第476回 三時知恩寺庭園~上立売通東から西~その8
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上立売通から、新町通を南に見ています。
右(西)側に見えるのは、同志社大学新町キャンパスですね。
今回は約50m先にある三時知恩寺にお邪魔した後、
上立売通をさらに西に移動します。
撮影日は、2017年5月1日月曜日午後3時。
時折曇りますが、基本的には快晴です。

上立売通から、新町通を南に進んでいます。
程なく左(東)側に、三時知恩寺の白壁が見えてきます。
この写真以降、三時知恩寺のものはクリックすると拡大されます。

上立売通から新町通を南に約50m進み、左(東)を向きました。
こちらが、浄土宗三時知恩寺門跡です。
「門跡」とあるように、こちらは皇女が入内する寺院でした。
ですから、こちらは今でも尼寺です。
こちらは北朝の第4代後光厳天皇の息女見子内親王が、
北朝第3代崇光天皇の入江殿を寺院にしたものです。
(14世紀末の南北朝時代末期のことです)
ですから、「入江御所」がこちらの別称です。
入江御所は、今の京都市北区一条西洞院にありました。
それが、正親町天皇(織田信長と同世代)の治世に
この位置に移転しました。
という訳で境内に入ろうとしたのですが、
こちらの門は閉ざされていて中に入れませんでいた……

ところが、山門の南側から入れるようです。
こちらの看板のように書いてあるということは、
高齢の地域住民はいつでもこちらにお邪魔しているのでしょうか?

先程の門から、三時知恩寺境内に入ってきました。
一見すると植物が伸び放題なのですが、
よく見るときちんと配置が考えられて植えてあります。

こちらは、先ほどの写真にも写っていた地蔵堂です。
こちらの地蔵尊の縁起は、前回ブログに出てきます。
それによると、ここから約30m北の地中から出てきた訳ですが
堂内を覗くとこちらの地蔵像は石仏ではなく木彫りの塑像です。
この近所の方から話を聞いた時点では
「えびす」(石や流木など自然物を仏像に見立てたもの)と
思っていたので、わりと驚きました。
(ウチの町内のお地蔵さんも含めて、
京都のお地蔵さんは「えびす」が多いのです)

地蔵堂の脇に、小さな引き戸があります。
ここから本堂や庫裏に入れるのでしょうが、
さすがにここから先は非公開のようです。
ですから、今回ブログでは庭園の周囲を散策します。

引き戸の前で、三時知恩寺境内を北西に向いています。
この辺りはいろいろな植物が植えてありますが、
山門付近は石庭のようです。

こちらが、その三時知恩寺の石庭です。
流紋がきれいな見事な庭ですね。
こちらは庫裏と山門の間にあるのですが、
出入りする時はこの流紋を踏み荒らして進むのでしょうか?

一方、石庭の南側にはこちらの苔生す庭園が広がります。
この小さいながらも見事な枝振りのカエデが、秋も深まると
ここをさらなる絶景に変えるのでしょうね。

先程の地蔵堂の前から、三時知恩寺境内を西に向いています。
では、こちらから新町通へ出ます。

三時知恩寺の前で、新町通を南に向いています。
この辺りの写真も、クリックすれば拡大されます。
この少し先で新町通は右(西)に折れて、
同志社大学新町キャンパス前でまた真南に伸びています。
……と言いますか、この部分の新町通は
同志社大学新町キャンパスを迂回するように伸びています。

同じ場所で、新町通を北に向きました。
左(西)側が同志社大学新町キャンパスで、
右(東)側は三時知恩寺の白壁です。
では、ここの北上して上立売通に戻ります。

新町通を三時知恩寺の白壁に沿って北上しています。
先程の出入り口から約20m北に、また入り口があります。
おそらくここから入れば、
三時知恩寺の鎮守社國岡稲荷社に行けます。
(前回ブログの玉姫稲荷社とよく混同されます)
その北隣に、こちらの総菜屋さんがあります。

店頭のだし巻き卵につられて、お店を覗きました。
店員さん(おそらく同志社大学の学生さん)にお話しして、
このブログに掲載する許可を得て、ここから先を書いています。
こういうお店は「大当たり」か「大外れ」かの二択なのですが、
結果として「大当たり」でした。
こちらのだし巻き卵は砂糖多めで、ほかの店より甘めです。
時節柄、(稲荷祭の関係上)ここのところ
ウチの夕飯は赤飯やバラ寿司(ちらしずし)を食べていますが、
そういうご飯にはこのくらい甘い方が合います。
第305回ブログに出てきた鳥三や
第348回ブログに出てきた西尾など
京都にはだし巻き卵がおいしいお店がたくさんあります。

