第286回 法住寺と養源院~塩小路東から西~その3

東大路から、塩小路を西に向いています。
ここから、塩小路が始まっています。
今回はここから西に進み三十三間堂を目指すのですが、
諸事情により、途中までしか進めませんでした……
撮影日は、2015年1月29日木曜日午後3時半。
晴れていたはずが、撮影を始めた瞬間曇り出しました……

先ずは押しボタン式の横断歩道を渡って、東大路を西に渡ります。
南側にある床屋さんは、古くて良い雰囲気がありますね。

北西角には、「清水一芳園」というお茶屋さんがあります。
こちらは、お茶の販売だけでなく
抹茶スイーツを楽しむ喫茶室もあります。

東大路の西側歩道から、塩小路を西に向いています。
では、ここから塩小路を西に進んでいきます。
この道は狭くて西行き一方通行の割に自動車がよく通り、
この少し先で急な下り坂になります。

塩小路の急な下り坂を西に進んでいます。
両脇にはたまに商店があるものの、
基本的には古い民家が並んでいます。
向こうに京都タワーが見えますが、第284回ブログで書いたとおり、
塩小路は京都駅と京都タワーの間を貫く通りでもあります。

東大路から、塩小路を西約100m進みました。
塩小路の北側にこれから行く法住寺の駐車場があり、
そこにこのような碑が立っていました。
どうやら、この辺りに一時期坂本龍馬らが住んでいたようです。

さらに、塩小路を西に約50m進みました。
すると北側に大きな門が見えます。こちらが三十三間堂の三門です。

重要文化財の三十三間堂三門を正面に、北を向いています。
この大きな門の下は自動車が通れそうですが、
実は小型車以外は通行禁止です。
理由は……第222回ブログを参考にしてください。

三十三間堂南大門をくぐると、広い道が北に伸びており
この道は約250m先の七条通まで続いています。
この辺りは、「三十三間堂回り」と呼ばれています。
左(西)側の赤い土塀が三十三間堂ですが、
右(東)側は小さな寺院のほかアパートや病院が続きます。

「三十三間堂回り」の右(東)側は、
最南端がアパートですがその北隣が法住寺です。
こちらからも入れますが、北側の門から入ります。

こちらが、その法住寺の北側の門です。
では、ここから法住寺に入っていきます。

その門に、こちらの紋が刻まれていました。
こちらが寺紋なのでしょうか?
その沿革から、藤原氏か天皇家の紋が入ると思っていました。

門から、法住寺境内に入ってきました。
それなりの大きさの寺院ですが、
元々は三十三間堂や智積院・豊国神社など
この辺の全てが法住寺の土地でした。

北側の紋の南側に、こちらの施設がありました。
昨年夏の第222回ブログ取材時にはありませんでした。
節分のときに振る舞われる甘酒ためのものでしょうか?

法住寺の北側に、こちらの祠がいらっしゃいます。
第222回ブログ取材時で分からなくなりましたが、
今回はきちんと覚えてきました。
左(西)側が厳島社で、右(東)側が豊川茶枳尼天(稲荷)です。
どちらも女神様なのは、第222回ブログで書いたとおりです。

2柱の祠のに背を向け、法住寺北側から南を見ています。
目の前の松林の向こうに、本堂が見えます。

本堂前に、このようなものがありました。
白砂に「鬼」と書かれていますね。
多分もうすぐ節分だからでしょうね。

「鬼」の砂文字の前で、東を向きました。
明治時代の神仏分離令までは、ここから後白河天皇陵に行けました。

同じ地点で、西を向きました。
たくさんのお地蔵さんがいらっしゃいますね。
こちらも、お参りしました。

こちらが、天台宗法住寺の本堂です。
詳しい沿革は、第222回ブログを参考にしていください。
元々ここは、後白河上上皇が院政を行っていた場所です。
三十三間堂も、元々はこの法住寺の施設の一つでした。

