第981回祇園祭神幸祭結団式~祇園祭神幸祭 2023~その5
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前回ブログで3基のお神輿が、「祇園」交差点に集結しました。
お神輿の担ぎ手である三若会・四若会・錦神輿の方々が、
「祇園」交差点で東を向かれています。
ここから、祇園祭神幸祭結団式が始まります。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午後6時半。
今回は、各お神輿が「祇園」交差点を出発するまでを掲載します。

八坂神社西楼門前の石段に多くの方がいらっしゃいますが、
担ぎ手の皆さんの座る位置がなかなか決まりません。
目の前では東御座を担がれる四若会の皆さんが、
何度も座り直されています。
とは言え、それも数分で解決します。
そこで予定通りの時間で、結団式が始まります。

祇園祭神幸祭結団式では、様々な方が演説をされます。
先ずは、八坂神社の宮司さんが登壇されました。
八坂神社の最高責任者は神主ではなく、宮司です。
初めにコロナ禍の間できなかった
結団式ができたことに喜びの言葉を述べられて、
続いてコロナウィルスを初め疫病の平癒を祈願されて、
(そもそも祇園祭は、「疫病平癒」を願うお祭りです)
最後に神輿渡御が事故無く終わることを祈願されました。

続いて京都市を代表して、門川大作京都市長が登壇されました。
先ずは今年(2023年)は結団式ができたことに祝辞を述べられ、
続いて「疫病平癒」や「世界平和」を祈願されました。

さらに京都府を代表して、西脇隆俊京都府知事が登壇されました。
西脇知事も結団式への祝辞を述べられた後
疫病平癒・世界平和を祈願されましたが、
まぁこのような演説にオリジナリティとか
面白さとかは求められてはいません。
ですから門川京都市長と演説内容が被るのは、当然のことです。
……ところで、西脇知事は三若会の法被をお召しです。
もしかして、西脇知事も中御座を担がれたのでしょうか?

今度は八坂神社の神職さんが、榊を片手に登壇されました。
ここから、八坂神社のお神輿を榊で清められます。

八坂神社の神職さんは、榊をお神輿の前で横に振られます。
要するに、紙垂で清められるときになされる動作ですね。

榊を振り終えられた八坂神社の神職さんは、
一礼されると後ろの石段に退かれました。
この写真では東御座だけに榊を振られたように見えますが、
特定のお神輿ではなく石段の中央で榊を振られていました。

ここでお神輿の担ぎ手の団体である
三若会・四若会・錦神輿会の代表者が、
八坂神社西楼門前の石段に順番に登壇されました。
ところが、自分の撮影場所からでは上手く写りません。
よく見ると三若会の代表者が写真中央にいらっしゃいますが、
まったく分かりませんね。
とても重いお神輿は、うっかりすると大きな事故を起こします。
指揮者の指示が的確で、担ぎ手全員が指示通り動かないと、
最悪の場合死者すら出ることもあり得ます。
3団体の代表者さんは、何より神輿渡御での安全を強調されました。

ここで、八坂神社西楼門前の石段での結団式が終わりました。
ただ八坂神社神幸祭の神輿渡御は、ここからが本番です。
お神輿のうちの1基東御座を担がれる四若会の皆さんが、
鉢巻きを締めなおし「祇園」交差点北側にいらっしゃる
東御座へと足を運ばれました。

四若会の皆さんが、東御座の許に集結されます。
ここから3基のお神輿は「祇園」交差点を出発されて、
それぞれの氏子地域へと向かわれますが、
その前に「祇園」交差点で、
3基のお神輿による一大パフォーマンスが繰り広げられます。

