第972回 郭巨山 四条傘鉾~祇園祭前祭山鉾巡行~その4
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前回ブログで取材した函谷鉾が八坂神社お旅所をを通過してから、
約10分が経ちました。
函谷鉾は、まだ京都高島屋百貨店の店頭で停止しています。
「四条河原町」交差点での辻回しの準備すら、まだできていません。
その手前の芦刈山も、まだ四条通にいらっしゃるからです。
どうやら、かなり渋滞しているようです。
祇園祭山鉾巡行の渋滞は
大半が辻回しに時間がかかっているのが原因ですが、
今回はどうも違うようです。
今回ブログで紹介する山は、この渋滞の解消後に登場します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前10時。
山鉾巡行の序盤は、例年になく遅いペースでした。

先ほどの写真から、さらに約10分経ちました。
現時点で、2023年7月17日月曜日午前10時10分です。
ようやく2023年の山4番郭巨山の登場です。

たぶん郭巨山の方々は覚えていらっしゃらないと思うのですが、
2012年に郭巨山の会所にお邪魔した際とても親切にしていただいて、
その時粽を買わせて戴きました。
それ以来、毎年郭巨山の粽を買っています。
通常粽を玄関先に吊るすときは粽のみを吊るしますが、
この郭巨山の粽は紙製の小判が付くので、
袋ごと吊るしています。
こちらは会社を早めに退社して、
(この日はそういうシフトで働いていました)
2023年7月14日に郭巨山で買い求めました。

郭巨山が、八坂神社お旅所の前に辿り着きました。
郭巨山の上部には、鍬を持つ男性と子供の人形が立っています。
こちらは、室町時代にあった謡曲(物語)が元になっています。
郭巨という中国人男性が子供と山奥に向かった際、
その子供の指示通り郭巨が鍬で穴を掘ると、
金塊が入った釜が出てきたという物語です。
一攫千金のストーリーですから、
郭巨山には金運上昇のご利益があります。
また、郭巨山の前掛けが新調されています。
ただこれがどのようなものかは、自分は知りません。

郭巨山が、八坂神社お旅所の前を通過します。
郭巨山の胴掛は、上村松篁による日本画です。

郭巨山が、四条通を東に向かいます。
郭巨山の見送りが新調されていますが、文字だけの刺繍です。
こちらも、自分はよくわかっていません。
2023年の祇園祭前祭宵山は郭巨山の粽だけ買って即帰ったので、
会所を見学しませんでした。
ですから、来年(2024年)は会所をしっかり見学します。

続いて、傘鉾1番の四条傘鉾が登場します。
「傘鉾」は平安時代からの形状を残す山鉾で、
(他の山鉾は、室町時代以降に成立しました)
他の「山」や「鉾」と別にカウントします。

四条傘鉾の幟の後に、町内の町衆が行進されます。
すべての山鉾の直後には各町内の町衆が行進されますが、
ここまでは町衆を上手く撮れませんでした。

町衆が行進された後に、浴衣姿の町衆と小学生児童が続きます。
平安時代の祇園祭には各山鉾に舞手が随行されましたが、
現在は各傘鉾のみに舞手が随行されます。

四条傘鉾が、「四条寺町」交差点で停止されます。
すると八坂神社お旅所の前に、浴衣姿の町衆が並びます。
小学生児童は、八坂神社お旅所の前の西側に待機されます。

浴衣姿の町衆は、笛や太鼓などの楽器を持たれています。
ですから浴衣姿の町衆の皆さんは、四条傘鉾の囃子手です。
八坂神社お旅所の西側で控えておられる小学生児童が、
四条傘鉾の舞手ということになります。

八坂神社お旅所の前に、四条傘鉾の舞手が立たれます。
先頭の男子児童が、長い棒を交差されています。
ここから、四条傘鉾の棒振り踊りが始まります。

四条傘鉾の囃子手さんが、演奏を始められます。
先頭の男子児童は棒を交差させたままゆっくり棒を振り回し、
そのままの格好で東へ前進されます。
後続の年少の児童はステップを踏みながら太鼓を鳴らして、
男子児童の後に続きます。

