第176回 もう一つの信長公廟~寺町通南から北~その15

こちらは、前回ブログの最後の地点日蓮宗本満寺の前です。
今回は、ここからまた寺町通を北上します。
寺町通は、この辺りもたくさんの寺院が並んでいますね。
撮影日は、2013年12月20日木曜日午後3時半。
ゆっくりしていたら、結局この時間になってしまいました……

先ほどの地点から、左(西)を向きました。
こちらのお地蔵さんには、このように彫られています。
「皇紀二千六百年記念 武運長久 家内安全 本満寺前町」
作られた1940年当時のご時世でしょうが、
いろいろなものが混ざっています。

寺町通を約50m進み、今回ブログの最初の写真に写っていた
横断歩道の辺りに来て左(西)を向きました。
こちらは、上立売通(かみだちゅうりどおり)です。
少し、こちらの方に寄ってみます。

寺町通から、上立売通を西に約100m進みました。
寺町通より少し広い道に、住宅が並んでいますね。
では、もう少し西の方に向かってみます。

さらに上立売通を西に約20m進みました。
こちらは、浄土宗法輪寺です。
同じ名前の寺院が嵐山にありますが、
そちらは天台宗なのでまったくの偶然でしょうね。

法輪寺の前から上立売通を西に向いています。
では、さらに西に進みます。

法輪寺から、寺町通を西に約100m進みました。
こちらは、京都市立京極幼稚園です。
12月下旬になりましたが、こちらの紅葉は今が盛りですね。

京都市立京極幼稚園の前から、上立売通を西に向いています。
ここで上立売通はいったん途切れて、
烏丸通からまた上立売通は復活します。
上立売通が途切れたところに、臨済宗相国寺があります。
ここから訪れてみるのも一つですが、
時間が遅いこととこの後の「烏丸通編」で紹介するつもりですので、
今回は寄らないこととします。

今度は京都市立京極幼稚園の前で、東を向きました。
ここからは上立売通を東に進み、寺町通に戻ります。

京都市立京極幼稚園の前から、上立売通を東に約120m進みました。
法輪寺より少し東に行ったところに、花屋さんがありました。

その花屋さんの向かいに、お地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらにも、お参りをしました。

お地蔵さんの前から、上立売通を東に約50m進みました。
また、寺町通との角に戻ってきました。

寺町通から、上立売通を東に向きました。
厳密には上立売通は寺町通までで、ここから先は細い路地になります。
この路地はこの先の少し高くなったところで終わります。
そこは豊臣秀吉が造営した御土居の名残で、
そこから先が京都市北区になります。

上立売通から、寺町通を北西に向いています。
少し先に、寺院が並んでいます。では、そちらに向かいます。

上立売通から、寺町通を北西に約20m進みました。
こちらは、西山浄土宗仏陀寺です。
952年に村上天皇が兄の朱雀天皇を弔うために建てました。
中世頃はもっと南西にあったのですが、
豊臣秀吉の政策でここに移転してきました。
(寺町通にある他の寺院と同じです)
ご本尊の阿弥陀如来像は、定朝作で重要文化財です。
門が閉まっているように見えますが、
実は中に自由に入れたそうです。(後で知りました)

仏陀寺の門の前に王城地祭地蔵尊の祠があります。
こちらは江戸中期の作で、朱雀天皇の守護仏が祀られています。

仏陀寺の前で、寺町通を北西に向きました。
理髪店の時計が、午後3時40分を差していますね。
では、次は隣の寺院に向かいます。

こちらは、西山浄土宗十念寺です。
1431年室町幕府6代将軍足利義教が建立しました。
元は第159回ブログに登場した誓願寺の末寺でした。
天正年間に焼失後、豊臣秀吉の政策でここに移転しました。