こちらの写真の中央に、中御座が写っています。
その奥には、西御座が鎮座しています。
中御座には三若会の皆さんが、
西御座には錦神輿会の皆さんが、集結されます。

ただ三若会の皆さんが中御座を担がれると、
自分の角度からは西御座が見えなくなりました。
なお次回ブログは、ほぼ西御座の記事で終始します。

三若会の皆さんが中御座を担がれる前に、
「三若」と書かれた紫紺の旗と提灯が、
自分たち撮影者の近くに移動されました。
中御座はこの後「祇園」交差点から四条通を西に移動されますので、
自分たち撮影者の近くが進行方向になります。

「祇園」交差点北側で、「ほいっと ほいっと」の掛け声がしました。
四若会の皆さんが東御座を担ぎあげられて、
その直後に頭上まで持ち上げられました。

その直後に四若会の掛け声が、
「まわ~せ まわ~せ」に変わります。
「四若」と書かれた紫紺の旗が翻る中、
四若会の皆さんが担がれる東御座が、回転し始めました。

一方「祇園」交差点西側では、三若会の皆さんが中御座を担がれます。
こちらも、「ほいっと ほいっと」の掛け声がします。
そしてすぐに、三若会の皆さんが中御座を頭上に持ち上げられました。
この写真でははっきり見えませんが、「祇園」交差点南側では
錦神輿会の皆さんも西御座を担がれて頭上に持ち上げられました。

そして、三若会が担がれる中御座の掛け声も変わります。
「まわ~せ まわ~せ」と声がかかると、中御座も回転し始めました。

カメラの拡大をやめて、引いた構図で写真を撮りました。
三若会が担がれる中御座と四若会が担がれる東御座が、
同時に回転しています。

三若会の皆さんが、中御座を回転させておられます。
中御座の周囲にも三若会の方々がおられて、
扇子を掲げて「まわ~せ まわーせ」と声を上げられます。

三若会の方々が担がれる中御座が、まだ回り続けます。
この写真をよく見ると、この先(南)で
錦神輿会の皆さんが担がれる西御座も回転されています。

さらに、中御座を写しています。
写真ではだいぶ枚数が経っていますが、
時間的には数分しか経っていません。

三若会の皆さんは、頭上に中御座を持ち上げ続けておられます。
そうは言っても、そこそこの時間持ち上げ続けるのには
相当の力が必要でしょうね。

その時回転する中御座が上手くズレて戴いたので、
「祇園」交差点南側にいらっしゃる西御座を写せました。
西御座を担がれる神輿神輿会の皆さんは、
肩の高さに西御座を戻されて、
その場で西御座を上下に揺らしておられます。

一方三若会の皆さんが担がれている中御座は、
まだ頭上の高さで回転し続けています。
先述しましたが、相当長い時間この状態を維持されています。
よく見ると錦神輿会の皆さんもまた西御座を頭上に持ち上げて、
さらに回転を始められました。

こちらは三若会の皆さんが担がれる中御座です。
まだまだ頭上に掲げられたまま三若会の皆さんは、
中御座を回し続けられます。

ここでようやく、三若会の皆さんは中御座を肩の高さで担がれます。
そして、今度は上下に中御座を揺らしておられます。

そして、ここでまた三若会の皆さんは中御座を頭上に掲げられます。
たぶんですが、ここで担ぎ手が交代されたのだと思います。

ただ、ここからは中御座を担がれる三若会の皆さんは回転されず、
その場で中御座を上下に揺らし始められました。

三若会の皆さんが担がれる中御座が、激しく揺れています。
中御座の周囲にいらっしゃる方々も、「まわ~せ まわ~せ」から
「ほいっと ほいっと」に掛け声が変わります。

すると三社若会の皆さんが担がれる中御座が、
「祇園」交差点から少しずつ四条通を西へと移動しました。
三若会の皆さんは、まだ頭上に中御座を持ち上げておられます。

「祇園」交差点から中御座が四条通をに似へ移動するということは、
自分たち撮影者の目の前に中御座が近づいてくるということです。
この時点で自分たち撮影者と三若会の皆さんは、
肩と肩がぶつかる距離です。
とは言え中御座と自分たち撮影者の間に
お神輿を担がれていない三若会の皆さんがいらっしゃるので、
そちらの方々が緩衝材になることで
事故などは起こらないようになっています。

