第995回 旧花屋町通散策~花屋町通東から西~EX
「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

京都駅中央口から烏丸通に移動してそのまま約550m北上し、
「烏丸花屋町」交差点から約150m西に進み、
その地点で花屋町通沿いで南を向いています。
左(東)側に見える石垣が、東本願寺の最西端です。
こちらは、第958回ブログの冒頭と同じ構図の写真です。
今回はこの西側で南北に伸びる新町通から旧花屋町通に移動し、
旧花屋町通最西端の堀川通まで進みます。
撮影日は、2023年10月5日木曜日午後1時。
この日辺りから急激に気温が下がり、
猛暑日や夏日が姿を消しました。

先ほどの写真の位置から、花屋町通を西に向いています。
ここから数枚は、第958回ブログと同じような写真が続きます。
ではその回のブログ同様、この位置から花屋町通を西に進みます。

その辺りの花屋町通で、南を向きました。
こちらは、「遊」という友禅の工房です。
こちらで自分は、ネクタイとハンカチを買いました。
(その詳細は、第511回ブログ参照)

今回ブログの冒頭から、花屋町通を約10m西に進みました。
ここで花屋町通は、新町通と交差します。

新町通から、花屋町通を西に向いています。
こちらを進むと、そのまま第958回ブログのルートです。

ただ第958回ブログでは、先に
花屋町通から約50m新町通を北上しています。
この先で新町通は白山湯六条店と言う公衆浴場があり、
その周囲に飲食店が集中しています。
その周辺を第958回ブログで取材しました。

さらに花屋町通から、新町通を南に向きました。
今回ブログでは、こちらのルートを進みます。
つまり、ここから第958回ブログとは違うルートに分岐します。

花屋町通から、新町通を約50m南下しました。
ここで新町通から西に、旧花屋町通が伸びています。
今回ブログのメインの通りですね。

新町通から、旧花屋町通を東に向いています。
新町通より東の旧花屋町通は、
宇野鳳翔店という仏具屋さんで突き当たります。
この辺の新町通は、京町家が多いですね。

宇野鳳翔堂の南側に、路地が続いています。
ただ、こちらは旧花屋町通とは呼びにくいですね。
たぶんこの路地は今回ブログ冒頭の路地とつながっていますが、
さすがに私有地を探索できませんので確認していません。

その辺りに、こちらのブリキ製の表札がありました。
この辺りの住所の一部に「花屋町通下がる」と書いてあります。
ということはこの通りを「旧花屋町通」と表記せず、
敢えて先ほどの「花屋町通」のみ記載しています。
(「花屋町通下がる」とは、
「ここは花屋町通から南下した位置です」という意味です)

新町通と旧花屋町通との辻を撮影すると、
左(南)側の空き地で測量をされていた作業員を撮影してしまいます。
そのため、約5m旧花屋町通を西に移動して撮影しました。
では、新町通から堀川通まで旧花屋町通を西に進みます。

新町通から、旧花屋町通を西に歩いています。
旧花屋町通の北側に、路地が伸びていました。
実はこの辺は、路地がとても多く残っています。
こういう路地の奥には、小さな家屋が多く建ち並んでいます。
こういう路地全体が私有地なので奥に入れないことが多いのですが、
第405回に登場された鉄輪命婦稲荷社周辺のように
条件付きで奥に入れる路地もあります。
また、この写真の左側にブリキ製の表札があります。
そちらには「下京区花屋町通新町西入ル艮町」と書かれていました。
つまりこの表札では旧花屋町通を「花屋町通」と表記しています。

その路地の向かい(南)側は、浄土真宗本願寺派法光寺です。
本願寺派の本山は、この近くの西本願寺です。
ですからご本尊は阿弥陀如来なのでしょうが、
この寺院の詳細はよくわかりません。

浄土真宗本願寺派法光寺から約10m西に進み、
今度は旧花屋町通を北に向きました。
家屋の一部の奥に、路地が伸びています。
京都市街地の路地は、この形式も多いですね。

