第453回 「残り福」の禅居庵
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さて、初詣の次は「10日ゑびす」です。
今年(2017年)は仕事が立て込んで、更新日が遅れておりますが……
さらに基本的に自分の休日は毎週木曜日なので、
2017年1月10日火曜日には参拝できませんでした。
ところで、この「ゑびす大祭」は5日間にわたって開催されます。
1月8日→初ゑびす
1月9日→宵ゑびす
1月10日→本ゑびす
1月11日→終い(しまい)ゑびす
1月12日→残り福
今年(2017年)の木曜日は1月12日なので、
今回は「残り福」の様子を取材しました。

約2年半ぶりの京阪電鉄「清水五条」駅です。
今回はここから川端通を北上し、松原通経由で禅居庵に向かいます。
撮影日は、2017年1月12日木曜日午後1時半。
今回も、全ての写真がクリックすれば拡大されます。

京阪電鉄「清水五条」駅の改札口を通り抜け、左(北)を向きました。
ちなみに、京阪電鉄本線は「七条」駅以北が地下鉄です。
(つまり、「東福寺」駅以南が地上に出ます)
この辺りの京阪電鉄は、琵琶湖疎水の真下を通っています。
ですから、改札口より東のここは「五条川端」交差点の真下です。
今回はすぐに地上には出ずに、地下から北上します。

京阪電鉄「清水五条」駅改札口から、地下道を約50m北上しました。
その先の階段を上ると、京阪電鉄「清水五条」駅5番出口に出ます。

京阪電鉄「清水五条」駅5番出口の前で、北を向いています。
こうしてみると、川端通が2本あることが分かります。
左(西)側の広い方の川端通には、
約25年前まで琵琶湖疎水が流れていました。
今はその疎水は、暗渠となっています。
(さらにその下に、京阪電鉄が走っています)

京阪電鉄「清水五条」駅5番出口から、
川端通を約100m北に進みました。
向こうに見えるお地蔵さんの辺りが、T字路になります。
この辺りの川端通は宮川町の置屋さんが並んでいます。
ですから夕方以降は芸妓さんや舞妓さんが徘徊されるのですが、
お昼過ぎはこんな風に人通りも少なくなります。
まぁ花街独特の情緒があるのに近隣の祇園よりひっそりしている分、
自分のような「街歩き」をしている者には最高の場所です。

そのT字路で、東を向きました。
ここから約700m先の東大路まで六波羅裏門通が伸びます。
第151回ブログで訪れたように、宮川町の東隣は六原です。
ちなみに、ここから約350m東に六波羅蜜寺があります。
そうそう、この六原裏門通を真西に伸ばすと
そのまま万寿寺通に達します。
実は江戸時代にはこの位置に橋が架かっていて、
この六原裏門通の位置も「万寿寺通」と呼んでいました。

六原裏門通から、川端通を北に向きました。
では、ここを歩いていきます。

六原裏門通から、川端通を約50m北上しました。
川端通の東側に(この写真だけ、南に向いています)
「和のせ」という看板が見えます。
ちょっと寄り道して訪ねてみると、中から女将さんが現れました。
こちらは、海産物の西京漬けの専門店です。

実は、自分は鰆(さわら)の西京漬けが大好物です。
今回ブログ取材時は1月半ばですが、鰆は冬の魚です。
こちらは冷凍魚は使われないので、2月までの限定販売です。
そのため、慌てて買いました。
こちらは、このように一切れごとに真空パックされています。
ちなみに京都では白味噌のことを西京味噌と呼び、
その西京味噌に魚などを漬けこんだものを「西京漬け」と呼びます。
こちらの「和のせ」さんは、3年前から開店されていたそうです。
自分はこの前をよく通っていたのですが、
こちらの存在を全然知りませんでした。

で、鰆を焼いてみました。
味噌は焦げやすいので、しっかりふき取って
弱火のコンロで焼きました。
まぁちょっと焦げましたが、鰆の甘味と味噌の味が合わさって
独特の味わいですね。
今回はこんな風に小松菜のお浸しなどを添えて頂きましたが、
おにぎりの具材にするなど様々な食べ方があります。

西京漬け屋さんの「和のせ」の前から、川端通を北に向いています。
この先に、松原通との交差点が見えます。

川端通から、松原通を西に向いています。
鴨川に架かるこの松原橋は、16世紀末まで五条大橋でした。
(「橋弁慶」の舞台ですね)
こちらを進むと、第24回ブログのルートを進むことになります。

