第540回 法住寺の厄払い行列~法住寺の節分会~その1
[法住寺] ブログ村キーワード
10日ゑびすの連載も終わり、2018年も2月に入ってきました。
2月のはじめと言えば、節分ですね。
まぁ日本全国的な行事ではありますが、
京都では各神社仏閣で「節分会」と言う大きな例祭が行われます。
この「京の道 今日の道」も毎年この節分会に参拝に向かい、
壬生寺・千本釈迦堂・釘抜き地蔵・千本ゑんま堂、八坂神社などで
節分会を参拝しました。
そこで、2018年ではこのブログ2度目の法住寺に向かいます。
2015年に一度こちらの節分会にお邪魔したのですが、
その時は仕事の都合で途中で帰ってしまいました。

わざわざ京都駅までいったん行って、206系市バスに乗りました。
そちらから七条通沿いに鴨川を東に渡り、
「博物館・三十三間堂」バス停で降りました。
法住寺は、この周辺の「三十三間堂回り」にあります。
今回は法住寺からこの近所を巡る「厄払い行列」を見て、
その後三十三間堂内の「法住持殿」を散策します。
撮影日は、2018年2月3日節分の土曜日午前11時。
寒いながらも、快晴でした。

「博物館・三十三間堂」バス停前から、七条通を東に向いています。
先程まで乗っていた206系市バスが、さらに東に去っていきます。
この206系市バスは、約150m先の智積院で七条通を突き当り、
そこから東大路を北上して祇園や岡崎に向かいます。

市バスが去っても、同じ位置で七条通を東に向いています。
七条通の左(北)側は、京都国立博物館です。
パリのルーブル美術館を模しているので、赤レンガが特徴です。
一方、右(南)側は三十三間堂です。

こちらが、京都国立博物館の入り口です。
この中には旧館と新館が建っていますが、
その周囲の庭園も「公園」としてなかなか寛げます。
2月ではまだまだ寒いですが、
GWの連休には毎年こちらで日がな1日休憩しています。

京都国立博物館入り口前から、七条通を渡る横断歩道があります。
次はこちらを渡り、七条通南側歩道に向かいます。

七条通から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
こちらは約200mほどの4車線の道で、
この道の左右に様々な寺院が建ち並んでいます。
この道より右(西)側が三十三間堂で、
目の前の入り口からその三十三間堂に入れます。

その位置で、七条通を東に向いています。
横断歩道の先に、赤十字血液センターがあります。
そして、その脇に法住寺節分会の看板が出ています。
京都の神社仏閣のすべてが節分会を行う訳ではなく、
この辺で一番規模が大きいのがこの法住寺の節分会です。

「三十三間堂廻り」の東側に渡り、南を向いています。
赤十字血液センター前にも立派な大桜が見えますが、
この辺りは京都でも屈指の桜の名所です。
この道の西半分は三十三間堂ですが、
東半分は赤十字血液センターやハイアットリージェンシー京都以外に
養源院と後白河天皇陵・法住寺が並んでいます。

その位置で、暫し立ち止まって待っていました。
そして、2018年2月3日午前11時5分ごろ。
法住寺から、「厄払い」のご一行が
「三十三間堂廻り」を北上してきました。

では、三十三間堂の入り口を背景に
法住寺による「厄払い」ご一行を順に撮っていきます。
仙頭は紋付き袴の小父さんですが、この方が多分世話役です。
その後ろを法螺貝を奏でる修験者がいらして、
さらに後ろの紫衣姿の僧侶は法住寺の住職です。

法住寺住職の真後ろに、天狗の扮装をされた方が通りました。
さらに後ろから、赤鬼、青鬼、黒鬼が通り過ぎます。
天狗は錫杖、赤鬼は宝剣、青鬼は斧、黒鬼は槌を持っています。

さらに最後尾には、背広姿の男性が太鼓を叩いておられました。
こちらの太鼓は先程の法螺貝と合わせて、曲を演奏されていました。

法住寺の「厄払い」ご一行は、三十三間堂の入り口を通り過ぎ
七条通の方に向かっていきました。
その周囲にマスコミ関係者や野次馬(おもにヨーロッパ系の白人)が
このご一行について回ります。

……という訳で、自分はこのご一行の後を
「三十三間堂廻り」限定で付いていきます。
このご一行は七条通に出た後西に進み、
この辺りの各商店を回り厄払いを行います。
確か最初は、「七条大和大路」交差点にある薬局のはずです。
(法住寺のHPを参照にしています)

