第580回 膏薬辻子の近く~祇園祭前祭散策2018~その3
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前回ブログ最後に立ち寄った鶏鉾を背に、室町通を北上しています。
この辺りは祇園祭で一番露店が集中するのですが、
午後5時の営業開始に向けて準備中です。
今回はここから四条通に出て少し西に進んだ後、
膏薬辻子周辺の山鉾を散策します。
撮影日は、2018年7月15日宵々山の日曜日午後3時15分。
日差しが強いこともあって、寄り道に精が出ました。
先程の位置から、室町通を北上しています。
右(東)側の建物が京都市バスのターミナルということもあって、
この辺りの室町通は大通りなのですが、
それを何台ものトラックが塞いでいて、結構せまく感じます。
これらのトラックには露店の資材が積まれていて、
各露店が資材を取り出されて組み立てられている最中でした。
大通りの露店は午後5時開店を目処に、
比較的参拝者が空いている昼下がりに組み立てられます。
鶏山から、室町通を約100m北上しました。
ここで室町通は、四条通と交差します。
四条通以北の室町通には、菊水鉾が立っています。
かつてこの辺あった井戸「菊水の井」が、由来です。
こちらには、もっと後の方で近付きます。
室町通から、四条通を東に向いています。
午後6時になるまで、四条通は自動車や市バスが普通に通ります。
午後6時以降は歩行者天国になって、人間で大渋滞を起こします。
(連日京都市の全人口くらいの人数が、ここに集結します)
手前に函谷鉾が見えます。四条通を囃手が練り歩くのが有名です。
中国の洛陽と長安の間にある関所「函谷関」が由来です。
そう書くと「三国志演義」の取材に思えますが、
司馬遷による「史記」から取材しています。
函谷鉾のさらに向こうに微かに長刀鉾が見えますが、
函谷鉾と長刀鉾は、前祭散策の最後に回ります。
(約3時間後に、またここに来ます)
今度は室町通から、四条通を西に向きました。
ここに聳え立つのは、祇園祭の山鉾最大の月鉾です。
先端に、三日月型の鉾が付いていますね。
では、月鉾に近づいていきます。
例年こちらはこの時間帯でも相当混んでいるのですが、
2018年は参拝者が比較的少なめです。
そこで、例年諦めていた月鉾に近づこうと思います。
月鉾は、会所及び鉾内部の撮影を一切禁じています。
代わりに、こちらの写真を貼り付けます。
分かりにくいですが、月鉾の手拭いです。
ただ月鉾は手拭いや粽・カレンダーなどのいずれかを購入すれば、
無料で月鉾に上がれます。
自分はこちらの手拭いを購入しましたので、
遠慮なく月鉾内部に上がりました。
(ただし、先ほどの説明通り写真はありません)
昨年(2017年)上がった船鉾と比べて倍ほど高かったですが、
囃手が着席される場所は半分ほどで、油断すると落ちそうでした。
天井の金箔や彫刻などの細工は見事だったのですが、
ご祭神の月読命の神像などは、いらっしゃいませんでした。
月鉾を下りて、四条通を西に向いています。
では、こちらをさらに進んでいきます。
室町通から、四条通を西に約100m進みました。
ここで四条通は、新町通と交差します。
四条通から、新町通を北に向いています。
向こう(北側)に、放下鉾が見えます。
南京玉すだれなどの大道芸も行った「放下僧」に取材しています。
こちらには、四条通以南の山鉾の全てを見てから行きます。
また、新町通は午前中から露店が立ち並びます。
そのため、朝から参拝者で賑わいます。
新町通から、四条通を西に向いています。
四条通以南の新町通沿いの京都市下京区四条町には
後祭に大船鉾が立ちますが、前祭には何も立ちません。
そこで、もう暫く四条通を西に進みます。
新町通から、四条通を西に約50m進みました。
「膏薬辻子」(こうやくのずし)という石畳の小路が、
四条通から綾小路にかけて伸びています。
その辻の南西角に、郭巨山の会所があります。
こちらが、郭巨山会所内部の様子です。
町衆にお願いして、フレームから外れてもらいました。
