第399回 東九条の焼肉屋水月亭~高倉通南から北~その3
[水月亭] ブログ村キーワード

高倉通から北を向き、九条通を見ています。
高倉通はここでいったん突き当たりますが、
脇に見える歩道橋を渡るとまた高倉通が北に伸びます。
今回はさらに北上し、焼肉屋の名店「水月亭」に立ち寄ります。
(個人的に選んだ「京都3大焼肉店」の筆頭です)
撮影日は、2016年5月15日日曜日午後4時半。
その前に、近くの神社に参拝します。

高倉通から、九条通を東に向いています。
約80m先に河原町通との交差点があり、
その先から東の九条通は大きな橋になります。

高倉通から九条通を東に約50m進み、南を向きました。
河原町通へ行く手前に、こちらの碑があります。
ここから九条通を南に進むと、新宮神社がいらっしゃいます。
先ずは、そちらに進みます。

九条通から、南に約30m進みました。
小さな赤い鳥居に混まれた場所が、その新宮神社です。
この路地の中は、写真をクリックすると拡大されます。

新宮神社は、路地の民家が密集している中にいらっしゃいます。
いくつも紹介してきましたが、典型的な京都市街地の神社ですね。
では、こちらの境内に入っていきます。

本堂の右(北)側に、狛犬像がいらっしゃいます。
口から、「阿形」と分かります。

そして、こちらが左(南)側の狛犬です。
口が閉じているので、「吽形」ですね。

こちらが、新宮神社の本殿です。
写真には上手く写っていませんが、格子戸の向こうには狐の像と
「新宮神社」と書かれた提灯が飾ってあります。
そうなると、御祭神は宇迦御霊神ということになるのですが……
こちらは春日大明神・八幡大菩薩・稲荷大明神・速玉大明神が
合祀されています。
速玉大明神は和歌山県の熊野三山の1柱で、
九条兼実が平安時代末期に熊野神社をこの地に勧請したのが
この神社の始まりと言われています。
(必ずしも定説ではありません)
また、こちらは家出人が家に帰ってくるという御利益があり
その信仰は今も続いています。
旧東九条村には、この新宮神社以外にも
第396回ブログの宇賀神社と薬院神社がいらっしゃいました。
ところが、1879年(明治12年)当時の槇村京都府知事が
「一つの村に、神社は1柱のみ」
という条例を出したため、宇賀神社以外の2柱
つまり薬院神社と新宮神社の廃止が決まりました。
ただ、実際には廃されずに
薬院神社は第218回ブログに出てきた城興寺境内の
茶枳尼天堂と合祀されて薬院稲荷神社となりました。
新宮神社は、九条家邸宅跡のこの地に移転しました。
(元は、河原町通以東にいらっしゃいました)

新宮神社の本殿に背を向け、東に向いています。
では、この新宮神社を出ます。

新宮神社の向かい(東)に、こちらの京町屋が並んでいます。
京町屋は、この辺りから北に点在しだします。

新宮神社から、北を向いています。
ここから、向こうに見える九条通に戻ります。

新宮神社から約30m北に進み、九条通に戻ってきました。
クリック写真が拡大されるのは、ここまでです。

その場で、九条通を西に向きました。
次は、高倉通の向こうにある歩道橋を渡り北上します。

こちらが、その歩道橋です。
では、ここを渡り九条通の北側に移動します。

歩道橋の階段を登り切りました。
ここから、九条通の北側に渡っていきます。

その歩道橋の上から、九条通を東に向いています。
九条通は目の前の河原町通との交差点から上り坂になっていますが、
ここから約500mに渡る長い「九条橋」があります。
この橋は高瀬川→鴨川→師団街道→琵琶湖疎水→本町通に架かり、
東詰めの「東福寺」交差点で九条通が突き当たります。
そこから北に東大路が伸びており、
その東側から東福寺に入ることができます。
(詳細は、第2回ブログで)
この写真も、クリックすると拡大されます。

