第313回 京の中心 朱雀大路~千本通南から北~その1
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今回は、今年(2015年)2回目の写真の無い回です。
つまり、今回からまた新しい道を紹介します。
今回から紹介するのは、千本通です。
大宮通と西大路通との間にある道ですね。
詳しくは、ここをクリックしてください。
京都市内でも屈指の長い道で、ゆっくり取材するつもりですので
恐らくウチのブログでも一番長いシリーズになると思います。
元々は第297回ブログの続き回として書くつもりでした。
(次回は、梅小路公園の北側から始まります)
ただ、時期的に桜散策や「春祭り」に時期的に重なったために
このタイミングで始めて行きます。
当初は、今年年末の「紅葉散策」直前まで続けるつもりでした。
ですから、もしかしたら来年(2016年)になっても
まだ終わらないかもしれません。
羅城門と平安宮を結ぶ朱雀大路
この千本通は、平安京遷都当時から存在していました。
ただ、名称は「千本通」ではなく「朱雀大路」と言い
平安京の中央を南北に貫く通りでした。
平安京はこの朱雀大路から線対称に造営されており、
またこの道自体も、幅100m以上の
当時としては世界有数の広い道でした。
千本通より約100m西に、「新千本通」があります。
正確には、千本通とこの道の間が朱雀大路でした。
ただ平安時代も後期になると、
歴代天皇が平安宮以外に住まう「外御所」を好むようになり、
(現在の京都御所も、元々は外御所です)
その中心も現在のようにだんだんと東に寄っていきました。
そして、14世紀の南北朝の騒乱で全焼した後は
平安宮は再建されませんでした。
そのことによって、この千本通周辺は
もはや「都市部」ですらなくなっていきました。
江戸時代末期に新撰組が壬生に拠点を持ったとき
この辺一帯は広大な水田だったそうです。
京の五大花街「島原」
多くの京都市街地の通りがそうであるように、
この千本通もJR京都線の線路で寸断されています。
とりあえず、このブログではJRの線路より北側を取材します。
北側の千本通は、梅小路公園の北側七条通から始まります。
そこからJR嵯峨野線の線路沿いに千本通も並走します。
JRの線路と千本通の左(西)側は京都中央卸売市場で、
右(東)側は「島原」という昔の花街です。
島原は、江戸時代には祇園・上七軒・先斗町・宮川町と並ぶ
「京都五大花街」の一つでした。
幕末には長州藩士や新撰組の隊士が多く訪れた場所でしたが、
他の花街とは異なり現在はほとんど花街としては機能していません。
(太夫さんが一人いらっしゃいます。
法住寺の節分行事に参加されていましたね)
ただ、この辺りは昔のままの街並みやお店がたくさん残っています。
このブログでは、そちらに訪れます。
新撰組の拠点壬生
五条通付近にあった「京の七口」の一つ丹波口を通り過ぎ、
北上するとすぐに壬生に入ります。
(まぁ、壬生自体とてつもなく広大なのですが)
ウチのブログでも何度か新撰組関連で登場した場所ですが、
壬生寺の西側が、この千本通です。
もう一つの繁華街
三条通より北に進むと、千本通は急に幅が広い大通りになります。
(多くの方は、大宮通と勘違いされるようですが……)
三条会商店街から丸太町通も越えて一条商店街の辺りまで
とても賑やかな場所になります。
この辺りは戦前は河原町付近と並ぶ京都の最大級の繁華街でした。
当時はおしゃれな感じの河原町に対して、
より庶民的な繁華街だったそうです。
それも、1970年代にはだいぶ小さくなっていました。
ただ、今から20年くらい前からでしょうか、
地域の方々の努力によって
往時の勢いをだいぶ取り戻してきています。
大昔の墓地蓮台野
今出川通から北側の千本通は、
船岡山を避けるように北西に曲がります。
ここには地獄信仰(天台宗)などの寺院が集中します。
「かつてはこの辺りに、千本卒塔婆が立っていた」
というのが千本通の由来という説もあります。
ただ、これを否定する説もあってはっきりしません。
とは言え、こういう説が出るくらい
当時はえんえんとお墓が続いていたと考えられます。
厳密には、蓮台野は今宮通以北にある
京都市北区紫野東蓮台野町と京都市北区紫野西蓮台野町を指します。
ですから、千本釈迦堂・釘抜き地蔵・千本ゑんま堂の位置は
正確には蓮台野ではありません。
ただ、ここは京都市街地から蓮台野に向かう道中で、
それら寺院はその墓地に向かう道に作られました。
また、蓮台野内部にも西向寺があります。
この寺院と近くの大徳寺・今宮神社にも寄ります。
そして、鷹峯へ
北大路を越え、北山通まで進むと
そこで道が終わるように見えますが、
実はさらに北西に道が続きます。
そして、そこを進むと程なく千本通が突き当ります。
その辺りが鷹峯で、突き当りは源光庵になります。
JR以南の千本通
もちろん千本通はJR京都線の線路より南にも続きます。
西寺や羅城門跡より南は住宅地が続き、
そのうち桂川沿岸に出て最終的に淀の方で突き当ります。
ただ、こちらの方は道が長い割に単調なので、
また別の機会に取材します。
では、次回から千本通編の本編を進めます。
先ずは、島原からですね。
今回は、今年(2015年)2回目の写真の無い回です。
つまり、今回からまた新しい道を紹介します。
今回から紹介するのは、千本通です。
