第592回 西本願寺前ご縁まち~京都駅から島原へ~その2
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西本願寺の東側正面通周辺を「ご縁まち」と言います。
元は西本願寺の寺領だった土地で、
現在も仏具店が立ち並ぶ独特な街並みが続きます。
「西本願寺を散策するなら、ここを通らないと」
そう考えて、今回の連載記事を京都駅からの始まりにしました。

前回ブログで、京都タワーからその北側の小路をくねくね曲がり、
右(北)側に地域スーパーのエビスクが見える位置に来ました。
今回は目の前の新町通を北上し、
正面通経由で西本願寺の東側の門前町「ご縁まち」に向かいます。
撮影日は、2018年8月13日月曜日午後2時半。
曇りの多い日でしたが、この時間は晴れ間が出ました。

先程の位置からそのまま新町通を出て、北を向きました。
右(東)側に、エビスクの「鮮魚」と書かれた電光掲示板が見えます。
では、この新町通を北上します。
(第507回ブログ後半とほぼ同じコースを歩みます)

エビスクから、新町通を約20m北上しました。
こちらは507回ブログに出て来ましたが、何の花か分かりません。

その花の前で、新町通を北に向きました。
目の前で、新町通は七条通と交差します。

新町通から、七条通を東に向いています。
約200m先に、京都駅前ともいえる「七条烏丸」交差点があります。
この「七条新町交差点」を中心に、
東は向こうの「七条烏丸」交差点辺りまで
お酒を呑ます飲食店が建ち並んでいます。
この写真中央に見える京町屋も、全て飲食店です。
その中の一軒が、第508回ブログでも立ち寄った北側の茶花です。
一応お好み焼き屋さんですが、
京料理を中心にしたお惣菜を出すお店です。

そして、新町通から七条通を西に向きました。
こちら側も、約100m先の西洞院との交差点まで呑み屋街です。
またこの辺りは築100年前後の洋館も多く、
写真中央の白い洋館は、文化庁登録有形文化財です。
その西側から、若宮通が北に伸びています。(第508回ブログを参照)

では、「七条新町」交差点を北に渡ります。
いつの間にか、晴れ間が見えてきましたね。

横断歩道を渡り、「七条新町」交差点北東角で西を向いています。
ここから新町通は、自動車がやっと1台通れる道幅になります。
(通常の京都の道幅ですね)
「七条新町」交差点北西角に京町家が並んでいますが、
手前が焼肉屋で、奥が海鮮居酒屋の「ニューエビスノ」です。
「ニューエビスノ」も、第508回ブログで立ち寄りました。
こちらは、マグロのカマ焼きが名物です。

七条通から、新町通を北に向いています。
ここから、新町通界隈の雰囲気が変わりますね。
では、ここを北上します。

七条通から、新町通を北上しています。
その辺りで東を向くと、駐車場の先に大きな寺院が見えます。
あちらは、東本願寺ですね。

さらに、新町通を北上しています。
この辺りは、昔ながらの京町家が建ち並ぶ街並みです。

その一角に、浄土真宗本願寺派覚林寺があります。
境内に取材すれば分かるのですが、詳しい沿革は現状分かりません。

七条通から、新町通を約150m北上しました。
こちらにも、浄土真宗本願寺派妙覚寺があります。
東本願寺に接しているのでその塔頭寺院と思っていたのですが、
西本願寺の系列寺院のようです。
こちらは、ホームページを開設されています。
詳しくは、こちらをクリックしてください。

明覚寺の前で、新町通を北に向いています。
約50m先に浄土真宗本願寺派金寳寺が建っていますが、
そこから左(西)へ正面通が伸びています。
正面通はたびたび途切れて、新町通から西に伸びています。

浄土真宗本願寺派金寳寺の前で、新町通から西を向きました。
ここから西に伸びるこの道が、正面通です。
ずっと向こうに、西本願寺が見えています。
今度は、こちらを西に進みます。

新町通から、正面通を西に歩いています。
こちらの青い町家は、ちょっと拘りのコーヒーを出すお店です。
だいぶ心惹かれましたが、急いでいるので先に進みます。

新町通から、正面通を約50m西に進みました。
ここで正面通は、若宮通と交差します。
第509回ブログではこの左(南)側の若宮通から来てここで折れ、
正面通経由で西本願寺に向かいました。
今回も、ここからそのときと同じ道を辿ります。

