第973回 山鉾が順々に巡行~祇園祭前祭山鉾巡行~その5
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前回ブログで四条傘鉾の棒振り踊りを取材しましたが、
その直後に2023年祇園祭前祭山鉾巡行山5番木賊山の登場です。
木賊(とくさ)とはシダ類の植物で、
かつて漢方薬の原料として採取されていました。
今回はこの木賊山以降も含む後続の山鉾を順々に掲載します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前10時半。
なかなかの炎天下でした。

木賊山の幟に続き、町衆さんたちが行進されます。
その後から、木賊山がゆっくり八坂神社お旅所に登場です。
木賊山は「山」なので、通常の神輿サイズで杉の木が1本立ちます。
そして、室町時代の人々が慣れ親しんだ物語でもある
謡曲から取材した一場面を題材に作られています。
木賊山は、木賊の採取で生計を立てる老人が題材です。
この老人が若いころ、息子が誘拐されて数十年会っていません。
この場面では、息子のことを思いながら
木賊を採取する老人を描いています。
確かこの老人は、息子に会わないまま一生を終えます。

木賊山が、八坂神社お旅所を通過します。
木賊山の前掛け、胴掛、見送りは
むかしの中国の風景を描いたものが多いですが、
これは西暦2000年ごろに新調されています。
以前は、むかしの西アジアの風景を描いたものでした。

木賊山に続いて、鉾3番鶏鉾の登場です。
長刀鉾や函谷鉾は最初から順番が決まっているので、
順番を決めるくじを引きません。
ところが、鶏鉾は鉾としては数少ない順番が決まっていない鉾です。
菊水鉾とくじを引いて、順番を決めます。

鶏鉾が「四条寺町」交差点を通過して、八坂神社お旅所前に登場です。
第971回ブログ終了時点で、撮影されていた多くの方々が
この場を離れていかれました。
おかげで自分は、割と前の方で撮影が可能になっています。
ただ四条通を散策されていた多くの外国人が
この山鉾巡行に気づき、またこちらに集まってこられました。
後述しますが、鶏鉾の装飾は山鉾の中でも特に美しいですからね。

ところがその直後に、鶏鉾が「四条寺町」交差点上で停止しました。
どうやら、また先を進む山鉾が渋滞しているようです。
写真には写っていませんが、
鶏鉾の曳手の皆さんはここで休憩です。
水を飲んだり、塩飴を舐めたりされていました。

その渋滞も、約5分後に解消です。
「えいやらや~」という音頭取りの皆さんの掛け声で、
鶏鉾が動き出します。
鶏鉾は古事記から取材されているといわれていますが、
正直はっきりと確定してはいません。
前掛けや胴掛の上に巻かれている水引が、
四条派による江戸時代の作品です。

鶏鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
鉾の上には囃手の皆さんがいらっしゃって、
祇園囃子を演奏されています。
見送りは立派な洋画ですが、17世紀にベルギーから輸入した
イーリアスを描いたタペストリーです。
元は後祭の鯉山の胴掛や見送りと合わせて、
1枚のタペストリーでした。
そして鶏鉾の見送りと鯉山の前掛けと胴掛は、
重油文化財に指定されています。

続いて2023年の山6番は、油天神山です。
油小路沿いにいらっしゃる天満宮が、「山」に載られています。
謡曲や物語から取材せず、町内の小さな神社の社を
そのままご神体として載せられた「山」が、数基存在します。
こちらも、そのうちの1基です。

油天神山の幟の後に、油天神山の町衆の皆さんが行進されます。
この油天神山の町衆の皆さんには、2017年にお世話になりました。
ウチの母と宵山散策していたとき、突然夕立に会いました。
どうしようもなくなって路上で呆然としていたのですが、
油天神山の町衆の皆さんが雨傘を配っておられて、
自分と母にもそれぞれ雨傘を貸して戴きました。
ちょうど先代のデジタルカメラが壊れた瞬間で、
結構落ち込んでいた自分はそのことで慰められました。
その辺りの詳細は、第499回ブログを参照してください。

