第517回 松原京極商店街の東側~若宮通南から北~その12
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表札が色落ちして文字が読めませんが、
万寿寺通から若宮通を北に向いています。
今回は、松原京極商店街の東端部分にお邪魔します。
撮影日は、2017年10月26日木曜日午後2時半。
第25回ブログ以来ですね。

万寿寺通から、若宮通を北上しています。
外観から左(西)側に見えるのは製材所と思っていたのですが、
正面から見るとテナントが何軒か入っていました。

その一見製材所に見える場所から、若宮通を北に向いています。
この辺りは京町家と真新しい住宅が混じり合っており、
独特な雰囲気を作り出しています。

さらに若宮通を北上すると、こちらの郵便局があります。
京都松原若宮郵便局は問屋街と商店街に囲まれており、
たくさんの方々が訪れておられました。

京都松原若宮郵便局の向かい(東)側に、こちらがあります。
どうやら、着物に家紋を入れる職人さんのお店のようです。
まぁ室町や新町の呉服問屋が近いですからね。

京都松原若宮郵便局の北側に、
こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
では、こちらにお参りして先に進みます。

万寿寺通から、若宮通を約100m北上しました。
ここで若宮通は、松原通と交差します。

若宮通から、松原通を西に向いています。
この辺りは、松原京極商店街の只中です。
商店街内を表すペナントが下がっていますが、
5年前にはあった京都サンガの応援フラッグがありません。
そう言えば、他の商店街でもだんだんなくなっています。
こちらに自分が中学生時代に塾通い中によく立ち寄った
お好み焼き屋さんがあるのですが、今は閉まっています。

こちらが、そのお好み焼き屋さんの店頭にあったボードです。
どうやら今回ブログ撮影日は、定休日のようです。
ただ自分がブログ撮影ができるのは、
自分の仕事が休みの毎週木曜日です。
こちらのお店に立ち寄りたかったのですが、仕方なく素通りです。

そのお好み焼き屋さんの前で、松原通を西に向いています。
目の前の西洞院通まで松原通は非常に道幅が狭くなりますが、
この間に、たくさんのお店が集中しています。

若宮通と西洞院通との間の松原通沿いに、
浄土真宗大谷派の光圓寺があります。
こちらは親鸞が佐渡島に配流される直前の居住地で、
京都に戻った後もここに留まりこの地で亡ったという説が有力です。
(実は、同じく京都市街地の善法院とする説も有力です)
とは言えその頃は今の伏見区深草にあったそうで、
そちらには現在西岸寺が建っています。(第126回ブログを参照)

浄土真宗大谷派光圓寺の前で、松原通を西に向いています。
光圓寺の向かい(西)側に八百屋さんが見えますが、
時節柄でしょうかキノコがたくさん売られていました。
その先(西)で、松原通は西洞院通と交差しています。

松原通から、西洞院通を南を向いています。
「松原西洞院」交差点南西角に、石製鳥居が見えますね。

松原通から西洞院通を少し南下し、石製鳥居を正面から見ています。
こちらは、五条天満宮です。
豊臣秀吉が京都市街地の区画整理をするまで、
この松原通が五条大路でした。
ですから、今でも松原通沿いに「五条」の地名が残っています。

石製鳥居をくぐり、五条天満宮の境内に入ってきました。
先ずは、こちらの手水舎で手を浄めます。

その奥に、五条天満宮の本殿がいらっしゃいます。
両脇の狛犬が、どちらも吽形なのが変わっていますね。
五条天満宮は、菅原道真が生まれる前に建立しました。
ですから、ご祭神も菅原道真ではなく大己貴命です。
(オオナムチノミコトは雨を司る蛇神とされ、
こちらを「天神」とする神社もまだ残っています)
平安京遷都直後はこの数倍の境内でしたが、
戦乱・大火の度に縮小していったのは、よくあることですね。

現在の五条天満宮境内は、近くのマンション利用者の駐車場です。
その自動車の脇を縫って、松原通に出ます。

五条天満宮北門の前で、松原通を西に向いています。
ここから松原通は、約400m先の大宮通沿いまで
松原京極商店街が続いています。

今度は同じ場所で、松原通を東に向きました。
では目の前の西洞院を渡り、若宮通を目指します。

松原通から、西洞院通を北に向いています。
この辺りから北の西洞院通は、飲食店が多くなります。
まぁここから約600m北に祇園祭では蟷螂山が立ちますし、
四条通が近いのでもう繁華街の一部ですね。