今度は、川端通から松原通を東に向きました。
今回も、ここを進んでいきたいと思います。

川端通から、松原通を東に約50m進みました。
ここで、松原通は宮川町筋と交差します。
この辺りが、宮川町のほぼ中心地です。

松原通から、宮川町筋を南に向いています。
この石畳の道沿いに、芸妓さんや舞妓さんの置屋や出会い茶屋・
仕出し屋さんなどが建ち並んでいます。
それ以外にも様々なお店が並んでいて、
和菓子屋さんや豆腐屋さんなどの名店もあります。
(第101回ブログを参照)

今度は、松原通から宮川町筋を北に向きました。
こちらも、出会い茶屋や置屋さんが並ぶのですが……
確かこちらは石畳の道だったような気がします。

宮川町筋から、松原通を東に向いています。
では、こちらを進んでいきます。

宮川町筋から、松原通を東に約30m進みました。
こちらは、第20回ブログ以来たびたび登場している
洋菓子店「Friand」(フリアン)です。
実は、2016年の母の誕生日ケーキはこちらで買いました。
こちらはご進物のフィナンシェなどが主力商品ですが、
誕生日ケーキのような生菓子も絶品でした。
よくよく調べてみたら、京都を代表する老舗洋菓子店のようです。

その洋菓子店から、東に約10m進みました。
ラーメン店「ポパイ」の脇に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
とは言えこの店、ここ数年開店していません。
もうやめてしまったのでしょうね。

そのラーメン店の前で、松原通を東に向いています。
ここから東の松原通沿いには、肉屋さんや川魚屋さんなど
高級食材を取り扱った小売店舗が建ち並びます。
その辺も、宮川町や祇園などの花街が近いせいでしょうね。

先程の場所から、松原通をさらに約50m進みました。
向こうに、川魚屋さんが見えますね。
川魚屋さんは淡水魚専門の魚屋さんで、京都にはたくさんあります。
地元民は夏になるとアユやウナギを求めに行きますが、
節分にイワシを焼いて売っていたりします。
(まぁ、イワシは海水魚ですが……)

その川魚屋さんの東隣には、お地蔵さんがいらっしゃいます。
延命地蔵尊の真言が書かれた紙が貼り付けてあるので、
こちらはその延命地蔵尊が祀られているのでしょうね。
数年前はこの背後も川魚屋さんだったように思うのですが、
今は更地になって駐車場です。
京都市街地にも、マンションと駐車場に変わりつつあります。

そのお地蔵さんの前で、南に向きました。
ここから大黒通が南に伸びています。
向こうに「山田家具」という看板が見えますが、
その向かい(西)が壽延寺という寺院です。
(第153回ブログを参照)

先程と同じ場所で、東を向いています。
松原通は、ここで大和大路と交差します。
この辺りは「建松商店街」で、この交差点を中心に
観光客目当てのお土産店や地元民が通う小売店が並びます。

松原通から、大和大路を南に向いています。
約350m南に進むと、五条通に出ます。
第224回ブログでは豊国神社から大和大路を北上し、
ここを通り過ぎて禅居庵に至りました。

今度は松原通から、大和大路を北に向きました。
「10日ゑびす」ではいつもこんな感じでしたが、
1月12日ともなれば露店などはなくなっています。

松原通から、大和大路を約50m北上しました。
八坂通とのT字路の南東角に、こちらの骨董屋さんがあります。
ここは閉まっていることの方が多いのですが、
「ゑびす大祭」の時期は開いています。

大和大路から、八坂通を東に向いています。
この先に禅居庵と建仁寺の勅使門があります。
詳しくは、第102回ブログを参照してください。

八坂通から、大和大路を北に向いています。
このT字路の北東角に、今回ブログのメイン禅居庵があります。

八坂通から、大和大路を約10m北上しました。
こちらから、臨済宗建仁寺派禅居庵に入ります。

禅居庵の入り口には、狛犬の代わりに狛猪がいます。
ただ口の形を見ても、「阿形」「吽形」ではありません。

こちらの「狛猪」は、どちらも口を閉じています。
こちらが猪なのは、こちらの仏さんが摩利支天だからです。
(猪は、摩利支天の眷属です)

禅居庵の境内に、入ってきました。
「ゑびす大祭」になるとここは割と賑やかになりますが、
「残り福」ともなるとだいぶ平常営業に戻ります。

禅居庵の境内をそのまま東進すると、手水舎に行き当たります。
ここで手を浄めて、先を進みます。
ちなみにこのまま東進すると禅居庵の本堂に行き当たりますが、
そちらは非公開です。
たださらに先を進むと、そのまま建仁寺の境内に入れます。
この禅居庵は、建仁寺の境内にある建仁寺の塔頭寺院です。