歩道橋の北端まで進み、西を向きました。
約100m先に、「大石橋」交差点が見えますね。
(九条通と竹田街道との交差点です)
歩道橋の階段を下りたところから、高倉通が北に伸びています。

九条通から、高倉通を北に向いています。
では、ここを北上しています。

九条通から、高倉通を北に約50m進みました。
分かりにくいですが、ここは筋違いの四辻です。

筋違いの四辻で、東を向きました。
こちらに地元民用のカラオケバーがあって、
ハングルで「シゴル」と書いてあります。(「田舎」という意味)
第219回ブログでも書きましたが、
この辺りには結構ハングルで書かれた看板があります。
それが、京都市南区の特徴の一つですね。

今度は、その辻の南西角です。
こちらは、九品寺(くぼんじ)という浄土宗の寺院です。
この規模でwikiに載っているのはかなり珍しいのですが、
元は後鳥羽上皇が居住していた鳥羽殿にあったようです。
この写真も、クリックすると拡大されます。

九品寺の右(北)側に、こちらの畠があります。
いろいろ野菜が栽培されていますが、九条ネギが一番多いようです。
九条ネギは京野菜の一種で、地面より上の青い部分を食べます。
(下仁田ネギなどに多い白い部分が、ほとんどありません)
その名の通り、今も九条通沿いで多く栽培されています。
この写真も、クリックすると拡大されます。

そのネギ畠の北隣も、また小さな寺院です。
こちらは、日蓮正宗の「九條住本寺」です。
京都には「住本寺」という日蓮宗寺院がとても多いのですが、
それぞれに関係があるのでしょうか?
この写真も、クリックすると拡大されます。

その九條住本寺の北側にまた東西の道があって、
この高倉通との四辻になっています。
その位置で、高倉通からその道を西に向いています。
こちらは西洞院通~高瀬川間の約1㎞の短い道で、
この辺のメインストリートの割には特に名前がありません。
向こうに大きな建物が見えます。
元々はスーパーマーケットのジャスコ 九条店でしたが、
専門学校になった後今は廃ビルになりました。
そのジャスコを中心に喫茶店などの飲食店や
キムチ屋さんなどの商店舗が並んでいましたが、
大半がもう潰れてしまいました。
自分もよく来た場所だけに、とても寂しいですね。

その辻で、高倉通で北を向きました。
では、またここを進んでいきます。

高倉通を北上しています。
高倉通沿いに、こちらの京町屋が並んでいました。
家の前の鉢植えは、今が旬のようです。
この写真も、クリックすると拡大されます。

九条通から、高倉通を北に約250m進みました。
ここで、東寺道と交差します。

高倉通から、東寺道を西に向いています。
東寺道はその名の通り、東寺まで続いています。
途中イオンモールや近鉄高架下の焼き肉屋「はやし」を経由します。
(自分が個人的に選んだ「京都3大焼肉屋」の1軒です)
その辺りの東寺道は結構広い道なのですが、
ここから竹田街道まではこのように狭い道です。
ただ、ここには銭湯や八百屋などいろいろなお店が並んでいます。

今度は、高倉通から東寺道を東に向きました。
この辺りだけ、少し道幅が広くなります。
ここの左(北)側は大きなマンションですが、
右(南)側は手前から寿司屋さん・酒屋さん・キムチ屋さんです。
では、ここから東寺道を東に進みます。

高倉通から、東寺道を約60m進みました。
河原町通に行くまでに、こちらの焼肉屋さんがあります。
こちらが、今回のメイン「水月亭」です。
自分が個人的に選んだ「京都3大焼肉屋さん」の筆頭です。
(つまり、3軒の中でも一番おいしいお店)
現在2016年5月15日午後5時。
開店時間を回っていますので、中に入ります。

