第694回 島原散策南から北へ~正面通東から西~その15

壬生川通から、正面通を西に向いています。
前回ブログで上がっていた諏訪大社分社の朱い幟が
この先にも立っていますね。
今回はこのまま西に進み、正面通のほぼ最西端から
元花街の島原を北上します。
撮影日は、2019年10月21日月曜日午後2時半。
「正面通編」は、あと2回続きます。

壬生川通から正面通を西に約30m進み、南に向きました。
お地蔵さんがいらして、その脇に商店舖があります。
シャッターが閉まっていますが、この瞬間も開店していました。

壬生川通から、正面通を約50m西に進みました。
ここで正面通は、大門通と交差します。

正面通から、大門通を北に向いています。
約100m北に花屋町通が東西に貫いていますが、
その「花屋町大門」の辻に、元花街島原の大門が立っています。
(第595回ブログを参照)
つまり、ここより西が元花街の島原です。

大門通から、正面通を西に向いています。
大門通以西に、朱い幟は立っていません。
恐らくですが、この大門通が諏訪大社分社の氏子地域の最西端です。
約30m先で、正面通は坊城通と交差します。

正面通から、坊城通を南に向きました。
すぐ先で突き当たっていますが、筋違いで七条通まで続きます。
正面通以南の坊城通には小さな祠がいらしたり、
「豆の子地蔵」がいらしたりします。

今度は正面通から、坊城通を北に向いています。
正面通以北の坊城通が石畳の道に変わるのは、
こちらから先が元花街の島原だからです。
つまり、正面通が島原の最南端となります。
七条通~三条通間の坊城通は、
島原や壬生などの中心部を貫いており、
そのうちウチのブログでも特集を組もうと思っています。

坊城通から、正面通を西に向いています。
この辺りは元花街島原の最南端ですが、
マンションと工場が建ち並び、そんな雰囲気ではありません。

坊城通から、正面通を西に約50m進みました。
ここで交差する南北の道は、おそらく名称がありません。

ただ、その南北の道は元花街島原のメインストリートです。
次回ブログでは、その道を島原最北端から南下します。
その南北の道から、正面通を西に向いています。
だんだん正面通の突き当りが、はっきり見えてきました。
では、さらに西に進んでいきます。

先程の道から正面通を西に進んでいると、
こちらの京町家が建っていました。
どうやら町家の内装を改築した宿泊施設のようです。
さらに右(西)隣に建つ虫籠窓の町家も、宿泊施設のようです。
最近は、こういう「泊まれる京町家」が増えてきましたね。

その京町家の宿泊施設の前で、正面通を西に向きました。
目の前の「西新屋敷児童公園」で正面通は突き当たりますが、
正面通は筋違いでもう約50mだけ続きます。
(西新屋敷児童公園と正面通最西端には、次回ブログで進みます)

西新屋敷児童公園の前で、正面通を北に向きました。
こちらの道にも、おそらく名称がありません。
ただ、正面通以北がアスファルトの道から石畳の道に変わります。
つまり先述どおり、ここが元々花街島原だった地域の最南端です。
では正面通最西端に進む前に、
こちらから島原地域に入っていきます。
……と言いましても、「島原」南部は普通の住宅街です。

正面通から島原に入り、約30m北上しました。
この辺は住宅街と言いますか、だんだん更地も増えていますが、
このように京町家も残っています。
おそらくこの京町家は、かつての置屋だったのでしょうね。
お茶屋というには、落ち着いた建物ですし……

その京町家の前で、北を向きました。
この両脇は普通の住宅ですが、その北隣から京町家が続きます。
その辺りより北から、散策される観光客がちらほら見受けられます。

先程の京町家から、この道を約20m北上しました。
こちらは、お茶屋の角屋です。
島原では、最高級のお茶屋さんでした。
ただ、ここで江戸時代末期に芹沢鴨が大暴れして、
(角屋の主人を殺害寸前まで殴り続けました)
そのことが一因で近藤勇らに暗殺されました。
まぁ、当時この辺りは新撰組が闊歩した場所です。
(この辺りは、新撰組が駐屯した壬生の南隣です)
現在の角屋さんはお茶屋を廃業して、
「もてなしの文化美術館」として機能しています。
普段は有料で中に入れるのですが、
撮影日は、2019年10月21日の月曜日です。
毎週月曜日はこちらの定休日なので、今回は中に入れません……
(中の様子は、第596回ブログ参照です)
そして、この辺りで小雨が降ってきました。
おかげで、このカメラのレンズにも雨粒が貼り付いています。

