第984回 祇園祭花笠巡行~祇園祭後祭山鉾巡行~その2
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山鉾や大きなお神輿が出てこない祇園祭があります
1963年~2013年の間、祇園祭後祭は
神輿渡御以外廃止されていました。
そのため毎年7月24日の午前中に、
1963年以降新たな巡行行列が始まりました。
それが、祇園祭花笠巡行です。
とは言え、2014年以降祇園祭後祭が復活しました。
そのため祇園祭後祭山鉾巡行とコースが重ならないようにしつつ、
花笠巡行は山鉾巡行と同時に行われています。

前回ブログで、京阪電鉄「祇園四条」駅から、
「四条河原町」交差点南西角に移動しました。
2023年は、こちらから祇園祭後祭山鉾巡行を撮ります。
ただその山鉾巡行の直前に、別の巡行行列がやって来ました。
後祭山鉾巡行は目の前の河原町通を南下してくるので、
明らかに違う方向からの巡行です。
今回は、四条通を西から東に進む祇園祭花笠巡行を取材します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時15分。
自分は、祇園祭笠巡行を生まれて初めて見ます。

「祇園祭」と書かれた幟の直後に、
小中学生に担がれた小さなお神輿が登場しました。
この子供神輿は、東御座の脇を巡行する子供神輿と
同じものかどうかはよくわかりません。

子供神輿が、河原町通から四条通を東に向かいます。
祇園祭花傘巡行はこのまま四条通を進み、
最終的には八坂神社に向かっています。

ここで暫く、祇園祭花傘巡行が途切れます。
「四条河原町」交差点北西角を見ると、
たくさんの桶が並び、その桶を管理される方々がいらっしゃいます。
こちらの桶は、次回ブログ以降の山鉾巡行で辻回しに使用します。

その直後に、花笠を被った女性隊列が
「四条河原町」交差点に現れました。
「花笠巡行」の名称の元になった隊列です。

花笠を被った女性隊列が、「四条河原町」交差点を東に向かいます。
ただこちの女性がどのような集まりなのか、
自分はよくわかっていません。

花笠を被った女性隊列が、河原町通から四条通を東に進みます。
こちらの隊列も、八坂神社に向かいます。

花笠を被った女性隊列が通過した後、こちらの隊列が続きます。
様々な方々が混じり合った状態なのですが、
こちらがどういう隊列なのかは分かりません。

その隊列の中に、こちらが混じっておりました。
装飾された荷車の上に駕籠が置かれ、
その駕籠の中に様々な花々が飾っていました。

花車の周囲にも様々な方々が行進されており、
その中でも様々なものが運ばれていました。
こちらの隊列は、かなり長かったですね。

その隊列の中に、獅子舞が混じっておられます。
その後も、赤い衣装の方々が続きます。

続いて、小学生児童が騎乗する馬が続きます。
こちらが、おそらく馬長稚児(うまおさちご)でしょうね。
こちらも、河原町通から四条通を東に進みます。

馬長稚児に続いて、さらに騎乗された方々が行進します。
こちらは、もう少し年長者が騎乗されていますね。

続いて、この幟が河原町通から四条通を東に進みます。
幟の文字を読もうとすると風で幟が翻り、
はっきり読めませんでした。

その後をこの男性陣が続くのですが、
先ほどの幟が読めなかったため、どんな方々かよくわかりません。
ぱっと見は、祇園祭の雑務をこなされる清々講社の方々ですね。

その男性隊列は、割と長く続きました。
青い笠を被られておられるんですが、
やはりどんな方が行進されておられるのか、
よくわかっていません。

さらに後続に、こちらの幟が東に進みます。
その後から、山車のようなものも続きます。

幟には、「久世六歳念仏」と書かれています。
おそらく南区久世地区の蔵王堂光福寺で催される
六歳念仏のことだと思います。
ということは、後続の山車や花傘は蔵王堂興福寺のものでしょうか?

さらに赤い幟とともに、別の隊列が続きます。
祇園祭花笠巡行は様々な遍歴を持つ巡行行列で、
様々な団体が協力しています。
その分自分が把握していない団体も多く、
目の前を巡行されていても、
何の隊列かよくわからないことが多いです。

その後も、様々な隊列が続きます。
和服姿の女性が、かなり長い隊列を組まれております。
たぶん八坂神社関係者が内々で結成された団体の隊列と思います。

続いては、祇園祭の「山」と同じ形式の山車が登場です。
担ぎ手さんが曳き、前掛け、胴掛、水引、見送りで装飾ですが、
上に乗っておられるのが生きた人間ということだけが違います。
こちらに若い女性が乗られていましたが、
花街の舞妓さんや芸妓さんなら所属地区が山車に書かれるはずです。
(祇園甲部とか、祇園北部とか)