「正面若宮」の辻北西角の京町家に、こちらが置かれていました。
魔除けの鍾馗さんですね。京町家の屋根によく見かけます。

若宮通から、正面通を西に向いています。
右(北)側に、小さな祠が見えていますね。

こちらが、その蛭子(えびす)神社です。
とても小さな神社で、この裏は住宅地で神社ではありません。
では、こちらにお参りして先へ進みます。

こちらは、蛭子神社の向かい(南)側です。
こちらは一見すると寺院なのですが、仏像の製作所です。

その位置で、正面通を西に向きました。
ここで正面通は、西洞院通と交差します。

正面通から、西洞院通を北に向いています。
明治時代京都駅から西洞院通経由で市電が開通したため、
西洞院通はちょっと道幅が広がります。

西洞院通から、正面通を西に向いています。
右(北)側はかつての京都市立植柳小学校ですが、
京都市街地の人口減少で他の小学校同様廃校になりました。

京都市立植柳小学校跡の向かい(南)側は、児童公園です。
たくさんの児童が遊んでいましたが、その辺りは撮れません。

西洞院通から正面通を西に約50m進みました。
京都市立植柳小学校跡地の西側で、
正面通は東中筋と交差しています。

その東中筋から、正面通を西に向いています。
「ご縁まち」が近くになり、西本願寺関連施設や仏具店が増えます。
左(南)側の洋館は西本願寺伝道院で、
浄土真宗本願寺派僧侶の修行・教化に利用されています。
元は1895年建造の浄土真宗本願寺派門徒専用の生命保険会社でした。
伊藤忠太が設計し、竹中工務店が建設しました。

西本願寺伝道館が石柱に囲まれていて、
その上部に石像が付いています。
手前のものは象の像ですが、
その向こうはガーゴイルの像でしょうか?
ただ、いくつかは経年劣化で壊れています。

こちらは、その西本願寺伝道院の向かい(北)側です。
仏具店が、何軒も並んでいますね。
この先で、正面通は油小路と交差します。
おそらくですが、もうこの辺りから西が
西本願寺の門前町の「ご縁まち」なのだと思います。

油小路から、正面通を西に向いています。
ここから約30m先に、西本願寺の総門が見えますね。
ここから左(南)に約150mが、「七条油小路」交差点です。
その辺りが、油小路の変の現場です。
(伊東甲子太郎暗殺現場は、もう少し南の油小路木津屋橋下るです)
つまり、良くも悪くも新撰組はこの辺りに多く出没していました。

正面通から、油小路を北に向きました。
「ご縁まち」である周辺に、仏具店が並んでいますね。
ここから約1㎞北上すると、第582回ブログの
祇園祭前祭の太子山の前に出ます。

油小路から正面通を西に向いています。
仏具店に囲まれて、もう完全に「ご縁まち」の中ですね。
では、ここから目の前の西本願寺総門に向かいます。

こちらが、重要文化財の西本願寺総門です。
ここで正面通は一旦突き当たり、「ご縁まち」もここで終わります。
元々は西本願寺の入り口だったのですが、
明治時代半ばの堀川通拡張工事により、
堀川通で西本願寺境内と分断されてしまいました。
つまり元々の堀川通は、現在の堀川通東側歩道だけでした。
これは特別という訳ではなく、
自動車が普及する前の日本の道はこのくらいの幅でした。

西本願寺総門をくぐり、西を向きました。
ここでこの横断歩道を渡り、堀川通を越えます。

横断歩道で、堀川通を西に渡りました。
その突き当りに、西本願寺御影門があります。
ここをくぐり西本願寺境内を取材しようと思いますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
以降は、次回です。
~次回は、西本願寺を散策します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクックしてください。
~追記 その2~
島原の特別公開は2018年9月末まで
今回の連載記事は、「京の夏の旅」企画の
島原関連施設の特別公開をメインにしています。
置屋の輪違屋と揚屋の角屋の特別公開は
いずれも2018年の9月いっぱいです。
今回ブログ更新日から約1カ月ありますので、
お時間のある方々は、ご訪問してください。
~追記 その3~
すやすやお休み中