その路地の前で、旧花屋町通を西に向いています。
目の前で、旧花屋町通は若宮通と交差します。

旧花屋町通から、若宮通を北に向いています。
約50m先で、若宮通は「花屋町通」と交差します。
この辺りの若宮通は、第511回ブログで取材しました。

今度は旧花屋町通から、若宮通を南に向きました。
こちらの道は、一度若宮通編で取材しました。

さらに若宮通から、旧花屋町通を西に向いています。
では、このまま旧花屋町通を西に進みます。

若宮通から、旧花屋町通を西に歩いています。
この辺りの旧花屋町通は、京町家が多いですね。
南側の窓には、日差し除けの簾が掛かります。

その向かい(南)側には、こちらが建っています。
もう廃業されておられるようですが、
もともとはタバコ屋さんから始まった雑貨店のようです。
家屋の様子から、今も中に誰か住んでいらっしゃるようです。

若宮通から、旧花屋町通を約50m西に進みました。
ここで旧花屋町通は、西洞院通と交差します。

旧花屋町通から、西洞院通を北に向いています。
約50m先で西洞院通は、花屋町通と交差します。
(その辺りの様子は、第959回ブログ参照)

今度は旧花屋町通から、西洞院通を南に向きました。
約200m先で、正面通が東西に伸びています。
(その辺の詳細は、第690回ブログ参照)
西洞院通は、京都市街地としては比較的広い道幅です。
1977年までこちらには、京都市電が走っていました。
西洞院通の道幅が京都市街地の他の通りより昔から広いのは、
もともとこの通りに川が流れていたからです。

「西洞院旧花屋町」交差点南西角に、
Kitchenカンパネルラという喫茶店がありましたが、
この日(2023年10月5日木曜日)は閉まっていました。
もしかすると、ランチタイムが終了しただけかもしれませんが……
その喫茶店の屋根の真下に、ブリキ製の表札がありました。
「下京区西洞院通花屋町下がる西洞院町」と書かれていますね。
こちらには、「旧花屋町通」の表記がありません。

西洞院通から、旧花屋町通を西に向いています。
ここからも、このまま旧花屋町通を西に進みます。

西洞院通から、旧花屋町通を約50mに進みました。
ここで旧花屋町通は、東中筋と交差します。

旧花屋町通から、東中筋を北に向いています。
この少し先に、小さな寺院が見えますね。
この辺りの東中筋沿いには、西本願寺の末寺が建ち並びます。

こちらが、その「小さな寺院」浄土真宗本願寺派常楽寺です。
宗派から、ご本尊は阿弥陀如来なのでしょうね。
この北隣に浄土真宗本願寺派連光寺が建っています。
(連光寺周辺の様子は、第959回ブログ参照)

東中筋から、旧花屋町通を西に向いています。
突き当りの西本願寺が、だんだんはっきりしてきました。
この辺りから、旧花屋町通沿いは仏具店の割合が増えます。
これは西本願寺が近くなってきたからですが、
もともとはこの辺りに寺院やお墓に供える
お花屋さんが多かったようです。
それが、この道が「花屋町通」になった由来です。
(その辺の詳細は、第949回ブログに書きました)

先ほどの写真の川勝法衣店のショウウィンドウを写しました。
ここは西本願寺に近いので、
こちらは西本願寺の僧侶の法衣なのでしょうか?
なかなか立派なご衣裳ですね。

その川勝法衣店の脇に、こちらの表札がありました。
「下京区花屋町通東中筋西入柳町」と書かれていますね。
つまり、この旧花屋町通を「花屋町通」と表記しています。

さらにその川勝法衣店の斜め向かい(北西向い)に、
京町家のフランス料理店がありました。
ただ店頭の看板には、ランチで10,000円と書かれています。
まぁ需要はかなりあるでしょうが、
自分の収入では手が出ません……

東中筋から、旧花屋町通を約50m西に進みました。
ここで旧花屋町通は、油小路と交差します。

旧花屋町通と油小路との辻の北東角に、
八田彩華堂という表具屋さんが建っています。
ショウウィンドウに「見真」と書かれていますが、
こちらは浄土真宗の開祖親鸞の大師号です。

旧花屋町通から、油小路を南に向いています。
約200m先の正面通周辺が「ご縁まち」と呼ばれる
仏具屋さんの商店街です。
(「ご縁まち」周辺は、第690回ブログ参照)
さらに油小路を200m南下すると、今度は七条通と交差します。
その辺が油小路の変の現場の一部です。

今度は油小路から、旧花屋町通を西に向いています。
この辺りのビルも、大半が仏具屋さんです。
江戸時代にはこの辺の大半が花屋さんだったそうですが、
現在この辺りに花屋さんは一軒も建っていません。