そのお店の向かい(西)側は同志社大学新町キャンパスですが、
ずっとツツジの生垣が続いています。
この辺りが特にきれいですね。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。

三時知恩寺の前から新町通を北に約50m進みました、
ここで今回ブログ初めの「上立売新町」交差点に戻りました。

新町通から、上立売通を西に向いています。
約50m先から、北にまた新町通が伸びています。
この辺りは、同じ名前の通りが並行しています。

上立売通から、西側の新町通を北に向いています。
ここからは便宜上こちらの新町通の方が古いので、
「旧新町通」と呼びます。

上立売通から、「旧新町通」を北上しています。
この辺りも、京町家がたくさん建ち並んでいますね。
この写真も、クリックすると拡大されます。

先程の写真で写っていた京町家の北隣に、こちらの寺院があります。
こちらは、浄土宗光照寺門跡です。(こちらも、門跡寺院ですね)
では、こちらに入っていきます。
この寺院の境内の写真も、クリックすると拡大されます。

……とその前に、こちらはその光照寺門跡の北隣です。
石製鳥居があるのですが、その先が閉ざされています。

光照寺門跡の境内に入って、その鳥居の先を撮っています。
おそらくこちらが、ここの鎮守の社だったのでしょうね。

おそらくこちらが、光照寺門跡の本堂です。
こちらは室町時代初期の1356年に、
後伏見天皇の皇女進子内親王が建立しました。
もともとは一条室町にありましたが、
応仁の乱で焼失後ここに移ってきました。

光照寺門跡の境内は相当広いのですが、その大半は駐車場です。
また地図で調べるとここの北側に塔頭寺院が並んでいるのですが、
扉が閉ざされていて、そちらには行けませんでした。

光照寺門跡の境内で、東を向いています。
では、ここから「旧新町通」に戻ります。

光照寺門跡の前で、「旧新町通」を南に向いています。
では、ここから約70m先の上立売通に戻ります。

先程の地点から「旧新町通」を約70m南下し、西を向きました。
「旧新町通」は、同志社大学新町キャンパスで突き当たります。
生垣のツツジが、少し散っていますね。
では、ここを進んでいきます。
クリックすると写真が拡大するのは、ここまでです。

「旧新町通」から、上立売通を西に歩いています。
この辺りの上立売通は、また2車線の広さですね。

「旧新町通」から上立売通を約70m西に進むと、
同志社大学新町キャンパスが終わります。
赤いポストの先に、児童公園が見えます。
この写真も、クリックすると拡大されます。

先程の写真に写っていたポストの西側から、こちらに入れます。
平日とは言え、よく晴れたGWの昼下がりです。
実は、相当数の家族連れがいらっしゃいました。
これらは、その家族連れをフレームから外れるように撮っています。

この児童公園は端に遊具が並んでいるものの、
中央部には何も置かれておらず、球技などで遊べます。
家族連れは、バドミントンやキャッチボールを楽しんでいました。
また公園内には桜の木々が点在していますが、
いくら今年(2017年)が遅咲きでも、もう完全に葉桜ですね。

児童公園北側の上立売通に出て、西を向いています。
左(南)側に先ほどの児童公園が見えます。
上立売通は、右(北)側の京都トヨタ中央店を通り過ぎると
急に道幅が1車線くらい狭くなります。

この児童公園は、約50㎡の広さです。(1辺が約50mの正方形)
児童公園の北西端に、表札が出ています。
「小川児童公園」と書いてありますが、
この児童公園の西側に、小川通が通っています。
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。

その「小川児童公園」の表札の前で、上立売通を西に向いています。
右(北)側に道が伸びていますが、
こちらは小川通ではなく100mほどの名前のない道です。
本当はここから堀川通まで取材するつもりだったのですが、
この時点で午後3時50分です。
このあとちょっと用事があるので、これ以上取材が続けられません。
そのため、今回はここまでにします。
~次回は、浄土宗鳴虎報恩寺に訪問します~

上立売通から、新町通を南に見ています。
右(西)側に見えるのは、同志社大学新町キャンパスですね。
今回は約50m先にある三時知恩寺にお邪魔した後、
上立売通をさらに西に移動します。
撮影日は、2017年5月1日月曜日午後3時。
時折曇りますが、基本的には快晴です。