先ほどの写真を少し引いて撮り直すと、
このくらいの距離感があります。
まぁ自分が撮影者の中でも一番歩道側にいますので、
自分自身は三若会の方々と少し遠いです。

一方、こちらは「祇園」交差点北側の東御座です。
四若会の皆さんが東御座を肩の高さに下ろされたので、
こちらも掛け声が「ほいっと ほいっと」に戻りました。

そして四若会の皆さんが担がれる東御座は、
そのまま「祇園」交差点から東大路を北上しました。
ここから東御座は祇園北部を進んだ後、
烏丸通の政所まで移動してから
「四条寺町」交差点東側の八坂神社お旅所へ向かいます。
つまり、東御座はこれを以って「祇園」交差点から去ります。
自分たち撮影者の中には東御座にこだわっておられる方も多く、
かなりの数の撮影者が自分たちがいたスペースから立ち去り、
東大路を北上されて東御座を追いかけられました。

その時点で中御座を担がれる三若会の皆さんも、
肩の高さまでお神輿を下ろされました。
そして整列し直されると、四条通を西に進まれました。

三若会の皆さんが担がれる中御座も「祇園」交差点から立ち去り、
四条通を西へ進まれます。
この後中御座は紆余曲折あるものの、
基本的には約5㎞先の堀川通まで西に進みます。
そこから三条通の三条会商店街へ向かいます。
三若会の会所はその三条会商店街の近くにあって、
三若会の氏子地域も三条会商店街周辺です。
ですから中御座もそちらに向かうのですが、
最終的には「四条寺町」交差点の八坂神社お旅所まで戻られるので、
三若会の皆さんはお神輿をかなりの長距離担がれます。
撮影者のうち多くの方々が、この後中御座を追いかけられます。
ただ自分がこだわって撮り続けるお神輿は、中御座でもありません。
中御座を追いかけられる撮影者の皆さんとも、ここでお別れです。

という訳でこの時点で「祇園」交差点におられるのは、
西御座を担がれる錦神輿会の方々だけになりました。
錦神輿会の皆さんが担がれる西御座は四条通を西に進み、
約200m中御座と巡行コースが重なります。
ですから中御座が四条通を西に進まれる間、
西御座は数分間待機されます。

数分経って、錦神輿会の皆さんが西御座へと向かわれます。
錦神輿会の会所は錦市場にあって、氏子地域もその錦市場周辺です。
「祇園」交差点からは約500mの距離ですが、
西御座はそちらまで直視されずに、うろうろ巡行されます。
それが面白いので、自分はこの西御座にこだわっています。
ですから自分はこの西御座を追いかけますが、
もうかなり写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、西御座が祇園甲部を巡行します~
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前回ブログで3基のお神輿が、「祇園」交差点に集結しました。
お神輿の担ぎ手である三若会・四若会・錦神輿の方々が、
「祇園」交差点で東を向かれています。
ここから、祇園祭神幸祭結団式が始まります。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午後6時半。
今回は、各お神輿が「祇園」交差点を出発するまでを掲載します。

八坂神社西楼門前の石段に多くの方がいらっしゃいますが、
担ぎ手の皆さんの座る位置がなかなか決まりません。
目の前では東御座を担がれる四若会の皆さんが、
何度も座り直されています。
とは言え、それも数分で解決します。
そこで予定通りの時間で、結団式が始まります。

祇園祭神幸祭結団式では、様々な方が演説をされます。
先ずは、八坂神社の宮司さんが登壇されました。
八坂神社の最高責任者は神主ではなく、宮司です。
初めにコロナ禍の間できなかった
結団式ができたことに喜びの言葉を述べられて、
続いてコロナウィルスを初め疫病の平癒を祈願されて、
(そもそも祇園祭は、「疫病平癒」を願うお祭りです)
最後に神輿渡御が事故無く終わることを祈願されました。