舞手の集団が、八坂神社お旅所の東端に達しました。
そこで、四条傘鉾の舞手は今度は西へと反転されます。
四条傘鉾の舞手の集団は、同じふりで踊り続けます。

四条傘鉾の舞手の皆さんが八坂神社お旅所の西端に達されると、
また東に振り返られます。
そして、また同じ振りの踊りが続きます。
舞手さんの衣装から、この踊りは元々は田楽だったのでしょうね。
田楽とは、田植えの際の歌や踊りです。
田植えは単純作業なのですが、続けていくとミスが起こります。
それを防ぐために、その脇で歌や踊りを行うことで
作業する農民のリズムが良くなり、ミスが減ります。
元々は歌や踊りが上手な農民が行いましたが、
やがてそれを専門の職業にする者が現れました。
それが、日本の芸能の起こりです。

四条傘鉾の舞手の男子児童が、交差させた棒を回転させて
また八坂神社お旅所前を西に進まれます。
この際囃子手が演奏される楽器はほかの山鉾と同じものですが、
祇園囃子よりテンポが速い反面牧歌的な曲です。
こういうところも、田楽を想像させますね。

後続の年少の小学生児童も、
リズムよく太鼓を叩きながら西に進まれます。
ステップを踏みながら、一歩ずつ前進されます。

すると年少の小学生児童が、太鼓をたたきながら立ち止まります。
一方その脇を男子児童が、棒を振り回しながら東に進まれます。

棒を回転させたまま男子児童が、
八坂神社お旅所最西端に辿り着かれました。
そして、そのまま年少の小学生児童の先頭に立たれます。

すると、年少の小学生児童が太鼓を叩きながら回り始めました。
その間も、囃子手が演奏される曲調は変化しません。

男子児童は、八坂神社お旅所の西側で棒を交差させて踊っています。
そして男子児童は、八坂神社お旅所の西端まで進まれます。

八坂神社お旅所の西端まで達した男子児童は、
棒を振り上げて今度は東へ走っていかれます。
その間、年少の小学生児童は男子児童の後をついていかれます。

もう一度先頭の男子児童が棒を交差させながら回転させ、
八坂神社お旅所前を西に進まれます。
年少の小学生児童は、男子児童の後をついていかれます。

そして八坂神社お旅所最西端まで進まれると、
今度は東に向けて進まれます。
男子児童が棒を交差させて回転させ、
年少の小学生児童がステップを踏んで太鼓を叩きながら進むのは、
基本的には変わりません。

ところが、ここから踊りの振りが変わります。
年少の小学生児童がその場で立ち止まり、その場でステップを踏まれます。

すると先頭だった男子児童が棒を肩に背負い、
年少の小学生児童の背後を西へ進まれます。

そして男子児童が八坂神社お旅所最西端まで進まれると、
今度は棒を掲げられます。

年少の小学生児童も、八坂神社お旅所最西端まで進まれます。
そして、その位置からまた隊列を組み直されます。

そして、また男子児童が棒を交差させて回転させます。
その後ろを年少の小学生児童が、
ステップを踏んで太鼓を叩きながら前進されます。
要するに、最初の振りに戻りました。

自分の目の前を四条傘鉾の舞手が東に進まれます。
また初めから繰り返しのようにも見えますが、
この直後に囃子手の皆さんは演奏を終了させました。
要するに、四条傘鉾の棒振り踊りが終了しました。
所要時間は、約20分でしょうか。

演奏終了直後は、囃子手さんは
笛太鼓をそのままの格好で停止されます。
舞手さんは男子児童も年少の小学生児童も、
八坂神社お旅所最東端まで進まれると、
そのまま「四条河原町」交差点へ進まれました。

すると、囃子手さんたちも「四条河原町」交差点に向かわれます。
四条傘鉾の棒振り踊りは、八坂神社お旅所前と
京都市役所前の2か所で行われます。
どちらも、有料の観覧席が設けられていますね。

四条傘鉾の囃子手さんは、相当数いらっしゃいます。
囃子手さんが一斉に「四条河原町」交差点に向かわれた直後、
四条傘鉾が八坂神社お旅所前に登場します。

こちらが、四条傘鉾です。
だいぶ大きめですが、平安時代の傘と同じ形状です。
元々平安時代の祇園祭では、こういう形状の山鉾が主流でした。
そしてその周囲で囃子手さんと舞手さんが
演奏されたり踊られたりしたのが、元々の祇園祭の形式でした。
祇園祭が現在のような形式になったのは、室町時代のことです。

四条傘鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
四条傘鉾は通常の山鉾とは異なるため、
前掛け、胴掛、水引、見送りといった装飾品の区分がありません。