その「厄払い」ご一行があたりを回られている間に、
自分はこちらに戻ってきました。
法住寺の節分会で次の行事が行われる前に、
先に三十三間堂を回ります。

先程の入り口から西に進み、三十三間堂駐車場に来ました。
では、こちらで600円納めて三十三間堂境内に入っていきます。

先程の建物内に、こちらの通路があります。
ここを南下すると、三十三間堂境内に入ります。

先程の通路から、三十三間堂境内に入ってきました。
そこから西を向くと、参進閣に入れます。
三十三間堂内には、こちらから入ります。

ただ、今回ブログ取材では三十三間堂境内の庭園が中心です。
同じ位置で南を向き、先にこちらの庭園を散策します。

南北に長い三十三間堂の東側境内は、
こちらも南北に長い庭園です。
そちらには石畳の道があって、
車いすでも進めるよう配慮されています。

その三十三間堂庭園に関する看板が、
庭園の北端に立っています。
こちらの庭園は、「法住寺殿」と呼ばれています。
三十三間堂の庭園が、東隣の寺院の名称で呼ばれるのは
この辺り一帯が元々法住寺の境内だったからです。
平安時代末期、この辺りに後白河上皇の邸宅がありました。
(その北側の六波羅には、平清盛の邸宅がありました)
後白河上皇崩御の後、この辺りは法住寺となりました。
三十三間堂は、その法住寺のお堂の一つでした。
それが戦災の度に法住寺は小さくなって、
遂に三十三間堂は独立した「蓮華法院」と言う寺院になりました。

では、その石畳の道を南下していきます。
こうして見ると、この道の東半分が様々な植物が植えてある
庭園であることが分かります。
この庭園は、後白河上皇がご存命中にあったものと
同じ位置に造営されています。

その辺りで、石畳の道を東に向きました。
こちらが、法住寺殿にある二つの池のうちの北側です。
この辺りは桜の木々が並び、京都屈指の桜の名所でもあります。
(第300回ブログを参照)

その池の前で、法住寺殿を南に向きています。
法住寺殿はこのまま約150mほど南に伸びています。
ただ次回ブログとのバランスの関係で、今回はここまでです。
~次回は法住寺殿の残りを回り、三十三間堂の中に入ります~
10日ゑびすの連載も終わり、2018年も2月に入ってきました。
2月のはじめと言えば、節分ですね。
まぁ日本全国的な行事ではありますが、
京都では各神社仏閣で「節分会」と言う大きな例祭が行われます。
この「京の道 今日の道」も毎年この節分会に参拝に向かい、
壬生寺・千本釈迦堂・釘抜き地蔵・千本ゑんま堂、八坂神社などで
節分会を参拝しました。
そこで、2018年ではこのブログ2度目の法住寺に向かいます。
2015年に一度こちらの節分会にお邪魔したのですが、
その時は仕事の都合で途中で帰ってしまいました。

わざわざ京都駅までいったん行って、206系市バスに乗りました。
そちらから七条通沿いに鴨川を東に渡り、
「博物館・三十三間堂」バス停で降りました。
法住寺は、この周辺の「三十三間堂回り」にあります。
今回は法住寺からこの近所を巡る「厄払い行列」を見て、
その後三十三間堂内の「法住持殿」を散策します。
撮影日は、2018年2月3日節分の土曜日午前11時。
寒いながらも、快晴でした。

「博物館・三十三間堂」バス停前から、七条通を東に向いています。
先程まで乗っていた206系市バスが、さらに東に去っていきます。
この206系市バスは、約150m先の智積院で七条通を突き当り、
そこから東大路を北上して祇園や岡崎に向かいます。

市バスが去っても、同じ位置で七条通を東に向いています。
七条通の左(北)側は、京都国立博物館です。
パリのルーブル美術館を模しているので、赤レンガが特徴です。
一方、右(南)側は三十三間堂です。

こちらが、京都国立博物館の入り口です。
この中には旧館と新館が建っていますが、
その周囲の庭園も「公園」としてなかなか寛げます。
2月ではまだまだ寒いですが、
GWの連休には毎年こちらで日がな1日休憩しています。

京都国立博物館入り口前から、七条通を渡る横断歩道があります。
次はこちらを渡り、七条通南側歩道に向かいます。

七条通から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
こちらは約200mほどの4車線の道で、
この道の左右に様々な寺院が建ち並んでいます。
この道より右(西)側が三十三間堂で、
目の前の入り口からその三十三間堂に入れます。

その位置で、七条通を東に向いています。
横断歩道の先に、赤十字血液センターがあります。
そして、その脇に法住寺節分会の看板が出ています。
京都の神社仏閣のすべてが節分会を行う訳ではなく、
この辺で一番規模が大きいのがこの法住寺の節分会です。

「三十三間堂廻り」の東側に渡り、南を向いています。
赤十字血液センター前にも立派な大桜が見えますが、
この辺りは京都でも屈指の桜の名所です。
この道の西半分は三十三間堂ですが、
東半分は赤十字血液センターやハイアットリージェンシー京都以外に
養源院と後白河天皇陵・法住寺が並んでいます。

その位置で、暫し立ち止まって待っていました。
そして、2018年2月3日午前11時5分ごろ。
法住寺から、「厄払い」のご一行が
「三十三間堂廻り」を北上してきました。