2018年8月13日月曜日の撮影です。
エアコンの送風口の真下で、睡眠中のウチのネコです。
とうとうウチの母が仕事で使うミシンに額を押し付けました。
これではウチの母も仕事ができませんが、
可愛いので誰もネコを起こそうとしません。
ウチの母も、暫しの休憩です。
西本願寺の東側正面通周辺を「ご縁まち」と言います。
元は西本願寺の寺領だった土地で、
現在も仏具店が立ち並ぶ独特な街並みが続きます。
「西本願寺を散策するなら、ここを通らないと」
そう考えて、今回の連載記事を京都駅からの始まりにしました。

前回ブログで、京都タワーからその北側の小路をくねくね曲がり、
右(北)側に地域スーパーのエビスクが見える位置に来ました。
今回は目の前の新町通を北上し、
正面通経由で西本願寺の東側の門前町「ご縁まち」に向かいます。
撮影日は、2018年8月13日月曜日午後2時半。
曇りの多い日でしたが、この時間は晴れ間が出ました。

先程の位置からそのまま新町通を出て、北を向きました。
右(東)側に、エビスクの「鮮魚」と書かれた電光掲示板が見えます。
では、この新町通を北上します。
(第507回ブログ後半とほぼ同じコースを歩みます)

エビスクから、新町通を約20m北上しました。
こちらは507回ブログに出て来ましたが、何の花か分かりません。

その花の前で、新町通を北に向きました。
目の前で、新町通は七条通と交差します。

新町通から、七条通を東に向いています。
約200m先に、京都駅前ともいえる「七条烏丸」交差点があります。
この「七条新町交差点」を中心に、
東は向こうの「七条烏丸」交差点辺りまで
お酒を呑ます飲食店が建ち並んでいます。
この写真中央に見える京町屋も、全て飲食店です。
その中の一軒が、第508回ブログでも立ち寄った北側の茶花です。
一応お好み焼き屋さんですが、
京料理を中心にしたお惣菜を出すお店です。

そして、新町通から七条通を西に向きました。
こちら側も、約100m先の西洞院との交差点まで呑み屋街です。
またこの辺りは築100年前後の洋館も多く、
写真中央の白い洋館は、文化庁登録有形文化財です。
その西側から、若宮通が北に伸びています。(第508回ブログを参照)

では、「七条新町」交差点を北に渡ります。
いつの間にか、晴れ間が見えてきましたね。

横断歩道を渡り、「七条新町」交差点北東角で西を向いています。
ここから新町通は、自動車がやっと1台通れる道幅になります。
(通常の京都の道幅ですね)
「七条新町」交差点北西角に京町家が並んでいますが、
手前が焼肉屋で、奥が海鮮居酒屋の「ニューエビスノ」です。
「ニューエビスノ」も、第508回ブログで立ち寄りました。
こちらは、マグロのカマ焼きが名物です。

七条通から、新町通を北に向いています。
ここから、新町通界隈の雰囲気が変わりますね。
では、ここを北上します。

七条通から、新町通を北上しています。
その辺りで東を向くと、駐車場の先に大きな寺院が見えます。
あちらは、東本願寺ですね。

さらに、新町通を北上しています。
この辺りは、昔ながらの京町家が建ち並ぶ街並みです。

その一角に、浄土真宗本願寺派覚林寺があります。
境内に取材すれば分かるのですが、詳しい沿革は現状分かりません。

七条通から、新町通を約150m北上しました。
こちらにも、浄土真宗本願寺派妙覚寺があります。
東本願寺に接しているのでその塔頭寺院と思っていたのですが、
西本願寺の系列寺院のようです。
こちらは、ホームページを開設されています。
詳しくは、こちらをクリックしてください。

明覚寺の前で、新町通を北に向いています。
約50m先に浄土真宗本願寺派金寳寺が建っていますが、
そこから左(西)へ正面通が伸びています。
正面通はたびたび途切れて、新町通から西に伸びています。

浄土真宗本願寺派金寳寺の前で、新町通から西を向きました。
ここから西に伸びるこの道が、正面通です。
ずっと向こうに、西本願寺が見えています。
今度は、こちらを西に進みます。

新町通から、正面通を西に歩いています。
こちらの青い町家は、ちょっと拘りのコーヒーを出すお店です。
だいぶ心惹かれましたが、急いでいるので先に進みます。

新町通から、正面通を約50m西に進みました。
ここで正面通は、若宮通と交差します。
第509回ブログではこの左(南)側の若宮通から来てここで折れ、
正面通経由で西本願寺に向かいました。
今回も、ここからそのときと同じ道を辿ります。

