第348回 立本寺の葉桜並木~千本通南から北~その26
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七条通から千本通を北上して5か月で、
ようやく下長者町通と交差するところまで来ました。
今回は、この少し北にある仁和寺街道から西進し
五番町を抜けて日蓮宗本山立本寺に向かいます。
撮影日は2015年10月15日午後2時半。
ポカポカ陽気を暢気に散策します。

下長者町通から、千本通を北に向いています。
右(東)側歩道に、「スギ薬局」の大きな店舗があります。
その脇にある看板が気になるので、反対側歩道に渡ってみます。
(この辺りに信号がないので、いったん出水通に戻って渡りました)

こちらが、その「スギ薬局」脇の看板です。
この辺りの千本商店街全店舗が書いてあります。
その下には、前回ブログで出てきた
「出町七不思議」の寺院も書いてあります。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

その看板の前から、千本通を北に向いています。
こうしてみると、この辺りが緩やかな上り坂と分かりますね。
その先に見える信号は、上長者町通との交差点のものです。

上長者町通との交差点まで来ました。
約50m先は、仁和寺街道との交差点です。
ここを東に進むと、烏丸通沿いの京都御苑に突き当たります。
その辺りが地方局のKBS京都本社です。

千本通から、上長者町通を西に向いています。
交差点の南西角に、だし巻き卵屋さんの「西尾」があります。
このお店が、千本通商店街の最北端です。
ここで横断歩道を渡って、だし巻き卵を1本購入しました。
(それは、後で登場します)
上長者町通は、あと50mほどで突き当たります。
そちらには、「千本日活」という映画館があります。
今ではポルノ映画専門館ですが、
映画全盛期の20世紀半ばには相当賑わいました。
ここ数回書いてきたように、
千本通がかつては京極と並ぶ京都でも最大規模の繁華街でした。
当時のこの辺りには20を超える映画館がありましたが、
今ではここ1館だけになりました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

上長者町通~今出川通間の千本通は、西陣千本商店街です。
こちらの商店街には、このように1本1本
道の由来を書いた標識が掛かっています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

上長者町通から千本通を約50m進み、西に向きました。
つまり、千本通から仁和寺街道を西に向いています。

そして、こちらが仁和寺街道の標識です。
要するに、京都市街地から御室の仁和寺に至る参詣道ですね。
では、千本通からここを西に進んでいきます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

千本通から仁和寺街道を西に進むと、
すぐにこちらの消火器がありました。
京都市街地の各町内には消火器の設置が義務付けられていますが、
こちらは五番町のものです。
この辺りは、かつては京都最大の遊郭でした。
1958年の売春防止法完全施行後に衰退し、
今ではこの辺りはマンションが建ち並ぶ地域になりました。
水上勉の代表作「五番町夕霧楼」はこの辺りを描いたものです。

その消火器の向かい(北)側に、こちらの山門があります。
こちらは浄土宗長徳院という寺院なのですが、
境内(?)はどう見てもマンションです。
どうやら屋内にご本尊がいらっしゃるようですが、
外観は「寺院」の面影がほとんどありません。

長徳院の前から、仁和寺街道を西に向いています。
先述の通り、今の五番町はマンションが立ち並ぶ住宅街です。

長徳院から西に約50mに、浄土宗国生寺があります。
阿弥陀如来のほかに千手観音などもいらっしゃるのですが、
入り口が閉まっていて中には入れません。

国生寺の前から、仁和寺街道を西に向いています。
マンションを中心に新しい建物が立ち並び、
京町屋などの古い家屋は皆無ですね。

とは言え、そのマンションの脇にはお地蔵さんがいらっいます。
まぁ、ここは京都ですから新興住宅地でもそれは同じです。

千本通から、仁和寺街道を西に約100m進みました。
六軒町通との辻に、報土寺があります。
こちらはもともと平安時代前期に建立された真言宗の寺院でしたが、
応仁の乱で荒廃した後浄土宗知恩院派の寺院として再興しました。
ご本尊の阿弥陀如来が重要文化財なのですが、
非公開なので中には入れません。

