第159回 誓願寺から三条通へ~寺町通南から北~その6

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蛸薬師通から、寺町通を北に向いています。
京都随一の繁華街「京極」のど真ん中です。
今回は誓願寺に寄った後、三条通まで進みます。
撮影日は、2013年10月10日木曜日午後3時半。
先に進む前に、上にある看板が気になりますね。


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その看板を拡大してみました。
小さな男の子が、こちらにお尻を向けているイラストです。
確かに、御所がここから真北約2km先にありますが……


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反対(南)側に、回って撮りました。
「てらぼん」は、この寺町京極商店街の「ゆるキャラ」のようです。


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その看板の近く(西側)にあった表札です。
「寺町通蛸薬師上がる」とは、
「蛸薬師通から北に行った寺町通沿い」という意味ですね。


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蛸薬師通から、寺町通を約20m進みました。
写真中央をよく見ると、
このアーケードの最北端三条通が見えます。
左(西)側に針金製のゴリラが看板の上に乗っています。
こちらの喫茶店は、かなり以前からあるお店ですね。


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さらに寺町通を北に10mほど上がりました。
右(東)側のテナントビルの2階に、中古レコード屋さんがあります。
その北側の落書きがあるシャッターの店も、レコード屋さんです。
様々な歌手のポスターが貼られていて、
修学旅行生がよく来店しています。
(この日は閉まっていましたが、通常は営業されています)
この二つの建物の間の道を東に進むと、西光寺があります。
和泉式部のお墓もあるのですが、諸事情により割愛します。


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さらに寺町通を100mほど北に進みました。
こちらは古い町家を改装して、洋服を売っているようです。
ちょっと面白いので、撮ってみました。


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蛸薬師通から、寺町通を約150m進みました。
今度は六角通との角になります。


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寺町通から、六角通を西に向いています。
ここを約1km進むと、烏丸通付近に六角堂があります。
約1000年前に藤原道長が建てたものですが、
幕末(1863年)の禁門の変などでたびたび焼失しました。


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今度は六角通を東に向きました。
左(北)側の建物は、「グルメシティー」です。
元々は、「サカエ」というスーパーでした。
昔も今も、食料品がなかなか充実しています。
その前は分かりにくいですが、有料の駐輪場です。
実はこの辺の撮影の際、いつもここに自転車を停めています。


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「グルメシティー」と駐輪場の南側は、「六角公園」になります。
六角通にあるからこの名前ですが、実は三角形の公園です。
(ややこしいですね)
中央に石製の椅子があって、結構くつろげます。

数年前に京都市街地をモデルした
「けいおん!!」というアニメの第13話でここが出てきました。
(確か主人公の妹さんが、福引のバイトをする場面です)


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六角公園の東端は、「新京極」になります。
その「新京極」の東側に、浄土宗西山深草派誓願寺があります。
「西山深草派」ということは、
第128回ブログに出てきた真宗院と同じ宗派ですね。
(こちらの誓願寺が本山になります)


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では、誓願寺の中に入っていきます。
こういう寺院には、変わった書割が置いてあります。


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誓願寺の境内に入って、すぐ左(北)側にあった手水舎です。
先ずは、ここで手を清めます。


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こちらは、おみくじですね。恋愛に特化したもののようです。
そう言えば、第32回ブログに出てきた人形浄瑠璃「桂川連理柵」
モデルとなったお半のお墓がここにあるはずです。
(第32回に出てきたのは、心中現場にあった供養塔です)


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こちらは、境内の南側にいらしたお地蔵さんです。
方角から「北向地蔵尊」とあります。


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境内の北側に、鐘楼がありました。
この辺の除夜の鐘は、ここの鐘になります。
背後に松竹のロゴがありますが、
あの辺りに「MOVIX」というシネコンがあります。


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こちらは、扇塚です。古い扇を供養する塚です。
世阿弥が誓願寺縁起から謡曲「誓願寺」を書いて、
その中で和泉式部が舞踊の菩薩として描きました。
それが江戸時代の舞踊家による「和泉式部信仰」を生み出しました。
当時の舞踊家は、ここによく参拝したようです。


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こちらは、芸の上達を祈願して奉納された扇です。
本堂脇にあるのですが、
ここは本堂を写すとご本尊まで写ってしまいます。
そういう訳で、本堂の写真は載せませんでした。

誓願寺は、飛鳥時代(667年)に天智天皇の誓願で
今の奈良県に建てられました。
鎌倉時代初期に法然上人に譲られて浄土宗となり、
今の京都市上京区元西岸寺通小川西入ルに移転しました。
この位置には、やはり豊臣秀吉の政策で移転しました。


