第464回 「新」高倉通の寺院
2017年3月16日木曜日に光徳公園を覗いたのですが、
桜の開花状況が「イマイチ」だったので、
先に「高倉通編」を完遂します。
安土桃山時代に京都御苑を現在の位置に造営した際、
元々その位置に住んでいた人々を
現在の京阪電鉄「三条」駅より北東に強制移住させました。
ですから、現在の丸太町通以北の
高倉通沿いの住民が移住した辺りを「新」高倉通といいます。

予定よりも遅れていることもあり、
京都駅には寄らずに自宅から直接「東山七条」バス停に向かい、
そちらから203系市バスに乗って北上しました。
こちらは、「東山三条」バス停です。
もう京都は観光シーズンに入っているので、
バス待ちの乗客がいつもよりも多めです。
撮影日は、2017年3月19日日曜日午後1時。
今年一番の花粉でした……

「東山三条」バス停から、東大路を北に向いています。
向こう(北)側に見えている藪は、満足稲荷神社の鎮守の森です。
「三条通編」の途中、第71回ブログで出てきた神社ですね。

今度は同じ場所で、南を向きました。
約20m先に、「東山三条」交差点が見えます。
東大路と三条通との交差点ですね。
(第71回ブログ参照)
その西側に、地下鉄東西線「東山」駅があります。
手前の東西の道は、孫橋通です。
この辺りは、この通り以北が京都市左京区で、
以南が京都市東山区です。
今回ブログは、全編京都市左京区での取材です。

東大路から、孫橋通を西に向いています。
左(南)側の京都市東山区はマンションが建ち並んでいますが、
右(北)側の京都市左京区は古いブロック塀や土塀が続きます。
ここから狭い小路の間は、今回ブログは
クリックすれば写真が拡大されます。

東大路から孫橋通を約50m進み、南を向いています。
約20m先で、三条通と交差しています。
左(東)側に松並木が続いていますが、ここは本山要法寺の参道です。

同じ場所で、北を向きました。
こちらは、日蓮宗系の本門宗本山要法寺の表門です。
1724年に伏見城のものを移築しました。
では、こちらからこの寺院に入ります。

表門をくぐり、要法寺境内に入ってきました。
正面に鐘楼が見えますが、その奥に本堂と開山堂が見えます。

要法寺鐘楼の西側に、長方形の清涼池があります。
緑色に濁った水の中には、たくさんのコイが泳いでいます。
また番の鴨もいたのですが、撮影に失敗しました……
鐘楼の背後には、境内寺院の本行院が見えます。

清涼池に架かる橋の北側に、要法寺の本堂があります。
本門宗多宝富士山要法寺は、鎌倉時代後期の14世紀初めに
日蓮宗の僧侶日尊が建立しました。
元々は別の場所に建っていましたが、
室町時代に延暦寺僧兵による襲撃を受けたり、
戦乱や江戸時代の大火などを受けたりして、
所在地を転々としました。
そして、1925年に日蓮宗から独立して
日蓮本宗(本門宗)本山となりました。

要法寺本堂の西側に、開山堂があります。
「開山」堂なのですが、本堂より新しい1830年に建ちました。
手前に枝垂桜がありますが、開花までは時間がありそうです。

要法寺本堂から、南東を向いています。
では清涼池に架かる橋を渡り、表門へと向かいます。

要法寺表門の前から、孫橋通を西に向いています。
右(北)側の土塀は、要法寺のものです。
次は、ここを進んでいきます。

要法寺表門の前から、孫橋通を西に歩いています。
左(南)側の京都市東山区側に駐車場があって、
その約20m先に三条通が見えます。
老舗の製酢メーカーの「千鳥」が見えますね。
その脇の交差点を南下すると、大将軍神社がいらっしゃいます。
(第70回ブログで訪れた場所ですね)

要法寺表門の前から、孫橋通を西に約50m進みました。
ここで孫橋通は突き当たりますが、
北に折れ曲がってまたここから西に伸びています。
塀の向こうの建物は、金台寺の本堂です。

同じ場所で北を向きました。この道も孫橋通です。
左(西)側は金台寺、右(東)側は要法寺のものです。
約30m先で突き当たっているように見えますが、
自動車が見えているようにまだ西に伸びる道があります。