四条傘鉾が、「四条河原町」交差点へ向かわれます。
よく考えれば、四条傘鉾の町衆は結構な大人数でした。

四条傘鉾に続いて、山5番の「木賊山」(とくさやま)の登場です。
ちょっと物悲しい謡曲を題材にした山ですね。
ただ今回も、だいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、木賊山、鶏鉾、油天神山と続いていきます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、クリックしてください。
八坂神社お旅所が、起点です。
~追記 その2~
後祭山鉾巡行に行ってきました
2023年7月24日月曜日に、祇園祭後祭山鉾巡行を取材しました。
祇園祭後祭山鉾巡行の模様は、2023年7月17日に取材した
記事を連載終了した時点で連載します。
~追記その3~
後祭神輿渡御の取材に失敗しました
2023年7月24日月曜日は祇園祭後祭山鉾巡行を取材した後、
いったん帰宅しました。
そこでシャワー浴びてちょっと休んでいたら、
思ったより時間が経ってしまいました。
慌てて「四条寺町」交差点に向かったら、
すでに午後5時を回っていました。
以下が、自分が四条通に戻った瞬間の写真です。

すでに祇園祭のお神輿である中御座が、
八坂神社お旅所から四条通に出ています。
担ぎ手の三若会の皆さんの掛け声が辺りに響いています。
「ほいっと ほいっと」と叫ばれています。

四条通上で、中御座が回転したり上下に揺れたりしています。
三若会の旗も、派手に翻っています。

中御座がしばらく派手な行動に出た後、
三若会の皆さんが中御座を固定台に置かれます。
そして、三若会の皆さんは中御座から離れます。

すると、今度は東御座の担ぎ手である四若会の皆さんが
八坂神社お旅所に向かわれます。
さらに周囲には、西御座の担ぎ手である
錦神輿会の皆さんもすでに集結されています。
……要するに、祇園祭後祭の神輿渡御が完全に始まっています。
これ以上近づけない事情もありまして、
2023年の祇園祭後祭神輿渡御の取材写真は、これですべてです。
2023年は祇園祭宵山の取材は可能ですが、
山鉾巡行と神輿渡御は2025年でないと取材できません。
特に神輿渡御は、自分が取材可能なのは数年に1回です。
ちょっと間が空きますが、次回の取材には
このような失敗をしないようにします。
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前回ブログで取材した函谷鉾が八坂神社お旅所をを通過してから、
約10分が経ちました。
函谷鉾は、まだ京都高島屋百貨店の店頭で停止しています。
「四条河原町」交差点での辻回しの準備すら、まだできていません。
その手前の芦刈山も、まだ四条通にいらっしゃるからです。
どうやら、かなり渋滞しているようです。
祇園祭山鉾巡行の渋滞は
大半が辻回しに時間がかかっているのが原因ですが、
今回はどうも違うようです。
今回ブログで紹介する山は、この渋滞の解消後に登場します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前10時。
山鉾巡行の序盤は、例年になく遅いペースでした。

先ほどの写真から、さらに約10分経ちました。
現時点で、2023年7月17日月曜日午前10時10分です。
ようやく2023年の山4番郭巨山の登場です。

たぶん郭巨山の方々は覚えていらっしゃらないと思うのですが、
2012年に郭巨山の会所にお邪魔した際とても親切にしていただいて、
その時粽を買わせて戴きました。
それ以来、毎年郭巨山の粽を買っています。
通常粽を玄関先に吊るすときは粽のみを吊るしますが、
この郭巨山の粽は紙製の小判が付くので、
袋ごと吊るしています。
こちらは会社を早めに退社して、
(この日はそういうシフトで働いていました)
2023年7月14日に郭巨山で買い求めました。

郭巨山が、八坂神社お旅所の前に辿り着きました。
郭巨山の上部には、鍬を持つ男性と子供の人形が立っています。
こちらは、室町時代にあった謡曲(物語)が元になっています。
郭巨という中国人男性が子供と山奥に向かった際、
その子供の指示通り郭巨が鍬で穴を掘ると、
金塊が入った釜が出てきたという物語です。
一攫千金のストーリーですから、
郭巨山には金運上昇のご利益があります。
また、郭巨山の前掛けが新調されています。
ただこれがどのようなものかは、自分は知りません。

