第378回 千本ゑんま堂 引接寺~千本通南から北~その35
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こちらは、千本通西側歩道の「千本上立売」バス停です。
今回はここを北上し、節分の「千本ゑんま堂」引接寺経由で
「千本鞍馬口」バス停まで進みます。
撮影日は、2016年2月3日節分の水曜日午前11時半。
この時点では晴れていましたが、後からだんだん曇ってきます。

そのバス停から、千本通を北西に約30m進みました。
こちらは、浄土宗鎮西派瑞雲院です。
2013年はここを素通りしましたので、今回はちょっと寄り道します。
この寺院の写真は、クリックすると全て拡大します。

瑞雲院の山門をくぐり、西に向いています。
ここをまっすぐ進むと、この寺院の本堂があります。
沿革はよく分かりませんが、(webとかには載っていませんでした)
こちらの本堂は18世紀半ばの明和年間には建っていました。
(江戸時代半ばのことです)
おそらく寺院の建立はさらに古いのでしょうが、
その辺はよく分かりません。

石畳の道は途中で分岐しており、
本堂の南側には荒神さんのお堂があります。
こちらの方には寺務所もあって、
節分ということもあって賑わっていました。
(よく考えれば、ここで沿革を聞けばよかったのです)

先ほどの位置で振り返り、東を向いています。
よく見ると、この先に山門越しに前回ブログで立ち寄った
「くぎ抜き地蔵」石像寺が見えますね。
では、この瑞雲院を出ます。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。

瑞雲院の前から、千本通を北西に向いています。
この辺りは普段は静かなのですが、
毎年節分になると急に賑やかになります。
では、ここを進んでいきます。

瑞雲院から千本通を北西に約50m進みました。
こちらの京町屋は材木屋さんです。
三条通以南の千本通には材木屋さんが多いのですが、
この辺りには珍しいですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

その北隣に、京都千本寺之内郵便局があります。
節分でも平日の昼間ですから、営業中でした。

その郵便局の前から、千本通を北西に向きました。
ちょっと先から、アーケードが千本通西側歩道上に伸びています。
ここから北西に、「上千本商店街」が始まります。

そのアーケードの下に入り、千本通東側歩道を見ました。
あちらが、京都市立乾隆小学校です。

そして、京都市立乾隆小学校の向かい(千本通東側)に
「乾隆校前」バス停があります。
「千本ゑんま堂」引接寺への最寄りバス停ですね。

「乾隆校」バス停から、千本通を北西に向きました。
この先に、寺之内通との交差点があります。
寺之内通の東端は同志社大学(烏丸通)で、
このまま西に進むとすぐに蘆山寺通と合流します。

寺之内通から、千本通を北西に向きました。
目の前の「大福餅店」は、2014年の中秋の名月に
月見団子を買ったお店です。
(第247回ブログの追記にも出てきました)

その和菓子店から、千本通を北西に約70m進みました。
地域スーパーの向こうで、商店街のアーケードが途切れています。

こちらが、そのアーケードが途切れた地点です。
「千本ゑんま堂」という看板が見えますね。
ここから、またクリックすると全ての写真が拡大されます。

その看板の前で、西を向きました。
こちらは、「千本ゑんま堂」引接寺(いんじょうじ)です。
実は、どの宗派にも属していません。
では、ここから境内に入っていきます。

境内には「千本ゑんま堂会館」という宿坊があり、
閻魔大王のレプリカが飾ってあるのですが、
上手く撮れなかったので割愛します。
(第105回ブログでは上手く撮れました)
では、このお堂の中に入っていきます。

こちらが、ゑんま堂の内部です。正面が、ご本尊の閻魔大王です。
左に大王の家臣である司録尊が、右に司命尊がいらっしゃいます。
いつもはここに大きな扉があって、こちらのご尊顔を拝めません。
この日は節分ということもあって、僧侶による読経が始まりました。
2013年節分に確認したのですが、全て撮影してもいいそうです。

こちらが、節分仕様の閻魔大王です。(いつもは、こんな感じです)
この写真をクリックして拡大してみると、かなりの迫力です。
建立当初の平安時代に小野篁が彫ったご本尊は、
応仁の乱で焼失してしまいました。
こちらは、1488年に定勢という仏師が彫ったものです。