続いて京都市を代表して、門川大作京都市長が登壇されました。
先ずは今年(2023年)は結団式ができたことに祝辞を述べられ、
続いて「疫病平癒」や「世界平和」を祈願されました。

さらに京都府を代表して、西脇隆俊京都府知事が登壇されました。
西脇知事も結団式への祝辞を述べられた後
疫病平癒・世界平和を祈願されましたが、
まぁこのような演説にオリジナリティとか
面白さとかは求められてはいません。
ですから門川京都市長と演説内容が被るのは、当然のことです。
……ところで、西脇知事は三若会の法被をお召しです。
もしかして、西脇知事も中御座を担がれたのでしょうか?

今度は八坂神社の神職さんが、榊を片手に登壇されました。
ここから、八坂神社のお神輿を榊で清められます。

八坂神社の神職さんは、榊をお神輿の前で横に振られます。
要するに、紙垂で清められるときになされる動作ですね。

榊を振り終えられた八坂神社の神職さんは、
一礼されると後ろの石段に退かれました。
この写真では東御座だけに榊を振られたように見えますが、
特定のお神輿ではなく石段の中央で榊を振られていました。

ここでお神輿の担ぎ手の団体である
三若会・四若会・錦神輿会の代表者が、
八坂神社西楼門前の石段に順番に登壇されました。
ところが、自分の撮影場所からでは上手く写りません。
よく見ると三若会の代表者が写真中央にいらっしゃいますが、
まったく分かりませんね。
とても重いお神輿は、うっかりすると大きな事故を起こします。
指揮者の指示が的確で、担ぎ手全員が指示通り動かないと、
最悪の場合死者すら出ることもあり得ます。
3団体の代表者さんは、何より神輿渡御での安全を強調されました。

ここで、八坂神社西楼門前の石段での結団式が終わりました。
ただ八坂神社神幸祭の神輿渡御は、ここからが本番です。
お神輿のうちの1基東御座を担がれる四若会の皆さんが、
鉢巻きを締めなおし「祇園」交差点北側にいらっしゃる
東御座へと足を運ばれました。

四若会の皆さんが、東御座の許に集結されます。
ここから3基のお神輿は「祇園」交差点を出発されて、
それぞれの氏子地域へと向かわれますが、
その前に「祇園」交差点で、
3基のお神輿による一大パフォーマンスが繰り広げられます。

こちらの写真の中央に、中御座が写っています。
その奥には、西御座が鎮座しています。
中御座には三若会の皆さんが、
西御座には錦神輿会の皆さんが、集結されます。

ただ三若会の皆さんが中御座を担がれると、
自分の角度からは西御座が見えなくなりました。
なお次回ブログは、ほぼ西御座の記事で終始します。

三若会の皆さんが中御座を担がれる前に、
「三若」と書かれた紫紺の旗と提灯が、
自分たち撮影者の近くに移動されました。
中御座はこの後「祇園」交差点から四条通を西に移動されますので、
自分たち撮影者の近くが進行方向になります。

「祇園」交差点北側で、「ほいっと ほいっと」の掛け声がしました。
四若会の皆さんが東御座を担ぎあげられて、
その直後に頭上まで持ち上げられました。

その直後に四若会の掛け声が、
「まわ~せ まわ~せ」に変わります。
「四若」と書かれた紫紺の旗が翻る中、
四若会の皆さんが担がれる東御座が、回転し始めました。

一方「祇園」交差点西側では、三若会の皆さんが中御座を担がれます。
こちらも、「ほいっと ほいっと」の掛け声がします。
そしてすぐに、三若会の皆さんが中御座を頭上に持ち上げられました。
この写真でははっきり見えませんが、「祇園」交差点南側では
錦神輿会の皆さんも西御座を担がれて頭上に持ち上げられました。

