第153回 六道の辻から寿延寺へ~六原散策~その3

ここは松原通の「六道の辻」にある「幽霊子育て飴」屋さんの前です。
(厳密には、お茶屋さんですが)
今回は西福寺などこの辺を見て回った後、
寿延寺経由で京阪電鉄「清水五条」駅に向かいます。
撮影日は2013年9月5日木曜日午後4時。
そろそろ日が西に傾いてきました。

「六道の辻」の南西角に、小さな寺院があります。
先ずは、こちら西福寺から入っていきます。

西福寺に入ると、すぐ前にこちら水掛不動尊の祠がいらっしゃいます。
柄杓で水をかけつつ、こちらにお参りしました。

水掛不動尊の左(東)側に水子地蔵尊・子育地蔵尊がいらっしゃいます。
ちなみに、子育て地蔵尊は空海作と伝えられています。
周囲にたくさんの石仏やお地蔵さんがいらっしゃいます。
多分、大半が昔の墓石だと思うのですが……
とりあえず、皆さんにお参りしました。

水子地蔵尊や子育て地蔵尊の向かい(西)側に、
空海の祈祷によって
後の仁明天皇を懐妊した壇林皇后(嵯峨天皇の皇后)の物語が
パネルで紹介されていました。
そのこともあって、
ここは子宝と子供の安全のご利益があると言われています。
ちなみに、壇林皇后の菩提寺は第94回ブログ後半に出てくる檀林寺で
嵯峨天皇に所縁のある嵯峨野にあります。

こちらは、浄土宗桂光山西福寺の本堂です。
本尊は阿弥陀仏ですが、(浄土宗なので)
伝空海作の「子育て地蔵尊」で有名です。
寺院としては江戸時代初期に建立されましたが、
伝空海の「地蔵堂」は、平安時代初期からありました。
(壇林皇后が熱心にお参りしていたようです)
元々ここは「六道の辻」としての墓所で
(つまり、江戸時代以前はこの辺一帯に石仏が並んでいました)
死体を遺棄しに行く(江戸時代以前の日本の風習です)
鳥辺野への入り口でした。
この寺院の寺宝もそういう関連のものが多く、
六道珍皇寺同様、ここでも盂蘭盆会(お盆)に
「六道参り」が行われます。

西福寺を出て、「六道の辻」から南を向きました。
2年前にここに来たときは、西福寺の南隣に
京都市立六原小学校がありました。
今はもうなくなっているので、第151回ブログで紹介した六波羅蜜寺が
西福寺の南隣になってしまっています。

こちらは、「六道の辻」の北東角です。(つまり、西福寺の向かい)
この六波羅飯店には、学生時代によく通いました。
今回も、この中華料理屋さんに入ってみます。

ここは「六波羅飯店」の店内です。
昔はカウンター席しかなかったように思うのですが、
それ以外に、テーブル席が4つあります。
結局学生時代と同じ焼き飯と酢豚を頼みました。
当時と違うのは、紹興酒の燗が付いていることです。

こちらは、焼き飯です。
炒めるときにご飯を直接火で炙っているのでしょうか、
とても香ばしい味がしました。

今度は、酢豚です。
実は玉ねぎ・にんじん以外にも長葱・筍・白菜なども入っていました。

「六波羅飯店」を出ました。(約30分いました)
「六道の辻」から、松原通を西に向いています。
ここからは、緩やかな下り坂になります。
こちらの方に進んでいきます。

「六道の辻」から、松原通を西に約50m進みました。
ここは、「愛宕念佛寺」(おたぎねんぶつじ)の跡地です。
今は、化野(嵯峨野の北隣)にありますね。
念佛寺は、移転しても石仏で有名な寺院です。

さらに松原通を約30m進みました。
「千歳湯」は小さいながらも今も健在ですね。
2年前には建っていた「松原警察署」は、跡形もありません。

「千歳湯」の前から、松原通を西に向いています。
向こうに見えるのが、大和大路松原の交差点です。

松原通から、大和大路通を南に向いています。
ここをまっすぐ行けば、第7回ブログや第149回ブログに出てきた
豊国神社や方広寺の前に出ます。

今度は、大和大路通を北に向きました。
約80m先に、禅居庵の塀が見えます。
さらに50m北に進むと、ゑびす神社があります。
毎年1月10日の「十日ゑびす」になると、このような様子です。

大和大路通から、松原通を西に約20m進みました。
ここから南に、大黒町通が伸びています。
今から、こちらの道を進みます。

松原通から大黒町通を南に約30m進みました。
この辺りは、飲食店と商店舗が並んでいます。
家具屋さんの北側に、屋根瓦が見えます。

その屋根瓦は、この日蓮宗寿延寺の軒先でした。
ここは、京都の町家のようなウナギの寝床ですね。
提灯には、「浄行大菩薩」とあります。

門をくぐってすぐの所にある祠です。
先ずは、こちらにお参りです。

祠の前から、西を向いています。
本堂に行くために、ここをまっすぐ進んでいきます。

先ほどの写真から西に約3m進むと、
こちらの浄行大菩薩(洗い地蔵)さんの祠の前です。
実は、このお地蔵さん目当てに多くの方がここにお参りに来られます。
こちらに水をかけて洗うことで、諸病のご利益があるそうです。

