第976回 岩戸山 船鉾~祇園祭前祭山鉾巡行~その8
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第971回ブログ以来次々と山鉾を掲載してきましたが、
残るは特殊な山鉾2基となりました。
どちらも特殊な形状で、くじ取らずで順番が固定されます。
先ずは曳山の岩戸山ですね。
撮影日は、2023年7月17日月曜日正午。
2023年の祇園祭前祭山鉾巡行の連載は、今回で終了します。

先述の通り、岩戸山は曳山です。
曳山は「山」と「鉾」の中間で、
祇園祭前祭にはこの岩戸山しかありません。
(祇園祭後祭には、3基あります)
「山」なので天頂に松の木が立ちますが、
「鉾」並みの大きさなので
約30人の曳手が人の歩く速さで山を曳きます。
岩戸山の「岩戸」とは、天岩戸のことです。
八坂神社の主神でもある素戔嗚尊は、
疫病をばらまく「死神」としての側面もあります。
(「日本書紀」では、「根の国の神」と表記)
その素戔嗚尊が悪行の限りを尽くして、
天照大神を岩戸の内部に追い込んだ神話です。

岩戸山の屋根の上に、何名かが乗られています。
他の「鉾」にも何名かが乗られていますが、
岩戸山にはさらに田力男の像がおられます。
田力男(あめのたぢからお)が力づくで天岩戸をこじ開け、
天照大神を外に出して、
その後素戔嗚尊を高天原から追放することで、
天照大神は高天原の治世を取り戻しました。
そもそも祇園祭は、天然痘など疫病除けのお祭りです。
疫病をばらまく側面のある素戔嗚尊を追放する岩戸山を
特別の位置で山鉾巡行させることは、
疫病を避ける呪術的な意味が想起されます。

岩戸山が、八坂神社お旅所の前を通過します。
曳山は「鉾」と同じ大きさですから、
脇に囃子手さんたちが乗っておられて、
祇園囃子を演奏されています。
岩戸山の胴掛は、インド製の絨毯を使用しています。

今度は岩戸山の底の部分を撮りました。
竹竿が並んでいますが、こちらは辻回しの際に使われます。
つまり岩戸山はこの大きさですから、
交差点ではこの竹竿を前輪の下に置いて、
竹竿の上で前輪を滑られることで回転します。

岩戸山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点に移動します。
岩戸山の見送りは「日月龍唐子喜遊図」ですが、
1年おきに皆川泰蔵による「ヴェネツィア図」に交換されます。

そして船鉾の幟が、「四条寺町」交差点に登場です。
こちらが、祇園祭前祭山鉾巡行の最後尾です。

町衆の皆さんを引き連れて、、「四条寺町」交差点に船鉾が登場です。
船の形をした特殊な「鉾」ですが、
よく見ると天頂の刃先が付いた鉾がないこと以外は、
通常の「鉾」と同じ部位に分かれます。

船鉾の舳先に、黄金の鳥が付いています。
こちらは、鷁(げき)という中国の伝説上の水鳥です。

船鉾が、八坂神社お旅所の前を通過します。
船鉾は「鉾」なので、上部で囃子手さんたちが
祇園囃子を演奏されています。
船鉾の胴掛は、横縞なのが特徴です。
祇園祭後祭山鉾巡行の最後尾は
「大船鉾」と言う似た形状の鉾です。
ただ、大船鉾は胴掛の模様と舵の色が大きく異なります。
(大船鉾の詳細は、第878回ブログを参照してください)

船鉾は、神功皇后が新羅に船で攻め込む様子を表しています。
現代なら覇権主義の象徴という説もあり得ますが、
当時の日本は貿易もそれほど積極的ではなく、
日本人も外国に目が向いていませんでした。
そんな当時の日本が侵略を賛美しても、無意味です。
おそらくですが、こちらは「勝利」の象徴だったのでしょうね。
手前の岩戸山が疫病神との戦いを表し、
この船鉾が「勝利」を象徴するとなると、
「疫病に勝利する」という当時の人々の願いが見えてきます。

船鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点へと向かいます。
船鉾の最後尾に神棚があり、
そちらに神功皇后像がいらっしゃいます。
その下の舵が黒漆塗りなのが、船鉾の特徴です。
(大船鉾の場合は、赤漆塗りの舵です)

船鉾が通り過ぎて、祇園祭前祭の山鉾がすべて通過しました。
すると、船鉾の後から警察車両が続きます。
京都市内のお祭り巡行には
必ず最初と最後に警察車両が同行します。
おそらく道路交通法の関係ですが、
そうなると他の地域のお祭りでも
同じことになっているのでしょうか?

警察車両に続いて、ワゴン車とトラックが登場です。
祇園祭の関係者と荷物を積んでいます。

さらに、その後から交通警察のクレーン車が登場します。
クレーン車は、一斉に「四条寺町」交差点の信号機に向かいます。

「四条寺町」交差点の4つの信号機に、クレーン車が向かいます。
四条通を西から東へ、
交差点ごとに付いた信号機を元に戻していきます。
「四条麩屋町」交差点など、「四条寺町」交差点以西の信号機は
すでに通常モードに戻っています。

信号機に、交通警察官が近づかれます。
よく見ると信号機だけでなく、道路標識にも触れておられます。

信号機や道路標識は可動式で、
手で触れただけで簡単に元の位置に戻せます。
交通警察官が近づかれてから、
10秒ほどで信号機や道路標識は元に戻りました。

クレーン車が元の高さに戻り、そのまま移動します。
とは言え、船鉾はまだ「四条河原町」交差点に近付いていません。
ですから船鉾の後続で、クレーン車は待機されます。

この時点で八坂神社お旅所の前では、
横断幕と観覧席は撤去され始めています。
夕方からの神輿渡御が終わると、
こちらに祇園祭のお神輿が納められます。

八坂神社お旅所の前から、四条通を東に向いています。
四条通は、約400m先の八坂神社で突き当たります。
「四条河原町」交差点を見ると、
前回ブログの放下鉾は辻回しを終えましたが、
船鉾どころか岩戸山もまだ辻回しを終えていません。
船鉾が「四条河原町」交差点の辻回しを終えるのは、
この時点から約30分以上経ってからでした。

八坂神社お旅所の前で北を向くと、
四条通から北に新京極通が伸びています。
第969回ブログではほぼ無人だった新京極も、正午を回り超満員です。
ではその脇にある地下へ通じる階段を下りて、
阪急電車京都線「河原町」駅から帰宅します。
これで、2023年祇園祭前祭山鉾巡行の連載は終了です。
~次回は、写真のない短い記事を掲載します。
その記事の次に、この日の午後に催された神幸祭を連載します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
八坂神社お旅所が、起点です。
~追記 その2~
次回は、写真のない短い時期です
一通り現在連載していた記事が終わりましたので、
次回は写真のない記事を掲載します。
本当は毎年7月21日に掲載していた記事なのですが、
2023年はうっかり忘れていました。
そういう時は8月6日に掲載していましたので、
2023年はそちらのパターンで書いていきます。
その次から、祇園祭の神輿渡御の連載が始まります。
~追記 その3~
エビスクが閉店
エビスクとは、京都駅前にあった地域スーパーです。
元々は公設市場だった施設が、スーパーに転身しました。
(京都では、よくあることでした)
UR都市が経営するマンションの1Fにテナントとして、
ずっと下京区や東山区の方々が利用してきました。
ところがそのマンションが老朽化していて、
この度取り壊すことになりました。
そのため、1Fのエビスクも閉店となりました。
まぁ事情は分かるんですが、
実はウチの買い物先が減って困っています。
一応は地域スーパーのフレスコが近所にできたので、
そちらを利用していますが、
もしそちらで売り切れている商品が欲しい場合、
もうあきらめるしかありません。
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第971回ブログ以来次々と山鉾を掲載してきましたが、
残るは特殊な山鉾2基となりました。
どちらも特殊な形状で、くじ取らずで順番が固定されます。
先ずは曳山の岩戸山ですね。
撮影日は、2023年7月17日月曜日正午。
2023年の祇園祭前祭山鉾巡行の連載は、今回で終了します。

