第443回 東福寺三門と法堂~月輪紅葉散策2016~その6
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三ノ瀬川に架かる「東福寺3橋」の一つ偃月橋を南に渡り、
東福寺の方状(正確には庫裏)の前で西を向いています。
目の前の回廊を右(北)に進むと、
第440回ブログ以来の通天橋に通じています。
今回は東福寺境内の南側を散策した後、
残りの「東福寺3橋」臥雲橋を渡ります。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後1時。
今回もクリックされた写真は、全て拡大されます。

先程の写真と同じ場所で、南を向きました。
では、ここから東福寺境内の東側を南下していきます。

東福寺方丈(庫裏)から、東福寺境内を南進しています。
東福寺庫裏の南隣に宗務本院があるのですが、
その手前に普段は使われてない建物があります。
そちらが、紅葉シーズンは茶店に変わります。
(この南側が、便所です)

その茶店は、超満員でした。
大半の方々が入りきれないので、その西側に縁台が並びます。
(東福寺法堂の東側です)
こちらも、お客さんでいっぱいですね。

フレームから外れていますが、茶店(法堂)の前で南を向いています。
ずっと先に、東福寺山門が見えますね。
ただ、その前に左(東)に伸びる手前の道に立ち寄ります。

その道の前で、東を向きました。
この緩やかな上り坂の先にも、寺院があるようです。
右(南)側の石碑には、「月輪殿下兼実公本墓」とあります。
「月輪殿下兼実」とは、九条兼実の別名です。
(平安時代や鎌倉時代の貴族は、住所で呼ばれていました)
つまり、この先に九条兼実のお墓がいらっしゃいます。
では、ちょっとこちらにお邪魔します。

先程の地点から、東に約100m進みました。
では、この日下門をくぐって最勝金剛院に入ります。
ちなみに、この門より東は「京都市東山区月輪」から
「京都市伏見区深草」に変わります。

最勝金剛院の日下門をくぐり、東に向いています。
境内は一本道で、その周囲が墓地です。
この寺院は東福寺の墓地という側面があるので、
ここの境内の大半がお墓です。
左(北)側の枯れ枝は桜と思っていたのですが、よく見れば梅でした。

墓地を抜けても、まだ境内は東に伸びています。
この先に、最勝金剛院の本堂があります。

その辺りで、南を向きました。
分別ごみ箱(京都市は割と細かく指示が出ます)の先に、
白い寒椿が咲いていました。

その向かい(北)側に、最勝金剛院の本堂が建っています。
手前の枝垂桜は、皇族からの下賜品です。
鎌倉時代に東福寺が建立される前まで、
この辺りには法性寺が建っていました。
ですから、この辺りはその法性寺の東端に当たりました。
この寺院は元は藤原忠通の正室藤原宗子の発願で
1148年に建てられたお堂から始まっています。
その後、1205年に法性寺の塔頭寺院になりました。
その約50年後にこの地が法性寺から東福寺の寺領となったとき、
この最勝金剛院はそのまま東福寺の塔頭寺院になりました。
また、九条(藤原)兼実も一時期この辺りに住んでおり、
そのためこの寺院は九条氏の菩提寺でもあります。

こちらが、最勝金剛院の最東端です。
こちらの霊廟が九条兼実のお墓でしょうか?
(確か、藤原宗子の霊廟もいらしたはずですし)

その霊廟の前で振り返り、西を向いています。
では、今来た道を戻ります。

最勝金剛院の日下門をくぐり、西を向いています。
ここでまた、「京都市東山区月輪」に戻ってきました。
次は、この坂道を下ります。

先程の地点から西に約100m進み、東福寺境内に戻ってきました。
右(北)側の繁みの向こうに、東福寺法堂があります。
真正面には、東福寺僧堂が見えますね。

東福寺境内の東側に戻り、南を向きました。
向こうに、東福寺三門が見えますね。

先程の場所から約50m南下し、東を向きました。
この鳥居の先に、五社大明神がいらっしゃいます。
(第86回ブログを参照してください)
ただ、今回は時間の都合で素通りします。

