第966回 島原住吉神社~花屋町通東から西~その18
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前回ブログでお邪魔した角屋おもてなし文化美術館の中から、
東側通に向いています。
今回も北側に伸びる花屋町通を西に進み、
千本通を北上してJR嵯峨野線「丹波口」駅まで進みます。
撮影日は、2023年6月29日木曜日午後3時半。
元花街島原への取材は今回までですが、
「花屋町通編」は今後さらに西へと続きます。

角屋おもてなし文化美術館を出ると、
目の前に町内の掲示板がありました。
ここの町名が、「下京区西新屋敷揚屋町」と書かれていました。
現在行政的には京都市内に「花街島原」の地名は存在せず、
代わりに「下京区西新屋敷地区」と呼んでいます。
また揚屋さんの角屋があった住所が、まるまる揚屋町です。

角屋おもてなし文化美術館の前で、東側通を南に向いています。
約100m先で、東側通は正面通と交差します。
その辺りが、元花街島原の最南端です。
(詳細は、第694回ブログ参照)

今度は角屋おもてなし文化美術館の前で、東側通を北に向きました。
今回は、ここから東側通を北上します。

角屋おもてなし文化美術館の前から、東側通を約50m北上しました。
ここで東側通は、花屋町通と交差します。

東側通から、花屋町通を東に向いています。
約200m先の島原大門より西が、元花街島原です。
……と言いますか、花屋町通を約200m進むのに
ブログ3回も使っています。

今度は東側通から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側の塀は、すべて角屋の敷地です。
約50m先で花屋町通は突き当たりますが、
花屋町通はここから蛇行し始めます。

東側通から花屋町通を約50m西に進むと、
この花屋町通が突き当たります。
その辺りに、こちらの石碑が立っています。
平安時代、この辺りは東鴻臚館でした。
「鴻臚館」とは、現在の大使館に当たります。
とは言え、当時の中国である唐は鎖国していて
外交は一切しておりませんでした。
また当時の韓国である新羅とも、
663年の白村江の戦以来国交を断絶していました。
(新羅滅亡後、建国された高麗とは友好国でした)
このころ日本と国交が結ばれていたのは、唯一渤海だけでした。
ですから、当時の東鴻臚館は事実上渤海大使館でした。

東鴻臚館跡の石碑の前で、北を向いています。
ここから約50m花屋町通は北に伸びています。
ここからは、50mだけ花屋町通を「北上」します。

東鴻臚館跡の石碑から、花屋町通を約30m北上して東を向きました。
こちらに、海鮮料理に特化した飲食店魚河岸宮武があります。
後述しますが、この辺りは京都中央卸売市場の近隣です。
ですから、海鮮料理のお店がこの辺りに点在しています。
ランチタイムには行列ができる人気店ですが、
午後4時前ですので、この時点では閉店しています。

東鴻臚館跡の石碑から、花屋町通を約50m北上しました。
花屋町通は、ここから西に伸びています。

花屋町通を北に突き当たった住宅の西隣に、
今回ブログのメイン島原住吉神社がいらっしゃいます。
その脇の石碑は、その位置に島原西門があったことを書いています。

こちらが、島原住吉神社です。
元々は、江戸時代の豪商住吉太郎兵衛宅の鎮守社でした。
その住吉太郎兵衛自身が資材を投じて、
この地にこの神社を創建しました。
槇村正直第2代京都府知事は
京都府の財政再建に尽力されましたが、
宗教関係にとても厳しい方で、この島原住吉神社を初め
多くの小さな神社を次々廃絶させました。
(ほかに「大文字焼」をいったん廃止しました。
ただ槇村府政の多くは、槇村知事退任後元に戻されました)
島原住吉神社もいったん廃絶させられたのですが、
その後復興に成功しました。

