第404回 文子天満宮に寄り道~高倉通南から北~その8
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間之町通で、正面通を東に向いています。
目の前に、第402回ブログで訪れた渉成園が見えますね。
今回はここから約150m北にいらっしゃる文子天満宮に立ち寄り、
その後高倉通を北上します。
撮影日は、2016年6月1日木曜日午後4時半。
やっと高倉通に戻ってきました。

正面通から、間之町通を南に向いています。
第401回ブログでは、この道を通ってここまで来ました。

今度は、正面通から間之町通を北に向きました。
では、ここを進んでいきます。

正面通から、間之町通を北に向かっています。
右(東)側は暫く渉成園の土塀が続いていたのですが、
約30m進むと小さな寺院が姿を現します。
こちらは、浄土真宗大谷派仏願寺です。
元々こちらに時宗の歓喜光寺があって、
そちらが「六条道場」と呼ばれていたようです。

その仏願寺の前から、間之町通を北に見ています。
約50m先に、上珠数屋町通との交差点があります……
のですが、写真がボケてしまいました……
なぜかこの交差点を撮ると、よくボケてしまいます。

間之町通から、上珠数屋町通を西に向きました。
約150m先で東本願寺に突き当たるまで、
上珠数屋町通には京町屋が建ち並びます。
ただ、今回はそちらには向かいません。

上珠数屋町通から、間之町通を北に向いています。
約40m先に、「文子天満宮」と書かれた看板が見えます。
では、この文子天満宮に向かいます。

文子天満宮の境内に入ってきました。
鳥居の南側に、こちらの手水舎があります。
先ずは、こちらで手を浄めます。
ここから文子天満宮境内の写真は、
クリックすると全て拡大されます。

文子天満宮の北側に、末社が並んでいらっしゃいます。
順に、多治比文子像・老松社・福部社・白太夫社・
白滝稲荷社がいらっしゃいます。
どちらも、北野天満宮境内にいらっしゃる神社ですね。

社務所の脇に、こちらの文子殿がいらっしゃいます。
御祭神は、多治比文子(たじひのあやこ)です。
多治比文子が神託を受け、この地に菅原道真の祠を祀ったのが
この神社の起こりです。
問題は、この多治比文子が何者かということです。
自分は菅原道真の乳母を思っていたのですが、
菅原道真とは人間関係のない
この辺に住んでいた幼い巫女という説もあります。
さらに、菅原道真の乳母の多治比文子の
孫娘の奇子(あやこ)という説もあります。
ただ、これ以外の説もあちこちに書かれていて、
正直よくわからないのが本当です。

境内の中央に、文子天満宮の本殿がいらっしゃいます。
御祭神は、菅原道真です。
詳しい沿革は、第110回ブログを参照してください。
北野天満宮が、元々はこの位置にいらっしゃいました。

では、文子天満宮を出ます。
間之町通の向こう(東)側に、浄土真宗大谷派西宗寺が見えます。
写真をクリックすると拡大されるのは、ここまでです。

文子天満宮の前で、間之町通を南に向いています。
次は、いったんここを戻ります。

文子天満宮の前から間之町通を南に約50m進み、
上珠数屋町通との交差点に戻ってきました。
間之町通は、この上珠数屋町通以南で道幅が急に広くなります。

今度は間之町通から、上珠数屋町通を東に向きました。
上珠数屋町通も、この間之町通から河原町通までの約200mだけ
歩道が付いた2車線の道になります。
今から約150年前の明治時代、日本で初めて
京都に市電(路面電車)が走るようになりました。
その際、市電は「七条河原町」交差点を避けて
京都駅から間之町通を北上し、この上珠数屋町通で西に折れて
河原町通からまた北上して五条通や四条通に向かいました。
この道幅は、その当時の名残です。

間之町通から、上珠数屋町通を東に約50m進みました。
右(南)側に、第402回ブログで訪れた渉成園の石塀が見えます。
また、ここから左(北)に高倉通が再び伸びるようになります。