そして、三若会が担がれる中御座の掛け声も変わります。
「まわ~せ まわ~せ」と声がかかると、中御座も回転し始めました。

カメラの拡大をやめて、引いた構図で写真を撮りました。
三若会が担がれる中御座と四若会が担がれる東御座が、
同時に回転しています。

三若会の皆さんが、中御座を回転させておられます。
中御座の周囲にも三若会の方々がおられて、
扇子を掲げて「まわ~せ まわーせ」と声を上げられます。

三若会の方々が担がれる中御座が、まだ回り続けます。
この写真をよく見ると、この先(南)で
錦神輿会の皆さんが担がれる西御座も回転されています。

さらに、中御座を写しています。
写真ではだいぶ枚数が経っていますが、
時間的には数分しか経っていません。

三若会の皆さんは、頭上に中御座を持ち上げ続けておられます。
そうは言っても、そこそこの時間持ち上げ続けるのには
相当の力が必要でしょうね。

その時回転する中御座が上手くズレて戴いたので、
「祇園」交差点南側にいらっしゃる西御座を写せました。
西御座を担がれる神輿神輿会の皆さんは、
肩の高さに西御座を戻されて、
その場で西御座を上下に揺らしておられます。

一方三若会の皆さんが担がれている中御座は、
まだ頭上の高さで回転し続けています。
先述しましたが、相当長い時間この状態を維持されています。
よく見ると錦神輿会の皆さんもまた西御座を頭上に持ち上げて、
さらに回転を始められました。

こちらは三若会の皆さんが担がれる中御座です。
まだまだ頭上に掲げられたまま三若会の皆さんは、
中御座を回し続けられます。

ここでようやく、三若会の皆さんは中御座を肩の高さで担がれます。
そして、今度は上下に中御座を揺らしておられます。

そして、ここでまた三若会の皆さんは中御座を頭上に掲げられます。
たぶんですが、ここで担ぎ手が交代されたのだと思います。

ただ、ここからは中御座を担がれる三若会の皆さんは回転されず、
その場で中御座を上下に揺らし始められました。

三若会の皆さんが担がれる中御座が、激しく揺れています。
中御座の周囲にいらっしゃる方々も、「まわ~せ まわ~せ」から
「ほいっと ほいっと」に掛け声が変わります。

すると三社若会の皆さんが担がれる中御座が、
「祇園」交差点から少しずつ四条通を西へと移動しました。
三若会の皆さんは、まだ頭上に中御座を持ち上げておられます。

「祇園」交差点から中御座が四条通をに似へ移動するということは、
自分たち撮影者の目の前に中御座が近づいてくるということです。
この時点で自分たち撮影者と三若会の皆さんは、
肩と肩がぶつかる距離です。
とは言え中御座と自分たち撮影者の間に
お神輿を担がれていない三若会の皆さんがいらっしゃるので、
そちらの方々が緩衝材になることで
事故などは起こらないようになっています。

先ほどの写真を少し引いて撮り直すと、
このくらいの距離感があります。
まぁ自分が撮影者の中でも一番歩道側にいますので、
自分自身は三若会の方々と少し遠いです。

一方、こちらは「祇園」交差点北側の東御座です。
四若会の皆さんが東御座を肩の高さに下ろされたので、
こちらも掛け声が「ほいっと ほいっと」に戻りました。

そして四若会の皆さんが担がれる東御座は、
そのまま「祇園」交差点から東大路を北上しました。
ここから東御座は祇園北部を進んだ後、
烏丸通の政所まで移動してから
「四条寺町」交差点東側の八坂神社お旅所へ向かいます。
つまり、東御座はこれを以って「祇園」交差点から去ります。
自分たち撮影者の中には東御座にこだわっておられる方も多く、
かなりの数の撮影者が自分たちがいたスペースから立ち去り、
東大路を北上されて東御座を追いかけられました。