自分はここの30年来の常連なのですが、
改めてこの店のブログ取材許可を取りました。
ちなみに、ここは店内ブログ掲載禁止です。
ただお料理の撮影はOKで、
その際にテーブルが写ってしまうのも撮影OKです。
いろいろ注文したのですが、量が多いので順番に出てきます。
先ずは、蒸し豚とマッコリが出てきました。
蒸し豚はある程度ゆでた後に、蒸してあります。
「皮つき」なので、その部分がコリコリしていて面白いですね。
こちらは、このお店オリジナルのタレで食べます。
そうこうしているうちに、ハラミが鉄板の上に置かれました。
この店オリジナルの漬けタレで仕込んだものを
蒸し豚と同じタレで食べます。
ここから料理の写真は、クリックすると全て拡大されます。

うっかりしていたのですが、ハラミの焼けた写真を撮り忘れました。
ハラミは自分で焼くのですが、
ここのお肉は弱火で時間をかけると中の肉汁が残っておいしいです。
マッコリを飲みながら、蒸し豚とハラミを完食しました。
まだマッコリが残っていたので、こちらを頼みました。
「キムチ鍋」と書かれていますが、要するにキムチチゲです。
先ほどの蒸し豚を煮込んで、キムチなどで味付けています。
ポイントは玉ねぎが入っていて、そのことでスープに甘味が出ます。
また大きめの豆腐が入っていて、煮込みすぎる前に食べます。
個人的には、チゲ鍋は豆腐料理と思っています。

「キムチ鍋」を食べていると、マッコリを全部飲んでしまいました。
そこで、ご飯を1膳頼みました。次に鍋の中の具をすべて出します。

その後、そのご飯を鍋の中に入れます。
汁を飛ばすまで煮込んで、茶碗に戻して食べます。
こうすると、キムチ鍋のスープを余すところなく食べられます。
ちなみにここのキムチは自家製で、
単に辛いだけでなくしっかりと白菜本来の甘味もあります。
こういう料理は、辛味の中の甘味を味わうのが醍醐味です。
この店は一品一品丁寧に作られるので、
そう言う部分をしっかり味わえます。
ちなみに、これら全てでだいたい2,000円でした。
蒸し豚の代わりにネギチジミを頼むこともあるのですが、
それだとだいたい1,700円くらいになります。
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。

「水月亭」を出ると、午後6時を回っていました。
冬なら完全に夜ですが、5月末ならこの明るさですね。
「水月亭」から東寺道を高倉通に戻って、北を向きました。
では、この高倉通をまた北上します。

東寺道から、高倉通を北に約100m進みました。
こちらは、針小路との四辻です。

高倉通から、針小路を西に向いています。
左(南)側が2014年まで京都市立山王小学校でしたが、
現在は廃校されています。
右(北)側も、電柱より向こうは京都市水道局です。
ずっと先に白いビルが見えますが、その辺りが竹田街道です。
そして、その北側に京都駅前ビルのAVANTIがあります。

針小路から、高倉通を北上しています。
この辺は30年くらい前まで住宅地でしたが、
今はあちこちホテルができてきています。
高倉通は、針小路から約150m北の八条通で突き当たります。
突き当りにあるビルの脇に、新幹線が見えます。
つまりビルの裏手(北側)に、JRの線路が並びます。
京都市街地の通りの大半が、この線路で途切れます。

高倉通を北上し、八条通で突き当たりました。
八条通から北は、「京都市南区東九条」から
「京都市下京区」に変わります。
ここで西を向き、もう少しだけ進みます。

高倉通から、八条通を西に約150m進みました。
ここが「八条竹田街道」交差点で、ここより西が京都駅八条口です。
また、この交差点から北に進むとまた高倉通が復活します。
とは言え写真をだいぶ貼り付けたので、今回はここまでとします。
~次回は高倉跨線橋から北上し、
「たかばし」のラーメン店と猿寺正行院の前を通ります~

高倉通から北を向き、九条通を見ています。
高倉通はここでいったん突き当たりますが、
脇に見える歩道橋を渡るとまた高倉通が北に伸びます。
今回はさらに北上し、焼肉屋の名店「水月亭」に立ち寄ります。
(個人的に選んだ「京都3大焼肉店」の筆頭です)
撮影日は、2016年5月15日日曜日午後4時半。
その前に、近くの神社に参拝します。