こちらが、油天神山です。
小さな鳥居の先の社内に、油天神のご神体がいらっしゃいます。
油天神山の装飾品は近年新調されたものも多く、
真新しいイメージがあります。
油天神山の胴掛は、前田青邨による「紅白梅図」です。

油天神山が、八坂神社お旅所前を通過します。
油天神山の見送りは、立派な赤富士です。

そして、その後から2023年の山7番妄想山の登場です。
「妄想山」と書かれた幟の後、町衆の皆さんが行進されます。

町衆の皆さんが通過された後、孟宗山が登場します。
孟宗山の上部には孟宗(もうそう)像がいらして、
その脇の杉の木には雪に見立てた綿が置かれています。
孟宗は、三国志演義に登場される呉の文官です。
孟宗は、親孝行で有名な人物です。
まだ雪が残る時期に、孟宗の母が重い病気に罹りました。
どんどん弱っていく孟宗の母は、「タケノコを食べたい」と
うわごとを繰り返すようになりました。
そこで孟宗は夜中の雪山に飛び出し、タケノコを探しました。
そして苦労の末、タケノコを発見して自分の母親に食べさせました。
すると短期間とはいえ、孟宗の母は回復したそうです。
その時孟宗が発見したタケノコの品種を
のちの人々は「孟宗竹」(もうそうだけ)と呼びました。
この「山」は、タケノコを探す孟宗を描いています。
ちなみに、この数か月後に孟宗の母は病死しました。
その時孟宗は主君の孫権の命令に逆らい、
母親の喪に服して戦場に赴きませんでした。
それを「敵前逃亡」と考えた孫権は孟宗に死罪を言い渡しましたが、
陸遜に助命されて孫権は孟宗の処刑を中止しました。
晩年の孟宗は、滅亡寸前の呉を救った名宰相となりました。

孟宗山が、八坂神社お旅所前を通過します。
孟宗山の胴掛は、平山郁夫による「砂漠を進むラクダ」です。

孟宗山が四条通を東へ進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
孟宗山の見送りは、竹内栖鳳による水墨画の孟宗竹です。

続いて、孟宗山の手荷物が通過します。
2023年は、例年になく大きいですね。
おそらくですが、こちらには真水や塩飴など
熱中症対策がメインなのでしょうね。

さらに2023年の山8番霰天神山(あられてんじんやま)の登場です。
先ほどに続いて、町内の小さな神社をそのまま載せた山です。

霰天神山が、「四条寺町」交差点から東に進みます。
こちらも天満宮なのですが、火災除けのご利益があります。
室町時代後期の1520年ごろ町内で火災が起きたのですが、
突然空から霰が降って、その火災が鎮火したそうです。
宵山には、こちらの会所で火災除けのお札を買い求められます。

霰天神山が、八坂神社お旅所前を通過します。
霰天神山の胴掛は、上村松篁と上村淳史父子による原画を基にした
花鳥褸織を使用しています。

霰天神山が、四条通を東へと進みます。
霰天神山の見送りは、数年前に復元新調された龍図です。

霰天神山に続いて、長持が行進します。
霰天神山も、例年になく大荷物ですね。

その後から、鉾4番菊水鉾の登場です。
幟の後から、町衆の皆さんが四条通を行進されます。
町衆の皆さんの中に、山田啓二京都府前知事が
いらっしゃるような気がするのですが……

約30人の曳手の皆さんによって、菊水鉾の登場です。
中京区菊水鉾町の町内にある「菊水の井」という井戸を祀る鉾です。
「四条室町」交差点脇の鉾ですから、
宵山の際にはかなりの観光客に囲まれます。

菊水鉾の上部を大写ししました。
長刀鉾以外の鉾には、人形の稚児が置かれます。
人形の周囲には囃子手さんたちがいらして、
鉾の縁側に腰かけて祇園囃子を演奏されています。

