第314回 島原散策 前編~千本通南から北~その2

京都駅北側市バスターミナルから、
金閣寺道行き205系市バスに乗って約10分。
こちらは、西行きの「梅小路公園前」バス停です。
このバス停のある七条通から、千本通が始まります。
今回はここから千本通を北上し、
京都五大花街の一つ「島原」を目指します。
撮影日は、2015年5月21日木曜日午後2時。
30℃近い高温の完全な「夏日」です。

そのバス停の前で、南を向きました。
ここから、梅小路公園に入ることができます。
第297回ブログでは、ここから出て、このバス停から帰りました。

少しだけ、梅小路公園の中に入ってみます。
この日(2015年5月21日)は夏日でした。
ですから、この木陰で一休みして
一日読書とかで過ごしたら、それなりに楽しめたでしょうね。
ただ、今回の目的は「島原」なので先を急ぎます。
この写真は、クリックすると拡大されます。

今度は、同じ位置で西を向きました。
JR嵯峨野線の高架の手前に「七条千本」交差点があって、
ここから北に、千本通が伸びています。

「七条千本」交差点から、南を向きました。
JR嵯峨野線の高架の下に道が続いていて、
そちらを進むと梅小路蒸気機関車館脇の
バスターミナルで突き当ります。
ですから、七条通以南は千本通ではありません。
(千本通はJR京都線の線路以南から、また南に伸びています)

千本通から、七条通を西に向きました。
向こうに横断歩道が見えますが、そちらが新千本通です。
つまり、この位置から向こうの横断歩道の辺りまでが
平安時代の朱雀大路でした。
その新千本通沿いに京都中央卸売市場があって、
この辺りはその関連施設が並びます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

七条通から、千本通を北に向いています。
では、この七条通の横断歩道を北に渡ります。

「七条千本」交差点北東角に、京果ビルがあります。
こちらの1Fに、梅小路公園の来場者目当ての飲食店が並びます。
そのうちの1軒「ハンバーグ&ステーキ听(ポンド)」に入ります。

お店の方に許可を取って、店内を撮影しました。
こちらは、夷川通烏丸西入ルに本店があるステーキ屋さんです。
ただ、この梅小路店のみハンバーガーを食べられます。
そこで、このハンバーガーとジンジャーエールを注文しました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

こちらが、そのハンバーガーです。
パテは1週間ほどかけて熟成した牛肉が使われており、
とろけるような食感が特徴です。
さらに、アボガドとソースを絡ませて甘さを引き出しています。
撮影を快く引き受けていただいただけでなく、
先日葉書きまで頂いたので、
ちょっと張り切ってこの辺りを書いています。
この写真も、クリックすると拡大されます。

「听」を出て、七条通を西に向いています。
結局ゆっくりしすぎて、午後3時になってしまいました。
では、目の前の千本通を北に進んでいきます。

七条通から、千本通を北に向いています。
「听」の北側に、石窯焼ピッツァ専門店があります。
ただ、こちらはランチタイムが終了して閉店していました。
では、ここを北に進んでいます。

千本通の西側には、JR嵯峨野線の高架が走っています。
この辺りの高架下は、駐車場になっていますね。

そして、千本通の東側は様々なお店が家屋が並んでいます。
ここは京都中央卸売市場と花街「島原」との境目なので、
その両方に関連する建物が並んでいますね。
七条通から約100m北に、北小路とのT字路が見えます。

千本通から北小路を東に向いています。
耳を澄ますと三味線の音色が聞こえるのは、
島原が近いからでしょうか?
ここを進むと京町家が建ち並び、
約100m先の坊城通に「豆の子地蔵」がいらっしゃいます。
ただ、そちらまで行くと写真が足りなくなくなるので、
今回はここまでにします。
(そのうち、島原だけの特集記事を書こうと思います)

北小路から、千本通を北に向いています。
この辺りの高架下は、空き地になっていますね。
北小路以北も味のある民家が並んでいるのですが、
ずっと向こうに茂みが見えます。
次は、そこを目指します。

北小路から、千本通を北に進んでいます。
こちらは、築年数が経ったアパートですね。
京町家とはまた違った建築様式ですが、
この辺りには味のある古い民家が並びます。
北小路から千本通を北に約100m進むとまたT字路になっていて、
その辺りに茂みが見えます。

そのT字路で、千本通から東を向きました。
こちらは、正面通です。
途中西本願寺や東本願寺・渉成園で途切れながらも、
豊国神社まで伸びています。

千本通と正面通が交わるT字路の北東角に、
「西新屋敷児童公園」があります。
こちらが、先程から茂みに見えていたものの正体です。

こちらが、その児童公園の内部です。
北端にすべり台などの遊具が少々並んでいますが、
面積の大半が様々な植物に覆われています。
特に、ベンチの上の藤棚が立派ですね。

そして公園内を見渡すと、やはりツツジが咲いていました。
京都市街地で一番多い花が、ツツジではないでしょうか?
この写真は、クリックすれば拡大されます。

梅小路公園同様ここの木陰も快かったのですが、
時間をかけ過ぎられませんので、そろそろ出発します。

正面通から、千本通を北に向いています。
千本通は、JR嵯峨野線と「西新屋敷児童公園」に囲まれています。
では、ここを進んでいきます。

正面通から千本通を北に約50m進むと、
右(東)側が児童公園から古い家屋の土塀に変わります。
この土塀は、角屋の裏側に当たります。
つまり、ここは既に京都五大花街の一つ「島原」の最西端です。