油小路から、旧花屋町通を約30m西に進みました。
ここで旧花屋町通は、堀川通で突き当たります。

旧花屋町通の最西端堀川通に到達しました。
車道越しに、西本願寺の太鼓楼が見えます。
19世紀半ばまでは、一定の時間になると
こちらから太鼓が叩かれていたようです。
要するに、一種の時報ですね。
江戸時代末期の西本願寺は、新撰組のの屯所でした。
実は中京区壬生地区よりも、
西本願寺が屯所だった時期の方が長かったようです。
ただ明治時代に入って、西本願寺の新撰組の遺跡は
大半が焼失か取り壊されて現存しません。
この太鼓楼の刀傷跡が、現存する西本願寺唯一の遺跡です。

旧花屋町通から、堀川通を南に向いています。
約50m先に、西本願寺阿弥陀門が見えますね。
この辺りの堀川通は、西本願寺の境内が続きます。

今回ブログは、写真が40枚を越えても続きます。
今度は旧花屋町通から、堀川通を北に向きました。
約50m先で、「花屋町通」は突き当たります。
その位置で、堀川通から西中筋が分岐している様子が見えます。
第949回ブログにも書きましたが、堀川通より東の花屋町通は
もともとは萬年寺通という別の道でした。
そして、花屋町通は新町通より西の道でした。
つまり、この「旧」花屋町通が元々の花屋町通でした。

先ほどの写真の端に写っていた横断歩道から西に向いています。
この横断歩道の先から、堀川通より西の花屋町通が伸びています。
要するに、第961回ブログ以降のルートです。
考え方によっては、
旧萬年寺通とも言える「花屋町通」が堀川通で突き当たって、
旧花屋町通が堀川通より西でも花屋町通として残っています。
これが、堀川通周辺の花屋町通が複雑になっている要因です。
ここからは写真撮影していませんが、
この位置から約50m南下して9系市バスで京都駅まで進み、
その後帰宅しました。
ですから、これで「花屋町通編」の延長分も終了します。
今回は、ここまでです。
~次回以降、暫く「京のお店 今日のお品」が続きます。
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
浄土真宗本願寺派法光寺が、起点です。
~追記 その2~
今後の予定
今回ブログで、「花屋町通編」の連載が終了しました。
ここから暫く、花屋町通を中心に
「京のお店 今日のお品」を掲載します。
2023年も紅葉散策を連載する予定ですが、
猛暑の後に急に平年並みに気温が下がった2023年は、
紅葉状況が全く読めません。
こちらは様子見ですね。
恐らくですが、短期連載を挟むことになるでしょうね。
~追記 その3~
完全に目が覚めました

2023年9月30日金曜日のウチのネコです。
自分が撮影を強行したために、
ウチのネコが完全に起きてしまいました。
この後すぐに、ウチのネコは階下の母の許に向かいました。
~追記 その4~
Brave Blossomsが敗退
ラグビーW杯2023年フランス大会も、
プールリーグが終了して後は決勝トーナメントです。
Brave Blossoms(日本代表)も
PoolDで戦いましたが、
2023年10月8日日曜日にPumas(アルゼンチン代表)に
27-39で敗戦しました。
すぐに大量点が入るラグビーでは、そこそこの接戦でした。
とは言え、Pumasが32点目を入れた時点で
Brave Blossomsの勝ち目はなくなっていましたが……
(残り時間から、入れられる点数を考えてですが……)
Brave Blossomsの長所は、
タックルの正確性とスクラムの強さでした。
さらに松田選手のキック精度の高さですね。
この試合でもBrave Blossomsのスクラムは強烈で、
Pumasは何度もコラプシングの反則をとられていました。
コラプシングとは、スクラムを崩す反則です。
これは力負けが原因でも、反則です。
さらにこの試合で松田選手は、すべてのキックで得点しました。
問題は、Pumasにタックルをかわされて
何度もトライされてしまったことですね。
これでBrave BlossomsのW杯は終了しますが、
4年後のW杯を含めて国際試合ままだまだ続きます。
今回のW杯でトレンドとなったハイパント攻撃の対策が
取り敢えずの課題ですが、4年後のW杯では
また新しい攻守が主流になるのでしょうね。
恐らくですが、イギリスやフランスのプロリーグで
最新の戦術が取られているのでしょうね。
ですから、多くの日本人ラグビー選手も
そういうものに見慣れておく必要があるのでしょうね。
進みたい方は、ここをクリックしてください。

