第503回 退蔵院で庭園散策~夏休み花園散策~その2
[退蔵院] ブログ村キーワード

妙心寺の南総門から約50m北上し、三門の西側に進むと
臨済宗妙心寺派退蔵院が建っています。
今回は、最初から最後までこの退蔵院の境内です。
枝垂桜とカエデが、なかなか見事な庭園がありました。
撮影日は、2017年8月13日日曜日午後2時。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。

退蔵院の前で西を向き、退蔵院境内に入ってきました。
ここから庫裏まで、石畳の道が真っすぐ続いています。
右(北)側の生垣の上に、なぜか招き猫がいます。

こちらが、退蔵院庫裏の入り口です。
こちらは戸を閉じており、中には入れません。
実はこの庫裏の北側(写真の背後)に受付があって、
そちらで500円を支払って左(南)側に進みます。

退蔵院庫裏の前から、約5m南下しました。
このまま進むと退蔵院の墓地に行けるのですが、
ここで順路は右(西)に曲がります。

先程の写真にあったT字路で、西を向きました。
(この左側が、墓地です)
このカエデ並木は約20mで途切れて、右(北)に折れます。

そのカエデ並木の先に、こちらの門がありました。
では、ここから退蔵院方丈に入ります。

門をくぐり、退蔵院方丈に入ってきました。
ここで靴を脱いで、向こうの縁側に向かいます。

退蔵院方丈を囲む廊下は、杉戸で仕切られています。
通常こういう杉戸に描かれた絵画は古いものが多いですが、
こちらの棕櫚と山羊はかなり新しいですね。

もう一方の杉戸にはつがいの鶴が描かれていました。
こちらも、相当に新しいものです。

こちらは、方丈の中心仏間です。
ただし、こちらに入ることができませんので
縁側からお賽銭を入れて手を合わせます。
手前の絵は、国宝「瓢鮎図」(ひょうねんず)のコピーです。
第501回ブログで書いたとおり、
中国語で「鮎」はアユではなくナマズのことです。
つまり、こちらは「瓢箪ナマズ」のことですね。
なお、本物は京都国立博物館で保存されています。
(所有権は、この退蔵院にあります)

こちらは、退蔵院方丈の西側庭園です。
枯山水の見事な石庭で、狩野光信が作庭したと考えられることから
「光信の庭」と呼ばれています。

こちらが、退蔵院方丈の南側庭園です。
おそらく、ここの方丈庭園といえばこちらのことです。
黒いプラスチック製の鉢には、蓮が植えてあります。
その奥の苔は……季節柄だいぶ枯れていました。
臨済宗妙心寺派退蔵院は、室町時代3代将軍足利義満の治世の
1404年に波多野重通により建立されました。
元々は「松原千本」にありましたが、(第317回ブログ参照)
直後に縁の深かった妙心寺境内に移ってきました。
(退蔵院は、「松原千本」にあったころから、妙心寺の塔頭でした)

ここで靴を履き、方丈庭園に下りてきました。
次は、東側の白壁に沿って進みます。

方丈庭園東側の白壁に沿って南下した後、
今度は今度はその壁沿いに東に進みます。
このまま突き当りにいらっしゃる観音像まで行けば、
退蔵院の墓地に向かいます。
ただ、今回はその手前のT字路で右(南)に向きます。
では、次はこちらの池泉式回遊庭園「余香苑」に向かいます。

観音像の手前のT字路で、南を向きました。
では、この生垣の道を南下します。

その生垣の道を突き当りまで進み、右(西)を向きました。
では、この門から余香園に入っていきます。

余香園に入ったところに、大きな枝垂桜の木が立っています。
その木をはさむように、二つの小さな石庭が並んでいます。
こちらは西側の「陽の庭」ですね。

枝垂桜の幹の前に立ち、桜の枝越しに「陰の庭」を眺めています。
こちらの庭は、こうして覗く方がきれいに見えます。

枝垂桜の木から、南を向いています。
向こうの生垣の切れ目から、この庭の全体像が見えそうです。

その生垣の切れ目から南に向き、余香園の全体を眺めています。
この余香苑は北から南に大きく傾斜していて、
庭園の東側では北から南へ小川が流れています。
一方庭園の西側には枝垂桜やカエデが植えてあり、
中央の南北に伸びる道がそれらを眺められるように
蛇行しながら約200mほど伸びています。