その南隣は、鎌倉時代の浴室です。
鎌倉時代からあるので、サウナ風呂ですね。
(現在のお風呂は、江戸時代以降にできました)
手前のカエデの紅葉が、きれいですね。

その浴室は、東福寺境内の南東端にあります。
次は、そこから西を向きました。
ですから、左(南)側の塀の向こうはもう東福寺ではありません。
東福寺境内の南西端の勅使門へ向かう途中、
最南端中央に柵が付いています。
次は、そちらに向かいます。

その柵の前で北を向きました。池越しに東福寺山門が見えます。
勅使門の先に大きな三門→法堂と続くのは、
南禅寺や建仁寺・大徳寺など臨済宗の各派本山に共通しています。
そしてここが絶景ポイントなのも、共通していますね。

その場所から、西を向きました。あちらが、東福寺の勅使門です。
皇族などの貴賓が来られたときのみ、開かれます。
まぁ通常勅使門は、どの寺院も閉じられたままです。

その勅使門の西側に、こちらの小さな門があります。
もし京阪電鉄「鳥羽街道」駅から東福寺北大門経由で来るなら、
こちらの門をくぐることになります。
ちなみに、自分が高校生の頃はこの門から境内に入っていました。

その門から、東福寺境内を北に向いています。
右(東)側に東福寺三門が見えていますね。
そう言えば、いつの間にか晴れています。

先程の地点から、東福寺境内を約100m北上しました。
東福寺法堂を南西角から見ています。
建仁寺同様こちらは特に撮影を禁じていませんが、
自分は本堂のご本尊は撮らないようにしています。
こちらのご本尊は釈迦三尊像で、天井画は堂本印象筆です。
この裏(北)から真っすぐ回廊が伸びており、
通天橋経由で開山堂に向かっています。
この回廊は、開山堂~法堂間の「朝のお務め」に利用されます。

東福寺法堂の西側を北上しています。
向こうに通天橋へのチケット売り場が見えますが、
これでブログ5回使って東福寺を一周したことになります。

東福寺法堂の北側まで進み、そこから西に向きました。
では向こうに見える日下門から、東福寺を出ます。

東福寺日下門を出て、北を向きました。
この左(西)側の下り坂を進めば、
第438回ブログに出てきた芬陀院や東福寺中大門があります。
とは言え、本当は今向いている道の方が
東福寺の通常観光ルートです。
(第3回ブログ・第15回ブログ参照)
では、今度はこの道から「御寺」泉涌寺を目指します。

東福寺日下門から、東福寺の土塀沿いに北上しています。
この辺りも、紅葉が濃いですね。
右(東)側の東福寺に対して、左(西)側は塔頭寺院の天得院です。
(入り口が、第438回ブログに出てきました)
天得院の前の大きな門は、マイクロバスの出入りが可能です。
といいますのも、ここは「東福寺保育園」を経営しており、
そのバスが平日ならここから出入りします。
そして、今年(2016年)もその門の前で
ヨモギの焼麩まんじゅうの屋台が出ています。
自分は、これ目当てで毎年ここに来ています。
だんだん東福寺といいますか、天得院の名物となってきましたね。

もちろん今年(2016年)も2個買いました。(自分と母の分です)
そう言えば、ここ5年ほどお値段据え置きですね。
ちなみに、平日は保育園バスの邪魔にならないように
芬陀院の前で売っています。

そのまんじゅうを半分に割りました。
中には粒あんが、ぎっしり詰まっています。

紅葉の下で焼麩まんじゅうを立ち食いしながら、北側を向きました。
この先に、重要文化財の臥雲橋が見えます。

いよいよこの東福寺最高の絶景ポイント臥雲橋に来ました。
ところが、今年(2016年)から橋の上での撮影が厳禁になりました。

まぁ自分の場合以前から撮った写真のストックがありますので、
撮影が禁止されても昔の分を掲載できます。
(こちらは、第15回ブログ取材時の2011年11月24日撮影分です。
ちなみに、このブログで使用している自分のアバターです)
この橋の上から見た通天橋が京都で一番の絶景なのですが、
実はこの橋はとても狭くてここで誰かが立ち止まったら
あとから来た人に圧されて橋の下(崖の下)に転落の危険があります。
その意味で、ここの撮影禁止は致し方ないと思っています。
(自分も、何年か前に落ちそうになりましたし……)
ここは東福寺の外ですから、東福寺の開門時間に縛られません。
ですから、もしここの撮影をしたいなら早朝に来るといいでしょう。

