第397回 葵祭の車争い
2016年5月15日日曜日は京都では一日快晴となったわけですが、
毎年5月15日に行われる葵祭に
毎年5月第3日曜日に行われるお祭りが加わり、
京都市内のあちこちで大小のお祭りが同時に行われました。
ですから、午前中に葵祭を見て午後は別の場所に向かいます。
(それでも、2ヶ所しか回れません)
先ずは、朝から京都御苑に向かいます。

朝早くに起きて地下鉄に飛び乗り、
地下鉄烏丸線「丸太町」駅に着きました。
今回はこの横にある京都御苑に行き、
葵祭巡幸の出発の模様を取材します。
撮影日は、2016年5月15日日曜日午前10時。
朝から熱中症になりそうな日でした……

地下鉄烏丸線「京都」駅付近からそうだったのですが、
午前9時からずっと時間が経っているのにこの人混みです。
しかも、その大半がこの「丸太町」駅で降ります。
……全員、目的は同じですね。

人混みは、コンコースに上がっても変わりません。
ここから改札口が見えません……

何とか改札口を出たのですが……地下道にこの行列です。
全く動かないので、最寄りの1番出口には向かえません。
そういう訳で、烏丸通西側歩道にある3番出口に向かいます。

地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口から、南を向きました。
向こうに、「丸太町烏丸」交差点が見えます。
では、向こうの横断歩道から烏丸通を東に渡ります。

横断歩道を渡り、「丸太町烏丸」交差点北東角で東に向いています。
人混みを嫌って遠回りしましたが、
結局ここでその1番出口からで来られた大勢の方々と混じります。

大勢の人混みの方々と一緒に、丸太町通を東に歩いています。
烏丸通から約100m東に、東洞院通の最北端がありました。
その向こうの信号が、間之町通の最北端です。
さらに東に、高倉通・堺町通と最北端が続きます。
ですから、この辺りが現在連載中の「高倉通編」の最終回地点です。

さらに東に進み、間之町通の最北端に来ました。
こちらが「間之口門」で、間之町通の由来となった場所です。
では、この「間之口門」から京都御苑内部に入っていきます。

間之口門から、京都御苑を北上しています。
この道は、約50m先の宗像神社で突き当たります。
(この辺りには、第201回ブログで一度訪れています)
ただ、ここに来られた方々は皆右(東)の方に折れていきます。

宗像神社の前から、京都御苑を東北東に進んでいます。
宗像神社の前から約100m先に、たくさんの人混みが見えます。

その人混みに向かう途中で、南を向きました。
この繁みの向こうに大きな池があって、
その中央に厳島神社がいらっしゃいます。
「蚕ノ社」木嶋神社と並ぶ「京都3珍鳥居」がある神社です。
(詳細は、第201回ブログで)

宗像神社の前から、京都御苑を東北東に約100m進みました。
ここから約500m先に、建礼門があります。
そこが京都御苑のメインストリートで、幅約50mの広い道です。
有料観覧席に就かないなら、この辺りで葵祭を見ることになります。
道の西側にテントが張ってあって、そこで露店が出ていました。
左(南)側が製茶メーカーの伊藤園で、
右(北)側が京都の老舗洋菓子店のマールブランシュです。
すでに気温が上がっていて、
伊藤園のペットボトルのお茶はもう売り切れていました。
(慌てて補充されていました)

露店からさらに東に行き、そこで北を向きました。
ここから建礼門が見えるはずですが……
この人垣では何も見えません.。

そこから、南を向きました。
九条邸へと続く橋の上に、たくさんの方々が集まっておられます。
太鼓橋ですので、少しでもよく見えると思われたのでしょうね。
葵祭でいい場所を取ろうとあちこち奔走するお話が、
1,000年以上前から様々な書物に載っています。
その大半が笑い話の説話ですが、
「源氏物語」の「車争い」のように悲惨な話がもあります。
(光源氏の愛妾六条御息所の下人と正妻の葵の上の下人が
葵祭の場所取りからケンカになって
勝利した葵の上の下人が
六条御息所に暴言を吐きながら牛車を壊しました。
六条御息所はそのことを思い悩むうちに生霊になり、
葵の上に憑依して殺してしまいます)
まぁそこまで激しいことはありませんが、
今も昔も葵祭では良い場所を狙って押し合いへし合いしています。