手水舎の北側に、禅居庵の摩利支天堂があります。
禅居庵は本堂は非公開ですが、
こちらの摩利支天堂は参拝可能です。
さらに摩利支天堂のご本尊の摩利支天像は
普段から拝観が可能ですが、
この時期限定でお堂の中に入り近くで参拝ができます。

禅居庵の摩利支天堂の西側に、
お地蔵さんやたくさんの祠が並んでおられます。
次は、こちらにお参りします。

これで、禅居庵摩利支天堂の周辺を一通り回りました。
では、ここを出て大和大路に戻ります。

禅居庵の前で、大和大路を北に向いています。
ここからでもゑびす神社が見えますが、
1月12日ともなると露店は一切立っていません。
ただ「残り福」の日であるだけに、
参拝者がそこそこいらっしゃいます。

こちらが、ゑびす神社です。
ただ、1月12日ともなれば神社も後片付け中です……
それだけに、「残り物には福がある」ということですね。
ここからゑびす神社に参拝しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでとします。
~次回は、ゑびす神社に参拝します~
~追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
~追追記~
更新がどんどん遅れています。
例年では自分の仕事が忙しいのは年末年始なのですが、
今年(2017年)はその残務整理が膨大で、(例年の約4倍!)
どうやら1月いっぱい多忙になりそうです。
そのため、そのしわ寄せがこちらのブログ更新に影響が出ています。
初詣の記事の段階で約1週間遅れていましたが、
現時点で2週間近い遅れです。
節分の前に高倉通の京都御苑より北を取材するつもりでしたが、
それは2月の下旬以降に掲載します。
その辺りが終わったら、桜の季節ですね。
~さらに追記~
2年ぶりの大雪です
今回ブログを取材した2017年1月12日の翌日
2017年1月13日から日本全国的に大寒波がやって来ています。
京都は少々積もった程度でしたが、
隣県の滋賀県は大雪でJRが停まったり遅延したりしています。
それが原因で、ウチの仕事はさらにゴタゴタしています。
……で、それでさらにブログ更新が遅れています。
さて、初詣の次は「10日ゑびす」です。
今年(2017年)は仕事が立て込んで、更新日が遅れておりますが……
さらに基本的に自分の休日は毎週木曜日なので、
2017年1月10日火曜日には参拝できませんでした。
ところで、この「ゑびす大祭」は5日間にわたって開催されます。
1月8日→初ゑびす
1月9日→宵ゑびす
1月10日→本ゑびす
1月11日→終い(しまい)ゑびす
1月12日→残り福
今年(2017年)の木曜日は1月12日なので、
今回は「残り福」の様子を取材しました。

約2年半ぶりの京阪電鉄「清水五条」駅です。
今回はここから川端通を北上し、松原通経由で禅居庵に向かいます。
撮影日は、2017年1月12日木曜日午後1時半。
今回も、全ての写真がクリックすれば拡大されます。

京阪電鉄「清水五条」駅の改札口を通り抜け、左(北)を向きました。
ちなみに、京阪電鉄本線は「七条」駅以北が地下鉄です。
(つまり、「東福寺」駅以南が地上に出ます)
この辺りの京阪電鉄は、琵琶湖疎水の真下を通っています。
ですから、改札口より東のここは「五条川端」交差点の真下です。
今回はすぐに地上には出ずに、地下から北上します。

京阪電鉄「清水五条」駅改札口から、地下道を約50m北上しました。
その先の階段を上ると、京阪電鉄「清水五条」駅5番出口に出ます。

京阪電鉄「清水五条」駅5番出口の前で、北を向いています。
こうしてみると、川端通が2本あることが分かります。
左(西)側の広い方の川端通には、
約25年前まで琵琶湖疎水が流れていました。
今はその疎水は、暗渠となっています。
(さらにその下に、京阪電鉄が走っています)

京阪電鉄「清水五条」駅5番出口から、
川端通を約100m北に進みました。
向こうに見えるお地蔵さんの辺りが、T字路になります。
この辺りの川端通は宮川町の置屋さんが並んでいます。
ですから夕方以降は芸妓さんや舞妓さんが徘徊されるのですが、
お昼過ぎはこんな風に人通りも少なくなります。
まぁ花街独特の情緒があるのに近隣の祇園よりひっそりしている分、
自分のような「街歩き」をしている者には最高の場所です。

