第806回 コロナ禍での法住寺節分会 その1
「京のお店 今日のお品」カテゴリーに
進みたい方は、ここをクリックしてください。
「節分」は、元々旧暦の大晦日に当たります。
中国などの国では太陽暦の大晦日以上に祝賀ムードになりますが、
日本でも祝賀ムードになる地域もあって、
特に京都では様々な神社仏閣が節分会を開催します。
ところがコロナウィルスの変異種のオミクロン株が蔓延する中、
2021年同様、2022年も各神社仏閣が節分会を中止したり、
神官や僧侶のみで行う「居祭」にしたりしたところが大半です。
そういう状況の中ウチの近所の法住寺の様子を見に行ったのですが、
かなり規模を縮小して節分会を開催されていました。
その様子を短期連載します。

京都駅から206系や208系など
七条通を東に進む市バスに乗って、約12分。
こちらは、「博物館・三十三間堂」バス停です。
今回は、三十三間堂の東隣の法住寺に向かいます。
撮影日は、2022年2月3日節分の木曜日午後1時。
観光客は皆無でしたが、地元民が30人ほど来ていました。

カメラの用意をもたもたしていたら、自分が乗っていた206系市バスが
「東山七条」交差点を左折してしまいました。
現在「博物館・三十三間堂」バス停から、七条通を東に向いています。
約300m先の智積院勅使門前で、七条通は突き当たります。
ここから、目の前の横断歩道に進みます。

その横断歩道を渡らずに、七条通から北を向いています。
こちらから、京都国立博物館に入れます。

京都国立博物館に背を向け、七条通から南に向きました。
七条通から南に、2車線の道路が伸びています。
こちらの道を「三十三間堂廻り」と呼びます。
豊臣秀吉はこの辺一帯を
「大仏殿」を中心にした一大宗教施設にしましたが、
「三十三間堂廻り」は、当時から残っている道です。

七条通から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
右(西)側の塀の向こうが、その三十三間堂です。

七条通から「三十三間堂廻り」を約50m南下して、西を向きました。
三十三間堂には、こちらから入れます。
まぁ、ウチにいちばん近い国宝です。
三十三間堂は現在天台宗蓮華法院と呼ばれて妙法院の一部ですが、
元々鴨川以東の五条通~塩小路間は
今回ブログのメインの天台宗法住寺でした。
つまり、この三十三間堂は元々法住寺境内のお堂でした。
三十三間堂の庭園を「法住寺殿址」と呼ぶのは、
三十三間堂が法住寺の一部だった名残です。
(三十三間堂の様子は、第720回ブログ参照)

三十三間堂の門前から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
目の前に、この辺りに数少ない公衆トイレがありますね。
ずっと先に、「三十三間堂廻り」最南端の
三十三間堂南大門が見えます。
その門をくぐると、塩小路に突き当たります。
こちらは、元々豊臣秀吉が建立した大仏殿の南大門でした。
ちなみに南大門近くの土塀は安土桃山時代のものなので、
「太閤塀」と呼ばれて重要文化財に指定されています。

七条通から、「三十三間堂廻り」をずっと南下しています。
この道を境に右(西)側は三十三間堂ですが、
左(東)側にも様々な寺院が建っています。

七条通から、「三十三間堂廻り」を約180m南下しました。
「三十三間堂廻り」より東側が、浄土真宗遣迎院派養源院です。
「浄土真宗遣迎院派」は天台宗からの分派で、
実は浄土真宗とはあまり関係がありません。
浅井長政の菩提を弔うためにお江の方が建立した寺院ですが、
淀殿の遺志を引き継ぐ形で江戸時代に入ってから完成しました。
俵屋宗達の絵画を日本一収蔵している寺院ですが、
伏見城の切腹現場の床をそのまま天井にした「血天井」でも有名です。
ただコロナウィルス蔓延防止特別措置発令により、
コロナウィルス蔓延が治まるまで拝観停止です。
(2022年1月から拝観停止です)