孫橋通を約30m北上して、西を向きました。
孫橋通はここから西に筋違いを繰り返し、
約400m先の川端通(琵琶湖疎水)で突き当たります。
手前の錆びたブリキ製の表札には、こう書いてあります。
「京都市左京区新高倉通孫橋上ル和国町」
ですから、ここから南北に伸びる道が「新」高倉通です。
また孫橋通を西に約60m進むと新堺町通に出て、
そこから西に新柳馬場通・新富小路・新麩屋町通・
新丸太町通と続いていきます。

さらに同じ場所で、東を向きました。
こちらは、要法寺の西門です。こちらも、伏見城からの移築です。
こう見ると、要法寺は相当大きな境内であることが分かります。

孫橋通から、新高倉通を北に向いています。
よく見ると、ずっと向こうに突き当りが見えます。
この通りは、約200mの長さのとても短い道です。

新高倉通から、要法寺を見ています。
駐車場の向こうに、開山堂と本堂が見えますね。

孫橋通から、新高倉通を約100m北上しました。
この辺りの新高倉通は、古い京町家と小さな寺院が並びます。

孫橋通から、新高倉通を約150m北上しました。
こちらは浄土宗の生蓮寺です。詳しい沿革は不明です。

こちらは相当小さな寺院ですが、本堂前に石庭があります。
立派な松木の下にある砂の波が、とてもきれいです。

生蓮寺の向かい(西)側に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらにお参りして、先に進みます。

生蓮寺の前から、新高倉通を北に向いています。
突き当りにある仁王門通が、だいぶ近くなりましたね。

生蓮寺の北隣に、浄土宗正行寺があります。
この辺りは、小さな寺院がたくさんあります。

正行寺の本堂前にも、石庭があります。
本堂には入れませんが、
この辺りの寺院は庭だけでも十分楽しめます。

正行寺の前で、新高倉通を北に向いています。
新高倉通は、仁王門通で突き当たります。

新高倉通から、仁王門通を西に向いています。
この先に何ヵ所か辻がありますが、
この道から北側で南北に伸びる道の名称が変わります。
(新堺町通→新間之町通・新柳馬場通→新東洞院通という感じです)

今度は新高倉通から、仁王門通を東を向いています。
この辺りの仁王門通はこのくらいの道幅ですが、
150m東に進むと、(東大路以東)4車線の道になります。

仁王門通沿いにも、お地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらにも、お参りします。

新高倉通から、仁王門通を西に約30m進みました。
ここから左(北)に、西寺町通が伸びています。
ここだけ「『新』寺町通」ではないのですね。

その西寺町通から、仁王門通を西に約30m進みました。
こちらも日蓮宗系の顕本法華宗本山の寂光寺です。
今度は、こちらにお邪魔します。

寂光寺境内に入って、すぐにこちらが立っていました。
碑銘から、本因坊算砂(初代本因坊)のお墓と分かります。
この寺院の僧侶だった日海は織田信長などに囲碁を教えた人物で、
ここの塔頭本因坊に住んだため「本因坊算砂」と名乗りました。
これ以降、「本因坊」の称号は襲名継承されるようになり、
後にプロの囲碁棋士のタイトルの一つになりました。

こちらが、顕本法華宗本山寂光寺の本堂です。
こちらは、室町時代末期の1778年に日淵によって建立されました。
初めは室町近衛(今出川通の南)に建っていたのですが、
豊臣秀吉によって二条寺町に移転させられました。
そして、江戸時代の宝永の大火で焼失後ここに移転しました。
京都の日蓮宗系の寺院の多くに見られるように、
こちらも桜がきれいなようですね。

寺務所の脇に、こちらの庭があります。
この日(2017年3月20日)は、紅白の梅がきれいでした。

寂光寺の向かい(北)側に、浄土宗の大光寺があります。
こちらには、境内にも入れませんでした。

大光寺の脇に、こちらの看板がありました。
北は二条通、南は三条通、東は東大路、西は川端通の長方形に、
小規模の寺院が何軒も並んでいますね。

大光寺の前から、仁王門通を西に約50m進みました。
ここで仁王門通は、東大路と交差します。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。

東大路から、仁王門通を西に向いています。
急に仁王門通の道幅が、4車線になります。
ここから西に進むと、仁王門通は岡崎公園の最南端の道になります。
さらに西に進むと、約1㎞先の「蹴上」交差点で
この仁王門通は三条通に吸収されます。
(第72回ブログ参照)