ゑんま堂内は暗くて、司命尊の撮影に失敗してしまいました……
ですから、こちらの司録尊の写真のみ貼り付けます。
ゑんま堂内は、ちょうど地獄での裁判の様子を表しています。

ゑんま堂の南側から、外に出られます。
そちらには寺務所があり、その脇にこちらの人形があります。
鬼と子供が遊んでいる姿ですね。
……よく見ると、うっかりこの写真に自分が写っています。
(厳密には、指とカメラが写っています)

事務所でちょっとおトイレを借りて、ゑんま堂内に戻ってきました。
一人400円を払って、こちらを買い求めました。
こちらの名物こんにゃく炊きは、ゑんま堂内で頂きます。
(つまり、この真横にご本尊の閻魔大王がいらっしゃいます)
2人前あるのは、ウチの母の分もあるからです。
ここのは昆布だしが利いていて、
それが上手くこんにゃくに浸み込んでいます。
こちらの昆布茶は、粉末のもののようです。
(前回ブログの「くぎ抜き地蔵」とは味が違います)

ゑんま堂を出ました。今度は、北側の境内を回ります。
こちらにも、いろいろあります。

引接寺北側境内の一番西に回ってきました。
こちらに石塔があって、その周囲に普賢象桜並木があります。
この引接寺は、京都屈指の桜の名所でもあります。

普賢象桜並木の東側に、引接寺の鐘楼があります。
こちらは南北朝時代に作られたもので、
京都でも屈指の古いものです。

鐘楼の前から、東を向きました。
では、この「千本ゑんま堂」引接寺から出ます。
クリックすれば拡大されるのは、この写真までです。

「千本ゑんま堂」引接寺の前で、千本通を北西に向きました。
目の前にある金物屋「えんまや」は閉まっています。
さらにその北隣のポップコーン専門店も閉まっています。
実はここのポップコーンを買って帰ろうとしたのですが、
閉まっているのなら仕方ありません。

こちらは、そのポップコーン専門店の北側です。
ポップコーンの代わりに、こちらのコロッケを買って帰ります。
(こちらのコロッケも、この辺の名物です)

こちらが、そのコロッケです。1個80円くらいだったと思います。
(100円よりは安かったのは、確かです)
最近のコロッケは塩味がしっかり付いているものが多いのですが、
こちらには塩などの味がほとんど付いていません。
その分、ジャガイモのホクホクした味が前面に出ています。

そのコロッケ専門店の前から、千本通を北西に向いています。
「上千本商店街」のアーケードは、ここ蘆山寺通で終わります。
その向こうに見えるのは、鞍馬口通との交差点です。

蘆山寺通から、千本通を北西に約50m進みました。
約1年半ぶりの「鞍馬口千本」交差点です。
(2014年には鞍馬口通を散々歩き回りました)
ここを西に進むと、紙屋川を越えて約700m先の金閣寺に至ります。
また、この鞍馬口通を境に「京都市上京区西陣」から
「京都市北区紫野」に変わります。

「鞍馬口千本」交差点で東を向き、千本通を東に渡ります。
もしこのまま鞍馬口通を東に進むと、
第251回ブログのルートを逆行することになります。

千本通を東側に渡り、鞍馬口通で北西に向きました。
乗ろうとしていた京都駅行206系市バスが、出発します。
間に合いそうにも、ありません……

鞍馬口通から、千本通を北西に約50m進みました。
こちらが、「千本鞍馬口」バス停です。
この時間帯(平日の0時半)は、
15分に1本の割合で市バスが来ます。
……というわけで、約15分待ちました。
では、ここから帰宅します。
今回は、ここまでです。
~次回は、上品蓮台寺に向かいます~

こちらは、千本通西側歩道の「千本上立売」バス停です。
今回はここを北上し、節分の「千本ゑんま堂」引接寺経由で
「千本鞍馬口」バス停まで進みます。
撮影日は、2016年2月3日節分の水曜日午前11時半。
この時点では晴れていましたが、後からだんだん曇ってきます。

