを避けて、「蹴上」交差点を撮りました。
正面の道が北西~南東の道と交差しているように見えますが、
「蹴上」交差点までは北西に進んでいた三条通は、
「蹴上」交差点からは正面(西北西)の道に移ります。
そして、「蹴上」交差点から北西に仁王門通が伸びています。
仁王門通は岡崎公園南端の道で、
ここからインクラインは仁王門通沿いに伸びています。

「蹴上」交差点から三条通を西北西に進むと、
すぐにウェスティン都ホテルが建っています。
2020年に改装されて新しい建物になりましたが、
日本庭園などは開業当時のままです。
自分が大好きな小川治兵衛のご子息が作庭した佳水園庭園は、
京都市指定文化財に指定されています。

「蹴上」交差点の脇で、インクラインの桜並木を北西に向いています。
この辺りから、右(東)側が常緑樹林が続きます。
常緑樹はナラ・シイ・ブナなどで、秋にはドングリが落ちてきます。
そのドングリが落ちていた秋のインクラインは、
第355回ブログを参照してください。

少しだけインクラインを北西に進んで、「蹴上」交差点を見ました。
目の前の横断歩道から右(北西)に、仁王門通が伸びています。
横断歩道を渡ったところに、関西電力蹴上第2発電所が残っています。
こちらも、日本土木学会推奨小土木遺産に指定されています。
「蹴上」交差点の様子は、第72回ブログを参照してください。

仁王門通最南東端から、インクラインを北西に向いています。
左(西)側は桜並木が続きますが、
右(東)側は暫く常緑樹が続きます。

「蹴上」交差点から、インクラインを約50m北西に進みました。
右(東)側の常緑樹も目立ちますが、
左(西)側の仁王門通がだんだん近づいてきています。
これはインクライン自体がだんだん低くなってきているからです。

さらにインクラインを約50m北西に進みました。
この辺りから、暫く桜並木が完全に途切れます。
仁王門通の左(西)側に桜並木が見えますが、
あの辺り関西電力蹴上第3発電所のものです。
こちらは水力発電所で、現在も稼働中です。

さらにインクラインを約100m北西に進みました。
この辺りに、囲いに囲まれたスペースがありますね。

その囲いに囲まれた部分に近付いてみました。
囲いの中には、トロッコが置かれています。
トロッコにはレールに乗った車輪がついていて、
トロッコが動かないように囲いが設置されています。

そしてトロッコの上には、小舟が置かれています。
明治時代~昭和時代にはこの小舟の上に、
たくさんの荷物が積まれて運ばれていました。
当時の小舟は滋賀県の琵琶湖から、
京都市街地経由で大阪方面まで運行されていました。
まぁそのための琵琶湖疎水ですが、
山道が急なこの辺り(左京区蹴上地区)は
左右のレールに乗ったトロッコをケーブル方式で運んでいました。
つまり片方のトロッコが坂道を下ると、その力を使って
もう片方のトロッコが坂道を登っていきます。
このような構造物をインクラインと呼び、
このトロッコはインクラインが運行されていた当時の名残です。

そのトロッコから、インクラインの桜並木を北西に向いています。
この辺りのインクラインは、仁王門通と同じ標高になります。
特に塀などがあるわけではないので、
多くの方々が仁王門通からインクライン内に入って来られます。
もし地下鉄東西線「蹴上」駅から北西に進んでいたなら、
ここからインクラインに侵入することになります。

仁王門通とインクラインの合流点を大写ししました。
どうも前回ブログの南東端よりも、
この合流点から出入りされる方が多いようです。
ですから、インクラインの桜並木はこの辺の人口密度が高くなります。

その合流点から、インクラインの桜並木を北西に向いています。
インクラインは、ここから仁王門通の地面より低い位置になります。
ちなみにインクラインの右(東)側に鉄柵がありますが、
その先は側溝でそこに琵琶湖疎水の水が流れています。

その合流点から、インクラインの桜並木を北西に進んでいます。
左(西)側を見ると、インクラインが仁王門通より低くなります。
約200m先まで進むと、
インクラインは「南禅寺」交差点の橋の下に至ります。