菊水鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
菊水鉾の胴掛は、皆川月華の唐獅子図です。

菊水鉾が、四条通を東に進みます。
ちょっと変な角度になりましたが、
菊水鉾の見送りも皆川月華の作品です。

菊水鉾の後から、岡持ちを持った方が続きます。
通常の山鉾巡行ではこれくらいの手荷物を運んでいますが、
他の山鉾は2023年限定でこの数倍の荷物を運びます。

続いて、山9番役昌山の登場です。
恋愛運の上昇のご利益がある山ですね。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。
~次回は、保昌山から綾傘鉾へと続きます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
八坂神社お旅所が、起点です。
~追記 その2~
今後の予定
祇園祭前祭山鉾巡行の連載は、あと2回か3回続きます。
その後は、同じ2023年7月17日月曜日に催された
祇園祭神幸祭を掲載します。
要するに、お神輿の巡行ですね。
さらにその後は、2023年7月24日月曜日に取材した
祇園祭後祭山鉾巡行を掲載します。
その日の祇園祭還幸祭は遅刻して取材できなかったので、
その分の連載はありません。
2023年の祇園祭の連載はここまでですが、
2023年8月いっぱいはかかります。
その後は「花屋町通編」の連載を再開する前に、
ちょっと夏休みの散策を掲載する予定です。
~追記 その3~
2023年7月17日のウチのネコ

ここのところ炎天下の日々が続きますが、
ウチのネコが母の仕事場で居眠りをしています。
これでは、ウチの母は仕事ができません。
この真上にエアコンがあって、風が直撃するのがこの理由です。
~追記 その4~
取り敢えず、決勝トーナメント進出
2023年7月25日火曜日に女子サッカーW杯
オーストラリア・ニュージーランド大会で
グループリーグC組第2戦が催されました。
前半早々に得点したなでしこ日本は、
その後上手く試合を流し2-0で快勝しました。
これでなでしこ日本は、次戦を待たずに
決勝トーナメント進出が決定しました。
まぁここまでは順調ですが、目標が優勝なので
ここから先の試合がとても重要になります。
進みたい方は、ここをクリックしてください。

前回ブログで四条傘鉾の棒振り踊りを取材しましたが、
その直後に2023年祇園祭前祭山鉾巡行山5番木賊山の登場です。
木賊(とくさ)とはシダ類の植物で、
かつて漢方薬の原料として採取されていました。
今回はこの木賊山以降も含む後続の山鉾を順々に掲載します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前10時半。
なかなかの炎天下でした。

木賊山の幟に続き、町衆さんたちが行進されます。
その後から、木賊山がゆっくり八坂神社お旅所に登場です。
木賊山は「山」なので、通常の神輿サイズで杉の木が1本立ちます。
そして、室町時代の人々が慣れ親しんだ物語でもある
謡曲から取材した一場面を題材に作られています。
木賊山は、木賊の採取で生計を立てる老人が題材です。
この老人が若いころ、息子が誘拐されて数十年会っていません。
この場面では、息子のことを思いながら
木賊を採取する老人を描いています。
確かこの老人は、息子に会わないまま一生を終えます。

木賊山が、八坂神社お旅所を通過します。
木賊山の前掛け、胴掛、見送りは
むかしの中国の風景を描いたものが多いですが、
これは西暦2000年ごろに新調されています。
以前は、むかしの西アジアの風景を描いたものでした。

木賊山に続いて、鉾3番鶏鉾の登場です。
長刀鉾や函谷鉾は最初から順番が決まっているので、
順番を決めるくじを引きません。
ところが、鶏鉾は鉾としては数少ない順番が決まっていない鉾です。
菊水鉾とくじを引いて、順番を決めます。

鶏鉾が「四条寺町」交差点を通過して、八坂神社お旅所前に登場です。
第971回ブログ終了時点で、撮影されていた多くの方々が
この場を離れていかれました。
おかげで自分は、割と前の方で撮影が可能になっています。
ただ四条通を散策されていた多くの外国人が
この山鉾巡行に気づき、またこちらに集まってこられました。
後述しますが、鶏鉾の装飾は山鉾の中でも特に美しいですからね。

