第619回 清水寺 奥の院から見た紅葉
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清水寺の舞台(本堂)の東側で、さらに東を向いています。
ここは、清水寺境内の北東端です。
今回は、清水寺散策の後半を掲載します。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午後2時半。
清水寺は前回ブログの方が有名ですが、絶景なのは今回です。

その辺りに、南へ向かう急な下りの石段があります。
ここを下りると、音羽の滝があります。
自分が小さなころはこの石段を使っていましたが、
今回はこちらではなく第9回ブログ同様奥の院経由で進みます。

2018年12月2日日曜日午前10時に、こちらに再訪しました。
実は、この石段は清水寺の中でも紅葉の絶景ポイントです。
上から見たらこんな感じですが、ここをゆっくり歩くと
紅葉がドーム状になって、それがここの醍醐味です。

2018年11月15日撮影分に戻ります。
清水寺境内北東端で、南を向いています。
この辺りから音羽山の斜面に貼り付くように、
さまざまなお堂が並んでいますね。

阿弥陀堂の前で、清水寺境内を南に向きました。
こちらが、重要文化財清水寺阿弥陀堂です。
この地で法然が初めて念佛法要を行ったため、
江戸時代初期の1633年に建立されました。
その南隣に、重要文化財清水寺奥の院があります。

奥の院には多くの参拝者がいらして、そのものの写真はありません。
……で、参拝者がたくさんいらっしゃる理由ですが
それはこの奥の院から西を向いたときに見える眺望です。
清水寺境内は桜や紅葉の名所で絶景ポイントがあちこちあるのすが、
この奥の院から見たこの眺めが随一ですね。
実は清水寺を撮った写真の多くが、清水の舞台上のものではなく
この奥の院から向こうの清水の舞台を撮ったものでした。
一緒に京都市街地が一望できるのが、またいいですね。
どの分、舞台に掛かったシートがちょっと残念です。
いずれは修復も終わりますし、そのときの再訪がまた楽しみですね。

先程の写真のほぼ中央を大写ししました。
こうすると、こちらに京都タワーがあることが分かりますね。
第591回ブログではあちら側からこちらを写しました。

2018年12月2日に再訪した際の奥の院から見た眺望です。
清水の舞台の下が清水寺境内でいちばん紅葉が濃いので、
こちらから見ると紅葉と清水の舞台の両方を楽しめます。

さらに2018年12月2日に撮影した写真です。
京都タワーを意識して、写真を撮りました。
清水の舞台下の紅葉がきれいですが、
写真の中央には桜の枝が横切っていますね。
清水寺は紅葉シーズンだけでなく、桜のシーズンも楽しめます。

2018年11月15日撮影分に戻ってきました。
奥の院から北上して今回ブログ最初の地点に戻る道もありますが、
今回ブログも第9回ブログ同様奥の院から南下します。

こちらは、清水寺奥の院の南側です。
音羽山の斜面にずっとシートが掛かっていますが、
おそらくこちらも2018年9月に京都を襲った台風の影響でしょう。
では、こちらを南下していきます。

清水寺奥の院から、音羽山の斜面を約100m南下しました。
こちらに、何人か人が集まっています。
ちょっと、ここで立ち止まってみます。

その位置で、清水寺多宝塔方面に向きました。
京都市街地も一望できて、なかなかの絶景ですね。

そちらからさらに、音羽山の斜面を南下しています。
写真では分かりにくいですが、ここは相当急な下り坂です。
音羽山斜面に、桜並木が続きます。
清水寺の桜並木は、奥の院付近とこの辺りに広がります。

清水寺奥の院から、音羽山斜面の道を約200m南下しました。
この道は、ここで突き当たります。
重要文化財の子安塔からこちらに降りてくる道があるのですが、
この道はそちらに合流していきます。

清水寺奥の院から南下してきた下り坂から、
子安塔から北上してきた下り坂に移ってきました。
今度は、こちらを北上していきます。

先程の合流点から、約50m南下しました。
ここで北上する道が分岐しますが、右側の平坦な道を進みます。

先程の位置から、平坦な山際の道を北上しています。
だんだん清水の舞台が近づいてきました。

その音羽山斜面に、こちらの石仏が時折並んでします。
(こちらは、たぶんお地蔵さんではありません)
多分ですが、この辺りで行路病死された方々のために
こちらが作られたのだと思います。
(今はともかく、大昔にはそう方もいらしたでしょうから)
この辺りに、だいたい20基くらいいらっしゃいます。