そのT字路で、東を向きました。
ここから約700m先の東大路まで六波羅裏門通が伸びます。
第151回ブログで訪れたように、宮川町の東隣は六原です。
ちなみに、ここから約350m東に六波羅蜜寺があります。
そうそう、この六原裏門通を真西に伸ばすと
そのまま万寿寺通に達します。
実は江戸時代にはこの位置に橋が架かっていて、
この六原裏門通の位置も「万寿寺通」と呼んでいました。

六原裏門通から、川端通を北に向きました。
では、ここを歩いていきます。

六原裏門通から、川端通を約50m北上しました。
川端通の東側に(この写真だけ、南に向いています)
「和のせ」という看板が見えます。
ちょっと寄り道して訪ねてみると、中から女将さんが現れました。
こちらは、海産物の西京漬けの専門店です。

実は、自分は鰆(さわら)の西京漬けが大好物です。
今回ブログ取材時は1月半ばですが、鰆は冬の魚です。
こちらは冷凍魚は使われないので、2月までの限定販売です。
そのため、慌てて買いました。
こちらは、このように一切れごとに真空パックされています。
ちなみに京都では白味噌のことを西京味噌と呼び、
その西京味噌に魚などを漬けこんだものを「西京漬け」と呼びます。
こちらの「和のせ」さんは、3年前から開店されていたそうです。
自分はこの前をよく通っていたのですが、
こちらの存在を全然知りませんでした。

で、鰆を焼いてみました。
味噌は焦げやすいので、しっかりふき取って
弱火のコンロで焼きました。
まぁちょっと焦げましたが、鰆の甘味と味噌の味が合わさって
独特の味わいですね。
今回はこんな風に小松菜のお浸しなどを添えて頂きましたが、
おにぎりの具材にするなど様々な食べ方があります。

西京漬け屋さんの「和のせ」の前から、川端通を北に向いています。
この先に、松原通との交差点が見えます。

川端通から、松原通を西に向いています。
鴨川に架かるこの松原橋は、16世紀末まで五条大橋でした。
(「橋弁慶」の舞台ですね)
こちらを進むと、第24回ブログのルートを進むことになります。

今度は、川端通から松原通を東に向きました。
今回も、ここを進んでいきたいと思います。

川端通から、松原通を東に約50m進みました。
ここで、松原通は宮川町筋と交差します。
この辺りが、宮川町のほぼ中心地です。

松原通から、宮川町筋を南に向いています。
この石畳の道沿いに、芸妓さんや舞妓さんの置屋や出会い茶屋・
仕出し屋さんなどが建ち並んでいます。
それ以外にも様々なお店が並んでいて、
和菓子屋さんや豆腐屋さんなどの名店もあります。
(第101回ブログを参照)

今度は、松原通から宮川町筋を北に向きました。
こちらも、出会い茶屋や置屋さんが並ぶのですが……
確かこちらは石畳の道だったような気がします。

宮川町筋から、松原通を東に向いています。
では、こちらを進んでいきます。

宮川町筋から、松原通を東に約30m進みました。
こちらは、第20回ブログ以来たびたび登場している
洋菓子店「Friand」(フリアン)です。
実は、2016年の母の誕生日ケーキはこちらで買いました。
こちらはご進物のフィナンシェなどが主力商品ですが、
誕生日ケーキのような生菓子も絶品でした。
よくよく調べてみたら、京都を代表する老舗洋菓子店のようです。

その洋菓子店から、東に約10m進みました。
ラーメン店「ポパイ」の脇に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
とは言えこの店、ここ数年開店していません。
もうやめてしまったのでしょうね。

そのラーメン店の前で、松原通を東に向いています。
ここから東の松原通沿いには、肉屋さんや川魚屋さんなど
高級食材を取り扱った小売店舗が建ち並びます。
その辺も、宮川町や祇園などの花街が近いせいでしょうね。

先程の場所から、松原通をさらに約50m進みました。
向こうに、川魚屋さんが見えますね。
川魚屋さんは淡水魚専門の魚屋さんで、京都にはたくさんあります。
地元民は夏になるとアユやウナギを求めに行きますが、
節分にイワシを焼いて売っていたりします。
(まぁ、イワシは海水魚ですが……)

その川魚屋さんの東隣には、お地蔵さんがいらっしゃいます。
延命地蔵尊の真言が書かれた紙が貼り付けてあるので、
こちらはその延命地蔵尊が祀られているのでしょうね。
数年前はこの背後も川魚屋さんだったように思うのですが、
今は更地になって駐車場です。
京都市街地にも、マンションと駐車場に変わりつつあります。