取りあえず自分は人混みの後方から、
適当に手を挙げながら適当に写真を撮りました。
100枚以上写真は無駄になりますが、第394回ブログのように
たくさん撮ればそれなりにいいものも出てきます。
この時点で午前10時半ですが、まだ巡行は始まりません。
2騎だけこの辺りでうろうろしていました。
この写真以降、クリックすると拡大されます。

最大望遠で、建礼門を撮っています。
巡行の開始とともに門が開くと思っていたのですが、
どうもそういうことはないようです。

そうこうしているうちに、午前10時40分ごろ
建礼門がある北の方から、巡行の行列が始まりました。
先ずは2騎の束帯姿の男性が、こちらに来られました。
ちなみに行列の後ろから適当に手を挙げて撮っていますので、
これから暫く写真の下の方にいろいろな方の頭が写ります。

さらにその後ろから、1騎の束帯姿の男性が来られました。
この人混みですから、徒歩の方を撮るのは
かなり困難になってきました……

ただ、あれこれ挙げた手の角度を変えて頑張ってみると、
何とかこちらの方を撮ることができました。
馬上の方が数騎通り過ぎると、
弓を携えた束帯姿の男性が来られました。

その次は、岡持ちを持たれた方が通り過ぎます。
この間何人かが徒歩で通り過ぎましたが、
上手く撮れませんでした。

その後から、また馬上の束帯姿の方が来られました。
馬上の方は背が高くなるので、だいぶ撮りやすいです。

そして、こちらの牛車が現れました。
藤とツツジの造花がすだれになっていて、とてもきれいですね。

その牛車を何人もの方が押しています。
よく見ると、先頭に牛がつながれていません。
多分、堺町御門の辺りで牛が繋がれるのでしょうね。

こちらの馬は手綱を馬上の方ではなく、
徒歩の方に引かれています。
どちらの方も、頭上に葵の葉を飾られています。

ただ、こちらの馬には誰も乗っておられません。
乗り換え用の予備の馬なのでしょうか?

そして、紅白の花を付けた笠がやって来ました。
花が揺れて綺麗なのも、昨年と同じですね。

また、馬に乗った束帯姿の男性が通り過ぎます。
この辺りの馬上の方は、従者を連れています。

従者を従えた馬上の束帯姿の男性が、また通り過ぎます。
こちらの方々も、頭に葵の葉を差しています。

その後に、ツツジの造花を差した笠が通り過ぎます。
黄色い花が、この日差しによく映えますね。

さらに、十二単姿の女性が通り過ぎます。
彼女らは皆、日傘を差した白装束の男性を従えています。

そして、いよいよこちらの輿が登場です。
輿の上には、今年の斎王代が座っておられますね。

斎王代の後は、馬上にいらっしゃる十二単の女性が通り過ぎました。
馬上でこの装束は晴れの日はいいのですが、雨の日は悲惨です。

こちらも、馬上に十二単姿の女性ですね。
馬が白いので、よく目立ちます。

さらに、紅白の花が付いた傘で日差しをよけている
十二単姿の女性が続きます。

最後に、また牛車がやって来ました。
こちらも牛ではなく、人が押しています。

厳密には牛車の後には、軽トラックが通り過ぎました。
よく見ると、牛が牛車の後ろから付いています。
葵祭の行列はこの後東側の堺町御門から丸太町通に出て、
下鴨神社に立ち寄ってさらに上賀茂神社に向かいます。
クリックすると写真が拡大できるのは、ここまでです。

葵祭の巡航行列を見ていた一から、西を向きました。
今まで一緒に観覧していた人たちが、一斉に動き出します。
このまま下鴨神社に向かわれる方も多いようですが、
そうでない方も多いようです。
(自分は、他のところに行きます)