浄土真宗遣迎院派養源院の南側に、東に伸びる通路があります。
こちらを進むと、後白河天皇陵がいらっしゃいます。
今回ブログのメインの法住寺は平安時代末期に「法住寺殿」と呼ばれ、
後白河上皇が居住する「外御所」でした。
ですから、後白河上皇はこの法住寺で院政を行っていました。
その後法住寺は明治時代の「神仏分離令」まで、
法住寺は後白河天皇陵を守る「宮寺」として機能していました。

後白河天皇陵へ通じる通路の間に隣に、
今回ブログのメイン天台宗法住寺が建っています。
「三十三間堂廻り」最南端の寺院なので、ここからでも
三十三間堂南大門より南の塩小路の様子が見えます。
バス停からゆっくり歩いていると、修験者装束の方々が
法住寺の南側の唐門から出て来られました。
サイトに中止と書いてありませんでしたので半信半疑でしたが、
予定とだいぶ異なるタイミングで節分会の行事が行われていました。
ここから慌てて、この行列の後を追います。

修験者の行列から、法螺貝の音が大きく鳴り響きます。
その修験者たちやご住職の後から、
天狗と鬼の姿をした方々が北上されています。

その行列は法住寺の北側の門から、境内に入られました。
自分も、このままこの門をくぐります。
天台宗法住寺は、平安時代中期の988年藤原為光が建立しました。
この寺院の全盛は、平安時代末期1180年ごろです。
後白河上皇はこの地を気に入り、ここを「外御所」としました。
つまり、この寺院に後白河上皇が居住して政治を行いました。
ただ法住寺合戦の後は徐々に衰退して、
境内のお堂であった三十三間堂も同じ場所にありながら、
年代ごとに所属寺院を変えることになりました。
鎌倉時代以降は後白河天皇陵を守る「宮寺」として機能しましたが、
明治時代以降の「神仏分離令」によって
後白河天皇陵とこの寺院も塀によって分離されてしまいました。

先程の門から、法住寺境内に入ってきました。
鬼装束の方々が、境内最南端の本堂に入っていかれます。
ここから暫く本堂での祈祷ですから、参拝者はその場で待機です。
右(西)側を見ると、甘酒の屋台が並んでいます。
釜の数から、餅搗き後のお汁粉は中止されていると分かります。

その甘酒を提供する屋台を大写しにしました。
毎年湯呑みで甘酒を提供されているのですが、
コロナ禍の2022年は紙コップで提供されていました。
また、その紙コップを触る前に屋台におられる方々が
アルコールジェルで手指消毒されていました。
ただ法住寺節分会の行事が継続中でしたので、
今年(2022年)は甘酒を戴きませんでした。

甘酒の屋台の前を南下して、護摩壇の北側で立ち止まりました。
護摩壇の南側に法住寺本堂があって、
中でご住職と修験者が祈祷されています。
本堂の外には、鬼装束の方々が待機されていました。
周囲を見ると、参拝者は約30人ですね。
全盛期の2020年はもちろんのこと、2015年の半分以下ですね。
「餅つき」やお汁粉を振る舞うなどの行事が中止されているため、
前倒しで例年よりも進行が早くなっていました。

お汁粉用のお餅を丸めるのに、
例年花街から舞妓さんを呼ばれています。
今年(2022年)はその作業は無いようでしたが、
一応花街の舞妓さんを呼ばれてはいたようです。
確かサイトでは島原の太夫さんを呼ばれると書かれていましたが、
どう見てもこちらは、舞妓さんです。
祇園か先斗町か、宮川町か上七軒かまでは分かりませんが……

修験者とご住職の祈祷が、終わりました。
すると法螺貝を鳴らしながら、修験者が境内に出て来られました。

修験者たちは護摩壇や自分たち参拝者の脇を通り過ぎ、
甘酒の屋台前に移動されます。
その後ろから錫杖を持たれた天狗装束の方が付いて行かれます。

天狗装束の方の後からは、赤鬼装束の方が付いてこられます。
赤鬼は、宝剣と松明を両腕に持たれていました。
赤鬼の後から、青鬼が付いてこられます。
青鬼は黒い斧を両手で持たれています。