島原住吉神社の鳥居をくぐり、境内に入ってきました。
鳥居の脇に、手水舎がありました。
こちらで手を清め、先へ進みます。

島原住吉神社境内に入ってすぐが拝殿なのですが、
先に境内の北西に回り込みます。
島原住吉神社境内の北西端に、末社がいらっしゃいます。

拝殿の北側に島原住吉神社本殿がいらして、
その西側に末社の幸天満宮がいらっしゃいます。
もともと島原住吉神社は、この2倍以上の境内がありました。
復興後も同じ場所に鎮座されていますが、
敷地面積は半減しています。

こちらが、島原住吉神社の末社幸天満宮です。
元々は島原歌舞練場にいらした鎮守社でした。
島原住吉神社の廃絶と同時にこちらも廃絶させられましたが、
島原住吉神社復興とともにこちらも復興できました。

幸天満宮を背後に、島原住吉神社境内を南に向いています。
拝殿と本殿の隙間がとても狭いので、拝殿前に戻ります。

こちらが、島原住吉神社拝殿越しの本殿です。
ご祭神は、おそらく住吉三神です。
では、こちらにお参りして先へ進みます。

島原住吉神社拝殿を背後に、境内を南に向いています。
では島原住吉神社を出て、花屋町通に戻ります。

島原住吉神社の前で、花屋町通を西に向いています。
江戸時代には、目の前に島原西門がありました。
(現在は、取り壊されています)
約10m先で、花屋町通は千本通で突き当たります。
その辺りで道路が石畳からアスファルトに変わっているのは、
そこを境に元花街島原ではなくなるからです。
さらにその西側は、JR嵯峨野線の高架と京都中央卸売市場です。
花屋町通は、それらのさらに西側で復活します。

花屋町通から、千本通を南に向いています。
約100m先で正面通と交差しますが、
約300m先では七条通と交差します。

今度は花屋町通から、千本通を北に向きました。
右(東)側に、島原住吉神社の境内が見えます。
今回ブログでは、五条通まで千本通を北上します。

花屋町通から、千本通を約50m北上しました。
ここで千本通から東へ伸びる道があります。
ただ自分は、この道の名前を知りません……

千本通から、その道を東に向いています。
ちなみに、この道が元花街島原の北端です。
目の前に大きな銀杏の木が立っていますが、
かつて島原住吉神社境内は、この道までありました。
ですからこの木が島原住吉神社の象徴だったのですが、
現在はその島原住吉神社と切り離されてします。

その大銀杏の許まで、近づいてみました。
大銀杏の許に、弁財天が祭られています。
ただ周囲を鉄パイプ囲われて、
境内に入れなくなっています。

駐車場から、先ほどの弁財天社の正面に回り込みました。
島原住吉神社が廃絶させられた時期でも、
末社であるこちらは存続してきました。
ですから、今となっては島原住吉神社から独立した
別の神社として存在しています。

弁財天社の正面から、北西を向いています。
ではこちらから、千本通に戻ります。

先ほどの位置に戻って、千本通を北に向いています。
この辺りはJR嵯峨野線の高架下や
千本通の右(東)側も、京都中央卸売市場です。

その辺りに、この標識が立っていました。
この周囲は、大半が青果市場です。
つまり、野菜や果物を取り扱う卸売市場です。

その辺りで、千本通を左(西)に向いています。
JR嵯峨野線の高架を越えて
千本通の約100m先の新千本通まで、
この辺りはずっと京都中央卸売市場です。
ただこの辺りは関係者立ち入り禁止なので、
この中には入れません。

その位置から、千本通を北に向いています。
この辺りは、千本通の両側が京都中央卸売市場です。

先ほどの弁財天社の前から、千本通を約200m北上しました。
ここで千本通は、中堂寺通と交差します。

千本通から、中堂寺通を東に向いています。
木々で分かりにくいですが、このすぐ先から
中堂寺児童公園が東西に伸びています。
東西に細長い児童公園で、東端は約200先の坊城通です。
その辺の様子は、第915回ブログを参照してください。

今度は中堂寺通から、千本通を北に向いています。
この辺りで、「下京区西新屋敷地区」から
「下京区中堂寺地区」に移ります。

中堂寺通から、千本通を約100m北上しました。
ここで千本通は、五条通と交差します。

千本通から、五条通を東に向いています。
この周囲は近年人口が急増していて、
飲食店をはじめ様々な店舗が増えています。
第915回ブログでは、この辺りが大雪でした。