その生垣の切れ目から、西側に先程からの道が続きます。
この道は約10mで突き当たり、さらに南へと続いています。
この辺りから、斜面が急になります。

その南へ向かう下りの斜面の途中に、こちらの休憩所がありました。
中央の生け花が見事ですが、柵があってこちらには入れません。

先程からの道をさらに南下すると、やがて下り坂が平坦になります。
そして、この道の突き当りに茶店があります。

その茶店の手前で、右(西)を向きました。
カエデ並木の中に、こちらがありました。
脇の立て札によれば、水琴窟のようです。

この南へ続く道は、茶店の前で東に折れます。
茶店には小学生の男の子とその父親らしき方がいらして、
かき氷を食べておられました。
そのため、その辺りは撮影していません。
茶店の東側は売店で、寺務所も兼ねているようです。
(たぶん、御朱印などはここで求めます)

売店の向こう(東)には藤棚があって、その先には休憩所があります。
この辺りは左(北)側が開けていて、
この余香苑の全景が見られるようになっています。
(おそらく、ここからの眺めがこの庭園のベストショットです)

藤棚の前から、北を向きました。
こちらが、退蔵院の池泉式回遊庭園「余香園」の全景です。
向こう(北)側からこちら(南)側へ小川が流れていますね。
こちらは、足立美術館庭園などを作庭した中根金作の代表作です。
左(西)側の繁みは、春は枝垂れ桜、秋は紅葉で染まります。
歩きながら見る位置が変わることで風景が大きく変わっていくのは、
自分が大ファンの小川治兵衛の代表作である
無鄰菴庭園や平安ホテル庭園と同様
池泉式回遊庭園の最大の魅力ですね。
(石庭など屋内から座って見るのを前提とした庭園に対して、
周囲を散策することを前提とした庭園を池泉式回遊庭園と言います。
イングリッシュ庭園など西洋の影響を受けて
明治時代の末期に成立しました)

藤棚の前で、西を向きました。
向こうに、先ほどの売店(寺務所)が見えますね。
その手前に石段があって、
そこを上がった辺りにさらに南へ進む道があります。

その石段の辺りで、南を向きました。
左(東)側に茶室が、右(西)側に大きな枝垂桜が見えますね。

こちらが、その茶室です。
売店(事務所)で500円払えば、中で抹茶が飲めます。

先程の売店(寺務所)で500円を払い、茶室内部に入ってきました。
この日(2017年8月13日)はそこそこ暑い「夏日」でしたが、
ここは冷房がとても効いていました。
上に掛かっている額には、「余香苑」と書いてあるのでしょうか?
自分には、「舘点苑」と読めます。

自分は、あちらの赤い絨毯の奥に座りました。
向こうの茶碗は前に来られたお客さんのもので、
自分が座る前にはお寺の方が片付けられました。

その位置に座ると、このような眺めになります。
障子越しに、余香苑の小川が見えますね。

10分ほど待っていたら、こちらがやって来ました。
茶菓子と抹茶ですね。

茶菓子を開けると、中から落雁が出てきました。
それぞれ色が違うのは、白砂糖と黒砂糖によるものです。

お茶を堪能した後、茶室を出て売店(寺務所)前に戻ってきました。
こちらにいらっしゃる抹茶を給仕して頂いた方に一礼し、
退蔵院余香苑から出て行きます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けたので、
今回はここまでです。
~次回は、妙心寺法堂に向かいます~

