第547回 膏薬辻子の京町家~若宮通南から北EX~その2
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前回ブログに訪問した杉本家住宅の西隣に、石畳の小路が見えます。
こちらは「膏薬辻子」(こうやくのずし)と呼ばれる道で、
綾小路~四条通間を蛇行しながら伸びています。
今回は、綾小路から膏薬辻子を四条通まで北上します。
撮影日は、2018年3月1日木曜日午後5時。
京町家が並ぶ古い家並みですが、様々なお店も並びます。

綾小路から、膏薬辻子を北上しています。
膏薬辻子は、石畳が敷き詰められた約3mの道幅の小路です。
お気づきでしょうが、自動車は絶対に通れない道幅です。
この辺りは文化庁や京都市が定めた保存地区ではありませんが、
こちらの町内(下京区新釜座町)の方々のご努力によって
京町家の家並みが続いています。
(下京区にはそういう地区が他にいくつかあります)
膏薬辻子の左(西)側には呑み屋さんがありますが、
この地区には飲食店が何軒か並んでいます。
また右(東)側の塀は、前回ブログで訪れた杉本家のものです。

この辺りで、東を向きました。
こちらのブリキ製表札には、「下京区矢田町」と表示されています。
膏薬辻子の大半が新釜座町なのですが、
先程の写真が写っていた呑み屋さんと杉本家は矢田町です。
つまり、この辺り以北が新釜座町です。

その表札の辺りから、北を向いています。
つまり、この写真の辺で矢田町から新釜座町に移ります。

ですから、この辺りでまた表札を調べると
「下京区新釜座町」と書かれていました。

綾小路から、膏薬辻子を約50m北上しました。
ここで膏薬辻子はいったん突き当たりますが、
まだまだ右(東)の方に伸びる道が続きます。
……とその前に、左(西)側の赤い布が気になります。
ちょっとこちらを覗いてみます。

こちらが、その京町家です。
赤い布に「ぜんざい」と書かれているように、
こちらは「喜多西」という喫茶店です。
ただ、残念ながら2018年3月1日午後5時現在
こちらは閉店していました。

……で、2018年3月8日木曜日午後1時に再訪問しました。
こちらは喫茶店なのですが、ランチメニューも充実しています。
時間帯もあって、喫茶メニューよりも食事を頂きました。
隣の方が食べられていたカレーが美味しそうだったのですが、
ちょっと気が変わって鍋焼きうどんセットを頂きました。
右脇に、「黒七味」と書かれた七味があります。
確かに通常よりも黒い七味でしたが、
赤唐辛子よりも黒胡椒が多いのでしょうか?

その鍋焼きうどんをアップで写しました。
「京風」と書かれていたのですが、
それはうどんつゆの味からでしょうか?
それとも、銀杏が入っているからでしょうか?
ちょっと熱かったので、時間をかけて頂きました。

セットメニューなので、食後にコーヒーが付いています。
右脇のチョコレートは、店の方のサービスでした。
(この瞬間にお話して、ブログ掲載の許可を頂きました)
ちなみに、左側のパウンドケーキは別売りです。

こちらが、そのパウンドケーキです。
自分が食事していたテーブルに乗っていたので、
つい勢いで買ってしまいました。
ここのお店の方が焼かれた自家製ですね。
油分が多くて、甘くしっとりしていました。

喜多西には、約30分いました。
店を出て、膏薬辻子を東に向いています。
この右(南)側にも道が伸びていて、
綾小路からそこを通ってここまで来ました。
右(南)側の京町家もお店のようです。
衣斐茶色の暖簾が、きれいですね。

こちらが、そのお店です。
木版画ということは、錦絵を販売しているのでしょうね。
灯りは点いていたのですが閉まっていたので、
中には入りませんでした。

その木版画屋さんの前で、膏薬辻子を東に向いています。
膏薬辻子は、ここでまた突き当り、北へと進路を変えます。

その角で、膏薬辻子を北に向いています。
この道は、約70m先の四条通まで続きます。

その角の辺りに、こちらの張り紙はありました。
こちらに、新釜座町町内会の決まりが書いてありました。
やはり京町家の家並みを保存していくためには
地域住民互いの協力が必要なのでしょうね。
この張り紙が斜めになっていますが、
それは張り紙自体が斜めだからです。

