第482回 本隆寺は修復中~上立売通東から西~その12
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上立売通から、大宮通を北に向いています。
この辺りの大宮通は江戸時代に西陣織の問屋や小売店が多く、
現在でも様々な小売店舗が並ぶ賑やかな場所です。
前回ブログで出てきた西陣公園の葉桜が、ここからでも見えますね。
今回は、大宮通より1本西の智恵光院通沿いの本隆寺に訪れます。
撮影日は、2017年5月18日木曜日午後3時。
今回掲載の写真は、クリックすると全て拡大されます。

上立売通は大宮通でいったん途切れるように見えますが、
その地点から約10m北からまた西に伸びています。
では、こちらを進んでいきます。

この辺の上立売通は自動車がやっと1台通れるかどうかの道幅で、
その周囲に味のある京町家が建ち並びます。
「上京区 上立売通大宮西入 硯屋町」
ブリキ製の表札には、この辺りの住所が書いてあります。

この辺りも少しずつ新しい家屋も増えましたが、
こちらのような京町家もまだまだたくさん残っています。

その向かい(南)側には、こちらの黒檀の京町家が建っています。
格子(1Fの窓)に、時代祭のポスターが貼ってありました。

先程の場所から、西に約10m進みました。
こちらのお地蔵さんにも、お参りしました。
こちらの撮影中に、脇に小学生の女の子が近づいていました。
撮影を中断して通り過ぎるのを待とうとしたら、
目と目が合った途端走って逃げられてしまいました……
多分不審者と思われたのでしょうね。

そのお地蔵さんの前で、上立売通を西に向いています。
まだ京町家が続いていますが、上立売通は
大宮通から約100m西に進むと智恵光院通と交差します。

上立売通から、智恵光院通を北に向いています。
智恵光院通は、約150m先の寺之内通で突き当たります。
ただ、約50m西にさらに北に伸びる智恵光院通があります。

今度は同じ場所で、南を向きました。
約20m先から、さらに上立売通が西に伸びています。

先程の位置から、智恵光院通を南に約20m進みました。
この右(西)に上立売通が伸びていますが、
今回はここから智恵光院通を南下します。

先程写っていたカメラ屋さんの看板から、約50m南下しました。
こちらに、大きな寺院の入り口が見えてきました。

こちらが、その入り口にあたる東門です。
こちらは、法華宗本門流総本山本隆寺です。
「寺之内堀川」交差点を中心に、日蓮宗系の本山が集中します。
こちらも、そういう寺院の1寺です。
東門をよく見ると、工事中のようですね。

東門脇に、こちらの看板が立っていました。
本隆寺の本堂と祖師堂が、この度重要文化財に指定されたそうです。
それに伴う改修工事のようです。

先程の東門から、本隆寺境内に入ってきました。
実はここ最近は、この山門に大きなダンプカーが停まっていたり
門が閉まっていたりして、ここから入れないことがあります。
ただ、ここ以外にも門があって
ここ最近は南側の五辻通や西側の浄福寺通から入っていました。

東門から入ってすぐ、左(南)を向きました。
こちらの庵は風情がありますが、
雰囲気から今現在もだれか住んでおられますね。
(なんとなく、生活感があります)

智恵光院通から本隆寺境内に入ってすぐに、手水舎があります。
先ずはこちらで、手を浄めます。

手水舎脇に、こちらの地図がありました。
今回ブログでは東門から入って、本堂の周囲を1周して
また東門から出て行きます。

先程と同じ場所から南を向くと、こちらの鐘楼があります。
その周囲に、工事関係車両が並んでいますね。

その鐘楼からさらに南側に、この寺院の南門があります。
この門がこの寺院で一番大きく、本堂に直結しています。
またこの門の周囲が駐車場で、自転車もこの門の周辺に停めます。
ちなみに、南門の向こうは五辻通です。
(千本釈迦堂の山門がある通りですね)