西洞院通から、松原通を東に向いています。
松原通が上り坂になっていますが、西洞院通の土地が低いようです。
それは大昔西洞院通が川だった名残です。

西洞院通から、松原通を東に向いています。
フレームから切れていますが、右(東)側が先程の八百屋さんです。
光圓寺前の黄色いペナントに、「牛若丸・弁慶」が描かれています。
これは今の松原橋こそが昔の五条大橋なので、
この商店街の象徴となっています。

先程はとばしましたが、光圓寺の東隣にこちらの家屋がありました。
こちらは町屋カフェですね。
相当気になるのですが、時間と金銭に余裕がないので
ここも泣く泣く素通りです。
(最近こういう状態なので、お店にはあまり寄れません……)

その町屋カフェの東側に、若宮通が通っています。
では、ここから若宮通以東の松原京極商店街に向かいます。

若宮通から、松原通を東に向いています。
この上り坂に、鶏肉屋さんが見えます。(「かしわ」の看板)
こちらも、第25回ブログに出てきましたね。

若宮通から、松原通を東に約50m進みました。
こちらで、松原京極商店街の東端新町通と交差します。

新町通から、松原通を東に向いています。まだまだ上り坂ですね。
ここから東の松原通は、河原町通付近まで問屋街です。
(詳細は、第24回ブログ・第25回ブログ参照)

今度は松原通から、新町通を北に向いています。
この辺りも、ずっと問屋さんが続きます。
約100m先の信号付近に高辻通が伸びており、
その先に祇園祭で岩戸山や船鉾が立ちます。

さらに松原通から、新町通を南に向きました。
「松原新町」の辻南西角のお寿司屋さんの南隣が、石製鳥居です。
では、そちらに向かいます。

石製鳥居のある神社はとても小さく、何より奥行きがありません。
こちらは松原道祖神社で、この写真でその全景です。
松原道祖神社の沿革は不明ですが、
少なくとも平安京遷都の794年にはこの地にいらしたようです。
「宇治拾遺物語」にも出てくる当時からよく知られた神社でした。
まぁ当時はこの松原通は「五条大路」だったので、
こちらも「五条道祖神社」と呼ばれていました。
ご祭神は、猿田彦と天細女命(あめのうずめのみこと)の夫婦神です。
夫婦神で旅を司る神様なので、御利益もその辺に集中します。

松原道祖神社から、新町通を南に向いています。
ここから約450m進むと、第514回ブログの
六条会商店街最東端に到達します。

今度は同じ場所で、新町通を北に向きました。
では、こちらから松原通に戻ります。

新町通から、松原通を西に向ています。
では、こちらから若宮通に戻っていきます。

こちらは、「松原若宮」の辻南東角の住宅です。
実は1Fが店舗で、入り口付近で段ボールに入った
靴下や様々な生活雑貨が売られていました。

松原通から、若宮通を北に向いています。
ここまで連載してきた若宮通も、あと100mです。
ただ今回ブログもだいぶ写真を貼り付けたので、ここまでとします。
~次回は、菅大神社にお参りします。
つまり、次回で「若宮通編」がいったん終了します~

表札が色落ちして文字が読めませんが、
万寿寺通から若宮通を北に向いています。
今回は、松原京極商店街の東端部分にお邪魔します。
撮影日は、2017年10月26日木曜日午後2時半。
第25回ブログ以来ですね。

万寿寺通から、若宮通を北上しています。
外観から左(西)側に見えるのは製材所と思っていたのですが、
正面から見るとテナントが何軒か入っていました。

その一見製材所に見える場所から、若宮通を北に向いています。
この辺りは京町家と真新しい住宅が混じり合っており、
独特な雰囲気を作り出しています。

さらに若宮通を北上すると、こちらの郵便局があります。
京都松原若宮郵便局は問屋街と商店街に囲まれており、
たくさんの方々が訪れておられました。

京都松原若宮郵便局の向かい(東)側に、こちらがあります。
どうやら、着物に家紋を入れる職人さんのお店のようです。
まぁ室町や新町の呉服問屋が近いですからね。

京都松原若宮郵便局の北側に、
こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
では、こちらにお参りして先に進みます。

