第420回 広隆寺の葉桜~太秦の夏休み~その2
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「蚕ノ社」木嶋神社の前で、太子道を西に向いています。
右(北)側の工事現場は、改装中の「このしま保育園」です。
今回はここを西に進み、「太秦」交差点の広隆寺を散策します。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午前11時半。
猛暑の中の炎天下でした。

「蚕ノ社」木嶋神社の前から、太子道を西に進んでいます。
右(北)側の民家の庭先で、百日紅が満開ですね。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

「蚕ノ社」木嶋神社から、太子道を西に約200m進みました。
ここで太子道は、少しだけ南に折れます。

太子道は南に折れると、すぐに左(南)側の道に吸収されます。
こちらが三条通で、ここから西は太子道であり三条通でもあります。

太子道と三条通との合流点で、三条通を東に向いています。
このすぐ先で、三条通は南東に大きくカーブします。

さらに同じ場所で、三条通を西に向きました。
ここは、「三条太秦繁栄会」という商店街のただ中です。
では、ここを進んでいきます。4年前を逆行するルートですね。

先程の合流点から、三条通を西に約10m進みました。
こちらは、駄菓子屋さんの富士屋さんです。
第52回ブログで初めて訪問して以降、たびたびお邪魔しています。
ただ約1年ぶりに訪れたところ、
たこ焼きの販売をやめておられました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

代わりに、富士屋さんではこれを買いました。
本当はソルティーライチがほしかったのですが、
無かったので代わりにスポーツドリンクを買いました。

富士屋さんから、三条通を西に約50m進みました。
こちらは、浄土宗の常楽寺です。
第52回ブログ同様、こちらの沿革は分かりませんが、
門前の百日紅は見事ですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

常楽寺の前から、三条通を西に向いています。
約70m先に、交差点の信号が見えますね。

三条通を約70m進み、その交差点で北を向きました。
ずっと向こうに高架が見えますが、
あちらにJR嵯峨野線が走っています。
そして、その高架付近に東映太秦映画村があります。
ただそちらには次回ブログで向かいますので、
今回は三条通を西に進みます。

同じ場所で、三条通を西に向いています。
目の前に、「右京簡易裁判所」が見えますね。
では、この道を進んでいきます。

「右京簡易裁判所」の前から、三条通を西に約120m進みました。
この辺りが、「三条太秦繁栄会」の最西端です。
こちらは、「太秦」交差点です。複雑な五叉路です。
北西角には、広隆寺の仁王門が見えますね。
ここから暫く、クリックすれば拡大されます。

「太秦」交差点で、三条通を南に渡りました。
こう撮ると、広隆寺の仁王門がよく見えますね。
この交差点は五叉路の上に線路が走っています。
京福電車(嵐電)は、この「太秦」交差点上だけ路面電車になります。
(嵐電は、他に三条通も路面電車です)

さらに、「太秦」交差点の西側を見ています。
嵐電の線路を境に、左が大映通で右が三条通です。

同じ場所で北を向きました。こちらが太秦広隆寺の仁王門です。
では横断歩道を渡って、広隆寺の仁王門をくぐります。

広隆寺の仁王門をくぐりました。松と桜の木々が並んでいますね。
広隆寺は、南北に細長い境内を持っています。
では、北の方に伸びる石畳の道を進んでいきます。

広隆寺境内の石畳の道を北上しています。
炎天下の中、木陰を選んで歩いていきます。

石畳を北上し、それぞれをお堂を回ります。
先ずは、桜に囲まれた講堂です。
広隆寺は、京都屈指の桜の名所でもあります。

講堂の裏(北)側に、こちらの手水舎があります。
こちらで、手を浄めます。

その北隣には、秦氏の祖霊神を祀った祠がいらっしゃいます。
秦河勝を祀った太秦社と言います。

太秦社の前で、北を向きました。
こちらは「上宮王院太子殿」で、事実上広隆寺の本堂です。
真言宗蜂岡山広隆寺は、
飛鳥時代7世紀初めに建てられた京都最古の寺院です。
ちなみに、真言宗には平安時代に改宗されました。
近年多くの文献から794年の平安京遷都以前は
平野神社付近に建っていたという説が有力視されています。
もしそうなら、前回ブログに出てきた「蚕ノ社」木嶋神社とで
形成しているとされているレイラインやらパワースポットなども
非常に疑わしいものになってきますね。