青鬼装束の方の後には、修験者と黒鬼が付いてこられます。
黒鬼装束の方は、黒い小槌を持たれています。

黒鬼の後、最後列はご住職がいらっしゃいました。
ご住職も、参拝者の北側に回り込まれて、
そこから境内西側へ移動されます。

この行列は、境内北側から護摩壇の西側に回り込まれました。
そして、その護摩壇西側から
護摩壇の前に修験者たちが入って来られます。

修験者たちとご住職が全員護摩壇前に入って来られると、
護摩壇南側で法螺貝、銅鑼、独鈷の鈴で演奏を始められました。
すると、天狗装束の方が錫杖を振りながら護摩壇前に現れます。

天狗装束の方が、楽曲に合わせて錫杖を振い舞い踊られます。
そして、そのまま時計回りに護摩壇の周囲を移動されます。

天狗装束の方が、本堂前に移動されました。
そして、本堂や参拝者に対して錫杖を振り回されます。
たぶん、この辺りの厄を払っておられるのでしょう。

天狗装束の方が護摩壇を1周されて、2周目に入られます。
すると、赤鬼装束の方が持たれていた松明に、火が灯されました。

左手に松明、右手に宝剣を持たれた赤鬼は、
銅鑼や鈴のリズムに合わせて、足踏みをされます。
続いて、赤鬼も舞い踊られます。

松明と宝剣を掲げて、赤鬼がリズムに合わせて
足を踏みしめてゆっくり歩かれています。
こちらも、護摩壇の周囲を時計回りに周回されます。

赤鬼に続いて、青鬼の登場です。
青鬼は、両手で斧を振り翳されています。

銅鑼や鈴のリズムに合わせて、青鬼は斧を振り下ろされます。
こちらも演奏に合わせて、舞い踊られながら時計回りをされます。

そして、最後は黒鬼の登場です。
黒鬼は、右手に小槌を持たれています。

黒鬼も銅鑼や鈴に合わせて、小槌を振われます。
……のですが、他の方よりも振りが小さいですね。
「小槌」という性質からでしょうか?

天狗と鬼たちが、護摩壇の周囲を時計回りに周回されます。
ただ黒鬼が登場した直後に、天狗が周回を終えました。

周回を終えた天狗装束の方が、護摩壇から去られます。
この方は、今年(2022年)はここでお役御免です。

ただ鬼の皆さんは、この位置で引き止められました。
実は次回ブログまで、鬼の皆さんは登場します。

すると修験者の皆さんとご住職が、本堂前に集結されました。
代わりに、鬼の皆さんが護摩壇の北側に集結されます。

本堂前で、ご住職が桝を片手にMCをされています。
ご住職は、今後の予定を話されていました。
どうも参拝者に向けの豆まきが今年(2022年)は中止で、
境内に関係者が捲く豆まきだけを行われるそうです。
その後護摩壇で加持祈祷を行って、節分会が終了だそうです。
例年より、行事が半分になっていました。
そのため、かなりハイペースで行事が進んでいます。
ただ、だいぶ写真を貼り付けたので
今回はここまでです。
~次回は法住寺節分会の豆まきを取材します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
天台宗法住寺が、起点です。
~追記 その2~
今後の予定
法住寺の節分会は中止か居祭の可能性が高かったので、
正直なところ確認次第そのまま大黒通へ向かう予定でした。
(確かにサイトでは、節分会の変更は書かれていませんでしたが)
結局短縮版で法住寺の節分会が開催されたので、
ブログ3回分を使ってこの節分会の模様を紹介します。
それで、2月下旬以降ですが……
数軒「京のお店 今日のお品」を取介した後、
待望の「大黒通」編を連載します。
それが3月中旬まで続いて、
その後はまた数軒「京のお店 今日のお品」を紹介して、
そこから2022年の「桜散策」を始めます。
今年(2022年)は冷泉通~哲学の道を考えていますが、
それはそのときのコロナ禍の状況次第です。
~追記 その3~
ネコはコタツで長くなる