こちらは、報土寺の向かい(南)側にあった自動販売機です。
これすべて、100円で売っています。
こちらで緑茶を買って、先を進みます。

報土寺の前から、仁和寺街道を約100m進みました。
ここに、七本松通との交差点があります。

「仁和寺街道七本松」交差点北西角に、
日蓮宗本山立本寺(りゅうほんじ)があります。
もっとも、墨染寺や本能寺さらには宝塔寺、本満寺など
京都市街地の日蓮宗の寺院はすべて対等の本山です。
この写真以降暫くは、クリックすれば拡大されます。

立本寺の山門をくぐると、一面の桜並木となります。
こちらは、桜で知られた寺院です。
墨染寺や本満寺など、日蓮宗の寺院は桜で有名なものが多いですね。

先述の写真にもある通り、立本寺境内には児童公園があります。
公園内の中央に藤棚があって、その脇にベンチがあります。

児童公園内のベンチに座って、こちらをカバンから出します。
先ほどの自動販売機で買ったお茶のペットボトルと
「西尾」で買っただし巻き卵です。
第346回ブログの「大膳」で食事してから、約2時間経ちました。
そろそろ小腹も空く頃です。

こちらが、その「西尾」のだし巻き卵です。
こちらは、食べ歩き用に切ってもらえます。
同じだし巻き卵でも第305回ブログの「鳥三」とは違い、
だしにしっかりと甘い味が付いています。
(「鳥三」は、もっと卵の味を前面に出していました)

だし巻き卵を食べながら、あたりを眺めています。
遊具の向こうを見るとわかるように、
この児童公園は桜並木に囲まれています。
春には、相当の絶景になるでしょうね。

だし巻き卵を食べ終わり、石畳の道に戻りました。
この辺りの桜の枝は、1mより低いところからも伸びています。
この枝をくぐりつつ、先を進みます。

では、立本寺境内を散策します。
児童公園の脇には、刹堂がありました。
こちらには多くの日蓮寺院同様、
鬼子母神と十羅刹女が祀られています。
また毎月8日には、鬼子母神祭が行われています。

刹堂の北隣に、こちらのお堂がりました。
こちらのお堂については、自分が調べた限り
何というかは分かりませんでした。

児童公園の北側にまで来ました。
こちらは少し広くなっていて、その北側に本堂があります。
この辺りには、枝垂桜が多いですね。

そして、こちらが日蓮宗具足山立本寺です。
1941年以降、日蓮宗の寺院は本末の区別がなくなりました。
よって、京都にある日蓮宗の大きな寺院は全て対等な本山です。
立本寺の開基は、宝塔寺や妙顕寺を建立した日像です。
室町時代に日蓮宗が京都で商人を中心に隆盛したのですが、
その度に天台宗の延暦寺の僧兵と対立し
妙顕寺など多くの日蓮宗寺院が焼き討ちされました。
(これは、高校の日本史の教科書にも載ってますね)
この立本寺は、焼き討ちされた妙顕寺の後継寺院として
その跡地に建立されました。
ただ、この立本寺も何度か延暦寺の僧兵に焼き討ちされ、
その度に規模を小さくして再建されました。
後に豊臣秀吉の政策で寺町通に強制移転させられ、
さらに江戸時代の大火で焼失して今の位置に移転しました。
ちなみに、この寺院は仁和寺街道沿いにあるので
高校生くらいまで自分はここが仁和寺だと思っていました。
クリックすれば拡大されるのは、この写真までです。

立本寺本堂の脇には、小さな寺院が並んでいます。
これらはもう末寺ではないので、「旧末寺」と呼ばれています。

石畳の道を戻り、立本寺の山門に進みます。
この日は、ここが避難場所として大丈夫かどうか
消防署員や建設作業員らが確認されていました。
(彼らの話している言葉が漏れてきて、そう判断しました)

立本寺山門に戻ってきました。
では、立本寺を出て七本松通に出ます。

七本松通から、仁和寺街道を西に向いています。
西大路を通り過ぎてここをまっすぐ進むと、妙心寺に突き当ります。
仁和寺に行くのは北にある一条通の方なので、
昔はどこかで曲がっていたのでしょうか?