ところがその直後に、鶏鉾が「四条寺町」交差点上で停止しました。
どうやら、また先を進む山鉾が渋滞しているようです。
写真には写っていませんが、
鶏鉾の曳手の皆さんはここで休憩です。
水を飲んだり、塩飴を舐めたりされていました。

その渋滞も、約5分後に解消です。
「えいやらや~」という音頭取りの皆さんの掛け声で、
鶏鉾が動き出します。
鶏鉾は古事記から取材されているといわれていますが、
正直はっきりと確定してはいません。
前掛けや胴掛の上に巻かれている水引が、
四条派による江戸時代の作品です。

鶏鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
鉾の上には囃手の皆さんがいらっしゃって、
祇園囃子を演奏されています。
見送りは立派な洋画ですが、17世紀にベルギーから輸入した
イーリアスを描いたタペストリーです。
元は後祭の鯉山の胴掛や見送りと合わせて、
1枚のタペストリーでした。
そして鶏鉾の見送りと鯉山の前掛けと胴掛は、
重油文化財に指定されています。

続いて2023年の山6番は、油天神山です。
油小路沿いにいらっしゃる天満宮が、「山」に載られています。
謡曲や物語から取材せず、町内の小さな神社の社を
そのままご神体として載せられた「山」が、数基存在します。
こちらも、そのうちの1基です。

油天神山の幟の後に、油天神山の町衆の皆さんが行進されます。
この油天神山の町衆の皆さんには、2017年にお世話になりました。
ウチの母と宵山散策していたとき、突然夕立に会いました。
どうしようもなくなって路上で呆然としていたのですが、
油天神山の町衆の皆さんが雨傘を配っておられて、
自分と母にもそれぞれ雨傘を貸して戴きました。
ちょうど先代のデジタルカメラが壊れた瞬間で、
結構落ち込んでいた自分はそのことで慰められました。
その辺りの詳細は、第499回ブログを参照してください。

こちらが、油天神山です。
小さな鳥居の先の社内に、油天神のご神体がいらっしゃいます。
油天神山の装飾品は近年新調されたものも多く、
真新しいイメージがあります。
油天神山の胴掛は、前田青邨による「紅白梅図」です。

油天神山が、八坂神社お旅所前を通過します。
油天神山の見送りは、立派な赤富士です。

そして、その後から2023年の山7番妄想山の登場です。
「妄想山」と書かれた幟の後、町衆の皆さんが行進されます。

町衆の皆さんが通過された後、孟宗山が登場します。
孟宗山の上部には孟宗(もうそう)像がいらして、
その脇の杉の木には雪に見立てた綿が置かれています。
孟宗は、三国志演義に登場される呉の文官です。
孟宗は、親孝行で有名な人物です。
まだ雪が残る時期に、孟宗の母が重い病気に罹りました。
どんどん弱っていく孟宗の母は、「タケノコを食べたい」と
うわごとを繰り返すようになりました。
そこで孟宗は夜中の雪山に飛び出し、タケノコを探しました。
そして苦労の末、タケノコを発見して自分の母親に食べさせました。
すると短期間とはいえ、孟宗の母は回復したそうです。
その時孟宗が発見したタケノコの品種を
のちの人々は「孟宗竹」(もうそうだけ)と呼びました。
この「山」は、タケノコを探す孟宗を描いています。
ちなみに、この数か月後に孟宗の母は病死しました。
その時孟宗は主君の孫権の命令に逆らい、
母親の喪に服して戦場に赴きませんでした。
それを「敵前逃亡」と考えた孫権は孟宗に死罪を言い渡しましたが、
陸遜に助命されて孫権は孟宗の処刑を中止しました。
晩年の孟宗は、滅亡寸前の呉を救った名宰相となりました。

孟宗山が、八坂神社お旅所前を通過します。
孟宗山の胴掛は、平山郁夫による「砂漠を進むラクダ」です。

孟宗山が四条通を東へ進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
孟宗山の見送りは、竹内栖鳳による水墨画の孟宗竹です。