先ほどの場所から、京都御苑を西南西に約100m進みました。
あちらに閑院宮邸の門が見えますね。

閑院宮邸の前から(宗像神社の前でもあります)、
京都御苑で南を向きました。
目の前に、間之口門があります。
ここから丸太町通に出て西に向かい、
「丸太町烏丸」交差点から地下に潜って、地下鉄に乗りました。
では、この日(2016年5月15日)の午後のお祭りに向かいます。
今回は、ここまでです。
~次回は、嵐山に向かいます~
~追記~
……で、地下鉄烏丸線「丸太町」駅1番出口は混むと思い、
また烏丸通を西に渡って3番出口から地下に潜りました。

それでも、1番出口から伸びる地下通路との合流地点は
こんな風に全く動かない状態でした……
約10分かけて切符を買って
ここから「烏丸御池」駅に向かい、東西線→嵐電と乗り換えます。
~追追記~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
巡航行列を見ていた地点の南西にいらっしゃる
厳島神社を起点にしています。
~さらに追記~
そう言えば、帰りの地下鉄に向かうときに
いろいろな方から下鴨神社への道を訊かれました。
(半部以上が外国人)
地下鉄職員さんはいったん京阪電鉄「三条」駅を経由して
「出町柳」駅から徒歩のコースを勧めておられましたが、
自分は地下鉄烏丸線「今出川」駅から徒歩を勧めていました。
(まぁ、自分に尋ねた大半の方が健脚そうな若い方でしたので)
こちらの方が早いと思ったからですが、
よく考えれば地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅から徒歩の方が
早くて近いことに、後から気づきました。
そう言えば、今気づきました。
この後地下鉄に何度も乗るわけですから、
京都駅で「ONE DAYチケット」(嵐電付き)を買っておけば、
運賃が半額以下に抑えられていたのでした!
後悔先に立たずですね……
~追記 その4~
この辺は、更新から約24時間後の2016年5月21日に書いています。
京都桜100景の最新版を更新しました!
今回は、2014年に取材した京都御苑の分を掲載しました。
京都御苑はあまりにも広大なので、いくつかに分けて載せます。
近衛家邸宅跡【京都御苑】
建礼門前大通り【京都御苑】
~追記 その5~
イングランドプレミアリーグで
レスターが優勝しました!
ちょっと古いネタですが、
2015/2016イングランドプレミアリーグは、
レスターシティーの初優勝で終わりました。
日本人の岡崎選手がレギュラーでいたこともあって
日本でもだいぶ話題になりましたが、
このことがヨーロッパサッカーの在り方変える
分岐点になるかもしれないほど大事件なのです。
日本のプロ野球のようにドラフトもなく、
チームの選手保有権が緩いのがヨーロッパのサッカーです。
そうなると、チームのオーナーの資金力が
そのままチームの力になってしまいます。
21世紀に入るとその傾向がますます強くなり、
特にイングランド(イギリス)プレミアリーグは
オーナーの持っている資産額が
そのまま各チームの順位になってしまっていました。
極端な例ですが、マンチェスターシティーは
2010年ごろにアラブ首長国連邦の王子がオーナーになり、
原油で儲けたお金をチームに注ぎ込むと、
弱小チームがわずか1年で優勝してしまいました。
ところが、レスターシティーのタイ人オーナーの資産は
リーグ20チーム中18位で、はっきり言って
レスターはリーグ屈指の貧乏チームです。
それが選手一人ひとりの勤勉さと常に戦う貪欲さで、
「強豪」金満チームを次々倒していったのです。
だんだんとプレミアリーグの各チームが
世界中の資産家の投資や
マネーゲームの道具と化していただけに、レスターの優勝が
そういったことに歯止めをかけるきっかけになりそうです。
~追記 その6~
沼大希選手が決勝ゴール!
こちらは、もっとローカルな話です。
J2リーグ第13節アウェイの対愛媛戦で、
京都サンガは終了間際の決勝点で1-0で勝利しました!
そのゴールを決めたのは、
高卒ルーキーの沼大希選手でした。
もともと京都サンガは自分のチーム内で
選手を育てるのが得意なのですが、
今シーズン初めに23歳前後の若手有望株が
全員チームを退団していました。
それだけにシーズン開幕当初はJ3降格すら覚悟していたのですが、
昨年の主力選手よりさらに若い年代が活躍しています。
それでも現時点ではJ1昇格は厳しいでしょうが、
何とか6位以内に入ってプレーオフに参加してほしいですね。
毎年5月15日に行われる葵祭に
毎年5月第3日曜日に行われるお祭りが加わり、
京都市内のあちこちで大小のお祭りが同時に行われました。
ですから、午前中に葵祭を見て午後は別の場所に向かいます。
(それでも、2ヶ所しか回れません)
先ずは、朝から京都御苑に向かいます。