京都駅中央口から烏丸通に移動してそのまま約550m北上し、
「烏丸花屋町」交差点から約150m西に進み、
その地点で花屋町通沿いで南を向いています。
左(東)側に見える石垣が、東本願寺の最西端です。
こちらは、第958回ブログの冒頭と同じ構図の写真です。
今回はこの西側で南北に伸びる新町通から旧花屋町通に移動し、
旧花屋町通最西端の堀川通まで進みます。
撮影日は、2023年10月5日木曜日午後1時。
この日辺りから急激に気温が下がり、
猛暑日や夏日が姿を消しました。

先ほどの写真の位置から、花屋町通を西に向いています。
ここから数枚は、第958回ブログと同じような写真が続きます。
ではその回のブログ同様、この位置から花屋町通を西に進みます。

その辺りの花屋町通で、南を向きました。
こちらは、「遊」という友禅の工房です。
こちらで自分は、ネクタイとハンカチを買いました。
(その詳細は、第511回ブログ参照)

今回ブログの冒頭から、花屋町通を約10m西に進みました。
ここで花屋町通は、新町通と交差します。

新町通から、花屋町通を西に向いています。
こちらを進むと、そのまま第958回ブログのルートです。

ただ第958回ブログでは、先に
花屋町通から約50m新町通を北上しています。
この先で新町通は白山湯六条店と言う公衆浴場があり、
その周囲に飲食店が集中しています。
その周辺を第958回ブログで取材しました。

さらに花屋町通から、新町通を南に向きました。
今回ブログでは、こちらのルートを進みます。
つまり、ここから第958回ブログとは違うルートに分岐します。

花屋町通から、新町通を約50m南下しました。
ここで新町通から西に、旧花屋町通が伸びています。
今回ブログのメインの通りですね。

新町通から、旧花屋町通を東に向いています。
新町通より東の旧花屋町通は、
宇野鳳翔店という仏具屋さんで突き当たります。
この辺の新町通は、京町家が多いですね。

宇野鳳翔堂の南側に、路地が続いています。
ただ、こちらは旧花屋町通とは呼びにくいですね。
たぶんこの路地は今回ブログ冒頭の路地とつながっていますが、
さすがに私有地を探索できませんので確認していません。

その辺りに、こちらのブリキ製の表札がありました。
この辺りの住所の一部に「花屋町通下がる」と書いてあります。
ということはこの通りを「旧花屋町通」と表記せず、
敢えて先ほどの「花屋町通」のみ記載しています。
(「花屋町通下がる」とは、
「ここは花屋町通から南下した位置です」という意味です)

新町通と旧花屋町通との辻を撮影すると、
左(南)側の空き地で測量をされていた作業員を撮影してしまいます。
そのため、約5m旧花屋町通を西に移動して撮影しました。
では、新町通から堀川通まで旧花屋町通を西に進みます。

新町通から、旧花屋町通を西に歩いています。
旧花屋町通の北側に、路地が伸びていました。
実はこの辺は、路地がとても多く残っています。
こういう路地の奥には、小さな家屋が多く建ち並んでいます。
こういう路地全体が私有地なので奥に入れないことが多いのですが、
第405回に登場された鉄輪命婦稲荷社周辺のように
条件付きで奥に入れる路地もあります。
また、この写真の左側にブリキ製の表札があります。
そちらには「下京区花屋町通新町西入ル艮町」と書かれていました。
つまりこの表札では旧花屋町通を「花屋町通」と表記しています。

その路地の向かい(南)側は、浄土真宗本願寺派法光寺です。
本願寺派の本山は、この近くの西本願寺です。
ですからご本尊は阿弥陀如来なのでしょうが、
この寺院の詳細はよくわかりません。

浄土真宗本願寺派法光寺から約10m西に進み、
今度は旧花屋町通を北に向きました。
家屋の一部の奥に、路地が伸びています。
京都市街地の路地は、この形式も多いですね。