そのバス停から、千本通を北西に約30m進みました。
こちらは、浄土宗鎮西派瑞雲院です。
2013年はここを素通りしましたので、今回はちょっと寄り道します。
この寺院の写真は、クリックすると全て拡大します。

瑞雲院の山門をくぐり、西に向いています。
ここをまっすぐ進むと、この寺院の本堂があります。
沿革はよく分かりませんが、(webとかには載っていませんでした)
こちらの本堂は18世紀半ばの明和年間には建っていました。
(江戸時代半ばのことです)
おそらく寺院の建立はさらに古いのでしょうが、
その辺はよく分かりません。

石畳の道は途中で分岐しており、
本堂の南側には荒神さんのお堂があります。
こちらの方には寺務所もあって、
節分ということもあって賑わっていました。
(よく考えれば、ここで沿革を聞けばよかったのです)

先ほどの位置で振り返り、東を向いています。
よく見ると、この先に山門越しに前回ブログで立ち寄った
「くぎ抜き地蔵」石像寺が見えますね。
では、この瑞雲院を出ます。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。

瑞雲院の前から、千本通を北西に向いています。
この辺りは普段は静かなのですが、
毎年節分になると急に賑やかになります。
では、ここを進んでいきます。

瑞雲院から千本通を北西に約50m進みました。
こちらの京町屋は材木屋さんです。
三条通以南の千本通には材木屋さんが多いのですが、
この辺りには珍しいですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

その北隣に、京都千本寺之内郵便局があります。
節分でも平日の昼間ですから、営業中でした。

その郵便局の前から、千本通を北西に向きました。
ちょっと先から、アーケードが千本通西側歩道上に伸びています。
ここから北西に、「上千本商店街」が始まります。

そのアーケードの下に入り、千本通東側歩道を見ました。
あちらが、京都市立乾隆小学校です。

そして、京都市立乾隆小学校の向かい(千本通東側)に
「乾隆校前」バス停があります。
「千本ゑんま堂」引接寺への最寄りバス停ですね。

「乾隆校」バス停から、千本通を北西に向きました。
この先に、寺之内通との交差点があります。
寺之内通の東端は同志社大学(烏丸通)で、
このまま西に進むとすぐに蘆山寺通と合流します。

寺之内通から、千本通を北西に向きました。
目の前の「大福餅店」は、2014年の中秋の名月に
月見団子を買ったお店です。
(第247回ブログの追記にも出てきました)

その和菓子店から、千本通を北西に約70m進みました。
地域スーパーの向こうで、商店街のアーケードが途切れています。

こちらが、そのアーケードが途切れた地点です。
「千本ゑんま堂」という看板が見えますね。
ここから、またクリックすると全ての写真が拡大されます。

その看板の前で、西を向きました。
こちらは、「千本ゑんま堂」引接寺(いんじょうじ)です。
実は、どの宗派にも属していません。
では、ここから境内に入っていきます。

境内には「千本ゑんま堂会館」という宿坊があり、
閻魔大王のレプリカが飾ってあるのですが、
上手く撮れなかったので割愛します。
(第105回ブログでは上手く撮れました)
では、このお堂の中に入っていきます。

こちらが、ゑんま堂の内部です。正面が、ご本尊の閻魔大王です。
左に大王の家臣である司録尊が、右に司命尊がいらっしゃいます。
いつもはここに大きな扉があって、こちらのご尊顔を拝めません。
この日は節分ということもあって、僧侶による読経が始まりました。
2013年節分に確認したのですが、全て撮影してもいいそうです。

こちらが、節分仕様の閻魔大王です。(いつもは、こんな感じです)
この写真をクリックして拡大してみると、かなりの迫力です。
建立当初の平安時代に小野篁が彫ったご本尊は、
応仁の乱で焼失してしまいました。
こちらは、1488年に定勢という仏師が彫ったものです。

ゑんま堂内は暗くて、司命尊の撮影に失敗してしまいました……
ですから、こちらの司録尊の写真のみ貼り付けます。
ゑんま堂内は、ちょうど地獄での裁判の様子を表しています。