高倉通から、九条通を東に向いています。
約80m先に河原町通との交差点があり、
その先から東の九条通は大きな橋になります。

高倉通から九条通を東に約50m進み、南を向きました。
河原町通へ行く手前に、こちらの碑があります。
ここから九条通を南に進むと、新宮神社がいらっしゃいます。
先ずは、そちらに進みます。

九条通から、南に約30m進みました。
小さな赤い鳥居に混まれた場所が、その新宮神社です。
この路地の中は、写真をクリックすると拡大されます。

新宮神社は、路地の民家が密集している中にいらっしゃいます。
いくつも紹介してきましたが、典型的な京都市街地の神社ですね。
では、こちらの境内に入っていきます。

本堂の右(北)側に、狛犬像がいらっしゃいます。
口から、「阿形」と分かります。

そして、こちらが左(南)側の狛犬です。
口が閉じているので、「吽形」ですね。

こちらが、新宮神社の本殿です。
写真には上手く写っていませんが、格子戸の向こうには狐の像と
「新宮神社」と書かれた提灯が飾ってあります。
そうなると、御祭神は宇迦御霊神ということになるのですが……
こちらは春日大明神・八幡大菩薩・稲荷大明神・速玉大明神が
合祀されています。
速玉大明神は和歌山県の熊野三山の1柱で、
九条兼実が平安時代末期に熊野神社をこの地に勧請したのが
この神社の始まりと言われています。
(必ずしも定説ではありません)
また、こちらは家出人が家に帰ってくるという御利益があり
その信仰は今も続いています。
旧東九条村には、この新宮神社以外にも
第396回ブログの宇賀神社と薬院神社がいらっしゃいました。
ところが、1879年(明治12年)当時の槇村京都府知事が
「一つの村に、神社は1柱のみ」
という条例を出したため、宇賀神社以外の2柱
つまり薬院神社と新宮神社の廃止が決まりました。
ただ、実際には廃されずに
薬院神社は第218回ブログに出てきた城興寺境内の
茶枳尼天堂と合祀されて薬院稲荷神社となりました。
新宮神社は、九条家邸宅跡のこの地に移転しました。
(元は、河原町通以東にいらっしゃいました)

新宮神社の本殿に背を向け、東に向いています。
では、この新宮神社を出ます。

新宮神社の向かい(東)に、こちらの京町屋が並んでいます。
京町屋は、この辺りから北に点在しだします。

新宮神社から、北を向いています。
ここから、向こうに見える九条通に戻ります。

新宮神社から約30m北に進み、九条通に戻ってきました。
クリック写真が拡大されるのは、ここまでです。

その場で、九条通を西に向きました。
次は、高倉通の向こうにある歩道橋を渡り北上します。

こちらが、その歩道橋です。
では、ここを渡り九条通の北側に移動します。

歩道橋の階段を登り切りました。
ここから、九条通の北側に渡っていきます。

その歩道橋の上から、九条通を東に向いています。
九条通は目の前の河原町通との交差点から上り坂になっていますが、
ここから約500mに渡る長い「九条橋」があります。
この橋は高瀬川→鴨川→師団街道→琵琶湖疎水→本町通に架かり、
東詰めの「東福寺」交差点で九条通が突き当たります。
そこから北に東大路が伸びており、
その東側から東福寺に入ることができます。
(詳細は、第2回ブログで)
この写真も、クリックすると拡大されます。

歩道橋の北端まで進み、西を向きました。
約100m先に、「大石橋」交差点が見えますね。
(九条通と竹田街道との交差点です)
歩道橋の階段を下りたところから、高倉通が北に伸びています。