上立売通から、新町通を南に進んでいます。
程なく左(東)側に、三時知恩寺の白壁が見えてきます。
この写真以降、三時知恩寺のものはクリックすると拡大されます。

上立売通から新町通を南に約50m進み、左(東)を向きました。
こちらが、浄土宗三時知恩寺門跡です。
「門跡」とあるように、こちらは皇女が入内する寺院でした。
ですから、こちらは今でも尼寺です。
こちらは北朝の第4代後光厳天皇の息女見子内親王が、
北朝第3代崇光天皇の入江殿を寺院にしたものです。
(14世紀末の南北朝時代末期のことです)
ですから、「入江御所」がこちらの別称です。
入江御所は、今の京都市北区一条西洞院にありました。
それが、正親町天皇(織田信長と同世代)の治世に
この位置に移転しました。
という訳で境内に入ろうとしたのですが、
こちらの門は閉ざされていて中に入れませんでいた……

ところが、山門の南側から入れるようです。
こちらの看板のように書いてあるということは、
高齢の地域住民はいつでもこちらにお邪魔しているのでしょうか?

先程の門から、三時知恩寺境内に入ってきました。
一見すると植物が伸び放題なのですが、
よく見るときちんと配置が考えられて植えてあります。

こちらは、先ほどの写真にも写っていた地蔵堂です。
こちらの地蔵尊の縁起は、前回ブログに出てきます。
それによると、ここから約30m北の地中から出てきた訳ですが
堂内を覗くとこちらの地蔵像は石仏ではなく木彫りの塑像です。
この近所の方から話を聞いた時点では
「えびす」(石や流木など自然物を仏像に見立てたもの)と
思っていたので、わりと驚きました。
(ウチの町内のお地蔵さんも含めて、
京都のお地蔵さんは「えびす」が多いのです)

地蔵堂の脇に、小さな引き戸があります。
ここから本堂や庫裏に入れるのでしょうが、
さすがにここから先は非公開のようです。
ですから、今回ブログでは庭園の周囲を散策します。

引き戸の前で、三時知恩寺境内を北西に向いています。
この辺りはいろいろな植物が植えてありますが、
山門付近は石庭のようです。

こちらが、その三時知恩寺の石庭です。
流紋がきれいな見事な庭ですね。
こちらは庫裏と山門の間にあるのですが、
出入りする時はこの流紋を踏み荒らして進むのでしょうか?

一方、石庭の南側にはこちらの苔生す庭園が広がります。
この小さいながらも見事な枝振りのカエデが、秋も深まると
ここをさらなる絶景に変えるのでしょうね。

先程の地蔵堂の前から、三時知恩寺境内を西に向いています。
では、こちらから新町通へ出ます。

三時知恩寺の前で、新町通を南に向いています。
この辺りの写真も、クリックすれば拡大されます。
この少し先で新町通は右(西)に折れて、
同志社大学新町キャンパス前でまた真南に伸びています。
……と言いますか、この部分の新町通は
同志社大学新町キャンパスを迂回するように伸びています。

同じ場所で、新町通を北に向きました。
左(西)側が同志社大学新町キャンパスで、
右(東)側は三時知恩寺の白壁です。
では、ここの北上して上立売通に戻ります。

新町通を三時知恩寺の白壁に沿って北上しています。
先程の出入り口から約20m北に、また入り口があります。
おそらくここから入れば、
三時知恩寺の鎮守社國岡稲荷社に行けます。
(前回ブログの玉姫稲荷社とよく混同されます)
その北隣に、こちらの総菜屋さんがあります。

店頭のだし巻き卵につられて、お店を覗きました。
店員さん(おそらく同志社大学の学生さん)にお話しして、
このブログに掲載する許可を得て、ここから先を書いています。
こういうお店は「大当たり」か「大外れ」かの二択なのですが、
結果として「大当たり」でした。
こちらのだし巻き卵は砂糖多めで、ほかの店より甘めです。
時節柄、(稲荷祭の関係上)ここのところ
ウチの夕飯は赤飯やバラ寿司(ちらしずし)を食べていますが、
そういうご飯にはこのくらい甘い方が合います。
第305回ブログに出てきた鳥三や
第348回ブログに出てきた西尾など
京都にはだし巻き卵がおいしいお店がたくさんあります。