こちらは、その張り紙の向かい(東)側です。
2Fには虫籠窓がついていて、
1Fは犬矢来が付いていないものの、出格子状になっています。
こちらは典型的な京町家で、この町内の標準的な仕様です。

その京町家の前で、膏薬辻子を北に向いています。
この辺りの京町家の大半は、民家ではなく
飲食店やホテル・小売店舗です。
右(東)側に注連縄が付いた町家がありますね。

こちらが、その注連縄の付いた京町家です。
こちらは、小さいながらも京都神田明神という神社で
東京の神田明神同様平将門がご祭神です。
平安時代前半の935年に起こった平将門の反乱の後
日本各地で天災や疫病が流行りました。
これを処刑された平将門の怨念が原因と恐れた人々が
平将門の首塚(要するに、お墓)に参拝し始め、
その信仰が日本全国に広がりました。
(これが、東京の神田明神の由縁)
京都でも平将門のご遺体が納まっていないものの、
首塚を立てる機運が高まり、
空也が音頭を取って平安時代の半ばにこちらが創建されました。
ところが時代を経るごとに「平将門」という名前が薄れて、
こちらが「空也の塚」と呼ばれるようになって、
それが訛って「膏薬辻子」(こうやくのずし)という
現在の地名となりました。
膏薬辻子はこの神社の別称で、道の名称で、町内の別称です。

京都神田明神の手前で、膏薬辻子を北に向いています。
もう間もなく、こちらも四条通に出ます。

こちらは、その辺りの京町家です。
2Fは虫籠窓ではありませんし1Fに犬矢来も無いですが、
窓は出格子上ですし、入り口から
中に走り庭が細長く伸びていると想像されます。

その位置で、膏薬辻子を北に向きました。
四条通も、もう目の前ですね。

その辺りで膏薬辻子の東側を向きました。
看板から、こちらの京町家は呑み屋さんだと分かりますね。

そして、ここが膏薬辻子の最北端四条通との交差点です。
左(西)側の京町家は、祇園祭前祭で郭巨山の会所になります。
(自分がいつも粽を買う会所です。第499回ブログ参照)
そうそう、右(東)側に立札が立っていますね。

こちらが、その立て札です。
前述の膏薬辻子の由来は、こちらを参考にしました。

膏薬辻子から、四条通を東を向いています。
約50m先が「四条新町」交差点で、
そこより北に放下鉾、南に大船鉾が祇園祭に立ちます。
(それぞれ前祭と後祭の鉾なので、同時には立ちません)

同じ場所で、四条通を西に向きました。
ここから約70m先が「四条西洞院」交差点で、
祇園祭前祭では四条傘鉾や蟷螂山が立ちます。
(第499回ブログを参照)

さらに、同じ位置で北を向きました。
四条通以北はもう膏薬辻子ではないのですが、
それでも小路がまだまだ北に伸びています。
ですから、次回以上はこちらの道を北上していきます。
今回は、ここまでです。

前回ブログに訪問した杉本家住宅の西隣に、石畳の小路が見えます。
こちらは「膏薬辻子」(こうやくのずし)と呼ばれる道で、
綾小路~四条通間を蛇行しながら伸びています。
今回は、綾小路から膏薬辻子を四条通まで北上します。
撮影日は、2018年3月1日木曜日午後5時。
京町家が並ぶ古い家並みですが、様々なお店も並びます。

綾小路から、膏薬辻子を北上しています。
膏薬辻子は、石畳が敷き詰められた約3mの道幅の小路です。
お気づきでしょうが、自動車は絶対に通れない道幅です。
この辺りは文化庁や京都市が定めた保存地区ではありませんが、
こちらの町内(下京区新釜座町)の方々のご努力によって
京町家の家並みが続いています。
(下京区にはそういう地区が他にいくつかあります)
膏薬辻子の左(西)側には呑み屋さんがありますが、
この地区には飲食店が何軒か並んでいます。
また右(東)側の塀は、前回ブログで訪れた杉本家のものです。

この辺りで、東を向きました。
こちらのブリキ製表札には、「下京区矢田町」と表示されています。
膏薬辻子の大半が新釜座町なのですが、
先程の写真が写っていた呑み屋さんと杉本家は矢田町です。
つまり、この辺り以北が新釜座町です。