九条通から、高倉通を北に向いています。
では、ここを北上しています。

九条通から、高倉通を北に約50m進みました。
分かりにくいですが、ここは筋違いの四辻です。

筋違いの四辻で、東を向きました。
こちらに地元民用のカラオケバーがあって、
ハングルで「シゴル」と書いてあります。(「田舎」という意味)
第219回ブログでも書きましたが、
この辺りには結構ハングルで書かれた看板があります。
それが、京都市南区の特徴の一つですね。

今度は、その辻の南西角です。
こちらは、九品寺(くぼんじ)という浄土宗の寺院です。
この規模でwikiに載っているのはかなり珍しいのですが、
元は後鳥羽上皇が居住していた鳥羽殿にあったようです。
この写真も、クリックすると拡大されます。

九品寺の右(北)側に、こちらの畠があります。
いろいろ野菜が栽培されていますが、九条ネギが一番多いようです。
九条ネギは京野菜の一種で、地面より上の青い部分を食べます。
(下仁田ネギなどに多い白い部分が、ほとんどありません)
その名の通り、今も九条通沿いで多く栽培されています。
この写真も、クリックすると拡大されます。

そのネギ畠の北隣も、また小さな寺院です。
こちらは、日蓮正宗の「九條住本寺」です。
京都には「住本寺」という日蓮宗寺院がとても多いのですが、
それぞれに関係があるのでしょうか?
この写真も、クリックすると拡大されます。

その九條住本寺の北側にまた東西の道があって、
この高倉通との四辻になっています。
その位置で、高倉通からその道を西に向いています。
こちらは西洞院通~高瀬川間の約1㎞の短い道で、
この辺のメインストリートの割には特に名前がありません。
向こうに大きな建物が見えます。
元々はスーパーマーケットのジャスコ 九条店でしたが、
専門学校になった後今は廃ビルになりました。
そのジャスコを中心に喫茶店などの飲食店や
キムチ屋さんなどの商店舗が並んでいましたが、
大半がもう潰れてしまいました。
自分もよく来た場所だけに、とても寂しいですね。

その辻で、高倉通で北を向きました。
では、またここを進んでいきます。

高倉通を北上しています。
高倉通沿いに、こちらの京町屋が並んでいました。
家の前の鉢植えは、今が旬のようです。
この写真も、クリックすると拡大されます。

九条通から、高倉通を北に約250m進みました。
ここで、東寺道と交差します。

高倉通から、東寺道を西に向いています。
東寺道はその名の通り、東寺まで続いています。
途中イオンモールや近鉄高架下の焼き肉屋「はやし」を経由します。
(自分が個人的に選んだ「京都3大焼肉屋」の1軒です)
その辺りの東寺道は結構広い道なのですが、
ここから竹田街道まではこのように狭い道です。
ただ、ここには銭湯や八百屋などいろいろなお店が並んでいます。

今度は、高倉通から東寺道を東に向きました。
この辺りだけ、少し道幅が広くなります。
ここの左(北)側は大きなマンションですが、
右(南)側は手前から寿司屋さん・酒屋さん・キムチ屋さんです。
では、ここから東寺道を東に進みます。

高倉通から、東寺道を約60m進みました。
河原町通に行くまでに、こちらの焼肉屋さんがあります。
こちらが、今回のメイン「水月亭」です。
自分が個人的に選んだ「京都3大焼肉屋さん」の筆頭です。
(つまり、3軒の中でも一番おいしいお店)
現在2016年5月15日午後5時。
開店時間を回っていますので、中に入ります。

自分はここの30年来の常連なのですが、
改めてこの店のブログ取材許可を取りました。
ちなみに、ここは店内ブログ掲載禁止です。
ただお料理の撮影はOKで、
その際にテーブルが写ってしまうのも撮影OKです。
いろいろ注文したのですが、量が多いので順番に出てきます。
先ずは、蒸し豚とマッコリが出てきました。
蒸し豚はある程度ゆでた後に、蒸してあります。
「皮つき」なので、その部分がコリコリしていて面白いですね。
こちらは、このお店オリジナルのタレで食べます。
そうこうしているうちに、ハラミが鉄板の上に置かれました。
この店オリジナルの漬けタレで仕込んだものを
蒸し豚と同じタレで食べます。
ここから料理の写真は、クリックすると全て拡大されます。