角屋を通り過ぎると、千本通の右(東)側は雑居ビルがあります。
向こうにフォークリフトが入っているように、
この辺りは京都中央卸売市場の関連施設が並びます。

先ほど写っていた京都中央信用金庫の北側に、
東に抜ける石畳の道があります。
こちらがかつて島原の西門があった所です。
かつての花街は塀で囲まれており、
ここと反対(東)側の大門からのみ中に入れました。

その西門脇に、島原住吉神社がいらっしゃいます。
元々は島原の商人住吉屋太兵衛が自宅で信仰していた住吉社が、
大きな社を持ってここに鎮座したものです。
一時はとても大きな神社だったのですが、
明治時代の神仏分離令の際にいったん廃社になりました。
(神仏分離令では、「社格」が低い神社を廃社しました)
1903年に丹波高地にある小さな稲荷神社の社株を譲り受ける形で、
この神社は復活しました。
ただ、境内の面積は往時の半分以下になってしまいました。
この写真は、クリックすると拡大されます。

島原住吉神社の境内に、
「幸天満宮」(さいわいてんまんぐう)がいらっしゃいます。
元々は揚屋町(要するに島原)の会所に祀られていた天神さんでした。
それが1734年に、この島原住吉神社の境内に移転されました。
明治時代になって島原住吉神社と共に廃れましたが、
島原住吉神社復活と共に再興されました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

島原住吉神社の前で、東を向きました。
この道は10mほどで突き当りますが、
そこから南に道が続いています。

島原住吉神社から東に10mほど進み、
突き当りから右(南)に向きました。
この道も、約50mで突き当ります。

先ほどの位置から南に約50m進んで、突き当りました。
こちらに、「重要文化財 角屋」と書かれた看板があります。
つまり、ここは角屋の北側に位置します。
また、右の電柱の陰に
「鴻臚館跡」書かれた石碑があります。
ここが花街になる前の平安時代、
この辺り一帯が鴻臚館(要するに大使館)でした。
そのころの中国は唐が滅亡して宋が建国されていなかったので、
(「白村江の戦い」以来、朝鮮半島の新羅とは国交断絶中。
新羅滅亡後、高麗と国交が復活)
中国の東北地方(満州地方)にあった渤海国の使節団のために
建てられた建物だったようです。
とは言え、その痕跡はこの看板以外は何も残っていません。

先ほどの位置で、東を向きました。
ここから東に、花屋町通が伸びています。
この道は、島原の北側を貫いています。
右(南)側に角屋の塀が見えますが、
この辺りから京町家が並ぶ独特の雰囲気になります。

先ほどの位置から花屋町通を東へ約40m進み、南に向きました。
右(西)側が角屋なのですが、左(東)側も角屋の一部です。
この辺りは京町家の形式を残す家屋が並んでいます。

先ほどの月から南に約50m南に下がってきました。
こちらから、角屋に入れます。
角屋は、江戸時代末期には島原最大の揚屋になっていました。
当時は、長州藩士久坂玄瑞の隠れ家でした。
(第186回ブログで出てきた上禅寺が菩提寺です)
さらに、新撰組の芹沢鴨もここの常連でした。
ただ、芹沢鴨はかなりの乱暴者であったらしく、
いろいろな蛮勇が伝わっています。
(この店の帳場に押し込んで暴れたり、
吉田屋で島原の芸妓を縛り上げ日本刀で髪を切ったりとか)

先ほどの場所から約50m北に進み、花屋町通に戻ってきました。
東を向きと、ずっと向こうに小さく「島原大門」が見えますね。
では、ここを進んでいきます。

先ほどの辻から、花屋町通を東に進んでいます。
この辺りは、京町家と普通の家屋が半々に並んでいます。
この写真は、クリックすると拡大されます。

こちらも、元々は揚屋だったようです。
それが、今は喫茶店になっています。
この辺りの古い民家は、
そのような形で残されているところが多いですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

その喫茶店の前から、花屋町通を東に向いています。
向こうに「誠の湯」と書かれた看板がありますが、
こちらはホテルとスーパー銭湯を兼ねた施設です。
だんだん島原大門がはっきりと見えるようになってきました。

こちらが、重要文化財の島原大門です。
江戸時代は、ここからこっち(西)が花街「島原」でした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

島原大門より東の花屋町通を見ています。
花屋町通はここをずっと進めば西本願寺と東本願寺の北端を通り、
最終的に第110回ブログの雅松公園で突き当ります。
ここからもう一度島原大門を通り抜け、
この「島原」を細かく回りたいのですが、
だいぶ写真を貼りつけたので、今回ここまでとします。
~次回は、島原から丹波口に向かいます~
~2015年5月28日追記~
「芹沢鴨の蛮行」で、一部事実とは違うことを書いていました。
後で調べて分かったので「角屋」の記事中で訂正しています。
~追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
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