郭巨山が、八坂神社お旅所の前を通過します。
郭巨山の胴掛は、上村松篁による日本画です。

郭巨山が、四条通を東に向かいます。
郭巨山の見送りが新調されていますが、文字だけの刺繍です。
こちらも、自分はよくわかっていません。
2023年の祇園祭前祭宵山は郭巨山の粽だけ買って即帰ったので、
会所を見学しませんでした。
ですから、来年(2024年)は会所をしっかり見学します。

続いて、傘鉾1番の四条傘鉾が登場します。
「傘鉾」は平安時代からの形状を残す山鉾で、
(他の山鉾は、室町時代以降に成立しました)
他の「山」や「鉾」と別にカウントします。

四条傘鉾の幟の後に、町内の町衆が行進されます。
すべての山鉾の直後には各町内の町衆が行進されますが、
ここまでは町衆を上手く撮れませんでした。

町衆が行進された後に、浴衣姿の町衆と小学生児童が続きます。
平安時代の祇園祭には各山鉾に舞手が随行されましたが、
現在は各傘鉾のみに舞手が随行されます。

四条傘鉾が、「四条寺町」交差点で停止されます。
すると八坂神社お旅所の前に、浴衣姿の町衆が並びます。
小学生児童は、八坂神社お旅所の前の西側に待機されます。

浴衣姿の町衆は、笛や太鼓などの楽器を持たれています。
ですから浴衣姿の町衆の皆さんは、四条傘鉾の囃子手です。
八坂神社お旅所の西側で控えておられる小学生児童が、
四条傘鉾の舞手ということになります。

八坂神社お旅所の前に、四条傘鉾の舞手が立たれます。
先頭の男子児童が、長い棒を交差されています。
ここから、四条傘鉾の棒振り踊りが始まります。

四条傘鉾の囃子手さんが、演奏を始められます。
先頭の男子児童は棒を交差させたままゆっくり棒を振り回し、
そのままの格好で東へ前進されます。
後続の年少の児童はステップを踏みながら太鼓を鳴らして、
男子児童の後に続きます。

舞手の集団が、八坂神社お旅所の東端に達しました。
そこで、四条傘鉾の舞手は今度は西へと反転されます。
四条傘鉾の舞手の集団は、同じふりで踊り続けます。

四条傘鉾の舞手の皆さんが八坂神社お旅所の西端に達されると、
また東に振り返られます。
そして、また同じ振りの踊りが続きます。
舞手さんの衣装から、この踊りは元々は田楽だったのでしょうね。
田楽とは、田植えの際の歌や踊りです。
田植えは単純作業なのですが、続けていくとミスが起こります。
それを防ぐために、その脇で歌や踊りを行うことで
作業する農民のリズムが良くなり、ミスが減ります。
元々は歌や踊りが上手な農民が行いましたが、
やがてそれを専門の職業にする者が現れました。
それが、日本の芸能の起こりです。

四条傘鉾の舞手の男子児童が、交差させた棒を回転させて
また八坂神社お旅所前を西に進まれます。
この際囃子手が演奏される楽器はほかの山鉾と同じものですが、
祇園囃子よりテンポが速い反面牧歌的な曲です。
こういうところも、田楽を想像させますね。

後続の年少の小学生児童も、
リズムよく太鼓を叩きながら西に進まれます。
ステップを踏みながら、一歩ずつ前進されます。

すると年少の小学生児童が、太鼓をたたきながら立ち止まります。
一方その脇を男子児童が、棒を振り回しながら東に進まれます。

棒を回転させたまま男子児童が、
八坂神社お旅所最西端に辿り着かれました。
そして、そのまま年少の小学生児童の先頭に立たれます。

すると、年少の小学生児童が太鼓を叩きながら回り始めました。
その間も、囃子手が演奏される曲調は変化しません。

男子児童は、八坂神社お旅所の西側で棒を交差させて踊っています。
そして男子児童は、八坂神社お旅所の西端まで進まれます。

八坂神社お旅所の西端まで達した男子児童は、
棒を振り上げて今度は東へ走っていかれます。
その間、年少の小学生児童は男子児童の後をついていかれます。

もう一度先頭の男子児童が棒を交差させながら回転させ、
八坂神社お旅所前を西に進まれます。
年少の小学生児童は、男子児童の後をついていかれます。

そして八坂神社お旅所最西端まで進まれると、
今度は東に向けて進まれます。
男子児童が棒を交差させて回転させ、
年少の小学生児童がステップを踏んで太鼓を叩きながら進むのは、
基本的には変わりません。