その時点で中御座を担がれる三若会の皆さんも、
肩の高さまでお神輿を下ろされました。
そして整列し直されると、四条通を西に進まれました。

三若会の皆さんが担がれる中御座も「祇園」交差点から立ち去り、
四条通を西へ進まれます。
この後中御座は紆余曲折あるものの、
基本的には約5㎞先の堀川通まで西に進みます。
そこから三条通の三条会商店街へ向かいます。
三若会の会所はその三条会商店街の近くにあって、
三若会の氏子地域も三条会商店街周辺です。
ですから中御座もそちらに向かうのですが、
最終的には「四条寺町」交差点の八坂神社お旅所まで戻られるので、
三若会の皆さんはお神輿をかなりの長距離担がれます。
撮影者のうち多くの方々が、この後中御座を追いかけられます。
ただ自分がこだわって撮り続けるお神輿は、中御座でもありません。
中御座を追いかけられる撮影者の皆さんとも、ここでお別れです。

という訳でこの時点で「祇園」交差点におられるのは、
西御座を担がれる錦神輿会の方々だけになりました。
錦神輿会の皆さんが担がれる西御座は四条通を西に進み、
約200m中御座と巡行コースが重なります。
ですから中御座が四条通を西に進まれる間、
西御座は数分間待機されます。