「上宮王院太子堂」には入れませんが、手前までは上がれます。
こちらにはご本尊は安置されておらず、
代わりに聖徳太子像がいらっしゃいます。
(こちらの寺院は聖徳太子から下賜された弥勒菩薩像を祀るため、
秦河勝が建立したという説もあります)
こちらの周囲には、多くの絵馬が奉納されています。
ただし描かれているのは馬の絵ではなく、
「聖徳」や「一心」などの文字です。

「上宮王院太子殿」の前で、西に向きました。
ここから石畳の道が続いていて、その先に駐車場があります。
その向こうが三条通り沿いで、
第50回ブログで出てきた「太秦開日町」交差点に辿り着きます。

「上宮王院太子殿」の西側に、南北を貫く石畳の道があります。
こちらは、広隆寺の仁王門から続く道でもあります。
この少し先で、西側に広隆寺の庫裏があります。
そこで拝観料を払えば、広隆寺最北端の霊宝殿に入れます。

700円を払って、第51回ブログ以来の広隆寺霊宝殿に入りました。
ここから先は撮影不可なので、パンフレットを掲載します。
先程の石畳の道の最北端に、霊宝殿が建っています。
蓮の花咲く池を通り過ぎた辺りに建っているので、
「御仏の世界に、苦界の者がお邪魔する」という気がします。
霊宝殿内には30数体の仏像がいらして、
その全てが国宝か重要文化財です。
実は「国宝」という制度自体、この寺院のために作られたものです。
中でも有名なのはパンフレットにも載っておられる弥勒菩薩像で、
こちらが日本の「国宝第1号」です。
ただ、自分のお気に入りはその向かいにいらっしゃる
大きな木造千手観音像です。
長い年月の中、多くを欠損されて「十手観音」になられていますが、
それが却って重厚さと荘厳さを醸し出される要因になっています。