ところが、ここから踊りの振りが変わります。
年少の小学生児童がその場で立ち止まり、その場でステップを踏まれます。

すると先頭だった男子児童が棒を肩に背負い、
年少の小学生児童の背後を西へ進まれます。

そして男子児童が八坂神社お旅所最西端まで進まれると、
今度は棒を掲げられます。

年少の小学生児童も、八坂神社お旅所最西端まで進まれます。
そして、その位置からまた隊列を組み直されます。

そして、また男子児童が棒を交差させて回転させます。
その後ろを年少の小学生児童が、
ステップを踏んで太鼓を叩きながら前進されます。
要するに、最初の振りに戻りました。

自分の目の前を四条傘鉾の舞手が東に進まれます。
また初めから繰り返しのようにも見えますが、
この直後に囃子手の皆さんは演奏を終了させました。
要するに、四条傘鉾の棒振り踊りが終了しました。
所要時間は、約20分でしょうか。

演奏終了直後は、囃子手さんは
笛太鼓をそのままの格好で停止されます。
舞手さんは男子児童も年少の小学生児童も、
八坂神社お旅所最東端まで進まれると、
そのまま「四条河原町」交差点へ進まれました。

すると、囃子手さんたちも「四条河原町」交差点に向かわれます。
四条傘鉾の棒振り踊りは、八坂神社お旅所前と
京都市役所前の2か所で行われます。
どちらも、有料の観覧席が設けられていますね。

四条傘鉾の囃子手さんは、相当数いらっしゃいます。
囃子手さんが一斉に「四条河原町」交差点に向かわれた直後、
四条傘鉾が八坂神社お旅所前に登場します。

こちらが、四条傘鉾です。
だいぶ大きめですが、平安時代の傘と同じ形状です。
元々平安時代の祇園祭では、こういう形状の山鉾が主流でした。
そしてその周囲で囃子手さんと舞手さんが
演奏されたり踊られたりしたのが、元々の祇園祭の形式でした。
祇園祭が現在のような形式になったのは、室町時代のことです。

四条傘鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
四条傘鉾は通常の山鉾とは異なるため、
前掛け、胴掛、水引、見送りといった装飾品の区分がありません。

四条傘鉾が、「四条河原町」交差点へ向かわれます。
よく考えれば、四条傘鉾の町衆は結構な大人数でした。

四条傘鉾に続いて、山5番の「木賊山」(とくさやま)の登場です。
ちょっと物悲しい謡曲を題材にした山ですね。
ただ今回も、だいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、木賊山、鶏鉾、油天神山と続いていきます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、クリックしてください。
八坂神社お旅所が、起点です。
~追記 その2~
後祭山鉾巡行に行ってきました
2023年7月24日月曜日に、祇園祭後祭山鉾巡行を取材しました。
祇園祭後祭山鉾巡行の模様は、2023年7月17日に取材した
記事を連載終了した時点で連載します。
~追記その3~
後祭神輿渡御の取材に失敗しました
2023年7月24日月曜日は祇園祭後祭山鉾巡行を取材した後、
いったん帰宅しました。
そこでシャワー浴びてちょっと休んでいたら、
思ったより時間が経ってしまいました。
慌てて「四条寺町」交差点に向かったら、
すでに午後5時を回っていました。
以下が、自分が四条通に戻った瞬間の写真です。

すでに祇園祭のお神輿である中御座が、
八坂神社お旅所から四条通に出ています。
担ぎ手の三若会の皆さんの掛け声が辺りに響いています。
「ほいっと ほいっと」と叫ばれています。

四条通上で、中御座が回転したり上下に揺れたりしています。
三若会の旗も、派手に翻っています。

中御座がしばらく派手な行動に出た後、
三若会の皆さんが中御座を固定台に置かれます。
そして、三若会の皆さんは中御座から離れます。

すると、今度は東御座の担ぎ手である四若会の皆さんが
八坂神社お旅所に向かわれます。
さらに周囲には、西御座の担ぎ手である
錦神輿会の皆さんもすでに集結されています。
……要するに、祇園祭後祭の神輿渡御が完全に始まっています。
これ以上近づけない事情もありまして、
2023年の祇園祭後祭神輿渡御の取材写真は、これですべてです。
2023年は祇園祭宵山の取材は可能ですが、
山鉾巡行と神輿渡御は2025年でないと取材できません。
特に神輿渡御は、自分が取材可能なのは数年に1回です。
ちょっと間が空きますが、次回の取材には
このような失敗をしないようにします。
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