上珠数屋町通から、高倉通を北に向いています。
第401回ブログで渉成園の土塀で、突き当たって以来ですね。
では、ここを北上していきます。

上珠数屋町通から、高倉通を北に進んでいます。
左(西)側に浄土真宗大谷派憶念寺があります。
東本願寺の近くなので、
この辺りの寺院の大半が浄土真宗大谷派です。
一方、右(東)側は京都市立下京渉成小学校の運動場です。
かつての京都市立六条院小学校(さらにその前は雅松小学校)ですね。
上珠数屋町通から約80m北に、花屋町通との辻があります。

上珠数屋町通から、高倉通を約80m北上しました。
花屋町通との辻の北東角に、こちらの京町屋があります。
2Fの高さに、森下仁丹のブリキの表札が見えます。
第110回ブログでこの辻を訪れたときと比べて、
京町屋が減って更地が増えています。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

高倉通から、花屋町通を東に向いています。
約50m先の富小路で、花屋町通は突き当たります。
右(南)側は「雅松児童公園」なのですが、
小学生がたくさん遊んでいるので中は撮りません。
自分が小学生だったころ、「花屋町富小路」のT字路から
富小路を少し北に行ったところに駄菓子屋さんがありました。
(萬年寺の南隣です)
ウチからここは遠いので毎日ではありませんが、
たまにそこまで買いに来ていました。

同じ「花屋町高倉」の辻の北西角にも、
「森下仁丹のブリキ製表札」があります。
こちらは、自分の目線の高さなので大きく撮りました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

「森下仁丹のブリキ製表札」の西側に、京町屋が並んでいます。
何軒か解体されましたが、それでもこの辺りは
京都市街地でも特に京町屋の割合が多い地区ですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

その向かい(南)側にも、京町屋のお米屋さんがあります。
第110回ブログで訪れたときにはあった
「プラッシー」というジュースの看板が、もうありませんね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

そのお米屋さんの前で、花屋町通を東に向きました。
この辺りは、京町屋が密集していて独特の雰囲気を作っています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

花屋町通を東に進み、高倉通まで戻ってきました。
「花屋町高倉」の辻で、北を向いています。
では、ここを進んでいきます。

花屋町通から、高倉通を北上しています。
こちらに、お地蔵さんがいらっしゃいました。
お参りをしてから、先に進みます。

花屋町通から、高倉通を北に約50m進みました。
ここで、六条通と交差します。

高倉通から、六条通を東に向いています。
目の前の建物は、「六條名酒館 タキモト」です。
京都でも屈指の老舗酒類販売店で、
ビンテージ・ワインと日本酒が特に充実しています。
約50m先の富小路沿いに、長講堂が見えます。
六条院の関連寺院ですね。(詳細は、第109回ブログ参照)

六条通から、高倉通を北に向いています。
先に進む前に、向こうの「赤い」場所を覗きます。

こちらは、荒熊大明神・高市大明神・梅春大明神です。
要するに3柱を祀る神社ですが、沿革などは不明です。
とても小さな神社ですが、元々こちらにいらしたようです。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

六条通から、高倉通を北に約20m進みました。
東西を貫く短い路地があって、
その北側に「高倉会館」と書かれた建物があります。

向こうに見える瓦屋根の建物が、その「高倉会館」です。
中はお堂になっていて、ご本尊の阿弥陀仏がいらっしゃいます。
つまり、ここは浄土真宗大谷派の寺院です。
実はここは「高倉幼稚園」で、
自分は40年以上前にここに通っていました。
それが、ここの中を自分が知っている理由です。

さらに高倉通を北上しています。
右(東)側に、高倉幼稚園の運動場が見えます。
左(西)側に、また児童公園が見えてきました。

高倉幼稚園の北側に、マンションが1棟あります。
こちらは、東本願寺の社宅です。
つまり、ここには東本願寺の僧侶とその家族が住んでいます。

東本願寺の社宅の向かい(西)側に、児童公園があります。
こちらは、「六条院児童公園」ですね。
平安時代に、この辺り一帯に広がっていた六条院(河原院)は
今もこの辺りの地名として残っています。
(六条院関連施設は、第109回ブログを参照)