大宮通と西大路通との間にある道ですね。
詳しくは、ここをクリックしてください。
京都市内でも屈指の長い道で、ゆっくり取材するつもりですので
恐らくウチのブログでも一番長いシリーズになると思います。
元々は第297回ブログの続き回として書くつもりでした。
(次回は、梅小路公園の北側から始まります)
ただ、時期的に桜散策や「春祭り」に時期的に重なったために
このタイミングで始めて行きます。
当初は、今年年末の「紅葉散策」直前まで続けるつもりでした。
ですから、もしかしたら来年(2016年)になっても
まだ終わらないかもしれません。
羅城門と平安宮を結ぶ朱雀大路
この千本通は、平安京遷都当時から存在していました。
ただ、名称は「千本通」ではなく「朱雀大路」と言い
平安京の中央を南北に貫く通りでした。
平安京はこの朱雀大路から線対称に造営されており、
またこの道自体も、幅100m以上の
当時としては世界有数の広い道でした。
千本通より約100m西に、「新千本通」があります。
正確には、千本通とこの道の間が朱雀大路でした。
ただ平安時代も後期になると、
歴代天皇が平安宮以外に住まう「外御所」を好むようになり、
(現在の京都御所も、元々は外御所です)
その中心も現在のようにだんだんと東に寄っていきました。
そして、14世紀の南北朝の騒乱で全焼した後は
平安宮は再建されませんでした。
そのことによって、この千本通周辺は
もはや「都市部」ですらなくなっていきました。
江戸時代末期に新撰組が壬生に拠点を持ったとき
この辺一帯は広大な水田だったそうです。
京の五大花街「島原」
多くの京都市街地の通りがそうであるように、
この千本通もJR京都線の線路で寸断されています。
とりあえず、このブログではJRの線路より北側を取材します。
北側の千本通は、梅小路公園の北側七条通から始まります。
そこからJR嵯峨野線の線路沿いに千本通も並走します。
JRの線路と千本通の左(西)側は京都中央卸売市場で、
右(東)側は「島原」という昔の花街です。
島原は、江戸時代には祇園・上七軒・先斗町・宮川町と並ぶ
「京都五大花街」の一つでした。
幕末には長州藩士や新撰組の隊士が多く訪れた場所でしたが、
他の花街とは異なり現在はほとんど花街としては機能していません。
(太夫さんが一人いらっしゃいます。
法住寺の節分行事に参加されていましたね)
ただ、この辺りは昔のままの街並みやお店がたくさん残っています。
このブログでは、そちらに訪れます。
新撰組の拠点壬生
五条通付近にあった「京の七口」の一つ丹波口を通り過ぎ、
北上するとすぐに壬生に入ります。
(まぁ、壬生自体とてつもなく広大なのですが)
ウチのブログでも何度か新撰組関連で登場した場所ですが、
壬生寺の西側が、この千本通です。
もう一つの繁華街
三条通より北に進むと、千本通は急に幅が広い大通りになります。
(多くの方は、大宮通と勘違いされるようですが……)
三条会商店街から丸太町通も越えて一条商店街の辺りまで
とても賑やかな場所になります。
この辺りは戦前は河原町付近と並ぶ京都の最大級の繁華街でした。
当時はおしゃれな感じの河原町に対して、
より庶民的な繁華街だったそうです。
それも、1970年代にはだいぶ小さくなっていました。
ただ、今から20年くらい前からでしょうか、
地域の方々の努力によって
往時の勢いをだいぶ取り戻してきています。
大昔の墓地蓮台野
今出川通から北側の千本通は、
船岡山を避けるように北西に曲がります。
ここには地獄信仰(天台宗)などの寺院が集中します。
「かつてはこの辺りに、千本卒塔婆が立っていた」
というのが千本通の由来という説もあります。
ただ、これを否定する説もあってはっきりしません。
とは言え、こういう説が出るくらい
当時はえんえんとお墓が続いていたと考えられます。
厳密には、蓮台野は今宮通以北にある
京都市北区紫野東蓮台野町と京都市北区紫野西蓮台野町を指します。
ですから、千本釈迦堂・釘抜き地蔵・千本ゑんま堂の位置は
正確には蓮台野ではありません。
ただ、ここは京都市街地から蓮台野に向かう道中で、
それら寺院はその墓地に向かう道に作られました。
また、蓮台野内部にも西向寺があります。
この寺院と近くの大徳寺・今宮神社にも寄ります。
そして、鷹峯へ
北大路を越え、北山通まで進むと
そこで道が終わるように見えますが、
実はさらに北西に道が続きます。
そして、そこを進むと程なく千本通が突き当ります。
その辺りが鷹峯で、突き当りは源光庵になります。
JR以南の千本通
もちろん千本通はJR京都線の線路より南にも続きます。
西寺や羅城門跡より南は住宅地が続き、
そのうち桂川沿岸に出て最終的に淀の方で突き当ります。
ただ、こちらの方は道が長い割に単調なので、
また別の機会に取材します。
では、次回から千本通編の本編を進めます。
先ずは、島原からですね。
~2015年5月24日午前3時に追記~
今回ブログはだいぶ慌てて書いたので、
最初の更新でいくつかミスをしていました。
ですから、この時間に訂正を入れました。
(大半は、書き忘れの追加です)
今回ブログはだいぶ慌てて書いたので、
最初の更新でいくつかミスをしていました。
ですから、この時間に訂正を入れました。
(大半は、書き忘れの追加です)
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