2022年の冬は結構寒いので、
ウチのネコはコタツに入り浸っています。
2022年2月4日の午後コタツ布団をめくると……

コタツの中では、ウチのネコが熟睡していました。
多分ですが、野生での山で冬眠するときは
こんな格好になるのでは?と思っています。
丸くならないのは、外敵襲撃の可能性を感じていないからでしょうね。
進みたい方は、ここをクリックしてください。
「節分」は、元々旧暦の大晦日に当たります。
中国などの国では太陽暦の大晦日以上に祝賀ムードになりますが、
日本でも祝賀ムードになる地域もあって、
特に京都では様々な神社仏閣が節分会を開催します。
ところがコロナウィルスの変異種のオミクロン株が蔓延する中、
2021年同様、2022年も各神社仏閣が節分会を中止したり、
神官や僧侶のみで行う「居祭」にしたりしたところが大半です。
そういう状況の中ウチの近所の法住寺の様子を見に行ったのですが、
かなり規模を縮小して節分会を開催されていました。
その様子を短期連載します。

京都駅から206系や208系など
七条通を東に進む市バスに乗って、約12分。
こちらは、「博物館・三十三間堂」バス停です。
今回は、三十三間堂の東隣の法住寺に向かいます。
撮影日は、2022年2月3日節分の木曜日午後1時。
観光客は皆無でしたが、地元民が30人ほど来ていました。

カメラの用意をもたもたしていたら、自分が乗っていた206系市バスが
「東山七条」交差点を左折してしまいました。
現在「博物館・三十三間堂」バス停から、七条通を東に向いています。
約300m先の智積院勅使門前で、七条通は突き当たります。
ここから、目の前の横断歩道に進みます。

その横断歩道を渡らずに、七条通から北を向いています。
こちらから、京都国立博物館に入れます。

京都国立博物館に背を向け、七条通から南に向きました。
七条通から南に、2車線の道路が伸びています。
こちらの道を「三十三間堂廻り」と呼びます。
豊臣秀吉はこの辺一帯を
「大仏殿」を中心にした一大宗教施設にしましたが、
「三十三間堂廻り」は、当時から残っている道です。

七条通から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
右(西)側の塀の向こうが、その三十三間堂です。

七条通から「三十三間堂廻り」を約50m南下して、西を向きました。
三十三間堂には、こちらから入れます。
まぁ、ウチにいちばん近い国宝です。
三十三間堂は現在天台宗蓮華法院と呼ばれて妙法院の一部ですが、
元々鴨川以東の五条通~塩小路間は
今回ブログのメインの天台宗法住寺でした。
つまり、この三十三間堂は元々法住寺境内のお堂でした。
三十三間堂の庭園を「法住寺殿址」と呼ぶのは、
三十三間堂が法住寺の一部だった名残です。
(三十三間堂の様子は、第720回ブログ参照)

三十三間堂の門前から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
目の前に、この辺りに数少ない公衆トイレがありますね。
ずっと先に、「三十三間堂廻り」最南端の
三十三間堂南大門が見えます。
その門をくぐると、塩小路に突き当たります。
こちらは、元々豊臣秀吉が建立した大仏殿の南大門でした。
ちなみに南大門近くの土塀は安土桃山時代のものなので、
「太閤塀」と呼ばれて重要文化財に指定されています。

七条通から、「三十三間堂廻り」をずっと南下しています。
この道を境に右(西)側は三十三間堂ですが、
左(東)側にも様々な寺院が建っています。

七条通から、「三十三間堂廻り」を約180m南下しました。
「三十三間堂廻り」より東側が、浄土真宗遣迎院派養源院です。
「浄土真宗遣迎院派」は天台宗からの分派で、
実は浄土真宗とはあまり関係がありません。
浅井長政の菩提を弔うためにお江の方が建立した寺院ですが、
淀殿の遺志を引き継ぐ形で江戸時代に入ってから完成しました。
俵屋宗達の絵画を日本一収蔵している寺院ですが、
伏見城の切腹現場の床をそのまま天井にした「血天井」でも有名です。
ただコロナウィルス蔓延防止特別措置発令により、
コロナウィルス蔓延が治まるまで拝観停止です。
(2022年1月から拝観停止です)