「東福寺3橋」の一つ臥雲橋を北側に渡ってきました。
ここからは道の両側に東福寺の塔頭寺院が並びます。
ではここから北にこの道を突き当り、東に折れて
京都市立日吉ヶ丘高校経由で「御寺」泉涌寺に向かいます。
ただ、今回はだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。
~次回は、東福寺の塔頭寺院勝林寺に向かいます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
東福寺の庫裏が起点です。
~追記 その2~
だんだん誤字脱字が多くなってきました……
毎年12月は仕事で忙しいのですが、
それは今年(2016年)も同じです。
ただ、どうしても「月輪紅葉編」を年内に終えたいので、
ちょっと無理して更新ペースを上げています。
そのため、誤字脱字チェックや推敲が疎かになってきています。
読み返すと東西が真逆に書かれていることも何ヵ所かありますし、
単純な誤字も数カ所確認しています。
さすがに写真を貼り間違えた前回ブログは直しましたが、
(龍吟庵庭園の写真です)
結構そのままのものも残存しています。
ちょっと落ち着いたら直そうと思うのですが、
下手したら来年(2017年)になるかもしれません……
~追記 その3~
「月輪殿」あれこれ
今回ブログの最勝金剛院の記事で書いたことへの追記です。
もう平氏政権が力を振るっていた平安時代末期(1150年くらい)
摂政の藤原忠通はこの辺りに住んでいたので
「法性寺殿」と呼ばれていました。
(摂関政治は終わっていますが、役職だけは残っていました)
そして、その息子の藤原兼実(のちの九条兼実)は
その少し東にある偃月橋付近に住んでいて
「月輪殿」と呼ばれていました。
また、その九条兼実が造営したその辺りにあった庭園と邸宅も
「月輪殿」と呼ばれていました。
正確には前回ブログに出てきた即宗院も、その「月輪殿」の遺構です。
ちなみにその「月輪殿」は「月輪寺」という寺院になった後
あちこちに移転して、
最終的に壬生で落ち着いて現在もそこにあります。
(第320回ブログ参照)

三ノ瀬川に架かる「東福寺3橋」の一つ偃月橋を南に渡り、
東福寺の方状(正確には庫裏)の前で西を向いています。
目の前の回廊を右(北)に進むと、
第440回ブログ以来の通天橋に通じています。
今回は東福寺境内の南側を散策した後、
残りの「東福寺3橋」臥雲橋を渡ります。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後1時。
今回もクリックされた写真は、全て拡大されます。

先程の写真と同じ場所で、南を向きました。
では、ここから東福寺境内の東側を南下していきます。

東福寺方丈(庫裏)から、東福寺境内を南進しています。
東福寺庫裏の南隣に宗務本院があるのですが、
その手前に普段は使われてない建物があります。
そちらが、紅葉シーズンは茶店に変わります。
(この南側が、便所です)

その茶店は、超満員でした。
大半の方々が入りきれないので、その西側に縁台が並びます。
(東福寺法堂の東側です)
こちらも、お客さんでいっぱいですね。

フレームから外れていますが、茶店(法堂)の前で南を向いています。
ずっと先に、東福寺山門が見えますね。
ただ、その前に左(東)に伸びる手前の道に立ち寄ります。

その道の前で、東を向きました。
この緩やかな上り坂の先にも、寺院があるようです。
右(南)側の石碑には、「月輪殿下兼実公本墓」とあります。
「月輪殿下兼実」とは、九条兼実の別名です。
(平安時代や鎌倉時代の貴族は、住所で呼ばれていました)
つまり、この先に九条兼実のお墓がいらっしゃいます。
では、ちょっとこちらにお邪魔します。

先程の地点から、東に約100m進みました。
では、この日下門をくぐって最勝金剛院に入ります。
ちなみに、この門より東は「京都市東山区月輪」から
「京都市伏見区深草」に変わります。

最勝金剛院の日下門をくぐり、東に向いています。
境内は一本道で、その周囲が墓地です。
この寺院は東福寺の墓地という側面があるので、
ここの境内の大半がお墓です。
左(北)側の枯れ枝は桜と思っていたのですが、よく見れば梅でした。