お供え物の奥に、ご神体の郭巨の像がいらっしゃいます。
こちらは、郭巨という中国人を取材した山です。
親子連れで山を歩いていた郭巨が、地面から
黄金の入った釜を見つけた故事に由来します。
ですから、こちらには金運のご利益があります。
こちらの郭巨山で、また粽を買いました。
ウチは毎年こちらの郭巨山で、粽を買います。
(ですから、この時昨年の粽を返却しました)
こちらが、その袋の中身です。
金運をあげる郭巨山ですから、紙製の大判も付きます。
こちらは、ウチの母が経営する店先に吊します。
四条通から、郭巨山会所の東側に伸びる小路を南に見ています。
この小路が膏薬辻子で、第547回ブログ以来の取材です。
ここから綾小路まで、京町家と石畳の道が続きます。
膏薬辻子には民家も多いのですが、ホテルや飲食店・
さらにはこのようなお店も多くあります。
こちらは、浴衣を初めとした和服や和装小物が売られていました。
こちらの虫籠窓(むしこまど)の京町家は、京都神田明神です。
東京の神田明神同様、平将門の首塚を発祥としています。
ただ東京の方は平将門の墓を起源としていますが、
こちらは空也の発案にこの地に立てられたものです。
ですから元々「将門塚」だったわけですが、
いつの間にか建立者の「空也塚」と呼ばれるようになり、
これが何度か転訛して「膏薬辻子」になりました。
次はこちらに参拝しようとしたのですが、
閉まっていて中に入れませんでした。
この日が、日曜日だからでしょうか?
京都神田明神の前から、膏薬辻子を南に向きました。
膏薬辻子は四条通から約70m南下すると、西に折れます。
四条通から膏薬辻子を約70m南下して、西を向きました。
今度は、西に約30m膏薬辻子が続きます。
途中にたくさんの方々が集まっておられますが、
あの辺りに町屋カフェが新規オープンしていて、
そこの評判が良いみたいです。
先程の角から、膏薬辻子を西に約30m進みました。
こちらに「喜多西」という茶店があったのですが、
僅か数カ月の間に別の場所に移転していました。
結構流行っていたので、割と驚いています。
その位置から、膏薬辻子を南に向いています。
膏薬辻子は、ここから約50m先の綾小路まで続いています。
こうして見ると、右(西)側にブルーシートが掛けられています。
こちらは、先ほどの喜多西の南側に隣接します。
まぁこの辺りは特に指定文化財という訳ではないので、
ここに何を建てようと所有者の勝手ですが、
もしこの街並みが無くなったら寂しいですね。
先程の位置から、膏薬辻子を約50m南下しました。
左(東)側は杉本家で、右(西)側は飲食店のようです。
ここで膏薬辻子は、綾小路と交差します。
膏薬辻子南端で、綾小路を東に向きました。
こちらに、伯牙山が立っています。
伯牙山の西に側が、伯牙山の会所です。
次は、こちらへと入っていきます。
こちらが、伯牙山の内部です。
目の前に箏が一艘あって、注連縄の奥がご神体の伯牙の神像です。
こちらも、中国の相当古い故事に取材しています。
伯牙は箏の名手だったのですが、
伯牙の琴のいちばんの理解者で親友である方が亡くなって、
その悲しみから愛用の箏を斧で叩き割る話です。
このように中国の故事に由来するので、
こちらの山は胴掛や前掛に大昔の中国の織物を使っています。
こちらに、前掛でしょうか、胴掛でしょうか展示されていました。
その前に檜扇が生けてあります。祇園祭を象徴する花ですね。
伯牙山会所を出て、綾小路を東を向きました。
伯牙山会所は、杉本家の一部を使っています。
また、祇園祭期間中杉本家は有料で公開されます。
そういう訳で、今年(2018年)もこちらにお邪魔します。
杉本家内部は、完全に撮影が禁じられています。
そこで内部の様子を撮影した絵葉書を買って、
それを代わりに載せています。
(杉本家側から、許可は頂いています。まぁ毎年のことなので……)
右側の写真は菊花の金屏風ですが、
今年はこちら含めた数点が飾ってありました。
6畳間を4部屋回るのですが、縁側の部屋で
今年(2018年)は棕櫚の木が1本生けてありました!