うっかりしていたのですが、ハラミの焼けた写真を撮り忘れました。
ハラミは自分で焼くのですが、
ここのお肉は弱火で時間をかけると中の肉汁が残っておいしいです。
マッコリを飲みながら、蒸し豚とハラミを完食しました。
まだマッコリが残っていたので、こちらを頼みました。
「キムチ鍋」と書かれていますが、要するにキムチチゲです。
先ほどの蒸し豚を煮込んで、キムチなどで味付けています。
ポイントは玉ねぎが入っていて、そのことでスープに甘味が出ます。
また大きめの豆腐が入っていて、煮込みすぎる前に食べます。
個人的には、チゲ鍋は豆腐料理と思っています。

「キムチ鍋」を食べていると、マッコリを全部飲んでしまいました。
そこで、ご飯を1膳頼みました。次に鍋の中の具をすべて出します。

その後、そのご飯を鍋の中に入れます。
汁を飛ばすまで煮込んで、茶碗に戻して食べます。
こうすると、キムチ鍋のスープを余すところなく食べられます。
ちなみにここのキムチは自家製で、
単に辛いだけでなくしっかりと白菜本来の甘味もあります。
こういう料理は、辛味の中の甘味を味わうのが醍醐味です。
この店は一品一品丁寧に作られるので、
そう言う部分をしっかり味わえます。
ちなみに、これら全てでだいたい2,000円でした。
蒸し豚の代わりにネギチジミを頼むこともあるのですが、
それだとだいたい1,700円くらいになります。
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。

「水月亭」を出ると、午後6時を回っていました。
冬なら完全に夜ですが、5月末ならこの明るさですね。
「水月亭」から東寺道を高倉通に戻って、北を向きました。
では、この高倉通をまた北上します。

東寺道から、高倉通を北に約100m進みました。
こちらは、針小路との四辻です。

高倉通から、針小路を西に向いています。
左(南)側が2014年まで京都市立山王小学校でしたが、
現在は廃校されています。
右(北)側も、電柱より向こうは京都市水道局です。
ずっと先に白いビルが見えますが、その辺りが竹田街道です。
そして、その北側に京都駅前ビルのAVANTIがあります。

針小路から、高倉通を北上しています。
この辺は30年くらい前まで住宅地でしたが、
今はあちこちホテルができてきています。
高倉通は、針小路から約150m北の八条通で突き当たります。
突き当りにあるビルの脇に、新幹線が見えます。
つまりビルの裏手(北側)に、JRの線路が並びます。
京都市街地の通りの大半が、この線路で途切れます。