今度は千本通から、五条通を西に向きました。
JR嵯峨野線の高架下に、「丹波口」駅の改札があります。
では、ここからJR嵯峨野線に乗って帰宅します……
という設定ですが、本当はこのまま五条通を西に進み
花屋町通まで南下して、さらに花屋町通を西に進みました。
取り敢えず、今回はここまでです。
~次回は、京都中央卸売市場より西側を散策します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
島原住吉神社が、起点です。
~追記その2~
「花屋町通編」は、まだまだ続きます
花屋町通は千本通で突き当たっていますが、
約100m西の新千本通からまた西へと伸びます。
実は現時点で花屋町通の取材は、西大路まで終えています。
写真量は、ブログにして2回分でしょうか?
~追記 その3~
2023年は、宵山の取材が厳しいです
さて、2023年も祇園祭の時期が近づいてきました。
2023年は、先祭も後祭も金曜日から日曜日が宵山です。
ところが自分が転職してしまったため、
2023年以降は週末のブログ取材が事実上不可能です。
そういうわけで、2023年は宵山の取材は控えます。
ただ、宵山翌日の山鉾巡行は取材に行けそうです。
ですから、2023年は山鉾巡行中心に取材します。
(あと、神輿巡行もありましたね)
~追記 その4~
寝起きのウチのネコ

最近のウチのネコは、枕が大好きです。
特にうちの母の枕が、大好きです。
ですから枕に自分の頭を預けて、ぐっすり眠ります。
2023年6月29日木曜日も、
ウチの母の枕に頭を預けて居眠りです。
~追記 その5~
敗戦で順位が落ちました
2023年7月8日土曜日にJ1リーグが行われ、
われらが京都サンガは大阪府吹田市で
ガンバ大阪に1-0で敗戦しました。
これで京都は6勝2分け12敗勝ち点20の15位です。
最下位湘南とは、勝ち点差7に縮まりました。
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前回ブログでお邪魔した角屋おもてなし文化美術館の中から、
東側通に向いています。
今回も北側に伸びる花屋町通を西に進み、
千本通を北上してJR嵯峨野線「丹波口」駅まで進みます。
撮影日は、2023年6月29日木曜日午後3時半。
元花街島原への取材は今回までですが、
「花屋町通編」は今後さらに西へと続きます。

角屋おもてなし文化美術館を出ると、
目の前に町内の掲示板がありました。
ここの町名が、「下京区西新屋敷揚屋町」と書かれていました。
現在行政的には京都市内に「花街島原」の地名は存在せず、
代わりに「下京区西新屋敷地区」と呼んでいます。
また揚屋さんの角屋があった住所が、まるまる揚屋町です。

角屋おもてなし文化美術館の前で、東側通を南に向いています。
約100m先で、東側通は正面通と交差します。
その辺りが、元花街島原の最南端です。
(詳細は、第694回ブログ参照)

今度は角屋おもてなし文化美術館の前で、東側通を北に向きました。
今回は、ここから東側通を北上します。

角屋おもてなし文化美術館の前から、東側通を約50m北上しました。
ここで東側通は、花屋町通と交差します。

東側通から、花屋町通を東に向いています。
約200m先の島原大門より西が、元花街島原です。
……と言いますか、花屋町通を約200m進むのに
ブログ3回も使っています。

今度は東側通から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側の塀は、すべて角屋の敷地です。
約50m先で花屋町通は突き当たりますが、
花屋町通はここから蛇行し始めます。

東側通から花屋町通を約50m西に進むと、
この花屋町通が突き当たります。
その辺りに、こちらの石碑が立っています。
平安時代、この辺りは東鴻臚館でした。
「鴻臚館」とは、現在の大使館に当たります。
とは言え、当時の中国である唐は鎖国していて
外交は一切しておりませんでした。
また当時の韓国である新羅とも、
663年の白村江の戦以来国交を断絶していました。
(新羅滅亡後、建国された高麗とは友好国でした)
このころ日本と国交が結ばれていたのは、唯一渤海だけでした。
ですから、当時の東鴻臚館は事実上渤海大使館でした。