杉本家の方に尋ねたところ(たまたま部屋を見て回られていました)
「金屏風に見劣りしない豪快なものを生けたいと思った」
とのことだそうです。
背後の屏風と合っていて、とても面白かったですね。
こちらは冷房が一切ないので、庭に氷柱を置かれていました。
そして杉本家の方が溶けかけた氷柱をさらに砕いて、
ここに来られた方々に配られておりました。
(甲子園の「かち割り氷」の要領で、食用に配られていました)
杉本家には、約30分いました。
綾小路に戻って、東を向いています。
目の前に、伯牙山が立っていますね。
では、ここを通ってさらに進んでいきます。
杉本家の東側京町家の前に、こちらのテントが立っていました。
こちらで、冷やしあめとグリーンティーが売られていました。
ソルティーライチを飲み切っていたので、
熱中症対策にこちらで冷やしあめを飲みました。
ではこちらから新町通に戻って船鉾や岩戸山に向かいますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。
~次回は、船鉾と岩戸山に向かいます~
~追記 その1~
この近くの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
郭巨山会所が、起点です。
~追記 その2~
W杯で、日本が活躍できたのは……
もう何日か前に終わったのですが、しつこくW杯のネタを書きます。
(その間、京都サンガが洒落にならないことになっていますが……)
いろいろ意見があるようですが、
自分はW杯で日本は成功したと思っています。
2014年W杯ブラジル大会ではアジアは0勝でした。
これで2018年ロシア大会でもアジアのグループ突破が0なら、
場合によってはW杯本戦出場枠を減らされてしまいます。
まぁポーランド戦では微妙なことになりましたが、
これだけ日本がゴールした大会は初めてでした。
(本田選手が3大会にまたがってゴールを決めたのは、
十分な偉業です)
その一方で、期待されて全然活躍しなかった国も多かったですね。
ドイツ・ポーランドが1次リーグ敗退でしたし、
南米各国が準決勝にどこも残れなかったのは、史上2度目でした。
(史上初は、1982年W杯スペイン大会)
ロシアは、多くの方の予想以上に高温でした。
また日本などの例外を除けば、大半の国はシーズン終了直後でした。
つまり、多くの選手の体調が崩れていったのでしょうね。
優れた個人技や身体能力を持っていたのしても、
それを活かすには体調管理が不可欠です。
おそらくそれにはチームスタッフの底力が不可欠で、
日本はそこが優れていたのだと分かります。
日本との対戦国の一部に疲れて体を引きずっていた選手もいましたが、
日本はその部分を武器に戦っていました。
前回ブログ最後に立ち寄った鶏鉾を背に、室町通を北上しています。
この辺りは祇園祭で一番露店が集中するのですが、
午後5時の営業開始に向けて準備中です。
今回はここから四条通に出て少し西に進んだ後、
膏薬辻子周辺の山鉾を散策します。
撮影日は、2018年7月15日宵々山の日曜日午後3時15分。
日差しが強いこともあって、寄り道に精が出ました。
先程の位置から、室町通を北上しています。
右(東)側の建物が京都市バスのターミナルということもあって、
この辺りの室町通は大通りなのですが、
それを何台ものトラックが塞いでいて、結構せまく感じます。
これらのトラックには露店の資材が積まれていて、
各露店が資材を取り出されて組み立てられている最中でした。
大通りの露店は午後5時開店を目処に、
比較的参拝者が空いている昼下がりに組み立てられます。
鶏山から、室町通を約100m北上しました。
ここで室町通は、四条通と交差します。
四条通以北の室町通には、菊水鉾が立っています。
かつてこの辺あった井戸「菊水の井」が、由来です。
こちらには、もっと後の方で近付きます。
室町通から、四条通を東に向いています。
午後6時になるまで、四条通は自動車や市バスが普通に通ります。
午後6時以降は歩行者天国になって、人間で大渋滞を起こします。