先程の地点から、さらに約100m北上しました。
先程分岐した道が、ここで合流します。
また、この左(東)側に公衆便所があります。
(こういうところには数が少ないので、
予め場所を把握しておかないといけません)

その公衆便所の北隣に、茶店があります。
右(東)側で注文をして、左(西)側の縁台で飲食します。
ところが、この日(2018年11月15日木曜日)は休まれていました。
まぁ観光シーズンとは言え、平日だからでしょうか?
風光明媚なので、観光客の何人かが
閉鎖されていた縁台のある場所に入って撮影されていました。

その茶店の北隣に、音羽の滝があります。
ただ、平日なのに相当の時間待ちですね。
第9回ブログでは約30分待ちでしたが、今回はそれ以上ですね。
ですから、今回は音羽の滝を諦めました。
普段でしたら、こちらの水を柄杓で採って飲みます。
こちらの真上に祠がありますが、あちらに水源があります。
ですからこちらは自然の水を直接飲むのですが、
定期的に京都市水道局が水質検査をしており、
浄水しなくても安全が確保されています。
(第601回ブログの錦の水と同じですね)

音羽の滝の前から、北を向きました。
こちらの石段は、今回ブログの最初に出てきましたね。
下側から見上げると、こんな感じです。

2018年12月2日に再訪したときの写真です。
この石段の真下から見上げる風景を撮るはずが、
間違えて石段の中段から音羽の滝を撮ってしまいました。
まぁこちらの方が絶景なので、これはこれで良しでしょう。
(個人的は、奥の院から見た清水の舞台と
この石段の中段からの風景が、清水寺絶景の双璧です)

音羽の滝の前から、清水の舞台を見上げました。
石垣にカエデ並木が続きますが、
清水寺境内でこの辺りがいちばん紅葉が濃いですね。

音羽の滝から、清水の舞台の奈落を西に進みました。
このカエデ並木の上に、舞台修復のための足場が組まれています。
2018年11月15日の段階ではまだ紅葉が進んでいませんでしたね。

2018年12月2日日曜日に再訪したときに、
音羽の滝の前で清水の舞台の奈落がある西を向きました。
すっかり紅葉に染まると、この辺はこんな感じです。
実は、この辺もなかなかの絶景ポイントだったりします。

こちらも、2018年12月2日撮影の写真です。
先程位置よりは、もう少し西に進んだところを撮りました。
左(南)側が崖で、そこからカエデが伸びてきています。
この辺りは、紅葉がドーム状になります。

その西へ進む道の途中に、こちらが立っていました。
阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)の供養塔です。
この清水寺は平安時代初期に坂上田村麻呂の帰依や寄進を受け、
現在の大きさに巨大化しました。
坂上田村麻呂は桓武天皇に重用された武人ですが、
桓武天皇死後の810年に起こった平城太上天皇の変と
802年から803年に起こった阿弖流為の乱の英雄です。
当時の東北地方は福島県以南しか日本ではなかったのですが、
蝦夷の王であった阿弖流為と副官の母礼は、
一時期は東北地方どころか北関東まで支配しました。
それを倒した英雄が、征夷大将軍の坂上田村麻呂です。
これで日本は、東北地方最北端まで広がりました。
坂上田村麻呂は阿弖流為や母礼を近畿地方まで護送したのですが、
その際田村麻呂は二人と仲良くなって
桓武天皇に二人の助命を訴えました。
ところが助命は許されず、阿弖流為も母礼も直後に処刑されました。
そこで、坂上田村麻呂はこの清水寺境内に
この二人のお墓を立てたようです。
お墓そのものは度重なる災害や戦災で跡形もなくなったため、
近年このように供養塔が立てられました。

2018年12月2日に再訪した際の供養塔です。
この辺りは紅葉に囲まれていますから、
この供養塔も絶景の一部になります。

阿弖流為と母礼の供養塔の前で、西を向きました。
こちらに、また茶店があります。
清水寺では、絶景ポイントごとに茶店がありますね。

その茶店の西側で、南を向きました。
この辺りは崖と言いますか、谷と言いますか、
とにかくその辺り一帯にカエデ並木がずっと続いています。
この辺りが、また紅葉の絶景ポイントですね。