高倉通を北上し、八条通で突き当たりました。
八条通から北は、「京都市南区東九条」から
「京都市下京区」に変わります。
ここで西を向き、もう少しだけ進みます。

高倉通から、八条通を西に約150m進みました。
ここが「八条竹田街道」交差点で、ここより西が京都駅八条口です。
また、この交差点から北に進むとまた高倉通が復活します。
とは言え写真をだいぶ貼り付けたので、今回はここまでとします。
~次回は高倉跨線橋から北上し、
「たかばし」のラーメン店と猿寺正行院の前を通ります~
~追記 その1~
今回も、また更新ミスをしてしまいました!
「ブログ村」からこちらに来られている方は、ウチのブログ欄に
「第399回」
そう書かれた変な記事に気づかれるでしょう。
実際にここにクリックしても何も記事がなく、エラーになります。
これは、今回ブログを書くとき
うっかりミスで「第399回」と表題を書いただけの段階で
「公開」の更新を押してしまったためです。
慌てて削除したのですが、それでもこの記事が
ブログ村の記事一覧に記録されてしまいました……
たくさんの方々を混乱させてしまい、
どうもすみませんでした!
※ このブログを更新以降、
その「第399回」とだけ書かれた記事は消えてしまいました。
~追記 その2~
気になる「判官塚」
江戸時代半ばの1705年に刊行された地誌に、
大島武好著「山城名勝志」というものがあります。
京都中の神社仏閣についての位置や歴史を書いたものなのですが、
ここに第396回ブログに出てきた宇賀神社の記述があります。
宇賀神社の位置について、このように書かれていました。
「判官塚の1町南、東洞院通より東に位置する」
初めはこの判官塚が新宮神社のことと思っていたのですが、
本編で書いたようにこの新宮神社はもっと東にいらしたものが
この場所に移転してきたものです。
新宮神社が、初めから判官塚と同一である可能性は低いようです。
すると、この「判官塚」が一体何を指すのかが気になります。
ここから先は、自分の推論です。
新宮神社は、熊野神社系の神様以外にも
稲荷大明神も合祀しています。
この神様が宇迦御霊神を指そうが、陀枳尼尊天を指そうが、
いずれにしても「死霊神」の性質を持っています。
ですから、古墳や塚やお墓の跡によく稲荷社が建てられます。
おそらくですが、ここは元々「判官塚」で
明治時代に新宮神社がここに移転した際
「判官塚」と合祀したのでしょうね。
ところで「判官」自体は平安時代の位冠の一つですが、
単に「判官」と言えば通常は源義経を差します。
しかし、源義経のお墓はおそらく東北地方にあるでしょうし、
その家族や家臣のお墓でしょうか?
~追記 その3~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
焼肉屋の「水月亭」を起点にしています。
※ ここ以降、2016年5月30日午後5時に書いています。
~追記 その4~
欧州選手権と南米選手権が同時に行われます!
W杯の中間年の楽しみは、欧州選手権です。
日本で全試合中継されるようになった1996年以来
自分も楽しみにしています。
今回は、予選全勝のイングランドが面白いですね。
そして、西暦奇数年の楽しみが南米選手権でした。
ところが、昨年に続いて南米選手権も行われるようになり
この2大会の日程がかなり被っています。
個人的には1日に4試合以上見ると
他の試合と頭の中で混乱してしまうのですが、
このままいけば
1日に6試合見ないといけない日もありそうです。
そもそも仕事とかもあって、
サッカー観戦だけ1カ月過ごすなんてありえません。
世界中の人々が両方みるなんてないでしょうから、
おそらく両者が観客やTV視聴者を取り合いして、
歴代の中でも「視る人」が少ない大会になるでしょう。
南米選手権を来月にしたら、
だいぶ解決できたはずなのですが……
~追記 その5~
3連勝で、観客動員も3倍
ここのところ、しつこい「京都サンガ」ネタです。
2016年5月28日土曜日に、
我らが京都サンガは横浜FCに勝利して3連勝となりました。
これでJ3降格争いから一転、J1昇格争いに加わりました。
たった2時間でしたが、(強豪クラブが試合時間前だったため)
今季初の2位となり2chではちょっとした「お祭り」でした。
(結局5位に落ち着きました。それでも上位です)
前回ブログ同様、選手からの浮ついた話はありませんが
その周囲はいろいろ変わってきました。
5月7日の対千葉戦で、KBSの梶原アナウンサーが
「京都の調子が上がっているのに、西京極は3,000人と少なめです」
そう嘆かれていました。
ところがその後の3試合に全勝すると、