その路地の前で、旧花屋町通を西に向いています。
目の前で、旧花屋町通は若宮通と交差します。

旧花屋町通から、若宮通を北に向いています。
約50m先で、若宮通は「花屋町通」と交差します。
この辺りの若宮通は、第511回ブログで取材しました。

今度は旧花屋町通から、若宮通を南に向きました。
こちらの道は、一度若宮通編で取材しました。

さらに若宮通から、旧花屋町通を西に向いています。
では、このまま旧花屋町通を西に進みます。

若宮通から、旧花屋町通を西に歩いています。
この辺りの旧花屋町通は、京町家が多いですね。
南側の窓には、日差し除けの簾が掛かります。

その向かい(南)側には、こちらが建っています。
もう廃業されておられるようですが、
もともとはタバコ屋さんから始まった雑貨店のようです。
家屋の様子から、今も中に誰か住んでいらっしゃるようです。

若宮通から、旧花屋町通を約50m西に進みました。
ここで旧花屋町通は、西洞院通と交差します。

旧花屋町通から、西洞院通を北に向いています。
約50m先で西洞院通は、花屋町通と交差します。
(その辺りの様子は、第959回ブログ参照)

今度は旧花屋町通から、西洞院通を南に向きました。
約200m先で、正面通が東西に伸びています。
(その辺の詳細は、第690回ブログ参照)
西洞院通は、京都市街地としては比較的広い道幅です。
1977年までこちらには、京都市電が走っていました。
西洞院通の道幅が京都市街地の他の通りより昔から広いのは、
もともとこの通りに川が流れていたからです。

「西洞院旧花屋町」交差点南西角に、
Kitchenカンパネルラという喫茶店がありましたが、
この日(2023年10月5日木曜日)は閉まっていました。
もしかすると、ランチタイムが終了しただけかもしれませんが……
その喫茶店の屋根の真下に、ブリキ製の表札がありました。
「下京区西洞院通花屋町下がる西洞院町」と書かれていますね。
こちらには、「旧花屋町通」の表記がありません。

西洞院通から、旧花屋町通を西に向いています。
ここからも、このまま旧花屋町通を西に進みます。

西洞院通から、旧花屋町通を約50mに進みました。
ここで旧花屋町通は、東中筋と交差します。

旧花屋町通から、東中筋を北に向いています。
この少し先に、小さな寺院が見えますね。
この辺りの東中筋沿いには、西本願寺の末寺が建ち並びます。

こちらが、その「小さな寺院」浄土真宗本願寺派常楽寺です。
宗派から、ご本尊は阿弥陀如来なのでしょうね。
この北隣に浄土真宗本願寺派連光寺が建っています。
(連光寺周辺の様子は、第959回ブログ参照)

東中筋から、旧花屋町通を西に向いています。
突き当りの西本願寺が、だんだんはっきりしてきました。
この辺りから、旧花屋町通沿いは仏具店の割合が増えます。
これは西本願寺が近くなってきたからですが、
もともとはこの辺りに寺院やお墓に供える
お花屋さんが多かったようです。
それが、この道が「花屋町通」になった由来です。
(その辺の詳細は、第949回ブログに書きました)

先ほどの写真の川勝法衣店のショウウィンドウを写しました。
ここは西本願寺に近いので、
こちらは西本願寺の僧侶の法衣なのでしょうか?
なかなか立派なご衣裳ですね。

その川勝法衣店の脇に、こちらの表札がありました。
「下京区花屋町通東中筋西入柳町」と書かれていますね。
つまり、この旧花屋町通を「花屋町通」と表記しています。

さらにその川勝法衣店の斜め向かい(北西向い)に、
京町家のフランス料理店がありました。
ただ店頭の看板には、ランチで10,000円と書かれています。
まぁ需要はかなりあるでしょうが、
自分の収入では手が出ません……

東中筋から、旧花屋町通を約50m西に進みました。
ここで旧花屋町通は、油小路と交差します。

旧花屋町通と油小路との辻の北東角に、
八田彩華堂という表具屋さんが建っています。
ショウウィンドウに「見真」と書かれていますが、
こちらは浄土真宗の開祖親鸞の大師号です。

旧花屋町通から、油小路を南に向いています。
約200m先の正面通周辺が「ご縁まち」と呼ばれる
仏具屋さんの商店街です。
(「ご縁まち」周辺は、第690回ブログ参照)
さらに油小路を200m南下すると、今度は七条通と交差します。
その辺が油小路の変の現場の一部です。

今度は油小路から、旧花屋町通を西に向いています。
この辺りのビルも、大半が仏具屋さんです。
江戸時代にはこの辺の大半が花屋さんだったそうですが、
現在この辺りに花屋さんは一軒も建っていません。