続いて、孟宗山の手荷物が通過します。
2023年は、例年になく大きいですね。
おそらくですが、こちらには真水や塩飴など
熱中症対策がメインなのでしょうね。

さらに2023年の山8番霰天神山(あられてんじんやま)の登場です。
先ほどに続いて、町内の小さな神社をそのまま載せた山です。

霰天神山が、「四条寺町」交差点から東に進みます。
こちらも天満宮なのですが、火災除けのご利益があります。
室町時代後期の1520年ごろ町内で火災が起きたのですが、
突然空から霰が降って、その火災が鎮火したそうです。
宵山には、こちらの会所で火災除けのお札を買い求められます。

霰天神山が、八坂神社お旅所前を通過します。
霰天神山の胴掛は、上村松篁と上村淳史父子による原画を基にした
花鳥褸織を使用しています。

霰天神山が、四条通を東へと進みます。
霰天神山の見送りは、数年前に復元新調された龍図です。

霰天神山に続いて、長持が行進します。
霰天神山も、例年になく大荷物ですね。

その後から、鉾4番菊水鉾の登場です。
幟の後から、町衆の皆さんが四条通を行進されます。
町衆の皆さんの中に、山田啓二京都府前知事が
いらっしゃるような気がするのですが……

約30人の曳手の皆さんによって、菊水鉾の登場です。
中京区菊水鉾町の町内にある「菊水の井」という井戸を祀る鉾です。
「四条室町」交差点脇の鉾ですから、
宵山の際にはかなりの観光客に囲まれます。

菊水鉾の上部を大写ししました。
長刀鉾以外の鉾には、人形の稚児が置かれます。
人形の周囲には囃子手さんたちがいらして、
鉾の縁側に腰かけて祇園囃子を演奏されています。

菊水鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
菊水鉾の胴掛は、皆川月華の唐獅子図です。

菊水鉾が、四条通を東に進みます。
ちょっと変な角度になりましたが、
菊水鉾の見送りも皆川月華の作品です。

菊水鉾の後から、岡持ちを持った方が続きます。
通常の山鉾巡行ではこれくらいの手荷物を運んでいますが、
他の山鉾は2023年限定でこの数倍の荷物を運びます。

続いて、山9番役昌山の登場です。
恋愛運の上昇のご利益がある山ですね。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。
~次回は、保昌山から綾傘鉾へと続きます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
八坂神社お旅所が、起点です。
~追記 その2~
今後の予定
祇園祭前祭山鉾巡行の連載は、あと2回か3回続きます。
その後は、同じ2023年7月17日月曜日に催された
祇園祭神幸祭を掲載します。
要するに、お神輿の巡行ですね。
さらにその後は、2023年7月24日月曜日に取材した
祇園祭後祭山鉾巡行を掲載します。
その日の祇園祭還幸祭は遅刻して取材できなかったので、
その分の連載はありません。
2023年の祇園祭の連載はここまでですが、
2023年8月いっぱいはかかります。
その後は「花屋町通編」の連載を再開する前に、
ちょっと夏休みの散策を掲載する予定です。
~追記 その3~
2023年7月17日のウチのネコ

ここのところ炎天下の日々が続きますが、
ウチのネコが母の仕事場で居眠りをしています。
これでは、ウチの母は仕事ができません。
この真上にエアコンがあって、風が直撃するのがこの理由です。
~追記 その4~
取り敢えず、決勝トーナメント進出
2023年7月25日火曜日に女子サッカーW杯
オーストラリア・ニュージーランド大会で
グループリーグC組第2戦が催されました。
前半早々に得点したなでしこ日本は、
その後上手く試合を流し2-0で快勝しました。
これでなでしこ日本は、次戦を待たずに
決勝トーナメント進出が決定しました。
まぁここまでは順調ですが、目標が優勝なので
ここから先の試合がとても重要になります。
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