ゑんま堂の南側から、外に出られます。
そちらには寺務所があり、その脇にこちらの人形があります。
鬼と子供が遊んでいる姿ですね。
……よく見ると、うっかりこの写真に自分が写っています。
(厳密には、指とカメラが写っています)

事務所でちょっとおトイレを借りて、ゑんま堂内に戻ってきました。
一人400円を払って、こちらを買い求めました。
こちらの名物こんにゃく炊きは、ゑんま堂内で頂きます。
(つまり、この真横にご本尊の閻魔大王がいらっしゃいます)
2人前あるのは、ウチの母の分もあるからです。
ここのは昆布だしが利いていて、
それが上手くこんにゃくに浸み込んでいます。
こちらの昆布茶は、粉末のもののようです。
(前回ブログの「くぎ抜き地蔵」とは味が違います)

ゑんま堂を出ました。今度は、北側の境内を回ります。
こちらにも、いろいろあります。

引接寺北側境内の一番西に回ってきました。
こちらに石塔があって、その周囲に普賢象桜並木があります。
この引接寺は、京都屈指の桜の名所でもあります。

普賢象桜並木の東側に、引接寺の鐘楼があります。
こちらは南北朝時代に作られたもので、
京都でも屈指の古いものです。

鐘楼の前から、東を向きました。
では、この「千本ゑんま堂」引接寺から出ます。
クリックすれば拡大されるのは、この写真までです。

「千本ゑんま堂」引接寺の前で、千本通を北西に向きました。
目の前にある金物屋「えんまや」は閉まっています。
さらにその北隣のポップコーン専門店も閉まっています。
実はここのポップコーンを買って帰ろうとしたのですが、
閉まっているのなら仕方ありません。

こちらは、そのポップコーン専門店の北側です。
ポップコーンの代わりに、こちらのコロッケを買って帰ります。
(こちらのコロッケも、この辺の名物です)

こちらが、そのコロッケです。1個80円くらいだったと思います。
(100円よりは安かったのは、確かです)
最近のコロッケは塩味がしっかり付いているものが多いのですが、
こちらには塩などの味がほとんど付いていません。
その分、ジャガイモのホクホクした味が前面に出ています。

そのコロッケ専門店の前から、千本通を北西に向いています。
「上千本商店街」のアーケードは、ここ蘆山寺通で終わります。
その向こうに見えるのは、鞍馬口通との交差点です。

蘆山寺通から、千本通を北西に約50m進みました。
約1年半ぶりの「鞍馬口千本」交差点です。
(2014年には鞍馬口通を散々歩き回りました)
ここを西に進むと、紙屋川を越えて約700m先の金閣寺に至ります。
また、この鞍馬口通を境に「京都市上京区西陣」から
「京都市北区紫野」に変わります。