万寿寺通から、若宮通を約100m北上しました。
ここで若宮通は、松原通と交差します。

若宮通から、松原通を西に向いています。
この辺りは、松原京極商店街の只中です。
商店街内を表すペナントが下がっていますが、
5年前にはあった京都サンガの応援フラッグがありません。
そう言えば、他の商店街でもだんだんなくなっています。
こちらに自分が中学生時代に塾通い中によく立ち寄った
お好み焼き屋さんがあるのですが、今は閉まっています。

こちらが、そのお好み焼き屋さんの店頭にあったボードです。
どうやら今回ブログ撮影日は、定休日のようです。
ただ自分がブログ撮影ができるのは、
自分の仕事が休みの毎週木曜日です。
こちらのお店に立ち寄りたかったのですが、仕方なく素通りです。

そのお好み焼き屋さんの前で、松原通を西に向いています。
目の前の西洞院通まで松原通は非常に道幅が狭くなりますが、
この間に、たくさんのお店が集中しています。

若宮通と西洞院通との間の松原通沿いに、
浄土真宗大谷派の光圓寺があります。
こちらは親鸞が佐渡島に配流される直前の居住地で、
京都に戻った後もここに留まりこの地で亡ったという説が有力です。
(実は、同じく京都市街地の善法院とする説も有力です)
とは言えその頃は今の伏見区深草にあったそうで、
そちらには現在西岸寺が建っています。(第126回ブログを参照)

浄土真宗大谷派光圓寺の前で、松原通を西に向いています。
光圓寺の向かい(西)側に八百屋さんが見えますが、
時節柄でしょうかキノコがたくさん売られていました。
その先(西)で、松原通は西洞院通と交差しています。

松原通から、西洞院通を南を向いています。
「松原西洞院」交差点南西角に、石製鳥居が見えますね。

松原通から西洞院通を少し南下し、石製鳥居を正面から見ています。
こちらは、五条天満宮です。
豊臣秀吉が京都市街地の区画整理をするまで、
この松原通が五条大路でした。
ですから、今でも松原通沿いに「五条」の地名が残っています。

石製鳥居をくぐり、五条天満宮の境内に入ってきました。
先ずは、こちらの手水舎で手を浄めます。

その奥に、五条天満宮の本殿がいらっしゃいます。
両脇の狛犬が、どちらも吽形なのが変わっていますね。
五条天満宮は、菅原道真が生まれる前に建立しました。
ですから、ご祭神も菅原道真ではなく大己貴命です。
(オオナムチノミコトは雨を司る蛇神とされ、
こちらを「天神」とする神社もまだ残っています)
平安京遷都直後はこの数倍の境内でしたが、
戦乱・大火の度に縮小していったのは、よくあることですね。

現在の五条天満宮境内は、近くのマンション利用者の駐車場です。
その自動車の脇を縫って、松原通に出ます。

五条天満宮北門の前で、松原通を西に向いています。
ここから松原通は、約400m先の大宮通沿いまで
松原京極商店街が続いています。

今度は同じ場所で、松原通を東に向きました。
では目の前の西洞院を渡り、若宮通を目指します。

松原通から、西洞院通を北に向いています。
この辺りから北の西洞院通は、飲食店が多くなります。
まぁここから約600m北に祇園祭では蟷螂山が立ちますし、
四条通が近いのでもう繁華街の一部ですね。

西洞院通から、松原通を東に向いています。
松原通が上り坂になっていますが、西洞院通の土地が低いようです。
それは大昔西洞院通が川だった名残です。

西洞院通から、松原通を東に向いています。
フレームから切れていますが、右(東)側が先程の八百屋さんです。
光圓寺前の黄色いペナントに、「牛若丸・弁慶」が描かれています。
これは今の松原橋こそが昔の五条大橋なので、
この商店街の象徴となっています。

先程はとばしましたが、光圓寺の東隣にこちらの家屋がありました。
こちらは町屋カフェですね。
相当気になるのですが、時間と金銭に余裕がないので
ここも泣く泣く素通りです。
(最近こういう状態なので、お店にはあまり寄れません……)