その南門をまっすぐ北上すると、本隆寺本堂に突き当たります。
本堂は現在修復中なので、あちこちに足場が組まれ
工事に携わっておられる方々が、作業をされています。
法華宗真門流総本山本隆寺は、
1488年に日蓮宗の僧侶である日真が
この近くにある妙蓮寺から分裂する形で創建しました。
(加賀の一向一揆が越中の守護大名富樫正親を倒した年ですね)
当初は「四条大宮」交差点付近に建っていましたが、
天文の法難により他の日蓮宗系寺院と同じく
延暦寺の僧兵に焼き討ちされて、
こちらの寺院は泉州堺(今の大阪府堺市)に避難しました。
その後1542年にこの場所に移転してきました。
江戸時代以降大火に何度か遭いますが、何とか焼けずに済みました。
そのため、こちらを「焼けずの寺」と呼ぶ方もいらっしゃいます。

本堂前から、本隆寺境内を西に向きました。
次は、向こうの鎮守社にお参りします。
先程の地図には「番神堂」と書かれており、
おそらく祀られておられるのは三十番神です。

鎮守社の前で北を向きました。こちらが本堂の西側です。
こちらに、大桜の木が立っていますね。
他の多くの日蓮宗系寺院同様に、
この本隆寺も京都有数の桜の名所です。

その大桜の北側に、「夜鳴き止めの松」が立っています。
室町時代末期に日脩という後に管主となる僧侶は、
乳児のときにこの寺院に引き取られました。
乳児だった日脩は夜泣きを繰り返し、ここの僧侶を悩ませました。
ところが、この松の下に来るといつも泣き止んだということです。
そのことから、後に「夜泣き止め」のご利益があるとされました。
また、その先に祖師堂が見えます。
こちらも先年重要文化財に指定されました。

祖師堂には、こちらの開祖である日真が祀られています。
正面上部には、「開祖日眞大和尚」と書かれていますね。

本隆寺祖師堂の正面から、西を向きました。
向こうに見える桜の木の先には、塔頭寺院と西門があります。
(浄福寺通から入れる門ですね)

その位置で、また北を向きました。
では、ここから祖師堂の西側を北上します。

こちらは、本隆寺境内の北西端です。
こちらに見えるのは塔頭寺院の玉峯院なのですが、
黄金のストゥーパがとても目立ちます。

その北側に、本法院という塔頭寺院があります。
こちらは、落ち着いた感じの寺院ですね。

本隆寺境内の北西端で、東を向きました。
ここで行き止まりのように見えますが、
本堂の足場の下から通り抜けられます。

その足場の下に入る前に、南を向きました。
こちらは、祖師堂のちょうど真裏です。
ここからでも、お参りできるようになっていますね。

本堂の北側を東に進んでいます。
安全のために足場が組んでありますが、ここを通ると
まるでトンネルをくぐるみたいですね。

そして、その「トンネル」をくぐり抜けました。
こちらが、本隆寺北東端です。

同じ場所で、北を向きました。
向こうに見えるのが信徒会館ですが、
手前のプレハブは工事作業員のための施設でしょうね。

さらに、同じ場所で南を向きました。
こちらは本隆寺本堂の東側です。では、こちらを南下していきます。

こちら側にも、本隆寺の塔頭が並びます。
この慶成院は、非公開のようですね。

その南側には、同じく塔頭の宣妙院があります。
こちらも、非公開寺院のようです。

宣妙院の南側に、こちらの大桜が立っています。
その向こう(東側)に見える手水舎で、先ほど手を浄めました。
要するに、これで本隆寺境内を1周しました。

本堂の周りを1周して、本隆寺東門に戻ってきました。
では、ここから本隆寺を出ます。

本隆寺東門の前で、智恵光院通を北に向いています。
本隆寺の塀は上立売通の角まで続いています。
ここからなかなか雰囲気のある道が続くのですが、
今回はもうだいぶ写真が貼り付けてきたので続きは次回です。
今回は、ここまでです。
~次回は、雨宝院にお邪魔します~