朝早くに起きて地下鉄に飛び乗り、
地下鉄烏丸線「丸太町」駅に着きました。
今回はこの横にある京都御苑に行き、
葵祭巡幸の出発の模様を取材します。
撮影日は、2016年5月15日日曜日午前10時。
朝から熱中症になりそうな日でした……

地下鉄烏丸線「京都」駅付近からそうだったのですが、
午前9時からずっと時間が経っているのにこの人混みです。
しかも、その大半がこの「丸太町」駅で降ります。
……全員、目的は同じですね。

人混みは、コンコースに上がっても変わりません。
ここから改札口が見えません……

何とか改札口を出たのですが……地下道にこの行列です。
全く動かないので、最寄りの1番出口には向かえません。
そういう訳で、烏丸通西側歩道にある3番出口に向かいます。

地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口から、南を向きました。
向こうに、「丸太町烏丸」交差点が見えます。
では、向こうの横断歩道から烏丸通を東に渡ります。

横断歩道を渡り、「丸太町烏丸」交差点北東角で東に向いています。
人混みを嫌って遠回りしましたが、
結局ここでその1番出口からで来られた大勢の方々と混じります。

大勢の人混みの方々と一緒に、丸太町通を東に歩いています。
烏丸通から約100m東に、東洞院通の最北端がありました。
その向こうの信号が、間之町通の最北端です。
さらに東に、高倉通・堺町通と最北端が続きます。
ですから、この辺りが現在連載中の「高倉通編」の最終回地点です。

さらに東に進み、間之町通の最北端に来ました。
こちらが「間之口門」で、間之町通の由来となった場所です。
では、この「間之口門」から京都御苑内部に入っていきます。

間之口門から、京都御苑を北上しています。
この道は、約50m先の宗像神社で突き当たります。
(この辺りには、第201回ブログで一度訪れています)
ただ、ここに来られた方々は皆右(東)の方に折れていきます。

宗像神社の前から、京都御苑を東北東に進んでいます。
宗像神社の前から約100m先に、たくさんの人混みが見えます。

その人混みに向かう途中で、南を向きました。
この繁みの向こうに大きな池があって、
その中央に厳島神社がいらっしゃいます。
「蚕ノ社」木嶋神社と並ぶ「京都3珍鳥居」がある神社です。
(詳細は、第201回ブログで)

宗像神社の前から、京都御苑を東北東に約100m進みました。
ここから約500m先に、建礼門があります。
そこが京都御苑のメインストリートで、幅約50mの広い道です。
有料観覧席に就かないなら、この辺りで葵祭を見ることになります。
道の西側にテントが張ってあって、そこで露店が出ていました。
左(南)側が製茶メーカーの伊藤園で、
右(北)側が京都の老舗洋菓子店のマールブランシュです。
すでに気温が上がっていて、
伊藤園のペットボトルのお茶はもう売り切れていました。
(慌てて補充されていました)

露店からさらに東に行き、そこで北を向きました。
ここから建礼門が見えるはずですが……
この人垣では何も見えません.。

そこから、南を向きました。
九条邸へと続く橋の上に、たくさんの方々が集まっておられます。
太鼓橋ですので、少しでもよく見えると思われたのでしょうね。
葵祭でいい場所を取ろうとあちこち奔走するお話が、
1,000年以上前から様々な書物に載っています。
その大半が笑い話の説話ですが、
「源氏物語」の「車争い」のように悲惨な話がもあります。
(光源氏の愛妾六条御息所の下人と正妻の葵の上の下人が
葵祭の場所取りからケンカになって
勝利した葵の上の下人が
六条御息所に暴言を吐きながら牛車を壊しました。
六条御息所はそのことを思い悩むうちに生霊になり、
葵の上に憑依して殺してしまいます)
まぁそこまで激しいことはありませんが、
今も昔も葵祭では良い場所を狙って押し合いへし合いしています。