数分経って、錦神輿会の皆さんが西御座へと向かわれます。
錦神輿会の会所は錦市場にあって、氏子地域もその錦市場周辺です。
「祇園」交差点からは約500mの距離ですが、
西御座はそちらまで直視されずに、うろうろ巡行されます。
それが面白いので、自分はこの西御座にこだわっています。
ですから自分はこの西御座を追いかけますが、
もうかなり写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、西御座が祇園甲部を巡行します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
「祇園」交差点前の八坂神社西楼門が、起点です。
~追記 その2~
八坂神社のご祭神
明治時代の廃仏毀釈を境に、八坂神社のご祭神が変わっています。
もともと八坂神社は神仏習合と言いますか、
日本神道と仏教が混じり合った宗教が信じられていましたが、
明治時代以降は仏教色が廃止され、
ご祭神も「古事記」や「日本書紀」に登場する神様に交代しました。
もちろん八坂神社の社伝には残っていませんが、
今でも祇園祭の山鉾町には昔の神様が散見できます。
そちらを一覧にすると、以下になります。
☆ 中御座 牛頭天王→素戔嗚尊
(ごずてんのう) (すさのおのみこと)
☆ 東御座 八王子→奇稲田比売(くしなだひめ)
☆ 西御座 玻璃才女(はりさいにょ)→八柱御子神
奇稲田比売は、素戔嗚尊の正妻ですね。
八岐大蛇を素戔嗚尊が退治して、
その後この2柱が結婚するのは有名な伝説ですね。
玻璃才女も、牛頭天王の正妻です。
もともとはインドに伝わるハーリーティーという鬼女を指しますが、
日本に伝来した際に仏教を守護する女神に変わりました。
~追記 その3~
祇園祭神幸祭は次回で連載終了ですが……
八坂神社神幸祭は、3基のお神輿が氏子地域経由で
八坂神社から八坂神社お旅所まで向かうお祭りです。
とは言え自分のカメラは夜間に撮影ができませんので、
このブログで掲載される八坂神社神幸祭は、日没までです。
ですから次回ブログで八坂神社神幸祭の連載は終了しますが、
2023年に取材した祇園祭連載はまだ続きます。
一度お旅所まで進んだ祇園祭の3基のお神輿は、
1週間そのままお旅所に鎮座された後、
今度は八坂神社お旅所から八坂神社にお戻りになります。
それを祇園祭還幸祭と呼び、
その前に祇園祭後祭山鉾巡行があります。
2023年は祇園祭還幸祭の取材は、
自分が遅刻したために取材できていません。
ですからそちらの連載は2023年には行いませんが、
2023年7月24日月曜日午前中の山鉾巡行は取材しました。
ですから、次々回ブログ以降は
祇園祭後祭山鉾巡行を連載します。
ただその後は、9月に入りますが「夏休み散策」を短期連載します。
連載途中の「花屋町通編」は、その後から再開します。
~追記 その4~
久しぶりに大勝しました!
このブログの追記では結構スポーツに関する記事を書いていますが、
ここ2週間ほど開催された競技が多くて、
それにこのブログが追い付いていません。
まぁ自分が書いているのはサッカーとラグビー限定なのですが、
女子サッカーのW杯は決勝トーナメント1回戦で止まり、
W杯間近のラグビーに至ってはほぼ書いていません。
今回もJ1リーグは書きますが、ほかの競技は後回しです。
2023年8月19日土曜日にJ1リーグが開催され、
我らが京都サンガも京都府亀岡市のサンガスタジアムで
コンサドーレ札幌と戦いました。
その攻撃力で数か月前は札幌に敗戦した京都でしたが、
今回はプレッシングが序盤から上手くはまり、
札幌の攻撃を寸断することに成功しました。
特に札幌側のDFが前半からパスミスすることが多く、
そのボールから京都はカウンター攻撃を試みて、
前半のうちに原選手のPKで先制できました。
後半はさらに焦る札幌のミスを上手く逆手にとって、
次々と京都が得点し続けました。
結果は3-0と久々の大勝でしたが、
序盤と前半終了間際のPKで
GK太田岳志選手のスーパーセーブがなかったら、
おそらく結果は違ったでしょうね。
黙々と地味でつらいタスクをこなすことに京都は長けていますが、
強引にシュートを打って打開することができるのは、
豊川選手一人しかいませんでした。
その状態で原選手が京都に加入されたことは、
京都のJ1残留が決定的になるくらい大きなことです。
豊川選手だけでなく原選手も打開する力を持っており、
攻守の要であった白井選手をFC東京に放出する危機的状況で、
それを打開する切り札ともいえます。
おそらく前半早々で原選手と交代した木下選手も、
いろいろ思うところがあるでしょう。
ここからの頑張りで、木下選手も
その2に人に食い込む存在に再びなれるのであれば、
その時点で京都のJ1リーグ残留は確定します。
実際2点目を入れた福田選手も、
3点目を入れたパトリック選手も、
この試合では積極的にシュートを打ち続けていました。
これで京都は、8勝2分け14敗の勝ち点26の15位です。
勝ち点17の最下位湘南は、