では、三十三間堂の入り口を背景に
法住寺による「厄払い」ご一行を順に撮っていきます。
仙頭は紋付き袴の小父さんですが、この方が多分世話役です。
その後ろを法螺貝を奏でる修験者がいらして、
さらに後ろの紫衣姿の僧侶は法住寺の住職です。

法住寺住職の真後ろに、天狗の扮装をされた方が通りました。
さらに後ろから、赤鬼、青鬼、黒鬼が通り過ぎます。
天狗は錫杖、赤鬼は宝剣、青鬼は斧、黒鬼は槌を持っています。

さらに最後尾には、背広姿の男性が太鼓を叩いておられました。
こちらの太鼓は先程の法螺貝と合わせて、曲を演奏されていました。

法住寺の「厄払い」ご一行は、三十三間堂の入り口を通り過ぎ
七条通の方に向かっていきました。
その周囲にマスコミ関係者や野次馬(おもにヨーロッパ系の白人)が
このご一行について回ります。

……という訳で、自分はこのご一行の後を
「三十三間堂廻り」限定で付いていきます。
このご一行は七条通に出た後西に進み、
この辺りの各商店を回り厄払いを行います。
確か最初は、「七条大和大路」交差点にある薬局のはずです。
(法住寺のHPを参照にしています)

その「厄払い」ご一行があたりを回られている間に、
自分はこちらに戻ってきました。
法住寺の節分会で次の行事が行われる前に、
先に三十三間堂を回ります。

先程の入り口から西に進み、三十三間堂駐車場に来ました。
では、こちらで600円納めて三十三間堂境内に入っていきます。

先程の建物内に、こちらの通路があります。
ここを南下すると、三十三間堂境内に入ります。

先程の通路から、三十三間堂境内に入ってきました。
そこから西を向くと、参進閣に入れます。
三十三間堂内には、こちらから入ります。

ただ、今回ブログ取材では三十三間堂境内の庭園が中心です。
同じ位置で南を向き、先にこちらの庭園を散策します。

南北に長い三十三間堂の東側境内は、
こちらも南北に長い庭園です。
そちらには石畳の道があって、
車いすでも進めるよう配慮されています。

その三十三間堂庭園に関する看板が、
庭園の北端に立っています。
こちらの庭園は、「法住寺殿」と呼ばれています。
三十三間堂の庭園が、東隣の寺院の名称で呼ばれるのは
この辺り一帯が元々法住寺の境内だったからです。
平安時代末期、この辺りに後白河上皇の邸宅がありました。
(その北側の六波羅には、平清盛の邸宅がありました)
後白河上皇崩御の後、この辺りは法住寺となりました。
三十三間堂は、その法住寺のお堂の一つでした。
それが戦災の度に法住寺は小さくなって、
遂に三十三間堂は独立した「蓮華法院」と言う寺院になりました。

では、その石畳の道を南下していきます。
こうして見ると、この道の東半分が様々な植物が植えてある
庭園であることが分かります。
この庭園は、後白河上皇がご存命中にあったものと
同じ位置に造営されています。

その辺りで、石畳の道を東に向きました。
こちらが、法住寺殿にある二つの池のうちの北側です。
この辺りは桜の木々が並び、京都屈指の桜の名所でもあります。
(第300回ブログを参照)

その池の前で、法住寺殿を南に向きています。
法住寺殿はこのまま約150mほど南に伸びています。
ただ次回ブログとのバランスの関係で、今回はここまでです。
~次回は法住寺殿の残りを回り、三十三間堂の中に入ります~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
法住寺が、起点です。
~追記 その2~
京都人にとっての節分
最近、あちこちのサイトを覗いていると
節分の謂れとかが書かれているものを目にします。
節分とは旧暦の大晦日のことですが、
そのことが多くの方々に一般的なことではなくなっているのは
正直複雑な思いがあります。
どうやら新暦ができた1877年より前は、
大晦日の大掃除をした後に「豆まき」が行われていたなど、
今の大晦日と節分の行事が混在していたようです。
京都では節分を比較的盛大に行うのは、
まだ節分の時期に大晦日の行事を行う風習が残っているからです。
さすがに各家庭ではもうそのようなことを行わなくなりましたが、
各神社仏閣ではかなり大きな年中行事として残っています。
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
法住寺が、起点です。
~追記 その2~
京都人にとっての節分
最近、あちこちのサイトを覗いていると
節分の謂れとかが書かれているものを目にします。
節分とは旧暦の大晦日のことですが、
そのことが多くの方々に一般的なことではなくなっているのは
正直複雑な思いがあります。
どうやら新暦ができた1877年より前は、
大晦日の大掃除をした後に「豆まき」が行われていたなど、
今の大晦日と節分の行事が混在していたようです。
京都では節分を比較的盛大に行うのは、
まだ節分の時期に大晦日の行事を行う風習が残っているからです。
さすがに各家庭ではもうそのようなことを行わなくなりましたが、
各神社仏閣ではかなり大きな年中行事として残っています。
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