浄土真宗遣迎院派養源院の南側に、東に伸びる通路があります。
こちらを進むと、後白河天皇陵がいらっしゃいます。
今回ブログのメインの法住寺は平安時代末期に「法住寺殿」と呼ばれ、
後白河上皇が居住する「外御所」でした。
ですから、後白河上皇はこの法住寺で院政を行っていました。
その後法住寺は明治時代の「神仏分離令」まで、
法住寺は後白河天皇陵を守る「宮寺」として機能していました。

後白河天皇陵へ通じる通路の間に隣に、
今回ブログのメイン天台宗法住寺が建っています。
「三十三間堂廻り」最南端の寺院なので、ここからでも
三十三間堂南大門より南の塩小路の様子が見えます。
バス停からゆっくり歩いていると、修験者装束の方々が
法住寺の南側の唐門から出て来られました。
サイトに中止と書いてありませんでしたので半信半疑でしたが、
予定とだいぶ異なるタイミングで節分会の行事が行われていました。
ここから慌てて、この行列の後を追います。

修験者の行列から、法螺貝の音が大きく鳴り響きます。
その修験者たちやご住職の後から、
天狗と鬼の姿をした方々が北上されています。

その行列は法住寺の北側の門から、境内に入られました。
自分も、このままこの門をくぐります。
天台宗法住寺は、平安時代中期の988年藤原為光が建立しました。
この寺院の全盛は、平安時代末期1180年ごろです。
後白河上皇はこの地を気に入り、ここを「外御所」としました。
つまり、この寺院に後白河上皇が居住して政治を行いました。
ただ法住寺合戦の後は徐々に衰退して、
境内のお堂であった三十三間堂も同じ場所にありながら、
年代ごとに所属寺院を変えることになりました。
鎌倉時代以降は後白河天皇陵を守る「宮寺」として機能しましたが、
明治時代以降の「神仏分離令」によって
後白河天皇陵とこの寺院も塀によって分離されてしまいました。

先程の門から、法住寺境内に入ってきました。
鬼装束の方々が、境内最南端の本堂に入っていかれます。
ここから暫く本堂での祈祷ですから、参拝者はその場で待機です。
右(西)側を見ると、甘酒の屋台が並んでいます。
釜の数から、餅搗き後のお汁粉は中止されていると分かります。

その甘酒を提供する屋台を大写しにしました。
毎年湯呑みで甘酒を提供されているのですが、
コロナ禍の2022年は紙コップで提供されていました。
また、その紙コップを触る前に屋台におられる方々が
アルコールジェルで手指消毒されていました。
ただ法住寺節分会の行事が継続中でしたので、
今年(2022年)は甘酒を戴きませんでした。

甘酒の屋台の前を南下して、護摩壇の北側で立ち止まりました。
護摩壇の南側に法住寺本堂があって、
中でご住職と修験者が祈祷されています。
本堂の外には、鬼装束の方々が待機されていました。
周囲を見ると、参拝者は約30人ですね。
全盛期の2020年はもちろんのこと、2015年の半分以下ですね。
「餅つき」やお汁粉を振る舞うなどの行事が中止されているため、
前倒しで例年よりも進行が早くなっていました。

お汁粉用のお餅を丸めるのに、
例年花街から舞妓さんを呼ばれています。
今年(2022年)はその作業は無いようでしたが、
一応花街の舞妓さんを呼ばれてはいたようです。
確かサイトでは島原の太夫さんを呼ばれると書かれていましたが、
どう見てもこちらは、舞妓さんです。
祇園か先斗町か、宮川町か上七軒かまでは分かりませんが……

修験者とご住職の祈祷が、終わりました。
すると法螺貝を鳴らしながら、修験者が境内に出て来られました。

修験者たちは護摩壇や自分たち参拝者の脇を通り過ぎ、
甘酒の屋台前に移動されます。
その後ろから錫杖を持たれた天狗装束の方が付いて行かれます。

天狗装束の方の後からは、赤鬼装束の方が付いてこられます。
赤鬼は、宝剣と松明を両腕に持たれていました。
赤鬼の後から、青鬼が付いてこられます。
青鬼は黒い斧を両手で持たれています。