上立売通から、大宮通を北に向いています。
この辺りの大宮通は江戸時代に西陣織の問屋や小売店が多く、
現在でも様々な小売店舗が並ぶ賑やかな場所です。
前回ブログで出てきた西陣公園の葉桜が、ここからでも見えますね。
今回は、大宮通より1本西の智恵光院通沿いの本隆寺に訪れます。
撮影日は、2017年5月18日木曜日午後3時。
今回掲載の写真は、クリックすると全て拡大されます。

上立売通は大宮通でいったん途切れるように見えますが、
その地点から約10m北からまた西に伸びています。
では、こちらを進んでいきます。

この辺の上立売通は自動車がやっと1台通れるかどうかの道幅で、
その周囲に味のある京町家が建ち並びます。
「上京区 上立売通大宮西入 硯屋町」
ブリキ製の表札には、この辺りの住所が書いてあります。

この辺りも少しずつ新しい家屋も増えましたが、
こちらのような京町家もまだまだたくさん残っています。

その向かい(南)側には、こちらの黒檀の京町家が建っています。
格子(1Fの窓)に、時代祭のポスターが貼ってありました。

先程の場所から、西に約10m進みました。
こちらのお地蔵さんにも、お参りしました。
こちらの撮影中に、脇に小学生の女の子が近づいていました。
撮影を中断して通り過ぎるのを待とうとしたら、
目と目が合った途端走って逃げられてしまいました……
多分不審者と思われたのでしょうね。

そのお地蔵さんの前で、上立売通を西に向いています。
まだ京町家が続いていますが、上立売通は
大宮通から約100m西に進むと智恵光院通と交差します。

上立売通から、智恵光院通を北に向いています。
智恵光院通は、約150m先の寺之内通で突き当たります。
ただ、約50m西にさらに北に伸びる智恵光院通があります。

今度は同じ場所で、南を向きました。
約20m先から、さらに上立売通が西に伸びています。

先程の位置から、智恵光院通を南に約20m進みました。
この右(西)に上立売通が伸びていますが、
今回はここから智恵光院通を南下します。

先程写っていたカメラ屋さんの看板から、約50m南下しました。
こちらに、大きな寺院の入り口が見えてきました。

こちらが、その入り口にあたる東門です。
こちらは、法華宗本門流総本山本隆寺です。
「寺之内堀川」交差点を中心に、日蓮宗系の本山が集中します。
こちらも、そういう寺院の1寺です。
東門をよく見ると、工事中のようですね。

東門脇に、こちらの看板が立っていました。
本隆寺の本堂と祖師堂が、この度重要文化財に指定されたそうです。
それに伴う改修工事のようです。

先程の東門から、本隆寺境内に入ってきました。
実はここ最近は、この山門に大きなダンプカーが停まっていたり
門が閉まっていたりして、ここから入れないことがあります。
ただ、ここ以外にも門があって
ここ最近は南側の五辻通や西側の浄福寺通から入っていました。

東門から入ってすぐ、左(南)を向きました。
こちらの庵は風情がありますが、
雰囲気から今現在もだれか住んでおられますね。
(なんとなく、生活感があります)

智恵光院通から本隆寺境内に入ってすぐに、手水舎があります。
先ずはこちらで、手を浄めます。

手水舎脇に、こちらの地図がありました。
今回ブログでは東門から入って、本堂の周囲を1周して
また東門から出て行きます。

先程と同じ場所から南を向くと、こちらの鐘楼があります。
その周囲に、工事関係車両が並んでいますね。

その鐘楼からさらに南側に、この寺院の南門があります。
この門がこの寺院で一番大きく、本堂に直結しています。
またこの門の周囲が駐車場で、自転車もこの門の周辺に停めます。
ちなみに、南門の向こうは五辻通です。
(千本釈迦堂の山門がある通りですね)