その町屋カフェの東側に、若宮通が通っています。
では、ここから若宮通以東の松原京極商店街に向かいます。

若宮通から、松原通を東に向いています。
この上り坂に、鶏肉屋さんが見えます。(「かしわ」の看板)
こちらも、第25回ブログに出てきましたね。

若宮通から、松原通を東に約50m進みました。
こちらで、松原京極商店街の東端新町通と交差します。

新町通から、松原通を東に向いています。まだまだ上り坂ですね。
ここから東の松原通は、河原町通付近まで問屋街です。
(詳細は、第24回ブログ・第25回ブログ参照)

今度は松原通から、新町通を北に向いています。
この辺りも、ずっと問屋さんが続きます。
約100m先の信号付近に高辻通が伸びており、
その先に祇園祭で岩戸山や船鉾が立ちます。

さらに松原通から、新町通を南に向きました。
「松原新町」の辻南西角のお寿司屋さんの南隣が、石製鳥居です。
では、そちらに向かいます。

石製鳥居のある神社はとても小さく、何より奥行きがありません。
こちらは松原道祖神社で、この写真でその全景です。
松原道祖神社の沿革は不明ですが、
少なくとも平安京遷都の794年にはこの地にいらしたようです。
「宇治拾遺物語」にも出てくる当時からよく知られた神社でした。
まぁ当時はこの松原通は「五条大路」だったので、
こちらも「五条道祖神社」と呼ばれていました。
ご祭神は、猿田彦と天細女命(あめのうずめのみこと)の夫婦神です。
夫婦神で旅を司る神様なので、御利益もその辺に集中します。

松原道祖神社から、新町通を南に向いています。
ここから約450m進むと、第514回ブログの
六条会商店街最東端に到達します。

今度は同じ場所で、新町通を北に向きました。
では、こちらから松原通に戻ります。

新町通から、松原通を西に向ています。
では、こちらから若宮通に戻っていきます。

こちらは、「松原若宮」の辻南東角の住宅です。
実は1Fが店舗で、入り口付近で段ボールに入った
靴下や様々な生活雑貨が売られていました。

松原通から、若宮通を北に向いています。
ここまで連載してきた若宮通も、あと100mです。
ただ今回ブログもだいぶ写真を貼り付けたので、ここまでとします。
~次回は、菅大神社にお参りします。
つまり、次回で「若宮通編」がいったん終了します~
~追記 その1~
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
松原道祖神社が、起点です。
~追記 その2~
伊藤若冲率いる錦市場のライバルの商店街って……
第426回ブログで、江戸時代を代表する画家伊藤若冲が
10年にわたって絵画制作を中断して、
錦市場を廃止しようとした京都町奉行と戦ったことを書きました。
その京都町奉行がそこまで錦市場を目の敵にした理由は、
錦市場のライバル市場が、京都町奉行に賄賂を贈った上で
錦市場の廃止を依頼したからでした。
その「ライバル市場」というのが、
今の「松原西洞院」交差点付近にあったそうです。
……って、今の松原京極商店街の位置にあったことになります!
もちろんその錦市場のライバル市場と松原京極商店街とは
全然別の組織なのですが、(時代的にも寸断があります)
伊藤若冲の活躍がなければ、むしろこの位置に
京都市街随一の市場が広がっていた可能性があったわけです。
本当に、これが「歴史の綾」と言えますね。
この辺の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
松原道祖神社が、起点です。
~追記 その2~
伊藤若冲率いる錦市場のライバルの商店街って……
第426回ブログで、江戸時代を代表する画家伊藤若冲が
10年にわたって絵画制作を中断して、
錦市場を廃止しようとした京都町奉行と戦ったことを書きました。
その京都町奉行がそこまで錦市場を目の敵にした理由は、
錦市場のライバル市場が、京都町奉行に賄賂を贈った上で
錦市場の廃止を依頼したからでした。
その「ライバル市場」というのが、
今の「松原西洞院」交差点付近にあったそうです。
……って、今の松原京極商店街の位置にあったことになります!
もちろんその錦市場のライバル市場と松原京極商店街とは
全然別の組織なのですが、(時代的にも寸断があります)
伊藤若冲の活躍がなければ、むしろこの位置に
京都市街随一の市場が広がっていた可能性があったわけです。
本当に、これが「歴史の綾」と言えますね。
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