青鬼装束の方の後には、修験者と黒鬼が付いてこられます。
黒鬼装束の方は、黒い小槌を持たれています。

黒鬼の後、最後列はご住職がいらっしゃいました。
ご住職も、参拝者の北側に回り込まれて、
そこから境内西側へ移動されます。

この行列は、境内北側から護摩壇の西側に回り込まれました。
そして、その護摩壇西側から
護摩壇の前に修験者たちが入って来られます。

修験者たちとご住職が全員護摩壇前に入って来られると、
護摩壇南側で法螺貝、銅鑼、独鈷の鈴で演奏を始められました。
すると、天狗装束の方が錫杖を振りながら護摩壇前に現れます。

天狗装束の方が、楽曲に合わせて錫杖を振い舞い踊られます。
そして、そのまま時計回りに護摩壇の周囲を移動されます。

天狗装束の方が、本堂前に移動されました。
そして、本堂や参拝者に対して錫杖を振り回されます。
たぶん、この辺りの厄を払っておられるのでしょう。

天狗装束の方が護摩壇を1周されて、2周目に入られます。
すると、赤鬼装束の方が持たれていた松明に、火が灯されました。

左手に松明、右手に宝剣を持たれた赤鬼は、
銅鑼や鈴のリズムに合わせて、足踏みをされます。
続いて、赤鬼も舞い踊られます。

松明と宝剣を掲げて、赤鬼がリズムに合わせて
足を踏みしめてゆっくり歩かれています。
こちらも、護摩壇の周囲を時計回りに周回されます。

赤鬼に続いて、青鬼の登場です。
青鬼は、両手で斧を振り翳されています。

銅鑼や鈴のリズムに合わせて、青鬼は斧を振り下ろされます。
こちらも演奏に合わせて、舞い踊られながら時計回りをされます。

そして、最後は黒鬼の登場です。
黒鬼は、右手に小槌を持たれています。

黒鬼も銅鑼や鈴に合わせて、小槌を振われます。
……のですが、他の方よりも振りが小さいですね。
「小槌」という性質からでしょうか?

天狗と鬼たちが、護摩壇の周囲を時計回りに周回されます。
ただ黒鬼が登場した直後に、天狗が周回を終えました。

周回を終えた天狗装束の方が、護摩壇から去られます。
この方は、今年(2022年)はここでお役御免です。

ただ鬼の皆さんは、この位置で引き止められました。
実は次回ブログまで、鬼の皆さんは登場します。

すると修験者の皆さんとご住職が、本堂前に集結されました。
代わりに、鬼の皆さんが護摩壇の北側に集結されます。

本堂前で、ご住職が桝を片手にMCをされています。
ご住職は、今後の予定を話されていました。
どうも参拝者に向けの豆まきが今年(2022年)は中止で、
境内に関係者が捲く豆まきだけを行われるそうです。
その後護摩壇で加持祈祷を行って、節分会が終了だそうです。
例年より、行事が半分になっていました。
そのため、かなりハイペースで行事が進んでいます。
ただ、だいぶ写真を貼り付けたので
今回はここまでです。
~次回は法住寺節分会の豆まきを取材します~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
天台宗法住寺が、起点です。
~追記 その2~
今後の予定
法住寺の節分会は中止か居祭の可能性が高かったので、
正直なところ確認次第そのまま大黒通へ向かう予定でした。
(確かにサイトでは、節分会の変更は書かれていませんでしたが)
結局短縮版で法住寺の節分会が開催されたので、
ブログ3回分を使ってこの節分会の模様を紹介します。
それで、2月下旬以降ですが……
数軒「京のお店 今日のお品」を取介した後、
待望の「大黒通」編を連載します。
それが3月中旬まで続いて、
その後はまた数軒「京のお店 今日のお品」を紹介して、
そこから2022年の「桜散策」を始めます。
今年(2022年)は冷泉通~哲学の道を考えていますが、
それはそのときのコロナ禍の状況次第です。
~追記 その3~
ネコはコタツで長くなる

2022年の冬は結構寒いので、
ウチのネコはコタツに入り浸っています。
2022年2月4日の午後コタツ布団をめくると……

コタツの中では、ウチのネコが熟睡していました。
多分ですが、野生での山で冬眠するときは
こんな格好になるのでは?と思っています。
丸くならないのは、外敵襲撃の可能性を感じていないからでしょうね。
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