取りあえず自分は人混みの後方から、
適当に手を挙げながら適当に写真を撮りました。
100枚以上写真は無駄になりますが、第394回ブログのように
たくさん撮ればそれなりにいいものも出てきます。
この時点で午前10時半ですが、まだ巡行は始まりません。
2騎だけこの辺りでうろうろしていました。
この写真以降、クリックすると拡大されます。

最大望遠で、建礼門を撮っています。
巡行の開始とともに門が開くと思っていたのですが、
どうもそういうことはないようです。

そうこうしているうちに、午前10時40分ごろ
建礼門がある北の方から、巡行の行列が始まりました。
先ずは2騎の束帯姿の男性が、こちらに来られました。
ちなみに行列の後ろから適当に手を挙げて撮っていますので、
これから暫く写真の下の方にいろいろな方の頭が写ります。

さらにその後ろから、1騎の束帯姿の男性が来られました。
この人混みですから、徒歩の方を撮るのは
かなり困難になってきました……

ただ、あれこれ挙げた手の角度を変えて頑張ってみると、
何とかこちらの方を撮ることができました。
馬上の方が数騎通り過ぎると、
弓を携えた束帯姿の男性が来られました。

その次は、岡持ちを持たれた方が通り過ぎます。
この間何人かが徒歩で通り過ぎましたが、
上手く撮れませんでした。

その後から、また馬上の束帯姿の方が来られました。
馬上の方は背が高くなるので、だいぶ撮りやすいです。

そして、こちらの牛車が現れました。
藤とツツジの造花がすだれになっていて、とてもきれいですね。

その牛車を何人もの方が押しています。
よく見ると、先頭に牛がつながれていません。
多分、堺町御門の辺りで牛が繋がれるのでしょうね。

こちらの馬は手綱を馬上の方ではなく、
徒歩の方に引かれています。
どちらの方も、頭上に葵の葉を飾られています。

ただ、こちらの馬には誰も乗っておられません。
乗り換え用の予備の馬なのでしょうか?

そして、紅白の花を付けた笠がやって来ました。
花が揺れて綺麗なのも、昨年と同じですね。

また、馬に乗った束帯姿の男性が通り過ぎます。
この辺りの馬上の方は、従者を連れています。

従者を従えた馬上の束帯姿の男性が、また通り過ぎます。
こちらの方々も、頭に葵の葉を差しています。

その後に、ツツジの造花を差した笠が通り過ぎます。
黄色い花が、この日差しによく映えますね。

さらに、十二単姿の女性が通り過ぎます。
彼女らは皆、日傘を差した白装束の男性を従えています。

そして、いよいよこちらの輿が登場です。
輿の上には、今年の斎王代が座っておられますね。

斎王代の後は、馬上にいらっしゃる十二単の女性が通り過ぎました。
馬上でこの装束は晴れの日はいいのですが、雨の日は悲惨です。

こちらも、馬上に十二単姿の女性ですね。
馬が白いので、よく目立ちます。

さらに、紅白の花が付いた傘で日差しをよけている
十二単姿の女性が続きます。

最後に、また牛車がやって来ました。
こちらも牛ではなく、人が押しています。

厳密には牛車の後には、軽トラックが通り過ぎました。
よく見ると、牛が牛車の後ろから付いています。
葵祭の行列はこの後東側の堺町御門から丸太町通に出て、
下鴨神社に立ち寄ってさらに上賀茂神社に向かいます。
クリックすると写真が拡大できるのは、ここまでです。

葵祭の巡航行列を見ていた一から、西を向きました。
今まで一緒に観覧していた人たちが、一斉に動き出します。
このまま下鴨神社に向かわれる方も多いようですが、
そうでない方も多いようです。
(自分は、他のところに行きます)