妙心寺の南総門から約50m北上し、三門の西側に進むと
臨済宗妙心寺派退蔵院が建っています。
今回は、最初から最後までこの退蔵院の境内です。
枝垂桜とカエデが、なかなか見事な庭園がありました。
撮影日は、2017年8月13日日曜日午後2時。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。

退蔵院の前で西を向き、退蔵院境内に入ってきました。
ここから庫裏まで、石畳の道が真っすぐ続いています。
右(北)側の生垣の上に、なぜか招き猫がいます。

こちらが、退蔵院庫裏の入り口です。
こちらは戸を閉じており、中には入れません。
実はこの庫裏の北側(写真の背後)に受付があって、
そちらで500円を支払って左(南)側に進みます。

退蔵院庫裏の前から、約5m南下しました。
このまま進むと退蔵院の墓地に行けるのですが、
ここで順路は右(西)に曲がります。

先程の写真にあったT字路で、西を向きました。
(この左側が、墓地です)
このカエデ並木は約20mで途切れて、右(北)に折れます。

そのカエデ並木の先に、こちらの門がありました。
では、ここから退蔵院方丈に入ります。

門をくぐり、退蔵院方丈に入ってきました。
ここで靴を脱いで、向こうの縁側に向かいます。

退蔵院方丈を囲む廊下は、杉戸で仕切られています。
通常こういう杉戸に描かれた絵画は古いものが多いですが、
こちらの棕櫚と山羊はかなり新しいですね。

もう一方の杉戸にはつがいの鶴が描かれていました。
こちらも、相当に新しいものです。

こちらは、方丈の中心仏間です。
ただし、こちらに入ることができませんので
縁側からお賽銭を入れて手を合わせます。
手前の絵は、国宝「瓢鮎図」(ひょうねんず)のコピーです。
第501回ブログで書いたとおり、
中国語で「鮎」はアユではなくナマズのことです。
つまり、こちらは「瓢箪ナマズ」のことですね。
なお、本物は京都国立博物館で保存されています。
(所有権は、この退蔵院にあります)

こちらは、退蔵院方丈の西側庭園です。
枯山水の見事な石庭で、狩野光信が作庭したと考えられることから
「光信の庭」と呼ばれています。

こちらが、退蔵院方丈の南側庭園です。
おそらく、ここの方丈庭園といえばこちらのことです。
黒いプラスチック製の鉢には、蓮が植えてあります。
その奥の苔は……季節柄だいぶ枯れていました。
臨済宗妙心寺派退蔵院は、室町時代3代将軍足利義満の治世の
1404年に波多野重通により建立されました。
元々は「松原千本」にありましたが、(第317回ブログ参照)
直後に縁の深かった妙心寺境内に移ってきました。
(退蔵院は、「松原千本」にあったころから、妙心寺の塔頭でした)

ここで靴を履き、方丈庭園に下りてきました。
次は、東側の白壁に沿って進みます。

方丈庭園東側の白壁に沿って南下した後、
今度は今度はその壁沿いに東に進みます。
このまま突き当りにいらっしゃる観音像まで行けば、
退蔵院の墓地に向かいます。
ただ、今回はその手前のT字路で右(南)に向きます。
では、次はこちらの池泉式回遊庭園「余香苑」に向かいます。

観音像の手前のT字路で、南を向きました。
では、この生垣の道を南下します。

その生垣の道を突き当りまで進み、右(西)を向きました。
では、この門から余香園に入っていきます。

余香園に入ったところに、大きな枝垂桜の木が立っています。
その木をはさむように、二つの小さな石庭が並んでいます。
こちらは西側の「陽の庭」ですね。

枝垂桜の幹の前に立ち、桜の枝越しに「陰の庭」を眺めています。
こちらの庭は、こうして覗く方がきれいに見えます。

枝垂桜の木から、南を向いています。
向こうの生垣の切れ目から、この庭の全体像が見えそうです。

その生垣の切れ目から南に向き、余香園の全体を眺めています。
この余香苑は北から南に大きく傾斜していて、
庭園の東側では北から南へ小川が流れています。
一方庭園の西側には枝垂桜やカエデが植えてあり、
中央の南北に伸びる道がそれらを眺められるように
蛇行しながら約200mほど伸びています。