墓地を抜けても、まだ境内は東に伸びています。
この先に、最勝金剛院の本堂があります。

その辺りで、南を向きました。
分別ごみ箱(京都市は割と細かく指示が出ます)の先に、
白い寒椿が咲いていました。

その向かい(北)側に、最勝金剛院の本堂が建っています。
手前の枝垂桜は、皇族からの下賜品です。
鎌倉時代に東福寺が建立される前まで、
この辺りには法性寺が建っていました。
ですから、この辺りはその法性寺の東端に当たりました。
この寺院は元は藤原忠通の正室藤原宗子の発願で
1148年に建てられたお堂から始まっています。
その後、1205年に法性寺の塔頭寺院になりました。
その約50年後にこの地が法性寺から東福寺の寺領となったとき、
この最勝金剛院はそのまま東福寺の塔頭寺院になりました。
また、九条(藤原)兼実も一時期この辺りに住んでおり、
そのためこの寺院は九条氏の菩提寺でもあります。

こちらが、最勝金剛院の最東端です。
こちらの霊廟が九条兼実のお墓でしょうか?
(確か、藤原宗子の霊廟もいらしたはずですし)

その霊廟の前で振り返り、西を向いています。
では、今来た道を戻ります。

最勝金剛院の日下門をくぐり、西を向いています。
ここでまた、「京都市東山区月輪」に戻ってきました。
次は、この坂道を下ります。

先程の地点から西に約100m進み、東福寺境内に戻ってきました。
右(北)側の繁みの向こうに、東福寺法堂があります。
真正面には、東福寺僧堂が見えますね。

東福寺境内の東側に戻り、南を向きました。
向こうに、東福寺三門が見えますね。

先程の場所から約50m南下し、東を向きました。
この鳥居の先に、五社大明神がいらっしゃいます。
(第86回ブログを参照してください)
ただ、今回は時間の都合で素通りします。

その南隣は、鎌倉時代の浴室です。
鎌倉時代からあるので、サウナ風呂ですね。
(現在のお風呂は、江戸時代以降にできました)
手前のカエデの紅葉が、きれいですね。

その浴室は、東福寺境内の南東端にあります。
次は、そこから西を向きました。
ですから、左(南)側の塀の向こうはもう東福寺ではありません。
東福寺境内の南西端の勅使門へ向かう途中、
最南端中央に柵が付いています。
次は、そちらに向かいます。

その柵の前で北を向きました。池越しに東福寺山門が見えます。
勅使門の先に大きな三門→法堂と続くのは、
南禅寺や建仁寺・大徳寺など臨済宗の各派本山に共通しています。
そしてここが絶景ポイントなのも、共通していますね。

その場所から、西を向きました。あちらが、東福寺の勅使門です。
皇族などの貴賓が来られたときのみ、開かれます。
まぁ通常勅使門は、どの寺院も閉じられたままです。

その勅使門の西側に、こちらの小さな門があります。
もし京阪電鉄「鳥羽街道」駅から東福寺北大門経由で来るなら、
こちらの門をくぐることになります。
ちなみに、自分が高校生の頃はこの門から境内に入っていました。

その門から、東福寺境内を北に向いています。
右(東)側に東福寺三門が見えていますね。
そう言えば、いつの間にか晴れています。

先程の地点から、東福寺境内を約100m北上しました。
東福寺法堂を南西角から見ています。
建仁寺同様こちらは特に撮影を禁じていませんが、
自分は本堂のご本尊は撮らないようにしています。
こちらのご本尊は釈迦三尊像で、天井画は堂本印象筆です。
この裏(北)から真っすぐ回廊が伸びており、
通天橋経由で開山堂に向かっています。
この回廊は、開山堂~法堂間の「朝のお務め」に利用されます。

東福寺法堂の西側を北上しています。
向こうに通天橋へのチケット売り場が見えますが、
これでブログ5回使って東福寺を一周したことになります。

東福寺法堂の北側まで進み、そこから西に向きました。
では向こうに見える日下門から、東福寺を出ます。

東福寺日下門を出て、北を向きました。
この左(西)側の下り坂を進めば、
第438回ブログに出てきた芬陀院や東福寺中大門があります。
とは言え、本当は今向いている道の方が
東福寺の通常観光ルートです。
(第3回ブログ・第15回ブログ参照)
では、今度はこの道から「御寺」泉涌寺を目指します。