先ほどの場所から、京都御苑を西南西に約100m進みました。
あちらに閑院宮邸の門が見えますね。

閑院宮邸の前から(宗像神社の前でもあります)、
京都御苑で南を向きました。
目の前に、間之口門があります。
ここから丸太町通に出て西に向かい、
「丸太町烏丸」交差点から地下に潜って、地下鉄に乗りました。
では、この日(2016年5月15日)の午後のお祭りに向かいます。
今回は、ここまでです。
~次回は、嵐山に向かいます~
~追記~
……で、地下鉄烏丸線「丸太町」駅1番出口は混むと思い、
また烏丸通を西に渡って3番出口から地下に潜りました。

それでも、1番出口から伸びる地下通路との合流地点は
こんな風に全く動かない状態でした……
約10分かけて切符を買って
ここから「烏丸御池」駅に向かい、東西線→嵐電と乗り換えます。
~追追記~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
巡航行列を見ていた地点の南西にいらっしゃる
厳島神社を起点にしています。
~さらに追記~
そう言えば、帰りの地下鉄に向かうときに
いろいろな方から下鴨神社への道を訊かれました。
(半部以上が外国人)
地下鉄職員さんはいったん京阪電鉄「三条」駅を経由して
「出町柳」駅から徒歩のコースを勧めておられましたが、
自分は地下鉄烏丸線「今出川」駅から徒歩を勧めていました。
(まぁ、自分に尋ねた大半の方が健脚そうな若い方でしたので)
こちらの方が早いと思ったからですが、
よく考えれば地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅から徒歩の方が
早くて近いことに、後から気づきました。
そう言えば、今気づきました。
この後地下鉄に何度も乗るわけですから、
京都駅で「ONE DAYチケット」(嵐電付き)を買っておけば、
運賃が半額以下に抑えられていたのでした!
後悔先に立たずですね……
~追記 その4~
この辺は、更新から約24時間後の2016年5月21日に書いています。
京都桜100景の最新版を更新しました!
今回は、2014年に取材した京都御苑の分を掲載しました。
京都御苑はあまりにも広大なので、いくつかに分けて載せます。
近衛家邸宅跡【京都御苑】
建礼門前大通り【京都御苑】
~追記 その5~
イングランドプレミアリーグで
レスターが優勝しました!
ちょっと古いネタですが、
2015/2016イングランドプレミアリーグは、
レスターシティーの初優勝で終わりました。
日本人の岡崎選手がレギュラーでいたこともあって
日本でもだいぶ話題になりましたが、
このことがヨーロッパサッカーの在り方変える
分岐点になるかもしれないほど大事件なのです。
日本のプロ野球のようにドラフトもなく、
チームの選手保有権が緩いのがヨーロッパのサッカーです。
そうなると、チームのオーナーの資金力が
そのままチームの力になってしまいます。
21世紀に入るとその傾向がますます強くなり、
特にイングランド(イギリス)プレミアリーグは
オーナーの持っている資産額が
そのまま各チームの順位になってしまっていました。
極端な例ですが、マンチェスターシティーは
2010年ごろにアラブ首長国連邦の王子がオーナーになり、
原油で儲けたお金をチームに注ぎ込むと、
弱小チームがわずか1年で優勝してしまいました。
ところが、レスターシティーのタイ人オーナーの資産は
リーグ20チーム中18位で、はっきり言って
レスターはリーグ屈指の貧乏チームです。
それが選手一人ひとりの勤勉さと常に戦う貪欲さで、
「強豪」金満チームを次々倒していったのです。
だんだんとプレミアリーグの各チームが
世界中の資産家の投資や
マネーゲームの道具と化していただけに、レスターの優勝が
そういったことに歯止めをかけるきっかけになりそうです。
~追記 その6~
沼大希選手が決勝ゴール!
こちらは、もっとローカルな話です。
J2リーグ第13節アウェイの対愛媛戦で、
京都サンガは終了間際の決勝点で1-0で勝利しました!
そのゴールを決めたのは、
高卒ルーキーの沼大希選手でした。
もともと京都サンガは自分のチーム内で
選手を育てるのが得意なのですが、
今シーズン初めに23歳前後の若手有望株が
全員チームを退団していました。
それだけにシーズン開幕当初はJ3降格すら覚悟していたのですが、
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それでも現時点ではJ1昇格は厳しいでしょうが、
何とか6位以内に入ってプレーオフに参加してほしいですね。
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