そのお店の向かい(西)側は同志社大学新町キャンパスですが、
ずっとツツジの生垣が続いています。
この辺りが特にきれいですね。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。

三時知恩寺の前から新町通を北に約50m進みました、
ここで今回ブログ初めの「上立売新町」交差点に戻りました。

新町通から、上立売通を西に向いています。
約50m先から、北にまた新町通が伸びています。
この辺りは、同じ名前の通りが並行しています。

上立売通から、西側の新町通を北に向いています。
ここからは便宜上こちらの新町通の方が古いので、
「旧新町通」と呼びます。

上立売通から、「旧新町通」を北上しています。
この辺りも、京町家がたくさん建ち並んでいますね。
この写真も、クリックすると拡大されます。

先程の写真で写っていた京町家の北隣に、こちらの寺院があります。
こちらは、浄土宗光照寺門跡です。(こちらも、門跡寺院ですね)
では、こちらに入っていきます。
この寺院の境内の写真も、クリックすると拡大されます。

……とその前に、こちらはその光照寺門跡の北隣です。
石製鳥居があるのですが、その先が閉ざされています。

光照寺門跡の境内に入って、その鳥居の先を撮っています。
おそらくこちらが、ここの鎮守の社だったのでしょうね。

おそらくこちらが、光照寺門跡の本堂です。
こちらは室町時代初期の1356年に、
後伏見天皇の皇女進子内親王が建立しました。
もともとは一条室町にありましたが、
応仁の乱で焼失後ここに移ってきました。

光照寺門跡の境内は相当広いのですが、その大半は駐車場です。
また地図で調べるとここの北側に塔頭寺院が並んでいるのですが、
扉が閉ざされていて、そちらには行けませんでした。

光照寺門跡の境内で、東を向いています。
では、ここから「旧新町通」に戻ります。

光照寺門跡の前で、「旧新町通」を南に向いています。
では、ここから約70m先の上立売通に戻ります。

先程の地点から「旧新町通」を約70m南下し、西を向きました。
「旧新町通」は、同志社大学新町キャンパスで突き当たります。
生垣のツツジが、少し散っていますね。
では、ここを進んでいきます。
クリックすると写真が拡大するのは、ここまでです。

「旧新町通」から、上立売通を西に歩いています。
この辺りの上立売通は、また2車線の広さですね。

「旧新町通」から上立売通を約70m西に進むと、
同志社大学新町キャンパスが終わります。
赤いポストの先に、児童公園が見えます。
この写真も、クリックすると拡大されます。

先程の写真に写っていたポストの西側から、こちらに入れます。
平日とは言え、よく晴れたGWの昼下がりです。
実は、相当数の家族連れがいらっしゃいました。
これらは、その家族連れをフレームから外れるように撮っています。

この児童公園は端に遊具が並んでいるものの、
中央部には何も置かれておらず、球技などで遊べます。
家族連れは、バドミントンやキャッチボールを楽しんでいました。
また公園内には桜の木々が点在していますが、
いくら今年(2017年)が遅咲きでも、もう完全に葉桜ですね。

児童公園北側の上立売通に出て、西を向いています。
左(南)側に先ほどの児童公園が見えます。
上立売通は、右(北)側の京都トヨタ中央店を通り過ぎると
急に道幅が1車線くらい狭くなります。

この児童公園は、約50㎡の広さです。(1辺が約50mの正方形)
児童公園の北西端に、表札が出ています。
「小川児童公園」と書いてありますが、
この児童公園の西側に、小川通が通っています。
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。