仁王門通から、東大路を南に向いています。
ここを約200m進めば、今回ブログ最初の位置に戻ります。
さらに南に進み今度は東側車線の「東山三条」バス停から、
206系市バスに乗って帰宅しました。
今回は、ここまでです。
~追記~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
本門宗本山要法寺が、起点です。
桜の開花状況が「イマイチ」だったので、
先に「高倉通編」を完遂します。
安土桃山時代に京都御苑を現在の位置に造営した際、
元々その位置に住んでいた人々を
現在の京阪電鉄「三条」駅より北東に強制移住させました。
ですから、現在の丸太町通以北の
高倉通沿いの住民が移住した辺りを「新」高倉通といいます。

予定よりも遅れていることもあり、
京都駅には寄らずに自宅から直接「東山七条」バス停に向かい、
そちらから203系市バスに乗って北上しました。
こちらは、「東山三条」バス停です。
もう京都は観光シーズンに入っているので、
バス待ちの乗客がいつもよりも多めです。
撮影日は、2017年3月19日日曜日午後1時。
今年一番の花粉でした……

「東山三条」バス停から、東大路を北に向いています。
向こう(北)側に見えている藪は、満足稲荷神社の鎮守の森です。
「三条通編」の途中、第71回ブログで出てきた神社ですね。

今度は同じ場所で、南を向きました。
約20m先に、「東山三条」交差点が見えます。
東大路と三条通との交差点ですね。
(第71回ブログ参照)
その西側に、地下鉄東西線「東山」駅があります。
手前の東西の道は、孫橋通です。
この辺りは、この通り以北が京都市左京区で、
以南が京都市東山区です。
今回ブログは、全編京都市左京区での取材です。

東大路から、孫橋通を西に向いています。
左(南)側の京都市東山区はマンションが建ち並んでいますが、
右(北)側の京都市左京区は古いブロック塀や土塀が続きます。
ここから狭い小路の間は、今回ブログは
クリックすれば写真が拡大されます。

東大路から孫橋通を約50m進み、南を向いています。
約20m先で、三条通と交差しています。
左(東)側に松並木が続いていますが、ここは本山要法寺の参道です。

同じ場所で、北を向きました。
こちらは、日蓮宗系の本門宗本山要法寺の表門です。
1724年に伏見城のものを移築しました。
では、こちらからこの寺院に入ります。

表門をくぐり、要法寺境内に入ってきました。
正面に鐘楼が見えますが、その奥に本堂と開山堂が見えます。

要法寺鐘楼の西側に、長方形の清涼池があります。
緑色に濁った水の中には、たくさんのコイが泳いでいます。
また番の鴨もいたのですが、撮影に失敗しました……
鐘楼の背後には、境内寺院の本行院が見えます。

清涼池に架かる橋の北側に、要法寺の本堂があります。
本門宗多宝富士山要法寺は、鎌倉時代後期の14世紀初めに
日蓮宗の僧侶日尊が建立しました。
元々は別の場所に建っていましたが、
室町時代に延暦寺僧兵による襲撃を受けたり、
戦乱や江戸時代の大火などを受けたりして、
所在地を転々としました。
そして、1925年に日蓮宗から独立して
日蓮本宗(本門宗)本山となりました。

要法寺本堂の西側に、開山堂があります。
「開山」堂なのですが、本堂より新しい1830年に建ちました。
手前に枝垂桜がありますが、開花までは時間がありそうです。

要法寺本堂から、南東を向いています。
では清涼池に架かる橋を渡り、表門へと向かいます。

要法寺表門の前から、孫橋通を西に向いています。
右(北)側の土塀は、要法寺のものです。
次は、ここを進んでいきます。

要法寺表門の前から、孫橋通を西に歩いています。
左(南)側の京都市東山区側に駐車場があって、
その約20m先に三条通が見えます。
老舗の製酢メーカーの「千鳥」が見えますね。
その脇の交差点を南下すると、大将軍神社がいらっしゃいます。
(第70回ブログで訪れた場所ですね)

要法寺表門の前から、孫橋通を西に約50m進みました。
ここで孫橋通は突き当たりますが、
北に折れ曲がってまたここから西に伸びています。
塀の向こうの建物は、金台寺の本堂です。

同じ場所で北を向きました。この道も孫橋通です。
左(西)側は金台寺、右(東)側は要法寺のものです。
約30m先で突き当たっているように見えますが、
自動車が見えているようにまだ西に伸びる道があります。

孫橋通を約30m北上して、西を向きました。
孫橋通はここから西に筋違いを繰り返し、
約400m先の川端通(琵琶湖疎水)で突き当たります。
手前の錆びたブリキ製の表札には、こう書いてあります。
「京都市左京区新高倉通孫橋上ル和国町」
ですから、ここから南北に伸びる道が「新」高倉通です。
また孫橋通を西に約60m進むと新堺町通に出て、
そこから西に新柳馬場通・新富小路・新麩屋町通・
新丸太町通と続いていきます。