その南門をまっすぐ北上すると、本隆寺本堂に突き当たります。
本堂は現在修復中なので、あちこちに足場が組まれ
工事に携わっておられる方々が、作業をされています。
法華宗真門流総本山本隆寺は、
1488年に日蓮宗の僧侶である日真が
この近くにある妙蓮寺から分裂する形で創建しました。
(加賀の一向一揆が越中の守護大名富樫正親を倒した年ですね)
当初は「四条大宮」交差点付近に建っていましたが、
天文の法難により他の日蓮宗系寺院と同じく
延暦寺の僧兵に焼き討ちされて、
こちらの寺院は泉州堺(今の大阪府堺市)に避難しました。
その後1542年にこの場所に移転してきました。
江戸時代以降大火に何度か遭いますが、何とか焼けずに済みました。
そのため、こちらを「焼けずの寺」と呼ぶ方もいらっしゃいます。

本堂前から、本隆寺境内を西に向きました。
次は、向こうの鎮守社にお参りします。
先程の地図には「番神堂」と書かれており、
おそらく祀られておられるのは三十番神です。

鎮守社の前で北を向きました。こちらが本堂の西側です。
こちらに、大桜の木が立っていますね。
他の多くの日蓮宗系寺院同様に、
この本隆寺も京都有数の桜の名所です。

その大桜の北側に、「夜鳴き止めの松」が立っています。
室町時代末期に日脩という後に管主となる僧侶は、
乳児のときにこの寺院に引き取られました。
乳児だった日脩は夜泣きを繰り返し、ここの僧侶を悩ませました。
ところが、この松の下に来るといつも泣き止んだということです。
そのことから、後に「夜泣き止め」のご利益があるとされました。
また、その先に祖師堂が見えます。
こちらも先年重要文化財に指定されました。

祖師堂には、こちらの開祖である日真が祀られています。
正面上部には、「開祖日眞大和尚」と書かれていますね。

本隆寺祖師堂の正面から、西を向きました。
向こうに見える桜の木の先には、塔頭寺院と西門があります。
(浄福寺通から入れる門ですね)

その位置で、また北を向きました。
では、ここから祖師堂の西側を北上します。

こちらは、本隆寺境内の北西端です。
こちらに見えるのは塔頭寺院の玉峯院なのですが、
黄金のストゥーパがとても目立ちます。

その北側に、本法院という塔頭寺院があります。
こちらは、落ち着いた感じの寺院ですね。

本隆寺境内の北西端で、東を向きました。
ここで行き止まりのように見えますが、
本堂の足場の下から通り抜けられます。

その足場の下に入る前に、南を向きました。
こちらは、祖師堂のちょうど真裏です。
ここからでも、お参りできるようになっていますね。

本堂の北側を東に進んでいます。
安全のために足場が組んでありますが、ここを通ると
まるでトンネルをくぐるみたいですね。

そして、その「トンネル」をくぐり抜けました。
こちらが、本隆寺北東端です。

同じ場所で、北を向きました。
向こうに見えるのが信徒会館ですが、
手前のプレハブは工事作業員のための施設でしょうね。

さらに、同じ場所で南を向きました。
こちらは本隆寺本堂の東側です。では、こちらを南下していきます。

こちら側にも、本隆寺の塔頭が並びます。
この慶成院は、非公開のようですね。

その南側には、同じく塔頭の宣妙院があります。
こちらも、非公開寺院のようです。

宣妙院の南側に、こちらの大桜が立っています。
その向こう(東側)に見える手水舎で、先ほど手を浄めました。
要するに、これで本隆寺境内を1周しました。

本堂の周りを1周して、本隆寺東門に戻ってきました。
では、ここから本隆寺を出ます。

本隆寺東門の前で、智恵光院通を北に向いています。
本隆寺の塀は上立売通の角まで続いています。
ここからなかなか雰囲気のある道が続くのですが、
今回はもうだいぶ写真が貼り付けてきたので続きは次回です。
今回は、ここまでです。
~次回は、雨宝院にお邪魔します~
~追記~
今回進んだところの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
法華宗真門流本山本隆寺が起点です。
京都駅からなら、駅北側市バスターミナルから
9系市バスに約30分乗って、「堀川上立売」バス停で降ります。
そこから上立売通(喜多川通)を西に約250m進むと、
今回ブログの最初の地点です。
~追追記~
ちょっと中華料理を作ってみました。
実は5月19日がウチの母の誕生日で、
毎年この日の食事は自分が作っています。
2017年の献立は、こんな感じでした。
こちらも、クリックすれば全て写真は拡大されます。