角屋さんの向かい(東)側に、振り向きました。
実はこちら側の京町家も、角屋さんの敷地です。
こちらに、このような表札が貼り付けてあります。
左が北で、右が南です。
この少し北が、島原の中心を滞在に貫く花屋町通です。
ですから、島原の観光地は左側に集中します。

角屋の前で、北を向きました。
この辺りで、他の地方からいらした日本人観光客に出会いました。
せっかく京都に来られたのですが角屋さんがお休みで、
他の島原の観光地が分からず、戸惑われていました。
そこで適当な場所を案内しましたが、
この辺りの観光地をまとめたものは意外にありません。
(それこそ、このブログくらい?)
島原の観光ガイドは、意外と需要があるかもしれません。

角屋さんの門前から、約50m北上しました。
こちらで、この道は花屋町通と交差します。
(東本願寺・西本願寺の最北端の道ですね)
そして今まで北上してきた道から、花屋町通を西に向きました。
こちらを進むと島原住吉神社や島原西門跡に出ますが、
「正面通編」ではそちらには進みません。
(島原住吉神社の詳細は、第597回ブログ参照)

同じ場所で、花屋町通を東に向きました。
ずっと先に、島原大門が小さく見えますね。
では、こちらを進んでいきます。

先程の道から、花屋町通を東に約50m戻りました。
ここで交差する道との辻の南西角に、大きな京町家が建っています。
こちらは元々お茶屋さんの「錦清」ですが、
現在はきんせ旅館として1Fはカフェ、2Fは旅館です。
(カフェは、夜間はバーになります)
ちなみにこちらは普段からあまり照明が強くなくて、
ひょっとしたら開いていないように思うかもしれせんが、
大声を出してそのまま奥に入ると、
たいていは開いていて店主が出て来られます。
そして、こちらにお邪魔されたらシフォンケーキがお勧めです。
ただし洋酒がたっぷり入っていますので、未成年は不可です。
大正時代のカフェのような内装が、とてもお洒落なお店です。

きんせ旅館の向かい(北)は、製本工場が建っています。
そちらの店頭で、和紙の栞が売られています。
こちらも、この辺の名物ですね。

きんせ旅館と製本所の前で、花屋町通を東に向いています。
ここで花屋町通は南北に貫く道と交差しますが、
こちらは正面通でも交差した名称のない道です。
次回ブログは、この道を北から南へ進みます。

その辺の事情から、この南北の道の写真はありません。
(次回ブログで、掲載します)
その南北の道から、花屋町通を東に向いています。
では、こちらをさらに東に進んでいきます。

先程の道から、花屋町通を東に進んでいます。
誠の湯というスーパー銭湯で、
「松栄」という旅館でもある建物の向かい(北)に、
こちらの京町家が建っています。(周囲は、更地ですね)
陶磁器のお皿や壺がショウウィンドウに並んでいますが、
それらはこの小売店舗の商品です。
こちらにちょっとお邪魔しようとも思ったのですが、
2019年10月21日月曜日(要するに毎週月曜日)は定休日でした。

先程のお店から、花屋町通を東に向いています。
島原の大門が、さらにさらに近付いてきました。
目の前で、花屋町通は先程の坊城通と交差します。

坊城通から、花屋町通を東に向いています。
約20m先に、島原最東端の島原大門が見えますね。
その門をくぐった先で、花屋町通は大門通と交差します。

花屋町通から、坊城通を南に向いています。
この辺りは、京都町屋が多いですね。
約100m先で、先程の正面通と交差しています。

今度は花屋町通から、坊城通を北に向きました。
島原の「いろいろ」がいちばん詰まっているのは、
ここから北への坊城通ですね。

「花屋町坊城」の辻北西角に、こちらの掲示板が掛かっています。
ちなみに「島原」は、行政的には「下京区西新屋敷」と呼称します。

先程の掲示板の北隣に、置屋の輪違屋さんです。
島原の太夫さんの所属プロダクションのようなものですね。
島原の太夫さんは現状数人いらっしゃいますが、
どちらもこの輪違屋さんに所属されています。
現在島原には置屋はここ1軒だけで、
お茶屋さんは全滅しています。
そのため、こちらは置屋だけでなく
お茶屋さんとしての役目も果たしています。
そんな場所ですから、通常はこちらは非公開です。
まぁこちらを公開すると、
太夫さんのプライバシーの問題が発生します。
(まぁ、数年に1回こちらは公開されますが……)

