第320回 小雨の壬生散策 後編~千本通南から北~その8

綾小路から、大宮通を北に向いています。
大通りということもあって、大宮通は雑居ビルが建ち並んでいます。
今回は大宮通を南下して仏光寺通で西進し、千本通を目指します。
撮影日は、2015年6月18日木曜日午後4時。
雨の日は西日が邪魔しないので、撮影が楽ですね。

先ほどの写真に写っていたコンビニエンスストアの南隣に、
京都市立洛友中学校があります。
自分が中学生の頃は、「京都市立郁文中学校」でした。

京都市立洛友中学校校門前で、大宮通を南に向いています。
では、向こうに見える仏光寺通との交差点に向かいます。

綾小路から、大宮通を南に約100m進みました。
ここで、仏光寺通との交差点に出ました。

大宮通から、仏光寺通を東に向いています。
ここから、約1km先に浄土真宗本山の一つ仏光寺があります。
この仏光寺通は寺町通で筋違いになった後、
河原町通で突き当ります。

仏光寺通から、大宮通を南に向いています。
こちらに向かってくる206系市バスは、
東大路と大宮通(千本通)を結ぶ循環路線です。
ここから約200m先に松原通があって、
「松原大宮」交差点から第26回ブログが始まります。

大宮通から、仏光寺通を西に向いています。
この辺りの仏光寺通は、乗用車が1台通れる幅しかありません。
綾小路同様に、仏光寺通も寺院が並びます。

先ほどの写真に美容院が写っていましたが、
その西隣にこちらの洋品店がありました。
この辺は、こういう商店舗がまだまだ元気ですね。

その洋品店の向かいに、こちらの標札がありました。
下京区の「区」が新字であること(「區」ではない)と
スポンサーが「アリナミンA」であることから、
「森下仁丹」のものよりは新しいものと思われます。

「アリナミンA」の標札は、こちらのお堂に付いていました。
お堂の中を覗いてみたのですが、
お地蔵さんがいらっしゃると思いきや
阿弥陀仏がいらっしゃいました。
この写真は、クリックすると拡大します。

お堂は、こちらの寺院にありました。
こちらは、浄土宗帰命院です。

こちらが、浄土宗帰命院の本堂です。
境内がけっこう広いのですが、月極駐車場になっていて
乗用車が何台も並んでいました。
この写真は、クリックすると拡大されます。
浄土宗帰命院は、1600年ごろ(安土桃山時代)に建立されました。
開基は、雄蓮社文譽(ゆうれんしゃもんよし)上人です。
浄土宗なので、ご本尊は阿弥陀仏です。
文人画家の鳥羽石隠や森徹山のお墓があるそうですが、
それがどこかは分かりませんでした。

帰命院の門の前から、仏光寺通を西を向きました。
右(北)側は帰命院の塀ですが、
コンクリートなので寺院とは思えません……

帰命院の西隣に、浄土宗月輪寺です。
九条兼実の別荘「月輪殿」が、兼実の死後寺院化したのもです。
「月輪」は、京都市東山区の東福寺から泉涌寺にかけての地名です。
(泉涌寺開基の僧月輪が地名の由来です)
ですから、この寺院ももともとそちらにあったようですが
いつごろこちらに移転したかはよく分かっていません。

月輪寺の前で、仏光寺通を西に向いています。
右(北)側に、月輪寺の月極駐車場が見えます。
では、ここを西へ進み千本通を目指します。

月輪寺の前から、仏光寺通を西に約50m進みました。
この辺りは、1車線の道の両脇に古い民家が並びます。
時折、このような京町家が見受けられます。
この写真は、クリックすると拡大されます。

先ほどの京町家から、仏光寺通を西に約100m進みました。
こういう平屋も、京町家の典型ですね。
この写真も、クリックすると拡大されます。

その平屋の前で、仏光寺通を西に向きました。
目の前で、仏光寺通は壬生川通と交差していますね。

仏光寺通から、壬生川通を北に向いています。
約100m先に、前回ブログで通った綾小路があります。

今度は、仏光寺通から壬生川通を南に向きました。
約500m先の五条通を越えると、
壬生川通は島原を縦断していきます。

「仏光寺壬生川」交差点南西角に、
大韓民国居留民団の中京支部会館があります。
京都市は、日本有数の在日韓国朝鮮人が居住する都市です。

その施設の脇に、こちらの石碑が立っていました。
どうやら、この辺りに肥後藩邸があったようです。

壬生川通から、仏光寺通を西に向いています。
この辺りから、仏光寺通の右(北)側が
「京都市下京区」から「京都市中京区壬生」になります。
ちなみに左(南)側にあった在日韓国居留民団中京支部会館は、
中京区ではなく下京区にあります。