東鴻臚館跡の石碑の前で、北を向いています。
ここから約50m花屋町通は北に伸びています。
ここからは、50mだけ花屋町通を「北上」します。

東鴻臚館跡の石碑から、花屋町通を約30m北上して東を向きました。
こちらに、海鮮料理に特化した飲食店魚河岸宮武があります。
後述しますが、この辺りは京都中央卸売市場の近隣です。
ですから、海鮮料理のお店がこの辺りに点在しています。
ランチタイムには行列ができる人気店ですが、
午後4時前ですので、この時点では閉店しています。

東鴻臚館跡の石碑から、花屋町通を約50m北上しました。
花屋町通は、ここから西に伸びています。

花屋町通を北に突き当たった住宅の西隣に、
今回ブログのメイン島原住吉神社がいらっしゃいます。
その脇の石碑は、その位置に島原西門があったことを書いています。

こちらが、島原住吉神社です。
元々は、江戸時代の豪商住吉太郎兵衛宅の鎮守社でした。
その住吉太郎兵衛自身が資材を投じて、
この地にこの神社を創建しました。
槇村正直第2代京都府知事は
京都府の財政再建に尽力されましたが、
宗教関係にとても厳しい方で、この島原住吉神社を初め
多くの小さな神社を次々廃絶させました。
(ほかに「大文字焼」をいったん廃止しました。
ただ槇村府政の多くは、槇村知事退任後元に戻されました)
島原住吉神社もいったん廃絶させられたのですが、
その後復興に成功しました。

島原住吉神社の鳥居をくぐり、境内に入ってきました。
鳥居の脇に、手水舎がありました。
こちらで手を清め、先へ進みます。

島原住吉神社境内に入ってすぐが拝殿なのですが、
先に境内の北西に回り込みます。
島原住吉神社境内の北西端に、末社がいらっしゃいます。

拝殿の北側に島原住吉神社本殿がいらして、
その西側に末社の幸天満宮がいらっしゃいます。
もともと島原住吉神社は、この2倍以上の境内がありました。
復興後も同じ場所に鎮座されていますが、
敷地面積は半減しています。

こちらが、島原住吉神社の末社幸天満宮です。
元々は島原歌舞練場にいらした鎮守社でした。
島原住吉神社の廃絶と同時にこちらも廃絶させられましたが、
島原住吉神社復興とともにこちらも復興できました。

幸天満宮を背後に、島原住吉神社境内を南に向いています。
拝殿と本殿の隙間がとても狭いので、拝殿前に戻ります。

こちらが、島原住吉神社拝殿越しの本殿です。
ご祭神は、おそらく住吉三神です。
では、こちらにお参りして先へ進みます。

島原住吉神社拝殿を背後に、境内を南に向いています。
では島原住吉神社を出て、花屋町通に戻ります。

島原住吉神社の前で、花屋町通を西に向いています。
江戸時代には、目の前に島原西門がありました。
(現在は、取り壊されています)
約10m先で、花屋町通は千本通で突き当たります。
その辺りで道路が石畳からアスファルトに変わっているのは、
そこを境に元花街島原ではなくなるからです。
さらにその西側は、JR嵯峨野線の高架と京都中央卸売市場です。
花屋町通は、それらのさらに西側で復活します。

花屋町通から、千本通を南に向いています。
約100m先で正面通と交差しますが、
約300m先では七条通と交差します。

今度は花屋町通から、千本通を北に向きました。
右(東)側に、島原住吉神社の境内が見えます。
今回ブログでは、五条通まで千本通を北上します。

花屋町通から、千本通を約50m北上しました。
ここで千本通から東へ伸びる道があります。
ただ自分は、この道の名前を知りません……

千本通から、その道を東に向いています。
ちなみに、この道が元花街島原の北端です。
目の前に大きな銀杏の木が立っていますが、
かつて島原住吉神社境内は、この道までありました。
ですからこの木が島原住吉神社の象徴だったのですが、
現在はその島原住吉神社と切り離されてします。