その生垣の切れ目から、西側に先程からの道が続きます。
この道は約10mで突き当たり、さらに南へと続いています。
この辺りから、斜面が急になります。

その南へ向かう下りの斜面の途中に、こちらの休憩所がありました。
中央の生け花が見事ですが、柵があってこちらには入れません。

先程からの道をさらに南下すると、やがて下り坂が平坦になります。
そして、この道の突き当りに茶店があります。

その茶店の手前で、右(西)を向きました。
カエデ並木の中に、こちらがありました。
脇の立て札によれば、水琴窟のようです。

この南へ続く道は、茶店の前で東に折れます。
茶店には小学生の男の子とその父親らしき方がいらして、
かき氷を食べておられました。
そのため、その辺りは撮影していません。
茶店の東側は売店で、寺務所も兼ねているようです。
(たぶん、御朱印などはここで求めます)

売店の向こう(東)には藤棚があって、その先には休憩所があります。
この辺りは左(北)側が開けていて、
この余香苑の全景が見られるようになっています。
(おそらく、ここからの眺めがこの庭園のベストショットです)

藤棚の前から、北を向きました。
こちらが、退蔵院の池泉式回遊庭園「余香園」の全景です。
向こう(北)側からこちら(南)側へ小川が流れていますね。
こちらは、足立美術館庭園などを作庭した中根金作の代表作です。
左(西)側の繁みは、春は枝垂れ桜、秋は紅葉で染まります。
歩きながら見る位置が変わることで風景が大きく変わっていくのは、
自分が大ファンの小川治兵衛の代表作である
無鄰菴庭園や平安ホテル庭園と同様
池泉式回遊庭園の最大の魅力ですね。
(石庭など屋内から座って見るのを前提とした庭園に対して、
周囲を散策することを前提とした庭園を池泉式回遊庭園と言います。
イングリッシュ庭園など西洋の影響を受けて
明治時代の末期に成立しました)

藤棚の前で、西を向きました。
向こうに、先ほどの売店(寺務所)が見えますね。
その手前に石段があって、
そこを上がった辺りにさらに南へ進む道があります。

その石段の辺りで、南を向きました。
左(東)側に茶室が、右(西)側に大きな枝垂桜が見えますね。

こちらが、その茶室です。
売店(事務所)で500円払えば、中で抹茶が飲めます。

先程の売店(寺務所)で500円を払い、茶室内部に入ってきました。
この日(2017年8月13日)はそこそこ暑い「夏日」でしたが、
ここは冷房がとても効いていました。
上に掛かっている額には、「余香苑」と書いてあるのでしょうか?
自分には、「舘点苑」と読めます。

自分は、あちらの赤い絨毯の奥に座りました。
向こうの茶碗は前に来られたお客さんのもので、
自分が座る前にはお寺の方が片付けられました。

その位置に座ると、このような眺めになります。
障子越しに、余香苑の小川が見えますね。

10分ほど待っていたら、こちらがやって来ました。
茶菓子と抹茶ですね。

茶菓子を開けると、中から落雁が出てきました。
それぞれ色が違うのは、白砂糖と黒砂糖によるものです。

お茶を堪能した後、茶室を出て売店(寺務所)前に戻ってきました。
こちらにいらっしゃる抹茶を給仕して頂いた方に一礼し、
退蔵院余香苑から出て行きます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けたので、
今回はここまでです。
~次回は、妙心寺法堂に向かいます~
今回の追記は、都合により
何日かに分けて書き足します。
~2017年8月23日午前0時50分追記~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
臨時宗妙心寺派退蔵院方丈が起点です。
~2017年8月25日午前7時追記~
ウチの町内も、地蔵盆がありました
2017年8月20日日曜日に、
京都市内で一斉に延命地蔵尊の地蔵盆が行われ、
ウチの町内でもお地蔵さんがきれいに着飾りました。
(大日如来を祀られる町内の地蔵盆は、翌週になります)
本当は町内のお地蔵さんの写真があったのですが、
ダウンロードの処理ミスで廃棄してしまいました……