油小路から、旧花屋町通を約30m西に進みました。
ここで旧花屋町通は、堀川通で突き当たります。

旧花屋町通の最西端堀川通に到達しました。
車道越しに、西本願寺の太鼓楼が見えます。
19世紀半ばまでは、一定の時間になると
こちらから太鼓が叩かれていたようです。
要するに、一種の時報ですね。
江戸時代末期の西本願寺は、新撰組のの屯所でした。
実は中京区壬生地区よりも、
西本願寺が屯所だった時期の方が長かったようです。
ただ明治時代に入って、西本願寺の新撰組の遺跡は
大半が焼失か取り壊されて現存しません。
この太鼓楼の刀傷跡が、現存する西本願寺唯一の遺跡です。

旧花屋町通から、堀川通を南に向いています。
約50m先に、西本願寺阿弥陀門が見えますね。
この辺りの堀川通は、西本願寺の境内が続きます。

今回ブログは、写真が40枚を越えても続きます。
今度は旧花屋町通から、堀川通を北に向きました。
約50m先で、「花屋町通」は突き当たります。
その位置で、堀川通から西中筋が分岐している様子が見えます。
第949回ブログにも書きましたが、堀川通より東の花屋町通は
もともとは萬年寺通という別の道でした。
そして、花屋町通は新町通より西の道でした。
つまり、この「旧」花屋町通が元々の花屋町通でした。

先ほどの写真の端に写っていた横断歩道から西に向いています。
この横断歩道の先から、堀川通より西の花屋町通が伸びています。
要するに、第961回ブログ以降のルートです。
考え方によっては、
旧萬年寺通とも言える「花屋町通」が堀川通で突き当たって、
旧花屋町通が堀川通より西でも花屋町通として残っています。
これが、堀川通周辺の花屋町通が複雑になっている要因です。
ここからは写真撮影していませんが、
この位置から約50m南下して9系市バスで京都駅まで進み、
その後帰宅しました。
ですから、これで「花屋町通編」の延長分も終了します。
今回は、ここまでです。
~次回以降、暫く「京のお店 今日のお品」が続きます。
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
浄土真宗本願寺派法光寺が、起点です。
~追記 その2~
今後の予定
今回ブログで、「花屋町通編」の連載が終了しました。
ここから暫く、花屋町通を中心に
「京のお店 今日のお品」を掲載します。
2023年も紅葉散策を連載する予定ですが、
猛暑の後に急に平年並みに気温が下がった2023年は、
紅葉状況が全く読めません。
こちらは様子見ですね。
恐らくですが、短期連載を挟むことになるでしょうね。
~追記 その3~
完全に目が覚めました

2023年9月30日金曜日のウチのネコです。
自分が撮影を強行したために、
ウチのネコが完全に起きてしまいました。
この後すぐに、ウチのネコは階下の母の許に向かいました。
~追記 その4~
Brave Blossomsが敗退
ラグビーW杯2023年フランス大会も、
プールリーグが終了して後は決勝トーナメントです。
Brave Blossoms(日本代表)も
PoolDで戦いましたが、
2023年10月8日日曜日にPumas(アルゼンチン代表)に
27-39で敗戦しました。
すぐに大量点が入るラグビーでは、そこそこの接戦でした。
とは言え、Pumasが32点目を入れた時点で
Brave Blossomsの勝ち目はなくなっていましたが……
(残り時間から、入れられる点数を考えてですが……)
Brave Blossomsの長所は、
タックルの正確性とスクラムの強さでした。
さらに松田選手のキック精度の高さですね。
この試合でもBrave Blossomsのスクラムは強烈で、
Pumasは何度もコラプシングの反則をとられていました。
コラプシングとは、スクラムを崩す反則です。
これは力負けが原因でも、反則です。
さらにこの試合で松田選手は、すべてのキックで得点しました。
問題は、Pumasにタックルをかわされて
何度もトライされてしまったことですね。
これでBrave BlossomsのW杯は終了しますが、
4年後のW杯を含めて国際試合ままだまだ続きます。
今回のW杯でトレンドとなったハイパント攻撃の対策が
取り敢えずの課題ですが、4年後のW杯では
また新しい攻守が主流になるのでしょうね。
恐らくですが、イギリスやフランスのプロリーグで
最新の戦術が取られているのでしょうね。
ですから、多くの日本人ラグビー選手も
そういうものに見慣れておく必要があるのでしょうね。
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