第596回 島原角屋特別公開~京都駅から島原~その6
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前回ブログで訪れた町屋カフェhyggeの前で南を向きました。
目の前を花屋町通が通っていますね。
今回は、もう一つの島原の「京の夏の旅」企画角屋に訪れます。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後3時半。
貼り付けた写真が多すぎて、今回以降も「島原編」は続きます。

hygge前の通りから、花屋町通を西に向いています。
島原は、東側より西側の方が京町家の密度が濃くなります。
では、こちらを進んでいきます。

その辻の北西角に製本所があって、
その店先で、和紙のメモ帳を売っています。
第315回ブログでも登場しましたが、
今回は夏場なので日除けのすだれが掛かっています。

こちらは、その製本所の向かい(南)側です。
今回ブログ最初に写っていた百日紅が立っていた場所です。
三つ巴の家紋の付いた暖簾には、錦清と書かれています。
こちらは「きんせ旅館」で、元々はここ島原の揚屋でした。
今は旅館ですが、昼間はカフェで夜はバーでもあります。
引き戸を開けて中に入り、少し薄暗い場所を左手に向かうと
その奥がカフェ兼バーになっています。
自分はカフェしか行ったことがないのですが、
こちらのシフォンケーキはなかなかの美味です。
ただし、洋酒がたっぷりかかっているので
20歳未満ならその旨を店主に言わなければなりません。
こちらは元々揚屋ということで、
内装は和洋折衷で、大正時代くらいの雰囲気です。
店内の正面に閑院宮載仁親王による一筆が、額に飾ってありました。

きんせ旅館の前で、花屋町通を西に向いています。
ここから島原の西半分ですが、
だんだん旅館をはじめとした店舗の割合が増えてきます。

先程の写真に写っていた旅館の屋根に、鍾馗さんが飾られています。
京都では、鬼瓦の代わりに屋根によくいらっしゃいます。

その旅館の前で、花屋町通を西に向きました。
目の前の南北に伸びる道は、特に名前がありません。
北小路から北へこの辻を通って、約350mの短い道です。

花屋町通から、その道を南に向きました。
両側の京町家は、どちらも角屋の所有地です。
今回ブログのメインに近付いてきました。

先程の辻から、南北に伸びる道を約20m南下しました。
右(東)に、角屋の特別公開の看板が立っていますね。

先ほどの写真に写っている門をくぐると、
すぐにこちらの玄関が見えます。
元来はこちらから入っていくのですが、
現在はこの左手(南側)の勝手口から入るようになっています。

角屋の勝手口に入ると、その周囲は厨房でした。
こちらは、石製の流し台ですね。
ここで野菜を洗ったり、切ったりしたのでしょうね。
……ただ角屋は揚屋なので、
お客さん用の料理は作っていなかったはずです。
(お客さんの分は、仕出し屋さんに頼んでいました)
たぶん、奉公人(従業員)の分でしょうね。

その向かい(西)側には、竈とその上の釜が並んでいました。
ただ、こんなに並んでいるということは
余程の大人数を想定していたと思われます。
やはりこちらのお店は、
お客さんにも食事を調理していたのでしょうか?

土間のいちばん奥(南)側に、板の間があります。
こちらで靴を脱いで、その先に進んでいきます。

板の間で靴を脱ぎ、西を向きました。
では、この先の畳の部屋に進みます。

こちらが、その畳の間です。
先程の玄関は、このずっと奥の階段の辺りに続いています。
その手前であるこちらは、奉公人や店主が働く場所です。

お客さんが通る廊下と奉公人が詰めたこちら側との間に、
この台所(帳場)があります。
この時代の台所とは調理の場ではなく、
店の売り上げを載せた帳簿や金銭が置いてある場所のことです。
新撰組局長の一人芹沢鴨は角屋の帳場で店主に乱暴狼藉を働き、
そのことを知った松平容保の逆鱗に触れ、
命令を受けた近藤勇らによって暗殺されてしまったようです。
この場にいらした学芸員さんが
「角屋開店以来、帳場の位置は変わっていない」
そうおっしゃっていたので、ここが角屋の主が芹沢鴨から暴行を受け
瀕死の重傷を負った現場で間違いありません。