元々「地蔵盆」といえば子供を楽しませるものだったのですが、
(自分の子供時代は、そうでした)
町内の中学生以下の年齢が0名になってすでに10年で、
今ではもう完全に「老人会」のお祭りです。
こちらは、地蔵盆の際の町内の昼食です。
近所の和菓子店に町内が注文した赤飯です。
町内の各家庭に、こちらが配られます。
これは、ウチの町内で自分が生まれる前からの慣例です。

赤飯の封を切りました。では、こちらを頂きます。
いつもながら、なかなか甘いお味です。

さらに、町内会からこちらを頂きました。
ここ20年ほど、この文之助茶屋のあん蜜も配られます。
こちらは、町内の方の誰かの「お供え物」のお下がりです。
毎年必ずこちらをお供えされる方がいらっしゃるので、
毎年こちらを頂いています。
(地蔵盆では、お供え物は全て町内に配られます)

その袋を開けると、プラスチックの容器が出てきます。
こちらの入っている餡と蜜を混ぜて頂きます。

プラスチック容器の下段には寒天と白玉が入っていました。
その上に餡と蜜を加えて、頂きます。
ちなみに、こちら以外にもジュースや和菓子や、
トイレットペーパーまで頂きました。
これらすべてが、お地蔵さんへのお供え物でした。
~2017年8月26日午前7時追記~
引き分けたということは……
2017年8月20日は日曜日で、
自分にとっては今月最後の休日でした。
地蔵盆のテントは午後4時に業者さんが回収され、
その後から自転車に乗って西京極に移動しました。
この日の我らが京都サンガは、
最近上り調子の大分トリニータと対戦しました。
現在京都は3連敗中で、ちょっとギスギスしたサポーター席でした。

試合開始早々、久しぶり先発のイ・ヨンジェ選手が先制ゴールです。
ゴールシーンは、自分自身が飛び跳ねていたので
撮影していません。
……ただ、早い時間帯のゴールは
あまり勝利に結びつかないですよね。
(そういう、ネガティヴ思考で見ていました)

後半半ばまで耐えきったので、
クリーンシート(無失点)の可能性も考え始めた69分(後半19分)
遂にセンターバックが裏を取られて失点しました。

さらに終了間際の81分(後半36分)、さらに京都は逆転を許しました。
先程の失点と同じパターンですね。
無理にラインを上げるから、裏を取られるような……

ところが敗色濃厚の試合終了直前、
ケヴィン選手のフリーキックがバーに当たり、
それを大黒選手が強引にゴールマウスにねじ込みました。
これで、同点です。

そして、その直後試合終了です。
京都は勝てませんでしたが、連敗は止めました。

試合が終わり、サポーター席に選手がやって来ます。
本日のヒーローは、右端の大黒選手だったのですが……

その大黒選手への拍手喝采が、一切ありません。
まぁ、そろそろ数字的にも今シーズンの京都が
プレーオフ進出が不可能になりつつなりますし……

その後サポーターズクラブのリーダーさんが、
後日クラブ側と話し合う場を設けることを伝えています。
ただ、今シーズンはJ1昇格が厳しいことは
かなり早い段階で分かっていたことですし……
話し合いは必要と思いますが、
今の段階ではむしろ来シーズンの話になると思っています。
何日かに分けて書き足します。
~2017年8月23日午前0時50分追記~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
臨時宗妙心寺派退蔵院方丈が起点です。
~2017年8月25日午前7時追記~
ウチの町内も、地蔵盆がありました
2017年8月20日日曜日に、
京都市内で一斉に延命地蔵尊の地蔵盆が行われ、
ウチの町内でもお地蔵さんがきれいに着飾りました。
(大日如来を祀られる町内の地蔵盆は、翌週になります)
本当は町内のお地蔵さんの写真があったのですが、
ダウンロードの処理ミスで廃棄してしまいました……