仏光寺通北側に、このような民家がありました。
改装されて新しくなっていますが、こちらも京町家ですね。

壬生川通から、仏光寺通を西に約50m進みました。
この辺りから、仏光寺通の左(南)側も「京都市中京区壬生」です。

仏光寺通の南側に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
そう言えば、この辺の綾小路や松原通と比べて
この仏光寺通はお地蔵さんがあまりいらっしゃいませんね。
お地蔵さんのいらっしゃる京町家の脇から、細い路地が見えます。
その代わり、この壬生にはこういう路地がたくさんあります。
(第317回ブログ参照)

その路地の前から、仏光寺通を西に向いています。
右(北)側に、前回ブログにも登場した
清宗根付館(神先家)の塀が見えます。

壬生川通から、仏光寺通を西に約150m進みました。
ようやく坊城通との辻に来ました。
手前(東)側の塀が清宗根付館で、奥(西)側が壬生寺のものです。

「仏光寺坊城」の辻の北西角に、
「壬生寺」と書かれた小さな碑が立っています。
ここに来るのも、3年半ぶりです。
(最近は四条通から壬生寺に来ていたので、ここを通りませんでした)

仏光寺から、坊城通を北に向いています。
右(東)側の塀が清宗根付館(神先家)で、左(西)側が壬生寺です。
向こうに見える横断歩道の辺りから、前回ブログが始まります。

今度は、仏光寺通から坊城通を南に向きました。
ここを進めば、第28回ブログの最後の方と同じルートになります。
ここから約200m南に京都産業大学付属中高があるのですが、
向こうから歩いてくるのは京都市立松原中学校の生徒でしょうね。

坊城通から、仏光寺通を西に向いています。
右(北)側の塀の向こうに見えるコンクリート製の施設は
壬生寺が経営する老人ホームですね。
では、ここをさらに西に進んでいきます。

坊城通から、仏光寺通を西に歩いています。
京町家の一角に、たくさんの植木が並んでいます。
こちらは、どうも苔玉を売っているようです。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

坊城通から、仏光寺通を西に約70m進みました。
こちらは、壬生寺の南門です。
第318回ブログでは、ここから壬生寺に入りました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

壬生寺南門の前から、仏光寺通を南に向きました。
約10m先に土蔵があって、ここにも大きな京町家の邸宅があります。

こちらが、その土蔵がある京町家です。
壬生寺北隣の新鮮組屯所「八木邸」と同じ八木家の所有地です。
向こうの「八木邸」と比較して、「八木邸(南)」と呼ばれています。
こちらも京都市指定有形文化財ですが、残念ながら非公開です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

壬生寺南門の前で、仏光寺通を西に向いています。
壬生寺の向こう(西)側に見えるビルは、
第318回ブログに出てきた壬生寺会館別館です。

壬生寺会館別館の向かい(南)に、壬生寺霊園が見えます。
その西隣に、丸福食堂があります。
この辺も、第318回ブログ以来です。
ただ、丸福食堂はこの日は閉まっていました。
木曜日は、定休日でしょうか?

壬生寺南門から、仏光寺通を西に約70m進みました。
ここで、仏光寺通は千本通と交差します。
向こうに、JR嵯峨野線の高架が見えますね。

仏光寺通から、千本通を北に向いています。
(やっと、千本通に戻ってきました)
ここからまた千本通を北上するわけですが、
今回はだいぶ写真を貼りつけたので
ここからは次回以降とします。
今回は、ここまでです。
~次回は、元梛神社の夏越の茅の輪くぐりに出かけます~
~追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
~さらに追記~
なでしこジャパン4強進出
2015年6月28日(日本時間早朝)に、
女子W杯で日本代表が準決勝に進出しました。
……正直もっと接戦になると思ったのですが、
スコアこそ1-0であるものの試合内容は日本の圧勝でした。
何より、中3日の日本より
中5日のオーストラリアの方が先にバテていました。
技術面だけでなく体力面でも日本の優位が続いたわけですから、
日本が圧倒したと言えるでしょう。
次戦は、イングランドですね。
前回大会では0-3で大敗しましたが、
今回はもっと戦えそうです。
今のイングランドは、日本みたいなタイプが苦手なので
自分を見失わなければ多分決勝には行けるでしょう。
まぁ、今大会唯一の全勝国ですから、
それを最後まで続けられたらスゴイですね。
一方、コパアメリカも準決勝が始まろうとしています。
結局、ネイマール選手抜きのブラジルは敗退してしまいました。
準々決勝の対パラグアイ戦はブラジルの方が押していましたが、
チアゴ・シウバ選手がPKを与えて
何もかもが崩れてしまいました。
ネイマール選手がいなくなったブラジルは、
ベテランのロビーニョ選手の渋くて熱いプレーと
エリアス選手やフェルナンジーニョ選手などの中盤の頑張りで、
だんだん良くなる兆候があっただけに、とても残念です。
まぁ、今大会のアルゼンチンの充実ぶりを見れば
もし準決勝に出ても
昨年の対ドイツ戦の再現になったかもしれませんが……
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