六条院児童公園にもたくさんの幼児や児童がいらして、
すべり台などの遊具付近は撮っていません。
こちらは公園の北側ですが、空き地なので誰もいません。
今から40年ほど前まで、ここには50mプールがありました。
自分が小学生の頃は、京都市立小学校には
まだプールが完備されていませんでした。
ですから、このような児童公園にあるプールに
夏場の体育の授業のたびに来ていました。

六条院児童公園から、東を向いています。
高倉通沿いに、曹洞宗宗仙寺が見えます。
京都市内では、曹洞宗寺院は珍しいです。
ウチのブログでも、数回しか出てきていません。

六条院児童公園と宗仙寺の前で、高倉通を北に向いています。
五条通との交差点が、もう目の前ですね。

高倉通以西に伸びる楊梅通を、さらに北上しました。
高倉通沿いに、またお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらにもお参りして、先に進みます。

そのお地蔵さんの前で、高倉通を北に向ています。
もう目の前に、五条通が見えます。
京都市街地で、一番道幅が広い大路ですね。
次はここを渡って高倉通を北上したいところですが、
もうだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。
~次回もちょっと寄り道して、命婦稲荷神社に向かいます。
「丑三つ参り」発祥の地ですね~

間之町通で、正面通を東に向いています。
目の前に、第402回ブログで訪れた渉成園が見えますね。
今回はここから約150m北にいらっしゃる文子天満宮に立ち寄り、
その後高倉通を北上します。
撮影日は、2016年6月1日木曜日午後4時半。
やっと高倉通に戻ってきました。

正面通から、間之町通を南に向いています。
第401回ブログでは、この道を通ってここまで来ました。

今度は、正面通から間之町通を北に向きました。
では、ここを進んでいきます。

正面通から、間之町通を北に向かっています。
右(東)側は暫く渉成園の土塀が続いていたのですが、
約30m進むと小さな寺院が姿を現します。
こちらは、浄土真宗大谷派仏願寺です。
元々こちらに時宗の歓喜光寺があって、
そちらが「六条道場」と呼ばれていたようです。

その仏願寺の前から、間之町通を北に見ています。
約50m先に、上珠数屋町通との交差点があります……
のですが、写真がボケてしまいました……
なぜかこの交差点を撮ると、よくボケてしまいます。

間之町通から、上珠数屋町通を西に向きました。
約150m先で東本願寺に突き当たるまで、
上珠数屋町通には京町屋が建ち並びます。
ただ、今回はそちらには向かいません。

上珠数屋町通から、間之町通を北に向いています。
約40m先に、「文子天満宮」と書かれた看板が見えます。
では、この文子天満宮に向かいます。

文子天満宮の境内に入ってきました。
鳥居の南側に、こちらの手水舎があります。
先ずは、こちらで手を浄めます。
ここから文子天満宮境内の写真は、
クリックすると全て拡大されます。

文子天満宮の北側に、末社が並んでいらっしゃいます。
順に、多治比文子像・老松社・福部社・白太夫社・
白滝稲荷社がいらっしゃいます。
どちらも、北野天満宮境内にいらっしゃる神社ですね。

社務所の脇に、こちらの文子殿がいらっしゃいます。
御祭神は、多治比文子(たじひのあやこ)です。
多治比文子が神託を受け、この地に菅原道真の祠を祀ったのが
この神社の起こりです。
問題は、この多治比文子が何者かということです。
自分は菅原道真の乳母を思っていたのですが、
菅原道真とは人間関係のない
この辺に住んでいた幼い巫女という説もあります。
さらに、菅原道真の乳母の多治比文子の
孫娘の奇子(あやこ)という説もあります。
ただ、これ以外の説もあちこちに書かれていて、
正直よくわからないのが本当です。

境内の中央に、文子天満宮の本殿がいらっしゃいます。
御祭神は、菅原道真です。
詳しい沿革は、第110回ブログを参照してください。
北野天満宮が、元々はこの位置にいらっしゃいました。