帳場の向かい(南)側に、刀箪笥が置かれていました。
玄関から入って来たお客さんは、ここで自分の刀を店に預けました。
……と言いますか、ここに来るお客さんは帯刀が前提なのですね。

先程の部屋を出て、玄関から続く廊下に移ってきました。
ここからは、奉公人目線からお客さん目線で店内を移動します。
刀箪笥の辺りで廊下を西に折れ、その突き当りに来ました。
中庭の脇に、大きな部屋があります。

こちらが、その中庭です。
灯りと涼をとるための庭ですが、縁側に座って寛ぎたくなります。

中庭から大きな部屋に入ってきました。こちらはその天井部分です。
前回ブログに出て来た輪違屋と同じ構造ですね。
ですから、おそらくここも大人数で2Fに上がったら
大変なことになるのでしょうね。

こちらが、その部屋の床の間です。
なかなか落ち着いた書画が掛かっていますね。

こちらが、この部屋の襖絵です。
長谷川等伯の系譜を受け継ぐ長谷川等雲の作品ですが、
だいぶ煤けています。
角屋では夜間にだいぶ行燈を使用してきたので、
蝋燭の火から出た煤がこちらに溜まってようです。

その部屋を出て、角屋店内をあちこち散策しました。
一部写真不可の場所もあったので、
それほど詳しい写真は撮っていません。

それでは閉館時間の午後4時半になりましたので、角屋から出ます。
こちらは、角屋の入り口の裏側です。
紙製の白い仮面が貼り付けてありました。
こちらの学芸員さんに質問したところ、
やはり大酒神社(広隆寺)の牛祭りの際に被る仮面のようです。
とにかく縁起のいいものを手あたり次第ここに貼り付けてあって、
牛祭りの仮面はその一環で貼られているとのことです。

角屋を出て、北を向いています。
この両側とも角屋の敷地ですが、自分は左(西)側から出てきました。
では、こちらを北上していきます。

角屋を出て約20m北上して、花屋町通で西に向きました。
この先で花屋町通は突き当たりますが、
約100m西の新千本通よりまた西に伸びています。
この辺りは花街島原の西端に位置しますが、
まだまだあちこち観光地があります。
これからそちらに向かおうとしていますが、
それはまた次回にします。
今回は、ここまでです。
~次回は、島原西端部分を散策して帰宅します~

前回ブログで訪れた町屋カフェhyggeの前で南を向きました。
目の前を花屋町通が通っていますね。
今回は、もう一つの島原の「京の夏の旅」企画角屋に訪れます。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後3時半。
貼り付けた写真が多すぎて、今回以降も「島原編」は続きます。

hygge前の通りから、花屋町通を西に向いています。
島原は、東側より西側の方が京町家の密度が濃くなります。
では、こちらを進んでいきます。

その辻の北西角に製本所があって、
その店先で、和紙のメモ帳を売っています。
第315回ブログでも登場しましたが、
今回は夏場なので日除けのすだれが掛かっています。

こちらは、その製本所の向かい(南)側です。
今回ブログ最初に写っていた百日紅が立っていた場所です。
三つ巴の家紋の付いた暖簾には、錦清と書かれています。
こちらは「きんせ旅館」で、元々はここ島原の揚屋でした。
今は旅館ですが、昼間はカフェで夜はバーでもあります。
引き戸を開けて中に入り、少し薄暗い場所を左手に向かうと
その奥がカフェ兼バーになっています。
自分はカフェしか行ったことがないのですが、
こちらのシフォンケーキはなかなかの美味です。
ただし、洋酒がたっぷりかかっているので
20歳未満ならその旨を店主に言わなければなりません。
こちらは元々揚屋ということで、
内装は和洋折衷で、大正時代くらいの雰囲気です。
店内の正面に閑院宮載仁親王による一筆が、額に飾ってありました。