今度は七本松通から、仁和寺街道を東に向きました。
では、ここを通って千本通に戻ります。

七本松通から、仁和寺街道を東に進んでいます。
マンションなどの建物に混じって、いろいろな店舗もありますね。

さらに仁和寺街道を東に進み、報土寺の前に来ました。
この先に、六軒町通との辻も見えますね。

さらにさらに仁和寺街道を東に約50m進みました。
左(北)側に先ほどの国生寺があって、
その前から右(南)に道が伸びています。
その道を南に約50m進むと、先述の「千本日活」の前に出ます。

そしてまた仁和寺街道を東に50m進み、千本通に戻ってきました。
この仁和寺街道は、約200m先の浄福寺通で突き当たります。

仁和寺街道から、千本通を北に向いています。
では、またここを北上していきます。

仁和寺街道から、千本通を北に約80m進みました。
こちらは、「中立売千本」交差点です。
かつては、「四条河原町」と並ぶ繁華街の中心でした。
ここからこの交差点周辺を散策したいのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
この先は、また別の回に書きます。
今回は、ここまでです。
~次回は……
京都北野商店街に行く前に、ちょっと寄り道をします。
つまり、「千本通編」はお休みです~

七条通から千本通を北上して5か月で、
ようやく下長者町通と交差するところまで来ました。
今回は、この少し北にある仁和寺街道から西進し
五番町を抜けて日蓮宗本山立本寺に向かいます。
撮影日は2015年10月15日午後2時半。
ポカポカ陽気を暢気に散策します。

下長者町通から、千本通を北に向いています。
右(東)側歩道に、「スギ薬局」の大きな店舗があります。
その脇にある看板が気になるので、反対側歩道に渡ってみます。
(この辺りに信号がないので、いったん出水通に戻って渡りました)

こちらが、その「スギ薬局」脇の看板です。
この辺りの千本商店街全店舗が書いてあります。
その下には、前回ブログで出てきた
「出町七不思議」の寺院も書いてあります。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

その看板の前から、千本通を北に向いています。
こうしてみると、この辺りが緩やかな上り坂と分かりますね。
その先に見える信号は、上長者町通との交差点のものです。

上長者町通との交差点まで来ました。
約50m先は、仁和寺街道との交差点です。
ここを東に進むと、烏丸通沿いの京都御苑に突き当たります。
その辺りが地方局のKBS京都本社です。

千本通から、上長者町通を西に向いています。
交差点の南西角に、だし巻き卵屋さんの「西尾」があります。
このお店が、千本通商店街の最北端です。
ここで横断歩道を渡って、だし巻き卵を1本購入しました。
(それは、後で登場します)
上長者町通は、あと50mほどで突き当たります。
そちらには、「千本日活」という映画館があります。
今ではポルノ映画専門館ですが、
映画全盛期の20世紀半ばには相当賑わいました。
ここ数回書いてきたように、
千本通がかつては京極と並ぶ京都でも最大規模の繁華街でした。
当時のこの辺りには20を超える映画館がありましたが、
今ではここ1館だけになりました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

上長者町通~今出川通間の千本通は、西陣千本商店街です。
こちらの商店街には、このように1本1本
道の由来を書いた標識が掛かっています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

上長者町通から千本通を約50m進み、西に向きました。
つまり、千本通から仁和寺街道を西に向いています。

そして、こちらが仁和寺街道の標識です。
要するに、京都市街地から御室の仁和寺に至る参詣道ですね。
では、千本通からここを西に進んでいきます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