そのお地蔵さんの前で、南に向きました。
ここから大黒通が南に伸びています。
向こうに「山田家具」という看板が見えますが、
その向かい(西)が壽延寺という寺院です。
(第153回ブログを参照)

先程と同じ場所で、東を向いています。
松原通は、ここで大和大路と交差します。
この辺りは「建松商店街」で、この交差点を中心に
観光客目当てのお土産店や地元民が通う小売店が並びます。

松原通から、大和大路を南に向いています。
約350m南に進むと、五条通に出ます。
第224回ブログでは豊国神社から大和大路を北上し、
ここを通り過ぎて禅居庵に至りました。

今度は松原通から、大和大路を北に向きました。
「10日ゑびす」ではいつもこんな感じでしたが、
1月12日ともなれば露店などはなくなっています。

松原通から、大和大路を約50m北上しました。
八坂通とのT字路の南東角に、こちらの骨董屋さんがあります。
ここは閉まっていることの方が多いのですが、
「ゑびす大祭」の時期は開いています。

大和大路から、八坂通を東に向いています。
この先に禅居庵と建仁寺の勅使門があります。
詳しくは、第102回ブログを参照してください。

八坂通から、大和大路を北に向いています。
このT字路の北東角に、今回ブログのメイン禅居庵があります。

八坂通から、大和大路を約10m北上しました。
こちらから、臨済宗建仁寺派禅居庵に入ります。

禅居庵の入り口には、狛犬の代わりに狛猪がいます。
ただ口の形を見ても、「阿形」「吽形」ではありません。

こちらの「狛猪」は、どちらも口を閉じています。
こちらが猪なのは、こちらの仏さんが摩利支天だからです。
(猪は、摩利支天の眷属です)

禅居庵の境内に、入ってきました。
「ゑびす大祭」になるとここは割と賑やかになりますが、
「残り福」ともなるとだいぶ平常営業に戻ります。

禅居庵の境内をそのまま東進すると、手水舎に行き当たります。
ここで手を浄めて、先を進みます。
ちなみにこのまま東進すると禅居庵の本堂に行き当たりますが、
そちらは非公開です。
たださらに先を進むと、そのまま建仁寺の境内に入れます。
この禅居庵は、建仁寺の境内にある建仁寺の塔頭寺院です。

手水舎の北側に、禅居庵の摩利支天堂があります。
禅居庵は本堂は非公開ですが、
こちらの摩利支天堂は参拝可能です。
さらに摩利支天堂のご本尊の摩利支天像は
普段から拝観が可能ですが、
この時期限定でお堂の中に入り近くで参拝ができます。

禅居庵の摩利支天堂の西側に、
お地蔵さんやたくさんの祠が並んでおられます。
次は、こちらにお参りします。

これで、禅居庵摩利支天堂の周辺を一通り回りました。
では、ここを出て大和大路に戻ります。

禅居庵の前で、大和大路を北に向いています。
ここからでもゑびす神社が見えますが、
1月12日ともなると露店は一切立っていません。
ただ「残り福」の日であるだけに、
参拝者がそこそこいらっしゃいます。

こちらが、ゑびす神社です。
ただ、1月12日ともなれば神社も後片付け中です……
それだけに、「残り物には福がある」ということですね。
ここからゑびす神社に参拝しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでとします。
~次回は、ゑびす神社に参拝します~
~追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
~追追記~
更新がどんどん遅れています。
例年では自分の仕事が忙しいのは年末年始なのですが、
今年(2017年)はその残務整理が膨大で、(例年の約4倍!)
どうやら1月いっぱい多忙になりそうです。
そのため、そのしわ寄せがこちらのブログ更新に影響が出ています。
初詣の記事の段階で約1週間遅れていましたが、
現時点で2週間近い遅れです。
節分の前に高倉通の京都御苑より北を取材するつもりでしたが、
それは2月の下旬以降に掲載します。
その辺りが終わったら、桜の季節ですね。
~さらに追記~
2年ぶりの大雪です
今回ブログを取材した2017年1月12日の翌日
2017年1月13日から日本全国的に大寒波がやって来ています。
京都は少々積もった程度でしたが、
隣県の滋賀県は大雪でJRが停まったり遅延したりしています。
それが原因で、ウチの仕事はさらにゴタゴタしています。
……で、それでさらにブログ更新が遅れています。
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