観客動員も約3倍の9,900人と急増しました。
GW中の快晴の下でガラガラだった売店も、
小雨が降る土曜日の午後に満員で人が溢れていました。
「勝てば官軍」ということなのでしょうか?
今回も、また更新ミスをしてしまいました!
「ブログ村」からこちらに来られている方は、ウチのブログ欄に
「第399回」
そう書かれた変な記事に気づかれるでしょう。
実際にここにクリックしても何も記事がなく、エラーになります。
これは、今回ブログを書くとき
うっかりミスで「第399回」と表題を書いただけの段階で
「公開」の更新を押してしまったためです。
慌てて削除したのですが、それでもこの記事が
ブログ村の記事一覧に記録されてしまいました……
たくさんの方々を混乱させてしまい、
どうもすみませんでした!
※ このブログを更新以降、
その「第399回」とだけ書かれた記事は消えてしまいました。
~追記 その2~
気になる「判官塚」
江戸時代半ばの1705年に刊行された地誌に、
大島武好著「山城名勝志」というものがあります。
京都中の神社仏閣についての位置や歴史を書いたものなのですが、
ここに第396回ブログに出てきた宇賀神社の記述があります。
宇賀神社の位置について、このように書かれていました。
「判官塚の1町南、東洞院通より東に位置する」
初めはこの判官塚が新宮神社のことと思っていたのですが、
本編で書いたようにこの新宮神社はもっと東にいらしたものが
この場所に移転してきたものです。
新宮神社が、初めから判官塚と同一である可能性は低いようです。
すると、この「判官塚」が一体何を指すのかが気になります。
ここから先は、自分の推論です。
新宮神社は、熊野神社系の神様以外にも
稲荷大明神も合祀しています。
この神様が宇迦御霊神を指そうが、陀枳尼尊天を指そうが、
いずれにしても「死霊神」の性質を持っています。
ですから、古墳や塚やお墓の跡によく稲荷社が建てられます。
おそらくですが、ここは元々「判官塚」で
明治時代に新宮神社がここに移転した際
「判官塚」と合祀したのでしょうね。
ところで「判官」自体は平安時代の位冠の一つですが、
単に「判官」と言えば通常は源義経を差します。
しかし、源義経のお墓はおそらく東北地方にあるでしょうし、
その家族や家臣のお墓でしょうか?
~追記 その3~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
焼肉屋の「水月亭」を起点にしています。
※ ここ以降、2016年5月30日午後5時に書いています。
~追記 その4~
欧州選手権と南米選手権が同時に行われます!
W杯の中間年の楽しみは、欧州選手権です。
日本で全試合中継されるようになった1996年以来
自分も楽しみにしています。
今回は、予選全勝のイングランドが面白いですね。
そして、西暦奇数年の楽しみが南米選手権でした。
ところが、昨年に続いて南米選手権も行われるようになり
この2大会の日程がかなり被っています。
個人的には1日に4試合以上見ると
他の試合と頭の中で混乱してしまうのですが、
このままいけば
1日に6試合見ないといけない日もありそうです。
そもそも仕事とかもあって、
サッカー観戦だけ1カ月過ごすなんてありえません。
世界中の人々が両方みるなんてないでしょうから、
おそらく両者が観客やTV視聴者を取り合いして、
歴代の中でも「視る人」が少ない大会になるでしょう。
南米選手権を来月にしたら、
だいぶ解決できたはずなのですが……
~追記 その5~
3連勝で、観客動員も3倍
ここのところ、しつこい「京都サンガ」ネタです。
2016年5月28日土曜日に、
我らが京都サンガは横浜FCに勝利して3連勝となりました。
これでJ3降格争いから一転、J1昇格争いに加わりました。
たった2時間でしたが、(強豪クラブが試合時間前だったため)
今季初の2位となり2chではちょっとした「お祭り」でした。
(結局5位に落ち着きました。それでも上位です)
前回ブログ同様、選手からの浮ついた話はありませんが
その周囲はいろいろ変わってきました。
5月7日の対千葉戦で、KBSの梶原アナウンサーが
「京都の調子が上がっているのに、西京極は3,000人と少なめです」
そう嘆かれていました。
ところがその後の3試合に全勝すると、
観客動員も約3倍の9,900人と急増しました。
GW中の快晴の下でガラガラだった売店も、
小雨が降る土曜日の午後に満員で人が溢れていました。
「勝てば官軍」ということなのでしょうか?
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