さらに、こちらの花傘と若い女性を乗せた屋台が続きます。
若い女性は、装束から花街の舞妓さんと分かりますね。

舞妓さんが乗られた屋台には、提灯が下がっています。
そちらに、「祇園東」と書かれています。
「祇園東」とは、今から約50年前に祇園甲部から独立した地域です。
ですから、こちらは祇園東地区に所属される舞妓さんです。

さらに、花傘と舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
こちらの提灯には、「先斗町」(ぽんとちょう)と書かれています。
「先斗町」は鴨川西岸一帯を示す地区で、
「東山区祇園地区」と同様に、芸妓さんと舞妓さんを擁します。
(前回ブログで、通過した地域ですね)

先斗町の舞妓さんを乗せた屋台が、
花傘とともに河原町通から四条通を東に進みます。
舞妓さんを乗せた屋台は、いずれも日本舞踊が踊れそうな
小唄がスピーカー越しに流れていました。

さらに花傘と舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
他の屋台と比べて、舞妓さんの人数が多いようです。

こちらの提灯には、「祇園甲部」と書かれていました。
「祇園甲部」は、四条通以南の花見小路沿いの地区です。
(第982回ブログで取材した地域です)
ですから、こちらは「祇園甲部」に所属される舞妓さんの屋台です。

続いてまた花笠と、舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
東山区祇園地区の舞妓さんだけでなく、
その祇園周辺の花街の舞妓さんも屋台に乗られるので、
このような屋台がいくつも続きます。
(花街祇園は広大ですので、幾つかの地区に分かれますし)

こちらの提灯には、「宮川町」と書かれていますね。
東山区宮川町地区は、東山区祇園地区の最南端団栗通から
五条通間に伸びる宮川町筋という道沿いに広がる花街です。
(周辺の様子は、第717回ブログ参照)

続いては、こちらの幟が現れました。
幟には、「祇園万灯会」と書かれています。

幟に続いて、花傘が行進します。
こちらの提灯にも、「祇園万灯会」と書かれています。

幟の後には、笠を被った男性が続きます。
こちらは、おそらく「祇園万灯会」の関係者でしょうね。

そして、この花傘が続きます。
こちらは山車には乗らず、人間が運んでいます。

そして、こちらの方々が花笠巡行のほぼ最後尾です。
束帯姿の方々は、雅楽の演奏家です。
まぁ雅楽を演奏しながらの行進ですから、わかりやすいです。
こちらは、第979回ブログでも巡行行列に加わっておられました。

その後は、こちらの自動車が続きます。
おそらくこちらには、巡行行列の関係者が乗っておられます。

そして最後尾は、このトラックです。
こちらで、祇園祭花笠巡行は終了です。
実は祇園祭後祭山鉾巡行の先頭は、
既にこの「四条河原町」交差点の間近に迫っています。
……と言いますか、山鉾巡行の先頭が
祇園祭花笠巡行が終わるのを待っていらしたようです。
ですから次の写真から山鉾巡行行列が見えてくるのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、橋弁慶山から山鉾巡行が続きます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
「四条河原町」交差点南西角の京都高島屋が、起点です。
~追記 その2~
祇園祭後祭の変遷
ウチのブログでたびたび書いているように、
日本のお祭りは神社からお神輿が出発する神幸祭と、
お旅所からお神輿が神社に戻る還幸祭と通常2回行われます。
そして、神幸祭から還幸祭までの期間は通常1週間です。
ところが高度経済成長以降、
日本全体の交通事情が変化していくうちに、
だんだん「お祭りは、1日で」という風潮が出てきました。
自動車が動きやすいように道幅が拡張されたり、
1960年代~1970年代に伝統的なものが軽視される風潮があったり、
そういう事情が背景にありました。
1962年の阪急電車の地下鉄化と寺町通にアーケードができたことが
大きなきっかけとなって、
1963年から後祭の宵山と山鉾巡行が前祭に統合されました。
とは言え1963年以降も次々山鉾が復活し始め、
21世紀に入るとさらに観覧者が増えていき、
2010年以降は30基を超える山鉾を1日で捌くのが不可能になり、
祇園祭後祭復活の機運が高まりました。
そこで、2014年から祇園祭後祭が復活しました。
今回ブログの祇園祭花笠巡行は、
祇園祭後祭山鉾巡行の代用として1963年から始まりました。
花傘や鷺舞など平安時代以来の祇園祭を再現したものでしたが、
2014年の祇園祭後祭復活後も存続しています。
~追記 その3~
2023年7月24日のウチのネコ