残り試合で勝ち点30には乗れないでしょう。
京都はあと2勝で、2023年のJ1リーグ残留がほぼ確定です。
(例年は勝ち点40必要ですが、2023年の特殊ルールで
勝ち点30でおそらく残留です)
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
「祇園」交差点前の八坂神社西楼門が、起点です。
~追記 その2~
八坂神社のご祭神
明治時代の廃仏毀釈を境に、八坂神社のご祭神が変わっています。
もともと八坂神社は神仏習合と言いますか、
日本神道と仏教が混じり合った宗教が信じられていましたが、
明治時代以降は仏教色が廃止され、
ご祭神も「古事記」や「日本書紀」に登場する神様に交代しました。
もちろん八坂神社の社伝には残っていませんが、
今でも祇園祭の山鉾町には昔の神様が散見できます。
そちらを一覧にすると、以下になります。
☆ 中御座 牛頭天王→素戔嗚尊
(ごずてんのう) (すさのおのみこと)
☆ 東御座 八王子→奇稲田比売(くしなだひめ)
☆ 西御座 玻璃才女(はりさいにょ)→八柱御子神
奇稲田比売は、素戔嗚尊の正妻ですね。
八岐大蛇を素戔嗚尊が退治して、
その後この2柱が結婚するのは有名な伝説ですね。
玻璃才女も、牛頭天王の正妻です。
もともとはインドに伝わるハーリーティーという鬼女を指しますが、
日本に伝来した際に仏教を守護する女神に変わりました。
~追記 その3~
祇園祭神幸祭は次回で連載終了ですが……
八坂神社神幸祭は、3基のお神輿が氏子地域経由で
八坂神社から八坂神社お旅所まで向かうお祭りです。
とは言え自分のカメラは夜間に撮影ができませんので、
このブログで掲載される八坂神社神幸祭は、日没までです。
ですから次回ブログで八坂神社神幸祭の連載は終了しますが、
2023年に取材した祇園祭連載はまだ続きます。
一度お旅所まで進んだ祇園祭の3基のお神輿は、
1週間そのままお旅所に鎮座された後、
今度は八坂神社お旅所から八坂神社にお戻りになります。
それを祇園祭還幸祭と呼び、
その前に祇園祭後祭山鉾巡行があります。
2023年は祇園祭還幸祭の取材は、
自分が遅刻したために取材できていません。
ですからそちらの連載は2023年には行いませんが、
2023年7月24日月曜日午前中の山鉾巡行は取材しました。
ですから、次々回ブログ以降は
祇園祭後祭山鉾巡行を連載します。
ただその後は、9月に入りますが「夏休み散策」を短期連載します。
連載途中の「花屋町通編」は、その後から再開します。
~追記 その4~
久しぶりに大勝しました!
このブログの追記では結構スポーツに関する記事を書いていますが、
ここ2週間ほど開催された競技が多くて、
それにこのブログが追い付いていません。
まぁ自分が書いているのはサッカーとラグビー限定なのですが、
女子サッカーのW杯は決勝トーナメント1回戦で止まり、
W杯間近のラグビーに至ってはほぼ書いていません。
今回もJ1リーグは書きますが、ほかの競技は後回しです。
2023年8月19日土曜日にJ1リーグが開催され、
我らが京都サンガも京都府亀岡市のサンガスタジアムで
コンサドーレ札幌と戦いました。
その攻撃力で数か月前は札幌に敗戦した京都でしたが、
今回はプレッシングが序盤から上手くはまり、
札幌の攻撃を寸断することに成功しました。
特に札幌側のDFが前半からパスミスすることが多く、
そのボールから京都はカウンター攻撃を試みて、
前半のうちに原選手のPKで先制できました。
後半はさらに焦る札幌のミスを上手く逆手にとって、
次々と京都が得点し続けました。
結果は3-0と久々の大勝でしたが、
序盤と前半終了間際のPKで
GK太田岳志選手のスーパーセーブがなかったら、
おそらく結果は違ったでしょうね。
黙々と地味でつらいタスクをこなすことに京都は長けていますが、
強引にシュートを打って打開することができるのは、
豊川選手一人しかいませんでした。
その状態で原選手が京都に加入されたことは、
京都のJ1残留が決定的になるくらい大きなことです。
豊川選手だけでなく原選手も打開する力を持っており、
攻守の要であった白井選手をFC東京に放出する危機的状況で、
それを打開する切り札ともいえます。
おそらく前半早々で原選手と交代した木下選手も、
いろいろ思うところがあるでしょう。
ここからの頑張りで、木下選手も
その2に人に食い込む存在に再びなれるのであれば、
その時点で京都のJ1リーグ残留は確定します。
実際2点目を入れた福田選手も、
3点目を入れたパトリック選手も、
この試合では積極的にシュートを打ち続けていました。
これで京都は、8勝2分け14敗の勝ち点26の15位です。
勝ち点17の最下位湘南は、
残り試合で勝ち点30には乗れないでしょう。
京都はあと2勝で、2023年のJ1リーグ残留がほぼ確定です。
(例年は勝ち点40必要ですが、2023年の特殊ルールで
勝ち点30でおそらく残留です)
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