先述の通り、岩戸山は曳山です。
曳山は「山」と「鉾」の中間で、
祇園祭前祭にはこの岩戸山しかありません。
(祇園祭後祭には、3基あります)
「山」なので天頂に松の木が立ちますが、
「鉾」並みの大きさなので
約30人の曳手が人の歩く速さで山を曳きます。
岩戸山の「岩戸」とは、天岩戸のことです。
八坂神社の主神でもある素戔嗚尊は、
疫病をばらまく「死神」としての側面もあります。
(「日本書紀」では、「根の国の神」と表記)
その素戔嗚尊が悪行の限りを尽くして、
天照大神を岩戸の内部に追い込んだ神話です。

岩戸山の屋根の上に、何名かが乗られています。
他の「鉾」にも何名かが乗られていますが、
岩戸山にはさらに田力男の像がおられます。
田力男(あめのたぢからお)が力づくで天岩戸をこじ開け、
天照大神を外に出して、
その後素戔嗚尊を高天原から追放することで、
天照大神は高天原の治世を取り戻しました。
そもそも祇園祭は、天然痘など疫病除けのお祭りです。
疫病をばらまく側面のある素戔嗚尊を追放する岩戸山を
特別の位置で山鉾巡行させることは、
疫病を避ける呪術的な意味が想起されます。

岩戸山が、八坂神社お旅所の前を通過します。
曳山は「鉾」と同じ大きさですから、
脇に囃子手さんたちが乗っておられて、
祇園囃子を演奏されています。
岩戸山の胴掛は、インド製の絨毯を使用しています。

今度は岩戸山の底の部分を撮りました。
竹竿が並んでいますが、こちらは辻回しの際に使われます。
つまり岩戸山はこの大きさですから、
交差点ではこの竹竿を前輪の下に置いて、
竹竿の上で前輪を滑られることで回転します。

岩戸山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点に移動します。
岩戸山の見送りは「日月龍唐子喜遊図」ですが、
1年おきに皆川泰蔵による「ヴェネツィア図」に交換されます。

そして船鉾の幟が、「四条寺町」交差点に登場です。
こちらが、祇園祭前祭山鉾巡行の最後尾です。

町衆の皆さんを引き連れて、、「四条寺町」交差点に船鉾が登場です。
船の形をした特殊な「鉾」ですが、
よく見ると天頂の刃先が付いた鉾がないこと以外は、
通常の「鉾」と同じ部位に分かれます。

船鉾の舳先に、黄金の鳥が付いています。
こちらは、鷁(げき)という中国の伝説上の水鳥です。

船鉾が、八坂神社お旅所の前を通過します。
船鉾は「鉾」なので、上部で囃子手さんたちが
祇園囃子を演奏されています。
船鉾の胴掛は、横縞なのが特徴です。
祇園祭後祭山鉾巡行の最後尾は
「大船鉾」と言う似た形状の鉾です。
ただ、大船鉾は胴掛の模様と舵の色が大きく異なります。
(大船鉾の詳細は、第878回ブログを参照してください)

船鉾は、神功皇后が新羅に船で攻め込む様子を表しています。
現代なら覇権主義の象徴という説もあり得ますが、
当時の日本は貿易もそれほど積極的ではなく、
日本人も外国に目が向いていませんでした。
そんな当時の日本が侵略を賛美しても、無意味です。
おそらくですが、こちらは「勝利」の象徴だったのでしょうね。
手前の岩戸山が疫病神との戦いを表し、
この船鉾が「勝利」を象徴するとなると、
「疫病に勝利する」という当時の人々の願いが見えてきます。

船鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点へと向かいます。
船鉾の最後尾に神棚があり、
そちらに神功皇后像がいらっしゃいます。
その下の舵が黒漆塗りなのが、船鉾の特徴です。
(大船鉾の場合は、赤漆塗りの舵です)

船鉾が通り過ぎて、祇園祭前祭の山鉾がすべて通過しました。
すると、船鉾の後から警察車両が続きます。
京都市内のお祭り巡行には
必ず最初と最後に警察車両が同行します。
おそらく道路交通法の関係ですが、
そうなると他の地域のお祭りでも
同じことになっているのでしょうか?

警察車両に続いて、ワゴン車とトラックが登場です。
祇園祭の関係者と荷物を積んでいます。

さらに、その後から交通警察のクレーン車が登場します。
クレーン車は、一斉に「四条寺町」交差点の信号機に向かいます。

「四条寺町」交差点の4つの信号機に、クレーン車が向かいます。
四条通を西から東へ、
交差点ごとに付いた信号機を元に戻していきます。
「四条麩屋町」交差点など、「四条寺町」交差点以西の信号機は
すでに通常モードに戻っています。

信号機に、交通警察官が近づかれます。
よく見ると信号機だけでなく、道路標識にも触れておられます。

信号機や道路標識は可動式で、
手で触れただけで簡単に元の位置に戻せます。
交通警察官が近づかれてから、
10秒ほどで信号機や道路標識は元に戻りました。

クレーン車が元の高さに戻り、そのまま移動します。
とは言え、船鉾はまだ「四条河原町」交差点に近付いていません。
ですから船鉾の後続で、クレーン車は待機されます。

この時点で八坂神社お旅所の前では、
横断幕と観覧席は撤去され始めています。
夕方からの神輿渡御が終わると、
こちらに祇園祭のお神輿が納められます。

八坂神社お旅所の前から、四条通を東に向いています。
四条通は、約400m先の八坂神社で突き当たります。
「四条河原町」交差点を見ると、
前回ブログの放下鉾は辻回しを終えましたが、
船鉾どころか岩戸山もまだ辻回しを終えていません。
船鉾が「四条河原町」交差点の辻回しを終えるのは、
この時点から約30分以上経ってからでした。

八坂神社お旅所の前で北を向くと、
四条通から北に新京極通が伸びています。
第969回ブログではほぼ無人だった新京極も、正午を回り超満員です。
ではその脇にある地下へ通じる階段を下りて、
阪急電車京都線「河原町」駅から帰宅します。
これで、2023年祇園祭前祭山鉾巡行の連載は終了です。
~次回は、写真のない短い記事を掲載します。
その記事の次に、この日の午後に催された神幸祭を連載します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
八坂神社お旅所が、起点です。
~追記 その2~
次回は、写真のない短い時期です
一通り現在連載していた記事が終わりましたので、
次回は写真のない記事を掲載します。
本当は毎年7月21日に掲載していた記事なのですが、
2023年はうっかり忘れていました。
そういう時は8月6日に掲載していましたので、
2023年はそちらのパターンで書いていきます。
その次から、祇園祭の神輿渡御の連載が始まります。
~追記 その3~
エビスクが閉店
エビスクとは、京都駅前にあった地域スーパーです。
元々は公設市場だった施設が、スーパーに転身しました。
(京都では、よくあることでした)
UR都市が経営するマンションの1Fにテナントとして、
ずっと下京区や東山区の方々が利用してきました。
ところがそのマンションが老朽化していて、
この度取り壊すことになりました。
そのため、1Fのエビスクも閉店となりました。
まぁ事情は分かるんですが、
実はウチの買い物先が減って困っています。
一応は地域スーパーのフレスコが近所にできたので、
そちらを利用していますが、
もしそちらで売り切れている商品が欲しい場合、
もうあきらめるしかありません。
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