広隆寺霊宝殿を出て、石畳の道を南へ進んでいます。
では、ここからに仁王門へと向かいます。

石畳の道を南下しています。
約200m進むと、広隆寺仁王門が見えてきました。

広隆寺仁王門をくぐり、「太秦」交差点に出ました。
東西に細長い「太秦」交差点の南東角に、
京福電車(嵐電)の「太秦広隆寺」駅があります。

こちらが、京福電車(嵐電)「太秦広隆寺」駅です。
いろいろと変わった駅なので電車で移動するわけではないのですが、
ちょっとこちらに寄り道します。
……と言いたいところですが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
これ以降は、次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回はこの辺で昼食を摂った後、大酒神社経由で
東映太秦映画村に向かいます~
~追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
真言宗蜂岡山広隆寺前の「太秦」交差点を起点としています。
~追追記~
太秦のレイラインとは?
だいぶスピリチャルな話を書きます。
明治時代の神仏分離令以前、
広隆寺の駐車場に大酒神社がいらっしゃいました。
駐車場は広隆寺の西側ですから、
昔は大酒神社→広隆寺→前回ブログの「蚕ノ社」木嶋神社と
3つの宗教施設が東西に正確に並んだことになります。
このようにいくつかの施設がある方角に並ぶ線を
レイラインと言って、そこには不思議な力が湧く場所があると
そう信じる方々がいらっしゃいます。
こんな書き方をしていることから分かるように、
自分はこれらに関してかなり否定的な考えを持っています。
「正確に一直線」を引くといっても、
建物のどの部分から線を引くかによっても変わってきますし、
そもそも日本人は古墳時代の5世紀には
正確に方角を調べて一直線を引く技術を持っていました。
また、5世紀には日本では
都市を計画的に建設する概念はあったので、
特定の宗教施設を1直線に並べたものは
京都市街地のあちこちにいくつでも現存します。
(その多くは、交通の利便性が理由です)
特に、太秦のこれらの建物は全て太子道沿いに並んでいます。
東西に伸びる道に沿って建物を建てたら
その建物のすべてが東西に並ぶのは当たり前のことです。
~さらに追記~
一件落着な終わり方
リオデジャネイロ五輪も、ようやく終わりました。
男子サッカーはブラジルが金メダルだったので、
多くの方がほっとされたでしょうね。
特にネイマール選手以外の選手がゴールをたくさん決めたので、
ブラジルにも何人かストライカーが揃ってきました。
(これまでは、ネイマール選手一人に頼りきりでした)
これでA代表も戦力アップするでしょう。
日本は主力選手が負傷やチーム事情で欠場して、
まぁ仕方ない部分があったはずです。
とは言え、少なくともこれだけ点を取ったのですから
グループリーグ敗退を批判される謂れはありません。
女子サッカーは、ドイツが順当に金メダルを取りました。
アメリカの早期敗退は驚きでしたが、
(金メダル候補でしたので)
日本同様にまだ世代交代が完成していません。
ただ、女子サッカーの主要大会の決勝は、
ここ10年3大国(ドイツ・アメリカ・日本)のほぼ独占状態で、
それはまだ変わらないようです。
4年前のロンドン五輪ではドイツはヨーロッパ予選敗退でした。
ですから、東京五輪での日本の金メダルは十分にあり得る話です。
個人的には、男子7人制ラグビーの4位が一番のビックリでした。
ニュージーランドやフランスには終了間際に逆転勝利しました。
逆転するには、精神力と体力の強さが必要です。
そういう部分が、だんだん日本の強みになってきています。
15人制の日本代表は、"Brave Blossom"と呼ばれて
ヨーロッパ中心に人気があります。
勇ましくて粘り強いのが、日本の魅力です。

「蚕ノ社」木嶋神社の前で、太子道を西に向いています。
右(北)側の工事現場は、改装中の「このしま保育園」です。
今回はここを西に進み、「太秦」交差点の広隆寺を散策します。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午前11時半。
猛暑の中の炎天下でした。

「蚕ノ社」木嶋神社の前から、太子道を西に進んでいます。
右(北)側の民家の庭先で、百日紅が満開ですね。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

「蚕ノ社」木嶋神社から、太子道を西に約200m進みました。
ここで太子道は、少しだけ南に折れます。

太子道は南に折れると、すぐに左(南)側の道に吸収されます。
こちらが三条通で、ここから西は太子道であり三条通でもあります。

太子道と三条通との合流点で、三条通を東に向いています。
このすぐ先で、三条通は南東に大きくカーブします。

さらに同じ場所で、三条通を西に向きました。
ここは、「三条太秦繁栄会」という商店街のただ中です。
では、ここを進んでいきます。4年前を逆行するルートですね。

先程の合流点から、三条通を西に約10m進みました。
こちらは、駄菓子屋さんの富士屋さんです。
第52回ブログで初めて訪問して以降、たびたびお邪魔しています。
ただ約1年ぶりに訪れたところ、
たこ焼きの販売をやめておられました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

代わりに、富士屋さんではこれを買いました。
本当はソルティーライチがほしかったのですが、
無かったので代わりにスポーツドリンクを買いました。

富士屋さんから、三条通を西に約50m進みました。
こちらは、浄土宗の常楽寺です。
第52回ブログ同様、こちらの沿革は分かりませんが、
門前の百日紅は見事ですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

常楽寺の前から、三条通を西に向いています。
約70m先に、交差点の信号が見えますね。

三条通を約70m進み、その交差点で北を向きました。
ずっと向こうに高架が見えますが、
あちらにJR嵯峨野線が走っています。
そして、その高架付近に東映太秦映画村があります。
ただそちらには次回ブログで向かいますので、
今回は三条通を西に進みます。