千本通から仁和寺街道を西に進むと、
すぐにこちらの消火器がありました。
京都市街地の各町内には消火器の設置が義務付けられていますが、
こちらは五番町のものです。
この辺りは、かつては京都最大の遊郭でした。
1958年の売春防止法完全施行後に衰退し、
今ではこの辺りはマンションが建ち並ぶ地域になりました。
水上勉の代表作「五番町夕霧楼」はこの辺りを描いたものです。

その消火器の向かい(北)側に、こちらの山門があります。
こちらは浄土宗長徳院という寺院なのですが、
境内(?)はどう見てもマンションです。
どうやら屋内にご本尊がいらっしゃるようですが、
外観は「寺院」の面影がほとんどありません。

長徳院の前から、仁和寺街道を西に向いています。
先述の通り、今の五番町はマンションが立ち並ぶ住宅街です。

長徳院から西に約50mに、浄土宗国生寺があります。
阿弥陀如来のほかに千手観音などもいらっしゃるのですが、
入り口が閉まっていて中には入れません。

国生寺の前から、仁和寺街道を西に向いています。
マンションを中心に新しい建物が立ち並び、
京町屋などの古い家屋は皆無ですね。

とは言え、そのマンションの脇にはお地蔵さんがいらっいます。
まぁ、ここは京都ですから新興住宅地でもそれは同じです。

千本通から、仁和寺街道を西に約100m進みました。
六軒町通との辻に、報土寺があります。
こちらはもともと平安時代前期に建立された真言宗の寺院でしたが、
応仁の乱で荒廃した後浄土宗知恩院派の寺院として再興しました。
ご本尊の阿弥陀如来が重要文化財なのですが、
非公開なので中には入れません。

こちらは、報土寺の向かい(南)側にあった自動販売機です。
これすべて、100円で売っています。
こちらで緑茶を買って、先を進みます。

報土寺の前から、仁和寺街道を約100m進みました。
ここに、七本松通との交差点があります。

「仁和寺街道七本松」交差点北西角に、
日蓮宗本山立本寺(りゅうほんじ)があります。
もっとも、墨染寺や本能寺さらには宝塔寺、本満寺など
京都市街地の日蓮宗の寺院はすべて対等の本山です。
この写真以降暫くは、クリックすれば拡大されます。

立本寺の山門をくぐると、一面の桜並木となります。
こちらは、桜で知られた寺院です。
墨染寺や本満寺など、日蓮宗の寺院は桜で有名なものが多いですね。

先述の写真にもある通り、立本寺境内には児童公園があります。
公園内の中央に藤棚があって、その脇にベンチがあります。

児童公園内のベンチに座って、こちらをカバンから出します。
先ほどの自動販売機で買ったお茶のペットボトルと
「西尾」で買っただし巻き卵です。
第346回ブログの「大膳」で食事してから、約2時間経ちました。
そろそろ小腹も空く頃です。

こちらが、その「西尾」のだし巻き卵です。
こちらは、食べ歩き用に切ってもらえます。
同じだし巻き卵でも第305回ブログの「鳥三」とは違い、
だしにしっかりと甘い味が付いています。
(「鳥三」は、もっと卵の味を前面に出していました)

だし巻き卵を食べながら、あたりを眺めています。
遊具の向こうを見るとわかるように、
この児童公園は桜並木に囲まれています。
春には、相当の絶景になるでしょうね。

だし巻き卵を食べ終わり、石畳の道に戻りました。
この辺りの桜の枝は、1mより低いところからも伸びています。
この枝をくぐりつつ、先を進みます。

では、立本寺境内を散策します。
児童公園の脇には、刹堂がありました。
こちらには多くの日蓮寺院同様、
鬼子母神と十羅刹女が祀られています。
また毎月8日には、鬼子母神祭が行われています。