茶店から、さらに西に進みました。
左に見える石塔の向こう(西)側が、前回ブログの最初の写真です。
つまり、これで清水寺境内をほぼ1周しました。

さらにこの道を西に進むと、こちらの池があります。
この近くも紅葉が濃いので、それはそれで絶景になります。

2018年12月2日に再訪した際に、こちらの池を撮りました。
この辺は日がよく差すので、もう落葉が進んでいました。

この西に進む道は、池の先で別の道と合流します。
では、そちらに向かいます。

音羽の滝から西に進んだ道を突き当り、北を向きました。
こちらは、前回ブログでも通った道ですね。
向こうに、清水寺仁王門が見えますね。

先程の位置から、そのまま北上しました。
この道の突き当りが、松原通最東端です。
そこを右(東)に向くと、清水寺仁王門前に出ます。

松原通最東端から、西を向いています。
この背後(東)に、清水寺仁王門があります。
ここから西に約200mが、京都でも最大規模の土産物屋街です。
次に松原通を西に進むわけですが、だいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

清水寺の舞台(本堂)の東側で、さらに東を向いています。
ここは、清水寺境内の北東端です。
今回は、清水寺散策の後半を掲載します。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午後2時半。
清水寺は前回ブログの方が有名ですが、絶景なのは今回です。

その辺りに、南へ向かう急な下りの石段があります。
ここを下りると、音羽の滝があります。
自分が小さなころはこの石段を使っていましたが、
今回はこちらではなく第9回ブログ同様奥の院経由で進みます。

2018年12月2日日曜日午前10時に、こちらに再訪しました。
実は、この石段は清水寺の中でも紅葉の絶景ポイントです。
上から見たらこんな感じですが、ここをゆっくり歩くと
紅葉がドーム状になって、それがここの醍醐味です。

2018年11月15日撮影分に戻ります。
清水寺境内北東端で、南を向いています。
この辺りから音羽山の斜面に貼り付くように、
さまざまなお堂が並んでいますね。

阿弥陀堂の前で、清水寺境内を南に向きました。
こちらが、重要文化財清水寺阿弥陀堂です。
この地で法然が初めて念佛法要を行ったため、
江戸時代初期の1633年に建立されました。
その南隣に、重要文化財清水寺奥の院があります。

奥の院には多くの参拝者がいらして、そのものの写真はありません。
……で、参拝者がたくさんいらっしゃる理由ですが
それはこの奥の院から西を向いたときに見える眺望です。
清水寺境内は桜や紅葉の名所で絶景ポイントがあちこちあるのすが、
この奥の院から見たこの眺めが随一ですね。
実は清水寺を撮った写真の多くが、清水の舞台上のものではなく
この奥の院から向こうの清水の舞台を撮ったものでした。
一緒に京都市街地が一望できるのが、またいいですね。
どの分、舞台に掛かったシートがちょっと残念です。
いずれは修復も終わりますし、そのときの再訪がまた楽しみですね。

先程の写真のほぼ中央を大写ししました。
こうすると、こちらに京都タワーがあることが分かりますね。
第591回ブログではあちら側からこちらを写しました。

2018年12月2日に再訪した際の奥の院から見た眺望です。
清水の舞台の下が清水寺境内でいちばん紅葉が濃いので、
こちらから見ると紅葉と清水の舞台の両方を楽しめます。

さらに2018年12月2日に撮影した写真です。
京都タワーを意識して、写真を撮りました。
清水の舞台下の紅葉がきれいですが、
写真の中央には桜の枝が横切っていますね。
清水寺は紅葉シーズンだけでなく、桜のシーズンも楽しめます。

2018年11月15日撮影分に戻ってきました。
奥の院から北上して今回ブログ最初の地点に戻る道もありますが、
今回ブログも第9回ブログ同様奥の院から南下します。

こちらは、清水寺奥の院の南側です。
音羽山の斜面にずっとシートが掛かっていますが、
おそらくこちらも2018年9月に京都を襲った台風の影響でしょう。
では、こちらを南下していきます。