では、文子天満宮を出ます。
間之町通の向こう(東)側に、浄土真宗大谷派西宗寺が見えます。
写真をクリックすると拡大されるのは、ここまでです。

文子天満宮の前で、間之町通を南に向いています。
次は、いったんここを戻ります。

文子天満宮の前から間之町通を南に約50m進み、
上珠数屋町通との交差点に戻ってきました。
間之町通は、この上珠数屋町通以南で道幅が急に広くなります。

今度は間之町通から、上珠数屋町通を東に向きました。
上珠数屋町通も、この間之町通から河原町通までの約200mだけ
歩道が付いた2車線の道になります。
今から約150年前の明治時代、日本で初めて
京都に市電(路面電車)が走るようになりました。
その際、市電は「七条河原町」交差点を避けて
京都駅から間之町通を北上し、この上珠数屋町通で西に折れて
河原町通からまた北上して五条通や四条通に向かいました。
この道幅は、その当時の名残です。

間之町通から、上珠数屋町通を東に約50m進みました。
右(南)側に、第402回ブログで訪れた渉成園の石塀が見えます。
また、ここから左(北)に高倉通が再び伸びるようになります。

上珠数屋町通から、高倉通を北に向いています。
第401回ブログで渉成園の土塀で、突き当たって以来ですね。
では、ここを北上していきます。

上珠数屋町通から、高倉通を北に進んでいます。
左(西)側に浄土真宗大谷派憶念寺があります。
東本願寺の近くなので、
この辺りの寺院の大半が浄土真宗大谷派です。
一方、右(東)側は京都市立下京渉成小学校の運動場です。
かつての京都市立六条院小学校(さらにその前は雅松小学校)ですね。
上珠数屋町通から約80m北に、花屋町通との辻があります。

上珠数屋町通から、高倉通を約80m北上しました。
花屋町通との辻の北東角に、こちらの京町屋があります。
2Fの高さに、森下仁丹のブリキの表札が見えます。
第110回ブログでこの辻を訪れたときと比べて、
京町屋が減って更地が増えています。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

高倉通から、花屋町通を東に向いています。
約50m先の富小路で、花屋町通は突き当たります。
右(南)側は「雅松児童公園」なのですが、
小学生がたくさん遊んでいるので中は撮りません。
自分が小学生だったころ、「花屋町富小路」のT字路から
富小路を少し北に行ったところに駄菓子屋さんがありました。
(萬年寺の南隣です)
ウチからここは遠いので毎日ではありませんが、
たまにそこまで買いに来ていました。

同じ「花屋町高倉」の辻の北西角にも、
「森下仁丹のブリキ製表札」があります。
こちらは、自分の目線の高さなので大きく撮りました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

「森下仁丹のブリキ製表札」の西側に、京町屋が並んでいます。
何軒か解体されましたが、それでもこの辺りは
京都市街地でも特に京町屋の割合が多い地区ですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

その向かい(南)側にも、京町屋のお米屋さんがあります。
第110回ブログで訪れたときにはあった
「プラッシー」というジュースの看板が、もうありませんね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

そのお米屋さんの前で、花屋町通を東に向きました。
この辺りは、京町屋が密集していて独特の雰囲気を作っています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

花屋町通を東に進み、高倉通まで戻ってきました。
「花屋町高倉」の辻で、北を向いています。
では、ここを進んでいきます。

花屋町通から、高倉通を北上しています。
こちらに、お地蔵さんがいらっしゃいました。
お参りをしてから、先に進みます。

花屋町通から、高倉通を北に約50m進みました。
ここで、六条通と交差します。

高倉通から、六条通を東に向いています。
目の前の建物は、「六條名酒館 タキモト」です。
京都でも屈指の老舗酒類販売店で、
ビンテージ・ワインと日本酒が特に充実しています。
約50m先の富小路沿いに、長講堂が見えます。
六条院の関連寺院ですね。(詳細は、第109回ブログ参照)