インクライン桜並木をさらに北西に進んでいます。
約150m先のインクラインに架かる橋が、だんだん見えてきました。
満開の桜のせいで、よく見ないと分かりませんが……

先程の合流点から、
インクラインの桜並木を北西に約100m進みました。
インクラインを散策される方々の頭の位置より、
仁王門通の地面の方が高くなってきました。
ここまで来ると、約100m先の橋がはっきりと見えます。

先程の合流点から、
インクラインの桜並木を北西に約200m進みました。
目の前の橋の両側を合わせて、「南禅寺」交差点です。
橋の左(西)側が仁王門通と南禅寺参道と交差しており、
橋の右(東)側で南禅寺参道と白川通南端と交差しています。
おそらく公式にはインクラインはこの橋までですが、
実際はこの橋をくぐった先も約50mインクラインが伸びています。

「南禅寺」交差点に架かる橋をくぐり、
インクラインの桜並木を北西に向いています。
約50m先でインクラインのレールが途切れて、
その先から琵琶湖疎水が復活します。

先程の橋から、約50m北西に進みました。
この辺りでレールが途切れて、琵琶湖疎水が復活します。
琵琶湖疎水は、復活するとすぐに西に進路が折れます。
すると、左側の仁王門通も西に進路が折れます。
いずれにしても、ここがインクライン北西端です。
もう先には進めませんが、両側に上に上がる階段があります。

今回ブログでは、左(西)側の上り階段を利用します。
「岡崎さくら回廊十石舟めぐり」の船着き場は仁王門通沿いで、
そちらに進むにはこちらの方が便利です。

その石段は、数段で平らな道になります。
仁王門通は、まだ遥か上です。

そして、この平の道は約50m続きます。
この辺りにも、桜並木がせり出していますね。
ちなみにこの先に見えるのは、京都市動物園です。
あちらも、京都市街屈指の桜の名所です。

平らな道を北西に約50m進むと、また石段があります。
この石段を上りきると、仁王門通です。

インクライン北西端から、石段で仁王門通に上ってきました。
この石段の先に、十石舟の乗り場があります。
当初の予定ではそのまま十石舟に乗る予定でしたが、
実際には予約客で満席だったため、乗船できませんでした。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
その様子は次回に掲載します。
今回は、ここまでです。
~次回は十石舟を諦めた後、この辺を散策します~
~追記その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
インクラインの下を通るトンネル「ねじりまんぽ」が、起点です。
~追記 その2~
次回は琵琶湖疎水記念館に行きます
次回ブログの最初に「岡崎さくら回廊十石舟めぐり」の
船着き場にまで移動して、
そこで予約方法やシステムを詳しく聞きます。
(来年十石舟に乗り込むのに、必要です)
その後はいったんインクラインの向かい(東)側に移り、
そこから琵琶湖疎水記念館に向かいました。
実は琵琶湖疎水記念館自体は撮影不可なのですが、
テナントで入っているカフェや周囲の桜並木を撮れました。
そこを出てからは京都市動物園に向かい、
動物園内の桜並木を眺めてきました。
動物園の桜並木は十石舟からもよく見えて、
そちらからこの桜並木を見物するのが、
取り合えず来年(2024年)の目標です。
今回の連載は、動物園を出てバス停まで進み終わっています。
~追記 その3~
2023年の降格数は1だけですが……
2023年5月3日憲法記念の日の水曜日に
J1リーグ第11節が開催されて、
我らが京都サンガは京都府亀岡市のサンガスタジアムで
川崎フロンターレと対戦しました。
暫く0-0で同点だったのですが、
終了間際に失点して0-1で敗戦しました。
これで京都は、4勝1分け6敗勝ち点13の12位です。
川崎フロンターレは下位争いから中位に進出しましたが、
逆に京都は中位から下位争いを始めています。
2024年からJリーグは、1部2部3部とも20クラブになります。
その数合わせのため、今年(2023年)は1クラブのみ降格します。
つまり最下位にならない限り、今年度限定で降格しません。
……とは言えここでしっかり強化しておかないと、
来年(2024年)の降格が見えてきます。
それができているのかが、現時点の最大の課題ですね。
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