元々「地蔵盆」といえば子供を楽しませるものだったのですが、
(自分の子供時代は、そうでした)
町内の中学生以下の年齢が0名になってすでに10年で、
今ではもう完全に「老人会」のお祭りです。
こちらは、地蔵盆の際の町内の昼食です。
近所の和菓子店に町内が注文した赤飯です。
町内の各家庭に、こちらが配られます。
これは、ウチの町内で自分が生まれる前からの慣例です。

赤飯の封を切りました。では、こちらを頂きます。
いつもながら、なかなか甘いお味です。

さらに、町内会からこちらを頂きました。
ここ20年ほど、この文之助茶屋のあん蜜も配られます。
こちらは、町内の方の誰かの「お供え物」のお下がりです。
毎年必ずこちらをお供えされる方がいらっしゃるので、
毎年こちらを頂いています。
(地蔵盆では、お供え物は全て町内に配られます)

その袋を開けると、プラスチックの容器が出てきます。
こちらの入っている餡と蜜を混ぜて頂きます。

プラスチック容器の下段には寒天と白玉が入っていました。
その上に餡と蜜を加えて、頂きます。
ちなみに、こちら以外にもジュースや和菓子や、
トイレットペーパーまで頂きました。
これらすべてが、お地蔵さんへのお供え物でした。
~2017年8月26日午前7時追記~
引き分けたということは……
2017年8月20日は日曜日で、
自分にとっては今月最後の休日でした。
地蔵盆のテントは午後4時に業者さんが回収され、
その後から自転車に乗って西京極に移動しました。
この日の我らが京都サンガは、
最近上り調子の大分トリニータと対戦しました。
現在京都は3連敗中で、ちょっとギスギスしたサポーター席でした。

試合開始早々、久しぶり先発のイ・ヨンジェ選手が先制ゴールです。
ゴールシーンは、自分自身が飛び跳ねていたので
撮影していません。
……ただ、早い時間帯のゴールは
あまり勝利に結びつかないですよね。
(そういう、ネガティヴ思考で見ていました)

後半半ばまで耐えきったので、
クリーンシート(無失点)の可能性も考え始めた69分(後半19分)
遂にセンターバックが裏を取られて失点しました。

さらに終了間際の81分(後半36分)、さらに京都は逆転を許しました。
先程の失点と同じパターンですね。
無理にラインを上げるから、裏を取られるような……

ところが敗色濃厚の試合終了直前、
ケヴィン選手のフリーキックがバーに当たり、
それを大黒選手が強引にゴールマウスにねじ込みました。
これで、同点です。

そして、その直後試合終了です。
京都は勝てませんでしたが、連敗は止めました。

試合が終わり、サポーター席に選手がやって来ます。
本日のヒーローは、右端の大黒選手だったのですが……

その大黒選手への拍手喝采が、一切ありません。
まぁ、そろそろ数字的にも今シーズンの京都が
プレーオフ進出が不可能になりつつなりますし……

その後サポーターズクラブのリーダーさんが、
後日クラブ側と話し合う場を設けることを伝えています。
ただ、今シーズンはJ1昇格が厳しいことは
かなり早い段階で分かっていたことですし……
話し合いは必要と思いますが、
今の段階ではむしろ来シーズンの話になると思っています。
- 関連記事
-
- 第502回 花園駅から妙心寺へ~夏休み花園散策~その1 (2017/08/17)
- 第503回 退蔵院で庭園散策~夏休み花園散策~その2 (2017/08/23)
- 第504回 妙心寺法堂に参拝~夏休み花園散策~その3 (2017/08/30)
- 第505回 等持院への道~夏休み花園散策~その4 (2017/09/03)
スポンサーサイト