同じ場所で、三条通を西に向いています。
目の前に、「右京簡易裁判所」が見えますね。
では、この道を進んでいきます。

「右京簡易裁判所」の前から、三条通を西に約120m進みました。
この辺りが、「三条太秦繁栄会」の最西端です。
こちらは、「太秦」交差点です。複雑な五叉路です。
北西角には、広隆寺の仁王門が見えますね。
ここから暫く、クリックすれば拡大されます。

「太秦」交差点で、三条通を南に渡りました。
こう撮ると、広隆寺の仁王門がよく見えますね。
この交差点は五叉路の上に線路が走っています。
京福電車(嵐電)は、この「太秦」交差点上だけ路面電車になります。
(嵐電は、他に三条通も路面電車です)

さらに、「太秦」交差点の西側を見ています。
嵐電の線路を境に、左が大映通で右が三条通です。

同じ場所で北を向きました。こちらが太秦広隆寺の仁王門です。
では横断歩道を渡って、広隆寺の仁王門をくぐります。

広隆寺の仁王門をくぐりました。松と桜の木々が並んでいますね。
広隆寺は、南北に細長い境内を持っています。
では、北の方に伸びる石畳の道を進んでいきます。

広隆寺境内の石畳の道を北上しています。
炎天下の中、木陰を選んで歩いていきます。

石畳を北上し、それぞれをお堂を回ります。
先ずは、桜に囲まれた講堂です。
広隆寺は、京都屈指の桜の名所でもあります。

講堂の裏(北)側に、こちらの手水舎があります。
こちらで、手を浄めます。

その北隣には、秦氏の祖霊神を祀った祠がいらっしゃいます。
秦河勝を祀った太秦社と言います。

太秦社の前で、北を向きました。
こちらは「上宮王院太子殿」で、事実上広隆寺の本堂です。
真言宗蜂岡山広隆寺は、
飛鳥時代7世紀初めに建てられた京都最古の寺院です。
ちなみに、真言宗には平安時代に改宗されました。
近年多くの文献から794年の平安京遷都以前は
平野神社付近に建っていたという説が有力視されています。
もしそうなら、前回ブログに出てきた「蚕ノ社」木嶋神社とで
形成しているとされているレイラインやらパワースポットなども
非常に疑わしいものになってきますね。

「上宮王院太子堂」には入れませんが、手前までは上がれます。
こちらにはご本尊は安置されておらず、
代わりに聖徳太子像がいらっしゃいます。
(こちらの寺院は聖徳太子から下賜された弥勒菩薩像を祀るため、
秦河勝が建立したという説もあります)
こちらの周囲には、多くの絵馬が奉納されています。
ただし描かれているのは馬の絵ではなく、
「聖徳」や「一心」などの文字です。

「上宮王院太子殿」の前で、西に向きました。
ここから石畳の道が続いていて、その先に駐車場があります。
その向こうが三条通り沿いで、
第50回ブログで出てきた「太秦開日町」交差点に辿り着きます。

「上宮王院太子殿」の西側に、南北を貫く石畳の道があります。
こちらは、広隆寺の仁王門から続く道でもあります。
この少し先で、西側に広隆寺の庫裏があります。
そこで拝観料を払えば、広隆寺最北端の霊宝殿に入れます。

700円を払って、第51回ブログ以来の広隆寺霊宝殿に入りました。
ここから先は撮影不可なので、パンフレットを掲載します。
先程の石畳の道の最北端に、霊宝殿が建っています。
蓮の花咲く池を通り過ぎた辺りに建っているので、
「御仏の世界に、苦界の者がお邪魔する」という気がします。
霊宝殿内には30数体の仏像がいらして、
その全てが国宝か重要文化財です。
実は「国宝」という制度自体、この寺院のために作られたものです。
中でも有名なのはパンフレットにも載っておられる弥勒菩薩像で、
こちらが日本の「国宝第1号」です。
ただ、自分のお気に入りはその向かいにいらっしゃる
大きな木造千手観音像です。
長い年月の中、多くを欠損されて「十手観音」になられていますが、
それが却って重厚さと荘厳さを醸し出される要因になっています。