棒棒鶏のサラダです。
蒸し鶏とキュウリを棒棒鶏ソースとマヨネーズで和えました。
周囲は、冷奴の下に千切りキャベツです。

ごぼう天と春雨の炒め物です。
母のリクエストで、韓国料理も入りました。

クルミの海鮮炒めです。海鮮物は、エビとホタテガイです。
玉葱と海鮮物を炒めた後、
ピーマンとクルミを入れて最後は蠔油で味付けました。

食パンを衣にエビフライをしようとしたのですが、
食パンが上手く付かないのでただの海老天になりました……

さすがに、バースデーケーキは買ってきました。
ウチの母が第478回ブログを見て
「ここの洋菓子店のシュークリームがおいしそう」
というもので、OAHU西陣本店で買いました。
「堀川今出川」交差点から自転車で持って帰ったので、
一部が潰れてしまいました……
烏丸通は、意外に道がガタガタでした。
いろいろ気力を使い果たしたので仕事で使う書類も整理せず、
そのまま背景に写り込んでいます。

シュークリームは無事に見えますが、
よくよく見ると微妙に上下に押し潰されています。
こちらは鮮度が勝負なので、
先程のケーキを食べた直後に頂きました。
ウチの母は満足していたようですが、
先程の中華料理の後にこれだけの量ですから、
だんだんフードファイトのようになってしまいました。
(実際は中華料理は食べきれず、2日がかりでいただきました)
今回進んだところの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
法華宗真門流本山本隆寺が起点です。
京都駅からなら、駅北側市バスターミナルから
9系市バスに約30分乗って、「堀川上立売」バス停で降ります。
そこから上立売通(喜多川通)を西に約250m進むと、
今回ブログの最初の地点です。
~追追記~
ちょっと中華料理を作ってみました。
実は5月19日がウチの母の誕生日で、
毎年この日の食事は自分が作っています。
2017年の献立は、こんな感じでした。
こちらも、クリックすれば全て写真は拡大されます。

棒棒鶏のサラダです。
蒸し鶏とキュウリを棒棒鶏ソースとマヨネーズで和えました。
周囲は、冷奴の下に千切りキャベツです。

ごぼう天と春雨の炒め物です。
母のリクエストで、韓国料理も入りました。

クルミの海鮮炒めです。海鮮物は、エビとホタテガイです。
玉葱と海鮮物を炒めた後、
ピーマンとクルミを入れて最後は蠔油で味付けました。

食パンを衣にエビフライをしようとしたのですが、
食パンが上手く付かないのでただの海老天になりました……

さすがに、バースデーケーキは買ってきました。
ウチの母が第478回ブログを見て
「ここの洋菓子店のシュークリームがおいしそう」
というもので、OAHU西陣本店で買いました。
「堀川今出川」交差点から自転車で持って帰ったので、
一部が潰れてしまいました……
烏丸通は、意外に道がガタガタでした。
いろいろ気力を使い果たしたので仕事で使う書類も整理せず、
そのまま背景に写り込んでいます。

シュークリームは無事に見えますが、
よくよく見ると微妙に上下に押し潰されています。
こちらは鮮度が勝負なので、
先程のケーキを食べた直後に頂きました。
ウチの母は満足していたようですが、
先程の中華料理の後にこれだけの量ですから、
だんだんフードファイトのようになってしまいました。
(実際は中華料理は食べきれず、2日がかりでいただきました)
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