六条通から、高倉通を北に向いています。
先に進む前に、向こうの「赤い」場所を覗きます。

こちらは、荒熊大明神・高市大明神・梅春大明神です。
要するに3柱を祀る神社ですが、沿革などは不明です。
とても小さな神社ですが、元々こちらにいらしたようです。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

六条通から、高倉通を北に約20m進みました。
東西を貫く短い路地があって、
その北側に「高倉会館」と書かれた建物があります。

向こうに見える瓦屋根の建物が、その「高倉会館」です。
中はお堂になっていて、ご本尊の阿弥陀仏がいらっしゃいます。
つまり、ここは浄土真宗大谷派の寺院です。
実はここは「高倉幼稚園」で、
自分は40年以上前にここに通っていました。
それが、ここの中を自分が知っている理由です。

さらに高倉通を北上しています。
右(東)側に、高倉幼稚園の運動場が見えます。
左(西)側に、また児童公園が見えてきました。

高倉幼稚園の北側に、マンションが1棟あります。
こちらは、東本願寺の社宅です。
つまり、ここには東本願寺の僧侶とその家族が住んでいます。

東本願寺の社宅の向かい(西)側に、児童公園があります。
こちらは、「六条院児童公園」ですね。
平安時代に、この辺り一帯に広がっていた六条院(河原院)は
今もこの辺りの地名として残っています。
(六条院関連施設は、第109回ブログを参照)

六条院児童公園にもたくさんの幼児や児童がいらして、
すべり台などの遊具付近は撮っていません。
こちらは公園の北側ですが、空き地なので誰もいません。
今から40年ほど前まで、ここには50mプールがありました。
自分が小学生の頃は、京都市立小学校には
まだプールが完備されていませんでした。
ですから、このような児童公園にあるプールに
夏場の体育の授業のたびに来ていました。

六条院児童公園から、東を向いています。
高倉通沿いに、曹洞宗宗仙寺が見えます。
京都市内では、曹洞宗寺院は珍しいです。
ウチのブログでも、数回しか出てきていません。

六条院児童公園と宗仙寺の前で、高倉通を北に向いています。
五条通との交差点が、もう目の前ですね。

高倉通以西に伸びる楊梅通を、さらに北上しました。
高倉通沿いに、またお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらにもお参りして、先に進みます。