本堂中に入ってお参りできるのですが、
撮影不可のため写真はありません。
こちらは中で求めた線香です。こちらは外に刺します。

こちらには、ろうそくも立てました。
その脇には、お賽銭も入れました。

法住寺最南端にある本堂から、北を向きました。
今度は、ここから北側の門を向かいます。

法住寺境内を北に進み、また門の前まで来ました。
では、ここから法住寺を出ます。

「三十三間堂周り」の道で、法住寺の前から北に向いています。
法住寺の北隣が養源院なのですが、その間に細い道があります。

その細い道を東に向かって進んでいます。
ここは日祝日は閉まっていますが、平日の昼間は進入可能です。

その細い道の先に、こちらがあります。
こちらは、後白河天皇のお墓です。
後白河天皇は、この辺一帯を特に気に入っていました。

後白河天皇陵から、「三十三間堂回り」の道に戻ってきました。
西側に赤い大きな門がりますが、これは三十三間堂の勅使門です。
手前に柵があるように、普段は決して開かない門です。

後白河天皇陵の北側に、こちらの養源院があります。
では、こちらにも寄っていきます。

養源院の門を入ってすぐに、白衣弁財天の祠がいらっしゃいます。
先ずは、こちらにお参りです。

さらに、こちらの毘沙門天堂もお参りします。
こちらも、第222回ブログでお参りしました。

毘沙門天堂の前から、東を向きました。
では、この上り坂を進み養源院の本堂に入ります。

では、500円を払って養源院内を拝観します。
まぁ当然ですが、ここからは撮影不可です。

撮影不可なので、俵屋宗達筆の杉戸絵を模した絵葉書を撮りました。
この養源院は、俵屋宗達の襖絵・杉戸絵が相当数残っています。
他に狩野山楽の障壁画などもあります。
こちらは、淀君が開祖ですが、
彼女の死後妹の江君が完成させた彼女らの父浅井長政の菩提寺です。
美術品がものすごいので、照明などはほとんど点けずに
暗い部屋の中で延々カセットテープの解説を聞きます。
(CDでないところがミソです)
貴重な美術品のオンパレードは、少なからずインパクトがあります。
ただ……こちらの天井は伏見城のものを流用しており、
関ヶ原の戦い(1600年)の前に行われた合戦に敗れた
徳川家康の忠臣300余名が切腹した際の返り血が今も残っています。
しかもよく見ると、手足の跡とかも残っていて……
自分ですら少し退いたので、
あまりこういうことは強調しないほうがいいですね。

結局ここには、40分くらいいました。では、ここを下っていきます。
お気づきでしょうが、ここは桜並木が続きます。
ここは、京都でも屈指の桜の絶海ポイントです。

午後4時を回り、もう門は閉まっています。
こちらのご住職さんの指示通り、脇の引き戸から外に出ます。

養源院を出て、北を向きました。
もう塩小路よりも、七条通のほうが近いようになってきました。

養源院の北側は、日本赤十字社の京都支部です。
こちらに、京都中の輸血用血液が集中しています。
その先は七条通で、その向こうには京都国立博物館が見えますね。

そしていよいよ三十三間堂に来たわけですが……
午後3時半で閉まってしまうようです。
京都の神社仏閣は、冬季になるとかなり早く閉まります。
仕方ないので、ここから先には節分にもう一度来ます。
……これ以上摂っていないので、今回はここまでです。
~次回は、三十三間堂と節分の法住寺を取材します~
~追記~
2015年1月30日に誤って
未完成の今回ブログを公開してしまいました。
すぐに気付いて修正しようとしたのですが、
普通に公開されてしまったみたいです。
混乱させて、すみませんでした。
~追追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
京都駅からなら、駅北側市バスターミナルから
206系市バスや208系市バスに乗って、
「国立博物館・三十三間堂」バス停で降りて目の前です。
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