「正面若宮」の辻北西角の京町家に、こちらが置かれていました。
魔除けの鍾馗さんですね。京町家の屋根によく見かけます。

若宮通から、正面通を西に向いています。
右(北)側に、小さな祠が見えていますね。

こちらが、その蛭子(えびす)神社です。
とても小さな神社で、この裏は住宅地で神社ではありません。
では、こちらにお参りして先へ進みます。

こちらは、蛭子神社の向かい(南)側です。
こちらは一見すると寺院なのですが、仏像の製作所です。

その位置で、正面通を西に向きました。
ここで正面通は、西洞院通と交差します。

正面通から、西洞院通を北に向いています。
明治時代京都駅から西洞院通経由で市電が開通したため、
西洞院通はちょっと道幅が広がります。

西洞院通から、正面通を西に向いています。
右(北)側はかつての京都市立植柳小学校ですが、
京都市街地の人口減少で他の小学校同様廃校になりました。

京都市立植柳小学校跡の向かい(南)側は、児童公園です。
たくさんの児童が遊んでいましたが、その辺りは撮れません。

西洞院通から正面通を西に約50m進みました。
京都市立植柳小学校跡地の西側で、
正面通は東中筋と交差しています。

その東中筋から、正面通を西に向いています。
「ご縁まち」が近くになり、西本願寺関連施設や仏具店が増えます。
左(南)側の洋館は西本願寺伝道院で、
浄土真宗本願寺派僧侶の修行・教化に利用されています。
元は1895年建造の浄土真宗本願寺派門徒専用の生命保険会社でした。
伊藤忠太が設計し、竹中工務店が建設しました。

西本願寺伝道館が石柱に囲まれていて、
その上部に石像が付いています。
手前のものは象の像ですが、
その向こうはガーゴイルの像でしょうか?
ただ、いくつかは経年劣化で壊れています。

こちらは、その西本願寺伝道院の向かい(北)側です。
仏具店が、何軒も並んでいますね。
この先で、正面通は油小路と交差します。
おそらくですが、もうこの辺りから西が
西本願寺の門前町の「ご縁まち」なのだと思います。

油小路から、正面通を西に向いています。
ここから約30m先に、西本願寺の総門が見えますね。
ここから左(南)に約150mが、「七条油小路」交差点です。
その辺りが、油小路の変の現場です。
(伊東甲子太郎暗殺現場は、もう少し南の油小路木津屋橋下るです)
つまり、良くも悪くも新撰組はこの辺りに多く出没していました。

正面通から、油小路を北に向きました。
「ご縁まち」である周辺に、仏具店が並んでいますね。
ここから約1㎞北上すると、第582回ブログの
祇園祭前祭の太子山の前に出ます。

油小路から正面通を西に向いています。
仏具店に囲まれて、もう完全に「ご縁まち」の中ですね。
では、ここから目の前の西本願寺総門に向かいます。

こちらが、重要文化財の西本願寺総門です。
ここで正面通は一旦突き当たり、「ご縁まち」もここで終わります。
元々は西本願寺の入り口だったのですが、
明治時代半ばの堀川通拡張工事により、
堀川通で西本願寺境内と分断されてしまいました。
つまり元々の堀川通は、現在の堀川通東側歩道だけでした。
これは特別という訳ではなく、
自動車が普及する前の日本の道はこのくらいの幅でした。

西本願寺総門をくぐり、西を向きました。
ここでこの横断歩道を渡り、堀川通を越えます。

横断歩道で、堀川通を西に渡りました。
その突き当りに、西本願寺御影門があります。
ここをくぐり西本願寺境内を取材しようと思いますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
以降は、次回です。
~次回は、西本願寺を散策します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクックしてください。
~追記 その2~
島原の特別公開は2018年9月末まで
今回の連載記事は、「京の夏の旅」企画の
島原関連施設の特別公開をメインにしています。
置屋の輪違屋と揚屋の角屋の特別公開は
いずれも2018年の9月いっぱいです。
今回ブログ更新日から約1カ月ありますので、
お時間のある方々は、ご訪問してください。
~追記 その3~
すやすやお休み中

2018年8月13日月曜日の撮影です。
エアコンの送風口の真下で、睡眠中のウチのネコです。
とうとうウチの母が仕事で使うミシンに額を押し付けました。
これではウチの母も仕事ができませんが、
可愛いので誰もネコを起こそうとしません。
ウチの母も、暫しの休憩です。
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