清水寺奥の院から、音羽山の斜面を約100m南下しました。
こちらに、何人か人が集まっています。
ちょっと、ここで立ち止まってみます。

その位置で、清水寺多宝塔方面に向きました。
京都市街地も一望できて、なかなかの絶景ですね。

そちらからさらに、音羽山の斜面を南下しています。
写真では分かりにくいですが、ここは相当急な下り坂です。
音羽山斜面に、桜並木が続きます。
清水寺の桜並木は、奥の院付近とこの辺りに広がります。

清水寺奥の院から、音羽山斜面の道を約200m南下しました。
この道は、ここで突き当たります。
重要文化財の子安塔からこちらに降りてくる道があるのですが、
この道はそちらに合流していきます。

清水寺奥の院から南下してきた下り坂から、
子安塔から北上してきた下り坂に移ってきました。
今度は、こちらを北上していきます。

先程の合流点から、約50m南下しました。
ここで北上する道が分岐しますが、右側の平坦な道を進みます。

先程の位置から、平坦な山際の道を北上しています。
だんだん清水の舞台が近づいてきました。

その音羽山斜面に、こちらの石仏が時折並んでします。
(こちらは、たぶんお地蔵さんではありません)
多分ですが、この辺りで行路病死された方々のために
こちらが作られたのだと思います。
(今はともかく、大昔にはそう方もいらしたでしょうから)
この辺りに、だいたい20基くらいいらっしゃいます。

先程の地点から、さらに約100m北上しました。
先程分岐した道が、ここで合流します。
また、この左(東)側に公衆便所があります。
(こういうところには数が少ないので、
予め場所を把握しておかないといけません)

その公衆便所の北隣に、茶店があります。
右(東)側で注文をして、左(西)側の縁台で飲食します。
ところが、この日(2018年11月15日木曜日)は休まれていました。
まぁ観光シーズンとは言え、平日だからでしょうか?
風光明媚なので、観光客の何人かが
閉鎖されていた縁台のある場所に入って撮影されていました。

その茶店の北隣に、音羽の滝があります。
ただ、平日なのに相当の時間待ちですね。
第9回ブログでは約30分待ちでしたが、今回はそれ以上ですね。
ですから、今回は音羽の滝を諦めました。
普段でしたら、こちらの水を柄杓で採って飲みます。
こちらの真上に祠がありますが、あちらに水源があります。
ですからこちらは自然の水を直接飲むのですが、
定期的に京都市水道局が水質検査をしており、
浄水しなくても安全が確保されています。
(第601回ブログの錦の水と同じですね)

音羽の滝の前から、北を向きました。
こちらの石段は、今回ブログの最初に出てきましたね。
下側から見上げると、こんな感じです。

2018年12月2日に再訪したときの写真です。
この石段の真下から見上げる風景を撮るはずが、
間違えて石段の中段から音羽の滝を撮ってしまいました。
まぁこちらの方が絶景なので、これはこれで良しでしょう。
(個人的は、奥の院から見た清水の舞台と
この石段の中段からの風景が、清水寺絶景の双璧です)

音羽の滝の前から、清水の舞台を見上げました。
石垣にカエデ並木が続きますが、
清水寺境内でこの辺りがいちばん紅葉が濃いですね。

音羽の滝から、清水の舞台の奈落を西に進みました。
このカエデ並木の上に、舞台修復のための足場が組まれています。
2018年11月15日の段階ではまだ紅葉が進んでいませんでしたね。

2018年12月2日日曜日に再訪したときに、
音羽の滝の前で清水の舞台の奈落がある西を向きました。
すっかり紅葉に染まると、この辺はこんな感じです。
実は、この辺もなかなかの絶景ポイントだったりします。

こちらも、2018年12月2日撮影の写真です。
先程位置よりは、もう少し西に進んだところを撮りました。
左(南)側が崖で、そこからカエデが伸びてきています。
この辺りは、紅葉がドーム状になります。

その西へ進む道の途中に、こちらが立っていました。
阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)の供養塔です。
この清水寺は平安時代初期に坂上田村麻呂の帰依や寄進を受け、
現在の大きさに巨大化しました。
坂上田村麻呂は桓武天皇に重用された武人ですが、
桓武天皇死後の810年に起こった平城太上天皇の変と
802年から803年に起こった阿弖流為の乱の英雄です。
当時の東北地方は福島県以南しか日本ではなかったのですが、
蝦夷の王であった阿弖流為と副官の母礼は、
一時期は東北地方どころか北関東まで支配しました。
それを倒した英雄が、征夷大将軍の坂上田村麻呂です。
これで日本は、東北地方最北端まで広がりました。
坂上田村麻呂は阿弖流為や母礼を近畿地方まで護送したのですが、
その際田村麻呂は二人と仲良くなって
桓武天皇に二人の助命を訴えました。
ところが助命は許されず、阿弖流為も母礼も直後に処刑されました。
そこで、坂上田村麻呂はこの清水寺境内に
この二人のお墓を立てたようです。
お墓そのものは度重なる災害や戦災で跡形もなくなったため、
近年このように供養塔が立てられました。