そのお地蔵さんの前で、高倉通を北に向ています。
もう目の前に、五条通が見えます。
京都市街地で、一番道幅が広い大路ですね。
次はここを渡って高倉通を北上したいところですが、
もうだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。
~次回もちょっと寄り道して、命婦稲荷神社に向かいます。
「丑三つ参り」発祥の地ですね~
~追記 その1~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
「六条高倉」交差点付近を起点にしています。
~追記 その2~
チリが連覇しました!
Copa America 2016 USAは、日本時間の6月27日正午ごろ
決勝戦アルゼンチンvsチリが終わりました。
二転三転する試合展開の中、
チリがPK戦を制し連覇を遂げました。
アルゼンチンも好調だったのですが、
チリのディアス選手が退場してから、
アルゼンチンのロホ選手が退場するまでの約20分間で
得点することができなかったのが、敗因でしょう。
両国退場者が出て、チリは攻撃の要のビダル選手が
アルゼンチンのメッシ選手のマークに入り、
アルゼンチンは攻守の鍵であるマスチェラーノ選手が
センターバックに入ったので、
どちらも攻撃の組み立てができなくなりました。
そう書くと全然シュートのない試合のようですが、
0-0だった最大の原因は、両国のGK
チリのブラボ選手とアルゼンチンのロメロ選手が
「奇跡的な」好セーブを繰り返したからです。
そう言えば、先ほど記事を読んでいたら
メッシ選手が代表引退されるとのことです。
10年以上アルゼンチン代表の最前線におられましたが、
まだまだ30歳そこそこです。
年齢的にはあと3年はできそうなのですが……
個人的にはメッシ選手がPKを外しても、
批判すべきではないと思います。
(まぁ、あまり批判している声もないようですが)
PK戦は、ミスするまで続きます。
要するに、敗戦の「犯人探し」の要素があります。
もちろんPK戦は運以外にも、技術的要素があります。
ただ、それをミスした2人のアルゼンチン人選手の
責任にしてはいけません。
チリも精神的支柱のビダル選手がPKを外しましたが、
優勝したので帳消しです。
「連続準優勝」も、立派な成果です。
先ずは、それを讃えるべきでしょうね。
~追記 その3~
「野暮ったいおっさん」が頑張るが、
ハンガリーは敗退
EUROFranceもグループリーグが終わり、
決勝トーナメントが始まりました。
グループリーグでは「弱小」と思われていた国々が
「強豪」国に健闘していたものの、
それらの国の多くがトーナメントに入ると敗退してしまいました。
(ここを書いている時点では、
イングランドvsアイスランドは、まだ始まっていません)
40歳の「最年長」GKキラーイ選手が引っ張るハンガリーも
優勝候補のベルギーの前に敗戦しました……
キラーイ選手はいつも通りスーパーセーブを連発しましたが、
何しろハンガリーは30歳代後半の選手が大半で、
後半の途中から全く動けない選手が続出しました。
(中には、前半の途中から足が止まった選手もいました)
惜しくも敗戦しましたが、
これがかつての「世界最強国」復活の契機になればとも思います。
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
「六条高倉」交差点付近を起点にしています。
~追記 その2~
チリが連覇しました!
Copa America 2016 USAは、日本時間の6月27日正午ごろ
決勝戦アルゼンチンvsチリが終わりました。
二転三転する試合展開の中、
チリがPK戦を制し連覇を遂げました。
アルゼンチンも好調だったのですが、
チリのディアス選手が退場してから、
アルゼンチンのロホ選手が退場するまでの約20分間で
得点することができなかったのが、敗因でしょう。
両国退場者が出て、チリは攻撃の要のビダル選手が
アルゼンチンのメッシ選手のマークに入り、
アルゼンチンは攻守の鍵であるマスチェラーノ選手が
センターバックに入ったので、
どちらも攻撃の組み立てができなくなりました。
そう書くと全然シュートのない試合のようですが、
0-0だった最大の原因は、両国のGK
チリのブラボ選手とアルゼンチンのロメロ選手が
「奇跡的な」好セーブを繰り返したからです。
そう言えば、先ほど記事を読んでいたら
メッシ選手が代表引退されるとのことです。
10年以上アルゼンチン代表の最前線におられましたが、
まだまだ30歳そこそこです。
年齢的にはあと3年はできそうなのですが……
個人的にはメッシ選手がPKを外しても、
批判すべきではないと思います。
(まぁ、あまり批判している声もないようですが)
PK戦は、ミスするまで続きます。
要するに、敗戦の「犯人探し」の要素があります。
もちろんPK戦は運以外にも、技術的要素があります。
ただ、それをミスした2人のアルゼンチン人選手の
責任にしてはいけません。
チリも精神的支柱のビダル選手がPKを外しましたが、
優勝したので帳消しです。
「連続準優勝」も、立派な成果です。
先ずは、それを讃えるべきでしょうね。
~追記 その3~
「野暮ったいおっさん」が頑張るが、
ハンガリーは敗退
EUROFranceもグループリーグが終わり、
決勝トーナメントが始まりました。
グループリーグでは「弱小」と思われていた国々が
「強豪」国に健闘していたものの、
それらの国の多くがトーナメントに入ると敗退してしまいました。
(ここを書いている時点では、
イングランドvsアイスランドは、まだ始まっていません)
40歳の「最年長」GKキラーイ選手が引っ張るハンガリーも
優勝候補のベルギーの前に敗戦しました……
キラーイ選手はいつも通りスーパーセーブを連発しましたが、
何しろハンガリーは30歳代後半の選手が大半で、
後半の途中から全く動けない選手が続出しました。
(中には、前半の途中から足が止まった選手もいました)
惜しくも敗戦しましたが、
これがかつての「世界最強国」復活の契機になればとも思います。
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