自分が今回ブログの取材から帰宅すると、
ウチの母の仕事場にウチのネコがいました。
ウチの母に甘えているように見えますが、
実は冷房が直撃しているのに暑さでダラダラしています。
この日の京都は、連日の35度越えの真っ最中でした。
進みたい方は、ここをクリックしてください。
山鉾や大きなお神輿が出てこない祇園祭があります
1963年~2013年の間、祇園祭後祭は
神輿渡御以外廃止されていました。
そのため毎年7月24日の午前中に、
1963年以降新たな巡行行列が始まりました。
それが、祇園祭花笠巡行です。
とは言え、2014年以降祇園祭後祭が復活しました。
そのため祇園祭後祭山鉾巡行とコースが重ならないようにしつつ、
花笠巡行は山鉾巡行と同時に行われています。

前回ブログで、京阪電鉄「祇園四条」駅から、
「四条河原町」交差点南西角に移動しました。
2023年は、こちらから祇園祭後祭山鉾巡行を撮ります。
ただその山鉾巡行の直前に、別の巡行行列がやって来ました。
後祭山鉾巡行は目の前の河原町通を南下してくるので、
明らかに違う方向からの巡行です。
今回は、四条通を西から東に進む祇園祭花笠巡行を取材します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時15分。
自分は、祇園祭笠巡行を生まれて初めて見ます。

「祇園祭」と書かれた幟の直後に、
小中学生に担がれた小さなお神輿が登場しました。
この子供神輿は、東御座の脇を巡行する子供神輿と
同じものかどうかはよくわかりません。

子供神輿が、河原町通から四条通を東に向かいます。
祇園祭花傘巡行はこのまま四条通を進み、
最終的には八坂神社に向かっています。

ここで暫く、祇園祭花傘巡行が途切れます。
「四条河原町」交差点北西角を見ると、
たくさんの桶が並び、その桶を管理される方々がいらっしゃいます。
こちらの桶は、次回ブログ以降の山鉾巡行で辻回しに使用します。

その直後に、花笠を被った女性隊列が
「四条河原町」交差点に現れました。
「花笠巡行」の名称の元になった隊列です。

花笠を被った女性隊列が、「四条河原町」交差点を東に向かいます。
ただこちの女性がどのような集まりなのか、
自分はよくわかっていません。

花笠を被った女性隊列が、河原町通から四条通を東に進みます。
こちらの隊列も、八坂神社に向かいます。

花笠を被った女性隊列が通過した後、こちらの隊列が続きます。
様々な方々が混じり合った状態なのですが、
こちらがどういう隊列なのかは分かりません。

その隊列の中に、こちらが混じっておりました。
装飾された荷車の上に駕籠が置かれ、
その駕籠の中に様々な花々が飾っていました。

花車の周囲にも様々な方々が行進されており、
その中でも様々なものが運ばれていました。
こちらの隊列は、かなり長かったですね。

その隊列の中に、獅子舞が混じっておられます。
その後も、赤い衣装の方々が続きます。

続いて、小学生児童が騎乗する馬が続きます。
こちらが、おそらく馬長稚児(うまおさちご)でしょうね。
こちらも、河原町通から四条通を東に進みます。

馬長稚児に続いて、さらに騎乗された方々が行進します。
こちらは、もう少し年長者が騎乗されていますね。

続いて、この幟が河原町通から四条通を東に進みます。
幟の文字を読もうとすると風で幟が翻り、
はっきり読めませんでした。

その後をこの男性陣が続くのですが、
先ほどの幟が読めなかったため、どんな方々かよくわかりません。
ぱっと見は、祇園祭の雑務をこなされる清々講社の方々ですね。

その男性隊列は、割と長く続きました。
青い笠を被られておられるんですが、
やはりどんな方が行進されておられるのか、
よくわかっていません。

さらに後続に、こちらの幟が東に進みます。
その後から、山車のようなものも続きます。

幟には、「久世六歳念仏」と書かれています。
おそらく南区久世地区の蔵王堂光福寺で催される
六歳念仏のことだと思います。
ということは、後続の山車や花傘は蔵王堂興福寺のものでしょうか?

さらに赤い幟とともに、別の隊列が続きます。
祇園祭花笠巡行は様々な遍歴を持つ巡行行列で、
様々な団体が協力しています。
その分自分が把握していない団体も多く、
目の前を巡行されていても、
何の隊列かよくわからないことが多いです。

その後も、様々な隊列が続きます。
和服姿の女性が、かなり長い隊列を組まれております。
たぶん八坂神社関係者が内々で結成された団体の隊列と思います。

続いては、祇園祭の「山」と同じ形式の山車が登場です。
担ぎ手さんが曳き、前掛け、胴掛、水引、見送りで装飾ですが、
上に乗っておられるのが生きた人間ということだけが違います。
こちらに若い女性が乗られていましたが、
花街の舞妓さんや芸妓さんなら所属地区が山車に書かれるはずです。
(祇園甲部とか、祇園北部とか)