輪違屋さんの前で、坊城通を北に向いています。
では、こちらを北上します。

輪違屋さんから、坊城通を約80m北上しました。
坊城通西側に、日蓮宗の法華寺があります。

法華寺の境内に入ってきました。
法華寺境内北東に、妙見宮が建っています。
三十番神もそうですが、日蓮宗寺院には
他の宗派には見られない末社が多くみられますね。

境内の西側に、日蓮宗成就山法華寺の本殿がいらっしゃいます。
ご本尊は、釈迦如来像です。
元は平安時代前期の813年、東寺の境内に
真言宗寺院として建てられました。
ところが鎌倉時代中期の1282年、こちらの住職が
日蓮の弟子になったことから日蓮宗に転向されました。
その後も「八条大宮」交差点付近に鎮座したのですが、
1963年東海道新幹線敷設のために
この地に移転してまいりました。
ですから、元々「島原関連寺院」だったわけではありません。

日蓮宗成就山法華寺の向かい(東)側に、
こちらの石碑が立っています。
そちらによると、この位置に元々島原歌舞練場が建っていました。
つまり、こちらには舞台などがあって
島原の太夫さんの踊りなどを見ることができました。
現在島原歌舞練場は廃されて、高齢者施設になっています。

その元島原歌舞練場の南側に、大銀杏の大木が立っています。
歌舞練場が立っていたころは、象徴的な木でした。

法華寺と高齢者施設の前で、坊城通を北に向いています。
ここで坊城通は、石畳の道からアスファルトに戻ります。
つまり、ここが元花街島原の最北端です。
ここで坊城通は東西の道と交差しますが、
おそらくこちらの道に名称はありません。

坊城通から、島原最北端の道を西に向きました。
この辺りは、「島原」というより
京都中央卸売市場関連施設が多くなっています。
ただここから南下すると、また花街の雰囲気に戻ります。
ここからまた南下していくのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回で、「正面通編」が終わります~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
元お茶屋さんの角屋が、起点です。
~追記 その2~
「正面通編」が、15回で終わりません
元々今回連載している「正面通編」は、
自分が罹患した脳卒中対策と言いますか、
要するに無理ができないので
「ウチの近所で済ませられる短い道」を取材しているはずでした。
ですから、10回未満で終わる予定でした。
それが……15回でも終わりません。
ウチに近い東の方ほどゆっくり進んだのが、
長期連載化した理由ですが、
15回を越えての連載は2017年連載の上立売通編以来です。
~追記 その3~
エディーを巡る対決
2019年10月26日と27日に、ラグビーW杯日本大会は
いよいよ準決勝を迎えました。
Brave Blossoms(日本代表の愛称)の敗戦後
話題性が落ちると思いきや、なかなかの視聴率だったようで、
京都駅前のあちこちのスポーツバーも
相当賑やかなことになっていました。
All Blacks(ニュージーランド代表)は優勝候補筆頭でしたが、
イングランドにあっさり負けてしまいました。
実は、All BlacksはW杯史上対イングランド戦初黒星です。
この日のAll Blacksはミスが目立ち、
自分たちがしたいことが何もできないままノーサイドとなりました。
これはAll Blacks側の失敗というよりも、
イングランド側が上手く試合を運んだことが最大の勝因です。
これも、エディー監督の名采配が光りました。
4年前の自国開催でプールリーグ敗退だったのに、
イングランドは史上2度目の決勝戦進出ですね。
一方の決勝戦進出は、Spingboks(南アフリカ共和国の愛称)ですね。
もっと点差が開くと予想したのですが、意外に僅差でした……
Wallabies(オーストラリア代表)と戦ったときも思ったのですが、
Red Dragons(ウェールズ代表)はウェールズ史上最強でした。
ダン・ビガー選手やジョージ・ノース選手のように
バックスが充実しているだけでなく、
フォワードも名選手揃いでした。
とは言え、これで決勝戦はエディー監督の因縁試合となりました。
エディー監督は現在イングランド代表監督ですが、
2015年ラグビーW杯イングランド大会時は
Brave Blossomsつまり日本代表監督でした。
その際のBrave Blossomsは、スコットランド代表に負けたものの
Spingboks(南アフリカ共和国)、Manu Samoa(サモア代表)、
アメリカに勝ち3勝しました。
それまでW杯でほとんど勝てなかったBrave Blossomsを
ここまで強くしたエディー監督に
世界各国が代表監督を依頼しました。
その結果エディー監督が引き受けたのが、
Spingboksつまり南アフリカ共和国でした。
ところがその3カ月後、2016年ヨーロッパの6カ国対抗戦に
惨敗したイングランドは急遽エディー監督に
代表監督を依頼しました。
するとエディー監督はSpingboksの監督を辞任して、
イングランド代表監督に就任しました。
ここからイングランドの快進撃が始まるのですが、
面白くないのはSpingboks(南アフリカ共和国)です。
こういう遺恨が、決勝戦の結果を変えていくのでしょうね。
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