その大銀杏の許まで、近づいてみました。
大銀杏の許に、弁財天が祭られています。
ただ周囲を鉄パイプ囲われて、
境内に入れなくなっています。

駐車場から、先ほどの弁財天社の正面に回り込みました。
島原住吉神社が廃絶させられた時期でも、
末社であるこちらは存続してきました。
ですから、今となっては島原住吉神社から独立した
別の神社として存在しています。

弁財天社の正面から、北西を向いています。
ではこちらから、千本通に戻ります。

先ほどの位置に戻って、千本通を北に向いています。
この辺りはJR嵯峨野線の高架下や
千本通の右(東)側も、京都中央卸売市場です。

その辺りに、この標識が立っていました。
この周囲は、大半が青果市場です。
つまり、野菜や果物を取り扱う卸売市場です。

その辺りで、千本通を左(西)に向いています。
JR嵯峨野線の高架を越えて
千本通の約100m先の新千本通まで、
この辺りはずっと京都中央卸売市場です。
ただこの辺りは関係者立ち入り禁止なので、
この中には入れません。

その位置から、千本通を北に向いています。
この辺りは、千本通の両側が京都中央卸売市場です。

先ほどの弁財天社の前から、千本通を約200m北上しました。
ここで千本通は、中堂寺通と交差します。

千本通から、中堂寺通を東に向いています。
木々で分かりにくいですが、このすぐ先から
中堂寺児童公園が東西に伸びています。
東西に細長い児童公園で、東端は約200先の坊城通です。
その辺の様子は、第915回ブログを参照してください。

今度は中堂寺通から、千本通を北に向いています。
この辺りで、「下京区西新屋敷地区」から
「下京区中堂寺地区」に移ります。

中堂寺通から、千本通を約100m北上しました。
ここで千本通は、五条通と交差します。

千本通から、五条通を東に向いています。
この周囲は近年人口が急増していて、
飲食店をはじめ様々な店舗が増えています。
第915回ブログでは、この辺りが大雪でした。

今度は千本通から、五条通を西に向きました。
JR嵯峨野線の高架下に、「丹波口」駅の改札があります。
では、ここからJR嵯峨野線に乗って帰宅します……
という設定ですが、本当はこのまま五条通を西に進み
花屋町通まで南下して、さらに花屋町通を西に進みました。
取り敢えず、今回はここまでです。
~次回は、京都中央卸売市場より西側を散策します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
島原住吉神社が、起点です。
~追記その2~
「花屋町通編」は、まだまだ続きます
花屋町通は千本通で突き当たっていますが、
約100m西の新千本通からまた西へと伸びます。
実は現時点で花屋町通の取材は、西大路まで終えています。
写真量は、ブログにして2回分でしょうか?
~追記 その3~
2023年は、宵山の取材が厳しいです
さて、2023年も祇園祭の時期が近づいてきました。
2023年は、先祭も後祭も金曜日から日曜日が宵山です。
ところが自分が転職してしまったため、
2023年以降は週末のブログ取材が事実上不可能です。
そういうわけで、2023年は宵山の取材は控えます。
ただ、宵山翌日の山鉾巡行は取材に行けそうです。
ですから、2023年は山鉾巡行中心に取材します。
(あと、神輿巡行もありましたね)
~追記 その4~
寝起きのウチのネコ

最近のウチのネコは、枕が大好きです。
特にうちの母の枕が、大好きです。
ですから枕に自分の頭を預けて、ぐっすり眠ります。
2023年6月29日木曜日も、
ウチの母の枕に頭を預けて居眠りです。
~追記 その5~
敗戦で順位が落ちました
2023年7月8日土曜日にJ1リーグが行われ、
われらが京都サンガは大阪府吹田市で
ガンバ大阪に1-0で敗戦しました。
これで京都は6勝2分け12敗勝ち点20の15位です。
最下位湘南とは、勝ち点差7に縮まりました。
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