さらに、こちらの花傘と若い女性を乗せた屋台が続きます。
若い女性は、装束から花街の舞妓さんと分かりますね。

舞妓さんが乗られた屋台には、提灯が下がっています。
そちらに、「祇園東」と書かれています。
「祇園東」とは、今から約50年前に祇園甲部から独立した地域です。
ですから、こちらは祇園東地区に所属される舞妓さんです。

さらに、花傘と舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
こちらの提灯には、「先斗町」(ぽんとちょう)と書かれています。
「先斗町」は鴨川西岸一帯を示す地区で、
「東山区祇園地区」と同様に、芸妓さんと舞妓さんを擁します。
(前回ブログで、通過した地域ですね)

先斗町の舞妓さんを乗せた屋台が、
花傘とともに河原町通から四条通を東に進みます。
舞妓さんを乗せた屋台は、いずれも日本舞踊が踊れそうな
小唄がスピーカー越しに流れていました。

さらに花傘と舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
他の屋台と比べて、舞妓さんの人数が多いようです。

こちらの提灯には、「祇園甲部」と書かれていました。
「祇園甲部」は、四条通以南の花見小路沿いの地区です。
(第982回ブログで取材した地域です)
ですから、こちらは「祇園甲部」に所属される舞妓さんの屋台です。

続いてまた花笠と、舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
東山区祇園地区の舞妓さんだけでなく、
その祇園周辺の花街の舞妓さんも屋台に乗られるので、
このような屋台がいくつも続きます。
(花街祇園は広大ですので、幾つかの地区に分かれますし)

こちらの提灯には、「宮川町」と書かれていますね。
東山区宮川町地区は、東山区祇園地区の最南端団栗通から
五条通間に伸びる宮川町筋という道沿いに広がる花街です。
(周辺の様子は、第717回ブログ参照)

続いては、こちらの幟が現れました。
幟には、「祇園万灯会」と書かれています。

幟に続いて、花傘が行進します。
こちらの提灯にも、「祇園万灯会」と書かれています。

幟の後には、笠を被った男性が続きます。
こちらは、おそらく「祇園万灯会」の関係者でしょうね。

そして、この花傘が続きます。
こちらは山車には乗らず、人間が運んでいます。

そして、こちらの方々が花笠巡行のほぼ最後尾です。
束帯姿の方々は、雅楽の演奏家です。
まぁ雅楽を演奏しながらの行進ですから、わかりやすいです。
こちらは、第979回ブログでも巡行行列に加わっておられました。

その後は、こちらの自動車が続きます。
おそらくこちらには、巡行行列の関係者が乗っておられます。

そして最後尾は、このトラックです。
こちらで、祇園祭花笠巡行は終了です。
実は祇園祭後祭山鉾巡行の先頭は、
既にこの「四条河原町」交差点の間近に迫っています。
……と言いますか、山鉾巡行の先頭が
祇園祭花笠巡行が終わるのを待っていらしたようです。
ですから次の写真から山鉾巡行行列が見えてくるのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、橋弁慶山から山鉾巡行が続きます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
「四条河原町」交差点南西角の京都高島屋が、起点です。
~追記 その2~
祇園祭後祭の変遷
ウチのブログでたびたび書いているように、
日本のお祭りは神社からお神輿が出発する神幸祭と、
お旅所からお神輿が神社に戻る還幸祭と通常2回行われます。
そして、神幸祭から還幸祭までの期間は通常1週間です。
ところが高度経済成長以降、
日本全体の交通事情が変化していくうちに、
だんだん「お祭りは、1日で」という風潮が出てきました。
自動車が動きやすいように道幅が拡張されたり、
1960年代~1970年代に伝統的なものが軽視される風潮があったり、
そういう事情が背景にありました。
1962年の阪急電車の地下鉄化と寺町通にアーケードができたことが
大きなきっかけとなって、
1963年から後祭の宵山と山鉾巡行が前祭に統合されました。
とは言え1963年以降も次々山鉾が復活し始め、
21世紀に入るとさらに観覧者が増えていき、
2010年以降は30基を超える山鉾を1日で捌くのが不可能になり、
祇園祭後祭復活の機運が高まりました。
そこで、2014年から祇園祭後祭が復活しました。
今回ブログの祇園祭花笠巡行は、
祇園祭後祭山鉾巡行の代用として1963年から始まりました。
花傘や鷺舞など平安時代以来の祇園祭を再現したものでしたが、
2014年の祇園祭後祭復活後も存続しています。
~追記 その3~
2023年7月24日のウチのネコ

自分が今回ブログの取材から帰宅すると、
ウチの母の仕事場にウチのネコがいました。
ウチの母に甘えているように見えますが、
実は冷房が直撃しているのに暑さでダラダラしています。
この日の京都は、連日の35度越えの真っ最中でした。
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