(連日京都市の全人口くらいの人数が、ここに集結します)
手前に函谷鉾が見えます。四条通を囃手が練り歩くのが有名です。
中国の洛陽と長安の間にある関所「函谷関」が由来です。
そう書くと「三国志演義」の取材に思えますが、
司馬遷による「史記」から取材しています。
函谷鉾のさらに向こうに微かに長刀鉾が見えますが、
函谷鉾と長刀鉾は、前祭散策の最後に回ります。
(約3時間後に、またここに来ます)
今度は室町通から、四条通を西に向きました。
ここに聳え立つのは、祇園祭の山鉾最大の月鉾です。
先端に、三日月型の鉾が付いていますね。
では、月鉾に近づいていきます。
例年こちらはこの時間帯でも相当混んでいるのですが、
2018年は参拝者が比較的少なめです。
そこで、例年諦めていた月鉾に近づこうと思います。
月鉾は、会所及び鉾内部の撮影を一切禁じています。
代わりに、こちらの写真を貼り付けます。
分かりにくいですが、月鉾の手拭いです。
ただ月鉾は手拭いや粽・カレンダーなどのいずれかを購入すれば、
無料で月鉾に上がれます。
自分はこちらの手拭いを購入しましたので、
遠慮なく月鉾内部に上がりました。
(ただし、先ほどの説明通り写真はありません)
昨年(2017年)上がった船鉾と比べて倍ほど高かったですが、
囃手が着席される場所は半分ほどで、油断すると落ちそうでした。
天井の金箔や彫刻などの細工は見事だったのですが、
ご祭神の月読命の神像などは、いらっしゃいませんでした。
月鉾を下りて、四条通を西に向いています。
では、こちらをさらに進んでいきます。
室町通から、四条通を西に約100m進みました。
ここで四条通は、新町通と交差します。
四条通から、新町通を北に向いています。
向こう(北側)に、放下鉾が見えます。
南京玉すだれなどの大道芸も行った「放下僧」に取材しています。
こちらには、四条通以南の山鉾の全てを見てから行きます。
また、新町通は午前中から露店が立ち並びます。
そのため、朝から参拝者で賑わいます。
新町通から、四条通を西に向いています。
四条通以南の新町通沿いの京都市下京区四条町には
後祭に大船鉾が立ちますが、前祭には何も立ちません。
そこで、もう暫く四条通を西に進みます。
新町通から、四条通を西に約50m進みました。
「膏薬辻子」(こうやくのずし)という石畳の小路が、
四条通から綾小路にかけて伸びています。
その辻の南西角に、郭巨山の会所があります。
こちらが、郭巨山会所内部の様子です。
町衆にお願いして、フレームから外れてもらいました。
お供え物の奥に、ご神体の郭巨の像がいらっしゃいます。
こちらは、郭巨という中国人を取材した山です。
親子連れで山を歩いていた郭巨が、地面から
黄金の入った釜を見つけた故事に由来します。
ですから、こちらには金運のご利益があります。
こちらの郭巨山で、また粽を買いました。
ウチは毎年こちらの郭巨山で、粽を買います。
(ですから、この時昨年の粽を返却しました)
こちらが、その袋の中身です。
金運をあげる郭巨山ですから、紙製の大判も付きます。
こちらは、ウチの母が経営する店先に吊します。
四条通から、郭巨山会所の東側に伸びる小路を南に見ています。
この小路が膏薬辻子で、第547回ブログ以来の取材です。
ここから綾小路まで、京町家と石畳の道が続きます。
膏薬辻子には民家も多いのですが、ホテルや飲食店・
さらにはこのようなお店も多くあります。
こちらは、浴衣を初めとした和服や和装小物が売られていました。
こちらの虫籠窓(むしこまど)の京町家は、京都神田明神です。
東京の神田明神同様、平将門の首塚を発祥としています。
ただ東京の方は平将門の墓を起源としていますが、
こちらは空也の発案にこの地に立てられたものです。
ですから元々「将門塚」だったわけですが、
いつの間にか建立者の「空也塚」と呼ばれるようになり、
これが何度か転訛して「膏薬辻子」になりました。
次はこちらに参拝しようとしたのですが、
閉まっていて中に入れませんでした。
この日が、日曜日だからでしょうか?