その表札の辺りから、北を向いています。
つまり、この写真の辺で矢田町から新釜座町に移ります。

ですから、この辺りでまた表札を調べると
「下京区新釜座町」と書かれていました。

綾小路から、膏薬辻子を約50m北上しました。
ここで膏薬辻子はいったん突き当たりますが、
まだまだ右(東)の方に伸びる道が続きます。
……とその前に、左(西)側の赤い布が気になります。
ちょっとこちらを覗いてみます。

こちらが、その京町家です。
赤い布に「ぜんざい」と書かれているように、
こちらは「喜多西」という喫茶店です。
ただ、残念ながら2018年3月1日午後5時現在
こちらは閉店していました。

……で、2018年3月8日木曜日午後1時に再訪問しました。
こちらは喫茶店なのですが、ランチメニューも充実しています。
時間帯もあって、喫茶メニューよりも食事を頂きました。
隣の方が食べられていたカレーが美味しそうだったのですが、
ちょっと気が変わって鍋焼きうどんセットを頂きました。
右脇に、「黒七味」と書かれた七味があります。
確かに通常よりも黒い七味でしたが、
赤唐辛子よりも黒胡椒が多いのでしょうか?

その鍋焼きうどんをアップで写しました。
「京風」と書かれていたのですが、
それはうどんつゆの味からでしょうか?
それとも、銀杏が入っているからでしょうか?
ちょっと熱かったので、時間をかけて頂きました。

セットメニューなので、食後にコーヒーが付いています。
右脇のチョコレートは、店の方のサービスでした。
(この瞬間にお話して、ブログ掲載の許可を頂きました)
ちなみに、左側のパウンドケーキは別売りです。

こちらが、そのパウンドケーキです。
自分が食事していたテーブルに乗っていたので、
つい勢いで買ってしまいました。
ここのお店の方が焼かれた自家製ですね。
油分が多くて、甘くしっとりしていました。

喜多西には、約30分いました。
店を出て、膏薬辻子を東に向いています。
この右(南)側にも道が伸びていて、
綾小路からそこを通ってここまで来ました。
右(南)側の京町家もお店のようです。
衣斐茶色の暖簾が、きれいですね。

こちらが、そのお店です。
木版画ということは、錦絵を販売しているのでしょうね。
灯りは点いていたのですが閉まっていたので、
中には入りませんでした。

その木版画屋さんの前で、膏薬辻子を東に向いています。
膏薬辻子は、ここでまた突き当り、北へと進路を変えます。

その角で、膏薬辻子を北に向いています。
この道は、約70m先の四条通まで続きます。

その角の辺りに、こちらの張り紙はありました。
こちらに、新釜座町町内会の決まりが書いてありました。
やはり京町家の家並みを保存していくためには
地域住民互いの協力が必要なのでしょうね。
この張り紙が斜めになっていますが、
それは張り紙自体が斜めだからです。

こちらは、その張り紙の向かい(東)側です。
2Fには虫籠窓がついていて、
1Fは犬矢来が付いていないものの、出格子状になっています。
こちらは典型的な京町家で、この町内の標準的な仕様です。

その京町家の前で、膏薬辻子を北に向いています。
この辺りの京町家の大半は、民家ではなく
飲食店やホテル・小売店舗です。
右(東)側に注連縄が付いた町家がありますね。

こちらが、その注連縄の付いた京町家です。
こちらは、小さいながらも京都神田明神という神社で
東京の神田明神同様平将門がご祭神です。
平安時代前半の935年に起こった平将門の反乱の後
日本各地で天災や疫病が流行りました。
これを処刑された平将門の怨念が原因と恐れた人々が
平将門の首塚(要するに、お墓)に参拝し始め、
その信仰が日本全国に広がりました。
(これが、東京の神田明神の由縁)
京都でも平将門のご遺体が納まっていないものの、
首塚を立てる機運が高まり、
空也が音頭を取って平安時代の半ばにこちらが創建されました。
ところが時代を経るごとに「平将門」という名前が薄れて、
こちらが「空也の塚」と呼ばれるようになって、
それが訛って「膏薬辻子」(こうやくのずし)という
現在の地名となりました。
膏薬辻子はこの神社の別称で、道の名称で、町内の別称です。

京都神田明神の手前で、膏薬辻子を北に向いています。
もう間もなく、こちらも四条通に出ます。

こちらは、その辺りの京町家です。
2Fは虫籠窓ではありませんし1Fに犬矢来も無いですが、
窓は出格子上ですし、入り口から
中に走り庭が細長く伸びていると想像されます。