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では、誓願寺を出ます。
ここからでも、六角公園と駐輪場が見えます。


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誓願寺の前で、「新京極」を北に向きました。
この「グルメシティー」の上の階は、
数年前まで「松竹ピカデリー」という映画館でした。
(かつて「新京極」と言えば、京都で一番映画館が集中した通りでした)
今は京都にあった松竹系の映画館は、
すべてこの約50m北にある「MOVIX」に集約されています。


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では、「グルメシティー」と駐輪場の間を通って
「新京極」から寺町通に戻ります。
修学旅行生が囲んでいる「グルメシティー」のクレープ屋さんは、
ここが「サカエ」だったころから人気店でした。


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寺町通に戻ってきました。
この時点で、六角通から寺町通を北に向いていることになります。
では、三条通に見える「かに道楽」の看板に向かって歩いていきます。


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六角寺町の角の中央にこのようなものが埋まっていました。
これを見ると、いま北を向いていることが分かります。


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六角寺町の角から、約20m進みました。
まだ昼間ですが、多少太陽光が遮断されるとこんなに暗くなります。
ジープと迷彩色のシャツがあるとミリタリーショップに見えますが、
ここは普通の洋服屋さんです。


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同じ場所でも、北を向くとこれだけ明るくなります。
(左側に、かすかに先ほどのお店が写っています)
ここから右(東)側に、六角通が伸びています。
六角通も、寺町通で筋違いになっています。



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寺町通から、東に伸びる北側の六角通を見ています。
すぐ東(北)側にある建物は「桜湯」という銭湯だったのですが、
数年前に閉鎖されてしまいました。
「新京極」付近は、松竹系のシネコン「MOVIX」南端になります。
さらに東に進むと、河原町通付近に
「ミーナ京都」というファッションビルがあります。


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東に伸びる北側の六角通から、寺町通を北に向いています。
「桜湯」が閉鎖していることもあるのでしょうか、
ここから三条通前の寺町通は多少寂しい気がします。


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どうもこの辺のお店は、暗く写ってしまします。
(この日は、燦々と晴れていました)
こちらの書店も、「オタクビジネス」を前面に出した本屋さんです。
その階下の「スギ薬局」は、数年前までコンビニエンスストアでした。


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その「Mellon books 京都店」前から、
寺町通を北に向いています。
少し先の寿司屋「金扇」など繁盛している店もありますが、
全体的にこの辺りは閉鎖されている店が多いですね。


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そんな中、建設中のビルの一角にこのような看板がありました。
第157回ブログで火除天神の脇にあった「とらのあな」が
ここに引っ越してきます。
今潰れている店舗がこの辺に多い中、数年後にはこの辺りが
「オタクビジネス街」になっていそうな気がします。


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「金銭」の北隣のバーと肉屋さんの「三島亭」との間の道を
寺町通から覗いています。
この道は「新京極」で突き当たっていますが、
そこに「MOVIX 京都」というシネコンがあります。
京都で映画を見るなら、ここか第57回ブログで出てきた
東宝系の「二条シネマライズ」になります。
他には、四条烏丸の「京都シネマ」(だいぶマニアな映画になります)
京都駅八条口の「JOY・T京都」(イオンモール最上階)ですね。

ちなみにアニメの「けいおん!!」第13話でも、
この映画館がモデルになっていました。
(映画館から見たこちら側の風景も出てきていましたね)


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先ほどの地点から、寺町通を北に向きました。
右(東)側にあるお肉屋さんの「三嶋亭」は
確か「すき焼き」発祥の店ですが、
高価すぎて自分は入ったことがありません。
(ここですき焼きを食べたら、一人軽く10000円を越えます)
この寺町通は目の前の「かに道楽」の看板前で突き当りに見えますが、
実はそこから少し東にずれてまだまだ北に伸びています。
(第67回ブログでそこを進みました)

一応繁華街としての寺町通は御池通まで続きますが、
「寺町京極」としてはここで終わりになります。

よって、今回はここまでとします。

~次回は三条通をさらに北上し、
矢田寺・天性寺・本能寺に向かいます~

~追記~
京都の東西の道の多くが寺町通で筋違いになる理由
「寺町通編」の最初の回でも書きましたが、
元々この寺町通は平安京の「東京極通」で、京都市街地最東端でした。
よって、京都で東西に伸びる道は全てこの通りで終わっていました。
それが江戸時代に入って寺町通より東側に繁華街が作られたため、
ここから東に伸びる道はその時に作られました。
その時の区画の関係で
このようにここでずれてしまった道が多くなりました。

~追追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
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