京都神田明神の前から、膏薬辻子を南に向きました。
膏薬辻子は四条通から約70m南下すると、西に折れます。
四条通から膏薬辻子を約70m南下して、西を向きました。
今度は、西に約30m膏薬辻子が続きます。
途中にたくさんの方々が集まっておられますが、
あの辺りに町屋カフェが新規オープンしていて、
そこの評判が良いみたいです。
先程の角から、膏薬辻子を西に約30m進みました。
こちらに「喜多西」という茶店があったのですが、
僅か数カ月の間に別の場所に移転していました。
結構流行っていたので、割と驚いています。
その位置から、膏薬辻子を南に向いています。
膏薬辻子は、ここから約50m先の綾小路まで続いています。
こうして見ると、右(西)側にブルーシートが掛けられています。
こちらは、先ほどの喜多西の南側に隣接します。
まぁこの辺りは特に指定文化財という訳ではないので、
ここに何を建てようと所有者の勝手ですが、
もしこの街並みが無くなったら寂しいですね。
先程の位置から、膏薬辻子を約50m南下しました。
左(東)側は杉本家で、右(西)側は飲食店のようです。
ここで膏薬辻子は、綾小路と交差します。
膏薬辻子南端で、綾小路を東に向きました。
こちらに、伯牙山が立っています。
伯牙山の西に側が、伯牙山の会所です。
次は、こちらへと入っていきます。
こちらが、伯牙山の内部です。
目の前に箏が一艘あって、注連縄の奥がご神体の伯牙の神像です。
こちらも、中国の相当古い故事に取材しています。
伯牙は箏の名手だったのですが、
伯牙の琴のいちばんの理解者で親友である方が亡くなって、
その悲しみから愛用の箏を斧で叩き割る話です。
このように中国の故事に由来するので、
こちらの山は胴掛や前掛に大昔の中国の織物を使っています。
こちらに、前掛でしょうか、胴掛でしょうか展示されていました。
その前に檜扇が生けてあります。祇園祭を象徴する花ですね。
伯牙山会所を出て、綾小路を東を向きました。
伯牙山会所は、杉本家の一部を使っています。
また、祇園祭期間中杉本家は有料で公開されます。
そういう訳で、今年(2018年)もこちらにお邪魔します。
杉本家内部は、完全に撮影が禁じられています。
そこで内部の様子を撮影した絵葉書を買って、
それを代わりに載せています。
(杉本家側から、許可は頂いています。まぁ毎年のことなので……)
右側の写真は菊花の金屏風ですが、
今年はこちら含めた数点が飾ってありました。
6畳間を4部屋回るのですが、縁側の部屋で
今年(2018年)は棕櫚の木が1本生けてありました!
杉本家の方に尋ねたところ(たまたま部屋を見て回られていました)
「金屏風に見劣りしない豪快なものを生けたいと思った」
とのことだそうです。
背後の屏風と合っていて、とても面白かったですね。
こちらは冷房が一切ないので、庭に氷柱を置かれていました。
そして杉本家の方が溶けかけた氷柱をさらに砕いて、
ここに来られた方々に配られておりました。
(甲子園の「かち割り氷」の要領で、食用に配られていました)
杉本家には、約30分いました。
綾小路に戻って、東を向いています。
目の前に、伯牙山が立っていますね。
では、ここを通ってさらに進んでいきます。
杉本家の東側京町家の前に、こちらのテントが立っていました。
こちらで、冷やしあめとグリーンティーが売られていました。
ソルティーライチを飲み切っていたので、
熱中症対策にこちらで冷やしあめを飲みました。
ではこちらから新町通に戻って船鉾や岩戸山に向かいますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。
~次回は、船鉾と岩戸山に向かいます~
~追記 その1~
この近くの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
郭巨山会所が、起点です。
~追記 その2~
W杯で、日本が活躍できたのは……
もう何日か前に終わったのですが、しつこくW杯のネタを書きます。
(その間、京都サンガが洒落にならないことになっていますが……)
いろいろ意見があるようですが、
自分はW杯で日本は成功したと思っています。
2014年W杯ブラジル大会ではアジアは0勝でした。
これで2018年ロシア大会でもアジアのグループ突破が0なら、
場合によってはW杯本戦出場枠を減らされてしまいます。
まぁポーランド戦では微妙なことになりましたが、
これだけ日本がゴールした大会は初めてでした。
(本田選手が3大会にまたがってゴールを決めたのは、
十分な偉業です)
その一方で、期待されて全然活躍しなかった国も多かったですね。
ドイツ・ポーランドが1次リーグ敗退でしたし、
南米各国が準決勝にどこも残れなかったのは、史上2度目でした。
(史上初は、1982年W杯スペイン大会)
ロシアは、多くの方の予想以上に高温でした。
また日本などの例外を除けば、大半の国はシーズン終了直後でした。
つまり、多くの選手の体調が崩れていったのでしょうね。
優れた個人技や身体能力を持っていたのしても、
それを活かすには体調管理が不可欠です。
おそらくそれにはチームスタッフの底力が不可欠で、
日本はそこが優れていたのだと分かります。
日本との対戦国の一部に疲れて体を引きずっていた選手もいましたが、
日本はその部分を武器に戦っていました。
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