浄行大菩薩の西隣には、蛇形弁財天の祠がいらっしゃいます。
こちらにも、お参りします。

蛇形弁財天の祠の前から、西を向きました。
こちらが、寿延寺の本堂です。
近所の方が、熱心にお参りされていました。

本堂の右(北)側に、妙見大菩薩の祠がいらっしゃいました。
こちらにも、お参りします。

本堂は、ご本尊以外にもお祭りしている方がいらっしゃいます。
右(北)側は、伝最澄作の開運大黒天がいらっしゃいます。
目の前の通り「大黒町通」は、こちらが語源となっておられます。

さらに本堂の左(南)側には、鬼子母神が祀られています。
三十三間堂では、「ハーリーティー」と呼ばれていました。

そして本堂中央に、ご本尊の釈尊像と多宝如来像がいらっしゃいます。
寿延寺は、江戸時代初期の1616年建立されました。
(1655年に現在地に移転。元は富小路高辻にありました)
開基は摂津国三島(今の大阪府高槻市)の商人興福院寿延で、
日蓮宗の僧侶日柔のために建てました。
今でも、洗い地蔵尊や開運大黒天へお参りされる方が後を絶ちません。

寿延寺本堂に背を向け、東を向いています。
では、ここを出て大黒町通に戻ります。

寿延寺の前で、大黒町通を南に向いています。
さっきから、軽トラックがよく通ります。
どうやら、ここの家具屋さんに用があるようです。
ここから、さらに南に進んでいきます。

さらに大黒町通を南に進んでいます。
寿延寺より約50m南に進むと、
だんだん商店舗よりも古い民家が目立つようになってきました。

大黒町通をさらに50mほど南に進みました。
第151回ブログに出てきた六波羅裏門通に出ました。

その北西角には、大黒湯があります。
第151回ブログの取材でここを通ったときは閉まっていましたが、
午後5時を回ったこの時点では開いていました。

六波羅裏門通から、大黒町通を南に向いています。
ずっと向こう(約200m先)に、五条通が見えます。

大黒町通をずっと南に進んできて、五条通まで来ました。
南東角に見えるのは、東山郵便局です。
(京都市東山区の中央郵便局ですね)
ここをさらに南に進むと、
第149回ブログで出てきた専称寺(烏寺)の前に出ます。
ただ横断歩道がないので、これ以上南には直進することができません。

大黒町通が五条通と交差した時点で、西を向きました。
今度は、この五条通を西に向かいます。

大黒町通から、五条通を西へ約100m進みました。
ここで五条通は、森下町通(本町通)と交差します。
第150回ブログ以来ですね。

森下町通(本町通)から、五条通を西へ約50m進みました。
今度は鞘町通と交差します。
ここで、左(南)に進むと、最終的に第149回ブログででてきた
喫茶店「AMAZON」の前に出ます。

鞘町通から五条通を西に約80m進みました。
川端五条の交差点(鴨川東岸)に、
京阪電鉄「清水五条」駅へ下りていくエスカレーターがあります。
今回は、ここから電車に乗って帰ります。
今回は、ここまでです。
~次回から、また新しい道の特集が始まります~
《今回も、追記が長くなります》
~追記 その1~
2013年9月16日に発生した
台風18号に伴う京都の集中豪雨では
様々な方からお見舞いをいただきました。
2013年9月17日現在、
ウチな特に被害を受けていませんでした。
自分も、今のところ健康です。
ご心配していただき、申し訳ありません。
また、お見舞いをいただき
ありがとうございました。
~追記 その2~
祝!訪問者30000人突破!
ついこの間、このブログは2周年を迎えましたが、
2013年9月14日を以て訪問者が30000人を突破しました。
最近は、半年で10000人ペースとなっております。
どんどん訪問される方が、増えていっています。
これもみなさんが、ここに訪問してくださるおかげです。
どうも、ありがとうございました。
~追記 その3~
六原について思うこと
どうしても、六波羅の記事を書くとお墓や冥界の話になっていきます。
それはこの土地柄だとは思うのですが、
まるで怪談と言いますか、ホラーの舞台に来るような
そのような表現でこの辺りを表すことには
割と反発を覚えています。
(そういうあおり方する記事がまた多いのです)
かつて日本では死体は「穢れ」と考えて、
どんな親しい人であっても
絶対に死体はすぐに遺棄しなければなりませんでした。
そのための死体を遺棄する場所が
ここ六原の東にある鳥辺野だったわけです。
つまり、そういう六原も
結局は当時生きていた方々の生活の一部だったのです。
「地獄信仰」も、ある意味道徳であって
そこには怪談めいた部分はありません。
ですから、興味本位で怪談めいたことを書くのは
正直どうなんでしょうね……
(ここの下調べをしているときにちょっと思ったことです)
あと、貴船神社も同じベクトルで書かれることが多いですね。
(ちなみに貴船神社は、鴨川の水源を神格化した女神様です。
「丑三つ参り」とは、実はあまり関係のない神社です)
~追記 その4~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
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