広隆寺霊宝殿を出て、石畳の道を南へ進んでいます。
では、ここからに仁王門へと向かいます。

石畳の道を南下しています。
約200m進むと、広隆寺仁王門が見えてきました。

広隆寺仁王門をくぐり、「太秦」交差点に出ました。
東西に細長い「太秦」交差点の南東角に、
京福電車(嵐電)の「太秦広隆寺」駅があります。

こちらが、京福電車(嵐電)「太秦広隆寺」駅です。
いろいろと変わった駅なので電車で移動するわけではないのですが、
ちょっとこちらに寄り道します。
……と言いたいところですが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
これ以降は、次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回はこの辺で昼食を摂った後、大酒神社経由で
東映太秦映画村に向かいます~
~追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
真言宗蜂岡山広隆寺前の「太秦」交差点を起点としています。
~追追記~
太秦のレイラインとは?
だいぶスピリチャルな話を書きます。
明治時代の神仏分離令以前、
広隆寺の駐車場に大酒神社がいらっしゃいました。
駐車場は広隆寺の西側ですから、
昔は大酒神社→広隆寺→前回ブログの「蚕ノ社」木嶋神社と
3つの宗教施設が東西に正確に並んだことになります。
このようにいくつかの施設がある方角に並ぶ線を
レイラインと言って、そこには不思議な力が湧く場所があると
そう信じる方々がいらっしゃいます。
こんな書き方をしていることから分かるように、
自分はこれらに関してかなり否定的な考えを持っています。
「正確に一直線」を引くといっても、
建物のどの部分から線を引くかによっても変わってきますし、
そもそも日本人は古墳時代の5世紀には
正確に方角を調べて一直線を引く技術を持っていました。
また、5世紀には日本では
都市を計画的に建設する概念はあったので、
特定の宗教施設を1直線に並べたものは
京都市街地のあちこちにいくつでも現存します。
(その多くは、交通の利便性が理由です)
特に、太秦のこれらの建物は全て太子道沿いに並んでいます。
東西に伸びる道に沿って建物を建てたら
その建物のすべてが東西に並ぶのは当たり前のことです。
~さらに追記~
一件落着な終わり方
リオデジャネイロ五輪も、ようやく終わりました。
男子サッカーはブラジルが金メダルだったので、
多くの方がほっとされたでしょうね。
特にネイマール選手以外の選手がゴールをたくさん決めたので、
ブラジルにも何人かストライカーが揃ってきました。
(これまでは、ネイマール選手一人に頼りきりでした)
これでA代表も戦力アップするでしょう。
日本は主力選手が負傷やチーム事情で欠場して、
まぁ仕方ない部分があったはずです。
とは言え、少なくともこれだけ点を取ったのですから
グループリーグ敗退を批判される謂れはありません。
女子サッカーは、ドイツが順当に金メダルを取りました。
アメリカの早期敗退は驚きでしたが、
(金メダル候補でしたので)
日本同様にまだ世代交代が完成していません。
ただ、女子サッカーの主要大会の決勝は、
ここ10年3大国(ドイツ・アメリカ・日本)のほぼ独占状態で、
それはまだ変わらないようです。
4年前のロンドン五輪ではドイツはヨーロッパ予選敗退でした。
ですから、東京五輪での日本の金メダルは十分にあり得る話です。
個人的には、男子7人制ラグビーの4位が一番のビックリでした。
ニュージーランドやフランスには終了間際に逆転勝利しました。
逆転するには、精神力と体力の強さが必要です。
そういう部分が、だんだん日本の強みになってきています。
15人制の日本代表は、"Brave Blossom"と呼ばれて
ヨーロッパ中心に人気があります。
勇ましくて粘り強いのが、日本の魅力です。
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