2018年12月2日に再訪した際の供養塔です。
この辺りは紅葉に囲まれていますから、
この供養塔も絶景の一部になります。

阿弖流為と母礼の供養塔の前で、西を向きました。
こちらに、また茶店があります。
清水寺では、絶景ポイントごとに茶店がありますね。

その茶店の西側で、南を向きました。
この辺りは崖と言いますか、谷と言いますか、
とにかくその辺り一帯にカエデ並木がずっと続いています。
この辺りが、また紅葉の絶景ポイントですね。

茶店から、さらに西に進みました。
左に見える石塔の向こう(西)側が、前回ブログの最初の写真です。
つまり、これで清水寺境内をほぼ1周しました。

さらにこの道を西に進むと、こちらの池があります。
この近くも紅葉が濃いので、それはそれで絶景になります。

2018年12月2日に再訪した際に、こちらの池を撮りました。
この辺は日がよく差すので、もう落葉が進んでいました。

この西に進む道は、池の先で別の道と合流します。
では、そちらに向かいます。

音羽の滝から西に進んだ道を突き当り、北を向きました。
こちらは、前回ブログでも通った道ですね。
向こうに、清水寺仁王門が見えますね。

先程の位置から、そのまま北上しました。
この道の突き当りが、松原通最東端です。
そこを右(東)に向くと、清水寺仁王門前に出ます。

松原通最東端から、西を向いています。
この背後(東)に、清水寺仁王門があります。
ここから西に約200mが、京都でも最大規模の土産物屋街です。
次に松原通を西に進むわけですが、だいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
北法相宗音羽山清水寺が、起点です。
~追記 その2~
中田一三氏監督就任へ
2018年ももうすぐ終わり、2019年に近づいてきました。
年末年始は、Jリーグの選手スタッフ人事が動く季節です。
我らが京都サンガも、中田一三氏が新監督が就任しました。
あちこちのクラブで活躍されたのを覚えていますが、
京都には加入されていませんでした。
ですから、現役時代のプレイスタイルしか印象がありません。
どういう性格で、どういう考え方をされるのか、
自分はまったく知りません。
京都サンガの新監督なのですから力の限り応援は致しますが、
この時点では全然わからない方という印象しかありません。
ある意味びっくりなのがエンゲルス氏がコーチに就任したことです。
元日本代表松井大輔選手・黒部光昭氏や
元韓国代表(と言うより韓国のレジェンド)朴智星氏を育てた名将で、
京都サンガ唯一のタイトル天皇杯を獲った監督です。
そんな栄光の元監督がコーチとなると監督は
いろいろやりにくいと思うのですが、どうなんでしょうか?
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
北法相宗音羽山清水寺が、起点です。
~追記 その2~
中田一三氏監督就任へ
2018年ももうすぐ終わり、2019年に近づいてきました。
年末年始は、Jリーグの選手スタッフ人事が動く季節です。
我らが京都サンガも、中田一三氏が新監督が就任しました。
あちこちのクラブで活躍されたのを覚えていますが、
京都には加入されていませんでした。
ですから、現役時代のプレイスタイルしか印象がありません。
どういう性格で、どういう考え方をされるのか、
自分はまったく知りません。
京都サンガの新監督なのですから力の限り応援は致しますが、
この時点では全然わからない方という印象しかありません。
ある意味びっくりなのがエンゲルス氏がコーチに就任したことです。
元日本代表松井大輔選手・黒部光昭氏や
元韓国代表(と言うより韓国のレジェンド)朴智星氏を育てた名将で、
京都サンガ唯一のタイトル天皇杯を獲った監督です。
そんな栄光の元監督がコーチとなると監督は
いろいろやりにくいと思うのですが、どうなんでしょうか?
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