刹堂の北隣に、こちらのお堂がりました。
こちらのお堂については、自分が調べた限り
何というかは分かりませんでした。

児童公園の北側にまで来ました。
こちらは少し広くなっていて、その北側に本堂があります。
この辺りには、枝垂桜が多いですね。

そして、こちらが日蓮宗具足山立本寺です。
1941年以降、日蓮宗の寺院は本末の区別がなくなりました。
よって、京都にある日蓮宗の大きな寺院は全て対等な本山です。
立本寺の開基は、宝塔寺や妙顕寺を建立した日像です。
室町時代に日蓮宗が京都で商人を中心に隆盛したのですが、
その度に天台宗の延暦寺の僧兵と対立し
妙顕寺など多くの日蓮宗寺院が焼き討ちされました。
(これは、高校の日本史の教科書にも載ってますね)
この立本寺は、焼き討ちされた妙顕寺の後継寺院として
その跡地に建立されました。
ただ、この立本寺も何度か延暦寺の僧兵に焼き討ちされ、
その度に規模を小さくして再建されました。
後に豊臣秀吉の政策で寺町通に強制移転させられ、
さらに江戸時代の大火で焼失して今の位置に移転しました。
ちなみに、この寺院は仁和寺街道沿いにあるので
高校生くらいまで自分はここが仁和寺だと思っていました。
クリックすれば拡大されるのは、この写真までです。

立本寺本堂の脇には、小さな寺院が並んでいます。
これらはもう末寺ではないので、「旧末寺」と呼ばれています。

石畳の道を戻り、立本寺の山門に進みます。
この日は、ここが避難場所として大丈夫かどうか
消防署員や建設作業員らが確認されていました。
(彼らの話している言葉が漏れてきて、そう判断しました)

立本寺山門に戻ってきました。
では、立本寺を出て七本松通に出ます。

七本松通から、仁和寺街道を西に向いています。
西大路を通り過ぎてここをまっすぐ進むと、妙心寺に突き当ります。
仁和寺に行くのは北にある一条通の方なので、
昔はどこかで曲がっていたのでしょうか?

今度は七本松通から、仁和寺街道を東に向きました。
では、ここを通って千本通に戻ります。

七本松通から、仁和寺街道を東に進んでいます。
マンションなどの建物に混じって、いろいろな店舗もありますね。

さらに仁和寺街道を東に進み、報土寺の前に来ました。
この先に、六軒町通との辻も見えますね。

さらにさらに仁和寺街道を東に約50m進みました。
左(北)側に先ほどの国生寺があって、
その前から右(南)に道が伸びています。
その道を南に約50m進むと、先述の「千本日活」の前に出ます。

そしてまた仁和寺街道を東に50m進み、千本通に戻ってきました。
この仁和寺街道は、約200m先の浄福寺通で突き当たります。

仁和寺街道から、千本通を北に向いています。
では、またここを北上していきます。

仁和寺街道から、千本通を北に約80m進みました。
こちらは、「中立売千本」交差点です。
かつては、「四条河原町」と並ぶ繁華街の中心でした。
ここからこの交差点周辺を散策したいのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
この先は、また別の回に書きます。
今回は、ここまでです。
~次回は……
京都北野商店街に行く前に、ちょっと寄り道をします。
つまり、「千本通編」はお休みです~
~追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
京都駅からなら、西回りの206系市バスに乗って
「千本出水」バス停で降ります。
そのバス停で北を向けば、今回ブログ最初の地点です。
~追追記~
第175回ブログで出てきた本満寺の手前に、
「元立本寺町」と書かれたブリキ製の表札があります。
おそらく、その辺りが豊臣秀吉が強制移転させた
立本寺の跡地なのでしょうね。
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
京都駅からなら、西回りの206系市バスに乗って
「千本出水」バス停で降ります。
そのバス停で北を向けば、今回ブログ最初の地点です。
~追追記~
第175回ブログで出てきた本満寺の手前に、
「元立本寺町」と書かれたブリキ製の表札があります。
おそらく、その辺りが豊臣秀吉が強制移転させた
立本寺の跡地なのでしょうね。
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