その位置で、膏薬辻子を北に向きました。
四条通も、もう目の前ですね。

その辺りで膏薬辻子の東側を向きました。
看板から、こちらの京町家は呑み屋さんだと分かりますね。

そして、ここが膏薬辻子の最北端四条通との交差点です。
左(西)側の京町家は、祇園祭前祭で郭巨山の会所になります。
(自分がいつも粽を買う会所です。第499回ブログ参照)
そうそう、右(東)側に立札が立っていますね。

こちらが、その立て札です。
前述の膏薬辻子の由来は、こちらを参考にしました。

膏薬辻子から、四条通を東を向いています。
約50m先が「四条新町」交差点で、
そこより北に放下鉾、南に大船鉾が祇園祭に立ちます。
(それぞれ前祭と後祭の鉾なので、同時には立ちません)

同じ場所で、四条通を西に向きました。
ここから約70m先が「四条西洞院」交差点で、
祇園祭前祭では四条傘鉾や蟷螂山が立ちます。
(第499回ブログを参照)

さらに、同じ位置で北を向きました。
四条通以北はもう膏薬辻子ではないのですが、
それでも小路がまだまだ北に伸びています。
ですから、次回以上はこちらの道を北上していきます。
今回は、ここまでです。
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
膏薬辻子内の喫茶店喜多西が起点です。
~追記 その2~
桜は例年並みのようです
2018年初は肌寒い日が続き気温もだいぶ低かったのですが、
3月にはいって2018年もしっかり大量の花粉が舞っています。
自分もしっかり花粉症でボロボロです。
2017年はなかなか桜が咲かなくて困ったのですが、
(上立売通編は、後日撮り直し分も載せました)
2018年はそこまで遅れないとのことで、
ちょっと安心しています。
(ただ、2017年も当初は例年並みと聞いていました)
2018年は蓮台野の桜を散策をするのですが、
例年にない大作(長期連載)になる予定なので
例年以上に神経を尖らせています。
~追記 その3~
祝!京都に初めて勝ち点
「何が『祝!だ』」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
自分にとっては「祝!」です。
おそらく今シーズンの京都は大苦戦します。
展開次第では、J3降格の覚悟も要ります。
ですから、勝ち点が取れるうちは少しでも取れないといけません。
第2節アウェイ対福岡戦は、明らかにチームの出来上がりに差があり
正直前半に2点背先攻されたときには大敗を覚悟しました。
それを頑張って後半は無失点の2得点ですから、
もう奇跡に近い勝ち点1です。
この状況でも心が折れない選手に素晴らしさを感じ、
2018年3月11日のアウェイ対新潟戦も勝ち点を取りたいです。
それを繰り返すうちに、だんだん勝てればいいと思っています。
まだまだ苦しい状況ですが、希望はしっかりと存在しますね。
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
膏薬辻子内の喫茶店喜多西が起点です。
~追記 その2~
桜は例年並みのようです
2018年初は肌寒い日が続き気温もだいぶ低かったのですが、
3月にはいって2018年もしっかり大量の花粉が舞っています。
自分もしっかり花粉症でボロボロです。
2017年はなかなか桜が咲かなくて困ったのですが、
(上立売通編は、後日撮り直し分も載せました)
2018年はそこまで遅れないとのことで、
ちょっと安心しています。
(ただ、2017年も当初は例年並みと聞いていました)
2018年は蓮台野の桜を散策をするのですが、
例年にない大作(長期連載)になる予定なので
例年以上に神経を尖らせています。
~追記 その3~
祝!京都に初めて勝ち点
「何が『祝!だ』」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
自分にとっては「祝!」です。
おそらく今シーズンの京都は大苦戦します。
展開次第では、J3降格の覚悟も要ります。
ですから、勝ち点が取れるうちは少しでも取れないといけません。
第2節アウェイ対福岡戦は、明らかにチームの出来上がりに差があり
正直前半に2点背先攻されたときには大敗を覚悟しました。
それを頑張って後半は無失点の2得点ですから、
もう奇跡に近い勝ち点1です。
この状況でも心が折れない選手に素晴らしさを感じ、
2018年3月11日のアウェイ対新潟戦も勝ち点を取りたいです。
それを繰り返すうちに、だんだん勝てればいいと思っています。
まだまだ苦しい状況ですが、希望はしっかりと存在しますね。
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