東福寺日下門から、東福寺の土塀沿いに北上しています。
この辺りも、紅葉が濃いですね。
右(東)側の東福寺に対して、左(西)側は塔頭寺院の天得院です。
(入り口が、第438回ブログに出てきました)
天得院の前の大きな門は、マイクロバスの出入りが可能です。
といいますのも、ここは「東福寺保育園」を経営しており、
そのバスが平日ならここから出入りします。
そして、今年(2016年)もその門の前で
ヨモギの焼麩まんじゅうの屋台が出ています。
自分は、これ目当てで毎年ここに来ています。
だんだん東福寺といいますか、天得院の名物となってきましたね。

もちろん今年(2016年)も2個買いました。(自分と母の分です)
そう言えば、ここ5年ほどお値段据え置きですね。
ちなみに、平日は保育園バスの邪魔にならないように
芬陀院の前で売っています。

そのまんじゅうを半分に割りました。
中には粒あんが、ぎっしり詰まっています。

紅葉の下で焼麩まんじゅうを立ち食いしながら、北側を向きました。
この先に、重要文化財の臥雲橋が見えます。

いよいよこの東福寺最高の絶景ポイント臥雲橋に来ました。
ところが、今年(2016年)から橋の上での撮影が厳禁になりました。

まぁ自分の場合以前から撮った写真のストックがありますので、
撮影が禁止されても昔の分を掲載できます。
(こちらは、第15回ブログ取材時の2011年11月24日撮影分です。
ちなみに、このブログで使用している自分のアバターです)
この橋の上から見た通天橋が京都で一番の絶景なのですが、
実はこの橋はとても狭くてここで誰かが立ち止まったら
あとから来た人に圧されて橋の下(崖の下)に転落の危険があります。
その意味で、ここの撮影禁止は致し方ないと思っています。
(自分も、何年か前に落ちそうになりましたし……)
ここは東福寺の外ですから、東福寺の開門時間に縛られません。
ですから、もしここの撮影をしたいなら早朝に来るといいでしょう。

「東福寺3橋」の一つ臥雲橋を北側に渡ってきました。
ここからは道の両側に東福寺の塔頭寺院が並びます。
ではここから北にこの道を突き当り、東に折れて
京都市立日吉ヶ丘高校経由で「御寺」泉涌寺に向かいます。
ただ、今回はだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。
~次回は、東福寺の塔頭寺院勝林寺に向かいます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
東福寺の庫裏が起点です。
~追記 その2~
だんだん誤字脱字が多くなってきました……
毎年12月は仕事で忙しいのですが、
それは今年(2016年)も同じです。
ただ、どうしても「月輪紅葉編」を年内に終えたいので、
ちょっと無理して更新ペースを上げています。
そのため、誤字脱字チェックや推敲が疎かになってきています。
読み返すと東西が真逆に書かれていることも何ヵ所かありますし、
単純な誤字も数カ所確認しています。
さすがに写真を貼り間違えた前回ブログは直しましたが、
(龍吟庵庭園の写真です)
結構そのままのものも残存しています。
ちょっと落ち着いたら直そうと思うのですが、
下手したら来年(2017年)になるかもしれません……
~追記 その3~
「月輪殿」あれこれ
今回ブログの最勝金剛院の記事で書いたことへの追記です。
もう平氏政権が力を振るっていた平安時代末期(1150年くらい)
摂政の藤原忠通はこの辺りに住んでいたので
「法性寺殿」と呼ばれていました。
(摂関政治は終わっていますが、役職だけは残っていました)
そして、その息子の藤原兼実(のちの九条兼実)は
その少し東にある偃月橋付近に住んでいて
「月輪殿」と呼ばれていました。
また、その九条兼実が造営したその辺りにあった庭園と邸宅も
「月輪殿」と呼ばれていました。
正確には前回ブログに出てきた即宗院も、その「月輪殿」の遺構です。
ちなみにその「月輪殿」は「月輪寺」という寺院になった後
あちこちに移転して、
最終的に壬生で落ち着いて現在もそこにあります。
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