「鞍馬口千本」交差点で東を向き、千本通を東に渡ります。
もしこのまま鞍馬口通を東に進むと、
第251回ブログのルートを逆行することになります。

千本通を東側に渡り、鞍馬口通で北西に向きました。
乗ろうとしていた京都駅行206系市バスが、出発します。
間に合いそうにも、ありません……

鞍馬口通から、千本通を北西に約50m進みました。
こちらが、「千本鞍馬口」バス停です。
この時間帯(平日の0時半)は、
15分に1本の割合で市バスが来ます。
……というわけで、約15分待ちました。
では、ここから帰宅します。
今回は、ここまでです。
~次回は、上品蓮台寺に向かいます~
~2016年3月23日追記~
よくよく調べましたら、蓮台野は今宮通以北を指すようです。
ですから、その辺りの記事内容を改訂しております。
~追記~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
「千本ゑんま堂」引接寺を起点にしました。
京都駅からなら、駅北側市バスターミナルから
西回りの206系市バスに乗り、
「乾隆校前」バス停で降ります。
そこから千本通を北西に約100mで「千本ゑんま堂」引接寺です。
~追追記~
蓮台野の資料が混乱しています!
今回ブログでは前面には書いていませんが、
この辺りは小野篁と絡めて「地獄信仰」の中心地と考えられます。
ですから「陰陽道」や「ホラー」好きには結構おいしい場所で、
特にこちらの「千本ゑんま堂」関連の書籍やサイトは多いのです。
ただ、それに伴い資料の内容が混乱したり間違っていたりと
そういうことが今回多数見つかりました。
第376回ブログでも書いたような、今出川通以北の千本通沿いを
「蓮台野」と称するのはまだ可愛いほうで
「千本ゑんま堂 上品蓮台寺」と
引接寺と上品蓮台寺を混同したり、
ゑんま堂内の現在のご本尊閻魔大王像を
「平安時代の定朝の作」と書いたりと、
結構な混乱ぶりです。
(確かに、応仁の乱で焼失した閻魔大王像は
小野篁ではなく定朝の作であるという説も、
割と有力視されているのですが)
これらが載っているのはwikiではないにしろ、
それなりに資料として活用されているものなので、
間違いが流布する危険性も高いのです。
まぁ、自分も結構間違った情報を書いて
後から気づいて訂正することも割と多いので、
あまり人のことは言えないのですが……
~2016年3月23日追記~
千本ゑんま堂が、ここに建立された経緯
この辺りの内容は、2016年2月に上品蓮台寺の方に聞いた話と
いろいろ調べた資料を基にしています。
平安時代、船岡山以西の鞍馬口通は川でした。
この川は東から西に流れていて、紙屋川に合流していました。
当時千本通には、その川を渡る橋が掛かっていました。
そして、葬列が蓮台野に向かうために千本通を北上するときに
必ずこの橋を渡っていきました。
ですから、今の鞍馬口通を流れていた川を「三途の川」に見立てて、
その川を渡る前に今の鞍馬口通以南で、
閻魔大王に死者の減罪をお祈りする信仰が生まれました。
その信仰を基にゑんま堂が建てられたのが、
今の引接寺建立のきっかけのようです。
よくよく調べましたら、蓮台野は今宮通以北を指すようです。
ですから、その辺りの記事内容を改訂しております。
~追記~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
「千本ゑんま堂」引接寺を起点にしました。
京都駅からなら、駅北側市バスターミナルから
西回りの206系市バスに乗り、
「乾隆校前」バス停で降ります。
そこから千本通を北西に約100mで「千本ゑんま堂」引接寺です。
~追追記~
蓮台野の資料が混乱しています!
今回ブログでは前面には書いていませんが、
この辺りは小野篁と絡めて「地獄信仰」の中心地と考えられます。
ですから「陰陽道」や「ホラー」好きには結構おいしい場所で、
特にこちらの「千本ゑんま堂」関連の書籍やサイトは多いのです。
ただ、それに伴い資料の内容が混乱したり間違っていたりと
そういうことが今回多数見つかりました。
第376回ブログでも書いたような、今出川通以北の千本通沿いを
「蓮台野」と称するのはまだ可愛いほうで
「千本ゑんま堂 上品蓮台寺」と
引接寺と上品蓮台寺を混同したり、
ゑんま堂内の現在のご本尊閻魔大王像を
「平安時代の定朝の作」と書いたりと、
結構な混乱ぶりです。
(確かに、応仁の乱で焼失した閻魔大王像は
小野篁ではなく定朝の作であるという説も、
割と有力視されているのですが)
これらが載っているのはwikiではないにしろ、
それなりに資料として活用されているものなので、
間違いが流布する危険性も高いのです。
まぁ、自分も結構間違った情報を書いて
後から気づいて訂正することも割と多いので、
あまり人のことは言えないのですが……
~2016年3月23日追記~
千本ゑんま堂が、ここに建立された経緯
この辺りの内容は、2016年2月に上品蓮台寺の方に聞いた話と
いろいろ調べた資料を基にしています。
平安時代、船岡山以西の鞍馬口通は川でした。
この川は東から西に流れていて、紙屋川に合流していました。
当時千本通には、その川を渡る橋が掛かっていました。
そして、葬列が蓮台野に向かうために千本通を北上するときに
必ずこの橋を渡っていきました。
ですから、今の鞍馬口通を流れていた川を「三途の川」に見立てて、
その川を渡る前に今の鞍馬口通以南で、
閻魔大王に死者の減罪をお祈りする信仰が生まれました。
その信仰を基にゑんま堂が建てられたのが、
今の引接寺建立のきっかけのようです。
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