その「小川児童公園」の表札の前で、上立売通を西に向いています。
右(北)側に道が伸びていますが、
こちらは小川通ではなく100mほどの名前のない道です。
本当はここから堀川通まで取材するつもりだったのですが、
この時点で午後3時50分です。
このあとちょっと用事があるので、これ以上取材が続けられません。
そのため、今回はここまでにします。
~次回は、浄土宗鳴虎報恩寺に訪問します~
~追記~
京都桜100景を追加します
ここを書きながら、また京都桜100景の記事を追加しました。
今まではとりあえず取材したところは原則すべて載せていましたが、
掲載記事が半数の50を越えたところで
そろそろ吟味に入ろうと思います。
つまり取材をしたものの、それほど写り栄えがしないところは
掲載から外そうと思います。
(よほどのことがない限り、今ある記事は外しませんが……)
という訳で、今年(2017年)撮影分の約半数は不採用にします。
ですから、2017年採用分は今回を除いてあと5件ないと思います。
大極殿遺趾道【千本通】
京都地方裁判所【京都御苑周辺】
~追追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
浄土宗三時知恩寺門跡が、起点です。
~2017年5月7日追記~
海北友松展はそこそこ空いていました
今年(2017年)のGWは、日曜日も含めると今日までです。
(先週の土曜日から合わせて9連休ですね)
自分は昨日(2017年5月6日)の土曜日は出勤しましたが、
それ以外の8日間は休日を頂きました。
まぁ約1カ月前は過労と花粉症で死にそうな状況だったので、
ゆっくりさせて頂き体力もだいぶ通常時に戻りました。
そこで、ブログ取材以外にもウチの近所にある
京都国立博物館に母と一緒にお邪魔しました。
(実は、この時期毎年こちらに訪れています)
2017年は海北友松というかなりメジャーな画家の展覧会だったので、
最低でも1時間は並ぶと思っていたのですが、
一切待たずにそのまま館内に入れました。
さすがにガラガラではなく、館内は立錐の余地がなかったですが、
それでも過去の長谷川等伯展や雪舟展と比べたら
待ち時間も観覧の制限もなく、結構快適に見ることができました。
ですから単に入場者数が少なめなのかとも思っていたのですが、
改装された建物のキャパシティー自体が大きいことが
その要因のようです。
館内の庭園も桜はもう散りましたが、
ツツジがちょうど見頃になりました。
2017年5月21日まで海北友松展が続くので、
そういうところの散策がてら、
こちらにお邪魔するのもいいかもしれませんね。
~さらに追記~
海北友松の代表作建仁寺の雲竜図は、
なるべく離れた所から見たほうがその豪快さが分かると思います。
博物館の展示室ではガラス板の間近よりも
部屋の中央で3点を動かずに見るのがベストポジションです。
本当は展示室を総畳張りにして(二足制にして)、
座って観覧できるようにしたら最高なのですが……
京都桜100景を追加します
ここを書きながら、また京都桜100景の記事を追加しました。
今まではとりあえず取材したところは原則すべて載せていましたが、
掲載記事が半数の50を越えたところで
そろそろ吟味に入ろうと思います。
つまり取材をしたものの、それほど写り栄えがしないところは
掲載から外そうと思います。
(よほどのことがない限り、今ある記事は外しませんが……)
という訳で、今年(2017年)撮影分の約半数は不採用にします。
ですから、2017年採用分は今回を除いてあと5件ないと思います。
大極殿遺趾道【千本通】
京都地方裁判所【京都御苑周辺】
~追追記~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
浄土宗三時知恩寺門跡が、起点です。
~2017年5月7日追記~
海北友松展はそこそこ空いていました
今年(2017年)のGWは、日曜日も含めると今日までです。
(先週の土曜日から合わせて9連休ですね)
自分は昨日(2017年5月6日)の土曜日は出勤しましたが、
それ以外の8日間は休日を頂きました。
まぁ約1カ月前は過労と花粉症で死にそうな状況だったので、
ゆっくりさせて頂き体力もだいぶ通常時に戻りました。
そこで、ブログ取材以外にもウチの近所にある
京都国立博物館に母と一緒にお邪魔しました。
(実は、この時期毎年こちらに訪れています)
2017年は海北友松というかなりメジャーな画家の展覧会だったので、
最低でも1時間は並ぶと思っていたのですが、
一切待たずにそのまま館内に入れました。
さすがにガラガラではなく、館内は立錐の余地がなかったですが、
それでも過去の長谷川等伯展や雪舟展と比べたら
待ち時間も観覧の制限もなく、結構快適に見ることができました。
ですから単に入場者数が少なめなのかとも思っていたのですが、
改装された建物のキャパシティー自体が大きいことが
その要因のようです。
館内の庭園も桜はもう散りましたが、
ツツジがちょうど見頃になりました。
2017年5月21日まで海北友松展が続くので、
そういうところの散策がてら、
こちらにお邪魔するのもいいかもしれませんね。
~さらに追記~
海北友松の代表作建仁寺の雲竜図は、
なるべく離れた所から見たほうがその豪快さが分かると思います。
博物館の展示室ではガラス板の間近よりも
部屋の中央で3点を動かずに見るのがベストポジションです。
本当は展示室を総畳張りにして(二足制にして)、
座って観覧できるようにしたら最高なのですが……
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