さらに同じ場所で、東を向きました。
こちらは、要法寺の西門です。こちらも、伏見城からの移築です。
こう見ると、要法寺は相当大きな境内であることが分かります。

孫橋通から、新高倉通を北に向いています。
よく見ると、ずっと向こうに突き当りが見えます。
この通りは、約200mの長さのとても短い道です。

新高倉通から、要法寺を見ています。
駐車場の向こうに、開山堂と本堂が見えますね。

孫橋通から、新高倉通を約100m北上しました。
この辺りの新高倉通は、古い京町家と小さな寺院が並びます。

孫橋通から、新高倉通を約150m北上しました。
こちらは浄土宗の生蓮寺です。詳しい沿革は不明です。

こちらは相当小さな寺院ですが、本堂前に石庭があります。
立派な松木の下にある砂の波が、とてもきれいです。

生蓮寺の向かい(西)側に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらにお参りして、先に進みます。

生蓮寺の前から、新高倉通を北に向いています。
突き当りにある仁王門通が、だいぶ近くなりましたね。

生蓮寺の北隣に、浄土宗正行寺があります。
この辺りは、小さな寺院がたくさんあります。

正行寺の本堂前にも、石庭があります。
本堂には入れませんが、
この辺りの寺院は庭だけでも十分楽しめます。

正行寺の前で、新高倉通を北に向いています。
新高倉通は、仁王門通で突き当たります。

新高倉通から、仁王門通を西に向いています。
この先に何ヵ所か辻がありますが、
この道から北側で南北に伸びる道の名称が変わります。
(新堺町通→新間之町通・新柳馬場通→新東洞院通という感じです)

今度は新高倉通から、仁王門通を東を向いています。
この辺りの仁王門通はこのくらいの道幅ですが、
150m東に進むと、(東大路以東)4車線の道になります。

仁王門通沿いにも、お地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらにも、お参りします。

新高倉通から、仁王門通を西に約30m進みました。
ここから左(北)に、西寺町通が伸びています。
ここだけ「『新』寺町通」ではないのですね。

その西寺町通から、仁王門通を西に約30m進みました。
こちらも日蓮宗系の顕本法華宗本山の寂光寺です。
今度は、こちらにお邪魔します。

寂光寺境内に入って、すぐにこちらが立っていました。
碑銘から、本因坊算砂(初代本因坊)のお墓と分かります。
この寺院の僧侶だった日海は織田信長などに囲碁を教えた人物で、
ここの塔頭本因坊に住んだため「本因坊算砂」と名乗りました。
これ以降、「本因坊」の称号は襲名継承されるようになり、
後にプロの囲碁棋士のタイトルの一つになりました。

こちらが、顕本法華宗本山寂光寺の本堂です。
こちらは、室町時代末期の1778年に日淵によって建立されました。
初めは室町近衛(今出川通の南)に建っていたのですが、
豊臣秀吉によって二条寺町に移転させられました。
そして、江戸時代の宝永の大火で焼失後ここに移転しました。
京都の日蓮宗系の寺院の多くに見られるように、
こちらも桜がきれいなようですね。

寺務所の脇に、こちらの庭があります。
この日(2017年3月20日)は、紅白の梅がきれいでした。

寂光寺の向かい(北)側に、浄土宗の大光寺があります。
こちらには、境内にも入れませんでした。

大光寺の脇に、こちらの看板がありました。
北は二条通、南は三条通、東は東大路、西は川端通の長方形に、
小規模の寺院が何軒も並んでいますね。

大光寺の前から、仁王門通を西に約50m進みました。
ここで仁王門通は、東大路と交差します。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。

東大路から、仁王門通を西に向いています。
急に仁王門通の道幅が、4車線になります。
ここから西に進むと、仁王門通は岡崎公園の最南端の道になります。
さらに西に進むと、約1㎞先の「蹴上」交差点で
この仁王門通は三条通に吸収されます。
(第72回ブログ参照)

仁王門通から、東大路を南に向いています。
ここを約200m進めば、今回ブログ最初の位置に戻ります。
さらに南に進み今度は東側車線の「東山三条」バス停から、
206系市バスに乗って帰宅しました。
今回は、ここまでです。
~追記~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
本門宗本山要法寺が、起点です。
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