きんせ旅館の前で、花屋町通を西に向いています。
ここから島原の西半分ですが、
だんだん旅館をはじめとした店舗の割合が増えてきます。

先程の写真に写っていた旅館の屋根に、鍾馗さんが飾られています。
京都では、鬼瓦の代わりに屋根によくいらっしゃいます。

その旅館の前で、花屋町通を西に向きました。
目の前の南北に伸びる道は、特に名前がありません。
北小路から北へこの辻を通って、約350mの短い道です。

花屋町通から、その道を南に向きました。
両側の京町家は、どちらも角屋の所有地です。
今回ブログのメインに近付いてきました。

先程の辻から、南北に伸びる道を約20m南下しました。
右(東)に、角屋の特別公開の看板が立っていますね。

先ほどの写真に写っている門をくぐると、
すぐにこちらの玄関が見えます。
元来はこちらから入っていくのですが、
現在はこの左手(南側)の勝手口から入るようになっています。

角屋の勝手口に入ると、その周囲は厨房でした。
こちらは、石製の流し台ですね。
ここで野菜を洗ったり、切ったりしたのでしょうね。
……ただ角屋は揚屋なので、
お客さん用の料理は作っていなかったはずです。
(お客さんの分は、仕出し屋さんに頼んでいました)
たぶん、奉公人(従業員)の分でしょうね。

その向かい(西)側には、竈とその上の釜が並んでいました。
ただ、こんなに並んでいるということは
余程の大人数を想定していたと思われます。
やはりこちらのお店は、
お客さんにも食事を調理していたのでしょうか?

土間のいちばん奥(南)側に、板の間があります。
こちらで靴を脱いで、その先に進んでいきます。

板の間で靴を脱ぎ、西を向きました。
では、この先の畳の部屋に進みます。

こちらが、その畳の間です。
先程の玄関は、このずっと奥の階段の辺りに続いています。
その手前であるこちらは、奉公人や店主が働く場所です。

お客さんが通る廊下と奉公人が詰めたこちら側との間に、
この台所(帳場)があります。
この時代の台所とは調理の場ではなく、
店の売り上げを載せた帳簿や金銭が置いてある場所のことです。
新撰組局長の一人芹沢鴨は角屋の帳場で店主に乱暴狼藉を働き、
そのことを知った松平容保の逆鱗に触れ、
命令を受けた近藤勇らによって暗殺されてしまったようです。
この場にいらした学芸員さんが
「角屋開店以来、帳場の位置は変わっていない」
そうおっしゃっていたので、ここが角屋の主が芹沢鴨から暴行を受け
瀕死の重傷を負った現場で間違いありません。

帳場の向かい(南)側に、刀箪笥が置かれていました。
玄関から入って来たお客さんは、ここで自分の刀を店に預けました。
……と言いますか、ここに来るお客さんは帯刀が前提なのですね。

先程の部屋を出て、玄関から続く廊下に移ってきました。
ここからは、奉公人目線からお客さん目線で店内を移動します。
刀箪笥の辺りで廊下を西に折れ、その突き当りに来ました。
中庭の脇に、大きな部屋があります。

こちらが、その中庭です。
灯りと涼をとるための庭ですが、縁側に座って寛ぎたくなります。

中庭から大きな部屋に入ってきました。こちらはその天井部分です。
前回ブログに出て来た輪違屋と同じ構造ですね。
ですから、おそらくここも大人数で2Fに上がったら
大変なことになるのでしょうね。

こちらが、その部屋の床の間です。
なかなか落ち着いた書画が掛かっていますね。

こちらが、この部屋の襖絵です。
長谷川等伯の系譜を受け継ぐ長谷川等雲の作品ですが、
だいぶ煤けています。
角屋では夜間にだいぶ行燈を使用してきたので、
蝋燭の火から出た煤がこちらに溜まってようです。

その部屋を出て、角屋店内をあちこち散策しました。
一部写真不可の場所もあったので、
それほど詳しい写真は撮っていません。

それでは閉館時間の午後4時半になりましたので、角屋から出ます。
こちらは、角屋の入り口の裏側です。
紙製の白い仮面が貼り付けてありました。
こちらの学芸員さんに質問したところ、
やはり大酒神社(広隆寺)の牛祭りの際に被る仮面のようです。
とにかく縁起のいいものを手あたり次第ここに貼り付けてあって、
牛祭りの仮面はその一環で貼られているとのことです。