こちらは、十念寺の境内です。
1993年に再建されたものなので、とても新しいですね。

十念寺の前で、寺町通をさらに北西に向いています。
では、さらに隣の寺院に向かいます。

こちらがその隣の寺院浄土宗阿弥陀寺です。
1550年ごろ、織田信長と親交のあった清玉が建立しました。
元々は今出川大宮にありましたが、
豊臣秀吉の政策でここに移転しました。
「織田信長本廟」の碑があるように、ここに織田信長の墓があります。
では、こちらに寄っていきます。

阿弥陀寺の門をくぐってすぐに、北を向きました。
こちらに末社の小さな祠が並んでいました。
奥のクスノキが、見事ですね。

こちらは、門をくぐってすぐ正面の手水舎です。
お地蔵さんの背後に、桜の木が並んでいます。
ここは春になると、見事な桜に囲まれます。

阿弥陀寺の境内に、カエデの木がありました。
12月下旬ですが、紅葉が見事ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。

境内の南端に、鐘楼がありました。
寺院の規模にしては、小さな鐘ですね。

境内の北側(先ほどの祠の東側)に、寺務所と方丈が並んでいます。
年末が近づいて、植木屋さんなどが入られているようです。
軽トラックが何台か停まっていました。

寺務所や方丈の前で、東を向いています。
本堂との間に、桜の木々が並んでいます。
今は枯れ木ですが、この辺も春になるときれいになります。

こちらは、本堂と方丈とをつなぐ渡り廊下です。
では、ここをさらに東に進みます。

境内の東端から、ここに入れます。
こちらはこの阿弥陀寺の墓地です。

阿弥陀寺の墓地に入ってきました。
すると、真正面にこちらが出迎えてくれます。
石仏は古代や中世の墓石ですから、無縁仏になった方々でしょうね。

墓地の門からまっすぐ東に約10m進むと、
このお墓に行き当たります。
こちらが、「織田信長本廟」になります。
1582年の本能寺の変で死亡した織田信長の遺体は、
その後しばらく所在不明でした。
(ですから、本能寺の「信長公廟」には
織田信長の遺体が納められていません)
数年後、豊臣秀吉が調べて今出川大宮にあったこの寺院で
織田信長と家臣のお墓が発見されました。
この寺院の僧侶清玉が、戦いの最中に信長や家臣の遺体を
この寺院に持ち込んだようでした。
そして、この寺院がここに移転した際にこのお墓も移転してきました。
この写真も、クリックすると拡大されます。

「信長本廟」を背にして、西を向いています。
目の前に桜の木々が並んでいますが、
この寺院では多分この角度が一番桜が綺麗に見えます。
つまり、この織田信長の墓石は
「花見の特等席」にいらっしゃるわけですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

浄土宗阿弥陀寺の本堂に戻ってきました。
人影がかなりあったので普通に中に入ったのですが、
通常は本堂内部は非公開でした。(関係者に謝罪して、外に出ました)
こちらのご本尊は、阿弥陀如来です。
また、本堂には織田信長・信忠親子の木像が安置されてます。
実は、2014年にこの本堂を一般公開するそうです。
詳しくは、今回ブログの追記をご覧ください。

阿弥陀寺の本堂を背にして、境内で西に向いています。
桜の木の向こうに、お地蔵さんと手水舎が見えます。
では、さらに向こうの門からこの阿弥陀寺を出ます。

阿弥陀寺の前から、寺町通を北西に向いています。
まだまだ隣接する寺院は並んでいるのですが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
続きは、次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は、上御霊神社にお参りします~
~追記~
2014年1月10日から3月10日まで、
阿弥陀寺の本堂が一般公開されます。
どうやら以前の六道珍皇寺公開と同じ団体が主催のようです。
ですから、ガイドさんも付くようです。
自分も聞きかじりなので詳しいことは知りませんが、
今回を逃すと次はなかなかないようなので、
機会がある方はぜひお越しください。
……しかし、桜の季節からは外れるのですね。
~追追記~
この周辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
京都駅からは地下鉄烏丸線に乗って、「鞍馬口」駅で降ります。
そのまま鞍馬口通を東に進み、上禅寺の前(寺町通)で南を向きます。
そこから約500mで阿弥陀寺の前に着きます。
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