角屋を出て、北を向いています。
この両側とも角屋の敷地ですが、自分は左(西)側から出てきました。
では、こちらを北上していきます。

角屋を出て約20m北上して、花屋町通で西に向きました。
この先で花屋町通は突き当たりますが、
約100m西の新千本通よりまた西に伸びています。
この辺りは花街島原の西端に位置しますが、
まだまだあちこち観光地があります。
これからそちらに向かおうとしていますが、
それはまた次回にします。
今回は、ここまでです。
~次回は、島原西端部分を散策して帰宅します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
角屋おもてなし館が、起点です。
~追記 その2~
「島原」編は、もう1回だけ続きます。
第595回ブログを書いていた段階では
今回で「島原」編が終わると思っていたのですが、
いざ残りの写真を数えてみますと、50枚くらいはありました。
一応歯止めとして
1回のブログに掲載する写真の限界を40枚と決めていまして、
それを考えて今回分の後半を次回分として独立させます。
実は2018年9月にも既に撮影をしておりますが、
それはさらに後の回に載せます。
~追記 その3~
「京の夏の旅」企画は、もうすぐ終了
現在「京の道 今日の道」で連載している「島原」編は、
京都市が主催している「今日の夏の旅」企画に乗っかっていますが、
その「京の夏の旅」企画が2018年9月末で終わります。
つまり、前回ブログの輪違屋と今回ブログの角屋の特別公開が
更新日より約2週間で終わります。
拝観後希望の方は、お急ぎください。
ただ、普段から生活のスペースである輪違屋は通常非公開ですが、
角屋は現在揚屋を辞めており、博物館として残っています。
ですから、今回ブログで訪れたところは
この「京の夏の旅」企画でなくても見ることができます。
詳しくは、こちらをクリックしてください。
角屋の公式サイトにリンクしています。
~追記 その4~
伊東選手はどこへ?
W杯から約2カ月経ちました。
森保新監督の初陣は北海道の大地震で中止になりましたが、
日本代表は大地震から6日後に大阪でコスタリカと対戦しました。
まぁ、コスタリカも日本もこれから始まる公式戦へのメンバーが
全然決まっていない状態で、
お互いに新人を使っていろいろ試していた試合でした。
ですから勝敗は二の次だったのですが、
それでも日本が3-0で完勝したのは、「上々の船出」と言えます。
2カ月前のW杯のレギュラーと久保選手・井手口選手を外し、
さらに浅野選手や植田選手など
ポジティブな意味で評価の定まった選手は
先発メンバーから外れていました。
要するにこの試合のでき次第では二度と代表に呼ばれない方々が
この試合の先発メンバーでした。
独特の緊張感がありましたし、
ある意味公式戦より迫力がありました。
ですから、そんな中でも活躍した方々は
肝の据わった「戦士」と言えます。
まぁTV局は中島選手や南野選手辺りを讃えていましたが、
広島の佐々木選手は相当評価を挙げたのではないでしょうか?
中でも衝撃的だったのが、柏の伊東選手です。
ギアチェンジして相手をかわしたドリブルや
その直後の無回転シュートによるゴールは
日本どころか世界でもできる選手はそうはいません。
こういうプレイを続けていれば、
また欧州クラブへと移籍してしまうのでしょうね。
~追記 その5~
いつの間にか、抜け出していました
一方、我らが京都サンガもいろいろ様変わりしています。
2018年6月~7月に連敗続きで、
遂にJ3リーグ降格圏内が定位置になっていたのですが、
8月早々に大幅に補強をしました。
ウルグアイ人のレンゾ=ロペス選手以外の外国人選手を解雇し
カイオ選手・ジュニオール選手を補強しました。
さらに金久保選手初め他クラブの主力選手を大幅に引き抜きました。
要するに開幕当初とは全く別チームになったわけですが、
8月以降は連戦連勝で遂に全22クラブ中20位に上がりました。
下の順位である讃岐と熊本が決して良い状態ではないので、
高確率でこの順位のままシーズンを終われそうです。
つまり、余程のミスがない限り来シーズンもJ2でいられます。
まぁ「数年以内にJ1に昇格する」と言っていたクラブの
目標とは程遠い状態ですが、
それを今言っている場合ではありません。
取りあえずは、これで一息付けます。
ただ、根本的な問題は未解決で
今の選手たちを雇い続ける資金も厳しいでしょう。
ですから来シーズンはさらに苦しくなるでしょうが、
来シーズンのことは来シーズンに悩めばいいのでは?
というのが自分の本音です。
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
角屋おもてなし館が、起点です。
~追記 その2~
「島原」編は、もう1回だけ続きます。
第595回ブログを書いていた段階では
今回で「島原」編が終わると思っていたのですが、
いざ残りの写真を数えてみますと、50枚くらいはありました。
一応歯止めとして
1回のブログに掲載する写真の限界を40枚と決めていまして、
それを考えて今回分の後半を次回分として独立させます。
実は2018年9月にも既に撮影をしておりますが、
それはさらに後の回に載せます。
~追記 その3~
「京の夏の旅」企画は、もうすぐ終了
現在「京の道 今日の道」で連載している「島原」編は、
京都市が主催している「今日の夏の旅」企画に乗っかっていますが、
その「京の夏の旅」企画が2018年9月末で終わります。
つまり、前回ブログの輪違屋と今回ブログの角屋の特別公開が
更新日より約2週間で終わります。
拝観後希望の方は、お急ぎください。
ただ、普段から生活のスペースである輪違屋は通常非公開ですが、
角屋は現在揚屋を辞めており、博物館として残っています。
ですから、今回ブログで訪れたところは
この「京の夏の旅」企画でなくても見ることができます。
詳しくは、こちらをクリックしてください。
角屋の公式サイトにリンクしています。
~追記 その4~
伊東選手はどこへ?
W杯から約2カ月経ちました。
森保新監督の初陣は北海道の大地震で中止になりましたが、
日本代表は大地震から6日後に大阪でコスタリカと対戦しました。
まぁ、コスタリカも日本もこれから始まる公式戦へのメンバーが
全然決まっていない状態で、
お互いに新人を使っていろいろ試していた試合でした。
ですから勝敗は二の次だったのですが、
それでも日本が3-0で完勝したのは、「上々の船出」と言えます。
2カ月前のW杯のレギュラーと久保選手・井手口選手を外し、
さらに浅野選手や植田選手など
ポジティブな意味で評価の定まった選手は
先発メンバーから外れていました。
要するにこの試合のでき次第では二度と代表に呼ばれない方々が
この試合の先発メンバーでした。
独特の緊張感がありましたし、
ある意味公式戦より迫力がありました。
ですから、そんな中でも活躍した方々は
肝の据わった「戦士」と言えます。
まぁTV局は中島選手や南野選手辺りを讃えていましたが、
広島の佐々木選手は相当評価を挙げたのではないでしょうか?
中でも衝撃的だったのが、柏の伊東選手です。
ギアチェンジして相手をかわしたドリブルや
その直後の無回転シュートによるゴールは
日本どころか世界でもできる選手はそうはいません。
こういうプレイを続けていれば、
また欧州クラブへと移籍してしまうのでしょうね。
~追記 その5~
いつの間にか、抜け出していました
一方、我らが京都サンガもいろいろ様変わりしています。
2018年6月~7月に連敗続きで、
遂にJ3リーグ降格圏内が定位置になっていたのですが、
8月早々に大幅に補強をしました。
ウルグアイ人のレンゾ=ロペス選手以外の外国人選手を解雇し
カイオ選手・ジュニオール選手を補強しました。
さらに金久保選手初め他クラブの主力選手を大幅に引き抜きました。
要するに開幕当初とは全く別チームになったわけですが、
8月以降は連戦連勝で遂に全22クラブ中20位に上がりました。
下の順位である讃岐と熊本が決して良い状態ではないので、
高確率でこの順位のままシーズンを終われそうです。
つまり、余程のミスがない限り来シーズンもJ2でいられます。
まぁ「数年以内にJ1に昇格する」と言っていたクラブの
目標とは程遠い状態ですが、
それを今言っている場合ではありません。
取りあえずは、これで一息付けます。
ただ、根本的な問題は未解決で
今の選手たちを雇い続ける資金も厳しいでしょう。
ですから来シーズンはさらに苦しくなるでしょうが、
来シーズンのことは来シーズンに悩めばいいのでは?
というのが自分の本音です。
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